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ノルウェーの首都オスロの人口は70万人で、95万人の世田谷区より少ない。 そこにこれだけの数のイスラム教徒が外部から来て住み着いたら、社会は根幹から変わってしまう。 日本も同じ道を辿ることを国民は望んでいるだろうか? 違うと思う。 #移民政策

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日本と海外で人気に差があるアーケードゲーム①:センチピード アタリの代表作の一つで、映画「ピクセル」でも大きく取り上げられたタイトルだ。 うーん、有名なゲームだけどセンチピードの他にも取り上げるべきゲームはあるんじゃ?と思った日本人の方も多いのではないか。正直私もそう思った(続く) しかしこのセンチピードは、1982年の北米において売上ランキングでミズ・パックマン、パックマン、ドンキーコングと共にトップ4(正確には3位タイ)に入る程の大ヒットタイトルであり、移植版やクローンゲームも数え切れないほど出ているバケモノゲームなのだ。だから映画でセンチピードが取り上げられたことに疑問を持つ米国人は恐らく少なかっただろうと思われる。 一方日本では、米国リリースの数年後に発売されたものの米国ほどの人気は得られなかった…というかゲーセンで殆ど見なかったような気がする(個人の感想です)。 このゲームの大ファンの方には申し訳ないのだが、私はこのゲームがちょっと合わない。完全に後追いでプレイしたせいだろうか。当時の筐体でトラックボールを使ってプレイすれば、また違う印象を持ったのかもしれないが…。 本作の人気に差があったのは、単に日本での出回り数が少なかったからなのか、欧米人と日本人の感性の違いからなのかは分からない。恐らく両方の理由だろうと思うが、個人的には後者の「国ごとの感性の違い」に興味がある。ギャラガやドンキーコングやパックマンのように双方の国で大ヒットしたゲームもあるのに、センチピードはなぜ日本ではヒットしなかったのか…。 ビデオゲームは比較人類学の研究対象にもなり得るのではないかと個人的には思っている。 ちなみにこの「日本と海外で人気に差があるアーケードゲーム」のポストは、第4回まで続ける予定です(※)。 #レトロゲーム ※アーケードゲーム限定です。また、当時に海外もしくは日本でしか発売されなかったゲームは除きます。

moai1234

44,862 Aufrufe • vor 1 Jahr

今回、 マレーシアに帰る前に 大阪で【魔王シンフォニー】のプロモーションがあった。 その日の夜、 仲間と食事をしていたんだが、 外からやたらと爆音を立てる車とバイクの音が聞こえてきた。 最初は、 「こんな時代にまだ暴走族が頑張ってるのか」 くらいに思っていた。 だが、 店を出て外に出た瞬間、 想像していた光景とはまるで違った。 そこにいたのは、 昔ながらの族車ではない。 改造された車が、 爆音を響かせながらゆっくりと街を流している。 そして、 何より驚いたのは、 その車を運転しているほとんどが外国人だったことだ。 歩道でそれを撮影している人間たちもほとんど外国人。 周辺に詳しい人に聞くと、 週末だから騒がしいわけではないらしい。 毎日のように、 同じことが繰り返されているという。 「なんだ、この異様な光景は…」 思わず言葉が漏れた。 まるで、 自分の知っている日本じゃない。 爆音を鳴らしながら、 同じ場所を何周も流し続ける車。 「好き放題やってんな…」 思わずそんな言葉も漏れる。 もちろん、 日本にいる外国人全員がそうだと言いたいわけじゃない。 そんなことは当然わかっている。 だが、 一部の人間たちが、 まるで自分たちの場所のように振る舞い、 周囲がそれを止められず、 誰も違和感を口にしなくなっている空気に、 妙な不安と大きな違和感。 日本は、 これからどうなっていくんだろうな…。

