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Ana Sayfaya Dön

《クルド人問題・性犯罪》再犯 クルド人 ハスギュル・アッバスが Abbas Hasgül また、コンビニ駐車場で 日本人女子中学生(12) に性的暴行をし 逮捕され裁判にかけられているという。 今年1月、同じくコンビニの駐車場で 日本人女子中学生少女(14) を襲い 逮捕された事件の判決は、 『埼玉県青少年健全育成条例違反』で 懲役1年 執行猶予3年 だった。 裁判官は『不同意性交等罪』を適用しなかった。 しかし、今回の被害者は、12歳。 被害者が12歳と14歳とでは 法的処罰が大きく異なる。 被害者が13歳未満の場合は、 その事実さえ立証できれば、 『不同意性交等罪』で 5年以上の実刑判決がでる。 執行猶予は付かない。 仮に、また『埼玉県青少年健全育成条例違反』で裁いtても 執行猶予期間中に同じ犯罪を犯したため 普通なら、執行猶予が取り消され実刑となるが 裁判官の裁量で、また執行猶予がつく可能性がある。 こんな常習性犯罪に執行猶予をつけ、 被害少女らの心情を微塵も理解しない 下級裁判官たちも国民審査にかけるべきだと思う。 ちなみに、 前回の裁判長は「林 寛子」裁判官 女性だった。

