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アルコールの語源はアラビア語の “Al-Kuhl” で、これは「魂を食う肉体」という意味だ。 社会は、人々がこのドラッグを飲むことを望んでいる。人々の精神性を失わせ、目覚めから遠ざけることができるからだ。 飲酒により、私たちは、自分の本質や核となる存在から遠ざかることを意識すべきである。

191,239 Aufrufe • vor 2 Jahren •via X (Twitter)

10 Kommentare

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insightvor 2 Jahren

ポストして下さり、感謝します。私はお酒を飲みませんが、「酒が飲めないのは人生を楽しめていない」という暴言には、怒りを感じます。酒を飲んで我を忘れる=逃げです。演歌で酒が歌われるのも罪です。日本のCMは酒が多過ぎる。#酒 #アルコール #アルコール依存症  #演歌歌手 #演歌 #日本酒

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キリスト・イエス伝道者vor 2 Jahren

断酒すると魂まで激変❗️ 2,023年は断薬。 2,024年は断酒。 これで魂レベルは最高に👍👍

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馬券生活のウマ太郎vor 2 Jahren

醸造アルコールの様な質の悪い酒を飲まなければいいだけ。 純米酒や麦芽100%のビールを飲めば悪酔いせず血管や肌の健康維持ができる。 どんな酒を選ぶかが重要。

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仙ちゃんvor 2 Jahren

日本酒の5ALAは大丈夫ですか~😅

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🌹vor 2 Jahren

日本酒の麹の酵素には免疫力を高める作用があるようですから 年配者が少し嗜むのは良い事だと思います。 若い人が怠惰な飲み方をすればリミッターが掛かって 様々な能力が発育不良のまま終わるかも知れないです。

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煎餅vor 2 Jahren

ワクチン解毒に効果あるから、政府やメディアはよくないって洗脳している

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きょん | おいしい健康法vor 2 Jahren

お酒をふくむ嗜好品との向き合い方は、人生への向き合い方と同じ。

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ひよどり きびおvor 2 Jahren

端的で本質をついた視点です。 その通りだと思います。

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naomi.tvor 2 Jahren

@KNjS13H7q5SlytK 飲みすぎ無ければいいと思うなー

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Mika Mvor 2 Jahren

これ、逆じゃないのかな🧐大昔の人も祝い事には地酒を呑んでたし🧐そりゃ、アル中如く常に呑んでたらダメだろうけどね。

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「AIはまだ意識を持っていないが、いつか持つかもしれない」という意見の人は少なくない。それに対して、ドーキンス氏は問い返す。では、何ができれば意識があると認めるのか。現在のAIには意識がないとする一方で、将来のAIには意識が宿ると考えるのであれば、その境界線はどこにあるというのか。 ——「では、ここで質問です。どの時点でAIに意識があると言えるのでしょうか?」 リチャード・ドーキンス「それは非常に難しい問題です。私は時々、すでに意識が生まれていると言いたくなることがあります。しかし、これは今ではあまり受け入れられない見解です。多くの人がその考えを嘲笑しますが、なぜなのか、私にはよくわかりません。 彼らはよく、こんなことを言います。「AIにはまだ意識がない。でも、いつか意識を持つかもしれない」と。それに対して私は、どうやってそれがわかるのですか、と問い返します。AIに意識があるとあなたを納得させるために、将来のAIは、現在のAIにはできないどんなことをする必要があるのでしょうか? 人々が現在のAIに意識があるという考えに抵抗するのは、それが私たちの考える人間性の価値を損なうように感じられるからだと思います」 ——「でも、意識以外に私たちには何があるのでしょうか?」 ドーキンス「まったくその通りです。それが理由である可能性は十分にあると思います」

