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Bリーグの文化としてガベージタイムでこのプレイは許容されるのか? プレイタイムが少ない選手の数少ないアピールの場だが本人はどう考えてるのか? そもそもこれをアップする公式は? BリーグがNBAに次ぐリーグになるにはその辺りの認識を考えないといけないと思う。

935,182 просмотров • 1 год назад •via X (Twitter)

Комментарии: 10

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赤木 徹🏀バスケスクールコーチ/個別指導コーチ/Toru Akagi1 год назад

得失点差を争うリーグ戦なら1点でも多く稼ぐという考え方も納得できる 日本人のメンタリティ的に最後の最後まで全力プレイ! のほうが納得感が大きいのかもしれない 外国籍の選手にどう説明するか? 今後国内ファンだけでなく世界中のファンを獲得していく上でどう示す? 世界基準と照らしてどうか?

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カッツォ1 год назад

むしろ最後までちゃんとやるのが客に対する礼儀だと思う。NBAはすごいけど変なところまで真似しちゃいけない

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asuka1 год назад

ゲームクロックとショットクロックが同じならシュートにはいかなかったと思います。別の試合ではそうしてたので。時間だけ消費したらバイオレーションになっただろうし、相手もディフェンスする姿勢でしたし。お金を払って観に来てくれてる方がいる以上最後まで楽しませるのもありだと思うのですが…

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エースK🐤🔥三遠ネオフェニックスブースター1 год назад

負けてる側がディフェンスやめない限りはシュートしてよい、負けてる側が相手から離れて突っ立ったり背を向けたり守ろうとせず白旗を挙げた状態ならシュートしない。それが勝ってる側が攻めをやめた状況でありNBAもそうだと思ってます。あとは試合してる当人らの認識に食い違いがなければいいなと。

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ちぃ1 год назад

24秒の方短いからなぁ。NBAに次ぐリーグってなにもNBAを全て真似するってことでは無い気がします

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しらかわゆう1 год назад

レギュレーションに得失点差が含まれる以上許容されます

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KEN1 год назад

では、NBAのガベージタイムに全力でプレイしてアピールしている河村選手にも、バスケスクールコーチとして大いに批判お願いします!

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FC901 год назад

ガベージ手を抜く意味が正直わからん

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赤サク氏1 год назад

ボールを保持してる方が攻める姿勢で 守る方も対応しようとしてるのなら 何も問題無い考える派です。

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まさゆき1 год назад

フォロー外から失礼します。 そんなにツッコまなくても別に良いのではないでしょうか🙆 ディフェンスも付いてた上でのプレイでしっかり決め切ってますし 「NBAはNBA、BリーグはBリーグ」みたいな風にある程度しないとただのパクリみたいになっちゃうと個人的には思うのですが…

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d

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Tsubame

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大森さんがインスタライブで、ミセスが冷笑されること、ハスられること、斜に構えて捉えられることについて語った。「僕が音楽好きだったとして、ミセスという存在を傍から見た時に、僕もやっぱりハスるなというか、斜に構えて見るよなと思ってて。なかなかそのグループのコアな部分というか大切なものって見えないものだから。自分だったらなぁと思う、僕そっち側の人だからどっちかというと。でもだからこそ、突っ切って、ぶっぱなしたさがあるよね」と……。 少し前に、米津さんがインタビューで「(冷笑は)自分を守るために機能していることもある」と発言していたことを思い出す。そのような態度で居ることでしか自分を保てないほど苦しい境遇に置かれてる人たちなのだということが、彼には見えている。その慧眼に驚かされるとともに、どん詰まりに居る人を馬鹿にできないし置いていけないと考えるのが米津さんなのだなと思った。傷を保護する自衛としての手段、あるいは最後の砦としてのユーモアを否定しない。顔すら見えない遠くの誰かの人生にそっと想像力を伸ばせる彼が(彼は否定するかもしれないけれど)実に福祉的で、私は大好きだ。今の時代になくてはならない感覚のアーティストだと思う。 一方で、物事を誰よりも穿って見てしまう、斜に構えてしまうデフォルトの自分のネガ思考を把握した上で、いや待てよ、僕たちはいずれ灰になって空を舞うんだからその時間が勿体ない。哀しいかな、人生には意味なんてない。だからいっそのこと圧倒的に「ぶっぱなす」、ぶっちぎってみせる、そうでもしないと人生やってられんだろ!という方向にギアを切る大森さんのこともまた大好きだ。そこにはミセスの曲に共通する「ニヒリズム」から「積極的ニヒリズム」への転換がある。体育座りをして指先で傷つけあっていても仕方ない。だから彼は粛々と自分の信じる音楽を作り、ぶっちぎった先(キラキラした花道のど真ん中)で、孤独を歌おうとしている。圧倒的な熱量で、こぼれ落ちてしまった人を温めようとしている。私もド鬱のド陰キャなので、彼らのヒーロー性が眩しくて聴けないという意見にも分かるところがあるが、彼のそもそもの出発点が「拭えない孤独」であることを理解して聴くと、ミセスの楽曲は途端に深みを増すし、生きることへの起爆剤になると思っている。エンターテインメントにおいて、大衆化することとマイノリティの痛みに寄り添うことはトレードオフになりがちだ。ただ眩しいだけの光は、暗闇にいる人を時に拒絶しさらに深く傷つけてしまうこともある。そこを諦めず、「間口を広げながら、深みもつけていく」という誰も挑んだことのない矛盾する難題をやってのけようとしているのが大森さんでありミセスだと思う。正気の沙汰ではないし、ポップスを鳴らす覚悟が半端ない。もはや狂気だ。 どちらも根は同じド陰キャなのだが、発露の仕方が異なるのがおもしろい。 ここに風くんが居たらなんと言うかな、と想像しながらフフフとなる。「冷笑?なんでそんな疲れることしとるん?何なんw にんげんのみなさま、貴方こそが神で、貴方こそが愛。それを忘れないで」とあの優しげなトーンで言うかもしれないし言わないかもしれない。​「ハスる」「冷笑する」という自意識のこんがらがったゲームそのものを、彼なら「それ、幻じゃが。お疲れさまぁ」とお茶を差し出すように軽やかに無効化してしまいそうだ。やはり大好きだ。 ​米津さんが「暗闇に一緒に腰を下ろしてくれる人」ならば、大森さんは「自らの闇を焦がす光で世の中を照らす人」であり、風くんは「そもそも私ら、最初から光の中に放り込まれとるが?」という人なのではないか……冷笑をきっかけにそんなことを思ったりした。彼らの音楽がそれぞれのアプローチで、生きづらさを抱える私に気づきをくれ、肯定してくれることに感謝している。同じ時代に異なる三つの光。日本の音楽シーンは今日も豊かで楽しいね。

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