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Benzer Videolar

知名度SSS 吉野凌雅 2023年2月3日 名古屋市中区にある くら寿司名古屋栄店にて 吉野凌雅は 無職の19歳の男と 15歳の少女とともに来店した。 そして吉野はそこで 備え付けの醤油さしに 直接口をつけて そのまま醤油を直飲みするという 迷惑行為を行った。 また吉野はその時の 様子を撮影した動画を SNS上にアップしたので 投稿された動画は瞬く間に拡散され 世間から大きな炎上が巻き起こり くら寿司は顧客から クレーム処理や お問い合わせ対応に 追われることになった。 こうした重大な 事態を招いたにも関わらず 吉野は何ら反省することはなく なんとSNS上に 謝罪動画と題した動画を投稿し ニヤニヤ笑いながら 「寿司を乱暴に扱ってすみません」 「深く反省してまーす」 などとふざけるような行為をしたので 世間からの更なる炎上を招いた。 結局、被害を受けたくら寿司側から 被害届を提出された警察は 威力業務妨害罪として捜査を開始し 吉野の動画撮影や SNSの投稿に協力したとして 共犯者である19歳の男と 15歳の少女を逮捕したものの 肝心の主犯格である吉野については 顔がはっきりしていたものの 住所不定だったために 行方が分からなかったので なかなか逮捕することが出来なかった。 実は吉野は自分の起こした、事の騒ぎが 予想以上に大きくなっていったので このまま日本にいたら 警察に捕まってしまうことを恐れて 韓国へと国外逃亡していたのだ。 だが結局同年3月6日に 所持金が底を尽きてしまい 生活に困窮してしまったので 日本に戻ってきたところを 警察によって逮捕されたのだった。 またさらに驚くべき事実が判明した。 なんと吉野はくら寿司で 迷惑行為を行っていた際に 一緒だった15歳の少女に対して 身代金目的の営利誘拐をしていたとして 威力業務妨害罪と併せて追起訴されたのだ。 バカッターで誘拐犯とは。 本当になんて奴だ。 ちなみにSNS上で、 自分の起こした 迷惑行為の動画を投稿して 事件化され 逮捕起訴までされたのは 吉野が史上初であった。 この事件では吉野が起こした あまりにも非常識すぎる 迷惑行為の他にも あまりにも端正な 顔立ちにも注目が集まった。 くら寿司で迷惑行為を行っていた吉野は 金髪でかなりの長髪であったので 「男なのか女なのか分からない」 との声がネット上で相次いだ。 そして同年3月8日に 逮捕されてから保釈された際の 吉野の様子がテレビに流れると 黒髪の短髪という あまりにも別人の恰好になっていたので 外見に対する評価が一変し 「本当に同一人物なのか?」 「小動物系のイケメンじゃん」 「普通にかわいいし、モテそう。 なんでこんな馬鹿なことしたの?」 などとの声が挙がった。 まあ見た目がガラリと変わったのは 反省をしていることをアピールして 減刑を狙うために 弁護士から入れ知恵されたためだろうが。 吉野は事件を起こした当時 定職にはついておらず住所不定で 新宿歌舞伎町のトー横で 放浪生活を送っていたとされていて 同じ路上生活の仲間たちからは 「タゴミ」という あだ名で呼ばれていたとのこと。 「タゴミ」とは 吉野が使用していた Xアカウントの名前が 「ただのゴミ」 であったことにちなんでいた。 吉野の知り合いであった トー横の少年は 「吉野はみんなからの人気者で ムードメーカーで サービス精神旺盛で 雰囲気をよく盛り上げてくれた」 と意外にも 好印象であったことを証言している。 また吉野はずっと トー横にいたわけではなく ドン横と呼ばれる、 名古屋市中区栄の ドン・キホーテ横の栄広場や グリ下と呼ばれる、 大阪道頓堀のグリコサイン下といった 若者たちの溜まり場にも 転々としていたとのこと。 ちなみに吉野は どうやって生活をしていたのかというと その日の日銭稼ぎのために 歌舞伎町内に約300店舗もある ホストクラブの体験入店をしては 5000円から 8000円程度の体験料を受け取ると すぐにその店を辞めてはまた別の店へと 体験入店を繰り返し行い 吉野は「体験入店荒らし」 として近隣界隈で有名人だった。 また吉野は知り合った女性から 金銭的な援助を受ける ヒモ生活を送っていたとの情報もあった。 ちなみに吉野が 警察の逮捕から免れるために 韓国へと逃亡したことはお話ししたが そこでもヒモ同然の 生活を送っていたとされている。 吉野がxのアカウントに 投稿していた内容によると 逃亡先の韓国で 以下の生活を していたことが判明している。 まず朝は靴磨きをしてお金を稼ぎ そのお金を使用して 夜はキャバクラに行き そこでキャバ嬢の韓国人女性と知り合い 仲良くなると 女性を油断させた隙に 大量にお酒を飲ませて酔わせて 女性の金でラブホテルへと行き 酔っぱらって 意識を失っている女性の財布から お金を盗み出す というものであった。 吉野曰く 「新しいビジネス」 「ヒモスキルが高い」 とのことだが やっている行為は ただの昏睡強盗で 立派な犯罪行為だ。 自分の日々の生活費を得るために 真っ当に働こうとはせず 犯罪行為などで楽にお金を稼ごうとする ろくでもない奴だが そんな吉野の実家は豪邸で 父親は会社の社長ということで 意外にもお金持ちであったことが とある週刊誌の取材で判明している。 なので吉野は実家から ある程度の金銭的な 援助を受けていたとされていて その証拠として 吉野は無職であったにも関わらず くら寿司で迷惑行為を行った際に 身に着けていた上着がかなり上質なもので さらには保釈後に身に着けていた バックパックも 定価であれば10万円以上もする 大変高価なものであった。 また保釈金についても 300万円という 大金だったので こちらも親から 用意されたものであると考えられる。 とある週刊誌の記者が 吉野の父親とされる人物に 電話で突撃取材をしたところ 「確かに息子は 凌雅といいますが、人違いだ。 事件を起こした人物と 同姓同名、同年齢だが、 まったくの別人だ」 と話して 自分の息子ではないと否定したとのこと。 だが「凌雅」というな名前は珍しく しかも同年齢であるので 恐らく自分の息子が起こした事件で 散々煮え湯を飲まされてきたので 親子の縁を切って これ以上関わり合いに なりたくないのだろうと推定される。 またネット上でも 吉野は父親との 仲が悪かったことが噂されていて 「お金はあったのかもしれないけど、 愛情のない家庭に育ったのかも」 「親が独親で居場所がなくて 放浪生活を続けていたのかも」 と考察する声が多かった。 2023年7月20日 名古屋地裁で吉野の初公判が行われ その時の吉野の外見が 逮捕前とあまりにも 変わっていたことが 大きな話題となった。 吉野は逮捕後、 保釈された時よりも さらに髪を短く切り 黒いスーツを着用した姿で 裁判所の前に殺到していた 報道陣の前に現れて 「二度とこんなことをしたくない」 と真剣な口調で語って 頭を深く下げた。 また吉野は行われた公判でも 起訴内容をすべて認めた上で 「面白いと思ってやってしまった」 との犯行動機を語った。 ちなみに吉野は逮捕される直前に 自身のxアカウントで 「僕は捕まりましぇーん」 とふざけたツイートを行ったり 逮捕された後も 「醤油さしに口はつけていない」 などと的外れな言い訳を行っていた。 なのでいくら見た目を変えても 減刑を狙うための パフォーマンスに過ぎず 反省しているふりを しているとしか思えないだろう。 同年10月13日、名古屋地裁で 被告人である吉野に対して 懲役3年 執行猶予5年の有罪判決が言い渡された。 裁判長は判決理由について 「顧客に安心して 食事をしてもらおうという 同社の努力を無にしかねない、 あまりにも無分別な犯行」 と指摘した。 吉野は判決直後 報道陣の取材に対して 「常識外れでおかしな部分があった」 と発言した上で 「たくさんの方に申し訳ない気持ちだ。 まっとうに働いて、 くら寿司さんに賠償していきたい」 と謝罪した。 そして吉野は現在 元犯罪者の社会復帰を 支援する建設企業で 見習いの塗装工として 働いているとされている。 仕事の日当は9000円で 休みは日曜日のみで 週6日勤務だ。 なので月収は21万円程度と推定され そこから日々の生活費を抜くと くら寿司側に対する 具体的な賠償金額は不明だが 一生かかっても 賠償は不可能であると思われる。 自分の犯した愚かな行為によって 一生を棒に振ることになった。