GACKT

559,398 Aufrufe • vor 2 Monaten

あのさー、イスラム教徒の子は悪くないけど、足を洗ってる場所が悪いよね。そこは足洗い場じゃなくて、みんなが手を洗って、顔を整えて、子どもなら蛇口に届くか背伸びして、会社員ならため息つきながらネクタイ直す場所よね? 日本人にとってトイレの洗面所ってそういう公共の身だしなみ台所でもある。そこに足をドンと乗せた瞬間、宗教以前に、日本の感覚だと台所のまな板に靴を置かれたに近い不思議な感覚がある。 こういうマナー違反って、国籍、民族、宗教関係なく、アウト。仏教だろが、キリスト教だろが、シーア派だろが、洗面所は礼拝前に足を洗う場所ではない。日本が心地いいのは、先代の日本人がこういう神聖な秩序あるインフラを守ってきたからじゃない? 冷静に考えてみよ? 宗教の作法がある人が、異国でそれをやりたい。 そこまでは普通に起きる。 問題はやり方と場所なんだよ。 日本って、実は多文化共生が苦手っていうより、説明なしの共存が苦手なのよね。なぜなら、暗黙の了解で動く国だから。 バスの中でカップラーメン食べないでしょ? 他人の家の敷地でバーベキューしないだろ? 公共トイレの紙とかお持ち帰りしないだろ? 公道や店の中ででう◯こや排尿しないだろ? 食べ放題で、肉を素手で鷲掴みしないだろ? ここではこうするって紙が貼ってないのに、みんな勝手に揃う社会。これが日本の魅力的な文化や秩序でもあり、外から来た人にとってはその秩序や規律が地雷原にもなり得るわけ。 逆に言うと、こっちがやるべきことも案外シンプルでさ。洗面台は手洗い専用、足洗いは禁止って、絵で出す。日本語や外国語より絵が効く。 もし需要がある施設なら、足洗い用の低い蛇口や小さなスペースを作る。空港とか観光地は特にね。 来る側にも日本のトイレは神聖なる共有の清潔神殿って最初に教える。学校、職場、自治体の案内とかでも言ったほうがいい。 これって迎合でも敗北でもない。 むしろ、揉め事のコストを下げる現実的な治安対策じゃない? 日本の強みは、清潔さそのものより、他人が使う場所を汚さないという共同作業の秩序にある。そこを壊す行為が嫌われるのは当然。 でも、その怒りを人種、宗教、国籍に乗せた瞬間、日本の品の良さがバイバイ👋になる。 結局ここで問われてるのは、宗教の正しさじゃない。公共空間の作法を、どう翻訳して共有するかじゃないかしら? 足を洗うなら、場所を間違えない。 注意するなら、人間を踏みにじらない。 もうすぐ、日本はどこどこの国の一部になるとか、壮大なスケールのセリフで気持ち良くなりたい気持ちはわかる。日本よ、今に見ているがいい😎ってかっこいいし、映画のセリフみたいじゃん? でもさ、この二つが守れないと、トイレっていう一番小さい空間ですら、国の民度が終焉を迎えるわけ。あんた、そんな国に住みたいかい?って話だよ。 日本のインフラや雰囲気にリスペクトがあるなら、そうした環境を一緒にルール守って維持して守ってくれるなら、日本人だろが、外国人だろが、大歓迎だろ? どうせ日本に住むならさ、みんなで線引きと秩序守って、気持ち良く過ごせる、最高に居心地の良い国にして行こうよって話を、あたしは声を大にしていい続けたい。

