正在加载视频...

视频加载失败

2022.3.19 鹿先生 3月18日ワクチン分科会を見たけど、6人の若い男性が心臓死してるのに、全く議論もされない。 ワクチン後遺症が初めて議題に上がったが、そんなものはないと相手にもされず 3回目を打たせる会という名前がピッタリだった

19,807 次观看 • 1 个月前 •via X (Twitter)

0 条评论

暂无评论

原始帖子的评论将显示在这里

相关视频

原口議員が、ワクチンの問題点を指摘したことで汚名を着せられた科学者たちに理解を示し、DNAが混入したワクチンの毒性についての説明の機会を設けてくれた。 原口議員に感謝したい。 村上教授の話: WHOの判断によって、ウィルス学者やワクチン研究者の常識事項を無視し、変異しやすいウィルスに対し安易にワクチンを打ち続けた結果、問題が深刻化した。 誤りを犯したWHOがさらなる強い影響力を持つことは許されるべきではない。 WHOは反省してしばらくは黙ってひっこんでいるべきである。 コロナは重症化率の低いウィルスであり、ワクチンを接種しない人たちの間では、この疫病は、終わってしまっている。しかしながら、ワクチンを何度も、6回も7回も打った人たちが感染拡大を引き起こしているという実態がある。 遺伝子を人の細胞に導入するワクチンとも言えないようなものが、何も知らない人々に打たれてしまった。同じ抗原を打ったせいで、8割のワクチン信者の日本人が同じ抗体を持っており、ワクチンが効かなくなっている。 この現象は抗原原罪と呼ばれるものである。 未接種者は、感染することで、様々な免疫が誘導されるのに、接種者はそうではなく、古い抗体ができるだけなのだ。元々、免疫を持った日本人は、何もしなくてもよかったのに、そのような話をしてもは聞き入れらずに、不要であり、有毒なスパイクのワクチンが日本人に接種され、大勢の被害者を生んでしまった。 ワクチンにDNAが混入しているという新しい問題も発覚した。DNAの混入問題は、欧米では、大騒ぎになっている、日本では(御用学者たちが騒ぐなといったため、)どういうわけか騒がれず、自由な情報発信ができない状態である。このままでは、同じ過ちが繰り返されるだろう。 新しいWCHがWHOよりも大きな役割を果たすことを期待する。

You

620,562 次观看 • 2 年前

ワクチン問題研究会記者会見 福島教授: 「これは薬害ではない。はっきりと言うが、ワクチンは、ありとあらゆる毒性を持った生物兵器である。生物兵器がばらまかれ、沢山の人が死んだ。大虐殺だ。」 要旨: マスコミや警察は、ワクチンによる被害者の声を無視し、政府は、憲法で保証された幸福追求権を無視している。知る権利が踏みにじられ、日本が深刻な民主主義の危機に直面している。絶対に許すことはできない。科学者の存在意義が問われている。 何兆円も使って、核酸医薬と呼ばれた、不完全な薬でもない、生物兵器がばらまかれ、大虐殺が行われた。 専門家たちは、被害が広がっているのにも関わらず、その実態を明らかにしようとせず、医学や科学が放棄されている。そして、メディアは、真実の報道をせず、ジャーナリズムの役割を果たしていない。 ワクチンとの関係が強く疑われる症例のみが報告されているが、それだけでも2000人が死んだ。これは、確実にワクチンが殺した人数だが、氷山の一角に過ぎない。 科学の基本は、問題が起きたら、薬のせいであると考えることである。だが、ほとんどの人は、被害届も出さず、皆んな泣き寝入りしている。ワクチンで被害にあったと訴えても、無視され、かん口令がしかれる。反ワクとレッテルを貼られ、圧力をかけられ、非国民扱いされてしまうのだ。 このワクチンによる被害は、これまでの45年分の他のワクチンの被害を上回った。各学会では、今までにない規模で、ありとあらゆる副反応が報告されている。 このような問題に向き合い、ワクチン接種後症候群の実態を明らかにしなければならない。そのためにワクチン問題研究会を作った。 世界中で同じようなワクチンによる被害が発生し、論文で報告されている。典型的な例としては、ワクチンを接種して数日に死亡する。解剖すると、心臓がフニャフニャに溶けている。 国は、隠蔽しようとしているが、これは薬害ではない。はっきりと言うが、ありとあらゆる毒性を持った生物兵器である。生物兵器がばらまかれ、沢山の人が死んだ。

