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いせかる3期に出てきたパスタの話 ヴィーシャの珍しい顔が見れる場面でもある

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クラウドはラストに歯を見せて笑う。見慣れない人は驚いたかもしれない、誰?と思ったかもしれない。しかし、それは旅の途中でエアリスが見てきた笑顔。クラウドが本来見せる優しい表情である。 ①エアリスとの好感度会話にはクラウドからエアリスに自分を見せていくという演出が入っている。この演出が非常にうまい。 コスモキャニオンでの会話は「エアリスを励ますために」と明確にクラウドの行動目的が提示されている。 選択肢の「笑いかける」から、彼女を想うときに彼は笑顔を作りたいと思っていることがわかる。 ただし、本当の自分を隠している彼にとって笑顔を意識的に作るのは難しく、挑戦し努力するも表情が固くなりうまくいかない。 だが自然に行動できれば無意識に口角が上がることもわかる。エアリスはこういったクラウドの本当の優しさが見え隠れしているのを旅の中で感じてきた。 エアリスの好感度会話はプレイヤー強制のものが多く、メインシナリオに織り込み済み。プレイヤーはエアリスを通して彼を知る大きなチャンスが与えられている。 ②クラウドがエアリスに視線を向けるとき、彼の表情は柔らかくなる。それは写真を撮るときにわかるように演出されている。 意識的にカメラ目線をしているときよりも、彼女に意識を向けているときの方が自然な微笑みになっている。 「カメラ目線」なかなか面白い。周りを気にしてかっこつけてるクラウド、画面の向こうの我々に向かってかっこつけてるクラウド、という意味も含まれているのかもしれない。 ③また、クラウドが微笑んでいるであろうシーンで意図的にクラウドの表情がプレイヤーからは見えないようにしている場面がある。 これがラストのクライマックスで完全に解放される。エアリス視点になり直接彼の顔が映りこむ。「クラウドはエアリスにこんな顔をしていたんだな」と確認できるようになる演出だ。エアリスは見慣れているので驚かないよね。 エアリスがそこにいることで、クラウドは微笑む。心にくる、グッとくる作り。かなり、素敵だね。#FF7R #FF7リバース

もぐり

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いつも君がくれた笑顔で 少し強くなれた もう一度笑って見せて ねぇ長いまつ毛 背中まである髪が綺麗だよ ねぇ 笑うとできる エクボと八重歯やけに愛しいよ ねぇ優しい瞳の奥に ある心に触れたいよ ねぇあの日流した 涙の理由を今も知りたいよ 君の声を少し聞かせて… 君が見てる景色を見せて いつも君がくれた笑顔で 少し強くなれた 「愛してるよ」って言う度 喜ぶ顔が大好きだった 僕達がいつかまた生まれ変わって 出逢う奇跡よりも 君との今が大切なんだ もう一度笑って見せて ねぇ太陽の香りがするから 少し窓を開けるね ねぇ 何もしてあげられないけど この手は離さないよ 聞こえるかい? 僕はここにいる… 感じるかい? すぐそばにいるよ いつも君がくれた笑顔で 少し強くなれた 今度は僕が君の笑顔 咲かせてあげたい 僕達が一番好きだった言葉で 「愛してるよ」って言う度 涙見せちゃいけないよね 遠回りしてもいいから 君がくれた笑顔で少し強くなれた 何度だって手をとって 「愛してる 愛してる 愛してるよ」って もう一度笑って見せて ねぇ長いまつ毛 背中まである髪が綺麗だよ ねぇやわらかな風をまとう 君が少し笑ってみえたよ 君の声を少し聞かせて… 君の声を少し聞かせて #TeamABC #AcidBlackCherry #yasu

