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【『CODE VEIN II』ローンチトレーラー公開】 主人公の使命は「世界を救う」こと。そのために、吸血鬼の少女・ルゥとともに英雄討伐の任務へ旅立ちます。 その中で描かれるのは、彼らとの交流や使命に対する葛藤――100年の時を越えて紡がれるドラマをぜひご覧ください。 YouTubeはこちら: #CODEVEIN2 #コードヴェイン2

49,095 views • 8 months ago •via X (Twitter)

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12.26(金)〜公開 NTLive『インター・エイリア』 世界的ヒット『プライマ・フェイシィ』の制作チームが贈る衝撃の新作舞台 スージー・ミラーの作品は観る前には考えたことがなかったことへ、自分の意識を向けてくれる、そんな舞台です。新しい意識の広がりへーー ぜひ映画館へ👀 ::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::: <作者スージー・ミラーより> ラテン語の inter alia は「その他のことの中で」という意味で、法律の世界で使われる用語です。しかし、ここでは働く女性たちが日々の暮らしをどのようにやり繰りしているかを象徴しています。 女性たちは仕事においても並外れて努力していますが、それは「その他のこと」との両立のうえに成り立っています。その「その他」とは、家族の生活を調整すること、心の負担を引き受けること、家事をこなすこと、急な出来事に備えることなどです。ある女性はこう話してくれました――「私は自分の人生を、他の人たちの人生の“隙間”で生きているんです」と。彼女は仕事をしながら、学校に着ていく服やお弁当、食事の準備、送り迎え、さらに家に来る業者への対応まで背負っているのです。 母親であること、妻であること、職業人であること、そして社会の中の一人の女性であること――その間にある目に見えない境界線を、女性たちは常に行き来しなければなりません。その重なりや相反する期待は、最善を尽くしても困難であり、しばしば圧倒されるものです。さらに女性にはもう一つの層が加わります。それは、「すべてをやり遂げようとする女性」への社会的な評価のまなざしです。 作中のジェシカは“判事”であると同時に、“評価される側”でもあります。母親として、選択の仕方として、働く時間として、女性らしさとして、フェミニズムとして、パートナーとして――あらゆる点で彼女は判断されるのです。そして、多くの女性がそうであるように、ジェシカ自身もまた自分を“裁いて”いるのです。 :::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

ナショナル・シアター・ライブ

138,063 views • 10 months ago

人間と同程度のAIにまで到達して、そこで突然進化が止まるわけがない。汎用知能が成立した瞬間、次に来るのは超知能であり、その時点で発明の主役は人類から機械の心へ移る。産業革命との比較では足りない——それは「ホモ・サピエンスの出現」あるいは「生命の誕生」に匹敵する断絶かもしれない。 ニック・ボストロム「技術と科学の発展が広い範囲でこのまま続くことが許されるなら、私たちはいずれそこに到達すると思います。しかも最近は、実際にその方向へ進みつつあるように見えます。ですから、こうした点は、この問題をかなり真剣に受け止めるべきだと示す、基本的な考慮事項だと思います。 そして、もし私たちが本当にAGI、すなわち汎用人工知能を開発したら、それが何を意味するのかを考えることができます。私がまず思うのは、それはほどなくして超知能の開発につながるだろうということです。人間と同程度のAIにまで到達して、そこで突然止まるとは思いません。 そうなると私たちは、心そのものを設計できる世界に入ることになります。そして自動化されるのは、産業革命において蒸気機関や内燃機関によって自動化が始まったような筋肉労働だけではありません。たとえば掘削機は、どんな力自慢の人間よりもはるかに強いですが、それと同じように、今度はあらゆる人間の労働が自動化されることになります。 しかもそのときには、どんな天才的な科学者や芸術家よりも深く考えられる機械の心が現れるでしょう。ですから、それは実質的に、私たちが最後に必要とする発明になるのです。その時点以降の発明は、こうした機械の心によって、はるかに優れた形で、はるかに速く生み出されるようになるからです。 したがって、これは人間のあり方そのものを非常に根本的に変える出来事になると思います。これを理解するにあたって、産業革命との類比を持ち出す人もいますし、そこから学べることもあるとは思います。しかし、おそらく本当に近い比較対象は、むしろホモ・サピエンスそのものの出現や、あるいは生命の誕生にまでさかのぼる必要があるのかもしれません」

