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Ana Sayfaya Dön

【Pick UP!!】ちゃぴ 女合宿を無事に卒業して地元広島で妹の家を訪問 猫とハムスターを飼っているが衝撃的な名前のネーミングセンス 猫はウニなのだがハムスターはスジマンらしいがオス 姉もさることながら妹もかなりの曲者の匂いがする

10,966 görüntüleme • 2 ay önce •via X (Twitter)

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Benzer Videolar

たとえ「音楽を逆再生するとどうこう」という話に興味がなくても、これには明らかに何か不気味なものがある。 動画の翻訳 >ビリー・アイリッシュの曲を逆再生すると、それが悪魔のものだと証明される。 これを見ていると涙が出そうになった。 彼女がすべてを悪魔に捧げてしまったのを見るのが、本当に悲しいからだ。 この曲は普通に聴いても地獄や悪魔的なものだと分かる。 まして逆再生すると、悪魔がこの曲を通してあなたに語りかけていること、そして彼女自身もこの曲を通して語りかけていることが証明される。 あの部分はまるで、 「これが現実だ」 「私は悪魔に支配されている」 と言っているようだ。 こういうことが起きるんだ。 人は、 「有名になりたい」 「ビリー・アイリッシュみたいになりたい」 「彼女が持っているものを手に入れたい」 と思う。 でも、その裏にある暗く、醜く、邪悪な根を理解していない。 彼らは子どもを食べ、犠牲を捧げ、家族を殺し、こうした曲を作り、儀式を行わなければならない。 これは本当に起きていることだ。 私はカニエ・ウェストのプロデューサーを知っている人たちを知っている。 私が話していること、彼らがやっていること、舞台裏の狂気じみた出来事――そうしたことは本当に起きている。 目を開かなければならない。 この一曲だけでも証拠だ。 私は暗く悪魔的な曲を何百万曲でも見せることができる。 そして人々はそれを歌い、 「イェー!」 「イェー!」 と盛り上がる。 そのたびに、自分の人生へ悪魔的な領域を受け入れているのだ。 彼女の人生を見てみろ。 彼女からあふれ出る黒いものを見てみろ。 とても邪悪で、とても悲しい。 この少女はかつて本当に純粋だった。 しかし悪魔のために生きることを選び、自らを捧げてしまった。 そして今、その結果が見えている。 外から見ると幸せそうに見えることもあるだろう。 だが本当の姿は違う。 彼らの目から黒いものがあふれ出ている。 悪魔的で、悲しい。 本当に悲しいことだ。 イエスの道を選びなさい。

満月とWooと(仮)

16,723 görüntüleme • 3 ay önce

だからさ、知名度のある反ワクの人たちが「ウイルスは存在しない」ということを世間に広めないからこうなるんだよ。 ヒトパピローマウイルスだけでなく、全てのウイルスは存在してないの。 子宮頸がんワクチンが安全か危険かはどうでも良くて、ヒトパピローマウイルスは存在しないからワクチンを打つ必要はないよって教えないから打つの。 製薬会社はウイルスが有るという前提でワクチンを作って、 政府はウイルスが有るという前提でワクチンを推奨して、 一般国民はウイルスが有ると思っているからワクチンを打ってるの。 それなのに反ワクの人たちが「ウイルスは存在する」とか言ってたら一般の普通の人たちはウイルスに感染したくないからワクチンを打たなければって思うに決まってる。 mRNAワクチンだけを中止にするとか言ってる団体があるけど、あらゆる全てのワクチンを中止にしないと意味がないし、そのためにはウイルスは存在しないことを少しずつでも広めていかないと絶対に中止にならない。 仮にワクチンが安全だとしても、ウイルスが存在しないから打っても何の効果も無いし打つ必要がない。

石井一弘(フラットアースの全体像上下巻 著者)