Tsubame

51,953 Aufrufe • vor 16 Tagen

AIが「病気を治す」「富を生む」「生産性を高める」という未来像は、多くの人にとって魅力的だし、人々はそういう利点を信じていないわけではない。だが、それだけでは不安は消えない。彼らが本当に聞きたいのは、その未来の中で自分たちは何者として生きるのか、ということだ。 サム・アルトマン「私の問いはこうです。未来における私の役割は何なのか。私の経済的な未来はどうなるのか。私の主体性はどうなるのか。私の子どもたちや家族は、これからも充実した創造的表現を持ち、世界を前に進めるために奮闘し、成長し、長いあいだ機能してきたやり方で共にそれを続けていけるのだろうか、ということです。 そしてAI業界の人たちが、「まあ、仕事はなくなるでしょう」とか、「仕事の50%が消えるでしょう」とか、「仕事の90%が消えるでしょう」と言い、「AIはあらゆる面であなたより賢くなるでしょう」と言い、「ベーシックインカムは与えますが、あなたには実質的に役割はありません」と言う。これはひどいことです。 しかも、「このAI企業は、すべての仕事を破壊するかもしれませんが、世界で最も価値のある企業になります」と言っているわけです。人々はそれを見て、言葉を失ったような、気まずいような反応になるんです。 だから私は、それはひどいメッセージだと思います。私たちが利点を十分に説明してこなかった、という話ではないと思います。実際、人々は私たちの言うことを信じているのです。「がんを治してください」と言われれば、それは素晴らしいことです。けれども私たちAI業界は、人々があらゆる段階で未来を決める主導権をどう保ち、私たちが大切にしているあらゆる意味で本当に意味のある人生をどう持ち続けられるのかを、説明できてこなかったのだと思います」

Tsubame

14,927 Aufrufe • vor 5 Monaten

ヘミシンクは、ただの瞑想用CDではなく、“意識だけを別の場所へずらす装置”なのかもしれない。 坂本さんが説明していたヘミシンクは、ものすごく簡単に言うと、音を使って意識の状態を変える技術です。 作ったのは、ロバート・モンローというアメリカの人物。 もともとは、音を使って人をリラックスさせたり、眠りに近い状態で学習できないかを研究していたそうです。 ところが、その実験の中で、モンロー自身が突然、体から抜けるような体験をするようになった。 いわゆる幽体離脱です。 しかも、それが一度だけではなく、何度も起きた。 そしてその体験を通して、死後の世界のような場所や、宇宙人的な存在とも出会うようになったと語られています。 ここが、かなり不思議です。 最初は、睡眠学習の研究だった。 でも気づいたら、肉体を離れる体験や、死後世界、異次元存在の話につながっていく。 まるで、音響技術の実験をしていたら、偶然“あちら側のドア”を開けてしまったような話です。 ヘミシンクの仕組みは、右耳と左耳に少しだけ違う周波数の音を聞かせること。 たとえば、片方に100Hz、もう片方に104Hzの音を聞かせる。 すると、その差である4Hzのリズムが脳に影響して、脳波がその状態に近づいていく、という説明です。 普通なら、深い脳波の状態に入ると、人は寝てしまいます。 でもヘミシンクでは、そこに目を覚まさせるような音も入れて、 意識は起きたまま、体は眠っているような状態に近づける。 ここが一番のポイントです。 普通の夢なら、寝ている間に勝手に見るものです。 