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81 am年前の8月9日長崎に原爆が投下された11:02に東大寺の大鐘が打ち鳴らされました。今もなお世界中のどこかで戦争で苦しんでいる方々がおられます。生きとし生けるものすべての幸せと平和と、犠牲になられた方々の追福菩提を共に祈りましょう。 #東大寺 #鐘楼 #長崎 #平和記念日 #平和の鐘 #追福菩提

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Okazaki.Kaatuu221 месяц назад

🙏

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ジョン1 месяц назад

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Maribel Yasmin Beitia de Sattkowski1 месяц назад

🙏🙏🙏💜

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c_tom1 месяц назад

When will we ever learn 🙄

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【お知らせ】 本日(8月9日)、高市総理は、長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典に参列し、犠牲となられた方々の御霊に哀悼の誠を捧げました。 高市総理挨拶要旨(速報版) 81年前の今日、長崎の地に投下された一発の原子爆弾により、多くの方々の貴い命が失われました。 街は一瞬にして焦土と化し、この地におられた方々の日常は瞬時に断ち切られ、家族と過ごす時間も、将来への願いも、すべてが奪われました。 一命をとりとめた方々にも、耐え難い苦難の日々をもたらしました。 内閣総理大臣として、原子爆弾の犠牲となられた方々の御霊に対し、謹んで、哀悼の誠を捧げます。 そして、今なお被爆の後遺症に苦しまれている方々に、心からのお見舞いを申し上げます。 焦土と化した街が、このように美しく復興を遂げたことに、私たちは改めて、市民の皆様が積み重ねてこられたご努力、そして、平和の尊さを強く感じる次第です。 81年前の長崎と広島の惨禍を決して繰り返させてはなりません。 我が国は、『非核三原則』を堅持しており、「長崎を最後の被爆地に」という誓いの下、「唯一の戦争被爆国」の使命として、「核兵器のない世界」の実現に向けた現実的かつ実践的な取組を推進しています。 先般の『核兵器不拡散条約(NPT)運用検討会議』は、厳しい国際安全保障環境の下での開催となりましたが、我が国は、被爆地の方々の思いを伝えながら、『NPT』の維持・強化に向けた結束を各国に呼びかけました。 今後も、「ヒロシマ・アクション・プラン」に基づき、一歩一歩、着実に努力を積み重ねていく決意です。 世界に被爆の実相の正確な理解を広めていくことの重要性は、ますます高まっています。 世界中の指導者や未来のリーダーに被爆地訪問を呼びかけ、被爆の実相に触れていただくことで、核兵器使用の惨禍に関する記憶を継承していく取組を続けてまいります。 被爆から長い年月が経過し、被爆者の方々がご高齢となられる中、多様化する課題に向き合いながら、保健、医療、福祉にわたる「総合的な援護施策」を進めてまいります。 特に、「原爆症の認定」について、一日も早く結果をお知らせするため、できる限り迅速な審査を行うよう、努めてまいります。 「被爆体験者」の皆様に対しましても、被爆者の方々と同等の医療費助成を、着実に実施してまいります。 この街には、81年前のあの日を経験した被爆樹木があると伺っています。 強烈な爆風と熱線によって幹を焼かれ、枝を折られても、しっかりと大地に根を張り、再び葉を芽吹かせた被爆樹木の姿は、筆舌に尽くし難い苦しみと深い悲しみの中にあった方々の心に、希望の光を灯したことでしょう。 被爆樹木の姿は、廃墟から見事に復興を遂げられた長崎の皆様の姿とも重なります。 市民の皆様の不断のご努力により、「国際文化都市」として今日の姿を築かれた長崎市において、「核兵器のない世界」と恒久平和の実現に向けて尽力することをお誓い申し上げます。 結びに、原子爆弾の犠牲となられた方々の御霊の安寧と、ご遺族、被爆者の皆様、並びに参列者、長崎市民の皆様のご平安を祈念いたします。 令和8年8月9日 内閣総理大臣・高市早苗