24,050 görüntüleme • 1 yıl önce

実写版『薬屋のひとりごと』。 芦田愛菜さんが猫猫を演じることに、注目が集まっています。 でも私は、この実写化で一番難しいのは、猫猫ではないと思っています。 動画も作成しましたので、テキスト・動画お好みでご覧ください。 ズバリ、壬氏である。 これは、かなり難しいと思う。 なぜなら壬氏は、 「イケメン俳優を連れてくれば成立する人物」ではないからだ。 まず壬氏について、原作やアニメを観ている人なら分かると思う。 とにかく美しい。 ただのイケメンではない。 周囲の人間が思わず見惚れてしまうほどの、 人間離れした美貌を持つ人物として描かれている。 しかも、その美しさ自体が物語の中で意味を持っている。 ここが実写化最大の難関である。 漫画やアニメなら、作画によって「この世のものとは思えない美貌」を作れる。 キラキラした演出を加えることもできる。 周囲の人物が壬氏を見て頬を染めれば、 視聴者も「とんでもなく美しい人物なんだ」と自然に受け入れられる。 だが実写では、現実の人間が演じる。 どれだけ美しい俳優でも、視聴者にはそれぞれ好みがある。 つまり、作品側が「絶世の美男子です」と設定しても、 映像だけで全員を納得させるのは、ものすごく難しい。 一つ目の壁が、これだ。 そして二つ目。 壬氏は、美しいだけではない。 表向きは余裕があり、人当たりもよく、猫猫をからかうこともある。 だが物語が進むと、それだけではない顔が見えてくる。 立場ゆえの重さ。 猫猫への執着。 思い通りにならないことへの感情。 時には、子どものような一面まで見せる。 つまり、「完璧な美男子」を演じるだけでは壬氏にならない。 美しい。余裕がある。だが、猫猫の前では崩れる。 この落差が壬氏の魅力である。 ここを少しでも間違えると、ただのナルシストにも見える。 逆にコミカルに寄せすぎると、壬氏が背負っている重さが消えてしまう。 三つ目が、猫猫との関係である。 ここも、めちゃくちゃ難しい。 壬氏は猫猫へ強い興味を持っている。 ところが猫猫は、壬氏の美貌にほとんどなびかない。 むしろ面倒くさそうに扱うことすらある。 この温度差が、二人の面白さだ。 だから壬氏役の俳優には、 「視聴者から見れば圧倒的に魅力的なのに、猫猫には刺さらない」 という状態を成立させる必要がある。 これは、かなり特殊な演技である。 単純な恋愛ドラマなら、二人が美男美女で、徐々に惹かれ合えば成立する。 だが『薬屋のひとりごと』は違う。 壬氏がどれだけ美しくても、猫猫の興味は毒や薬へ向いている。 このズレを実写で面白く見せられるか。 私は、かなり重要だと思っている。 そして今回、面白い情報が一つある。 壬氏役は、まだ正式発表されていない。 だが、もう決まっている。 原作者の日向夏さんが撮影現場を見学した際、 壬氏役の俳優と実際に会ったことを明かしている。 あまりの完成度に、一緒に来ていた姪御さんの目が肥えてしまうと、 その目を覆ったほどだという。 日向夏さんは、その俳優を「リアル壬氏」とコメントしている。 これは、期待してしまう。 少なくとも原作者が実際に対面して、「壬氏らしい」と感じる人物が選ばれている。 さらに今回の実写版は、 衣装やヘアメイク、セットにもかなり力を入れていることが明らかになっている。 つまり、壬氏の美貌を俳優一人だけで成立させようとしているわけではない。 衣装。髪型。照明。美術。カメラ。VFX。 そうした映像全体で「壬氏」という存在を作るはずである。 私は、ここが成功の鍵だと思う。 実写版『薬屋のひとりごと』で本当に見たいのは、 「誰が壬氏を演じるのか」だけではない。 「現実の人間で、どうやって人間離れした壬氏を成立させるのか」。 ここである。 芦田愛菜さんの猫猫も、当然楽しみだ。 だが、実写化の難易度だけで言えば、私は壬氏の方が上だと思っている。 そして原作者からすでに「リアル壬氏」と言われている、未発表キャスト。 一体、誰なのか。 発表された瞬間、間違いなく大きな話題になる。 あなたは、壬氏役が誰だと予想しますか。 コメントで教えてください。