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FF5のガラフ対エクスデスを見ると、正直、今見ると胸が痛い。なぜなら、あの場面には、今の私たちが失いかけているものが、あまりにも綺麗に残っているからだ。映像の豪華さではない。声優の熱演でもない。あの場面の本質は、ゲームシステムと物語が、同じ一点で爆発していることにある。普通、RPGにおいてHPが0になればキャラクターは倒れる。 それはプレイヤーが何十時間もかけて身体に覚え込ませたルールである。 回復しなければ死ぬ。 戦闘不能になれば動けない。 その当たり前を、ガラフは破る。 HPが尽きても立つ。 攻撃されても倒れない。 メテオを撃たれても、フレアに焼かれても、氷に貫かれても、自分が信じていたゲームのルールが、ガラフの意志によって押し返されるのを見ている。 だから感動する。 ここを、今の私たちはよく間違える。感動的な場面を作ろうとすると、つい演出を盛る。声を震わせる。カメラを寄せる。音楽を大きくする。もちろん、それは現代の技術として正しい。プレイヤーに伝えるための手段として必要なこともある。 ガラフの最期は、その逆である。物語が戦闘の中にある。戦闘が物語の証明になっている。HP0というシステム上の死が、キャラクターの意志によって意味を変える。だから、あの小さなドット絵の老人は、現代の美麗なムービーよりも美しい。 ドット絵の制約。 容量の制約。 短い台詞。 プレイヤーの想像力に委ねる余白。 それらが奇跡的に噛み合っていた。 しかし、それだけではない。 あの場面は、ゲームという媒体の本質を理解していた。ゲームは、ただ物語を見せるものではない。プレイヤーがルールを理解し、そのルールの中で行動し、そのルールに慣れたところで、物語がそのルールを揺さぶる。その時、ゲームにしかできない感動が生まれる。 ここを忘れると、映画の劣化版になる。 綺麗な映像。豪華な音楽。重厚な台詞。しかし、プレイヤーはただ見ているだけでは意味がない。 ガラフの場面は、ゲームでしか成立しない。小説なら「死んでもなお立ち上がった」と書ける。だが、HP0なのに倒れない、という感動はゲームにしかない。 プレイヤーがゲームのルールを知っているからこそ成立する。これは、私たちが本来もっと大切にしなければならない財産である。 今のスクエニが、これの再現に必要なのは、現代のゲームにおける「HP0でも立つ」に相当するものを見つけることだ。 たとえば、プレイヤーがずっと信じてきた成長システム。長く使ってきたコマンド、当たり前に開いていたメニュー、守ってきた仲間のAI、セーブやロード、ジョブ、装備、マップ、召喚、パーティ編成。 そういうゲームとしての常識を、物語のある一点で変質させ、キャラクターの覚悟によって、システムの意味が変わる。プレイヤーの操作が、ただの操作ではなく、物語の選択になる。 そこまで設計できれば、今でも名場面は生まれる。 しかし、それは会議で説明しにくい。 「ここでUIの挙動を変えます」 「ここで戦闘不能のルールを一度だけ破ります」 「ここでプレイヤーの常識を裏切ります」 こういう企画は、リスクがある。現代の大規模開発では避けられやすい。けれど、そこを避け続けると、名場面は生まれない。 プレイヤーが信じてきたルールの中で、キャラクターの覚悟を体験させなければならない。 ガラフは「私は命をかけて守る」と長々語ったから感動したのではない。 本当に、命を超えて立ったから感動した。 しかもそれを、戦闘というプレイヤーが最も理解している場所で見せた。 今のスクエニがもう一度こういう場面を作るには、過去作の名場面を綺麗に再現するだけでは駄目だ。 FF5をリメイクして、ガラフのシーンを豪華なムービーにすることはできる。 だが、それだけでは足りない。 本当にやるべきは、現代のプレイヤーが慣れ切ったゲームの文法を、一度だけ感情のために壊すことだ。 システム担当とシナリオ担当が、同じ心臓で設計すること。 バトルと物語を分けないこと。 UIと感情を分けないこと。 演出と操作を分けないこと。 プレイヤーが手を動かした記憶の中に、キャラクターの死や覚悟を刻むこと。 それができた時、初めて「今のスクエニにも名場面は作れる」と言える。 ガラフの最期は、古い名場面ではない。 未来への宿題である。私たちは、あの小さなドット絵の老人に、いまだに問い詰められている。 お前たちは、映像を綺麗にすることばかり考えていないか。物語をムービーに逃がしていないか。ゲームのルールそのものを感動に変える勇気を、まだ持っているか。 エクスデスは叫んだ。 「なぜ死なん」 だが本当に問われているのは、今の私たちの方である。 なぜ、あのような場面をもう一度作れないのか。 答えは、技術が足りないからではない。勇気の置き場所を、少し忘れているからである。

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