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(アニメーション映画『風が吹くとき』の主題歌『When the wind blows/デヴィッド・ボウイ』より) さようなら未来の子 ここは恐るべき暗闇 僕は太陽を感じたことがない 僕は考え恐れている「その時」を… その風が吹くときのことを ✳︎同作は核戦争の恐怖を描いた衝撃作として知られる

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1 Kommentare

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THvor 1 Jahr

同じタイトルのボウイの曲があるとは知らなかったです。まだまだ学ぶべき事は尽きませんね。

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「すべざりえ」ことエリザベスがYouTubeのインタビュー番組でいろいろ語ってたんだけど、その中の「インスタ政治界隈」について物申す場面。 「とりあえず人の怒りとか恐怖を煽るような投稿を、トークリールでしながら、そのコメント欄には『今の政治が全て悪い』というすごく単純化された悪役を用いて、『あれが敵ですよー』って犬笛吹いているような人たちがいるのがインスタ政治界隈」 と、こんな風に語っている。 すべざりえの動画を見た方なら、これはまるで「すべざりえ自身がインスタでやっていること」を語っているかのように感じるのだが、驚くべきことにそうではない。彼女は「自分はそんな『インスタ政治界隈』とは違う」と言っているのだ。 しかし、すべざりえもまさに自身が言っているように、怒りや恐怖を煽りながら、左翼や共産党や中国など、単純化された悪役を作り「あれが敵ですよ」と犬笛を吹くような動画を作っているではないか。ところがそれは、自分でしっかり調べて作ったものであり、自分のやっていることは他の「インスタ政治界隈」と違うのだと主張する。 いやー、すごい。ビックリするくらい自分のことが見えていない。他にも色々話しているが、コロナや反マスク、反ワクチン、そしてマルチについてなど、常に自分は正しく、間違っているのは周囲の人間である、という思考から抜け出せない、そういうタイプの人間だ。おそらく、自分が人を騙しているということさえも、意識すらされていないのだろう。恐ろしすぎる。

芻狗

135,940 Aufrufe • vor 11 Tagen

🐰僕が存在する理由はなんなのか考えた時、ただ自分の夢のために生きるのではなく、僕を見てくれている人達に、そして歌、ダンス、ステージが好きな人達に、そして僕たちを本当に愛してくれる42のみんなに少しでもパワーをあげられたら嬉しいし、そんな存在になることで存在意義を見いだせる気がします。もし僕達のことをすごく好きな人が僕らを見て力を得られなかったら、それは僕たちが上手くできなかったんだと思います。 最近とある42の手紙に『ハンジンのことが本当に大好きなんだけど、ちょっと大変。ずっと好きでいるべきかな』と書いてあって、答えにすごく悩みました。 昔の僕なら「もちろんこれからも僕のことを好きでいないとだよ!42にパワーをあげられるように僕がもっと頑張るよ!」って答えると思います。 でも最近は考えが変わりました。僕が頑張る過程で、長い間42が大変に感じていたらどうしよう?42の日常生活の時間を浪費させていないのか?と思うようになりました。 幸せな気持ちで僕のことを好きでいてほしいし、42のちからになれるように僕もこれからもずっと頑張ります!でも、もしアイドルを好きでいる過程で大変に思うことがあれば、皆さんは申し訳なく思う必要はないと思います。1度その人から離れて自分にエナジーを与えてくれる相手を探しに行っていいと思います。 ファンの皆さんはアイドルをただ好きでいるだけでなく、アイドルからエナジーや力や愛、慰め、歌やステージなど、何かしら与えられるべきだと思います。もし好きなアイドルからこういったものを何も得られなければ、その人はあなたと合っていないのかもしれません。そのアイドルがもっと努力するか、1度離れて新たな人を探してみたらいいかもです。 「どうすれば42が幸せに僕のことを好きでいられるかな?」という悩みをすごくしました。42の皆さんは自分に合った選択をしてほしいです。アイドルを好きということはときめく気持ちであるべきなのに、苦痛に感じるべきじゃないと思います。 僕も頑張って、42にもっと沢山の愛をあげられるようにずっと頑張ると約束します🤙🏻