許せない凶悪事件

106,262 görüntüleme • 1 ay önce

交際を断った。 それだけだった。 ナイフで何度も刺され、 斧で頭を殴られた。 19歳の夢が 住宅街の路上で終わった。 2016年2月27日夜、福岡市西区姪の浜で起きた 「姪浜女子予備校生殺害事件」。 北川ひかるさんは当時19歳の予備校生。 大学進学という夢に向かって 一生懸命勉強していた。 ひかるさんはどんな人だったのか。 大学受験に向けて予備校に通い、毎日努力を続けていた19歳だった。 将来への夢があった。 家族がいた。 友人がいた。 その日常が 2月27日の夜に突然終わった。 何が起きたのか。 同じ予備校に通っていた元少年(当時19歳)は、ひかるさんに交際を申し込み、断られた。 さらに「自分の秘密を言いふらされた」と一方的に思い込んだ。 その夜、 ひかるさんの自宅近くの路上で待ち伏せた。 ナイフで首や顔を何度も突き刺した。 倒れたひかるさんの頭を 斧で殴った。 近隣住民の110番通報で警察が駆けつけたとき、ひかるさんはすでに血を流して倒れていた。 病院に搬送されたが、 まもなく死亡が確認された。 しかし、 この事件には「もう一つの顔」がある。 元少年は犯行直後、 自ら近くの交番に出頭した。 「知り合いの女性を刺した」と。 両手は血だらけだった。 自首した。 それでも、 逮捕は2週間後だった。 出頭後、元少年はいったん病院に入院させられた。 その間、精神状態の確認が行われた。 正式逮捕は3月11日。 事件から12日後だった。 その後、精神鑑定が実施された。 弁護側は 「事件当時、統合失調症を発症しており、心神喪失または心神耗弱状態にあった」 として、無罪または刑の軽減を求めた。 しかし、 2017年10月31日、福岡地裁の裁判員裁判は 「完全責任能力があった」 と判断した。 🔴 判決 裁判長はこう述べた。 「北川さんに交際を断られ、一方的に恨みを抱いて殺害した。自己中心的で身勝手極まりない犯行」 判決は懲役20年。 検察の求刑は懲役22年だった。 検察も弁護側も控訴せず、 懲役20年が確定した。 交際を断られた。 秘密を言いふらされたと思い込んだ。 ナイフと斧で殺した。 答えは 懲役20年だった。 20年後、 元少年は出所する。 ひかるさんは 二度と帰ってこない。 大学進学という夢を持って 毎日勉強していた19歳が 「交際を断った」 ただそれだけで 命を奪われた。 「ノー」と言う権利が 命取りになった。 この社会で 「断る」ことは なぜ命がけにならなければならないのか。 あなたは、 交際を断っただけで命を奪われたこの事件を、どう思いますか。