榊󠄀原清一 / 人財版 令和の虎 主宰

130,606 görüntüleme • 1 ay önce

この時期になると、 「敷地内で野良猫が子どもを産んで困っている」 「隣の空き家で猫が出産したらしく、鳴き声が続いている」 そんな相談や問い合わせで現地へ向かうことが増えます。 春から初夏。 猫にとっては繁殖のピークです。 暖かくなり、食べ物も増え、子育てがしやすくなる。 生き物として見れば、ごく自然な行動です。 ただ、人の生活圏の中では、その“自然”が、そのまま問題になることもある。 現地へ入って周囲を見て回ると、かなりの確率で“痕跡”があります。 空になったフード袋。 置かれた紙皿。 不自然に猫が集まる場所。 そして、猫たちが寝ぐらにしていそうなスペースには、吐瀉物や排泄物が残っている。 その中に、消化しきれていないキャットフードが混ざっているケースも少なくありません。 もちろん、餌を与えている人の多くに悪意はありません。 「かわいそうだから」 「お腹を空かせているから」 そういう気持ちなのだと思います。 ただ、現場で起きているのは、“その場で空腹を満たすこと”だけではありません。 栄養状態が安定すれば繁殖率は上がる。 集まる猫が増えれば、縄張り争いや感染症のリスクも増える。 そして結果として、また子猫が生まれ、別の誰かが「困っている」と相談する。 問題なのは、“餌を与えること”そのものではなく、 繁殖管理や健康管理を伴わないまま、猫だけが増えていく状態です。 実際には、相談者自身が「誰が餌を与えているのか」を把握しているケースも少なくありません。 話を聞いていくと、 近隣住民とのトラブルになっている。 再三注意しても改善されない。 行政や管理会社を挟んでも解決していない。 そんなふうに、“猫だけでは終わらない問題”へ発展していることも多い。 一方で、未去勢・未避妊のまま外へ出されている飼い猫が、野良猫との繁殖に関わっているケースもあります。 「うちの子は帰ってくるから大丈夫」 そう思っていても、外に出る以上、繁殖や地域トラブルと無関係ではいられません。 その結果、生まれた子猫が、数か月後には“誰の猫でもない存在”として扱われてしまう。 そして最後に、 「保護してほしい」 という話になる。 でも、保護すれば終わりではありません。 哺乳、離乳、治療、隔離、譲渡。 小さな命ほど、多くの時間と人手が必要になります。 現実には、保護施設も、ボランティアも、どこも余裕があるわけではありません。 だからといって、命を軽く扱っていいという話でもありません。 問題なのは、繁殖と管理が崩れた状態を放置してしまうことです。 猫は、人間社会のルールを理解して生きているわけではない。 だからこそ、本来管理すべきなのは、人側の問題でもあります。 外で生きる猫たちは、見えているよりずっと過酷です。 事故、感染症、暑さ、寒さ、縄張り争い。 子猫が無事に育つほうが珍しい世界でもある。 だから本当に必要なのは、 その場だけの優しさではなく、繁殖を繰り返させない管理なのだと思います。 毎年、同じ季節に、同じ相談が来る。 段ボール箱を抱えて現場へ向かう人がいて、 空き家の奥では、小さな命が鳴いている。 毎年恒例。 確かにそうです。 でも、慣れていい光景だとは、どうしても思えないのです。

SCIENCE FACTORY ltd.

