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Ana Sayfaya Dön

2023年の本日はBLACKPINKがアメリカ最大の音楽フェス「Coachella Festival」にて初めてヘッドライナーを務めた日。メインステージで女性グループがこの大役を受けるのは史上初。Pink Venom・Whistle・Shut Down など18曲から成るセットリストで、パフォーマンス直後には全米スタジアムツアーが発表。

10,201 görüntüleme • 3 ay önce •via X (Twitter)

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Benzer Videolar

日本と海外で人気に差があるアーケードゲーム①:センチピード アタリの代表作の一つで、映画「ピクセル」でも大きく取り上げられたタイトルだ。 うーん、有名なゲームだけどセンチピードの他にも取り上げるべきゲームはあるんじゃ?と思った日本人の方も多いのではないか。正直私もそう思った(続く) しかしこのセンチピードは、1982年の北米において売上ランキングでミズ・パックマン、パックマン、ドンキーコングと共にトップ4(正確には3位タイ)に入る程の大ヒットタイトルであり、移植版やクローンゲームも数え切れないほど出ているバケモノゲームなのだ。だから映画でセンチピードが取り上げられたことに疑問を持つ米国人は恐らく少なかっただろうと思われる。 一方日本では、米国リリースの数年後に発売されたものの米国ほどの人気は得られなかった…というかゲーセンで殆ど見なかったような気がする(個人の感想です)。 このゲームの大ファンの方には申し訳ないのだが、私はこのゲームがちょっと合わない。完全に後追いでプレイしたせいだろうか。当時の筐体でトラックボールを使ってプレイすれば、また違う印象を持ったのかもしれないが…。 本作の人気に差があったのは、単に日本での出回り数が少なかったからなのか、欧米人と日本人の感性の違いからなのかは分からない。恐らく両方の理由だろうと思うが、個人的には後者の「国ごとの感性の違い」に興味がある。ギャラガやドンキーコングやパックマンのように双方の国で大ヒットしたゲームもあるのに、センチピードはなぜ日本ではヒットしなかったのか…。 ビデオゲームは比較人類学の研究対象にもなり得るのではないかと個人的には思っている。 ちなみにこの「日本と海外で人気に差があるアーケードゲーム」のポストは、第4回まで続ける予定です(※)。 #レトロゲーム ※アーケードゲーム限定です。また、当時に海外もしくは日本でしか発売されなかったゲームは除きます。

moai1234

44,862 görüntüleme • 1 yıl önce

いまわたしは激しい衝撃を受けている。 これから自分のためだけにわかりづらい話をする。 読んでも伝わらないと思う。 長年、ハンス・ジマーという作曲家が好きだった。 元々はダークナイトという映画がものすごく好きで、その監督であるクリストファー・ノーランが好きになり、特にインターステラーにハマってしまいひたすら何回も見ていた。ダークナイトもインターステラーも映像もストーリーもいいが、なんせ音楽がいい。クリストファー・ノーランの映画の音楽はほぼハンス・ジマーが担当している。 そこからハンス・ジマーが好きになる。 ハンス・ジマーはパイレーツオブカリビアンの音楽も手掛けている。そう、あのダダダン、ダダダンダダ、ダダダンダンダダダンってやつ。 そう、天才なのだ。 仕事中や運転中にダークナイト、インターステラー、インセプションのサントラをかけて10年以上。 ついに本日ハンス・ジマー来日公演に参加できた。やった! マジで素晴らしい。素晴らしすぎた。これはこれで衝撃なんだが、ライブの最後の曲がライオンキングの「終わりなき夜」だった。 ん?!なぜこの曲をやるんだ? ご存知かどうか、私は過去劇団四季のオーディションを受けている。ライオンキングが好きすぎての行動である。 当時、33歳。楽天本体の執行役員、楽天イーグルスの取締役事業本部長。怖いものなしイケイケ風。 しかし、どうしてもライオンキングに出たいと思い楽天を辞めてオーディションを受けた。課題曲は自分で選んだ、大好きな「終わりなき夜」。初めて聞いた1998年以来カラオケで何度も歌っていた。愛してた。その曲を録音して送ったオーディションは一次審査で落ちた。なぜ楽天を辞めたのかは意味不明となった。 その「終わりなき夜」がライブ最後の曲だった。 もちろん終わりなき夜の作曲家は知っていた。「Lebo M」だ。 確かにライオンキングのサントラにハンス・ジマーは関わっていることも知っている。ただ、エルトン・ジョンやLebo Mの曲をアレンジかなんかしてるのかなと勝手に決めつけていた。 アレンジ程度の曲を最後に持ってくるなんて変だなと思いつつ、愛してる曲がハンス・ジマーの演奏するライブで聴けて最高に幸せだった。 家に帰り、それにしても変すぎると思い、「終わりなき夜」の作曲家を改めて調べた。そしたら、なんと、Lebo Mの横にハンス・ジマーの名前があるではないか。 ん?まじ? ハンス・ジマーなの?そうなの? ということは、俺が別々で愛してた曲は全部ハンス・ジマーじゃん。激しく衝撃を受けた。結局ハンス・ジマーの手のひらの上で踊っていた25年じゃん。つーか、完全に音楽の趣味に統一感あるじゃん。ある意味すごいじゃん。 ということで別々で大好きだとおもっていたものが、同じ人によって作られていたことを知って衝撃を受けた夜だった。単に勉強不足なだけなんだけどさ。 そして、結果的に愛してるものが全て詰め込まれたハンス・ジマーのライブは最高だった。 名古屋公演はまだチケットがあるという。勿体無い。心から勿体無い。