Ajay Verma (アジャイ・ヴェルマ)

1,201,972 görüntüleme • 1 ay önce

親友に、「会いに来て」と誘われた。 その部屋で、 彼女の首は 切断されていた。 2014年7月26日、長崎県佐世保市。 「佐世保高1同級生殺害事件」。 松尾愛和さんは明るく面倒見が良いと評判だった。写真部に所属し、日常の風景を撮り続けていた。歴史が得意で、将来は大学の文学部に進みたいと話していた。1学期は無欠席で、生活態度も真面目だった。 その愛和さんが15歳で死んだ。 犯行時刻とみられる午後8時ごろ、2人は加害者がひとり暮らしをするマンションの一室で過ごしていた。加害者は愛和さんの頭部を金属製の工具で何度も殴り、犬のリードで絞殺した。さらに遺体の首と左手首は切断された。 母親が「7時ごろに帰る」というメールを受け取った。 その後、愛和さんは戻らなかった。 しかし、この事件には「もう一つの顔」がある。 実は、多くの専門家が事件の前から加害者の少女に関わっていた。カウンセラーも、精神科医も、児童相談所も。 サインは、あった。 何度も、あった。 加害者の少女は小学校のときから人間関係でトラブルを度々起こしていた。 冷蔵庫の中には猫の頭蓋骨が見つかった。中学生のころから繰り返し猫の解剖をしていたと供述した。 それでも、誰も止めなかった。 加害者は取り調べで淡々と語った。 「中学生の時から殺人欲求があった」 「人間でも試してみたかった」 「解体してみたかった」 反省の言葉は、一切なかった。 🔴 処分と判決 加害者の少女は高校1年生のとき医療少年院に収容された。2021年、23歳になる前に、収容先の少年院長が26歳になるまでの収容延長を決定した。26歳まで延長するのは前例がないとされた。 刑事裁判:なし(少年法により) 加害者からの謝罪:なし 遺族への賠償:なし そして加害者の父親は、事件後に自ら命を絶った。 愛和さんの遺族は言った。 「一生、赦しはしない」 教育はもちろん大切だ。しかし、もしも誰かがもっと深く加害者の心の病理性に関われていたら、結果は違っていたかもしれない。 カウンセラーがいた。 精神科医がいた。 児童相談所がいた。 全員が、関わっていた。 誰も、止めなかった。 愛和さんは「会いに来て」と誘われた友人を信じて、その部屋に入った。 その選択を、誰が責められるのか。 「解体してみたかった」と語った16歳は少年院に入った。少年法に守られ、刑事責任を問われることはなかった。 愛和さんは15歳のまま、時間が止まった。 あなたは、何度もサインを出していた加害者を止められなかった大人たちと、少年法で守られた加害者に、どう向き合いますか。

Ajay Verma (アジャイ・ヴェルマ)

