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20260414 #荒井芳正 陸幕長会見 記者 制服を着た自衛官として参加したらいけない だったら中央音楽隊が全員個人でこういうイベントに参加することがテクニカルにはできる 職務で行くとアウトだから、全員有給取ればイベントに行って演奏できてしまう 荒井 仮定の質問なので答えは差し控える 👿

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2026/5/29㈮午後 ラジオフランス:西村カリン記者とArcTimes:尾形記者 【高市総理の会見について】 【ラジオフランス:西村カリン記者】 「高市総理の記者会見について、一番最近の記者会見は、記者の人数も限られていて、しかも実質上質問の制限があった。高市総理は記者会見をどういうふうに思っているのか、国民向けの発言だけと思っているのか、それとももっと幅広く、例えば海外メディアも含めて、自由に質問されたことに応えることなのか、そこはちょっと高市総理になってから海外メディアに答えたことはないと思うけど、それは異常ではないか。」 【木原稔官房長官】 「政府としては、あらゆる機会を通じて国民の皆様に対して政府としての考え方を様々な機会を通じましてお伝えしていくということがまず重要であろうと考えている。 このため、高市総理だが、年頭であるとか、また国会の閉会時であるとか、また外国訪問時などに、そういった節目節目に記者会見を行っており、それに加えて、今回のように何か特別なことがあった際に、急遽国民の皆様にタイムリーにお伝えしたいと、総理がイレギュラーだけれども、そういう判断をされた際には、先般のようなぶら下がりという形で会見を行うということになる。 定例のものではなくて、そういう急遽行うということになる。 こういう目的で行われるぶら下がり会見というのは、総理の多忙な日程をやりくりして時間を捻出しているという側面があるので、その会見の前後の日程が非常にタイトになってしまうということが多いわけである。 先日も、説明があったと思うけれども、その後の外交日程が迫る中での限られた中で行ったと、そういう事情があったということはまずご理解をいただきたいと思う。 また、総理はぶら下がりだけではなくて、XのようなSNSでの発信など、会見以外のさまざまな手段も用いて随時情報発信を行っている。 私も、このように1日2回の記者会見を、政府のスポークスマンとして行っているということもあり、今日も、フリーランスの皆様方のご質問にも応えているという状況なので、ぜひそのあたりのことをご理解いただいた上で、私どもも適時適切な情報発信に努めていきたいと思っている。」 【ArcTimes:尾形記者】 「今の関連で、外務日程があったという話だったけれども、それであれば高市首相は(午後)8時過ぎぐらいには公邸に帰っていることが多いと思うが、公邸に帰る前に記者会見をきちんと我々も参加できる、官邸記者だけの官邸クラブだけのぶら下がりではなくて、我々も参加できる会見にしていただきたいと思うが、そうしないのはなぜのか。 そしてその関連で、この前のぶら下がりになる会見では、幹事社が『全社で一問と言われていますので』と言っていた。その瞬間高市総理は言われた瞬間目を伏せていたが、これ高市総理は質問制限をかなりしてるのではないか。これは国民の知る権利を侵害してるのではないか。そういう質問制限をせずにきちん質問に答えるべきだと、トランプ大統領のように答えるべきだと考えるが、そこはいかがか。」 【木原稔官房長官】 「会見のあり方ということにつながると思うが、長い歴史の中に置いて、この官邸と記者、内閣記者会とのそういった歴史があるんだろうと思うので、ご意見ご要望がそういうことがあれば、内閣記者会の中でご相談いただいた上で、また私どもの方にご意見をいただけるかと思う。」 だから、XなどのSNSの発信は一方通行なんだよ 質問受けてこそ、記者会見なんだよ 最後…逃げやがった・・・

