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AI動画が描く滑らかな肌や完璧な光彩は、私たちの肉体の『不完全さ』を奪い去る。それは悪意ではなく、単なる最適化の結果なのだ。しかし、それは虚無でもある。そんな事をこの映像を見て考えた。思索を深めるなら、視ることをやめてはならない。

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『映画ちいかわ 人魚の島のひみつ』は、 友情の美しさを描いた作品ではありません。 友情の怖さを描いた作品です。 この動画には、大きなネタバレを含みます。 動画も作成しましたので、テキスト・動画お好みでご覧ください。 二人の関係を見て、「友達のためにここまでできるなんて」と感じた人もいると思う。 実際、ヒトハとフタバの絆は、この作品の重要なテーマとして描かれている。 だが私は、あの関係を単純に美しい友情と呼ぶことに、抵抗がある。 なぜならヒトハは、フタバを救うために、フタバ自身の意思を越えてしまったからだ。 物語の発端は、海での事故である。 ヒトハとフタバが乗っていた船が、海で遊んでいたセイレーンたちの影響で転覆し、 フタバが瀕死の状態になる。 そこでヒトハは、「人魚の肉を食べれば永遠の命を得られる」という情報を頼りに、 人魚を殺し、その肉をフタバに食べさせる。 結果として、フタバは助かった。 ここだけ見れば、「親友を救った」という話である。 だが、その後のフタバの反応が重要だ。 フタバは、ヒトハのしたことを素直に喜んでいない。 なぜなら、自分を救うために別の命が犠牲になったからである。 つまりヒトハは、フタバを救った。 だが同時に、「人魚を殺してまで生きたいのか」という選択を、 フタバ自身にさせなかった。 ここに、この友情の危うさがある。 大切だから救いたい。これは間違いなく愛情である。 だが、大切だからこそ相手の意思を無視してもいいのか。これは別の問題だ。 現実でもそうである。 「あなたのためを思って」 「絶対にこっちの方が幸せだから」 「私があなたを守るから」 善意から出た言葉でも、相手の意思を無視した瞬間、それは支配へ変わることがある。 ヒトハの行動も、まさにその境界線に立っている。 さらに強烈なのが、その後だ。 永遠の命を得てしまったフタバに対し、ヒトハ自身も人魚の肉を食べる。 二人で永遠に生きることを選ぶ。 ここだけ見れば、とても美しい。 「一人にはしない」「ずっと一緒にいる」。 友情の極致にも見える。 だが逆から考えると、ものすごく怖い。 永遠である。10年でも、100年でもない。終わりがない。 しかも、その永遠は人魚の命を犠牲にして手に入れたものだ。 だから二人が一緒にいる限り、自分たちが犯した罪から完全に逃れることもできない。 永遠の友情が、そのまま永遠の罪にもなっている。 そして私は、ここでハチワレとちいかわの友情との対比が効いてくると思っている。 ちいかわとハチワレも、お互いをものすごく大切にしている。 危険になれば助ける。一緒に喜ぶ。一緒に怖がる。 だが基本的には、相手を自分のものにはしない。 相手が何を感じているのかを、知ろうとする。 一方、ヒトハはフタバを失うことに耐えられず、 「生かす」という決断を自分一人で下してしまった。 同じ「友達を大切にする」でも、決定的な違いがある。 相手のために何かをすることと、相手の人生を代わりに決めることは違う。 『人魚の島のひみつ』は、その境界線を、ものすごく残酷な形で見せている。 だから私は、ヒトハを悪人だとは思わない。 むしろ、気持ちは理解できる。 目の前で一番大切な友達が死にそうになっている。 助けられる方法を知ってしまった。 そこで冷静に倫理を考えられる人が、どれだけいるだろうか。 だからこそ怖い。 悪意ではなく、愛情が悲劇を生んでいるからだ。 そして最後には、二人は誰もいない島で一緒に暮らそうとする。 二人だけなら幸せになれる。そう見える。 だが、その島にはセイレーンが近づいてくる。 友情によって命を救ったはずなのに、 その友情が生み出した罪から、永遠に逃げられない。 私は、このラストを「友情の勝利」とは到底思えない。 むしろ問いかけられているのは、 「大切な人のためなら、どこまでしていいのか」。 そして、 「相手を失いたくないという気持ちは、本当にすべて愛情と呼べるのか」。 なのではないだろうか。 ヒトハとフタバは、間違いなく大切な友達同士である。 だからこそ、その友情は美しくて、同時にものすごく怖い。 『人魚の島のひみつ』は、「友情は素晴らしい」で終わる作品ではない。 友情ですら、一線を越えれば誰かを傷つける。 その危うさまで描いたからこそ、この物語はここまで後味が残るのだと思う。 あなたなら、大切な友達を救うために、ヒトハと同じ選択をしますか。 コメントで教えてください。

