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【 #RiseoftheRonin 西洋列強】 変化の風🌬️ 幕末期の西洋列強とはアメリカとヨーロッパ諸国のことである。貿易のために日本を開国させ、長らく続いた鎖国政策を終わらせて政治と経済に影響を及ぼそうとしている。 #ライズオブローニン

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【政治評論 神谷宗幣 「お前が日本をなめるな」】 参政党の神谷宗幣党首の外交政策に関する発言が、無責任かつ現実を無視した内容だとして厳しい批判を浴びている。 「台湾有事に巻き込まれるのが一番国益にかなわない」「アジア版NATOに中国を入れるのは良い手」といった提案や、「石破総理の中国との外交の距離感は上手い」という評価が議論を呼んでいる。これらの発言は、国際的な現実を踏まえた具体的な政策提言を欠き、日本の国益を著しく損なう危険性をはらんでいる。 神谷氏が「台湾有事に巻き込まれるのが一番国益にかなわない」と述べた発言は、日本の安全保障に関する深刻な誤解を含んでいる。台湾海峡の平和と安定は、日本の安全保障や経済に直結する重要な課題であり、これを無視することは地域の安定を崩す要因となる。むしろ、日本がそのリスクを正面から捉え、地域の安定に貢献する姿勢を示すことこそが、国際社会における信頼を高める道ではないのか? 「アジア版NATOに中国を入れる」という提案は、本質を理解していない中国の現行の外交政策や地域での影響力を考慮しない非現実的な発想だ。中国は、南シナ海での強硬な軍事行動や台湾への圧力を強化しており、民主主義諸国との協調にはほど遠い立場にある。このような国家を防衛協力の枠組みに含めるという提案は、国際的な力学を理解していない浅はかな意見に過ぎない。 神谷氏は石破総理の外交手腕を評価しているが、その根拠が極めて曖昧である。「上手い」という表現は主観的であり、評価に値する具体的な事例や成果を示さなければ、単なる感覚的な意見に留まる。政策を評価する際には、データや具体的な結果に基づいた議論が必要であり、漠然とした称賛では国民の信頼を得ることはできない。 「嫌中、嫌韓の感情論に振り回されてはいけない」という神谷氏の主張自体は重要だが、それを語るのであれば、自身の発言が感情論ではなく、現実に基づいた具体性を持つべきだ。感情論を排するだけでは不十分であり、代わりに説得力のあるビジョンを提示する責任がある。しかし、神谷氏の発言からはそのような具体性が見受けられない。 神谷氏の一連の発言は、政治家としての責任感を欠き、日本の外交政策を混乱させかねない危険性を含んでいる。国益を守るためには、感情論を超えた冷静かつ現実的な議論が不可欠であり、それを実現するためには具体性と実行力を伴う提言が求められる。無責任な発言を繰り返す政治家に対して、国民が疑念を抱くのは当然のことである。 神谷宗幣氏の発言は、現実を無視した軽率な提案に終始している。政治家は、自身の発言が国民や国際社会に与える影響を十分に自覚しなければならない。日本の外交政策が直面する課題に対し、無責任な発言を排し、冷静かつ具体的なビジョンを示すことが求められる。神谷氏には、自身の影響力を真摯に受け止め、より現実的で責任ある政策議論を行う姿勢を期待したい。 これだけ言わせて欲しい。 「お前が日本をなめるな」発言を改めろ。 @jinkamiya #参政党 #日本を舐めるな