68,203 görüntüleme • 4 ay önce

チームみらいが何者なのか、わからない人はラーメン屋さんを想像してみて。豚骨ラーメンとしょうゆラーメンの違いは、においも色も味もはっきりしてるよね。だから、誰でもだいたい当てられる。これはAIでいうと分かりやすい問題。パターンがあるから、まちがえにくい。 でも、「店主が今日どんな気分でトッピングを変えたか」を当てるのはむずかしい。 これはパターンがないから、当てずっぽうだとウソを言いやすい。 AIがそれっぽく答えると、これがハルシネーション(もっともらしいウソ)になる。 じゃあ、チームみらいって何がすごいの? チームみらいは、ラーメンの味の話よりも、お店の中の仕組みを直そうとしているのよ。 たとえばこんな感じ。 ✅注文がちゃんと厨房に届く ✅会計が早くなる ✅行列がスムーズに進む ✅誰がやっても同じように作れ ・ミスが起きにくい これが政治で言うと、 ✅役所の手続きがわかりやすい ✅ムダな作業を減らす ✅ルールを整理してミスを減らす ✅うまくいってるかチェックしやすくする ってこと。 参政党や日本保守党とかの人が分かりにくい理由は、ここだよ。 保守の人は、国を守る!って言葉を大事にする人が多い。 でもチームみらいは、大事なシステムを作ることで国を良くしようとしてる。 参政党支持の人に特に伝わりにくいのは、 「日本人の敵はだれだ!」 みたいなハッキリしたストーリーを求める人が多いからだよ。 チームみらいは「敵を倒す」より「システムを直す」タイプだから、移民やめろ!みたいな言葉はない。 例えば、この動画はハルネーションについてチームみらいの子が教えてくれてる。 犬と猫は、耳の形、顔の丸さ、毛の感じ、目の位置とか、見た目に特徴があるわけ💡 AIはたくさんの犬と猫の写真を見て、「この特徴が多いなら犬っぽい」「こっちは猫っぽい」って、頭の中に境界線を作る🥰 ざっくり言うと、ここから右は犬、左は猫みたいな線を引くイメージ。本当はもっと複雑だけど、考え方はこれ。 次にLLM(文章を作るAI)も似たことをする。 たとえば「おはようございます」と「おはようございますねごじゃ」って言葉。 後者は明らかに変だよね。 文字の並びが変だから、AIは「これはミスっぽい」と判断できる。 これもパターンがあるからね。正しい日本語はたくさん例があるし、間違い方にもよくある形があるから、線が引ける。 でも、問題は「○○さんの誕生日は何月何日?」みたいな質問なの。 誕生日ってさ、人によってバラバラで、文章の形が同じでも中身(1月2日とか3月4日とか)がランダムっぽいじゃん? つまり「この人の文章にはこういう特徴があるから、この誕生日だ!」みたいなパターンがほとんどない。 超有名人なら、ネットに何回も出てくるからAIも覚えやすい。でも有名じゃない人だと、誕生日の情報がそもそも少ない。だからAIは確かめようがない。 ここでAIは困る。 ✅パターンがない ✅情報も少ない → でもAIは「それっぽく答える」のが得意 だから、適当に「3月3日です」みたいに言ってしまうことがある。 これがハルシネーション(もっともらしいウソ)。 犬と猫やスペルミスは、特徴がはっきりしていてパターンがあるからAIは強い。 でも誕生日みたいに、パターンがなくて情報も少ないものは、AIは当てずっぽうになりやすい。 だから、それっぽいウソが出やすいんだよ😊 これあたしは面白いって思うし、もっとこの人の話聞きたいって思うよ。 参政党が「ラーメンは魂だ!」って言うなら、チームみらいは「注文が間違えないシステム作ったよ。これなら慣れてない人でも、注文間違えないよ」って言う感じ。システムの導入で、どんどん無駄を省いてより儲けたい人は、魂よりシステムを選ぶ。 これ、めちゃくちゃ大事。システムが強いと国がこわれにくくなるから。

クレア

298,948 görüntüleme • 8 ay önce

マジで広がって欲しいこと 男は 「一緒にいるだけで楽しい」が愛情。 女は 「一緒に濃い時間を過ごしてる」が愛情。 ここ、根本から違う。 生田斗真くんタイプの男性は、 ・会話が少なくても平気 ・特別なことしなくても満足 ・ただ隣にいるだけで幸せ これが男の感覚。 でも、田中みな実ちゃん・弘中ちゃんタイプの女性は ・もっと話したい ・もっと気持ちを感じたい ・もっと“二人の時間”にしたい これが女の感覚。 だからズレる。 女「なんでちゃんと向き合ってくれないの?」 男「こんなに一緒にいるのに何が不満なの?」 どっちも間違ってない。 愛情の感じ方が違うだけ。 ここで差が出るのが仲里依紗ちゃんタイプ。 男のこの性質を理解してるから ・無理に盛り上げない ・愛情確認しない ・相手のテンションに振り回されない 「だから?」って余裕。 すると男は 「この子といると落ち着く」 「一番楽」 「離れたくない」 になる。 男に左右される女は 男の愛情を“女の基準”で測る。 男に左右されない女は 男の愛情を“男の基準”で理解してる。 この違い。 男性心理を理解した女は、男で病まない。 「愛されてないかも」じゃなくて 「これがこの人の愛し方」って分かってるから。 だから追わない。 だから重くならない。 だから沼らせる。 これ、マジで広がって欲しい💄