Tsubame

20,061 views • 6 months ago

『映画ちいかわ 人魚の島のひみつ』は、 友情の美しさを描いた作品ではありません。 友情の怖さを描いた作品です。 この動画には、大きなネタバレを含みます。 動画も作成しましたので、テキスト・動画お好みでご覧ください。 二人の関係を見て、「友達のためにここまでできるなんて」と感じた人もいると思う。 実際、ヒトハとフタバの絆は、この作品の重要なテーマとして描かれている。 だが私は、あの関係を単純に美しい友情と呼ぶことに、抵抗がある。 なぜならヒトハは、フタバを救うために、フタバ自身の意思を越えてしまったからだ。 物語の発端は、海での事故である。 ヒトハとフタバが乗っていた船が、海で遊んでいたセイレーンたちの影響で転覆し、 フタバが瀕死の状態になる。 そこでヒトハは、「人魚の肉を食べれば永遠の命を得られる」という情報を頼りに、 人魚を殺し、その肉をフタバに食べさせる。 結果として、フタバは助かった。 ここだけ見れば、「親友を救った」という話である。 だが、その後のフタバの反応が重要だ。 フタバは、ヒトハのしたことを素直に喜んでいない。 なぜなら、自分を救うために別の命が犠牲になったからである。 つまりヒトハは、フタバを救った。 だが同時に、「人魚を殺してまで生きたいのか」という選択を、 フタバ自身にさせなかった。 ここに、この友情の危うさがある。 大切だから救いたい。これは間違いなく愛情である。 だが、大切だからこそ相手の意思を無視してもいいのか。これは別の問題だ。 現実でもそうである。 「あなたのためを思って」 「絶対にこっちの方が幸せだから」 「私があなたを守るから」 善意から出た言葉でも、相手の意思を無視した瞬間、それは支配へ変わることがある。 ヒトハの行動も、まさにその境界線に立っている。 さらに強烈なのが、その後だ。 永遠の命を得てしまったフタバに対し、ヒトハ自身も人魚の肉を食べる。 二人で永遠に生きることを選ぶ。 ここだけ見れば、とても美しい。 「一人にはしない」「ずっと一緒にいる」。 友情の極致にも見える。 だが逆から考えると、ものすごく怖い。 永遠である。10年でも、100年でもない。終わりがない。 しかも、その永遠は人魚の命を犠牲にして手に入れたものだ。 だから二人が一緒にいる限り、自分たちが犯した罪から完全に逃れることもできない。 永遠の友情が、そのまま永遠の罪にもなっている。 そして私は、ここでハチワレとちいかわの友情との対比が効いてくると思っている。 ちいかわとハチワレも、お互いをものすごく大切にしている。 危険になれば助ける。一緒に喜ぶ。一緒に怖がる。 だが基本的には、相手を自分のものにはしない。 相手が何を感じているのかを、知ろうとする。 一方、ヒトハはフタバを失うことに耐えられず、 「生かす」という決断を自分一人で下してしまった。 同じ「友達を大切にする」でも、決定的な違いがある。 相手のために何かをすることと、相手の人生を代わりに決めることは違う。 『人魚の島のひみつ』は、その境界線を、ものすごく残酷な形で見せている。 だから私は、ヒトハを悪人だとは思わない。 むしろ、気持ちは理解できる。 目の前で一番大切な友達が死にそうになっている。 助けられる方法を知ってしまった。 そこで冷静に倫理を考えられる人が、どれだけいるだろうか。 だからこそ怖い。 悪意ではなく、愛情が悲劇を生んでいるからだ。 そして最後には、二人は誰もいない島で一緒に暮らそうとする。 二人だけなら幸せになれる。そう見える。 だが、その島にはセイレーンが近づいてくる。 友情によって命を救ったはずなのに、 その友情が生み出した罪から、永遠に逃げられない。 私は、このラストを「友情の勝利」とは到底思えない。 むしろ問いかけられているのは、 「大切な人のためなら、どこまでしていいのか」。 そして、 「相手を失いたくないという気持ちは、本当にすべて愛情と呼べるのか」。 なのではないだろうか。 ヒトハとフタバは、間違いなく大切な友達同士である。 だからこそ、その友情は美しくて、同時にものすごく怖い。 『人魚の島のひみつ』は、「友情は素晴らしい」で終わる作品ではない。 友情ですら、一線を越えれば誰かを傷つける。 その危うさまで描いたからこそ、この物語はここまで後味が残るのだと思う。 あなたなら、大切な友達を救うために、ヒトハと同じ選択をしますか。 コメントで教えてください。