COCO

22,755 Aufrufe • vor 3 Monaten

原作/ACは「星が力尽きる真っ暗な未来」 キャラの話に耳を傾けてみよう。原作→AC→原作500年後に続く世界は、星の運命。運命どおりだと「星は力尽きてしまう」「そんな真っ暗な未来に俺たちを送り込もうとしているのか?フィーラーは」と語っている。 ①「我々が捨てようとしている風景」 運命の壁を越えた場合に「捨てる」ことになる未来の映像が流れる。それはAC本編でも流れたことのある映像。 ・500年後(原作エンディング) ・メテオ(原作エンディング) ・エアリスとの別れ(原作の展開) ナナキ「運命など捨て去ろう」 これらの未来を捨てたいと言っている。 決められた運命をたどる未来だと、星は力尽きてしまう。そのため、今作の仲間たちはACに続く未来を捨て去ることを決断した。 運命の壁を越えることに失敗してしまうと、またこの未来にたどり着いてしまう。それでは現在抱える問題は解決しないということだ。 ②助かるザックスとビッグス 運命の壁を越えた瞬間に、死んだはずのあのキャラが生きている世界が生まれる。本来ザックスはミッドガルに着く前に力尽きていたが、戦いに勝って生き延びた。 七番プレート崩壊で亡くなったはずのビッグスも助かっている。リメイク版は助かった人が多いためか、七番街スラム復興の様子が前向きに描かれる。 ③エアリスは? 運命の壁を越えた世界に旅に出たクラウド一行。ではエアリスの運命はどうなるのかというところに注目が集まるのは当然だ。 ナナキの言う"捨てようとしている未来"の映像に、エアリスとの別れのシーンが流れていたのだから。 カームに到着するころには、ナナキは今まで保持していた未来の記憶をなくしてしまう。しかし1つだけ忘れてはいけないと覚えていることが「エアリスを守ろう」 エアリスを守りきることが最重要。それほどに強い想い。だから他のことは忘れてもこれだけは忘れたくなかった。そういう表現である。 ナナキは別世界でも同様にエアリスを守ろうと奮闘している。エアリスが助かれば星の運命もよい方向に変わる。ナナキ自身がそう信じているからこそではないだろうか。 ④みんなエアリスを助けたい そして、他の仲間たちもエアリスを助けたいという想いは同じ。エアリスを助ける目的で忘らるる都の運命の壁を越える時、彼らはクラウドを全力で支援した。 ザックスもマリンも気持ちは同じ。「エアリスを守りきる」というのはみんなの願い。そしてついにクラウドはセフィロスの刃を弾く。 ⑤未来はクラウド次第 「未来は白紙」チャンスがそこにある。セフィロスが語るように「未来はお前次第だ」「まだ間に合う」。 未だ見ぬ未来を作り出すのは主人公クラウド。星の運命を背負っている。 また、マリンが「はやくクラウドの病気を治して、お姉ちゃんを助けてもらわなくちゃ」というように。エアリスを助ける人物もクラウドである必要があることが提示されている。 仲間たちは最終的にクラウドに託すことになる。星を救うことと、エアリスを守ることはリンクしている。 ⑥クラウド自身がエアリスを助けたい リメイクではエアリスと出会って早々に、まだ知らないはずの未来がフラッシュバック。エアリスを失う不安で思わず涙が流れてしまうほどのトラウマ。 ACクラウドの「見殺しにしたんだぞ」という後悔と繋がる。 クラウドが「大切な人を失うことを受け入れられない」を描いている今作。 もし助けられるチャンスが訪れるとしたら。エアリスを助けたいとクラウド自身が強く思うのは当然のこと。 ⑦物語はまだ完結していない そもそもなぜACの未来が事前に見えているのか。 というのは、ACの出来事は「もう既に起こったこと」「約束されている未来」だから。見たことある未来だから「星は力尽きる」という結果が事前に分かっている。だから、そうなることを今度は回避したいという流れではないか。 まだ、ジェノバを倒しきることはできていない。星は完全に救われてはいない。物語はまだ完結していない、つづきがある。 ⑧結末は未定 エンディングのメッセージには The unnown journey will continue(未知の旅は続く) No promises await journey’s end(旅の終わりに約束は待っていない) とある。簡単に言うと、まだ見たことないストーリーになる。 旅の終わり=結末。約束=運命なので、旅の終わりは「運命どおりではない」ということが提示されている。 もしただ原作をなぞった運命のどおりのストーリーならば/ACになる未来が物語の結末ならば、このようなメッセージは完全に不要。フィーラーという設定を登場させる必要も、倒す必要も全くない。 星を救うために運命を変えたいと頑張るクラウドたちを応援したくなるような、そういう物語になっている。#FF7R #FF7リバース