クレア

1,179,461 Aufrufe • vor 7 Monaten

いや〜、道路でずらーっとお尻並べてお祈りしてる映像見るとさ、日本人からしたらまず「ここ車通れねーじゃん」なのよねー。宗教的には大事な儀式なんだろうけど、公共のど真ん中でやるってのは、信仰心だけじゃなくて「ここはオレたちのテリトリーだぞ」って政治的なポーズも入ってんだよ。 一方で中国のムスリムを見ると、ラピュタのムスカ大佐のセリフで「見ろ、人がゴミのようだ!」を思い出した。悪口じゃないぞ?あれ笑って見てられるのはアニメだからだよ。 現実の権力者って結構あの目線で人間見てるんじゃねえかって怖くなる。 で、動画見るとわかるけど、画面いっぱいにムスリムがぎっしり映ってて、コメント欄には「マシャアッラー!」「アッラーが守ってくださいますように」「中国と○○国の友情は永遠だ」って世界中からお祈りと拍手が飛んでる。 あれ、一見すると「中国はイスラムにも寛容な平和な国です」ってPVなんだよ🤩 けどさ、中国政府から見たら、あの群衆は信仰の仲間じゃなくて、全部ひっくるめて演出に使う群衆エキストラ✨ 必要なときはドーンと映して「うちはイスラムとも仲良しです🥰❤️🇨🇳」と石油産出国にアピール、都合が悪くなりゃ監視カメラとポイント制でギュッと締める😂 人間をゴミとは言わないけど、「使い終わったら片付ければいいモノ」として扱ってるって意味じゃ、ムスカとあんまり変わらないんじゃないかしら😭? しかもややこしいのは、世界中のムスリムの人たちが、兄弟を思う気持ちから「守られますように」ってコメントして、それがまたプロパガンダに上乗せされる構図だよ。 「中国は我々の兄弟を大事にしている、アメリカやヨーロッパよりマシだ」って空気を作れれば、外交的には大成功ってわけ。 道路を埋め尽くす礼拝も同じでさ、本来は神様と向き合う時間なのに、政治や勢力争いが入り込んだ瞬間、「これは誰の土地か😎」を見せつけるデモンストレーションになる。 信仰そのものは悪くないよ💡 困ってるときに「神様助けてくれ」って祈るのは、人間の自然な姿だし、あたしだって財布落とした時は「神よー」って祈る🙏 大事なのは、どの宗教だろうが、どの国だろうが、「この国のルールの中でなら歓迎します。でも、人をコマにするやり方はお断り🙅‍♀️」って線を引くことだよ。 道路をふさぐ礼拝でも、政治デモでも、相手が神様だろうがイデオロギーだろうが、同じルールで扱う。それをやめた瞬間に、「ここは誰の街か」を決めるのが法律じゃなくて数の圧力になっちゃうわよ? ムスカみたいに「見ろ!人がゴミのようだ🤣」と笑い飛ばす側にもなっちゃいけないし、「素晴らしい、人が作る信仰の壁だ😍」とうっとり眺める側にもなっちゃいけない。 どっちも結局、人間を人間として見てないんだよ で、日本はどうかっていうと、そこにまた「ハラール給食」「道路で礼拝させろ」って話まで持ち込まれそうになってる。 宗教そのものを嫌う必要はないけど、「ルール作るのはこの国だ」って線だけははっきり引いとかないと、気づいたら道路が信仰アピール会場になって、文句言うと差別ってレッテル貼られる社会になるのよねー。 何回もしつこくいうけどさ、信教の自由ってのは、「どこでも何しても自由」じゃなくて、「同じルールの中でそれぞれの神さまを拝みましょう」って約束のことなんだよ。 そもそも、日本には八百万の神様がいるし、唯一神のイスラムとは違う。 本当にその宗教を大事にするなら、まずは受け入れ先の社会を尊重するって発想が必要で、中国みたいに利用したり、日本みたいに遠慮してズルズル後退したり、そのどっちにもなったらアウトだよ? だからこそ、日本人はもうちょっと冷静に道路の上の礼拝を見たほうがいい。 「コイツらすげえ信仰心だわ😳」で終わらせないで、「これが自分の街で毎週やられたらどう思う🤔」って、そこで一回立ち止まるのが、本当の意味で共存を考えるってことだよ。

クレア

839,275 Aufrufe • vor 8 Monaten

AIアニメ・動画のアーティストのディレクトリ(超シンプルなLinkedInというか名簿)をオープンソースで作りたいんですが、興味ある人います? ちょっと大きめの案件とかコンテストとかで人を探そうと思うと「誰が何が得意なのか、どれくらいすごいのかさっぱりわからん」 ってなりません? このAIアニメ(というか動画)界隈。 僕「こういうの強い人知りませんか?」とか聞かれてもほんと観測範囲の薄い情報しかなくてこまるんですよね。。 誰が積極的に仕事受けてくれるかも意外とわからないし、今空いてるのかっていうのもわからないし。 何にどれだけ経験があるのか、実績はとか。 海外の案件だと言語できるかとかも関わるし。 こういうディレクトリ実装自体手伝ってもらえる方のめどはつきそうなので、どちらかというと実際にそういうの使いたい人たちでチャットとかつくって議論できたらなと 僕自身はこれで商売にしようとは思っておらず、業界自体の見える化がめっちゃ促進できたらなっていうのが本音です。で、僕は自分の苦手分野を補ってもらえるような人をいつでも見つけられるようにしたい。 興味ある人はXのチャットに招待するのでコメントいただければ!まずは「こういうのが見えるといいよね」みたいな緩い話ができたらなと思ってます

