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フェラーリ初のフルEV「Ferrari LUCE」がついに登場。 デザインを手がけたのは、ジョナサン・アイブとマーク・ニューソン率いるLoveFrom。 空力を極めた未来的フォルムと、“触れる”ことを取り戻したインターフェイスが、新しいフェラーリ像を提示する。 これは新しいEVではない。 新しいフェラーリだ。 ローマの発表会場からレポート記事をチェック。 #Ferrari #FerrariLUCE

61,556 Aufrufe • vor 4 Monaten •via X (Twitter)

31 Kommentare

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AIRm:)vor 4 Monaten

テスラとかならわかるけどフェラーリとしてはあまりにもダサい

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ponta2201vor 4 Monaten

気絶するほどダサい

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俺だけLVダウンなKENvor 4 Monaten

@nobi WIREDさんこの評価なんだ…人々がフェラーリに求めてたイメージからするとコレジャナイ感すごいのに。いくら手に触れるところが物理スイッチになっても5シーターでこのデザイン…せめてタイカンみたいにブランドイメージだいじにしたらよかったのに。知らんけど。

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Berg-Katzevor 4 Monaten

それでも持ち上げるんだね 信用できんメディアだ

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とら★vor 4 Monaten

イタズラなデザインを1億近くで売るのはもうダメだろ。かっこいい夢を見れないのはなしなし。

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Ruhavor 4 Monaten

発表後株価爆下げなんだが? お前の評価はアテにならない

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スペ@A-TAXvor 4 Monaten

クソほどカッコ悪くてビビってる

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昭和生まれのおっさんvor 4 Monaten

ダサい、恥ずかしい、 買うやついるの?

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ニックジャガーvor 4 Monaten

Jアイヴが最近関わった商品、LINNのレコードプレーヤー、バルミューダのランタン、そしてこのフェラーリ、どれもイマイチなのですが。。

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Okamoto Sᯅvor 4 Monaten

なんかアストンマーチンとホンダが融合に失敗したかのようなデザインだな…… オプション付けるとかっこよくなるかもしれない素体みたいな??

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tkgvor 4 Monaten

マーク・ニューソンって誰だっけ?と思ったら、ペンタックスのミラーレスのデザインした人だ

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Neptune Pluto Erisvor 4 Monaten

これはひどい

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さくらばvor 4 Monaten

ダサいって正直に言えよ

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フォルテP 🚴vor 4 Monaten

後ろから見たらスカイライン😅 ちょっとお試しに買ってみるか

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kmtkrzwvor 4 Monaten

空力は凄そうだけど、やっぱりエクステリアデザインが野暮ったくてカッコよくない… どことなくホンダEVっぽい

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ASTRO-1💫vor 4 Monaten

理解するのに10年くらいかかるんじゃないかな?

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mineド底辺でざいなぁvor 4 Monaten

@st_nomad シンプルをよりシンプルにする引き算デザイナーと車は相性悪いと思う。車好きなやつに響かない。 おそらく客層はフェラーリという車が欲しい金持ち。

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Fidovor 4 Monaten

That Car is ugly, this can single handily destroy Ferrari……how embarrassing….

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AK47IRAvor 4 Monaten

フェラーリの株価大暴落を見ればこれが世間からどのような評価を受けたかハッキリする。明らかに黒歴史。

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ながれvor 4 Monaten

フェラーリの奇形だなこれは、なんて醜いんだろ

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extz_jpvor 4 Monaten

レトロなステアリングいいね

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uzvor 4 Monaten

是々非々でやりなよ 何も信用されなくなるよ

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Hiroshi Iwata(rock_h)vor 4 Monaten

@nobi そのうちみんなハマるんやで。

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Ψ≡゚∀゚≡Ψたらおじvor 4 Monaten

見てみろこんな贅沢な五年の使い方あるのかよwwww

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お神楽vor 4 Monaten

心がこもってない解説

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Michelvor 4 Monaten

This is proof that Tech influencers have no clue about cars.

