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ドルビーアトモス用の別ミックス作業風景 ギミックではない音楽的に広がりのある表現の技術としてミックスした。 例えばコーラスの広がりや環境音の立体的な配置はどこにするか、どこから聴こえてくるか。 映画音楽でもなく実験的なアートでもなけ あくまで良い音楽を目指した。 #LYPS #shingosuzuki

31,155 次观看 • 1 年前 •via X (Twitter)

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【絶体絶命の楽器編成】 たまに、ドラム・ピアノ・フロントという、いわゆる“ベースレス”の編成でライブをやらされることがあります。 ドラムがいるにもかかわらずベースがいない。この編成はピアニストにとって最も厄介な状況の一つかもしれません。 多くのアマチュアのピアニストは、ベーシストがいないと分かった瞬間、左手でウォーキングをしてしまったりします。 しかし、音楽は必ずしも理屈で解決すべきものではありません。 やることは、実は極めてシンプルです。 三人全員が、抜群にスイングし、良い音で演奏すること。 それだけです。それだけで音楽は成立します。 もう一度言います。 良い音で、三人が同時に演奏する。ただそれだけ。 この動画を観てください。 無理に相手に合わせようとしていますか? 過剰に「化学反応」を起こそうとしているでしょうか? ただ相手の音を聴きながら、良い音で演奏しているだけです。 理論的にも、特別に難しいことは何一つやっていません。 ただし、ここに至るまでには時間がかかります。良い音でスイングして演奏できるようになれるように、一生かけて勉強します。どんなに才能がある人でも最低20年はかかるでしょう。 結局のところ、自分の演奏に一切の嘘がなくなるレベルまで到達しなければ、こうした「シンプルなこと」はできないのです。これはその事実を如実に示している一例です【完】

天才ピアニストゆうこりん❤️ 4/22 中目黒 楽屋 🎹 Yuking of Swing🔥

33,834 次观看 • 9 个月前

『映画ちいかわ 人魚の島のひみつ』は、原作を超えたのか。 結論から言う。 超えた部分もある。だが、原作にしかない怖さも失われた。 長文です。動画も作りました。 映画化としては、かなり成功している。 しかし、すべてが原作以上になったわけではない。 まず、映画が原作を超えたと感じた点を三つ挙げる。 一つ目は、音である。 漫画では、セイレーンの歌声も、波の音も、攻撃の衝撃も、読者が頭の中で想像する。 だが映画では、それらが具体的な音として押し寄せてくる。 特に、かわいらしい画面と、重く響く音の落差がすごい。 人魚をめぐる真相も、漫画ではコマと擬音によって距離を保てたが、 映画では音が付くことで、行為の暴力性が一気に現実へ近づく。 二つ目は、時間である。 漫画は自分の速度で読める。 怖い場面で止まることも、前のページへ戻ることもできる。 一方、映画は観客を決められた速度で物語の先へ運ぶ。 島へ着いた直後の楽しさ。 島民たちとの交流。 セイレーンの出現。 そして真相。 楽しい時間が少しずつ壊れていく流れを、観客は止められない。 この逃げられなさは、映画だからこそ成立した恐怖である。 三つ目は、登場人物の感情である。 ちいかわが怯える呼吸。 ハチワレが状況を理解しようとする声。 ラッコが危険を前にして見せる緊張。 うさぎの予測不能な動き。 漫画では小さな表情の変化として描かれていたものが、 声と動きによって立体的になっている。 特にヒトハとフタバは、真相を知ってから見返すと、 沈黙や視線の一つ一つが別の意味に見える。 これは映像化の大きな成功である。 では、原作の方が優れている部分は何か。 一番は、余白である。 漫画では、残酷な行為そのものをすべて説明しない。 コマとコマの間に、読者が想像する空間がある。 何が起きたのか。 どんな気持ちだったのか。 この先、二人はどうなるのか。 答えを与えすぎないからこそ、読後に不安が残る。 映画は音と動きで情報が増えた分、原作の曖昧さが少し減っている。 もう一つの弱点は、映画として観ると、 中盤の反復が長く感じられる可能性があることだ。 島での楽しい時間と、セイレーンによる被害を丁寧に積み上げる構成は、 原作ファンにはうれしい。 しかし、初めて触れる観客には、 物語の本当の焦点が見えるまで時間がかかるかもしれない。 そして最大の問題は、映像が豪華になることで、 残酷な物語まで娯楽として気持ちよく消費できてしまうことである。 アクションの迫力。 歌の魅力。 かわいい登場人物。 それらが強いほど、本作が描く罪や責任が薄く見える危険もある。 それでも私は、この映画化を高く評価する。 理由は、原作を分かりやすい子ども向け作品に変更せず、 ナガノ作品の不穏さを残したからである。 原作を超えたかどうかを、勝ち負けで決める必要はない。 漫画は、余白で怖がらせる。 映画は、音と時間で逃げ場を奪う。 同じ物語を、異なる方法で怖くした。 映画を観た人は、ぜひ原作も読んでほしい。 映画で具体化されたものと、漫画で最後まで曖昧なまま残されたもの。 その違いを比べたとき、 『人魚の島のひみつ』という物語の異常な完成度が、さらに見えてくるはずである。 あなたは、映画と原作、どちらが怖かったですか。 コメントで教えてください。