You

4,006,073 次观看 • 3 年前

【OYA通信vol 16 】 昨日、Tohjiのライブでララアリーナに立った。 「Gyal Is Everything」が流れた瞬間、会場にいた1万人くらいの人たちが一緒に歌ってくれた。 声はイヤモニしてたので聞けなかったけど、後から映像で見たらなんとも言えない気持ちになった。 音楽は俺を、本当に遠くまで連れてきてくれた。 でも、昨日突然ここに辿り着いたわけじゃない。 コロナの時に、LOOTAが 「南浦和でスタジオ始めましょう」と言ってきた。 そこからOYA Studioを始めて、いろんな人と出会って、いろんな作品に関わるようになった。 Tohjiと出会ったのもその頃だった。 当時、TohjiとLOOTAが南浦和で「KUUGA」という作品を作っていた。 正直その時の俺は、 「こんな訳分かんねーの作ってて大丈夫なのかよ!」 と思ってた。笑 でも昨日、ララアリーナで2人がその曲を歌って、1万人がめちゃくちゃ盛り上がっている景色を見た。 その時に分かった。 音楽なんて、未来を予想して作るもんじゃない。 流行るかどうかなんて、誰にも分からない。 大事なのは、人の魂に火をつけるものを作ることなんだ。 そして思えば、俺の人生は上がり下がりがパナい。 スタジオを始める前の2018年。 俺は名前を取り上げられ、47番と呼ばれていた。 そこで、俺はノートに、これからやりたいことをたくさん書いていた。 そのノートを昨日、久しぶりに見た。 全部ではない。 でも、書いてあったことの8割くらいが現実になっていた。 デカい会場でライブして盛り上げる。 スタジオを作って若い人たちを育てる。 ビジネスをやる。 ジャマイカや日本で俺の曲がかかる。 他にもいろんなことを書いていた。 2018年の俺が書いた言葉と、昨日ララアリーナで見た景色。 それを見比べて、鳥肌が立った。 もちろん、ノートに書けば勝手に夢が叶うわけじゃない。 でも、自分がどこへ行きたいのかを決めて、そこへ向かって行動し続けることには意味がある。 人生には、意味が分からない「点」がたくさんある。 その時は何にも繋がってないように見える。 でも行動をやめずにいると、何年か経って突然、 点と点が線になる瞬間がある。 生きていれば、人にも出来事にも振り回される。 ネガティブなことに引っ張られて、目標を見失うこともある。 だからこそ、自分がどうなりたいのかを忘れずに、今日やることを毎日やり切る。 それが少しずつ自分を高いところへ連れていってくれるし、時には意外な誰かが助けてくれたりもする。 そして人生は、上がったり下がったりだ。 昨日、俺は1万人の前で歌っていた。 そしてその次の日。 浮かれた俺は、どこかにゴールドチェーンを落とした。 カミサマはバランスを取ってくれる。 良いことがあっても、それが永遠に続くわけじゃない。 悪いことがあっても、それが永遠に続くわけじゃない。 色々と一喜一憂するのはアホだ。 自分が行きたい場所ややりたいこと、会いたい人など後悔しないように、感謝を忘れないで、今日やることをやる。 まだまだ人生の途中。 2018年の俺には、2026年のこの景色なんて想像できなかった。 だったら今の俺にも、2030年の景色なんて想像できないのかもしれない。 思い切り後悔ないように生きる。 この先、どんな点がどんな線になるのか楽しみだぜ。