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ミナミの錬金術士vor 4 Monaten

昭和風のデザインやね

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TACAvor 4 Monaten

広島ベンツ!🚗=3=3

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satopyonvor 4 Monaten

これはほんとにエクステリアもインテリアも全く買う気がしない品物ですね。もはやフェラーリじゃないです。

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アタルマンvor 4 Monaten

見慣れるまでだって 笑 タブン

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KUSUvor 4 Monaten

EVは巨大な電池が必要だから車高を低くできないので、どうしても似たようなデザインになってしまうのでしょうね。

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【さようなら、万博】僕の万博は終わった。こみゃくを、愛してくれてありがとう。僕の万博は、万博のデザインシステムをつくり、こみゃくのムーブメントが生まれ、会場装飾やサウンドスケープをつくり、「OPEN DESIGN 2025」を掲げてデザインを開いていった4年間だった。素晴らしい万博だった。生涯忘れられない出来事だった。 今回の万博は、「誰かの公共」を「私たちの公共」へと取り戻す試みだったと思う。 国家と市民、公式と非公式、制度と文化、 その間(あわい)に、新しいコモンズが生まれた万博だった。 最終章となった「万博デザイン展」は、公共施設enocoでの開催だった。本来は公式のデザインしか展示できない場所だったが、僕は、二次創作を含めた市民文化も展示してこそ、今回の万博の本質が表れると思っていた。権利などの制約もあり、それは今回は難しいと諦めていた。けれど気づけば、多くの人々が自発的に二次創作を持ち寄り、SNSで生まれた“こみゃくの生態系”がリアルに立ち上がっていた。 泣きたくなるような、ありえない景色が立ち上がっていた。そこには、国家と市民、制度と文化、公式と非公式が自然に混ざり合い、新しい公共=コモンズの風景が生まれていた。 その場こそ、「OPEN DESIGN 2025」のコンセプトをリアルに象徴していた。この場が図らずも生まれたことは、本当に感動的な出来事だった。 このコモンズを、みんなと共につくった“新しいコモンズとしての万博”を、この先の未来へと繋げていこう。この火をPOST2025へと受け継いでいこう。それこそが、今回の万博が残した最大のレガシーだと思う。 みなさん、 本当にありがとうございました。 僕の万博は終わった。 でもこの万博で生まれた“新しい社会のあり方”をつくるアクションは続けていきます。 これは終わりではなく、はじまりです。 これから、新しい未来の社会をデザインする活動を始めます。万博で生まれたこのレガシーを未来へつなげデザインしていくための一般社団法人を立ち上げる予定です。 万博は終わりますが、 ここから新しい未来がはじまります。 さようなら、万博 こんにちは、未来 #ありがとうまたね クリエイティブディレクター 引地耕太 #OPENDESIGN2025

引地耕太 | VISIONs CEO / COMMONs 代表

97,285 Aufrufe • vor 11 Monaten

AIが「病気を治す」「富を生む」「生産性を高める」という未来像は、多くの人にとって魅力的だし、人々はそういう利点を信じていないわけではない。だが、それだけでは不安は消えない。彼らが本当に聞きたいのは、その未来の中で自分たちは何者として生きるのか、ということだ。 サム・アルトマン「私の問いはこうです。未来における私の役割は何なのか。私の経済的な未来はどうなるのか。私の主体性はどうなるのか。私の子どもたちや家族は、これからも充実した創造的表現を持ち、世界を前に進めるために奮闘し、成長し、長いあいだ機能してきたやり方で共にそれを続けていけるのだろうか、ということです。 そしてAI業界の人たちが、「まあ、仕事はなくなるでしょう」とか、「仕事の50%が消えるでしょう」とか、「仕事の90%が消えるでしょう」と言い、「AIはあらゆる面であなたより賢くなるでしょう」と言い、「ベーシックインカムは与えますが、あなたには実質的に役割はありません」と言う。これはひどいことです。 しかも、「このAI企業は、すべての仕事を破壊するかもしれませんが、世界で最も価値のある企業になります」と言っているわけです。人々はそれを見て、言葉を失ったような、気まずいような反応になるんです。 だから私は、それはひどいメッセージだと思います。私たちが利点を十分に説明してこなかった、という話ではないと思います。実際、人々は私たちの言うことを信じているのです。「がんを治してください」と言われれば、それは素晴らしいことです。けれども私たちAI業界は、人々があらゆる段階で未来を決める主導権をどう保ち、私たちが大切にしているあらゆる意味で本当に意味のある人生をどう持ち続けられるのかを、説明できてこなかったのだと思います」