榊󠄀原清一 / 人財版 令和の虎 主宰

44,708 次观看 • 1 个月前

息子くん中学入学! なんと吹奏楽部入った!!! 途中弓道とか野球とか言ってたけど笑 素直にマジで嬉しい😃 しかも希望楽器第3希望とかまで書いて楽器持ってるとかは考慮しませんってなっててサックスダントツ競争率高くて…そんな中見事アルトサックス引き当てた!!! 君は持ってるなぁ!! アルトサックスなら腐るほど家にあるよ! なんなら友達の分もあるよ!笑 もちろんこれでミュージシャンになれるかは全く分からないけど中学から音楽に関わるのとそうでないのではだいぶ違い出てくるなって! ウチの生徒達でも高校からの人ほとんど居ないし! ピアノは3歳位からやってるのでまぁ音楽には関わってるけどサックスは全く教えてこなかった。 で今日初めてまともにレッスン!! めっちゃバカ親的には素晴らしい才能!!!すぐ音出た!しかもなかなかイイ音!!これメッチャ大事! ほんとバカ親的には直感的に自分の音に似てる!!たぶん口のちっちゃさ関係してるかと!ビックリ‼️ あとは絶対音感あるからそこの克服かな?!サックス移調楽器だから説明面倒だけど最近生徒達でも絶対音感な人多いからだいぶ教えるノウハウある! まぁ基本的には伸び伸びと音楽楽しんで欲しいな!パパは放任! 楽しくなくなったら大好きなYouTuberでもやればいい!くらいなスタンスがプレッシャーなくてイイんじゃないかな! この初回レッスンただの音階からどう発展するか? 人生の楽しみが増えたぁ〜!!!

本田雅人

251,320 次观看 • 1 年前

🎹新曲🎹 『 真夜中の追想、朝露はその返歌。 』 竹馬あお feat. 花隈千冬 ニコニコ ▶ YouTube ▶ #ボカコレ2025夏ex 参加曲です。 音楽に、なりたい。 前を向くことを約束する、そんな音楽になりたい。 あなたをまた見附ける、そんな音楽になりたい。 闘う者達に寄り添う、そんな音楽になりたい。 ------------------------------------- 音源の残っている初めての曲を作ってから、今月でちょうど10年となった。 初めて作った音楽は、「夏休みがつまらない」という感情を自然に発露したインストだった。インターネットのどこかに転がっている。あのとき、自分の中にある感情を言語ではなく音楽で表現することを選んだために、10年もの逃れられない業を背負うことになったのは、一種の奇跡だと思っている。 拙作「さようなら、流星群」でもテーゼとして据えた通り、僕は別に光る才能があるわけではない。それでも、音楽は言葉と同じく、表現者を選ばない。才能があれば、より聴き手の共鳴を喚起する作品を創れるようになるというだけだ。ところが、別にランキングを掻っ攫うような才能がない僕でも、10年間、誰かしらに見つけられ、聴かれ、たまに感想をもらうことができた。僕が己の人生から血肉を削ぎ取り、それを自分なりに理想で味付けして、開示する。すればするほど、僕はこの身に余るほどの愛を受け取ることができてしまった。 愛と、繋がりと、期待と、そして(才能または寿命または意志の)欠陥。創りつづけることは理想であって、現実は、もっともっとたくさんの良い音楽で溢れていて、世界に一石を投じるようなことなど僕にはできない。 僕の音楽を見つけてくれた人、ないし愛してくれた人々にとって、次の強い共鳴を喚起する音楽は、僕のじゃなくていい、誰のものでもいい。積極的にプルしてこなくても、押しつぶされるほどに良い音楽が電脳世界からプッシュされてくる。 僕は、期待に応えられないかもしれない。己の削られうる部分はきわめて有限だからだ。 そう思いながら、社会人になってからの僕は、「他でありたい」感覚を強く抱くようになった。 価値の話をしたい。 平たくいえば、社会人になってからは自分のことがあまり気にならなくなったのだ。 学生時代の僕は、長らく自分の無価値さを「どうにか」したかったし、それゆえ、周りの人/物事よりも、自分のことを考えることが多かったように思う。アイデンティティの確立というか、自己効力感の獲得というか、そういうもの。 でも、今は、システムでありたい。音楽でありたい。己の人生(時間や労力や肉体や精神など)を焚べて、対他の価値を生み出せられればよくて、対自の/固有の価値は、もうどうでもいい。どうでもいいというか、それが等しく対他の価値に転化されていくという感じ。 「今」の僕の価値は、そこから生み出される音楽の価値を超えないし、自分の過去や未来を言祝いだり、人々に寄り添いだりすることで生じる価値を超えない。 逆に、過去の自分に「それなりにうまくやってるよ」と言ってあげたり、未来の自分に前を向くことを約束したり、あるいはこれまでお世話になったあなたたちに感謝するとともに、いつか苦しい思いをしたときに背中を押してあげられたり、そういうことができるかもしれないことに、僕は嬉しさを感じる。 言葉を紡ぐのも音楽を奏でるのも別に上手くはないけれど、いつか・どこかで・誰かにとってプラスになるように生きたい/創りたい。 いつかの崩れ落ちそうな真夜中から、僕らを次の朝へ導いてくれるのは、やはりこうして遺されていった、僕の私有物でも何でもない音楽たちであってほしい。 シンガロングを歌ってくれた・あるいは歌おうとしてくれた皆さんへ:いつもありがとうございます。僕はいつもいつも、皆さんの言葉/声/音楽に救われてばかりです。 MV を観てくれた皆さんへ:映像の最後の 1 分間に真っ白いキャンバスを置いたので、最近の「祈り」をコメントで遺してあげてください。いつかの誰かをちょっとでも、救うことになるかもしれません。 #ボカコレ2025夏 #vocaloPost