TRIGAFINGA

112,142 次观看 • 1 个月前

「グエー死んだンゴ」ってさ、ネットだと軽いノリの断末魔ギャグみたいに見えるんだけど、現実でそれが最後の言葉になった瞬間、笑いってやつが急に重たくなるのよね。笑っていいのか、泣いていいのか、手が止まる。で、止まったところに気づく。「この言葉、ふざけてるんじゃなくて、ふざけるしかなかったんだ」って。 映像の中のお父さんが言う「なんでうちの子が」 これね、親の口から出る言葉として一番まっとうで、一番残酷。答えが出ないから。病気は抽選会じゃないのに、当たった側だけが人生ごと持っていかれる。 しかも類上皮肉腫みたいな希少がんって、名前すら知られてない、、、だから余計に「うちの子が」になるんじゃないかな? で、この話の刺さるところは、息子さんが亡くなったあとに物語が動き出すところです。 予約投稿って、便利な機能だと思う。 だけどあれが今回は時間差の手紙になった。本人はもういないのに、言葉だけが世界に届く。 まるで、遅れて届いた花束に、棘が混じってるみたいなもんだ。 嬉しい。 ありがたい。 でも痛い。 痛いけど、花なのよね。 しかも、普段SNSを見ないお父さんが、葬儀が終わってから息子の人生の続きをスマホで知るわけだよ。 これ、「生きてる時に言えなかったことが、死んだあとに通知で届く」っていう奇跡でもある。 親子って近いようで、いちばん遠い時がある。 照れくさくて、忙しくて、まあそのうちでいいかって先送りして、気づいたら電池切れ、、、 お父さんが「ありがとうって言えなかった」って話、あれは胸に来る。時計の電池より先に、言葉の電池が切れちゃったんだよね、、、 でもさ、希望もあるんだよ。 この件がすごくバズったって事実には、アルゴリズムが悲しみを燃料にして回してる感じは確かにある。 命の尊さでバズらせるな!って声もあるけど、あの投稿が、希少がんの存在を人に知らせたり、寄付が集まったり、「一人じゃなかった」を可視化したのも事実じゃない? つまりSNSってのは、包丁なんだよ。 料理にもなるし、怪我もする。使う側の手つきが問われる💡 息子さんが、病気に「デカすぎ」ってあだ名をつけて、検査のことまで面白い面白くないで語ってた。 これね、強がりってより礼儀なんだよ。 周りを暗くさせないための礼儀。 自分の恐怖を、自分で笑いに変換して、他人の心の負担を軽くする。 芸人みたいなことを、死にかけの若者が病室でやってた。そりゃ人を引き寄せるって言われるよ。笑いは才能だけど、笑いの裏にある痛みは、本人しか背負えない。 「グエー死んだンゴ」をただのネタにしちゃいけない。 あれは、令和に投下された遺言の形式なんだよ。ふざけた形でしか出せない本音がある。 そして、見てる側も、拡散する側も、たまには一拍おいて、リポストの指が動く前に、線香一本分くらいの間を心に置くのもいいんじゃないかしら? 笑っていい。 でも敬意を忘れない。 最後に、親も子も、言葉をケチるなと言いたい。 照れくさいありがとうってのは、もったいぶるほど高くつく。これ、言ったら減るんじゃない。言わないと、気がつくと残高ゼロになる。 息子さんが最後に残したのは、バズでも名言でもなくて、「人間ってやつは、弱い時ほど誰かを笑わせようとする」っていう、静かな証明だったんじゃないかな?