榊󠄀原清一 / 人財版 令和の虎 主宰

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AIが「病気を治す」「富を生む」「生産性を高める」という未来像は、多くの人にとって魅力的だし、人々はそういう利点を信じていないわけではない。だが、それだけでは不安は消えない。彼らが本当に聞きたいのは、その未来の中で自分たちは何者として生きるのか、ということだ。 サム・アルトマン「私の問いはこうです。未来における私の役割は何なのか。私の経済的な未来はどうなるのか。私の主体性はどうなるのか。私の子どもたちや家族は、これからも充実した創造的表現を持ち、世界を前に進めるために奮闘し、成長し、長いあいだ機能してきたやり方で共にそれを続けていけるのだろうか、ということです。 そしてAI業界の人たちが、「まあ、仕事はなくなるでしょう」とか、「仕事の50%が消えるでしょう」とか、「仕事の90%が消えるでしょう」と言い、「AIはあらゆる面であなたより賢くなるでしょう」と言い、「ベーシックインカムは与えますが、あなたには実質的に役割はありません」と言う。これはひどいことです。 しかも、「このAI企業は、すべての仕事を破壊するかもしれませんが、世界で最も価値のある企業になります」と言っているわけです。人々はそれを見て、言葉を失ったような、気まずいような反応になるんです。 だから私は、それはひどいメッセージだと思います。私たちが利点を十分に説明してこなかった、という話ではないと思います。実際、人々は私たちの言うことを信じているのです。「がんを治してください」と言われれば、それは素晴らしいことです。けれども私たちAI業界は、人々があらゆる段階で未来を決める主導権をどう保ち、私たちが大切にしているあらゆる意味で本当に意味のある人生をどう持ち続けられるのかを、説明できてこなかったのだと思います」