3,802,350 görüntüleme • 3 ay önce

2026年2月12日。ソウル中央地裁。 83歳の宗教指導者に対する勾留執行停止が決定された。 今回の判断で注目すべきは、「保釈」ではなく「勾留執行停止」である点だ。 勾留の効力自体は維持しつつ、健康上の緊急性を理由に一時的に執行を止める制度。居住地は病院に限定され、接触者も医療スタッフ・弁護人・介護者に制限される。厳格な条件のもとでの措置であり、裁判そのものを止めるものではない。 収監後の複数回の転倒、持病の悪化、専門医による治療必要性の指摘。 高齢と健康リスクが具体的に示されている以上、司法が人道的配慮を優先したことは、制度の趣旨に沿う判断と言える。 ここで大切なのは、容疑の当否と健康問題を分けて考える視点である。 起訴内容がどうであれ、83歳の高齢者が医療的に危険な状態で拘置所に置かれることが妥当かどうかは別次元の論点だ。法は裁くためにあるが、同時に守るためにも存在する。 国際的にも、宗教の自由と被拘禁者の人権はしばしば結びつけて議論される。 特に宗教指導者の拘束は、単なる刑事事件としてではなく、信仰共同体全体への影響という観点でも見られる。だからこそ海外の政治家や宗教自由を重視する層からも関心が向けられてきた。 今回の決定は、無罪確定でも全面釈放でもない。 しかし「健康と尊厳を優先する」という司法の姿勢を示した一歩ではある。 信教の自由も、人道的配慮も、国家の成熟度を測る指標だ。 裁判は続く。だが命と健康は取り返しがつかない。 私は、この判断を静かに歓迎したい。 そして何より、回復と公正な審理が両立することを願う。