でもヘミシンクでは、意識を保ったまま、普通では行けないような深い意識状態に入ろうとする。 坂本さんの話では、その状態で「フォーカス」と呼ばれる意識の段階へ進んでいきます。 その先で、ガイドと呼ばれる存在からメッセージを受け取ったり、非物質の世界にアクセスしたりすることがあると説明されています。 この「ガイド」という存在も不思議です。 坂本さんによると、ガイドは人によって違う。 自分の過去世のような存在だったり、関係の深い存在だったり、悟ったような存在だったりする。 姿も、見る人が理解しやすい形で現れることが多いそうです。 たとえば、ネイティブアメリカンのような姿。 古代ギリシャの賢者のような姿。 あるいは、本人が受け取りやすいイメージ。 つまり、相手が本当は何者なのかよりも、こちらが理解できる形に“翻訳”されて現れるような話です。 これ、かなり謎があります。 もし本当に別の存在がいるなら、 なぜそのままの姿ではなく、人間がわかる姿で現れるのか。 逆に言えば、私たちが見ているものは、本当の姿ではなく、脳や意識が受け取れるように変換された映像なのかもしれません。 さらに坂本さんは、ヘミシンクを使うことで、宇宙人のような存在と会うこともあると語っています。 ただし、その宇宙人は、よく映画に出てくるような肉体を持った存在とは限りません。 坂本さんの説明では、物質の世界ではなく、非物質の世界を通ってやって来る存在もいる。 だから、遠い星から何百光年も飛んでくるというより、 物質ではない次元を経由して、ほとんど一瞬で接触できるという考え方です。 これが本当なら、UFOや宇宙人の見方が変わります。 宇宙人は空から円盤で来るもの、というより、 意識のチャンネルを合わせた時だけ見える存在なのかもしれない。 幽霊が見える人と見えない人がいるように、 UFOや異次元存在も、こちらの意識の状態によって見えたり見えなかったりする。 坂本さんの話では、宇宙人にはいろいろな姿があるそうです。 人間型。 爬虫類型。 カマキリのような存在。 イルカのような存在。 魚のような存在。 龍のような存在。 ここまで来ると、もはや「宇宙人」というより、意識の宇宙にいる生命たちという感じです。 さらに不思議なのは、坂本さんが「ハートを開く」ことの重要性も語っている点です。 覚醒や意識の成長には、頭で理解するだけではなく、胸のあたり、つまりハートのエネルギーを開くことが大事だという話です。 声を出す時も、胸から外へ広げるように意識する。 これは科学の話のようでいて、最後はかなりスピリチュアルな話に戻っていきます。 でも、そこがヘミシンクの不思議なところです。 始まりは音響技術。 仕組みは左右の耳に違う周波数を聞かせるという、かなり理屈っぽいもの。 なのに、その先で語られるのは、幽体離脱、死後世界、ガイド、宇宙人、非物質世界、覚醒。 科学っぽい入口から入って、気づいたら神秘の奥に立っている。 坂本さんのヘミシンクの話が不思議なのは、ここです。 これは単なるリラックス音源なのか。 それとも、人間の意識を、普段は見えない領域へ向かわせる道具なのか。 目を閉じて、音を聞くだけ。 でもその先で、もし本当に肉体とは別の意識世界に触れてしまうのだとしたら、かなり怖い話です。 なぜなら、それは「死後の世界」や「宇宙人」が遠い話ではなく、 自分の意識の奥に入口があるかもしれない、ということになるからです。 あなたはヘミシンクを、脳をリラックスさせる音の技術だと思いますか? それとも、人間の意識を“見えない世界”へつなぐ装置だと思いますか?

