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マンガ家 永井豪が、故郷・輪島市を訪問。 2025年6月30日、震災後初の帰郷となった今回の訪問で、 故郷に『マジンガーZ』のアートプリントが届けられました。 集英社マンガアートヘリテージの公式サイトNEWSコーナーで記事をご覧いただけます。 🔗 Manga artist Go Nagai visited his hometown of Wajima City. On June 30, 2025, during this visit—his first return home since the earthquake. Art prints of Mazinger Z were donated to his hometown. Please read the full article posted in the News section...

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🚨欧州DSの総本山ダブル訪問🚨天皇皇后両陛下は、2026年6月13日から26日までの日程で、オランダ王国およびベルギー王国を公式訪問(国賓として)されます。 「6月13日にベルギー訪問」という点について、正確な日程を申し上げます。両陛下は6月13日(土)に政府専用機で羽田空港を出発し、同日午後にオランダの首都アムステルダムに到着されます。オランダに約1週間滞在した後、6月20日(土)に政府専用機でベルギーの首都ブリュッセルへ移動し、6月25日(木)に出国、6月26日(金)に日本へご帰国となります。したがって、ベルギーでの滞在は6月20日から25日までの約6日間です。 訪問の目的 本訪問は、オランダ国王陛下およびベルギー国王陛下からの招待を受け、国際親善を目的とした公式訪問です。両陛下は国賓として迎えられ、両国の王宮などに宿泊されます。令和への代替わり後、両陛下による国際親善を目的とした外国訪問としては4回目(前回はモンゴル)となり、両陛下が揃って2か国を訪問されるのは天皇陛下の即位後初めてとなります。首席随員として石破茂前首相が同行されます。 特にベルギー訪問の意義 2026年は日本とベルギーの国交樹立160周年の節目にあたります。このため、ベルギー訪問は特に意義深いものと位置づけられています。1993年以来となる在位中の天皇陛下によるベルギー訪問(両陛下としては27年ぶり)となります。 主なご活動(両国共通) - 歓迎式典へのご臨席 - 両国王夫妻主催の晩餐会へのご出席 - 戦没者記念碑への供花 - 議会訪問など(予定) これらの行事を通じて、両国との友好親善関係を一層深められることが期待されています。詳細な日程は、宮内庁により今後公表される予定です。 本訪問は、皇室と両国の王室との長年にわたる交流を基盤とした、伝統的な国際親善活動の一環です。

橋広バロン幸之助🇯🇵MJGA💫

165,698 次观看 • 1 个月前

107人が死亡したと記録されている。 慰霊碑にも、107人の名前が刻まれている。 しかし、本当の犠牲者はそれだけではなかった。 婚約者を事故で失った男性がいた。 事故後、彼は生きる意味を失っていった。 そして後年、自ら命を絶った。 彼の名前は慰霊碑にはない。 2005年4月25日、兵庫県尼崎市。 「JR福知山線脱線事故」。 2005年4月25日午前9時18分ごろ、宝塚発同志社前行きの快速電車が、尼崎駅手前の右カーブで脱線し、線路脇の分譲マンションに激突した。乗客と運転士を含む107人が死亡し、562人が負傷した。 何が起きたのか。 事故調査報告書は、運転士のブレーキ操作の遅れと速度超過を直接の原因と結論づけた。運転士は当該カーブの直前で停車駅の停止位置を行き過ぎたミスを車掌に報告しないよう、執拗に話を逸らそうとしていたことがわかっている。 そのカーブには、自動列車停止装置(ATS)が設置されていなかった。 設置されていれば、止まれたはずだった。 しかし、この事件には「もう一つの顔」がある。 なぜ運転士は速度超過を選んだのか。 JR西日本には「日勤教育」と呼ばれる制度があった。ミスをした運転士に対し、再教育という名目で、就業規則の書き写しや除草作業などを1日中行わせる、懲罰的な制度だった。 この運転士は、入社からの間に計3回、日勤教育を受けていた。そのうち1回は、事故の約1年前、停車駅の停止位置を行き過ぎたミスにより13日間にわたって行われた。聴取の中では「再度嘘をついたら運転できないぞ」などの言葉も向けられていたという。 国土交通省の事故調査報告書は、日勤教育について「ほとんど精神論」と断じ、「日勤教育等のJR西日本の管理方法が事故に関与したと考えられる」と明記した。 ミスを罰する制度が、 ミスを隠す動機を生んだ。 🔴 数字に入らなかった犠牲者 事故から20年。 ある男性は、結婚を約束していた婚約者を、この事故で失った。彼女が乗っていた車両は、マンションに激突し、大破した部分だった。 男性は生き残った。しかし、事故が彼から奪ったのは、婚約者の命だけではなかった。 事故の傷を抱え続けた末、彼は後年、自ら命を絶った。 彼の死は、事故の公式な死者数「107人」には数えられていない。 尼崎の事故現場には、2018年に慰霊施設「祈りの杜」が整備され、慰霊碑に犠牲者の名前が刻まれている。事故で直接亡くなった人々への祈りの場として、今も多くの遺族が花を手向けに訪れている。 しかし、事故の後に心を病み、命を絶った人々の名前は、その碑には存在しない。 事故の瞬間に命を奪われた人と、 事故の後に、ゆっくりと命を奪われた人。 だからこそ、公式の「107人」という数字だけでは、事故が残した傷のすべては語れない。 事故から20年が経った今も、この「数えられなかった犠牲者」の存在は、ドキュメンタリーなどを通じて静かに語られ続けている。 ATSがなかった。 日勤教育という懲罰制度があった。 ミスを報告できない空気があった。 107人が死んだ。 そして、その後も見えない場所で命が失われ続けた。 その人々の名前は、誰にも刻まれていない。 あなたは、事故の公式な死者数「107人」の外側に、事故の傷を抱えたまま自ら命を絶った人々が存在するという現実に、何を思いますか。