祈祷弁護士/Prayer Lawyer

10,256 görüntüleme • 6 ay önce

知名度SSS 河原美代子 騒音おばさん事件 奈良県生駒郡平群町に 住んでいた主婦である河原美代子は 2002年11月から 2005年4月までの約2年半もの間 隣近所に住んでいた 被害者夫婦に対して CDラジカセで24時間365日 大音量で音楽を流し続ける 布団を大きな音でたたき続ける 大きな声で暴言を吐く 車のクラクションを鳴らす などの迷惑行為を行い これにより奥さんの方に 不眠や幻覚、頭痛などの症状が現れ 病院への通院を余儀なくされた。 騒音おばさんが、鬼のような形相で 引っ越しを迫ったり、暴言を吐く映像は 被害者夫婦が撮影して マスコミに提供したもので これをきっかけに 騒音おばさんは全国で有名となった。 さて先ほど、騒音おばさんの迷惑行為が 2002年からだと述べたが 実はそれ以前にも 騒音おばさんと被害者夫婦との間で トラブルは発生していて 一連の事件の発端は1989年に遡る。 被害者夫婦が騒音おばさんの 住む近所に引っ越してきた年だ。 そして1990年ごろから 騒音おばさんと被害者夫婦との間で トラブルが起こるようになり 1996年に騒音おばさんが CDラジカセで大音量の音楽を流したことで 被害者夫婦は民事訴訟を起こし 1999年に騒音おばさんは敗訴し 被害者夫婦に対して 約60万円の罰金を支払った。 だが騒音おばさんの 嫌がらせ行為はその後も続き 2000年に騒音おばさんが 被害者夫婦の住み家の玄関を蹴飛ばし その様子が設置してあった監視カメラの 映像に残されていたことから 2002年に 器物破損の疑いで騒音おばさんが逮捕。 騒音おばさんの迷惑行為が 一時的になくなったのは この時の逮捕拘留中のみであった。 そして2005年4月11日に 騒音おばさんはついに 傷害容疑で逮捕された。 それ以前にも奈良県警は 被害者夫婦の訴えで 騒音おばさんの逮捕に 踏み切ろうとしたものの、 騒音おばさんは 警官が自宅を訪れるときだけ 騒音行為をやめるなど 証拠が不十分であったことから なかなか難航していた。 だが警察は 騒音おばさんの出す 騒音の大きさを測定したり 被害者で騒音おばさんの迷惑行為により 体調不良を起こして 1か月間の通院を余儀なくされた 奥さんの健康診断書などの提出を受けて ようやく逮捕することができたのだった。 その後、奈良地裁で 行われた公判で検察側は 「隣人に苦しみを与えた陰湿な犯行で、 嫌がらせは約2年6か月にわたった。 “騒音おばさんの町”として 平群町の悪評を広めた」 として懲役3年を求刑。 だが被告である騒音おばさんは 「被害者である奥さんの 女性が何でもわたしのせいにした」 「謝ってしもうたら、 冤罪を認めることになる。 自分に罪はない。 認めるつもりはない!」 などと罪状を否認し無罪を主張。 便箋70枚にも及ぶ意見陳述書を 騒音おばさんは 法廷で読み上げようとしたが 裁判長によって 途中で止められたとのこと。 また、騒音おばさんは、 犯行の証拠として採用された 「引っ越し、引っ越し」 と叫びながら布団をたたく あの映像が法廷で流されると、 その映像の音楽に合わせて 踊る場面があったとのこと。 弁護側も 「音を流す行為自体は、 傷害罪とはいえない」 として無罪を主張したが 裁判長は 「音楽を大音量で鳴らし続ける行為は、 被害者に精神的ストレスを与え、 身体の生理的機能を害するもので 傷害罪にあたる」 と認定し、 「執拗かつ陰湿。 反省の態度が感じられず、 再犯の可能性も強い」 として、騒音おばさんに対して 懲役1年の実刑判決を言い渡した。 だが騒音おばさんは 判決を不服として控訴し、 検察側も 「2年以上にわたり 積極的に危害を加えたのに、 量刑が軽すぎる」 などとして控訴した。 そして大阪高裁の控訴審で、 裁判長は 「傷害の確定的な故意があり犯行は陰湿。 1審判決の量刑は軽い」 として、懲役1年8カ月の判決を 騒音おばさんに対して言い渡した。 騒音おばさんは上告を試みたが 2007年4月に 最高裁は上告を棄却して 高裁の懲役1年8カ月の判決が確定。 なお、未決拘留日数が差し引きされ 騒音おばさんが実際に服役したのは 約3カ月程度で 2007年7月に 騒音おばさんは満期で出所した。 ちなみに2004年に 被害者夫婦は騒音おばさんに対して 2度目の民事訴訟を起こしていて 刑事裁判と並行して民事裁判も争われていた。 こちらも2006年に最高裁は 騒音おばさんの上告を棄却して 200万円の賠償を命じた 大阪高裁の判決が確定したとのこと。 なので刑事、民事ともに 被害者夫婦が「被害者」 騒音おばさんが「加害者」であると 裁判で正式に認定されている。 だが動画の冒頭でもお話しした通り 実際は被害者夫婦の方が「加害者」で 騒音おばさんの方が 真の「被害者」だった のではないかという 衝撃の真相がネット上で 考察流布されている。 その根拠について これから解説していく。 もちろんあくまでも 推測や仮説にしかすぎないので ご注意して聞いていただきたい。 