もぐり

135,218 Aufrufe • vor 1 Jahr

イーロン・マスクが『恐怖を直視しろ』と言える理由 イーロン・マスクはこう言う 『怖いときほど 目をそらすな 正面から見ろ そしたら消える』 この言葉は 自己啓発じゃない 彼の人生のサバイバル技術や イーロンの子ども時代は 地獄に近かった 南アフリカで育ち 学校では 毎日のようにいじめられた ある日 階段から突き落とされ 集団で殴られ 意識不明になって病院送り 顔の骨が割れ 何度も手術を受けた そのとき彼が学んだのがこれ 『逃げるほど 相手は強くなる』 恐怖を無視すると 恐怖は増殖する 見る 考える 受け入れる これをやると 脳は 『これは死ぬほどの危険ではない』と 理解する これが 彼のメンタルの基礎になった 2008年 TeslaとSpaceXが 同時に潰れかけたときも同じ 普通の人なら 発狂するレベルの恐怖 でもイーロンは それを分解した ・会社が潰れる ・金がなくなる ・評判が落ちる それだけ 死ぬわけじゃない だから 行動できた 4回目のロケットが成功し NASA契約が決まり Teslaも資金調達に成功 恐怖を直視した人間だけが 未来を動かせる イーロンが若い人に言うのはこれ 『怖さの正体は 向き合わへんことや』 これが 彼の人生OS シリコンバレーの創業者たちが 『どんな恐怖を越えて世界を変えたのか』を 実話ベースで解説しています ・なぜあの人は折れなかったのか ・どこで覚悟が決まったのか ・自分ならどう生きるべきか この視点を毎日流しています → Taishi | 脱スマホ中毒アプリ開発中🐿️ をフォロー この投稿は 怖くなったときに読み返すと効くので ブックマークしておくと強い

Taishi | 脱スマホ中毒アプリ開発中🐿️

247,076 Aufrufe • vor 8 Monaten

ノーベル化学賞受賞者、デイヴィッド・マクミラン氏は、この時代は最高に面白いという。これからできるようになることは途方もないものであり、想像すらできない。人間がAIという新しい道具を使って「どんな世界に住みたいか」を考え、その未来を自ら発明していく。そのことに彼は強く興奮している。 デイヴィッド・マクミラン「実を言うと、「AIの欠点とは何か」を話すパネルに自分が入れられたことには、少し不満だったんです。 ここにいる科学者たちに聞けば、きっと皆同じことを言うと思います。科学やテクノロジーの素晴らしいところの一つは、私たち自身が未来の一部になれることです。未来を発明できるんです。 研究室では、月曜日には誰も知らなかったことが火曜日には明らかになり、金曜日には人々がそれを使い始めている。そんな出来事を最前列で目撃できるのは、信じられないほど素晴らしいことです。 そして今、クレイグが言ったように、若い人たちはAIというまったく新しい道具を手にして、未来を発明できるようになっています。それによって、このプロセスそのものが加速している。驚くべきことです。 そこから生まれる楽観を考えてみてください。これからできるようになることは、本当に途方もないものです。想像すらできません。 もし私が今、若い教授としてキャリアを始めるところだったら、AIを使って、私たちが暮らしたい世界を思い描き、そこへどう到達するのかを考えることに、ものすごく興奮していたでしょう。 ですから、私を「楽観主義者」と呼ぶだけでは控えめすぎると思います。これからAIがどんな突拍子もない、予想外の方法で使われていくのか。それを見ることこそが楽しみです。そこが、この時代の最高に面白いところだと思います」