Tsubame

14,927 Aufrufe • vor 4 Monaten

原作/ACは「星が力尽きる真っ暗な未来」 キャラの話に耳を傾けてみよう。原作→AC→原作500年後に続く世界は、星の運命。運命どおりだと「星は力尽きてしまう」「そんな真っ暗な未来に俺たちを送り込もうとしているのか?フィーラーは」と語っている。 ①「我々が捨てようとしている風景」 運命の壁を越えた場合に「捨てる」ことになる未来の映像が流れる。それはAC本編でも流れたことのある映像。 ・500年後(原作エンディング) ・メテオ(原作エンディング) ・エアリスとの別れ(原作の展開) ナナキ「運命など捨て去ろう」 これらの未来を捨てたいと言っている。 決められた運命をたどる未来だと、星は力尽きてしまう。そのため、今作の仲間たちはACに続く未来を捨て去ることを決断した。 運命の壁を越えることに失敗してしまうと、またこの未来にたどり着いてしまう。それでは現在抱える問題は解決しないということだ。 ②助かるザックスとビッグス 運命の壁を越えた瞬間に、死んだはずのあのキャラが生きている世界が生まれる。本来ザックスはミッドガルに着く前に力尽きていたが、戦いに勝って生き延びた。 七番プレート崩壊で亡くなったはずのビッグスも助かっている。リメイク版は助かった人が多いためか、七番街スラム復興の様子が前向きに描かれる。 ③エアリスは? 運命の壁を越えた世界に旅に出たクラウド一行。ではエアリスの運命はどうなるのかというところに注目が集まるのは当然だ。 ナナキの言う"捨てようとしている未来"の映像に、エアリスとの別れのシーンが流れていたのだから。 カームに到着するころには、ナナキは今まで保持していた未来の記憶をなくしてしまう。しかし1つだけ忘れてはいけないと覚えていることが「エアリスを守ろう」 エアリスを守りきることが最重要。それほどに強い想い。だから他のことは忘れてもこれだけは忘れたくなかった。そういう表現である。 ナナキは別世界でも同様にエアリスを守ろうと奮闘している。エアリスが助かれば星の運命もよい方向に変わる。ナナキ自身がそう信じているからこそではないだろうか。 ④みんなエアリスを助けたい そして、他の仲間たちもエアリスを助けたいという想いは同じ。エアリスを助ける目的で忘らるる都の運命の壁を越える時、彼らはクラウドを全力で支援した。 ザックスもマリンも気持ちは同じ。「エアリスを守りきる」というのはみんなの願い。そしてついにクラウドはセフィロスの刃を弾く。 ⑤未来はクラウド次第 「未来は白紙」チャンスがそこにある。セフィロスが語るように「未来はお前次第だ」「まだ間に合う」。 未だ見ぬ未来を作り出すのは主人公クラウド。星の運命を背負っている。 また、マリンが「はやくクラウドの病気を治して、お姉ちゃんを助けてもらわなくちゃ」というように。エアリスを助ける人物もクラウドである必要があることが提示されている。 仲間たちは最終的にクラウドに託すことになる。星を救うことと、エアリスを守ることはリンクしている。 ⑥クラウド自身がエアリスを助けたい リメイクではエアリスと出会って早々に、まだ知らないはずの未来がフラッシュバック。エアリスを失う不安で思わず涙が流れてしまうほどのトラウマ。 ACクラウドの「見殺しにしたんだぞ」という後悔と繋がる。 クラウドが「大切な人を失うことを受け入れられない」を描いている今作。 もし助けられるチャンスが訪れるとしたら。エアリスを助けたいとクラウド自身が強く思うのは当然のこと。 ⑦物語はまだ完結していない そもそもなぜACの未来が事前に見えているのか。 というのは、ACの出来事は「もう既に起こったこと」「約束されている未来」だから。見たことある未来だから「星は力尽きる」という結果が事前に分かっている。だから、そうなることを今度は回避したいという流れではないか。 まだ、ジェノバを倒しきることはできていない。星は完全に救われてはいない。物語はまだ完結していない、つづきがある。 ⑧結末は未定 エンディングのメッセージには The unnown journey will continue(未知の旅は続く) No promises await journey’s end(旅の終わりに約束は待っていない) とある。簡単に言うと、まだ見たことないストーリーになる。 旅の終わり=結末。約束=運命なので、旅の終わりは「運命どおりではない」ということが提示されている。 もしただ原作をなぞった運命のどおりのストーリーならば/ACになる未来が物語の結末ならば、このようなメッセージは完全に不要。フィーラーという設定を登場させる必要も、倒す必要も全くない。 星を救うために運命を変えたいと頑張るクラウドたちを応援したくなるような、そういう物語になっている。#FF7R #FF7リバース

