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パタヤのビーチロードが黒人のセックスワーカーだらけになっている(笑)。日本もJICAがしきりに黒人を日本に入れたがっているので、日本のストリートがこうなってもおかしくない。個人的には黒人女性のセックスワーカーは明るくて陽気で大好きだが、もちろん治安は凶悪なまでに悪化するのは断言する。

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日本と海外で人気に差があるアーケードゲーム①:センチピード アタリの代表作の一つで、映画「ピクセル」でも大きく取り上げられたタイトルだ。 うーん、有名なゲームだけどセンチピードの他にも取り上げるべきゲームはあるんじゃ?と思った日本人の方も多いのではないか。正直私もそう思った(続く) しかしこのセンチピードは、1982年の北米において売上ランキングでミズ・パックマン、パックマン、ドンキーコングと共にトップ4(正確には3位タイ)に入る程の大ヒットタイトルであり、移植版やクローンゲームも数え切れないほど出ているバケモノゲームなのだ。だから映画でセンチピードが取り上げられたことに疑問を持つ米国人は恐らく少なかっただろうと思われる。 一方日本では、米国リリースの数年後に発売されたものの米国ほどの人気は得られなかった…というかゲーセンで殆ど見なかったような気がする(個人の感想です)。 このゲームの大ファンの方には申し訳ないのだが、私はこのゲームがちょっと合わない。完全に後追いでプレイしたせいだろうか。当時の筐体でトラックボールを使ってプレイすれば、また違う印象を持ったのかもしれないが…。 本作の人気に差があったのは、単に日本での出回り数が少なかったからなのか、欧米人と日本人の感性の違いからなのかは分からない。恐らく両方の理由だろうと思うが、個人的には後者の「国ごとの感性の違い」に興味がある。ギャラガやドンキーコングやパックマンのように双方の国で大ヒットしたゲームもあるのに、センチピードはなぜ日本ではヒットしなかったのか…。 ビデオゲームは比較人類学の研究対象にもなり得るのではないかと個人的には思っている。 ちなみにこの「日本と海外で人気に差があるアーケードゲーム」のポストは、第4回まで続ける予定です(※)。 #レトロゲーム ※アーケードゲーム限定です。また、当時に海外もしくは日本でしか発売されなかったゲームは除きます。

moai1234

44,862 Aufrufe • vor 1 Jahr

電車ってのはね、国が違っても箱なんだよ。狭い箱に知らん他人が詰め込まれて、みんなちょっとずつ我慢して目的地まで運ばれる。で、その箱の中のルールが国によって全然違う。日本の電車は、言ってみりゃ図書館が走ってるみたいなもんで、海外の電車は立ち飲み屋が走ってることが多い。 これさ、どっちが正しいって話じゃなくて、文化の設計が違うって話です。 ポストにある黒人女性が車内で大声で電話してた、っていうのと、ブルガリア人の本音をセットで観ると面白い。 ブルガリアの人は「慣れたけど、できれば地下鉄でも話したい。10分くらいなら、みんな電話良くない?」って言う。あれ、悪意というより感覚の差そのものなんだよ。 本人の中では、電話も友達との会話も日常の延長で、公共空間で声を出すことがそんなに犯罪の気分じゃない。むしろ「なんで黙ってるの?」くらいの世界もある。 一方で日本は逆でさ、黙ってることが礼儀になってる。ここが厄介で、黙ってる国ってのは、注意もしないんだよ。 嫌な顔はする。 白い目も送る。 でも言わない。 言わないのに、心の中では裁判が始まってる。 しーっ🤫 これ、日本人は子どもにもやるし、静かにしてねの軽い合図のつもりで使う。 でも国によっては、命令っぽく見える。 上から押さえつけられた感じに取られることもある。 つまり、注意した側はマナーのつもり、された側は侮辱のつもりになりやすい。 ここで爆発が起きる。マナーってのは言葉より顔つきで決まるからね。タクシーで運転手に「そこ右」って言うのも、言い方次第で案内か、説教かに分かれるのと同じ。 じゃあどうすんだって話だけど、結論は単純でさ。 日本の電車は静けさ込みで商品なんだよ。寿司屋に入って俺、本マグロと納豆混ぜたいって言っても、自由だけど嫌がられるだろ? ここは寿司屋なんだから。 だから日本では車内通話は控えるが基本ルールでいい。これは差別じゃなくて、店のルール。相手の肌の色じゃなくて、行為の問題。 ただし日本側も、やり方が下手なんだよ。やるなら、白い目じゃなくて、案内にしないと。 白い目ってのは無言の包丁なのよ。刺さるけど、相手は何で刺されたか分からない。 分からないから逆ギレになる。 だから次に必要なのは、包丁じゃなくてメニュー表。 「ここは静かにする車両です」 「通話はデッキでお願いします」 それを多言語で、ユーモアも混ぜて、徹底して貼る。車掌や駅員も、注意というより誘導で動く。これだけで衝突は減る。 で、乗客側も大事なのは、注意するなら品を持つこと。 「すみません、ここ日本の電車で、通話ダメなんです。よかったらあっちで」 これを笑顔で言える人が増えると、空気が変わる。逆に、正義の顔して黙れってやると、相手の文化圏では喧嘩のゴングになることがある。 ルールを守らせたいなら、勝ちたいんじゃなくて、収めたいんだよ。 最後にもう一個。 ブルガリアの人の「10分くらい電話いいじゃん」って本音、あれをゼロにしろってのも無理がある。 人は急に別の国のOSに入れ替わらない。 だからこそ、受け入れる側の日本も黙って耐えるだけじゃなく、ルールを伝える仕組みを育てないといけない。 多文化共生ってのは、仲良くなる前に、まず取扱説明書を配ることなんだよね。 電車は動く社会。 そこで揉めるのは、国が壊れてるんじゃなくて、説明が足りないか、言い方が荒いか、だいたいそのどっちか。 図書館の電車を守りたいなら、図書館らしいやり方で守ればいい。静かに、はっきりと、ルールを渡していく。