まず騒音おばさんこと河原美代子氏は 事件当時家族の介護に追われていた。 1947年に 富山県に生まれた河原氏は 1968年、21歳の時に お見合い結婚をして 女の子二人、男の子一人を授かった。 だが河原氏が結婚した夫は 実は遺伝性の病気である 「脊髄小脳変性症」を患っていて 河原氏がそのことを知ったのは 結婚してからだった。 「脊髄小脳変性症」とは うまく歩けない、 ろれつが回らないなどの症状があり、 次第に動けなくなり 死に至る恐ろしい病気だ。 遺伝性の病気なので 河原氏の夫だけでなく 夫の間に授かった3人の子供たち全員が 脊髄小脳変性症を発症し 河原氏は一人で家族全員の 介護をしないといけなくなった。 そのせいで日頃から 疲労やストレスをためていた河原氏に さらに追い打ちをかけるかのように 隣近所に住んでいた被害者夫婦から 嫌がらせを受けるようになる。 河原氏は過去に 2度引っ越した過去があり 1973年に大阪府八尾市に引っ越し 1988年に奈良騒音事件を起こした 奈良県生駒郡平群町へと引っ越した。 実は騒音おばさんは、 奈良騒音事件を起こす前にも 生駒郡平群町に引っ越してきてすぐに 被害者夫婦とは 別の隣人とトラブルを起こしていた。 こちらも民事訴訟にまで発展したが 騒音おばさんの方が勝訴して 敗訴した隣人は別の場所へと引っ越した。 そしてそれから 約2年後の1990年に 今度は被害者夫婦と 最初のトラブルが起きるようになる。 被害者夫婦は 自宅に外灯を設置していたが その外灯は河原氏の住む 自宅を眩しく照らし、 河原氏は眩しすぎて 病気持ちの家族全員が眠れないと 被害者夫婦に対して、 光がこちらに来ないように せめて囲いを 作ってくれないかとお願いするが 被害者夫婦は 河原氏のお願いを無視し、 あろうことか、奥さんは 早朝から布団を激しく叩くなど 河原氏に対して 嫌がらせを行うようになった。 また、河原氏は 病気を持つ子供たちのために 清潔な布団を用意しようと 毎朝頻繁に布団を干していたが そのことについて被害者夫婦は 「布団叩きがうるさい」 などと文句を言うこともあった。 さらには、被害者夫婦は 河原氏の子供たちに対して 「キチガイだ」 などと近隣住民に対して 言いふらすなどまでしていたとのこと。 その他にも河原氏は 家の中を盗み聞きされ、 それを近所に言いふらされる 監視カメラで家の中を盗撮される 塀の落書きを自分のせいにされる などの嫌がらせを受けていた。 もしこれらがすべて本当だったとしたら 河原氏が「被害者」で 被害者夫婦の方が「加害者」 と立場が全く変わってくる。 河原氏がCDラジカセで 大音量の音楽を流していたのも 家の中を盗み聞きされることを 恐れたからだと法廷で証言している。 「子供の泣き声がうるさいなど 近所から苦情を言われ 裁判を起こされたので、 生活音を消すためするようになった。 亡くなった娘の悪口を言いふらされたり、 鍵穴を塞がれるなど虐めに遭っていた」 河原氏は2000年に長女を亡くし 2002年に次女を亡くした。 そして夫と長男の病状が どんどん悪化していく中で 河原氏は介護を続けた。 そのような状況のなか 被害者夫婦から毎日のように 嫌がらせを受けていたことで 河原氏は追い込まれていき、 とうとう精神のバランスを崩して 事件にまで発展してしまった。 河原氏は、被害者夫婦から 自分の家族を守るために CDラジカセで大音量を流して 暴言を吐いて対抗しようとした。 しかし被害者夫婦に そのことをうまく利用され 映像を証拠として 警察とマスコミに提出され 世間から「河原氏が一方的に悪い」 という状況になってしまった。 確かに、河原氏の動画を警察だけでなく マスコミにまで提出したのは謎で 被害者夫婦が マスコミに情報を流したのは 河原氏を一方的に 悪者に仕立て上げようという 魂胆が伺える。 ただ繰り返しになるが これはあくまでも推測や仮定にすぎず 行われた裁判の結果は 河原氏が加害者であると 結論づけられている。 だが河原氏は近所の人に対して 植木の世話の仕方を教えたり ゴミ捨て場の掃除を 率先してやるなどしていたので 近隣住民からの評判はかなり良かったそうで、 これも 「実は騒音おばさんの方が被害者だった」 とする説を裏付けている。 また河原氏は、 被害者夫婦以外の近所の人に対しては 笑顔で挨拶したり、 この騒動を申し訳ないと 頭を下げて謝っていた という情報まであった。 また河原氏は親族からの評判もよく 「愚痴一つこぼさずに家族の介護をしていた」 という証言もあったとのこと。 なぜこんなに評判の良い河原氏が 狂気じみた「騒音おばさん」へと 変貌してしまったのか。 それはやはり... 騒音おばさんは2007年7月に 満期で出所したのち 奈良県生駒郡平群町にある 元の自宅へ戻ったとの 情報がネット上にあった。 そして被害者夫婦の方は事件後 近隣住民からいじめにあい、 どこかに引っ越していったので 騒音おばさんは騒音を出すことがなくなり 現在は静かに 平穏に過ごしているとのことだ。

許せない凶悪事件

1,892,434 görüntüleme • 1 ay önce