小澤隆生(おざーん)

42,849 görüntüleme • 1 yıl önce

面白いのは、彼らが反応しているのが、厳密には日本そのものではなく、「アメリカ文化を丁寧に扱う日本」に対してだということです。KFCは本来アメリカ発の大衆チェーンなのに、日本ではそれが妙に清潔で、妙に安定していて、妙にちゃんとおいしそうに見える。するとアメリカ側は、自国の記号を海外で見ているはずなのに、なぜかそこに理想のアメリカを見つけてしまう。だから「家の近くのアメリカ」「アメリカがそこにはある」という冗談が、ただのネタを越えて少し切実になる。 これはかなり現代的な現象だと思う。 人はもう、自国の理念を自国の中でだけ確認するとは限らない。むしろ外部に、より整った形で保存されている自国性を見て、安心したり、感動したりする。 アメリカ人が日本のKFCや、日本に点在するアメリカっぽさに熱狂するのは、異文化に驚いているというより、自国で失われた手触りを、他国で回収しているからだ。 しかもそこにあるのは、高尚な政治理念ではない。自由、友情、親しみ、ジャンクフード、チェーン店、冗談、雑な愛情表現。つまり国家の公式文書には載らないが、たしかに国民感情を支えていた生活のアメリカだ。 彼らは日本に対して敬意を示しているようでいて、同時に自分たちがかつて信じていたアメリカの陽気さや無邪気さを、日本の風景の中に見つけて興奮している。 だからコメント欄の「God bless the Japanese people」や「I have no notes on Japan」や「Protect them at any cost」は、誇張されたネットミームのように見えて、実はかなり本音に近い。 政治の文脈ではなく、文化の受容のされ方において、「こちらのものを、こんなふうに好いてくれるのか」という感動がある。 人は自分を批評されるより、自分の好きだったものを愛してもらえた時のほうが、ずっと深く心を開く。 一方で、コメントの中には「アメリカのKFCはもうそんなに良くない」「日本のほうがうまそう」という自虐も混じっている。 ここも重要だ。 いま起きているのは単なる日米友好ではなく、アメリカ側の自己認識の揺れでもある。 自国のチェーンより海外店舗のほうが美しく見える。自国の雑さや劣化を、日本の几帳面さが“補完”してしまう。 すると日本は、アメリカ文化の消費者ではなく、ある種の保存修復者のように見えてくる。 この構図は、じつはかなり日本的でもある。 日本は昔から、外来文化をそのままコピーするのではなく、一度受け止めて、再配置して、磨き上げて、別の完成度にして返すことがある。 洋食も、ジーンズも、ジャズも、喫茶店文化もそうだった。今回のKFCも同じで、日本はアメリカを崇拝しているわけではない。 ただ、自分たちなりの秩序と美意識の中に置き直している。その結果、アメリカ人が見ても「あれ、こっちの本家より愛されてないか?」となる。 ここでさらに興味深いのは、この現象が政治を通らずに起きていることだ。 国家間では意見が割れる。歴史認識でも、安全保障でも、経済でも、人はすぐ身構える。 けれどKFCのチキンひとつで、「日本人最高」「移住したい」「このミーム好き」「友達になってる」と感情が溶ける。 もちろん全部が本気ではない。 でも、こういう軽い冗談の往復の中でしか育たない親しさもある。 SNSはしばしば憎悪を増幅するが、ときどきこうして好意の連鎖も爆発的に広げる。 そしてたぶん、この流れがここまで愛された理由は、日本がアメリカを論じたのではなく、食べたからだ。思想ではなく味覚で返し、批評ではなく生活で受け止めた。 だから相手も防御せずに笑える。 文化交流がうまくいくときは、たいてい正論の交換ではなく、こういう少し抜けた入口から始まる。家の近くのKFCを近所のアメリカと呼んでしまう、その雑でかわいい比喩の中に、外交官の文章よりもよほど健全な感情がある。 私が言いたいのは、これは単なるミームではないということだ。 アメリカ人は日本のKFCを見て笑っているのではない。 そこに、自分たちの文化がまだ誰かに愛され、しかも本国より丁寧に扱われている光景を見て、少し救われている。 国はときどき、自分の美点を自分の中では見失う。 でも他国の食卓の上に、それがちゃんと残っていることがある。 だからこれはチキンの話でありながら、どこかで「文化はまだ仲直りできる」という話でもある。

クレア

2,678,699 görüntüleme • 4 ay önce