Tsubame

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大森さんがインスタライブで、ミセスが冷笑されること、ハスられること、斜に構えて捉えられることについて語った。「僕が音楽好きだったとして、ミセスという存在を傍から見た時に、僕もやっぱりハスるなというか、斜に構えて見るよなと思ってて。なかなかそのグループのコアな部分というか大切なものって見えないものだから。自分だったらなぁと思う、僕そっち側の人だからどっちかというと。でもだからこそ、突っ切って、ぶっぱなしたさがあるよね」と……。 少し前に、米津さんがインタビューで「(冷笑は)自分を守るために機能していることもある」と発言していたことを思い出す。そのような態度で居ることでしか自分を保てないほど苦しい境遇に置かれてる人たちなのだということが、彼には見えている。その慧眼に驚かされるとともに、どん詰まりに居る人を馬鹿にできないし置いていけないと考えるのが米津さんなのだなと思った。傷を保護する自衛としての手段、あるいは最後の砦としてのユーモアを否定しない。顔すら見えない遠くの誰かの人生にそっと想像力を伸ばせる彼が(彼は否定するかもしれないけれど)実に福祉的で、私は大好きだ。今の時代になくてはならない感覚のアーティストだと思う。 一方で、物事を誰よりも穿って見てしまう、斜に構えてしまうデフォルトの自分のネガ思考を把握した上で、いや待てよ、僕たちはいずれ灰になって空を舞うんだからその時間が勿体ない。哀しいかな、人生には意味なんてない。だからいっそのこと圧倒的に「ぶっぱなす」、ぶっちぎってみせる、そうでもしないと人生やってられんだろ!という方向にギアを切る大森さんのこともまた大好きだ。そこにはミセスの曲に共通する「ニヒリズム」から「積極的ニヒリズム」への転換がある。体育座りをして指先で傷つけあっていても仕方ない。だから彼は粛々と自分の信じる音楽を作り、ぶっちぎった先(キラキラした花道のど真ん中)で、孤独を歌おうとしている。圧倒的な熱量で、こぼれ落ちてしまった人を温めようとしている。私もド鬱のド陰キャなので、彼らのヒーロー性が眩しくて聴けないという意見にも分かるところがあるが、彼のそもそもの出発点が「拭えない孤独」であることを理解して聴くと、ミセスの楽曲は途端に深みを増すし、生きることへの起爆剤になると思っている。エンターテインメントにおいて、大衆化することとマイノリティの痛みに寄り添うことはトレードオフになりがちだ。ただ眩しいだけの光は、暗闇にいる人を時に拒絶しさらに深く傷つけてしまうこともある。そこを諦めず、「間口を広げながら、深みもつけていく」という誰も挑んだことのない矛盾する難題をやってのけようとしているのが大森さんでありミセスだと思う。正気の沙汰ではないし、ポップスを鳴らす覚悟が半端ない。もはや狂気だ。 どちらも根は同じド陰キャなのだが、発露の仕方が異なるのがおもしろい。 ここに風くんが居たらなんと言うかな、と想像しながらフフフとなる。「冷笑?なんでそんな疲れることしとるん?何なんw にんげんのみなさま、貴方こそが神で、貴方こそが愛。それを忘れないで」とあの優しげなトーンで言うかもしれないし言わないかもしれない。​「ハスる」「冷笑する」という自意識のこんがらがったゲームそのものを、彼なら「それ、幻じゃが。お疲れさまぁ」とお茶を差し出すように軽やかに無効化してしまいそうだ。やはり大好きだ。 ​米津さんが「暗闇に一緒に腰を下ろしてくれる人」ならば、大森さんは「自らの闇を焦がす光で世の中を照らす人」であり、風くんは「そもそも私ら、最初から光の中に放り込まれとるが?」という人なのではないか……冷笑をきっかけにそんなことを思ったりした。彼らの音楽がそれぞれのアプローチで、生きづらさを抱える私に気づきをくれ、肯定してくれることに感謝している。同じ時代に異なる三つの光。日本の音楽シーンは今日も豊かで楽しいね。

ナギ

935,233 次观看 • 2 个月前

論破されてないで! 「文書に出てきた人間が判断してはいけない」 "まともな告発"であればそれは正しい意見。 しかし、それは『どんな状況でも常に絶対』ではない。 指針には、やむを得ない場合には通報者探索をする事ができる(通報者を特定した上でなければ必要性の高い調査を実施できない等)旨の記載がされている。 このような証拠も証言も無い怪文書のような物を見つける度に「これは公益通報だね。数千万使って第三者委員会を設置して判断してもらおう!」なんてやってたら無駄な経費がかかるし、結果が出るまで時間もかかるし、その間に風評被害が広まる恐れもある。 知事の悪口だけ書かれていたのならともかく、知事以外の職員や関連企業の名誉毀損もかなりされていた。 行政のトップとして第三者の被害を守るために何としても食い止めなければ安全配慮義務を怠る事になる。 知事は真っ当に責務を果たしたに過ぎない。 そして、この文書は、誰が書いたかも分からない、何一つ証拠もないし、誰から聞いたかの証言すら書かれていない。 通報者を特定した上でなければ必要性の高い調査を実施できない文書である事は明白。 だから通報者探索をする事もやむを得なかった。 藤本委員長は、「知事がおっしゃる事情はこのやむを得ない場合に当たるとは思えません」と言ってるが、これは単なる藤本君のただのお気持ち表明。 "やむを得ない場合に当たるとは思えない理由"を全く説明していない。 説明もせずに「思えません」てw こんなもんで知事側に納得しろという方が無理な話。 裁判になれば、これは「やむを得ない場合に当たる」と正当に判断され、まともな判決が下される可能性が極めて高い。 結果を言わないのは卑怯者のすること