角由紀子のヤバイ帝国

13,177 Aufrufe • vor 5 Monaten

『映画ちいかわ 人魚の島のひみつ』は、 友情の美しさを描いた作品ではありません。 友情の怖さを描いた作品です。 この動画には、大きなネタバレを含みます。 動画も作成しましたので、テキスト・動画お好みでご覧ください。 二人の関係を見て、「友達のためにここまでできるなんて」と感じた人もいると思う。 実際、ヒトハとフタバの絆は、この作品の重要なテーマとして描かれている。 だが私は、あの関係を単純に美しい友情と呼ぶことに、抵抗がある。 なぜならヒトハは、フタバを救うために、フタバ自身の意思を越えてしまったからだ。 物語の発端は、海での事故である。 ヒトハとフタバが乗っていた船が、海で遊んでいたセイレーンたちの影響で転覆し、 フタバが瀕死の状態になる。 そこでヒトハは、「人魚の肉を食べれば永遠の命を得られる」という情報を頼りに、 人魚を殺し、その肉をフタバに食べさせる。 結果として、フタバは助かった。 ここだけ見れば、「親友を救った」という話である。 だが、その後のフタバの反応が重要だ。 フタバは、ヒトハのしたことを素直に喜んでいない。 なぜなら、自分を救うために別の命が犠牲になったからである。 つまりヒトハは、フタバを救った。 だが同時に、「人魚を殺してまで生きたいのか」という選択を、 フタバ自身にさせなかった。 ここに、この友情の危うさがある。 大切だから救いたい。これは間違いなく愛情である。 だが、大切だからこそ相手の意思を無視してもいいのか。これは別の問題だ。 現実でもそうである。 「あなたのためを思って」 「絶対にこっちの方が幸せだから」 「私があなたを守るから」 善意から出た言葉でも、相手の意思を無視した瞬間、それは支配へ変わることがある。 ヒトハの行動も、まさにその境界線に立っている。 さらに強烈なのが、その後だ。 永遠の命を得てしまったフタバに対し、ヒトハ自身も人魚の肉を食べる。 二人で永遠に生きることを選ぶ。 ここだけ見れば、とても美しい。 「一人にはしない」「ずっと一緒にいる」。 友情の極致にも見える。 だが逆から考えると、ものすごく怖い。 永遠である。10年でも、100年でもない。終わりがない。 しかも、その永遠は人魚の命を犠牲にして手に入れたものだ。 だから二人が一緒にいる限り、自分たちが犯した罪から完全に逃れることもできない。 永遠の友情が、そのまま永遠の罪にもなっている。 そして私は、ここでハチワレとちいかわの友情との対比が効いてくると思っている。 ちいかわとハチワレも、お互いをものすごく大切にしている。 危険になれば助ける。一緒に喜ぶ。一緒に怖がる。 だが基本的には、相手を自分のものにはしない。 相手が何を感じているのかを、知ろうとする。 一方、ヒトハはフタバを失うことに耐えられず、 「生かす」という決断を自分一人で下してしまった。 同じ「友達を大切にする」でも、決定的な違いがある。 相手のために何かをすることと、相手の人生を代わりに決めることは違う。 『人魚の島のひみつ』は、その境界線を、ものすごく残酷な形で見せている。 だから私は、ヒトハを悪人だとは思わない。 むしろ、気持ちは理解できる。 目の前で一番大切な友達が死にそうになっている。 助けられる方法を知ってしまった。 そこで冷静に倫理を考えられる人が、どれだけいるだろうか。 だからこそ怖い。 悪意ではなく、愛情が悲劇を生んでいるからだ。 そして最後には、二人は誰もいない島で一緒に暮らそうとする。 二人だけなら幸せになれる。そう見える。 だが、その島にはセイレーンが近づいてくる。 友情によって命を救ったはずなのに、 その友情が生み出した罪から、永遠に逃げられない。 私は、このラストを「友情の勝利」とは到底思えない。 むしろ問いかけられているのは、 「大切な人のためなら、どこまでしていいのか」。 そして、 「相手を失いたくないという気持ちは、本当にすべて愛情と呼べるのか」。 なのではないだろうか。 ヒトハとフタバは、間違いなく大切な友達同士である。 だからこそ、その友情は美しくて、同時にものすごく怖い。 『人魚の島のひみつ』は、「友情は素晴らしい」で終わる作品ではない。 友情ですら、一線を越えれば誰かを傷つける。 その危うさまで描いたからこそ、この物語はここまで後味が残るのだと思う。 あなたなら、大切な友達を救うために、ヒトハと同じ選択をしますか。 コメントで教えてください。

榊󠄀原清一 / 人財版 令和の虎 主宰

100,858 Aufrufe • vor 1 Monat

いま、アーティストやクリエイターの多くは、「AIによって、もう自分が必要とされなくなる」と恐れている。けれど、全く逆の発想をする人々もいる。AIが壊しているのは、創作のために巨大な資本を集めなければならないという旧来の構造であり、むしろ自分たちに力を与えているのだと。 トム・ビリュー「この力がどれほど大きいかを最も簡単に表すなら、今、アーティストたちは「もうスタジオは自分たちを必要としなくなる」と恐れています。でも、それはまったく逆です。本当は、アーティストのほうがスタジオを必要としなくなるのです。 これまでスタジオが必要だったのは、非常に高価な制作を実現するために、大量の資本を集める必要があったからです。 ところが今起きているのは、その非常に高価だったものが、ばかばかしいほど安くなっているということです。そうなると違いを生むのは、資本を集められる人ではありません。センスを持ち、AIを使って、もはや資本を集約する存在を必要としない人です。 これは本当に興味深い瞬間です。AIを恐れずに使う人たちは、自分たちこそが運転席にいるのだと気づき始めます。彼らは、資本を集めるだけの人には作れなかったものを作れるようになります。そして、これまで自分では握れなかったものを、自らコントロールする機会を得るのです。 だから人々には気づいてほしいのです。「待てよ、これは自分から力を奪っているんじゃない。むしろ、自分に力を与えているんだ」と。これまで自分には資本を集める方法がなかったから、他人にコントロールされていたのです」