yachimat - AI Short Anime

17,047 Aufrufe • vor 6 Monaten

― まだ帰れない人達へ ― 動画制作を終えて、ふと思った。 異世界アイドル☆パラレルパレードを始めてから、ずっと分からなかったことがある。 なぜ自分はオタク達のことがこんなにも好きなのか。 なぜここまでパラパレに執着しているのか。 今日、その理由が少しだけ分かった気がした。 人は案外、自分が何を失ったのか覚えていない。 ただ生きている。 仕事をして。 学校へ行って。 恋をして。 歳を取って。 前へ進いているつもりでいる。 でも時々。 理由もなく昔を思い出す。 もう終わったはずなのに。 もう戻れないと分かっているのに。 夜中にふと目が覚める。 懐かしい曲を聴く。 昔の景色を見る。 名前も思い出せなくなった誰かを思い出す。 そして少しだけ苦しくなる。 俺にもあった。 昔、ある世界で生きていた。 MMOだ。 今の人から見れば、ただのゲームだったのかもしれない。 でも当時の俺には世界だった。 そこには毎日のように会う人がいた。 くだらない話をする人がいた。 笑う人がいた。 怒る人がいた。 明日も会えると思っていた。 来週も。 来年も。 ずっと。 でも違った。 ある日、一人来なくなった。 また一人来なくなった。 何かがあったわけじゃない。 喧嘩したわけでもない。 裏切られたわけでもない。 ただ時間が過ぎた。 ただ大人になった。 ただ世界が進んだ。 それだけだった。 それだけだったのに。 取り返しがつかなかった。 何年後かにログインしたことがある。 街は残っていた。 音楽も残っていた。 景色も残っていた。 何も変わっていなかった。 本当に何も変わっていなかった。 変わったのは、 そこにいる人達だけだった。 誰もいなかった。 その時、 少しだけ腹が立った。 世界にじゃない。 誰かにでもない。 ただ、 どうしてこんなことになったんだろうと思った。 あれだけ大切だったものが。 あれだけ本気だったものが。 あれだけ人生だったものが。 こんな風に終わるんだなと思った。 人生には、 最後だと知らなかった最後 がある。 最後の会話。 最後のログイン。 最後の帰り道。 最後の約束。 最後の笑い声。 でもその時、人は気付かない。 だからまた明日と言う。 また今度と言う。 そして二度と会えなくなる。 今でも時々考える。 あの日が最後だと知っていたら。 何か変わったんだろうか。 もっと話しただろうか。 もっと感謝を伝えただろうか。 たぶん。 それでも同じだった気もする。 でも。 それでも考えてしまう。 たぶんずっと。 ライブハウスにいると時々思う。 この人も、 何か置いてきたんだろうかって。 もう会えない誰かとか。 戻れない場所とか。 言えなかった言葉とか。 失くした夢とか。 そういうものを抱えたまま、 ここに来ているんだろうかって。 違うかもしれない。 でも時々そう思う。 だから好きなのかもしれない。 異世界アイドル☆パラレルパレードも。 ネオアキバも。 ただのアイドルや世界観だと思っていた。 でも違った。 たぶん。 あれは俺が置いてきたものだった。 言えなかった別れ。 失った仲間。 忘れたくなかった景色。 もう戻れない時間。 全部そこに入っていた。 帰りたいわけじゃない。 もう帰れないことくらい分かっている。 でも。 時々探してしまう。 あの日の続きを。 あの日失った何かを。 人生のどこかに置いてきた自分自身を。 だから作った。 パラパレを。 ネオアキバを。 魂の置き場所みたいなものが欲しかった。 もし今でも。 理由もなく昔を思い出す夜があるなら。 もし最後だと知らなかった最後があるなら。 もし人生のどこかに置いてきた自分自身がいるなら。 たぶん。 まだ帰れていないんだと思う。 俺もそうだから。 もしかしたら。 もう誰も覚えていないのかもしれない。 俺以外は。 それでもいい。 俺は覚えている。 忘れられなかったわけじゃない。 たぶん。 置いていけなかったんだと思う。

【パラパレ】異世界アイドル☆パラレルパレード10/18 ギガソニin幕張メッセメインステージ出演!

