
林田章紀
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元十種競技選手で今はコーチをやっとります。 ”走らんでも楽しい陸上”を離島で実践中! 長崎南高校➡︎順天堂大学➡︎(株)ONE COACH/対馬移住🏝️(2023-)/日本選手権4回出場(2008-2011)/
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クレイアーロン日本人初の決勝進出!!!! キターーーーーー!!!!!!!!!!!! #世界室内 #WorldIndoorChamps
林田章紀207,736 Aufrufe • vor 2 Monaten

【対馬で陸上の楽しさを伝えたい-走らなくても楽しい陸上-】 思えば「走る楽しさ」ってなんだろうとずっと考えていた。小さい頃から走るのは得意だった。それは長崎の海や山や川に囲まれた自然環境で走り回っていたからだと思う。走り回っていた理由は、自然に中にある景色や生き物、そしてちょっとしたスリル(危ない場所や危ない生き物)、そんな新しいものに出会える機会があったからのような気がする。 小学生4年生の時、親の勧めで地元の陸上クラブに入ったが、足が早くなることが目的の陸上クラブがあまり楽しめてなかった(親がいない日はよくサボって友達の家でゲームをしていた)。フォローのつもりはないが、そのクラブはとても良いクラブだ。多くの優秀な陸上選手を輩出しているし、僕が興味を示せていなかっただけ。正直OBというのは今では烏滸がましい。 中学校では昔から入りたかった野球部に入った。野球部は中学から始めたので下手くそだったが、仲間とボールが見えなくなるまで練習していたのは楽しかった。一方で走ることは夏の中総体、冬の駅伝には毎年借り出し部員として、走ることに参加させてもらっていた。得意という優越感はあったが楽しさで言えば野球の方が楽しかった。高校に上がるときに野球をするか、陸上(走る)かで考えていた当時為末大さん世界陸上でメダルを取って活躍していたことあり、得意なことなら上にいけるもしれないそう思って陸上を選んだ。 高校では400mHをやりたいなと思っていたが、顧問の先生の勧めで八種競技を選んだ。振り返ってみると、この八種競技(のちに十種競技)との出会いが僕が陸上を続けて来れた一つの理由だったのかもしれない(走るだけだと飽きていたと思う)。高校での走ることはキツかったが、記録も伸びたお陰で大会や合宿で色んな所に行くことができて楽しかった。 その後多くの周囲のサポートもあり、希望の大学で陸上を続けることができた。大学ではハイレベルな選手、スポーツの専門家、指導者、トレーニング設備も圧倒的だった。そんな恵まれた環境で陸上に専念できて記録も伸ばすことができ、目標とする大会にも参加することができた。得意が一つ形になった気がしてその時は楽しかった。 24歳で競技者として陸上(走ること)は辞めたが、縁あって指導者としてスタート切ることになった。指導していた選手たちが頑張ってくれたお陰で、国内外問わず多くの大会や合宿にも参加することができて楽しかった。その一方で、結果が出てるから楽しいのではないかと違和感を感じ始めた。その違和感を抱えたまま東京五輪が終わり、コーチ専業から一旦距離をおくことなる頃、OTTとMDCという2つの大会に出会った。 OTTやMDCに参加させてもらい、陸上(走ること)を「観ること、支えること、知ってもらうこと、作ること」に走らないで関わらせてもらうことができた。そして毎回のイベントが準備から終わった後まで楽しかった。 OTTやMDCとの出会いを通して「走る楽しさ」は実は陸上という"コミュニティ"だったのだと気づくことができた。振り返ってみれば、走ること、十種競技をすることでの新しい世界や人との出会い、一緒に何かを作り上げることが楽しかったのだと思う。いつの間にか早く走れることが楽しいに置き換わっていたような気がする。 確かに走るという行為そのものだけでは楽しいものは生まれにくいかもしれないが、走るというものが誰か人と繋がったときに、走るという世界が一気に広がっていく感じがする。「走るから広がるコミュニティの楽しさ」を対馬の陸上を通じて、広げていきたいと思う。
林田章紀675,763 Aufrufe • vor 2 Jahren