Ajay Verma (アジャイ・ヴェルマ)

799,096 次观看 • 1 个月前

【バンドマンの“つながる”支援 音楽でファンを被災地に】 結成30周年を迎えたロックバンド「#BRAHMAN」 ボーカルのTOSHI-LOWさんはバンドマンとしての顔のほか、復興支援を行うNPO団体「幡ヶ谷再生大学【復興再生部】」の代表も務めています 先月に金沢市で行われたライブの翌日には、輪島市でビーチクリーンのボランティア活動を行っていました ▼東日本大震災の時、支援物資を届けたことが活動のきっかけに― TOSHI-LOWさん 「自分の地元・茨城も被災地というか、“隠れ被災地”みたいになって、自分で動いた時に当事者というか近くになってみないとわからないなと」 「自分の大きさ・本質みたいなものが自分でも透けて見える。だってかっこつけたって何したって通用しないし」 ▼TOSHI-LOWさんの活動に共感する“音楽ファン” 熊本地震や西日本豪雨など、自然災害のたび支援活動を行い、13年で1万人以上が参加 参加者の多くはライブにも訪れている“ファン”です 訪れた先に「自主練」と呼ばれる支部を作り、被災地とつながり続けることも特徴の一つ TOSHI-LOWさん 「自分たちができることって、場を作ることだと常々思ってる。同じ釜の飯を食う仲間の意識があったほうが、張り合いも出るし、楽しくなる」 活動を行った輪島市では、多くの人が「故郷に残る」か「離れて新しい場所で生活を再建するか」選択を迫られています ▼いま求められるのは、息の長い“つながり続ける支援” TOSHI-LOWさん 「大変な目にあった人たちが一番言うのが『また来てね』なんですよ」 「自分たちもそれが“また来ていいんだ”ってなって、それが1個のつながり」 「(被災した人が)“いまこうなってしまっている街のグチャグチャが悲しいんじゃない”“それを忘れられることが一番悲しい”」 「“自分たちの存在がもうなかったように思われる”と」 ▼“再訪”の被災地で― 能登島で民宿「山水荘」を営む石田さん 今年1月に子どもたちへ支援物資を届けに来ていたTOSHI-LOWさんと出会いました 石田さんの民宿では7月末から観光客の受け入れができるようになりましたが、島の宿泊施設26軒中17軒が夏の観光シーズンに再開ができませんでした 民宿「山水荘」石田直人さん 「みんながみんな(営業を)まだやらなかったら、地域として終わってしまう」 「人も減るし観光客も来なくなったら、地域が死んでしまうので、僕らはそれを絶やさないように頑張っていこうと思います」 TOSHI-LOWさん 「俺たちみたいに街を回る旅人みたいな職業の中でも出来ることもある」 「ライブに来たその足で、ちょっと参加できることがあってもいい」 「観光とかもそうじゃないですか、やっぱり足を運ぶとか。全部“たまたま”でいいと思う」 「たまたま近くにいたんで、たまたま大変だと思うんで、“大丈夫ですか?”っていったら、大変なら“じゃあ手伝います”みたいに」 「ちょっと手を出してみるというか、それぐらいでいいと思うんですよね」 BRAHMAN / OAU 幡ヶ谷再生大学[復興再生部] 幡ヶ谷再生大学 石川自主練