もぐり

135,218 Aufrufe • vor 1 Jahr

ノーベル化学賞受賞者、デイヴィッド・マクミラン氏は、この時代は最高に面白いという。これからできるようになることは途方もないものであり、想像すらできない。人間がAIという新しい道具を使って「どんな世界に住みたいか」を考え、その未来を自ら発明していく。そのことに彼は強く興奮している。 デイヴィッド・マクミラン「実を言うと、「AIの欠点とは何か」を話すパネルに自分が入れられたことには、少し不満だったんです。 ここにいる科学者たちに聞けば、きっと皆同じことを言うと思います。科学やテクノロジーの素晴らしいところの一つは、私たち自身が未来の一部になれることです。未来を発明できるんです。 研究室では、月曜日には誰も知らなかったことが火曜日には明らかになり、金曜日には人々がそれを使い始めている。そんな出来事を最前列で目撃できるのは、信じられないほど素晴らしいことです。 そして今、クレイグが言ったように、若い人たちはAIというまったく新しい道具を手にして、未来を発明できるようになっています。それによって、このプロセスそのものが加速している。驚くべきことです。 そこから生まれる楽観を考えてみてください。これからできるようになることは、本当に途方もないものです。想像すらできません。 もし私が今、若い教授としてキャリアを始めるところだったら、AIを使って、私たちが暮らしたい世界を思い描き、そこへどう到達するのかを考えることに、ものすごく興奮していたでしょう。 ですから、私を「楽観主義者」と呼ぶだけでは控えめすぎると思います。これからAIがどんな突拍子もない、予想外の方法で使われていくのか。それを見ることこそが楽しみです。そこが、この時代の最高に面白いところだと思います」

