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/ ✦・#WORLDSCOUT_THEFINALPIECE・✦ 第11話 このあと20:00から✨ \ 💎アベマで無料放送🌎 最終審査へ進めるのは、わずか2人。 残る者と去る者が決まる――。 コメント連携 or #アベマでワースカ で 感想をシェアしてくださいね💜 デビュー後の歩みはここから👇 saint_satine ss

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【 ならず者とラーヤを会わせると…? 】 主人公が「招き手のラーヤ」に話しかけると、ラーヤより「ならず者から首飾りを取り返してくれないか」と依頼される しかし、主人公には「王になる」という使命がある そんなことをしている時間はないし、トラブルに巻き込まれたくないので、当事者で解決して欲しい ということで、「エビ茹でのボロ家」で休んでいる「ならず者」を祈祷「拒絶」で運搬し、直接ラーヤに会わせることにした しかし、実際に会わせて見ると… 「お互いに無視している」 お互いがお互いの存在がまるで見えないかのように、振舞っている よく分からないが、お互いに気まずいのだろうか しかし、このままでは埒が明かない 仕方なく、ならず者から「ラーヤの首飾り」を1,000ルーンで購入し、ラーヤに渡すことにした 二人は隣にいるので、一瞬で終わる作業だ しかし、ここで気づいてしまった 「この二人、グルなのではないか」 手口はこうだ ① あらかじめ、ならず者が首飾りを持っておく ② ラーヤが「カモ」を見つけて「ならず者から首飾りを取り戻して欲しい」と依頼する ③ ならず者は「カモ」に首飾りを1,000ルーンで売却する ④ 「カモ」は、ラーヤに首飾りを「無料」で返す ⑤ ならず者とラーヤは、得られた1,000ルーンを山分けする ⑥ 再度、首飾りをならず者に戻した後、新たな「カモ」が来るのを待つ… 鈍感であるなら気づかないだろうが、結果的に「カモ」は二人から1,000ルーン騙しとられている格好だ これは、近年問題となっている、いわゆる「ロマンス詐欺」の一種である 善意と好意につけ込んだ、最低の行為だ お互いの存在を無視し合っていたのは、気まずいからではなく、二人が共犯関係だとバレないようにするためだったのだ 憤りの気持ちが湧き上がって来る しかし、驚くべきことに、その気持ちはすぐに引いていった 気づいてしまったのだ この二人は「弱者」であることに。 彼らのような弱者が、この荒み切った狭間の地で生きていくためには、このような卑劣な犯罪に手を染めないとやっていけないのだろう 彼らも決して好きで「ロマンス詐欺」を行っているわけではないのだ そんな彼らを責めることなどできるだろうか(いや、できない) 「罪を憎んで、人を憎まず」 「私が新たな王になって、この狭間の地の政治を変えて見せる」 そう心に誓ったものの、やっぱり腹が立つので、ならず者だけはボコボコにして旅立つのであった 【 エルデンリング茶番劇 完 】 ※ 「ならず者」と「招き手のラーヤ」を隣まで運んでも特別なイベントは起きないという小ネタです #エルデンリング #ELDENRING

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『映画ちいかわ 人魚の島のひみつ』は、 友情の美しさを描いた作品ではありません。 友情の怖さを描いた作品です。 この動画には、大きなネタバレを含みます。 動画も作成しましたので、テキスト・動画お好みでご覧ください。 二人の関係を見て、「友達のためにここまでできるなんて」と感じた人もいると思う。 実際、ヒトハとフタバの絆は、この作品の重要なテーマとして描かれている。 だが私は、あの関係を単純に美しい友情と呼ぶことに、抵抗がある。 なぜならヒトハは、フタバを救うために、フタバ自身の意思を越えてしまったからだ。 物語の発端は、海での事故である。 ヒトハとフタバが乗っていた船が、海で遊んでいたセイレーンたちの影響で転覆し、 フタバが瀕死の状態になる。 そこでヒトハは、「人魚の肉を食べれば永遠の命を得られる」という情報を頼りに、 人魚を殺し、その肉をフタバに食べさせる。 結果として、フタバは助かった。 ここだけ見れば、「親友を救った」という話である。 だが、その後のフタバの反応が重要だ。 フタバは、ヒトハのしたことを素直に喜んでいない。 なぜなら、自分を救うために別の命が犠牲になったからである。 つまりヒトハは、フタバを救った。 だが同時に、「人魚を殺してまで生きたいのか」という選択を、 フタバ自身にさせなかった。 ここに、この友情の危うさがある。 大切だから救いたい。これは間違いなく愛情である。 だが、大切だからこそ相手の意思を無視してもいいのか。これは別の問題だ。 現実でもそうである。 「あなたのためを思って」 「絶対にこっちの方が幸せだから」 「私があなたを守るから」 善意から出た言葉でも、相手の意思を無視した瞬間、それは支配へ変わることがある。 ヒトハの行動も、まさにその境界線に立っている。 さらに強烈なのが、その後だ。 永遠の命を得てしまったフタバに対し、ヒトハ自身も人魚の肉を食べる。 二人で永遠に生きることを選ぶ。 ここだけ見れば、とても美しい。 「一人にはしない」「ずっと一緒にいる」。 友情の極致にも見える。 だが逆から考えると、ものすごく怖い。 永遠である。10年でも、100年でもない。終わりがない。 しかも、その永遠は人魚の命を犠牲にして手に入れたものだ。 だから二人が一緒にいる限り、自分たちが犯した罪から完全に逃れることもできない。 永遠の友情が、そのまま永遠の罪にもなっている。 そして私は、ここでハチワレとちいかわの友情との対比が効いてくると思っている。 ちいかわとハチワレも、お互いをものすごく大切にしている。 危険になれば助ける。一緒に喜ぶ。一緒に怖がる。 だが基本的には、相手を自分のものにはしない。 相手が何を感じているのかを、知ろうとする。 一方、ヒトハはフタバを失うことに耐えられず、 「生かす」という決断を自分一人で下してしまった。 同じ「友達を大切にする」でも、決定的な違いがある。 相手のために何かをすることと、相手の人生を代わりに決めることは違う。 『人魚の島のひみつ』は、その境界線を、ものすごく残酷な形で見せている。 だから私は、ヒトハを悪人だとは思わない。 むしろ、気持ちは理解できる。 目の前で一番大切な友達が死にそうになっている。 助けられる方法を知ってしまった。 そこで冷静に倫理を考えられる人が、どれだけいるだろうか。 だからこそ怖い。 悪意ではなく、愛情が悲劇を生んでいるからだ。 そして最後には、二人は誰もいない島で一緒に暮らそうとする。 二人だけなら幸せになれる。そう見える。 だが、その島にはセイレーンが近づいてくる。 友情によって命を救ったはずなのに、 その友情が生み出した罪から、永遠に逃げられない。 私は、このラストを「友情の勝利」とは到底思えない。 むしろ問いかけられているのは、 「大切な人のためなら、どこまでしていいのか」。 そして、 「相手を失いたくないという気持ちは、本当にすべて愛情と呼べるのか」。 なのではないだろうか。 ヒトハとフタバは、間違いなく大切な友達同士である。 だからこそ、その友情は美しくて、同時にものすごく怖い。 『人魚の島のひみつ』は、「友情は素晴らしい」で終わる作品ではない。 友情ですら、一線を越えれば誰かを傷つける。 その危うさまで描いたからこそ、この物語はここまで後味が残るのだと思う。 あなたなら、大切な友達を救うために、ヒトハと同じ選択をしますか。 コメントで教えてください。

榊󠄀原清一 / 人財版 令和の虎 主宰

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