榊󠄀原清一 / 人財版 令和の虎 主宰

100,858 views • 1 month ago

ノーベル化学賞受賞者、デイヴィッド・マクミラン氏は、この時代は最高に面白いという。これからできるようになることは途方もないものであり、想像すらできない。人間がAIという新しい道具を使って「どんな世界に住みたいか」を考え、その未来を自ら発明していく。そのことに彼は強く興奮している。 デイヴィッド・マクミラン「実を言うと、「AIの欠点とは何か」を話すパネルに自分が入れられたことには、少し不満だったんです。 ここにいる科学者たちに聞けば、きっと皆同じことを言うと思います。科学やテクノロジーの素晴らしいところの一つは、私たち自身が未来の一部になれることです。未来を発明できるんです。 研究室では、月曜日には誰も知らなかったことが火曜日には明らかになり、金曜日には人々がそれを使い始めている。そんな出来事を最前列で目撃できるのは、信じられないほど素晴らしいことです。 そして今、クレイグが言ったように、若い人たちはAIというまったく新しい道具を手にして、未来を発明できるようになっています。それによって、このプロセスそのものが加速している。驚くべきことです。 そこから生まれる楽観を考えてみてください。これからできるようになることは、本当に途方もないものです。想像すらできません。 もし私が今、若い教授としてキャリアを始めるところだったら、AIを使って、私たちが暮らしたい世界を思い描き、そこへどう到達するのかを考えることに、ものすごく興奮していたでしょう。 ですから、私を「楽観主義者」と呼ぶだけでは控えめすぎると思います。これからAIがどんな突拍子もない、予想外の方法で使われていくのか。それを見ることこそが楽しみです。そこが、この時代の最高に面白いところだと思います」