ジャスティス‼️ため池マン

45,193 次观看 • 10 个月前

いまのAIに決定的に欠けているのは、僕たちの背景を理解する能力だ。だから毎回プロンプトで関係性を組み立て、状況説明をし、欲しい出力へ誘導しなければならない。だが、その制約が外れ始めたとき、AIは単なる便利ツールではなくなるのだろう。その日はきっと、それほど遠くない。 サム・アルトマン「今のモデルは、将来そうなるものと比べれば、まだかなり愚かです。しかもそれ以上に、あなたの人生についての理解がきわめて限られています。今はまだ、こちらがうまく、なだめたりすかしたりしながら、欲しいものを引き出さなければならないのです。 ですが、あなたの文脈をすべて知っているようなモデルは、もうそれほど遠くありません。そのモデルは、あなたのことを知っている。あなたの人生を知っている。何をしているかを知っている。何を大事にしているかを知っている。あなたの人生にいる人たちのことも知っている。もちろん、あなたが望む形で、望む範囲においてですが、あなたのコンピュータやブラウザにもアクセスできる。そして時間がたつにつれて、現実世界であなたの周囲に起きていることにも、ますますアクセスするようになるかもしれません。 それは、コンピュータを使う感覚、そしてAIを使う感覚そのものを、完全に変えてしまうはずです。私はそれに強く興奮しています。ただ、実際それがどんな感覚になるのかは、私たち自身でさえ、まだ十分に直感できていないと思います」 グレッグ・ブロックマン「まさにその点ですが、今の私たちは、チャットでも何でも、使っているツールに対して『何が起きているのか』を説明するのに、ものすごく多くの時間を使っています。そしてそれがどれだけ苛立たしいかを考えてみてください。まるで同僚に対して、いや、私が欲しいのはこういうことで、今こういう状況なんだ、と延々説明し続けているようなものです。今のシステムの振る舞い方は、本来こうあってほしい姿ではないのです」

Tsubame

15,287 次观看 • 5 个月前

いま、アーティストやクリエイターの多くは、「AIによって、もう自分が必要とされなくなる」と恐れている。けれど、全く逆の発想をする人々もいる。AIが壊しているのは、創作のために巨大な資本を集めなければならないという旧来の構造であり、むしろ自分たちに力を与えているのだと。 トム・ビリュー「この力がどれほど大きいかを最も簡単に表すなら、今、アーティストたちは「もうスタジオは自分たちを必要としなくなる」と恐れています。でも、それはまったく逆です。本当は、アーティストのほうがスタジオを必要としなくなるのです。 これまでスタジオが必要だったのは、非常に高価な制作を実現するために、大量の資本を集める必要があったからです。 ところが今起きているのは、その非常に高価だったものが、ばかばかしいほど安くなっているということです。そうなると違いを生むのは、資本を集められる人ではありません。センスを持ち、AIを使って、もはや資本を集約する存在を必要としない人です。 これは本当に興味深い瞬間です。AIを恐れずに使う人たちは、自分たちこそが運転席にいるのだと気づき始めます。彼らは、資本を集めるだけの人には作れなかったものを作れるようになります。そして、これまで自分では握れなかったものを、自らコントロールする機会を得るのです。 だから人々には気づいてほしいのです。「待てよ、これは自分から力を奪っているんじゃない。むしろ、自分に力を与えているんだ」と。これまで自分には資本を集める方法がなかったから、他人にコントロールされていたのです」

Tsubame

209,376 次观看 • 1 个月前