女神ちゃん

995,354 görüntüleme • 8 ay önce

スペランカーはどんなに高いところから落ちても死なない。 嘘だ! エアプだ! いいえ、本当です。 アーケード版はそうなのです! スペランカーは虚弱の代名詞となっているが、それはあくまでファミコン版の話。 日本ではファミコン版が最も有名だが、最も特殊なスペランカーでもある。(続く) ファミコン版の見た目は原作のAtari版を忠実に再現している。しかし、極端なまでに精密な操作を求められるという点において、洞窟探検ゲームというよりはタイトーの「クレイジーバルーン」に近い方向性なのではないかと私は思っている。 一方、このアイレム製のアーケード版はアスレチック的な展開や隠し要素など、アクションゲームとしての面白さを追求した方向性になっている。 高いところから落ちても死なないという点でファミコン版よりずっとプレイしやすいが、敵やトラップに触れれば一発でミス。エネルギーの減りも速いから決して簡単とは言えない。 なおネットでアーケード版のことを調べると「体力制を採用しておりすぐには死なない」という文言を時々見かけるが、アーケード版に体力制が導入されたのは続編の「スペランカーⅡ 23の鍵」からである。 アクションゲームとしての面白さを追求したアーケード版スペランカーは、「洞窟探検」というコンセプトをストレートに楽しめる逸品なのだが、知名度が低いのが残念なところだ。 スペランカーはファミコン版の印象が強烈で、それゆえ一部でカルト的な人気がある。そのためか、他機種版のスペランカーを「こんなのスペランカーじゃない!」と評する意見も見かけるのだが、スペランカーには色々なバージョンがあって、このアーケード版も間違いなくスペランカーなんだよと伝えたくて、このポストを書いている。 だから、もし以前PS3で出ていたスペランカーコレクションみたいなものが出るとしたら、「みんなでスペランカー」をもじって「これみんなスペランカー」というタイトルで出したらどうだろうかと、ちょっと思っている(笑) #レトロゲーム ※なおアーケード版スペランカーはAntstreamでストリーミングプレイが可能です。

moai1234

303,275 görüntüleme • 10 ay önce

30年以上前、中学生によるホームレス襲撃事件が北九州でもありました。夜になると地域の中学生たちが、レンガなどを路上生活をしている人たちに投げつけていました。 怖くて眠れない日々が続く中、相談された私たちは、被害者であるホームレスの方と一緒に付近の中学校を訪ねました。 その際、当事者のおやじさんが語った一言が今も印象に残っています。 「襲撃は耐えられない。一日も早く襲撃を止めてほしい 」「しかし、夜中の1時、2時になって町を自転車でウロウロしている中学生は家があっても帰るところが無い子どもたちではないだろうか。親はいても誰からも心配されていない子どもたちではないか。帰るところの無い奴らの気持ち、誰からも心配されない奴らの気持ちは自分(ホームレスである自分)にはわかるがなあ......」。 このことは私たちに活動に根幹に関わる大事なことを教えてくれました。 単純に家が必要という人もいれば、ハウスがあってもホームと感じられる場所がないという人もいる。 家庭崩壊、学級崩壊、地域社会の崩壊など関係がことごとく崩壊する時代にあって、中学生のホームレスがおり、サラリーマンのホームレスがおり、「主婦」のホームレスがおり、ホームレスの老人が存在しているのではないか。 家には住んでいる(ハウスレスではない)が、ホームレス(関係を喪失している者)である人は、この社会には多く存在しているのではないか。 ホームレス支援の現場から逆にこの社会そのものが問われているように思います。 私たちの社会は、ホームレス化しています。ホームレス支援は、路上の問題から端を発し、私たちの社会そのものを問う問題なのだと思います。 だからこそ、「希望のまち」が必要だと思っています。 みんなの「ホーム」になれる場所。 あの中学生だった子も、ホームと感じられるまち。 そんな場所を本気で目指しています。 クラウドファンディング残り16日 本気です!よろしくお願いします。 抱樸 活動35年"ひとりにしない"支援の集大成「希望のまち」 #クラウドファンディング #READYFOR