竹馬あお | SyngUp!ファンメイドアルバム作った

28,530 次观看 • 1 年前

沖縄音楽や民謡は文化によって守られた時点で、生活と密着しなくなり進展のない音楽になってしまうと思います。 坂本龍一さんが、沖縄音楽を取り入れてアルバムを作った1980年代に下記のことを言ってましたが、30年近く経った今も考えさせられます。 『沖縄へ 1987年8月 坂本龍一』 なぜもっと血と共同体から離脱しないのか 沖縄の音楽にしても、沖縄の人間が"沖縄音楽を使った現在の音楽"を作っていない。東京経由の洋楽(ロックとかポップス)をやっているだけです。あるいは、現在をとり入れないで、トラディショナルをやっている人達、そのどちらかだけです。僕は一生懸命探したけれど、沖縄の三線とか沖縄のメロディーを使ってロックをやってる若い奴っていない。それって日本の縮図だと思った。日本そのものだ、と。 沖縄のものを使うことはトラディショナルに復帰することでもないし、英語が少しできるからといって、東京経由のポップソング、ホイットニー・ヒューストンの真似することでもないはずなんです。なんでもっと、自分の血とか共同体を離脱しないのかってね。そこからどれだけ離脱するかが、地球音楽だと思う。 共同体のタコツボに生温かくもぐり込んでるのがいちばん楽なんです。外へ出るということは、とりあえず勉強することなんです。それって勇気ですよ。自分にないコードを解読することでしょ。外へ出て、決して定点を持たない地点から、どんな音楽地図が描けるか?実は地球自体、上も下もないんです。北半球が上というのは人間の単純な思い込みです。端的に地を失えばいいんです。定点のない地球儀、それが『NEO GEO』です。 その坂本龍一さんに影響されて作った『NEO SAYA』は、沖縄音楽とアイヌ音楽をミックスして新大陸的な楽曲を目指しました。 私も沖縄民謡に新しい音や独自の音を混ぜて、チャンプルー的に新しい進展のある沖縄音楽を作っているつもりで活動しています。

彩Saya (ex 沖縄電子少女彩 Okinawa Electric Girl Saya)

49,310 次观看 • 11 个月前

スケールコンクール。 スケール(音階)には、全く才能は関係ない。 もちろん良い耳を持っていると習得は早いです。 しかし、それは早いだけで、そこから先にはどれだけスケールを美しく演奏できるかという終わりの無い追求がある。 スケールは人間の発見した、数ある周波数の中から発見した、最も美しいメロディでもあり、最も合理的なシステムでもある。 スケールの習得は、楽典の基礎、楽器のメカニズムの理解、「指をよく使う」特徴のある音楽の基本動作の学習によって成される。 ここに才能は関係ない。 足し算引き算を理解するのと同じで、ある程度普遍的な法則がある。 スケールを演奏できない=調性の法則を体得していない その時点で、楽曲の仕組みを芯から理解することはできない。 おそらく感じることが出来るのは、メロディが好みかどうか、ハーモニーが心地よいかどうか、音量が大きいかどうか、曲のコード進行が好みかどうか、リズムが面白いかどうか、 この段階までの理解しかできない。 もちろん、この段階までの理解でも音楽を十分に味わい楽しむことも出来る。 スケールの習熟度で、奏者のレベルはわかる。 ・長短の調性が吹けるかどうか ・インターバルのスケールがどれくらい出来るか ・アルペジオがどれくらい出来るかどうか ・アーティキュレーションのパターンがどれだけクリアに出来るか ・フラジオ音域までどれだけ出来るか ・どれだけレガートで出来るか ・その他音階をどれだけ出来るか ジャズにおいては ・教会旋法をどれだけ体感して出来ているか(これはあまりJAZZの知識がないので主観です) こうしたスケールの要素には、才能は全く関係ない。 才能がないと思ったらスケールを徹底して取り組むべき。 そして、それが才能になる。

Yo Matsushita 松下洋 🎷

12,875 次观看 • 1 个月前