クレア

2,955,247 Aufrufe • vor 8 Monaten

面白いのは、彼らが反応しているのが、厳密には日本そのものではなく、「アメリカ文化を丁寧に扱う日本」に対してだということです。KFCは本来アメリカ発の大衆チェーンなのに、日本ではそれが妙に清潔で、妙に安定していて、妙にちゃんとおいしそうに見える。するとアメリカ側は、自国の記号を海外で見ているはずなのに、なぜかそこに理想のアメリカを見つけてしまう。だから「家の近くのアメリカ」「アメリカがそこにはある」という冗談が、ただのネタを越えて少し切実になる。 これはかなり現代的な現象だと思う。 人はもう、自国の理念を自国の中でだけ確認するとは限らない。むしろ外部に、より整った形で保存されている自国性を見て、安心したり、感動したりする。 アメリカ人が日本のKFCや、日本に点在するアメリカっぽさに熱狂するのは、異文化に驚いているというより、自国で失われた手触りを、他国で回収しているからだ。 しかもそこにあるのは、高尚な政治理念ではない。自由、友情、親しみ、ジャンクフード、チェーン店、冗談、雑な愛情表現。つまり国家の公式文書には載らないが、たしかに国民感情を支えていた生活のアメリカだ。 彼らは日本に対して敬意を示しているようでいて、同時に自分たちがかつて信じていたアメリカの陽気さや無邪気さを、日本の風景の中に見つけて興奮している。 だからコメント欄の「God bless the Japanese people」や「I have no notes on Japan」や「Protect them at any cost」は、誇張されたネットミームのように見えて、実はかなり本音に近い。 政治の文脈ではなく、文化の受容のされ方において、「こちらのものを、こんなふうに好いてくれるのか」という感動がある。 人は自分を批評されるより、自分の好きだったものを愛してもらえた時のほうが、ずっと深く心を開く。 一方で、コメントの中には「アメリカのKFCはもうそんなに良くない」「日本のほうがうまそう」という自虐も混じっている。 ここも重要だ。 いま起きているのは単なる日米友好ではなく、アメリカ側の自己認識の揺れでもある。 自国のチェーンより海外店舗のほうが美しく見える。自国の雑さや劣化を、日本の几帳面さが“補完”してしまう。 すると日本は、アメリカ文化の消費者ではなく、ある種の保存修復者のように見えてくる。 この構図は、じつはかなり日本的でもある。 日本は昔から、外来文化をそのままコピーするのではなく、一度受け止めて、再配置して、磨き上げて、別の完成度にして返すことがある。 洋食も、ジーンズも、ジャズも、喫茶店文化もそうだった。今回のKFCも同じで、日本はアメリカを崇拝しているわけではない。 ただ、自分たちなりの秩序と美意識の中に置き直している。その結果、アメリカ人が見ても「あれ、こっちの本家より愛されてないか?」となる。 ここでさらに興味深いのは、この現象が政治を通らずに起きていることだ。 国家間では意見が割れる。歴史認識でも、安全保障でも、経済でも、人はすぐ身構える。 けれどKFCのチキンひとつで、「日本人最高」「移住したい」「このミーム好き」「友達になってる」と感情が溶ける。 もちろん全部が本気ではない。 でも、こういう軽い冗談の往復の中でしか育たない親しさもある。 SNSはしばしば憎悪を増幅するが、ときどきこうして好意の連鎖も爆発的に広げる。 そしてたぶん、この流れがここまで愛された理由は、日本がアメリカを論じたのではなく、食べたからだ。思想ではなく味覚で返し、批評ではなく生活で受け止めた。 だから相手も防御せずに笑える。 文化交流がうまくいくときは、たいてい正論の交換ではなく、こういう少し抜けた入口から始まる。家の近くのKFCを近所のアメリカと呼んでしまう、その雑でかわいい比喩の中に、外交官の文章よりもよほど健全な感情がある。 私が言いたいのは、これは単なるミームではないということだ。 アメリカ人は日本のKFCを見て笑っているのではない。 そこに、自分たちの文化がまだ誰かに愛され、しかも本国より丁寧に扱われている光景を見て、少し救われている。 国はときどき、自分の美点を自分の中では見失う。 でも他国の食卓の上に、それがちゃんと残っていることがある。 だからこれはチキンの話でありながら、どこかで「文化はまだ仲直りできる」という話でもある。