首相官邸

225,051 просмотров • 1 месяц назад

【お知らせ】 本日(8月6日)、高市総理は、令和8年広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式に参列し、犠牲となられた方々の御霊に哀悼の誠を捧げました。 高市総理挨拶要旨(速報版) 本日、被爆から81年となる朝を迎えるに当たり、内閣総理大臣として、ここ広島の地において、原子爆弾の犠牲となられた方々の御霊に対し、謹んで、哀悼の誠を捧げます。 そして、今なお被爆の後遺症に苦しまれている方々に、心からのお見舞いを申し上げます。 81年前の朝、一発の原子爆弾によって、広島の日常は一瞬にして断ち切られ、お一人お一人のかけがえのない命が容赦なく奪われました。街は焼き尽くされ、多くの方々が積み重ねてきた暮らしや、将来に向けた願いのすべてが、一瞬にして失われました。 一命をとりとめた方々にも、目に見える傷だけでなく、長く続く苦しみをもたらし、言葉に言い尽くせない悲しみの記憶が刻まれました。廃墟となった街が復興を遂げた今日、広島の記憶は、人の命と尊厳がいかにもろく失われ得るかということ、そして平和の尊さを、今を生きる私たちに問い続けています。 広島及び長崎にもたらされた原子爆弾による惨禍、多くの方々の筆舌に尽くしがたい苦しみは、二度と繰り返されてはなりません。 我が国は、『非核三原則』を堅持しており、「唯一の戦争被爆国」として、「核兵器のない世界」の実現に向けた努力をたゆまず続けていく使命を担っています。 今、世界の安全保障環境は一段と厳しさを増しています。 先般の『核兵器不拡散条約(NPT)運用検討会議』において見られたように、「核兵器のない世界」に向けた道のりは、決して平坦なものではありません。 しかし、だからこそ、我々は、その歩みを止めるわけにはいきません。 「核兵器のない世界」の実現に向けた国際社会の取組を主導すべく、『NPT体制』の維持・強化を訴えながら、「ヒロシマ・アクション・プラン」の下で現実的かつ実践的な取組を続けていく決意です。 また、被爆の実相を世代や国境を越えて広く伝えていくことは、核軍縮に向けたあらゆる取組の原点として重要です。 核兵器使用の惨禍や平和への思いを、長年にわたり語り伝えてこられた被爆者の方々、そしてその記憶や思いの継承を担われている若い世代の方々と共に、被爆の実相の理解促進に向けた努力を尽くしてまいります。 被爆者の方々に対しましては、保健、医療、福祉にわたる「総合的な援護施策」を進め、ご高齢になられた被爆者のお一人お一人に思いを致し、必要な支援が確実に届くよう、対応を重ねてまいります。 特に、「原爆症の認定」について、申請された方々の心情を思い、被爆者の方々に一日も早く結果をお知らせするため、できる限り迅速な審査を行うよう、努めてまいります。 広島の皆様は、被爆により深く傷つきながらも、そこから力強く立ち上がり、平和への思いを発信し続けてこられました。 そしてそれらは、世代を越えて、広がっています。 本日、原爆慰霊碑に奉納されました死没者名簿は、今回初めて、公募により選ばれた若い世代の方々が、被爆者の方々とともに記帳に携わられたと聞いております。 広島の記憶とともに、平和への思いが、しっかりと次の世代へ繋がれていることは、市民の皆様の不断のご努力の賜です。 その歩みに深く敬意を表するとともに、私もまた、ここ広島において、安全で安心して暮らせる社会を次世代に贈る責任を痛感しつつ、「核兵器のない世界」と恒久平和の実現に向けて力を尽くすことを、お誓い申し上げます。 結びに、原子爆弾の犠牲となられた方々の御霊の安寧と、ご遺族、被爆者の皆様、並びに参列者、広島市民の皆様のご平安を祈念申し上げます。 令和8年8月6日 内閣総理大臣・高市早苗

首相官邸

1,069,935 просмотров • 1 месяц назад

大東亜戦争という名称と、その背景についての真相について。 私たちは学校で太平洋戦争という名前で習ってきました。 でも実は、当時の日本政府は1941年12月、この戦争を大東亜戦争と正式に呼ぶことを閣議決定していたんです。 日中戦争や対米英戦争を含めた、大東亜という構想がそこには込められていました。 当時のアジアには、欧米列強の植民地が数多く存在していました。 そんな中で日本が掲げたのが大東亜共栄圏という理念です。 アジアの国々が協力し合い、欧米の植民地支配から自立して共存共栄を目指す、そういう構想でした。 1943年には実際に大東亜会議が開かれ、大東亜共同宣言まで採択されているんです。 もちろんそれだけが背景ではありません。 日本とアメリカの対立は深まり続け、経済制裁もどんどん強まっていました。 ABCD包囲網と呼ばれる状況の中、特に石油などの資源を絶たれ、日本は追い詰められていったんです。 そして一九四一年十二月、開戦に至りました。 そして戦後、1945年十2月25日、GHQの神道指令によって大東亜戦争という名称の使用が停止されました。 その数日後から、日本の新聞各紙では太平洋戦争史という連載が一斉に始まり、太平洋戦争という名称が一般化していったんです。 なぜGHQはこの名称の使用を止めさせたのでしょうか。 もしかすると、そこに込められていた日本側の戦争理念が、後世に残ることを避けたかったのかもしれません。 そして戦後、アジアでは次々と独立国が誕生していきました。 インドネシアやインドなど、当時の指導者たちの発言として、日本の存在が独立のきっかけになったと語られることがあります。 大東亜共栄圏という理念は、歴史の流れの中で一部実現したとも見ることができるんです。 知らなかった背景を知って、そのうえで自分の頭で考える、それが歴史を学ぶ意味だと私は思っています。

トッポ

18,885 просмотров • 1 месяц назад