30,263 Aufrufe • vor 2 Monaten

溝口勇児と出会ってから、僕の人生は変わった。最初はただ「厳しい人」「鋭い人」と思っていた。でも、近くにいればいるほど、彼の奥にある温度に気づく。あれほど強く見えるのに、誰よりも傷つきやすく、誰よりも人を信じてしまう。信じるからこそ裏切られるし、期待するからこそ苦しむ。それでも「自分の実力不足」だと受け入れ、人を信じることをやめないのが溝口勇児という男。 彼はよく「多くの人が自分のポテンシャルを開花させられずに人生を終える」と言う。そして「この世の地獄とは、自分が成し遂げられたはずのことを、ほかの誰かが成し遂げる様をまざまざと見せつけられること」と言う。 人が苦しんでいる時、逃げ出したい時、成長の痛みに耐えられない時、彼は決して目をそらさない。寄り添うでも、突き放すでもなく、その人の本質に届くまで向き合い続ける。目をそらした瞬間、その人の本当の未来は失われてしまうから。 だからこそ、耐えられない人は去っていく。 その度に、彼がどれほど静かに傷ついているか、どれほど自分を責めているかを、外側の世界は知らない。彼が背中を丸める姿を見たことがある人は、ごくわずかだろう。 誰よりも高い要求を仲間に課しているように見えるが、実際には、それ以上の要求を彼は自分自身に課している。手が震えても、顔が麻痺しても、「まだいける」と自分に言い聞かせて前を向く。その瞬間を間近で見るたびに、胸が痛くなる。普通の人ならとうに折れている場面ばかり。それでも彼は折れない。強いわけではなく、「逃げない」と決めているから。 彼の強さは鋼のように見えるけれど、実際には痛みを受け止めながら、心を擦り減らしながら、前に進む生身の人間の強さ。その強さを知っているから僕も踏ん張る。苦しい時に、折れそうになるたびに、溝口の背中を思い出す。 「長い人生にはなあ、どんなに避けようとしてもどうしても通らなければならぬ道てものがあるんだな。そんなときはその道を黙って歩くことだな。愚痴や弱音を吐かないでな、黙って歩くんだよ、ただ黙って。涙なんか見せちゃダメだぜ!そしてなあ、その時なんだよ、人間としてのいのちの根がふかくなるのは」という相田みつをさんの言葉が溝口の自宅のトイレに書いてあった。 何も変化が見えなくても、周りに笑われても、誰にも理解されなくても、努力が報われなくても、根を深く深く伸びす。ある日、その根は大きな幹を支える力になる。それが昨日の誕生日会で証明されたんじゃないかな。 仲間に求めるレベルの高さは、ただの厳しさじゃない。恐れからくる強制でも、優越感に基づく支配でもない。「あなたはもっといける」という揺るぎない信念。そんな信念があるから、人とあれほど深く向き合える。 彼は最後まで人を信じる。裏切られても、傷つけられても、それでも信じようとする。それは愚かさではなく覚悟。愛とは諦めないことだと教えてくれる。 溝口が怒るのは一貫して、不誠実な行動や無責任な行動をとった時だけ。そこには「誠実に生きろ。お前はもっとできるはずだ」という願いがある。怒りの裏にある温かさに気づける人は少ない。でも、近くにいるとあの怒りこそが愛だとわかる。 仲間の未来を、会社や日本のこれからを、そして自分自身の限界とどう向き合うか。誰にも言わない戦いを、ずっと続けている。その孤独を正面から受け止めている。 強そうに見える人は多い。でも、本当に強い人は、誰にも見えない場所で弱さと向き合える人だ。その姿を知っているから、僕は彼の背中を預かると決めた。預かったら振り向かせないと決めた。 ミゾさん、誕生日おめでとうございます。あなたの人生の物語の一部を、これからも共に歩ませてください。あなたが人を信じてきたように、僕もまた、あなたという人間を信じ抜きます。 松浦さん、亀山さん、ヒカルさんなど各業界の御歴々のみなさまをはじめ、数百人の方々の貴重なお時間をいただけたことに心から感謝を申し上げます。これからも溝口勇児をよろしくお願いいたします。

西川将史WEIN / BACKSTAGE COO

382,953 Aufrufe • vor 8 Monaten