Tsubame

73,094 Aufrufe • vor 5 Tagen

『映画ちいかわ 人魚の島のひみつ』は、原作を超えたのか。 結論から言う。 超えた部分もある。だが、原作にしかない怖さも失われた。 長文です。動画も作りました。 映画化としては、かなり成功している。 しかし、すべてが原作以上になったわけではない。 まず、映画が原作を超えたと感じた点を三つ挙げる。 一つ目は、音である。 漫画では、セイレーンの歌声も、波の音も、攻撃の衝撃も、読者が頭の中で想像する。 だが映画では、それらが具体的な音として押し寄せてくる。 特に、かわいらしい画面と、重く響く音の落差がすごい。 人魚をめぐる真相も、漫画ではコマと擬音によって距離を保てたが、 映画では音が付くことで、行為の暴力性が一気に現実へ近づく。 二つ目は、時間である。 漫画は自分の速度で読める。 怖い場面で止まることも、前のページへ戻ることもできる。 一方、映画は観客を決められた速度で物語の先へ運ぶ。 島へ着いた直後の楽しさ。 島民たちとの交流。 セイレーンの出現。 そして真相。 楽しい時間が少しずつ壊れていく流れを、観客は止められない。 この逃げられなさは、映画だからこそ成立した恐怖である。 三つ目は、登場人物の感情である。 ちいかわが怯える呼吸。 ハチワレが状況を理解しようとする声。 ラッコが危険を前にして見せる緊張。 うさぎの予測不能な動き。 漫画では小さな表情の変化として描かれていたものが、 声と動きによって立体的になっている。 特にヒトハとフタバは、真相を知ってから見返すと、 沈黙や視線の一つ一つが別の意味に見える。 これは映像化の大きな成功である。 では、原作の方が優れている部分は何か。 一番は、余白である。 漫画では、残酷な行為そのものをすべて説明しない。 コマとコマの間に、読者が想像する空間がある。 何が起きたのか。 どんな気持ちだったのか。 この先、二人はどうなるのか。 答えを与えすぎないからこそ、読後に不安が残る。 映画は音と動きで情報が増えた分、原作の曖昧さが少し減っている。 もう一つの弱点は、映画として観ると、 中盤の反復が長く感じられる可能性があることだ。 島での楽しい時間と、セイレーンによる被害を丁寧に積み上げる構成は、 原作ファンにはうれしい。 しかし、初めて触れる観客には、 物語の本当の焦点が見えるまで時間がかかるかもしれない。 そして最大の問題は、映像が豪華になることで、 残酷な物語まで娯楽として気持ちよく消費できてしまうことである。 アクションの迫力。 歌の魅力。 かわいい登場人物。 それらが強いほど、本作が描く罪や責任が薄く見える危険もある。 それでも私は、この映画化を高く評価する。 理由は、原作を分かりやすい子ども向け作品に変更せず、 ナガノ作品の不穏さを残したからである。 原作を超えたかどうかを、勝ち負けで決める必要はない。 漫画は、余白で怖がらせる。 映画は、音と時間で逃げ場を奪う。 同じ物語を、異なる方法で怖くした。 映画を観た人は、ぜひ原作も読んでほしい。 映画で具体化されたものと、漫画で最後まで曖昧なまま残されたもの。 その違いを比べたとき、 『人魚の島のひみつ』という物語の異常な完成度が、さらに見えてくるはずである。 あなたは、映画と原作、どちらが怖かったですか。 コメントで教えてください。