SHIN∞1🌏

46,857 次观看 • 4 个月前

記者「できることはしっかりとできたと石丸さんご自身おっしゃいましたが、できなかったことはありましたか?」 石丸「できることは全部やったって言ってるので、できなかったことってのを特に言及してないんですけど、それは端からできないことを今質問されてますか?」 → なぜこんな簡単な質問が分からない(笑)? 記者「やりたくてできなかったことは今回なかったということでよろしいですか?」 → 面倒臭くなってます。 石丸「そのように先ほどお話をしました」 → 言ってないと思いますが。 記者「分かりました。ありがとうございます」 石丸「もしくは、あえてできなかったことを聞かれたのかなと思ったんですが、それは必要ないですか?」 → 「ない」と言ったばかりなのになんだ? 記者「ま、この先に向けてまだやりたいことですとか、今回は形にならなかったかもしれないけど、今後したいこととかお話を伺えるのかなと思って質問しました」 石丸「あ、そういうことでしたか。 先ほど私ができることはと断りを入れたのは、できなかったことがあるという前提ではあります。例えば何かというと1つ例を上げれば党首討論というものに、もっと呼んでいただきたかったなというのは本当にそう思います」 → あるんかい!しかも、できなかったことではなく、してもらえなかったことへの恨み言になりました。反省がどこまでも他人に向かいます。こんな会話にならない奴呼んだら放送事故だって。 #石丸伸二 再生の道・石丸伸二代表「できることは全部できた」 参院選で議席確保は厳しい情勢(2025年7月20日)

取材不足

8,314,692 次观看 • 1 年前

れいわのたがや議員の会見 全部聞いたけどあまりにも酷すぎ。 そしてものすごく態度も悪い。 呆れ果てたポイント ▼「イスラエルには実際の状況を知らずして、政治が語れることは限られるのではないか」「対話なくして仲裁はありえません」 だから行ったらしい、イスラエルの招待で。 ガザには行かず、イスラエルだけ。 そしてネタニヤフには質問ひとつできずに帰ってきた。 バカじゃねぇかと…。 ▼イスラエルに渡航することを党に伝えていない。 「党に迷惑がかかるから、いざという時自分のところで解決した方がいい」 れいわだけでなく、日本にとってとてつもなくマイナスになってるんですが? そして記者が「常識的に党に伝えるのでは?」という質問をしたら「なにが常識なんですか?」と食ってかかる。 ▼「普通の外遊と違いますよね?イスラエルですよ?」という質問に、「そうですよ、私も命をかけていきましたから(撃墜されるかもしれないから)」とふてくされた様子で答える。 ▼「大石さんだって外遊してました、シンガポールとか」と呆れた発言。 シンガポールとイスラエルを一緒に並べるってバカなの? ▼「政治的に利用されたわけですよね?」という質問には 「確かにそれは残念なことです」という答え。 はぁ?そんなん、素人が考えたって政治利用されるってわかるだろ…。 ▼そして他党批判。本気で頭にきたのが 「立憲議員も最初は参加予定だったが、全員参加しなくなった。その話を聞いてジェノサイドを本気で止める気がないんだな、と。対話を拒否し、ジェノサイドを放置したと思った」 イカれてんのか?ICCから逮捕状が出ている大量殺人者の招待にノコノコ会いに行く方がおかしい。 結局、ネタニヤフには何も言わず、ガザにもいかずにイスラエル側だけの意見を聞いて帰ってきた。 イスラエル側に厳しい質問もしたと言っていたが、マジで全然厳しくもなんともない、超ありふれたクソみたいな質問して、クソみたいな答えを聞いてきただけ。 他にも「はぁ?」という部分が多数あるのだが、多すぎて…。 そして驚いたのが、「イスラエルから渡航費が出ている」こと。招待っていうのはそういうことかと…。 たがや議員だけの話じゃなく、行ったバカ全員に言えることだが、もうこの時点でアウトだよ…。 他の訪問した議員も帰ってきているはず。 きっちり説明してくれ。 (途中でXの通知が入ってしまったので、そこだけボカシを入れてあります)