報道ステーション+サタステ

590,413 次观看 • 1 年前

一昨日夜、輪島を一旦離れ能登空港近くの駐車場(キャンピングカー)で夜を明かして早朝に珠洲市へ。 以前ロケで訪れたこともあった珠洲は輪島から東へ約50km。車で約1時間。能登半島の最端の地。 知人に紹介していただいた災害現場の第一線で復興支援に取り組んでおられる黒澤司さんにお話を伺いながら現地を案内していただきました。 揺れの被害、津波での被害で家屋はほぼ全壊。壊滅的。 水、下水、ガス、電気(所々)が未だ通っていない状況。 現在珠洲に残られている7000人(人口12000人※市外などへ一時避難中とのこと)の方々が現在各所避難所、仮説住宅などで避難中。 全国から消防団員さんやNPOさん、各ボランティア団体さんなどが入れ替わりで復興作業をしてくれていますが、珠洲の位置的な要因、宿泊先がない…など圧倒的に人手が足りていない状況。 「こんな場所まで来てくれてありがとう」 「現状の報道が少なくなってしまい風化してしまうのが心配」 「珠洲の現地の現状を見てもらい是非シェアしてほしい」 「今までの災害とはちがい家屋倒壊が特殊な災害」 「倒壊家屋を解体しようにも泊まる場所がなく作業員がいない」 「被災者の皆さんのメンタルケアが必要」… とある小学校へ案内していただき子どもたちとお会いしてきましたが、この大変な状況のなかでも学校で勉強する姿、子どもたちと先生方々の笑顔にこちらの方が救われる想いでした。 能登半島の一番奥という遠い故郷への今一番の支援は、 "知ることと伝える"こと。被災地に想いを馳せる心の支援が大切だと感じます。 震災当時、報道では 「被災地までの経路が限られていて被災地に向かう緊急車両が現地に入れないので来ないでください!」のアナウンスが未だに脳裏に焼き付いておられるとおもいますが、現在は悪路ですが被災地へ入れます🚗(但し夜間は危険です) 能登⇄藤沢 往復約1000km。 車で片道約10時間。 今回直接お邪魔した輪島、珠洲だけではなくあちらこちの家が倒壊している様子から(穴水、七尾、中能登、氷見…)地震の凄まじさを感じます。 被災地を離れるにつれて日常に戻ってゆく景色をながめながら、ついさっきまで倒壊した家屋のなかを歩いていたことが夢のような不思議な気分に。 "日本中どこにいても明日は我が身" そんなことを想いながら無事に帰宅いたしました。 すばらしい故郷 能登の一日も早い復興を願うばかりです。 また必ず伺います。 頂いたご縁にも感謝。 #能登半島地震 #珠洲 〜 今回は急なボランティア希望にも関わらず対応、受け入れをしてくださった「訪問ボランティアナースの会キャンナス」代表の菅原由美さんスタッフの皆さま、現地の方々、各ボランティア関係者の皆さま、日本財団 DRT JAPAN黒澤司さん、 そして、4月20日に📞 「毅志、23日から時間ができたので能登に行こうと思うんだけど」 「オッケーです。何持っていけばいいですか?」 「ギター」 「オッケーです」と急な計画にも関わらず2つ返事で了解、お供してくれたウルトラマンガイア/高山我夢こと吉岡毅志。 本当にありがとう。 【災害復興支援エキスパート黒澤司さんが仰っていた震災時に倒壊した家屋からひとりでも多くの人命を助けられる必需道具•メモ📝】 ◎ジャッキ/バール/ハンマー/チェンソー/ロープ/軽トラック(4WD)