Tsubame

73,942 Aufrufe • vor 11 Tagen

FF5のガラフ対エクスデスを見ると、正直、今見ると胸が痛い。なぜなら、あの場面には、今の私たちが失いかけているものが、あまりにも綺麗に残っているからだ。映像の豪華さではない。声優の熱演でもない。あの場面の本質は、ゲームシステムと物語が、同じ一点で爆発していることにある。普通、RPGにおいてHPが0になればキャラクターは倒れる。 それはプレイヤーが何十時間もかけて身体に覚え込ませたルールである。 回復しなければ死ぬ。 戦闘不能になれば動けない。 その当たり前を、ガラフは破る。 HPが尽きても立つ。 攻撃されても倒れない。 メテオを撃たれても、フレアに焼かれても、氷に貫かれても、自分が信じていたゲームのルールが、ガラフの意志によって押し返されるのを見ている。 だから感動する。 ここを、今の私たちはよく間違える。感動的な場面を作ろうとすると、つい演出を盛る。声を震わせる。カメラを寄せる。音楽を大きくする。もちろん、それは現代の技術として正しい。プレイヤーに伝えるための手段として必要なこともある。 ガラフの最期は、その逆である。物語が戦闘の中にある。戦闘が物語の証明になっている。HP0というシステム上の死が、キャラクターの意志によって意味を変える。だから、あの小さなドット絵の老人は、現代の美麗なムービーよりも美しい。 ドット絵の制約。 容量の制約。 短い台詞。 プレイヤーの想像力に委ねる余白。 それらが奇跡的に噛み合っていた。 しかし、それだけではない。 あの場面は、ゲームという媒体の本質を理解していた。ゲームは、ただ物語を見せるものではない。プレイヤーがルールを理解し、そのルールの中で行動し、そのルールに慣れたところで、物語がそのルールを揺さぶる。その時、ゲームにしかできない感動が生まれる。 ここを忘れると、映画の劣化版になる。 綺麗な映像。豪華な音楽。重厚な台詞。しかし、プレイヤーはただ見ているだけでは意味がない。 ガラフの場面は、ゲームでしか成立しない。小説なら「死んでもなお立ち上がった」と書ける。だが、HP0なのに倒れない、という感動はゲームにしかない。 プレイヤーがゲームのルールを知っているからこそ成立する。これは、私たちが本来もっと大切にしなければならない財産である。 今のスクエニが、これの再現に必要なのは、現代のゲームにおける「HP0でも立つ」に相当するものを見つけることだ。 たとえば、プレイヤーがずっと信じてきた成長システム。長く使ってきたコマンド、当たり前に開いていたメニュー、守ってきた仲間のAI、セーブやロード、ジョブ、装備、マップ、召喚、パーティ編成。 そういうゲームとしての常識を、物語のある一点で変質させ、キャラクターの覚悟によって、システムの意味が変わる。プレイヤーの操作が、ただの操作ではなく、物語の選択になる。 そこまで設計できれば、今でも名場面は生まれる。 しかし、それは会議で説明しにくい。 「ここでUIの挙動を変えます」 「ここで戦闘不能のルールを一度だけ破ります」 「ここでプレイヤーの常識を裏切ります」 こういう企画は、リスクがある。現代の大規模開発では避けられやすい。けれど、そこを避け続けると、名場面は生まれない。 プレイヤーが信じてきたルールの中で、キャラクターの覚悟を体験させなければならない。 ガラフは「私は命をかけて守る」と長々語ったから感動したのではない。 本当に、命を超えて立ったから感動した。 しかもそれを、戦闘というプレイヤーが最も理解している場所で見せた。 今のスクエニがもう一度こういう場面を作るには、過去作の名場面を綺麗に再現するだけでは駄目だ。 FF5をリメイクして、ガラフのシーンを豪華なムービーにすることはできる。 だが、それだけでは足りない。 本当にやるべきは、現代のプレイヤーが慣れ切ったゲームの文法を、一度だけ感情のために壊すことだ。 システム担当とシナリオ担当が、同じ心臓で設計すること。 バトルと物語を分けないこと。 UIと感情を分けないこと。 演出と操作を分けないこと。 プレイヤーが手を動かした記憶の中に、キャラクターの死や覚悟を刻むこと。 それができた時、初めて「今のスクエニにも名場面は作れる」と言える。 ガラフの最期は、古い名場面ではない。 未来への宿題である。私たちは、あの小さなドット絵の老人に、いまだに問い詰められている。 お前たちは、映像を綺麗にすることばかり考えていないか。物語をムービーに逃がしていないか。ゲームのルールそのものを感動に変える勇気を、まだ持っているか。 エクスデスは叫んだ。 「なぜ死なん」 だが本当に問われているのは、今の私たちの方である。 なぜ、あのような場面をもう一度作れないのか。 答えは、技術が足りないからではない。勇気の置き場所を、少し忘れているからである。

クレア|日常の違和感言語化係

454,826 Aufrufe • vor 4 Monaten