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この動員と社長直々のドラムによる盛り上がり見てたら東芝野球部はそう簡単には無くならないだろうなと

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いつも「形じゃない」とは言っているものの、実は上抜けやすい形が存在する。 正確には、大衆心理まで考慮した上で、結果的に上抜けしやすい形があるということ。 今回の動画のように、あるレンジ帯の下限でエントリーした後、レンジ上限で小刻みにノイズを作る場面。 この時、価格は何度もレンジ上限から下に行く素振りを見せながら、すぐに戻している。 一見すると、上限で揉んでいるだけに見える。 でも中身を見ると少し違う。 下に行きそうに見せる。 でも落ちない。 また下に振る。 でもすぐ戻る。 これを繰り返すことで、売りたい人の力が少しずつ弱くなっていく。 レンジ上限というのは、本来なら売りが入りやすい場所。 「ここで反落するだろう」と考える人も多い。 だから上限付近では、ショートや利確が入りやすい。 でも、そこで何度も下に振っているのに落ちない。これがかなり重要。 なぜなら、売りが入っているのに下がらないということは、その売りを吸収している買いがあるということだから。 さらに、下に行く素振りを見せるたびに、 短期のショート勢は入ってくる。 上限で買っている人も一部は怖くなって逃げる。 でもそれでも価格が戻ってくる。 この時点で、下に行くための材料が少しずつ消費されていく。 つまり、上限でノイズを作っているように見えて、実際は売りを試して、売りが続かないことを確認している状態。 そして、何度も戻されることで、ショート勢の損切りは上に溜まり始める。買いを待っていた人も、上抜けた瞬間に入ってきやすくなる。 だから、最後に上に抜けた時、新規の買いだけではなく、ショートの損切りも重なって、上に走りやすくなる。 この形が上抜けやすい理由は、「綺麗なレンジだから」ではない。 レンジ上限で売りが入っても落ちず、何度も下を試して失敗し、その過程で上に注文が溜まっていくから。 結果的に、上抜けしやすい形になる。 ただし、ここで注意しなきゃいけないのは、 上抜けた後の伸びの予測は難しいということ。(注文の数まで読み取るのは難易度高い) かなり上がり続けることもあるし、一発の上抜けだけで終わることもある。 だから私は、今回のような場面では、上に突き抜けた瞬間にすぐ利確することが多い。 狙っていたのは、上抜け後の大きなトレンドではなく、上限で溜まった注文が一瞬噴き出す部分。 形を使うというより、その形が作られるまでの過程を見る。 どこで売りが入ったのか。 なぜ落ちなかったのか。 どこに損切りが溜まったのか。 上抜けた後、どこまでが自分の狙う値幅なのか。 ここまで見た上で、初めて形に意味が出る。 だから大事なのは、「この形だから上抜ける」と覚えることではない。 なぜその形が作られ、その形の中で誰が苦しくなり、どこで注文が噴き出しやすくなるのか。 ここまで考えること。 形は結果であって、本質は、その形を作った参加者の失敗と注文の溜まり方である。

Scal_Lab

11,351 views • 2 months ago

唐津の山の頂上にある岸岳城、中腹まで林道が整備されて途中までは車で行けるものの、終点から城趾まではわりとマジな登山になり、こんな山の中に城を…?嘘だろ…?と思いながら登ったが、山の中にこの光景が出現し、こんな山の中にこんな見事な石垣と堀切が…?嘘だろ…?と驚いたのであります。 この城は松浦党の波多氏が治めていたが豊臣秀吉によって改易され、それを不服として波多の家臣はこの城に立て籠もり豊臣勢と戦い落城したとも、改易を無念として家臣数十名がこの城で切腹した、ともされ、その無念の怨霊が「岸岳末孫」としてこの城の周辺地域で怖れられている。今もかなり祟り神として信じられているようで、バッソン様と呼ばれている。またそういった場所である故に心霊スポット的な扱いも受け、またこの城跡では決してふざけたり無礼を働いてはならない、無礼を働いたら祟りを受ける、などと言われたりする。 そして、これが重要なのだが、そのような祟りの元となる籠城戦や遺臣の切腹については、そういった歴史的事実は無い、ということが研究によって確定している、加えてこの周辺で岸岳末孫への怖れや信仰が盛り上がってきたのは昭和初期くらいから…ということで、ここに「祟りの再生産、再認識」が地域社会で行われた、という形跡がある。これは現在の我々にも繋がる(例えば先日の平将門公の首塚騒動のような)と思われ、まさに祟り神への信仰を考える上での好例の場所であろうと思われる。 そしてそれはそれとして重要な史跡であり確かに波多氏の無念の場所ではある。粗相ないように城趾を隅々まで拝観して手を合わせて下山したのでありました。

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