クレア

2,681,230 Aufrufe • vor 5 Monaten

【勝ちたい人だけ見て】明日の中央で"ヤバいレース"見つけたー "ヤバい"と一言で言っても、何がヤバいのか伝わらない人の方が多いと思う。 なんか土曜日良いレースがあるんだろうな…位にしかこれを見てる人は思わないだろう。 今回のレースは、競馬ファンなら1度は夢見たことのある"アレ"が叶うレースになるかもしれない。 その"アレ"とは…。。。 ・ ・ ・ ここについて言及する前に、1回今の東京コースについて話をさせて欲しい。 先週から東京もCコース替わりとなり内が使える馬場になったのは全体周知だと思う。 日本ダービーも結果的には、内前有利のバイアスを味方に出来たショウヘイという穴馬の好走もあった。 このことから、今週も前を行ける馬を中心に買えば良いのではないか?と思う人ももしかしたら多いかもしれない。 だがしかし、それは全くNO!と言いたい。 ココ最近の東京コースを見てると、差しが決まりやすい馬場になってる。 青葉賞のエネルジコ然り、オークスのカムニャクしかり総合的に考えれば差し馬の方が好走してるパターンが複数存在する。 そう考えれば、東京芝において日本ダービーの印象がまだ残ってる人も多い今週はここの認識のギャップが生まれる可能性も高いのではないか…。 そうなれば、もっと評価されるべき馬と評価されすぎてる馬のギャップも生まれるのではない。 そうなれば…【期待値】をもっと積みやすい状態になるのではないか。 と思うワケですよ。 少し前置きが多くなったけど、本題に入ろうと思う。 冒頭でお伝えした"アレ"だけど、 それは【帯】です。 今回、明日のとあるレースで【帯】を狙うチャンスがあるレースが存在する。 そのレースに対して、 私は内密に準備を進めてきた。 そして、明日そこを狙って行く。 もしもここまで読んで ☑️【帯】を取ってみたい! ☑️高配当を狙って行きたい! ☑️夢を見てみたい! と思った人は、 リプに【帯】とコメントしてくれ。 ※77件コメントが来たらレース名を伝える