クレア

2,858,313 次观看 • 9 个月前

関係を切るためにお金を渡した相手から、セ◯クスしよと返信が来た。 あっすんさんが、一番タチが悪いお客様について聞かれて答えた話だ。お金がないのに、時間を奪ってくる人。断っても店には来る。返していないのにLINEは来る。不幸話しかしないのに、本人はガチ恋だという。 だから手切れ金を渡した。これで終わりにしてほしいと伝えた。その翌日のことだ。 一方、ヤマトリノさんは、使う額が細い相手は許せるという。付く時間が短くても文句を言われないし、LINEを返さなければという使命感も生じないからだ。 高額を使って頂ける相手も、また違う。使ってくれたお礼に、アフターなどで返していくからだ。 困るのは、卓被りやアフターに行けない時だという。卓に長くいることも、アフターに行くことも、すでに当たり前になっている。その状態で、恩着せがましいことを言われるという。 「俺わざわざ忙しい時間を作って、昼の仕事とか考えたら俺の時間って結構有限なんだよね」 「睡眠不足の中こんな感じに来たのに、全然席もついてくんなくて」 俺はリノのために。それが一番タチが悪いと話していた。 僕の現場でも、同じだ。 歴が長くて出勤数も多いのに、売上が少ない子がいる。付け回しの指示がなければホールに出ず、営業に関係ない話をずっとしている。それでも、キャストの出勤人数が少なければ初回に付いてもらうし、入店したての頃は、ご飯も連れて行っていた。 しかし、新人が増えてきたりして、かまってもらえなくなると、こう言われる。 「いっぱい出勤してるし、前はしてくれたじゃないですか」 組織心理学に「衡平理論」という概念がある。人は自分が出したものと受け取ったものの比率で、不満を感じるかどうかを決めるという考え方だ。比べる相手は他人だけではない。前にもらっていた頃の自分とも比べる。 いま何をしているかを数える人間と、これまで何をしたかを数える人間。 夜職だけじゃない。職場でも、部活でも、家庭でも、自分が出したものは、もらったものより多く見える。 不満が出るのは、少ないからじゃない。出した分と、前にもらった分を、どちらも数えているからだ。
1:40

Sensitive content

関係を切るためにお金を渡した相手から、セ◯クスしよと返信が来た。 あっすんさんが、一番タチが悪いお客様について聞かれて答えた話だ。お金がないのに、時間を奪ってくる人。断っても店には来る。返していないのにLINEは来る。不幸話しかしないのに、本人はガチ恋だという。 だから手切れ金を渡した。これで終わりにしてほしいと伝えた。その翌日のことだ。 一方、ヤマトリノさんは、使う額が細い相手は許せるという。付く時間が短くても文句を言われないし、LINEを返さなければという使命感も生じないからだ。 高額を使って頂ける相手も、また違う。使ってくれたお礼に、アフターなどで返していくからだ。 困るのは、卓被りやアフターに行けない時だという。卓に長くいることも、アフターに行くことも、すでに当たり前になっている。その状態で、恩着せがましいことを言われるという。 「俺わざわざ忙しい時間を作って、昼の仕事とか考えたら俺の時間って結構有限なんだよね」 「睡眠不足の中こんな感じに来たのに、全然席もついてくんなくて」 俺はリノのために。それが一番タチが悪いと話していた。 僕の現場でも、同じだ。 歴が長くて出勤数も多いのに、売上が少ない子がいる。付け回しの指示がなければホールに出ず、営業に関係ない話をずっとしている。それでも、キャストの出勤人数が少なければ初回に付いてもらうし、入店したての頃は、ご飯も連れて行っていた。 しかし、新人が増えてきたりして、かまってもらえなくなると、こう言われる。 「いっぱい出勤してるし、前はしてくれたじゃないですか」 組織心理学に「衡平理論」という概念がある。人は自分が出したものと受け取ったものの比率で、不満を感じるかどうかを決めるという考え方だ。比べる相手は他人だけではない。前にもらっていた頃の自分とも比べる。 いま何をしているかを数える人間と、これまで何をしたかを数える人間。 夜職だけじゃない。職場でも、部活でも、家庭でも、自分が出したものは、もらったものより多く見える。 不満が出るのは、少ないからじゃない。出した分と、前にもらった分を、どちらも数えているからだ。

まさ|元ホスト→夜職人事|歌舞伎町

271,816 次观看 • 8 天前