Tsubame

74,837 views • 29 days ago

映画監督アルフレッド・ヒッチコックへのピーター・ボグダノヴィッチによるインタヴューから: ――『めまい』Vertigo (58)こそ幻影と現実の葛藤の物語ですね。 ヒッチコック:ああ、そうだね。この物語では基本的状況設定に強く惹かれるものがあった。そこにはセックスとの類似が数多くあったからだ。 ジェイムズ・ステュアート演じるジョン・ファーガソンが女を再創造しようとするのだが、映画的には、彼はまさに女の衣装を一枚ずつ――着せていくのではなく――脱がせていくのと同様になっている。彼には最初の女性が頭から離れない。 原作(ポワロー&ナルジャック「死者の中から」)では二人の女性が同一人物であることは最後になってやっと明かされる。私は一緒にシナリオを書いていたサム・テイラーに「ステュアートが二人目のブルネットの女に出会ったとき、秘密をすべて明かしてしまおう」といって、彼を驚かせた。「そりゃまた、どうして?」とサムが訊くので、次のように答えた。 もしそこで秘密を明かさなければ、その後ストーリーはどうなっていく? 男がブルネットの女と知り合い、はじめの女といくつかの類似点に気づく。さあ、観客はどう思うだろう。 「彼はブルネットの女と知り合いになり、彼女を最初の女のようにしようとしているな」 そこからどうするか。男は女を変えようとし、最後にじつは同じ女だったと気がつくのか。そこで彼は女を殺してしまうのか、どうするのか?ここは前にもいった"サプライズ"か"サスペンス"かの問題になっていく。(中略) もし観客に二人目の女の正体を明かさなければ、彼らはそれから先のことに何の予想も抱けないだろう。私はサムにいった。 「サスペンスにおいて致命的なのは観客を曖昧な状態においてしまうことだ。そうなると観客はどういう感情を抱けばいいのかわからなくなる。だから状況を明確にするんだ、とにかく明確に。『どちらの女がどうで、何がどうなっているんだ』と観客にいわせてはいけない。そこで、ここは思い切っていく。フラッシュバックを使ってすべてを明かしてしまう。その場で一気に! ブルネットの女は前の女と同じ人物なんだとね」と。 そうすれば、ステュアートがホテルに迎えに来たとき、「ああ、彼は何も知らない」と観客は思うだろうし、女が彼の要求に抵抗するのも合点がいく――自分の正体を知られたくないからだ、と。 グレイのスーツを着たくないのも、髪をブロンドに染めたくないのもそういう理由があるからだ。彼のいうなりの装いにすれば、自分の身がたちまち危うくなってしまうのだ。 そしてまた別の面白みもここには出てくる。死んだ女を甦らせたいという彼の猛烈な執着がそれで、彼は女を作り変えることにのめりこんでいく。 女がブロンドの髪になって美容室からもどってきても、髪はまだ上に束ねられてはいない。 「髪を上に束ねてくれ」と彼はいい、女は「いやよ」と拒む。 彼はもう一度「お願いだから」と懇願する。ここで彼は「まだブラとパンティは取ってないじゃないか。頼むから全部脱いでくれ」といっているのだ。 「わかったわ」と女は行ってバスルームに入る。彼は女が裸になって出てくるのを待っている。出てきたら一緒にベッドに入るんだ。それがこのシーンの正体なんだ。 彼女がバスルームから出てくると、彼はそこに亡霊を見る。つまり、前の女を見る。その効果を強めるために、女を緑の光のなかに置いた。 前半部分でステュアートはこの女を尾行するのだが、女は過去の女性になりきったフリをしてさまざまな場所を訪れる。そのとき、白昼でありながらどこか夢のような感覚をあたえるために、フォグフィルターを使って、白昼の光に霧がかかったような緑っぽい効果を出していた。 それと符合させるために、ホテルの部屋の中でも緑色のライトを使った。そこがポスト通りのエンパイア・ホテルだったのも、窓のすぐ外に緑色のネオンサインがあったからだ。緑色のネオンのまたたきが常時部屋のなかに差し込んでくる。つまり緑の照明はこちらの望みどおりに使うことができた。 加えて、女が近づくところでは、過去から甦ったイメージを強めるためにフォグフィルターをキャメラのレンズにかけた。彼の目の前に来たところでは、フィルターを外し、再び現実にもどったように見せた。女は過去からの甦りだと男は感じ、確信し、反面当惑する。しかし、しばらくあとにロケットを発見し、すべては仕組まれていたと気づくんだ。 ――ホテルの部屋でステュアートが女にキスをすると馬小屋でのことを思い出します。あのショットはどのようにして作り出されたのですか? ヒッチコック:馬小屋とホテルの部屋とどちらも備えた円形のセットを拵えた。360度のセットだ。そうしてキャメラを中央に置き、ぐるぐるとパンをさせて撮った。それを改めてリア・プロジェクションのスクリーンに投影した。スクリーンの前には転車台を置き、二人の俳優をその上に乗せた。そして転車台をまわしながらそのまま撮影をしたというわけだ。 そういうやり方を選んだのは、フラッシュバックを何度も繰り返したくなかったからでね。それでもあの場面では、ステュアートには馬小屋にもどったような感覚を抱かせたかったし、それを映像として表現したかったのでああいう手を使ったわけだ。 (中略) ―― 一般的な話として、あなたの俳優演出とはどのようなものでしょうか? ヒッチコック:私のほうから俳優にあれこれ指図はしない。ことばは交わすよ。これから撮るのがどういうシーンで、その役割がなんであり、そこで君たちがこれこれのことをするのは何故なのか、といったことをね。大事なのはこの場面というよりも全体のストーリーであって、君たちはそこと繋がっているのだとね。シーンそれ自体はストーリーと繋がっている。シーンのなかのささいな目の動きもストーリーのなかで意味を持っているのだと。 「めまい」の場合、キム・ノヴァクにわかってもらいたいことがあって、こう説明した。 「君はたくさんの表情を持っているけれど、ここではどれひとつ必要じゃないからね。観客に伝えたいのは君がいま何を考えているかということであり、それが顔に出ればいいんだ。 少し説明しようか。いろいろ余計な表情をするというのは、紙一面に何やらやたら書き殴るのと同じなんだ。人に読んで貰いたい文章があっても、それじゃ相手はいくら読みたくても読めやしない。紙にはワンセンテンスのみあって、あとは真っ白なのが読みやすいんだ。君に求めているのもそういう表情なんだよ」と。 -『大映画術 II』(ピーター・ボグダノヴィッチ著、宮本高晴訳、2026年国書刊行会) 第八章 アルフレッド・ヒッチコック P121-125 (改行はポスト主による)