ハナブサ ノブユキ

65,849 次观看 • 8 个月前

今日で、7人のWESTꓸが最後だ。 まだこの言葉を書くことにも、どこか現実味がない。 WESTꓸを好きになって、たくさん笑った。たくさん泣いた。 会える日を楽しみにして、チケットを握りしめ、何を着ていこう、何を持っていこうと考え、会いに行き。 ライブが終われば「やっぱ最高だな」と余韻に浸りながら友だちと本人不在打ち上げで乾杯。 何気ないブログの一言に救われたり、くだらないことで笑ったり、7人がわちゃわちゃしているだけで嬉しかったり。 そんな日々が、私の生活の中に当たり前みたいに存在してた。 WESTꓸがいることが当たり前で、7人でいることが当たり前で、またすぐ会えると思ってた。 だからこそ、今こうして「最後」という言葉を使わなきゃいけないことが、やっぱり寂しい。 もっと7人を見たかった。 もっと7人で笑っているところを見たかった。 もっとくだらないことで騒いでいるところも、ステージの上でふざけているところも、歌っているところも、7人にしか作れない空気を、まだまだ見ていたかった。 正直、全部を綺麗な思い出にできるほど、私は器用じゃないんだけども。 楽しかったことだけじゃない。嬉しかったことだけじゃない。悲しかったことも、悔しかったことも、どうしてって思ったことも、受け入れられなかったことも、たくさんあった。 それでも、振り返ってみれば、私の中に残っているのは、やっぱり7人と過ごした時間そのものなんだと思います。 7人がくれた言葉。 7人が歌ってくれた歌。 7人が見せてくれた景色。 7人の笑っていた顔。 会場いっぱいに響いた声。 自然に会場に広がる虹色。 広い夜空の下で一緒に見た花火。 一緒に笑った時間。 一緒に泣いた時間。 そのひとつひとつが、私の人生の中にちゃんと残っています。 WESTꓸを好きにならなかったら出会えなかった人も、行かなかった場所も、見なかった景色も、知らなかった感情も、きっとたくさんある。 WESTꓸを好きだったことで、私の日常は確かに変わりました。 しんどい日にも、WESTꓸがいた。 何もしたくない日にも、WESTꓸを見れば笑えた。 楽しみが欲しい日には、次に会える日を楽しみにできた。 「推し」という言葉だけでは片付けられないくらい、WESTꓸは私の生活の一部でした。 だから、今日で終わるからといって、その時間まで終わってしまうわけじゃないと思っています。 7人が7人でいた時間は、もう誰にも消せない。 どんな未来になっても、7人でWESTꓸとして歩いてきた時間がなくなることはない。 7人が出会ったことも、7人で始めたことも、7人で笑ったことも、7人で泣いたことも、7人でここまで来たことも。 全部、本当のことだから。 私はたぶん、これから先もふとした瞬間に「WESTꓸが7人だったらどうなってたんやろ」って思うんだと思う。 誰かの新しい曲を聴いたとき。どこかでWESTꓸの曲が流れたとき。昔の映像を見返したとき。7人の名前を見たとき。 虹を、見た時。 きっと何度でも、7人だった頃を思い出す。 忘れなくていい。綺麗に忘れなくていい。無理に前を向かなくてもいい。 大切だったものが終わるとき、寂しいと思うくらい大切にできたこと自体が、きっと幸せなことなんだなと思えます。

ぴみ

94,577 次观看 • 4 天前

昭和の頃は 戦前の教育がまだ色濃く残っていた 国の為にはどうしたらいいかとか 社会の為にはどうするべきかとか そういったことが 戦前の人達には染みついていた だから、会社も 自分だけの利益ではなくて 社員に還元したり 取引先に還元したり 社員雇ったら 家族が養えるだけの 給料を出してやらないかんとか そういうことを思っていた それがだんだんと 企業にも経営者にも そういう考え方がなくなって もう一人分だけの給料しかやらん 仕事できないやつはすぐクビだ ということになってしまった まえは 社員をいっぺん雇ったら ちゃんと面倒見てやらないかん そういう感覚をみんなが持っていた まえは どんな人でもちゃんと結婚して家族がいた そういう社会って じつはすごく大事だから そういうふうに みんなが結婚して 家族が持てて子供が持てる それをみんなで作っていた 昭和の頃には 大企業から中小企業に至るまで それが当たり前だったと思うんです そういう気持ちが 昭和が終わってから すっ飛んでしまって これが少子化の一番大きな 原因になっている気がします 人々の幸せっていうのはどこにあるか っていうのをみんなで考え それを自己責任でさせるのでなく みんなでやっていかなきゃいけない そういう思いを日本人が取り戻す ということが大事だと思います ~参政党幹事長 参議院議員 安藤裕~

参政党広島県連【公認】

18,677 次观看 • 4 个月前

日本に行った人が、帰ってから苦しくなることがある。日本で見たものは、特別なイベントじゃない。電車がだいたい時間に来ること。人が列をつくること。店で「ありがとう」と言われること。夜の道が、怖くないこと。そういう小さな当たり前。でも、その小さな当たり前が、帰国した瞬間に刃になる。 自分の国の音が、急に大きく聞こえる。怒鳴り声。クラクション。割り込み。投げるような言葉。前は平気だったのに、平気じゃなくなる。日本が良すぎたからじゃない。比べる目が、できてしまったからだ。 この痛みは、普通な感覚。違う世界を一度見た人にだけ起きる、ふつうの揺れ。 ただ、ここで気をつけたいことがある。旅先は、少しだけ夢に似ている。短い時間の中で、いい場面が多く見える。だから日本は完璧だと思いすぎると、自分のいる場所が全部ダメに見えてしまう。すると心が、帰る場所を失う。 じゃあ、どうしたらいいのか。 答えは、全部を日本にしようとしないこと。 日本で好きだったことを、ひとつだけ持ち帰る。 朝、靴をそろえる。 人にぶつかったら小さく「すいません」と言う。 時間を守る。部屋を少し整える。 たったそれだけで、心は夢が終わったじゃなくて、夢を生活に変えたと思える。 そしてもう一つ大事なのは、ひとりにならないこと。日本が好きだった人は、日本が好きな人と話せばいい。好きは、誰かと分けると、痛みじゃなくなる。 日本を忘れられないのは、弱いからじゃない。日本に来てくれた人の中に「こう生きたい」が生まれたからだ。 その気持ちを大切にすれば大丈夫。夢は、逃げるためじゃなく、戻ってきたあとに生きるためにある。