芸能ライター山本武彦

28,283 views • 1 year ago

面白いのは、彼らが反応しているのが、厳密には日本そのものではなく、「アメリカ文化を丁寧に扱う日本」に対してだということです。KFCは本来アメリカ発の大衆チェーンなのに、日本ではそれが妙に清潔で、妙に安定していて、妙にちゃんとおいしそうに見える。するとアメリカ側は、自国の記号を海外で見ているはずなのに、なぜかそこに理想のアメリカを見つけてしまう。だから「家の近くのアメリカ」「アメリカがそこにはある」という冗談が、ただのネタを越えて少し切実になる。 これはかなり現代的な現象だと思う。 人はもう、自国の理念を自国の中でだけ確認するとは限らない。むしろ外部に、より整った形で保存されている自国性を見て、安心したり、感動したりする。 アメリカ人が日本のKFCや、日本に点在するアメリカっぽさに熱狂するのは、異文化に驚いているというより、自国で失われた手触りを、他国で回収しているからだ。 しかもそこにあるのは、高尚な政治理念ではない。自由、友情、親しみ、ジャンクフード、チェーン店、冗談、雑な愛情表現。つまり国家の公式文書には載らないが、たしかに国民感情を支えていた生活のアメリカだ。 彼らは日本に対して敬意を示しているようでいて、同時に自分たちがかつて信じていたアメリカの陽気さや無邪気さを、日本の風景の中に見つけて興奮している。 だからコメント欄の「God bless the Japanese people」や「I have no notes on Japan」や「Protect them at any cost」は、誇張されたネットミームのように見えて、実はかなり本音に近い。 政治の文脈ではなく、文化の受容のされ方において、「こちらのものを、こんなふうに好いてくれるのか」という感動がある。 人は自分を批評されるより、自分の好きだったものを愛してもらえた時のほうが、ずっと深く心を開く。 一方で、コメントの中には「アメリカのKFCはもうそんなに良くない」「日本のほうがうまそう」という自虐も混じっている。 ここも重要だ。 いま起きているのは単なる日米友好ではなく、アメリカ側の自己認識の揺れでもある。 自国のチェーンより海外店舗のほうが美しく見える。自国の雑さや劣化を、日本の几帳面さが“補完”してしまう。 すると日本は、アメリカ文化の消費者ではなく、ある種の保存修復者のように見えてくる。 この構図は、じつはかなり日本的でもある。 日本は昔から、外来文化をそのままコピーするのではなく、一度受け止めて、再配置して、磨き上げて、別の完成度にして返すことがある。 洋食も、ジーンズも、ジャズも、喫茶店文化もそうだった。今回のKFCも同じで、日本はアメリカを崇拝しているわけではない。 ただ、自分たちなりの秩序と美意識の中に置き直している。その結果、アメリカ人が見ても「あれ、こっちの本家より愛されてないか?」となる。 ここでさらに興味深いのは、この現象が政治を通らずに起きていることだ。 国家間では意見が割れる。歴史認識でも、安全保障でも、経済でも、人はすぐ身構える。 けれどKFCのチキンひとつで、「日本人最高」「移住したい」「このミーム好き」「友達になってる」と感情が溶ける。 もちろん全部が本気ではない。 でも、こういう軽い冗談の往復の中でしか育たない親しさもある。 SNSはしばしば憎悪を増幅するが、ときどきこうして好意の連鎖も爆発的に広げる。 そしてたぶん、この流れがここまで愛された理由は、日本がアメリカを論じたのではなく、食べたからだ。思想ではなく味覚で返し、批評ではなく生活で受け止めた。 だから相手も防御せずに笑える。 文化交流がうまくいくときは、たいてい正論の交換ではなく、こういう少し抜けた入口から始まる。家の近くのKFCを近所のアメリカと呼んでしまう、その雑でかわいい比喩の中に、外交官の文章よりもよほど健全な感情がある。 私が言いたいのは、これは単なるミームではないということだ。 アメリカ人は日本のKFCを見て笑っているのではない。 そこに、自分たちの文化がまだ誰かに愛され、しかも本国より丁寧に扱われている光景を見て、少し救われている。 国はときどき、自分の美点を自分の中では見失う。 でも他国の食卓の上に、それがちゃんと残っていることがある。 だからこれはチキンの話でありながら、どこかで「文化はまだ仲直りできる」という話でもある。

クレア

2,676,167 views • 3 months ago