つるの剛士

1,781,118 次观看 • 2 年前

被災地の今。この動画は珠洲ですが、あの冬の頃と景色が何も変わっていない。戦場の様な光景がいつまでも続く。 東日本大震災の時にも同じような光景を目にしましたが、しかし、違うのは東日本大震災の現場では復興に携わる多くの作業員やボランティアの姿を見ました。 これまで多くの被災された方々と交流を続けてきましたがポツリと「ボランティアは来てくれない」「見捨てられてしまったのかな。どうしてかな。裏日本だから、遠い存在なのかな」と。 飛び出したままのマンホール。動画の中で「輪島は飛び出したマンホールが片付いていた」と話していましたが、それだって市の中心部の話し。 空き家率も高く倒壊した家屋の所有者の特定が難しく、また、職員のマンパワーが足りないため公費解体に向けた手続きが出来ないとのこと。他の行政からの応援職員も不足していると。 しかし、解体し更地にしない限り再建はできない。梅雨が始まれば倒壊した家は腐りこの辺りは悪臭に覆われてしまうだろう。カビ、シロアリ、ネズミ、極めて不衛生な状況に。 被災地は被災地のまま、復興どころか更に劣悪な環境となる。 この環境が長期化すれば人々は希望を失い故郷を去る人も出てくるだろう。 「希望を繋ぐためにもせめていつ解体が始まるのか目処だけでも伝えてほしい」との言葉もありました。 みなさん、希望を必要としています。小さな希望も必要としています。希望を途切らせない為に必死に生きています。 法律の壁が邪魔をするのならば変えればいい。能登で起きている事を全ての人が知るべき。明日は我が身なのだから。 瓦礫を眺めながら深く感じた事があります。もし、この社会が能登を見捨てるような事になればその報いは必ず受けるだろうと。災害によって…

野口健

2,221,420 次观看 • 2 年前

#国会正門前大行動0519 石嶺香織さん、スピーチ全文です。(ご本人からの依頼で投稿しています!) 私は今日、飛行機で沖縄県の宮古島からやってきました。石嶺香織と申します。よろしくお願いします。 今の高市政権の軍拡・憲法改正を推し進めようという流れの中、みなさんの中で、今自分が住んでいる場所で戦争が起こって、そこにはもう住めなくなるかもしれないっていう不安を感じている人は、どれくらいいますか? 今宮古島、石垣島、与那国をはじめとする先島諸島では、台湾有事を前提として、島民12万人を九州・山口に避難させるという全島避難計画が進められています。 信じられますか? どれぐらい具体的な計画かというと、私の住む宮古島市の東学区は、鹿児島県鹿児島市に避難するということまで決まってます。 3辺の合計100センチ以下の手荷物ひとつで、1か月間鹿児島のホテルに滞在し、その後そこでの就学や就労の支援計画まで始まっています。 このような計画を、国を始めとして、沖縄県、宮古島市も異議を唱えることなく立てています。 私達住民の気持ちは、置き去りにされています。 私たちは今、生活を根こそぎ奪われるということが、戦争以上に怖いです。 そもそも、なぜ国外問題である台湾有事で、先島諸島が戦場にされなければならないのでしょうか。 なぜ、先島諸島の人々の生活を奪って、そこを戦場にして戦争することが国を守るということなんでしょうか?その中に私たち先島諸島の人々は入ってますか? 国際法であるジュネーブ諸条約では、「軍民分離」ということが決まっていて、住民がいる場所では戦争できないのです。アメリカは批准していませんが、日本は批准しているので、守らなければなりません。有事の前に避難させるということは、戦争をするために住民が邪魔だから避難させるのではないでしょうか? 戦争を前提とした避難に従うことは、戦争協力であると、私は考えています。 そして、一度避難して島が戦場にされたら、もう島に戻ることはできないのは容易に想像できます。地続きではない島の復興はほぼ不可能です。 つまりこれは、「島外避難」などではない。 「強制疎開」です。 島に残りたいと言っても、避難は強制ではないが、ライフラインが止められるというのが市の説明です。それは強制に等しいです。 このようなことが、今の日本で行われようとしています。 「島外避難したくない」と言うと、「命が大事じゃないのか」ということが言われます。 もちろん、命が大事です。 でも憲法第25条では、単に生きるだけではなく、人としての尊厳を保った「健康で文化的な最低限度の生活」が認められています。 また、憲法第22条では自己の意思に反して「移動しない自由」「住み続ける権利」が保障されています。 しかし、すでに私たちの権利は脅かされようとしていて、それが当然のことのように語られています。今目の前にある憲法を守らせることさえできていないのに改憲するなんて許されることではありません。憲法はすでに沖縄の人々を守らなくなって久しいです。今大切なのは憲法改正ではなく権力者に憲法を守らせることです。 先島諸島の島々では、その島独自の文化の中で人々は生きています。 島によって、言葉も違う、歌も違う、織物も違う。 その島にしかない大切なものを、次世代に繋ごうと、大切に守りながら生きています。 福島の原発事故で、故郷を奪われた人々がいます。 故郷を失うということが、どれだけ大きなものを失うということなのか、私達はもう知っていると思います。 「ただ生きていればいい」そんなこと、誰が言えるでしょうか。 「この島に生き続けたい」この当たり前の、切実なな願いを、戦争という愚かなことのために、どうか踏み躙らないでほしい。 最後に、宮古の古い民謡「石嶺ぬ赤宇木」という歌を歌いたいと思います。 人頭税という重税が課せられていた時代、男性は穀物、女性は宮古上布という織物を納めていました。伊良部島から宮古上布を納めにきた女性が、首里からの役人の求婚を断り、私には夫も家族もいます、この赤宇木の木のように、「島ある限り国のある限り根を下ろしてみせる」と、自分を守る物語の唄です。 映像提供:UPLAN 全編はこちらから #台湾有事 #島外避難 #全島避難 #住み続ける権利

