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80歳の老人、動物を蹴ろうとして自分が倒れてしまう。 本来なら #絶対に笑ってはいけない中国 の範疇に入るのでだけど、中国人の自分より弱い立場の存在に対する本性が出てて興味深い。

57,063 views • 3 months ago •via X (Twitter)

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⇩こちらの動画と投稿、他の影響力あるインフルエンサー達も取り上げてくれるなど非常に反響をいただいてるのですが、ゴミ山の中に捨てられてる国旗をゴミ袋に入れた私の行為に 『 国旗損壊罪 』 と指摘してくる意見もあり、流石に「粗探しが過ぎる」と憤慨してます。 国旗損壊罪は国会で導入するか議論が展開されてますが、将来的に法律に導入されても 「日本国に対して侮辱を加える目的で国旗を壊す・汚す・取り外した場合」 を罰するものです。 確かに私は日の丸が描かれてる旗をゴミ袋に入れましたが、この掃除している姿が侮蔑的に見えますか? 無理やり粗を探すなら旗を振って国旗を見つめるこのシーンでしょうが、私の本音は 「国旗がポイ捨てされてるとかマジか!?」 という気持ちと動きなだけです。 動画を見れば分かるでしょう。 私は日本が大好きですし、日の丸というシンプルかつ力強いシンボルに誇りをもってます。 だから、世界的に綺麗と認識されてる日本が汚されてるのが嫌なのもありゴミを拾っている。 国旗損壊罪が導入されるか否かに関わらず、今の日本にいる人( 日本人だろうと外国人だろうと )が国旗を無下に扱うのは許せない。 それに、ポイ捨て自体がそもそも犯罪です。 犯罪によって汚された街の尻拭いをしているのに、なぜ私自身が犯罪に触れてるかのように言われるのか? 国旗損壊罪は国会でもニュースでも話題になってるので、ホットな政治的話題に何でもかんでも影響されて結びつける人達、 その神経が分かりませんね。 ※この投稿に対する外国人批判のようなコメントは趣旨が違うのでお控えください。

