Video yükleniyor...

Video Yüklenemedi

Ana Sayfaya Dön

50歳になったばかりだという結婚24年目の専業主婦。「五十路を迎えていろいろ考えることも増えました。

11,519 görüntüleme • 10 gün önce •via X (Twitter)

2 Yorum

あいり先生ですけど。 profil fotoğrafı
あいり先生ですけど。9 gün önce

もっと好きになって〜〜

素晴らしい日本女性 profil fotoğrafı
素晴らしい日本女性10 gün önce

続き↓

Benzer Videolar

小さい頃から、春日三球・照代の漫才が大好きだった。 私はたぶん、三球・照代先生にかなり深い影響を受けている。 有名なのは、 「地下鉄の電車はどこから入れたの?」 というやつである。 考えてみれば、どうでもいい。 どうでもいいのだが、言われてみると気になる。 そして考え始める。 考えなくていいことを考え、そこに妙な理屈をつけて、とうとう一つの世界を作ってしまう。 私は子供の頃から、こういうものが大好きだった。 三球・照代先生の漫才には、そういう論理がたくさんあった。 たとえば、 冬には幽霊が出ない。 なぜなら幽霊は浴衣一枚だから寒い。 というような論理である。 素晴らしい。 幽霊がいるかいないか、というところには一切疑問を持たない。 幽霊はいる。 そこはもう決まっている。 問題は冬である。 浴衣一枚では寒い。 だから冬には出ない。 完璧である。 私はこういう感覚に、ものすごく影響を受けている。 ありえないものを作るのではない。 ありえないものが存在していることを前提にして、そこから妙に現実的なことを考えるのである。 猫が立っていてもいい。 タコが何かを抱いていてもいい。 カニが誰かをかばっていてもいい。 そこを説明する必要はない。 問題は、その猫が何を見ているのかとか、そのタコがちゃんと抱けているのかとか、カニは痛くないのかとか、そういうことである。 考えてみれば、私の彫刻も絵も、ずいぶん三球・照代先生的である。 さて、昔の春日三球・照代の映像を流していて、驚いた。 この時の三球先生は五十三歳だという。 五十三歳。 私と同い年ではないか。 ついに追いついてしまった。 子供の頃にテレビで見ていた三球先生は、立派な大人であった。 五十三歳というのは、ああいう完成された人間になる年齢なのだと思っていた。 実際に自分がなってみると、そんなことはなかった。 今日も木を彫りながら、 もう少し足を小さくしたほうが面白いのではないか、 などと考えている。 五十三歳にもなって、やっていることはだいたいそれである。 そして今見ると、もう一つ驚くことがある。 照代先生が、ものすごく美しいのである。 子供の頃はまったく気がつかなかった。 普通のおばさんとしか思わなかった。 ところが今見ると、目鼻立ちがすっとしていて、品があり、立ち姿も美しい。 その美しい人が横に立って、三球先生の妙な理屈につきあっている。 そして、素晴らしい間でツッコミが炸裂する。 なんと贅沢なことであろう。 三球先生は五十三歳だった。 照代先生は美しかった。 そして私は五十三歳になって、今日も木を彫っている。 木彫はゆっくり進む。 昨日と今日で何が変わったのか、私にもよく分からないくらい、ゆっくり進む。 しかし、急ぐこともない。 冬に幽霊が出ない理由を、浴衣一枚では寒いからだと考える。 私はそういう世界で育った。 そしてどうやら五十三歳になった今も、 そこから一歩も出ていない。 Tajima Takaoki Art Project 彫刻家・田島享央己による アートプロジェクト記録アカウント。 某企業の複数年にわたる 野外モニュメント制作を中心に、 木彫、ブロンズ、絵画、ドローイングなど、作品が生まれていく過程を記録していきます。 制作、思考、素材、時間、 そして「生き物としての人間」の記録。 Archive of a Multi-Year Art Project for a Corporate Client

田島享央己 / Takaoki Tajima

14,808 görüntüleme • 17 gün önce