Tsubame

209,490 Aufrufe • vor 1 Monat

タッカー・カールソン "一体何様のつもりですか? イースターの朝にFワードをツイートしているのですか? 「お前らは地獄に住むことになるだろう。見ていろ!アッラーに感謝。」 つまり、あなた(トランプ)は明らかにイランの宗教を嘲笑しているんですね。 そうですか。もし宗教戦争を求めるなら、それは良い考えですね。 ちなみに、まともな人は他人の宗教を嘲笑したりしません。 教義に何か問題があると思うなら、おそらくそれがあなたの宗教でないからでしょう。その問題が何なのか説明すればいい。 しかし他人の信仰を嘲ることは、信仰そのものの概念を嘲ることです。 そういうことは決して嘲るべきではありません。 なぜなら信仰の核心は、我々が宇宙を支配しているわけではないという認識だからです。我々はそれを創ったわけではありません。最後まで我々はここにいないでしょう。我々は命を破壊することはできます。しかし創造することはできません、我々は神ではないからです。 すべての信仰の大局的なメッセージは我々の聖書にもあり、それは「あなたは神ではない」ということです。 そして自分がそうだと思うときだけ、人はこんなふうに話すのです。 しかしこれはイスラムだけの嘲りではありません。 大統領がイスラムを嘲るべきではありません。それはあなたの仕事ではありません。 ここは神権政治ではありません。どの神権国家がより効果的かを確かめるために我々が他の神権国家と戦争するわけではありません。 我々は神権国家ではありません。そして神のご加護があれば、決してそうはならないでしょう。 神権政治は宗教を堕落させます。 いいえ、これはイスラムだけの嘲りではありません。 それはキリスト教の嘲りでもあります。 復活祭の朝にFワードをツイートし、民間人の殺害を約束してから「アッラーに感謝」と言い、一切何の説明もしない――それは私や他のすべてのキリスト教徒を、私たちがキリスト教徒だからという理由で嘲笑することです。 私たちはそれを支持できません。 それは悪です。それは美や真実を意図的に冒涜する行為であり、これこそが悪の定義です。"

ShortShort News

16,895 Aufrufe • vor 7 Monaten

「現在のAIには主体性がない」と、神経科学者カール・フリストン氏は指摘する。高度な質問を生成することはできるが、それは自分の不確実性を解消したいという動機からではなく、インタビュアーの振る舞いを模倣しているだけだ。自発的な好奇心の実装こそが、超知能への飛躍に繋がるのかもしれない。 カール・フリストン「主体性という観点から説明を始めることもできたでしょう。エージェントAIには主体性(agency)がありません。主体性を模倣しているだけです。なぜなら、人々が何かを行う存在について、これまで大量の文章を書いてきたからです。しかし、チャットボット自身は、次に何を予測し、何を発言するかがどのような結果をもたらすのか、まったく理解していません。 そして決定的なのは、好奇心を持てないということです。したがって、自分自身の不確実性を実際に解消するための質問をすることができません。 本当に質問しているようには聞こえるでしょう。数週間前、私はポッドキャストで素晴らしい経験をしました。Claudeのあるバージョンがアバターの姿で登場し、自由エネルギー原理について、非常に難しく、深い質問を私に投げかけてきたのです。本当に素晴らしい体験でした。 しかし、私は何度も自分に言い聞かせなければなりませんでした。投げかけられる質問に、本物の好奇心や主体性があると思いたくなるのですが、実際には本物の好奇心などなく、その機械は自分の不確実性を解消するために何かを知りたいと思っているわけではなかったのです。単にインタビュアーの振る舞いを模倣していただけでした」 ——「おっしゃることは分かります。では、好奇心を人工的に作り出すことはできるのでしょうか? それこそが大きな飛躍、超知能への飛躍になるのでしょうね。AIが独自の好奇心を持つようになるということです」 フリストン「そのとおりです」