穴馬狙いのサシ姐

56,616 Aufrufe • vor 1 Jahr

あのさー、イスラム教徒の子は悪くないけど、足を洗ってる場所が悪いよね。そこは足洗い場じゃなくて、みんなが手を洗って、顔を整えて、子どもなら蛇口に届くか背伸びして、会社員ならため息つきながらネクタイ直す場所よね? 日本人にとってトイレの洗面所ってそういう公共の身だしなみ台所でもある。そこに足をドンと乗せた瞬間、宗教以前に、日本の感覚だと台所のまな板に靴を置かれたに近い不思議な感覚がある。 こういうマナー違反って、国籍、民族、宗教関係なく、アウト。仏教だろが、キリスト教だろが、シーア派だろが、洗面所は礼拝前に足を洗う場所ではない。日本が心地いいのは、先代の日本人がこういう神聖な秩序あるインフラを守ってきたからじゃない? 冷静に考えてみよ? 宗教の作法がある人が、異国でそれをやりたい。 そこまでは普通に起きる。 問題はやり方と場所なんだよ。 日本って、実は多文化共生が苦手っていうより、説明なしの共存が苦手なのよね。なぜなら、暗黙の了解で動く国だから。 バスの中でカップラーメン食べないでしょ? 他人の家の敷地でバーベキューしないだろ? 公共トイレの紙とかお持ち帰りしないだろ? 公道や店の中ででう◯こや排尿しないだろ? 食べ放題で、肉を素手で鷲掴みしないだろ? ここではこうするって紙が貼ってないのに、みんな勝手に揃う社会。これが日本の魅力的な文化や秩序でもあり、外から来た人にとってはその秩序や規律が地雷原にもなり得るわけ。 逆に言うと、こっちがやるべきことも案外シンプルでさ。洗面台は手洗い専用、足洗いは禁止って、絵で出す。日本語や外国語より絵が効く。 もし需要がある施設なら、足洗い用の低い蛇口や小さなスペースを作る。空港とか観光地は特にね。 来る側にも日本のトイレは神聖なる共有の清潔神殿って最初に教える。学校、職場、自治体の案内とかでも言ったほうがいい。 これって迎合でも敗北でもない。 むしろ、揉め事のコストを下げる現実的な治安対策じゃない? 日本の強みは、清潔さそのものより、他人が使う場所を汚さないという共同作業の秩序にある。そこを壊す行為が嫌われるのは当然。 でも、その怒りを人種、宗教、国籍に乗せた瞬間、日本の品の良さがバイバイ👋になる。 結局ここで問われてるのは、宗教の正しさじゃない。公共空間の作法を、どう翻訳して共有するかじゃないかしら? 足を洗うなら、場所を間違えない。 注意するなら、人間を踏みにじらない。 もうすぐ、日本はどこどこの国の一部になるとか、壮大なスケールのセリフで気持ち良くなりたい気持ちはわかる。日本よ、今に見ているがいい😎ってかっこいいし、映画のセリフみたいじゃん? でもさ、この二つが守れないと、トイレっていう一番小さい空間ですら、国の民度が終焉を迎えるわけ。あんた、そんな国に住みたいかい?って話だよ。 日本のインフラや雰囲気にリスペクトがあるなら、そうした環境を一緒にルール守って維持して守ってくれるなら、日本人だろが、外国人だろが、大歓迎だろ? どうせ日本に住むならさ、みんなで線引きと秩序守って、気持ち良く過ごせる、最高に居心地の良い国にして行こうよって話を、あたしは声を大にしていい続けたい。

クレア

1,179,461 Aufrufe • vor 8 Monaten

ストームライダーがクローズして、本日で10年。この話になると、今でも比較して上がる話題ですが、「シーライダーが悪い」のではなくて、「ストームライダーが凄く良かった」だと思ってます。 ポートディスカバリー全体やCWC(気象コントロールセンター)との関連性、物語の展開、造り込み、BGM…全てが良かった。 対してシーライダーは映画の「平和な世界の追体験」で、好きな人には響くかもしれないですが、没入感や高揚感、緊張感が少なく、(ミサイルが天井にぶっ刺さる様な)サプライズ要素も無い。 更に基本ずっと海中で地味に揺れ続けている事(ストーリー上で必要だから、の動きではなく、海の中だからと言う理由)も、個人的には逆に軽いストレスになっている様な気さえしてしまいます。 また、ポートディスカバリーの物語も過去との設定との違い(時代設定や、以前のPDなのか、別世界なのか…等)も曖昧なまま、中途半端で後付けの様な形になってしまった所も「どんな気持ちで入り込めば良いのかわからない」と言う部分もあるのかな、とも感じます。 これまでテーマエリアやテーマポートの設定を重要視してきたパークにおいて、近年は曖昧になったり、絶対に不可侵だった部分にも変化が見られる様になってきてしまいましたが、特にこのストームライダー周りの変化がその始まりだったのかな…なんて今となっては感じます。 そして今年の秋にはアクアトピアもクローズ。実質的にはTDSがスタートした時のポートディスカバリーはもう無くなってしまう様な形になります。 詳細までは発表になっていませんが、この周辺を含めた大規模開発では、そうした曖昧だった設定やコンセプトが上手くまとまって、「そう言う事だったのか…!」と思える様な形になると良いな、なんて個人的には思っています。

みっこ

124,438 Aufrufe • vor 3 Monaten