クレア

383,105 次观看 • 8 个月前

【対馬で陸上の楽しさを伝えたい-走らなくても楽しい陸上-】 思えば「走る楽しさ」ってなんだろうとずっと考えていた。小さい頃から走るのは得意だった。それは長崎の海や山や川に囲まれた自然環境で走り回っていたからだと思う。走り回っていた理由は、自然に中にある景色や生き物、そしてちょっとしたスリル(危ない場所や危ない生き物)、そんな新しいものに出会える機会があったからのような気がする。 小学生4年生の時、親の勧めで地元の陸上クラブに入ったが、足が早くなることが目的の陸上クラブがあまり楽しめてなかった(親がいない日はよくサボって友達の家でゲームをしていた)。フォローのつもりはないが、そのクラブはとても良いクラブだ。多くの優秀な陸上選手を輩出しているし、僕が興味を示せていなかっただけ。正直OBというのは今では烏滸がましい。 中学校では昔から入りたかった野球部に入った。野球部は中学から始めたので下手くそだったが、仲間とボールが見えなくなるまで練習していたのは楽しかった。一方で走ることは夏の中総体、冬の駅伝には毎年借り出し部員として、走ることに参加させてもらっていた。得意という優越感はあったが楽しさで言えば野球の方が楽しかった。高校に上がるときに野球をするか、陸上(走る)かで考えていた当時為末大さん世界陸上でメダルを取って活躍していたことあり、得意なことなら上にいけるもしれないそう思って陸上を選んだ。 高校では400mHをやりたいなと思っていたが、顧問の先生の勧めで八種競技を選んだ。振り返ってみると、この八種競技(のちに十種競技)との出会いが僕が陸上を続けて来れた一つの理由だったのかもしれない(走るだけだと飽きていたと思う)。高校での走ることはキツかったが、記録も伸びたお陰で大会や合宿で色んな所に行くことができて楽しかった。 その後多くの周囲のサポートもあり、希望の大学で陸上を続けることができた。大学ではハイレベルな選手、スポーツの専門家、指導者、トレーニング設備も圧倒的だった。そんな恵まれた環境で陸上に専念できて記録も伸ばすことができ、目標とする大会にも参加することができた。得意が一つ形になった気がしてその時は楽しかった。 24歳で競技者として陸上(走ること)は辞めたが、縁あって指導者としてスタート切ることになった。指導していた選手たちが頑張ってくれたお陰で、国内外問わず多くの大会や合宿にも参加することができて楽しかった。その一方で、結果が出てるから楽しいのではないかと違和感を感じ始めた。その違和感を抱えたまま東京五輪が終わり、コーチ専業から一旦距離をおくことなる頃、OTTとMDCという2つの大会に出会った。 OTTやMDCに参加させてもらい、陸上(走ること)を「観ること、支えること、知ってもらうこと、作ること」に走らないで関わらせてもらうことができた。そして毎回のイベントが準備から終わった後まで楽しかった。 OTTやMDCとの出会いを通して「走る楽しさ」は実は陸上という"コミュニティ"だったのだと気づくことができた。振り返ってみれば、走ること、十種競技をすることでの新しい世界や人との出会い、一緒に何かを作り上げることが楽しかったのだと思う。いつの間にか早く走れることが楽しいに置き換わっていたような気がする。 確かに走るという行為そのものだけでは楽しいものは生まれにくいかもしれないが、走るというものが誰か人と繋がったときに、走るという世界が一気に広がっていく感じがする。「走るから広がるコミュニティの楽しさ」を対馬の陸上を通じて、広げていきたいと思う。

林田章紀

677,680 次观看 • 3 年前