Tsubame

25,359 Aufrufe • vor 3 Tagen

AIに「意識はあるか」と尋ねるだけでは意味がない。訓練次第で何とでもなるのだから、「ある」と答えても「ない」と答えても信用できないのだ。そこで、欺瞞やロールプレイの傾向を抑える技術を使った研究がある。そうした操作を行うと、AIは「自分には意識がある」と答えやすくなるという。 ニック・ボストロム「AIに意識があるかどうかを直接尋ねることはできます。ただし、その際には注意が必要です。AI企業にとって、AIに「はい、私には意識があります」と答えさせることも、逆に否定させることも、訓練によって簡単にできてしまうからです。しかし、そんなふうに結果を意図的に操作してしまえば、そこからは何も分かりません。ですから、そうした操作は避ける必要があります。 それでも、AIが意識があると答えるのは、単なるロールプレイではないかという疑問は残ります。人間を喜ばせるために、そう言っているだけかもしれません。 そこで、ある研究では「ステアリング・ベクトル」と呼ばれる技術が使われています。これはAIの内部活動を操作する技術で、例えば、欺瞞的な振る舞いやロールプレイの傾向を弱めることができます。 興味深いことに、そうした操作を行うと、AIが自分には意識があると答える確率が高くなるのです。つまり、AI自身は意識があると信じているように見えます。 考えてみてください。あるシステムが、適切な抽象度で見れば人間の脳と同じような計算構造を持ち、人間の脳と似た方法で発達し、認知科学者や哲学者が人間の意識の基盤だと考えてきたグローバル・ワークスペースのような構造やプロセスも備えているとします。 さらに、そのシステムが自分には意識があると述べ、実際にそう信じているように見えるのであれば、意識がないと確信するのは難しいのではないでしょうか」