スミレンジャーZ(愛称スミレちゃん、元スラウザーです)RLSH

25,552 views • 4 months ago

面白いのは、彼らが反応しているのが、厳密には日本そのものではなく、「アメリカ文化を丁寧に扱う日本」に対してだということです。KFCは本来アメリカ発の大衆チェーンなのに、日本ではそれが妙に清潔で、妙に安定していて、妙にちゃんとおいしそうに見える。するとアメリカ側は、自国の記号を海外で見ているはずなのに、なぜかそこに理想のアメリカを見つけてしまう。だから「家の近くのアメリカ」「アメリカがそこにはある」という冗談が、ただのネタを越えて少し切実になる。 これはかなり現代的な現象だと思う。 人はもう、自国の理念を自国の中でだけ確認するとは限らない。むしろ外部に、より整った形で保存されている自国性を見て、安心したり、感動したりする。 アメリカ人が日本のKFCや、日本に点在するアメリカっぽさに熱狂するのは、異文化に驚いているというより、自国で失われた手触りを、他国で回収しているからだ。 しかもそこにあるのは、高尚な政治理念ではない。自由、友情、親しみ、ジャンクフード、チェーン店、冗談、雑な愛情表現。つまり国家の公式文書には載らないが、たしかに国民感情を支えていた生活のアメリカだ。 彼らは日本に対して敬意を示しているようでいて、同時に自分たちがかつて信じていたアメリカの陽気さや無邪気さを、日本の風景の中に見つけて興奮している。 だからコメント欄の「God bless the Japanese people」や「I have no notes on Japan」や「Protect them at any cost」は、誇張されたネットミームのように見えて、実はかなり本音に近い。 政治の文脈ではなく、文化の受容のされ方において、「こちらのものを、こんなふうに好いてくれるのか」という感動がある。 人は自分を批評されるより、自分の好きだったものを愛してもらえた時のほうが、ずっと深く心を開く。 一方で、コメントの中には「アメリカのKFCはもうそんなに良くない」「日本のほうがうまそう」という自虐も混じっている。 ここも重要だ。 いま起きているのは単なる日米友好ではなく、アメリカ側の自己認識の揺れでもある。 自国のチェーンより海外店舗のほうが美しく見える。自国の雑さや劣化を、日本の几帳面さが“補完”してしまう。 すると日本は、アメリカ文化の消費者ではなく、ある種の保存修復者のように見えてくる。 この構図は、じつはかなり日本的でもある。 日本は昔から、外来文化をそのままコピーするのではなく、一度受け止めて、再配置して、磨き上げて、別の完成度にして返すことがある。 洋食も、ジーンズも、ジャズも、喫茶店文化もそうだった。今回のKFCも同じで、日本はアメリカを崇拝しているわけではない。 ただ、自分たちなりの秩序と美意識の中に置き直している。その結果、アメリカ人が見ても「あれ、こっちの本家より愛されてないか?」となる。 ここでさらに興味深いのは、この現象が政治を通らずに起きていることだ。 国家間では意見が割れる。歴史認識でも、安全保障でも、経済でも、人はすぐ身構える。 けれどKFCのチキンひとつで、「日本人最高」「移住したい」「このミーム好き」「友達になってる」と感情が溶ける。 もちろん全部が本気ではない。 でも、こういう軽い冗談の往復の中でしか育たない親しさもある。 SNSはしばしば憎悪を増幅するが、ときどきこうして好意の連鎖も爆発的に広げる。 そしてたぶん、この流れがここまで愛された理由は、日本がアメリカを論じたのではなく、食べたからだ。思想ではなく味覚で返し、批評ではなく生活で受け止めた。 だから相手も防御せずに笑える。 文化交流がうまくいくときは、たいてい正論の交換ではなく、こういう少し抜けた入口から始まる。家の近くのKFCを近所のアメリカと呼んでしまう、その雑でかわいい比喩の中に、外交官の文章よりもよほど健全な感情がある。 私が言いたいのは、これは単なるミームではないということだ。 アメリカ人は日本のKFCを見て笑っているのではない。 そこに、自分たちの文化がまだ誰かに愛され、しかも本国より丁寧に扱われている光景を見て、少し救われている。 国はときどき、自分の美点を自分の中では見失う。 でも他国の食卓の上に、それがちゃんと残っていることがある。 だからこれはチキンの話でありながら、どこかで「文化はまだ仲直りできる」という話でもある。

クレア

2,681,230 views • 4 months ago

明日で39歳になります。事故当時は32歳。月日が経ちました。 「妻と娘の命を無駄にしないために、誰かの命が守られるように活動を続けよう」と生きてきた。その一心で、走り続けてきた気がする。でも最近、ある葛藤に悩んていた。結局その根っこには、「誰かの役に立つことで、妻と娘の命を無駄にしていないと思いたい」という、自分が生きている実感を得たい気持ちがあったんじゃないかと。 妻と娘や、他者のためにやっているつもりで、実は自分のためなんじゃないか。そんな自分は卑しい人間なのではないかと。 最近は、そんな自分の心と正面から向き合い、悩んだ。活動に対するモチベーションをどこに向けていいのか分からなくなる瞬間もあった。 それでも今は、「自己中心的利他でいい。」そう思えるようになった。 活動をすることで、自分の心が少し楽になる。そして、その活動が結果的に誰かの役に立つのなら、それで十分じゃないかと。 心が楽になることで、妻と娘もきっと安心してくれる。2人とは会話は出来ないけど、生前のふたりならそう言ってくれそうな気がする。そんなふうに今は思っています。ふたりが笑顔で祝ってくれたあの日の動画を見ながら、そんなことを考えていました。↓↓続きがあります↓↓

池袋暴走事故遺族 松永拓也

9,434,068 views • 1 year ago