榊󠄀原清一 / 人財版 令和の虎 主宰

44,708 Aufrufe • vor 1 Monat

昨日と一昨日、僕の地元である兵庫県川西市で、『映画 えんとつ町のプペル ~約束の時計台~』の上映イベントをおこないました。 2日間の観客動員は、2420名。 (※チケット売り上げ、グッズ売り上げなどの細かい数字に関しては今日のサロン記事で全て共有させていただきますので、そちらでご確認ください) 今回、会場にはたくさんの子供たちが集まり、ロビーは縁日のような盛り上がりを見せ、映画を観に来たというより、お祭りに遊びに来たような空気があり、「熱狂」があり、それは僕らエンタメ屋がもっとも見たい景色でした。 ただ、最初からこの景色を目指していたわけはなくて、これは「プランB」なんです。 そもそも僕たちが上映イベントを始めたのは、映画公開時の初動が苦戦したことがキッカケで、「どうすれば、この作品を一人でも多くの方に観てもらえるんだろう?」という想いからでした。 4年半かけて作った作品が思うようなスタートを切れなくて、 申し訳ない気持ちになりましたし、みっともない気持ちにもなりましたし、 何より、悔しかったな。 映画業界には、「映画は公開から3日の結果がすべて」という定説があります。 初動が悪ければ、上映館数や上映回数が減り、そのまま興行が終わっていく…というアレです。 ただ、『映画 えんとつ町のプペル ~約束の時計台~』に関しては、評価と数字が合ってなくて、僕自身、この作品がこんなところで力尽きるとは到底思えなかったし、こんなところで終わりにしたくなかったんですね。 というわけで、「3日間で結果が出なければ終わり」ではなくて、その後からでも人を集めることができないのか考えてみることにしたわけです。 まず最初にやったのは「数字を盛ってよく見せようとするのではなくて、現状を正直に共有すること。 そして、それによって『応援シロ』を作ること。 「知られたくない結果」ほど皆は知りたいわけで、ここを見せないと何も始まらないので、「お恥ずかしい話ですが、今はココです」と現在地を正直に共有し、そこから、逆転の策を練りました。 その後に僕が提案したのは「長期決戦」でした。 「映画を10年間上映し続ける為には、何をして、何したらダメなのだろう?」と考えてみることに。 映画館に来てもらうだけではなく、映画そのものを「イベント」にして、人が集まる理由をつくることはできないのか?という試行錯誤の先に、今回の川西での上映イベントがあったわけです。 なので、初動が順調だったら、 何も問題が起きずに映画がヒットしていたら、 僕は、この2日間の景色を見ることができなかった。 第一希望(プランA)が必ずしも一番良い未来とは限らないなぁと昨日あらためて思いました。 そして、もう一つ思ったことがあります。 それは、「この景色を最優先する」ということ。 経営者なので、当然、収支は見ます。 事業として成立しているか。 キャッシュフローは大丈夫か。 投資したものをどう回収していくか。 それは、絶対に無視できません。 ですが、僕は経営者の前に一人のエンタメ屋です。 エンターテインメントには、目の前で人が笑い、子供たちが走り回り、町全体が少しだけ浮き足立っているような景色があって、それらには数字では測れない価値がある。 僕たちはこの価値を後回しにする会社であってはいけない。 今回の川西で、そのことを改めて教えてもらいました。 人生は、思い通りにいかないことだらけです。 経営も、思い通りにいかないことだらけです。 繰り返しますが、4年半かけて作った作品の初動が伸びなかった時、本当に苦しかったし、申し訳なかったし、みっともなかったし、悔しかった。 だけど、あの苦戦があったから、僕たちは「ならば、こっちでどうだ?」を考え、その結果、僕の地元・川西で2400人以上の人たちと一緒に、宝物のような景色を見ることができました。 ここから『映画 えんとつ町のプペル 〜約束の時計台〜』の上映イベントを各地で展開していきます。 皆様の街でもやらせていただきますので、是非、お越しください。 あらためて。 あの時は「失敗」だと思っていたものが、時間が経ってみると、僕たちを別の場所へ連れていってくれる大きなギフトでした。 だから、うまくいかないことを、すぐに「失敗」と決めつけないようにしたいと思います。 その出来事が、自分を連れていくのかは、その時点では分からないのだから。

西野亮廣(キングコング)

72,712 Aufrufe • vor 1 Monat