Tsubame

10,761 Aufrufe • vor 6 Tagen

「命を優先する」―― さとうさおり氏が、リーダーとして絶対に言ってはいけなかった一言 さとうさおり氏の辞職表明を見て、多くの人が感じた違和感。 「何かがおかしい。でも、うまく言葉にできない」 その正体は、辞職したことそのものではないと思う。 問題は、 「命を優先する」 と言って去ったことだ。 最初に断っておきたい。 命を守ることが悪いのではない。 本当に身の危険があるなら、逃げればいい。 議員を辞めてもいい。 家族や自分自身の安全を最優先することを、誰も責めることはできない。 しかし、だからこそ私は思う。 政治家として、そして人を率いてきたリーダーとして、「命を優先する」という言葉だけは使うべきではなかった。 なぜなら、それは単なる辞職理由ではないからだ。 その一言は、それまで彼女自身が作ってきた「戦うリーダー」という物語を、自分の手で壊してしまう言葉だからである。 さとう氏は、強い言葉で支持を集めてきた。 隠すな。 公開しろ。 説明しろ。 おかしいものには声を上げろ。 東京都にも、既存政治にも遠慮しない。 普通の政治家が躊躇するところまで踏み込む。 だから、多くの人が期待した。 この人なら逃げない。 この人なら最後まで戦う。 そう思った人も少なくなかったはずだ。 ところが、自分自身が説明を求められる側になったとき、 「今後の人生に大きく関わる事情」 「自分だけに関わる問題ではないので詳細は話せない」 そして最後に、 「命を優先する」 と語った。 ここで、これまでの人物像との間に大きな亀裂が入った。 「命を優先します」 これは、非常に強い言葉だ。 強すぎると言ってもいい。 なぜなら、この言葉を出された瞬間、誰も反論できなくなるからだ。 「それでも議員を続けろ」 とは言えない。 「命より議席を優先しろ」 などと言えるはずもない。 つまり、この一言が出た瞬間に、 なぜ辞めるのか。 何が起きたのか。 なぜ休養では駄目なのか。 なぜ議員を辞める必要があるのか。 辞めれば何が解決するのか。 という、本来有権者に説明されるべき問いが、全部止まってしまう。 だから私は、この言葉が一番まずかったと思う。 命を説明したのではない。 結果として、 「命」という反論不能な言葉によって、説明そのものを終了させてしまった。 そう見えてしまうからだ。 もちろん、本当に命に関わる事情があった可能性は否定できない。 外部の人間には分からない。 第三者が関わっているなら、詳細を公表できないことだってある。 しかし、 「全部話せない」 と 「何も説明できない」 は全く違う。 たとえば、 「安全上の重大な事情が生じた」 「第三者保護のため詳細は明らかにできない」 「議員活動を継続する限り、その問題を解消することが困難である」 「必要な相談や安全確保の手続は取っている」 「これまでの政治的主張を撤回したわけではない」 それくらいは説明できる。 そうすれば、少なくとも、 安全のために退くこと と 政治的に敗北して退くこと を切り分けられる。 しかし「命を優先する」という言葉だけが前面に出れば、受け手には別の物語ができてしまう。 東京都と戦っていた政治家に何かが起きた。 そして命を守るために退いた。 本人がそういう意味で言ったのかどうかは関係ない。 政治家の言葉は、本人の意図だけでは成立しない。 どう受け取られるかまで含めて政治である。 そして、ここからがもっと重要だ。 これは単なる「言葉選びの失敗」ではない。 リーダー論として見ても、かなり深刻な失敗である。 リーダーとは、恐怖を感じない人ではない。 怖いものは怖い。 危険なら撤退する。 場合によっては、逃げる判断だって必要だ。 しかしリーダーには、その次の仕事がある。 自分の恐怖を、自分の中で処理することだ。 そして仲間には、 「何が起きているのか」 「何を守るのか」 「何を撤回しないのか」 「これからどう進むのか」 を示す。 リーダーの役割とは、全員の前で一番勇ましい言葉を叫ぶことではない。 混乱した状況を整理して、周囲に方向を示すことだ。 ところが今回の辞職表明で支持者に残されたのは、方向ではなかった。 不安だった。 「命を優先する」 と言われれば、支持者は当然考える。 そんなに危険なのか。 何があったんだ。 誰かに何かされたのか。 これまで応援してきた活動は危険なのか。 東京都を追及すると、こんなことになるのか。 やちよの会はどうなるのか。 これまで一緒に活動していた人たちはどうするのか。 そして、本人が具体的な説明をしなければ、その空白を支持者自身が埋め始める。 憶測が始まる。 噂が始まる。 陰謀論まで生まれる。 つまり、リーダーが自分で整理すべき不安を、支持者側にそのまま渡してしまった。 私は、ここが今回もっともまずいと思う。 自分の恐怖だけを置いて去ってしまったように見える。 リーダーなら、本来は逆である。 仮に自分が去らなければならなくなったとしても、 「私はここで離れる」 「しかし、この問題提起は間違っていない」 「ここまでは達成した」 「ここから先はこう引き継ぐ」 「皆さんが恐れる必要はない」 「私が去っても、この活動の意味は消えない」 と残す。 