クレイ・アーロン予選通過‼️ 200m 25.68 400m 52.36 600m 1:19.06 #世界室内 #WorldIndoorChamps
林田章紀 -陸上十種競技コーチ-56,551 Aufrufe • vor 2 Monaten

あまこま混成12「7か箇所骨折で最後までにやり抜いた日本の十種選手」 今回は、皆さんにぜひ知っておいてほしい、日本が誇る十種競技選手についてお話ししたいと思います。 その選手の名前は、松田克彦さん。 僕が卒業した順天堂大学の大先輩にあたる方です。 松田さんは、1993年にドイツのシュトゥットガルトで開催された世界陸上に、十種競技の日本代表として出場された選手です。日本選手権でも優勝し、当時の日本記録も樹立された、まさに日本のトップ選手でした。 松田さんの後には、同じく順天堂大学の金子宗弘さんが8000点にあと5点と迫る7995点の日本記録を出すなど、当時の順天堂大学は十種競技がめっちゃ強い大学だったんです。 僕が生まれたのが1987年なので、松田さんや金子さんが活躍されていた時代は正直4-5歳くらい小さくて、おそらく十種競技という種目すら知らなかったですが、順天堂大学へ進学する時に自分で色々と調べる中で、こんなにもすごい選手がいた大学なんだと知りました。そして、高校の恩師とのご縁もあって、高校時代から何度か練習を見ていただく機会に恵まれたんです。 大学に進んでからは、当時混成競技を指導してくださる方がいなかったので、平成国際大学で監督をされていた松田さんのもとへ、年に3回ほどトレーニングを習いに行っていました。 そんなご縁もあって、松田さんが世界大会で活躍されたすごい選手だということはもちろん知っていたのですが、その世界陸上での競技を映像で見たことはありませんでした。僕が大学生の頃は、まだYouTubeにもそういった映像はなかったように思います。 ただ、伝説として語り継がれている話がありました。 周りの方々から伝え聞いた、1993年のシュトゥットガルト世界陸上での話です。 何度も話ししていますが、十種競技は2日間で10種目の競技を行う過酷なスポーツですが、その中でも棒高跳は特に勝負の鍵を握る難しい種目です。 その棒高跳で、松田さんにアクシデントが起こります。 ポールの突っ込みがうまくいかず、マットまで届かずに助走路側に戻されてしまうことがあるのですが、その際の着地に失敗し、なんと背中、肋骨、手首、肘など、計7カ所を骨折する大怪我を負ってしまったそうです。 正直普通であれば、その場で棄権です。 海外の選手であれば、おそらく誰もが競技を辞めていたでしょうし、当時の周りの選手たちはなんで辞めないのかと思われたかもしれません。 しかし、松田さんは違いました。 骨折した体のまま、その後のやり投、そして最終種目の1500mを最後までやり抜いたんです。 そして、その伝説の映像をYouTubeで見つけたのは、今から7、8年ほど前のことです。 棒高跳で怪我を負った後、明らかに満身創痍の状態で最後の1500mを走り抜き、ゴールした瞬間に倒れ込む松田さんの姿。順位は最下位だったかもしれません。でも、その姿はカッコよく見えました。 海外の選手ならやめてしまうような状況でも、最後まで戦い抜く。 もしかしたら、これが最後の世界陸上になるかもしれない、という想いがあったのかもしれません。 以前、松田さんご本人から「俺は骨折してもやったんだから、お前もやりきれよ」と、笑いながら言われたことがあります。その言葉の裏にある、壮絶な経験と覚悟を、映像を見て改めて感じました。 この映像には、本当に心を揺さぶられました。 日本の十種競技に、こんなにも偉大な「戦うデカスリート」がいたということを、皆さんにもぜひ知ってもらいたいです。 #あまこま世界陸上 #あまこま混成
林田章紀@対馬30,204 Aufrufe • vor 9 Monaten
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