仁藤夢乃 Yumeno Nito

139,298 次观看 • 2 个月前

【お知らせ】 本日(5月19日)、高市総理は韓国の李在明(イ・ジェミョン)大統領と会談しました。 両首脳による冒頭発言要旨(速報版、仮訳) (李大統領) まず、私の故郷である安東をお訪ねくださった高市総理ならびに代表団の皆様を、心より歓迎申し上げます。 今年1月には、総理の故郷である奈良を訪問し、大変心のこもった歓迎を受けました。 本日は、私が生まれ育ったこの安東で総理をお迎えできることを、大変意義深く、光栄に思っております。 総理は昨年10月にご就任されましたが、ご就任後、すでに今回で4回目の会談となります。 まさに韓日間のシャトル外交の真価を示しているものだと思います。 前回、奈良での会談において、総理と私は韓日関係の新たな60年を切り拓く力強い第一歩を踏み出しました。 今年1月の首脳会談での約束どおり、韓日関係は未来に向かって一日たりとも止まることなく、力強く前進し続けています。 総理と私だけでなく、各省庁の次官・局長級をはじめとする政府関係者たちも、さまざまな分野で相互訪問を行い、両国間の協力を続けています。 3月には我が国の国会議長も日本を訪問したと承知しています。 その結果、今年3月には「韓日サプライチェーン・パートナーシップ」を締結し、サプライチェーン分野における危機対応体制を整備し、また、両国警察庁間の協力覚書を締結し、特殊詐欺犯罪への対応協力を制度化しました。 長生炭鉱で発掘された遺骨のDNA鑑定に関する実務協議を進め、ご遺族の願いに一歩近づくことができましたし、共通社会問題協議体では、社会発展の陰に隠れていた新たな協力分野に光を当てています。 一方で、現在の国際情勢は嵐のように激しく変化しています。 今ほど友好国間の協力と疎通が必要な時はないと思います。 強固な両国間協力とともに、国際情勢の困難を共に乗り越えていく姿を通じて、両国が互いにとってどれほど重要な協力パートナーであるかを実感しています。 ホルムズ海峡の安全と航行の自由のために、両国は英国・フランス主導のホルムズ海峡海上航行の自由イニシアティブや、国際社会のさまざまな決議に共に参加しました。 総理ご自身が主導された「アジア・ゼロエミッション・プラス共同体」には、金民錫(キム・ミンソク)国務総理が参加し、協力を続けました。 中東で足止めされた国民の安全な帰国のために、互いに航空機の座席を融通し合ったこともありました。 また、総理がXにも書いてくださったように、さまざまな困難な状況の中でも、両国の揺るぎない友情はさらに輝き、発展しています。 わずか4か月の間に、総理と私が互いの故郷を訪問することになりましたが、これは韓日関係史上初めてであるだけでなく、世界的にも例を見ないことです。 このように、前例や慣行にとらわれず、互いへの理解と共感の幅を広げていけば、実用的でありながら画期的な協力方案を生み出していけると確信しています。 韓日関係の新たな60年の初年度に開かれる本日の会談が、最良の韓日関係をさらに一段高い次元へ飛躍させる一歩となることを期待しています。 改めまして、総理のご訪韓を歓迎いたします。ありがとうございます。 (高市総理) ありがとうございました。大統領、そして韓国の皆様による歓待に心から感謝を申し上げます。 大統領もおっしゃってくださいましたが、1月に私のふるさと奈良を訪ねてくださり、今回は李在明大統領のふるさとであるここ安東(アンドン)で、「シャトル外交」が実践できるということを、とてもうれしく思っています。 大統領もおっしゃいましたが、中東情勢を始めとして、今、国際社会は大変困難な時期を迎えています。その中で大統領と私のリーダーシップによって、良好な日韓関係の基調を着実に発展させて、両国がインド太平洋地域の安定化の要として役割を果たしていくということが、極めて重要だと思っております。 本日は、このあと実務の話に入りますけれども、日韓双方の利益のために、そして地域と国際社会の平和と安定のために、率直な意見交換を行いたいと希望しております。ありがとうございます。

首相官邸

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