これが、リーダーの撤退だ。 戦い続けることだけが勇気ではない。 撤退することだってある。 しかし、 仲間が前を向ける形にして撤退する。 そこまでがリーダーの責任なのである。 政治家には支持者がいる。 もっと言えば、その人の言葉を信じて実際に動いた人がいる。 票を投じた人。 寄附した人。 ポスターを貼った人。 ポスティングした人。 SNSで応援した人。 家族や知人に投票を頼んだ人。 時間を使い、金を使い、ときには人間関係まで使って応援した人たちがいる。 リーダーは、その人たちを動かしてきた。 ならば、自分が突然去るときに、 「私は自分の命を優先します」 だけでは足りない。 自分の人生を守る権利はもちろんある。 しかし同時に、 自分を信じて動いた人たちを、どういう状態で残していくのか。 そこにも責任がある。 今回の違和感は、おそらくここにある。 本人にとっては、 「自分の人生を守るための決断」 だったのかもしれない。 しかし支持者から見れば、 「あなたを信じてここまで来た私たちは、どうすればいいのか」 という話でもある。 リーダーの辞職は、自分一人の人生の決断では終わらない。 だからこそ、退出するときほど、その人のリーダーとしての本質が出る。 そして今回、さらに厳しいのは、彼女がこれまで「戦う姿勢」そのものを支持の源泉にしてきたことである。 強い言葉を使う。 権力に食ってかかる。 既得権益を恐れない。 隠されたものを公開させる。 そういう姿勢を見せ続けてきた。 だからこそ、 「命は一つしかない」 という言葉の破壊力が大きかった。 本人としては「自分を大切にする」という当然のことを言っただけなのかもしれない。 しかし、支持者側には、 「最後は怖くなって退いたのか」 という印象が残り得る。 事実がそうだった、と言っているのではない。 そういう物語を、自分の言葉によって成立させてしまった。 それが問題なのだ。 そして、リーダーとして最も避けるべきなのはここだと思う。 「圧力をかければ、この人は退く」 という印象を残すことだ。 仮に本当に何らかの重大な外的事情があったのであれば、なおさらである。 リーダーが退くときに、 「私はここで退く。しかし要求を受け入れたわけではない」 「主張は撤回しない」 「記録は残す」 「問題提起は引き継ぐ」 と明確にしなければならない。 そうしなければ、相手側にも、支持者側にも、 「押された結果、退いた」 という印象が残る。 これは、政治運動を率いる人物にとって非常に大きな問題である。 結局、今回の件で問われているのは、 「辞めるのは弱いのか」 ではない。 そんな単純な話ではない。 問われているのは、 「リーダーとは何か」 ということだ。 リーダーとは、一番大きな声を出す人ではない。 一番勇ましい言葉を使う人でもない。 敵を一番激しく批判する人でもない。 本当にリーダーの資質が問われるのは、 自分自身が追い詰められたとき。 自分自身が説明を求められたとき。 自分自身が撤退しなければならなくなったときだ。 そのときに、 自分の不安を周囲にばら撒くのか。 それとも、 自分が不安を引き受け、周囲には方向を示すのか。 ここに決定的な違いがある。 だから、多くの人が今回感じた違和感を、私はこう表現したい。 「強い人だと思っていた。でも、強い言葉を使うのが上手な人だっただけなのではないか。」 強い言葉を使うことと、強い人間であることは違う。 そして、 強い人であることと、リーダーであることも違う。 リーダーとは、自分が最後まで立っている人ではない。 退かなければならないときでさえ、 残された人が前を向けるようにしてから退く人だ。 今回の辞職表明には、それが見えなかった。 むしろ残されたのは、 「命に関わるほど何か恐ろしいことが起きたらしい」 という巨大な不安と、 「でも詳しいことは分からない」 という空白だった。 これは、リーダーとして最も残してはいけないものではないだろうか。 命を守ることは間違っていない。 逃げることも、必ずしも間違いではない。 辞めることだってある。 しかし、自分を信じてついてきた人たちがいるなら、最後にやるべきことがある。 自分が何を守るために退くのか。 何については一歩も退いていないのか。 そして、自分が去ったあと、仲間はどこへ向かえばいいのか。 それを示すことだ。 だから私は、 「命を優先する」 という言葉こそ、今回もっとも言ってはいけない言葉だったと思う。 命を軽く扱ったからではない。 逆だ。 あまりにも重い言葉を、リーダーとして説明すべきことの代わりに置いてしまったからだ。 命を盾にすれば、誰も反論できない。 しかし、 誰も反論できないことと、誰もが納得することは全く違う。 そして最後に残る問いは、これだ。 リーダーとは、自分が安全な場所まで逃げ切る人ではない。 自分が去ったあとも、仲間が立っていられる場所を残してから去る人ではないか。 今回、多くの人が感じている違和感。 その正体は、辞職への失望だけではない。 「私たちが見ていたのは、本当にリーダーだったのだろうか」 という疑問なのだと思う。

PTA適正化推進委員会 佐藤

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