NPO法人 抱樸(ほうぼく)

611,910 görüntüleme • 2 yıl önce

大森さんがインスタライブで、ミセスが冷笑されること、ハスられること、斜に構えて捉えられることについて語った。「僕が音楽好きだったとして、ミセスという存在を傍から見た時に、僕もやっぱりハスるなというか、斜に構えて見るよなと思ってて。なかなかそのグループのコアな部分というか大切なものって見えないものだから。自分だったらなぁと思う、僕そっち側の人だからどっちかというと。でもだからこそ、突っ切って、ぶっぱなしたさがあるよね」と……。 少し前に、米津さんがインタビューで「(冷笑は)自分を守るために機能していることもある」と発言していたことを思い出す。そのような態度で居ることでしか自分を保てないほど苦しい境遇に置かれてる人たちなのだということが、彼には見えている。その慧眼に驚かされるとともに、どん詰まりに居る人を馬鹿にできないし置いていけないと考えるのが米津さんなのだなと思った。傷を保護する自衛としての手段、あるいは最後の砦としてのユーモアを否定しない。顔すら見えない遠くの誰かの人生にそっと想像力を伸ばせる彼が(彼は否定するかもしれないけれど)実に福祉的で、私は大好きだ。今の時代になくてはならない感覚のアーティストだと思う。 一方で、物事を誰よりも穿って見てしまう、斜に構えてしまうデフォルトの自分のネガ思考を把握した上で、いや待てよ、僕たちはいずれ灰になって空を舞うんだからその時間が勿体ない。哀しいかな、人生には意味なんてない。だからいっそのこと圧倒的に「ぶっぱなす」、ぶっちぎってみせる、そうでもしないと人生やってられんだろ!という方向にギアを切る大森さんのこともまた大好きだ。そこにはミセスの曲に共通する「ニヒリズム」から「積極的ニヒリズム」への転換がある。体育座りをして指先で傷つけあっていても仕方ない。だから彼は粛々と自分の信じる音楽を作り、ぶっちぎった先(キラキラした花道のど真ん中)で、孤独を歌おうとしている。圧倒的な熱量で、こぼれ落ちてしまった人を温めようとしている。私もド鬱のド陰キャなので、彼らのヒーロー性が眩しくて聴けないという意見にも分かるところがあるが、彼のそもそもの出発点が「拭えない孤独」であることを理解して聴くと、ミセスの楽曲は途端に深みを増すし、生きることへの起爆剤になると思っている。エンターテインメントにおいて、大衆化することとマイノリティの痛みに寄り添うことはトレードオフになりがちだ。ただ眩しいだけの光は、暗闇にいる人を時に拒絶しさらに深く傷つけてしまうこともある。そこを諦めず、「間口を広げながら、深みもつけていく」という誰も挑んだことのない矛盾する難題をやってのけようとしているのが大森さんでありミセスだと思う。正気の沙汰ではないし、ポップスを鳴らす覚悟が半端ない。もはや狂気だ。 どちらも根は同じド陰キャなのだが、発露の仕方が異なるのがおもしろい。 ここに風くんが居たらなんと言うかな、と想像しながらフフフとなる。「冷笑?なんでそんな疲れることしとるん?何なんw にんげんのみなさま、貴方こそが神で、貴方こそが愛。それを忘れないで」とあの優しげなトーンで言うかもしれないし言わないかもしれない。​「ハスる」「冷笑する」という自意識のこんがらがったゲームそのものを、彼なら「それ、幻じゃが。お疲れさまぁ」とお茶を差し出すように軽やかに無効化してしまいそうだ。やはり大好きだ。 ​米津さんが「暗闇に一緒に腰を下ろしてくれる人」ならば、大森さんは「自らの闇を焦がす光で世の中を照らす人」であり、風くんは「そもそも私ら、最初から光の中に放り込まれとるが?」という人なのではないか……冷笑をきっかけにそんなことを思ったりした。彼らの音楽がそれぞれのアプローチで、生きづらさを抱える私に気づきをくれ、肯定してくれることに感謝している。同じ時代に異なる三つの光。日本の音楽シーンは今日も豊かで楽しいね。

ナギ

935,233 görüntüleme • 2 ay önce