nave

20,241 views • 5 months ago

🇫🇷【フランス女性の悲しみと「移民との戦い」の問い】 🌹🎙️ タイス・ディクスフォン: 「私は正真正銘のフランス人女性です。 ここ数日間、街を荒らし回っている暴徒たちとは違います。 昨夜、そうした光景の数々を目にして、私は涙を流しました。 美しい歴史的建造物が破壊されるのを見るのは、本当に辛いことです。 『たかが建物だろう』と言う人もいるかもしれませんが、私たちにとってそれには深い意味があるのです。 彼らには理解できないでしょう。 なぜなら、ここは私たちの国だからです。 私たちの先祖は、この国のために血を流しました。 彼らが、私たちの周囲にあるすべての美しいものを築き上げたのです。 『私たちがここに生まれ、彼らがそうではなかったのは単なる偶然だ』と彼らは言います。 そして、だからこそ、他国から来る人々を迎え入れ、私たちの幸福を分かち合うべきだと言うのです。 しかし、そこには偶然など何一つありません。 フランスの歴史は、彼らの先祖ではなく、私たちの先祖によって築かれたものだからです。 私たちはこれを勝ち取ったのです。 誰にも、そうではないなどと言わせません。 彼らが私たちと同じ『フランス人』になることは、決してないのです。 移民が経済に貢献するなどと言われていますが、それは『嘘』です。 私たちは今、共産主義的な地獄の中に生きています。 実際には、労働年齢の移民のうち、働いているのはわずか『12%』に過ぎません。 残りの人々は、私たちの福祉制度から恩恵を受けているだけです。 その一方で、フランスの生粋の国民である中間層や経営者たちは、 この狂ったシステムを支えるために、かつてないほどの重税を課されています。 彼らがより良い生活を求めていること自体は構いません。 しかし、私たちの「自滅的な共感」が、 自分たちの感情を彼らに投影させてしまっているのです。 ところが、彼らは私たちに対して何の共感も抱いていません。 私たちが彼らのために尽くしてきたにもかかわらず、 感謝の念すら持っていないのです。 彼らが、私たちが彼らに向けるような心の優しさや寛大さを、 私たちに示してくれることは決してないでしょう。 それどころか、警察に石を投げつけ、私たちの記念碑を焼き払うことで、 彼らは私たちに『感謝』を示しているのです。 これがその結果です。 よく見てください。 私たちが『文明』をもたらしたのに対し、彼らは『混沌』をもたらしました。 この混乱に終止符を打つには、 彼らには『力』で分からせるしかありません。 厳格な手段で彼らを制し、 それぞれの国へ送り返すべきです。 そうしてこそ、ヨーロッパは生き残れるのです。 フランスは二度の世界大戦を生き延びてきました。 世界中のどの国よりも多くの戦いを経験し、勝利してきたのがフランスです。 それなのに、私たちは『最後の戦い』に負けようとしているのでしょうか。」 🎯💯💯🇫🇷

Elise Vanessa

163,409 views • 2 days ago