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中国で、人生の半分以上を弟の仇討ちに捧げた姉 1992年、当時9歳の李海玉氏は、父とトラブルのあった男に弟を誘拐される。家族は弟が「誘拐され売られた」と思い、李氏は10代の頃から弟を探す旅に出る 2014年、李氏はついに容疑者の男の居場所を突き止める。しかし、決定的な証拠がないため、正体を隠し、SNSで「好意を持っている女」を装って男に接触 彼女は男の信頼を得るため、約3年間もチャットなどで連絡を続け、男が過去の犯行をほのめかす言葉や、居場所を特定するための情報を引き出した 2020年、十分な情報を集めて警察に通報、男はついに逮捕 逮捕後の調査で、弟は誘拐直後の1992年にすでに殺害されていることが判明 李氏は「弟はどこかで生きている」と信じて20年以上探し続けていたため、残酷な結末となった 2024年12月、地裁は被告に対して死刑判決を言い渡す 李氏の母親は、判決が出る2ヶ月前に真実を知ることなく亡くなった

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【Xスペースで「ヒットマンは400万」――殺害を想起させる発言と脅迫的言動か】 エバンス氏エバンスMD.PhD シュガー氏@_sugarstarme イッセー氏issey🍉 黒川あつひこ氏黒川あつひこ(つばさの党 代表) らが連日のように開催しているXのスペース内で、特定の人物に対する脅迫とも受け取れる発言が相次いでいたことが分かった。 一連の発言の標的とみられるのは、杉田勇人氏と芸能ライターの山本武彦氏である。 スペース内でエバンス氏、シュガー氏は、 「Sなんとかさん」 「杉田でしょ」 「中年なんですよ」 などと発言し、杉田氏を執拗に挑発していた。 実名を明示せず、聞き手に対象者を推測させるこのような発言は、俗に「犬笛」と呼ばれる手法に当たる可能性がある。 その後、エバンス氏からは、 「ヒットマンは400万で紹介できる」 との発言が飛び出した。 「ヒットマン」という言葉は一般に殺し屋を意味する。仮に冗談や比喩であったとしても、特定の人物を話題にしている最中に、このような言葉を口にすることは極めて不穏であり、到底看過できるものではない。 さらに、イッセー氏も、 「自衛隊の特殊部隊がついている」 「生活できないようにするぞ」 などと発言した。 一連の流れを通して聞けば、単なる雑談や悪ふざけではなく、対象者に恐怖を与えかねない脅迫的な言動が繰り返されてるよう受け取れる。 登壇者らは「S田」「Y本」「Y田」などの伏せ字や隠語を使用していた。 しかし、連日開催されていたスペースのタイトルには、杉田氏や山本氏を示すとみられる名前が掲げられていたという。 スペース内では、杉田氏や山本氏がシュガー氏に対して性的な危害を加えると予告したかのような言説も展開されていたとされる。 こうした経緯や発言内容を総合すれば、伏せ字を使用していたとしても、一般の聴取者が対象者を特定できる「同定可能性」は否定できない。 実際に、エバンス氏が「杉田」「山本」と名前を口にした後、イッセー氏が「名前を出すな」と制止する場面もあった。 この制止は登壇者側も、誰について話しているのかを認識していた可能性がある。 一方、つばさの党の黒川あつひこ氏は、一連の発言について危険性を感じたのか、この話題では珍しく沈黙を守っていたという。 ただし、沈黙していたことのみをもって、発言への賛同や関与があったと断定することはできない。 今回の発言が冗談や比喩の範囲なのか、それとも対象者への現実的な害悪の告知に当たるのかは、録音データの全体、発言の前後関係、登壇者間の関係、過去の言動などを含めて慎重に検証する必要がある。 しかし、「ヒットマンは400万で雇える」「生活できないようにするぞ」といった言葉が、特定可能な人物を話題にする場で発せられていたのであれば、社会通念上、軽い冗談として処理できる内容ではない。

さくらフィナンシャルニュース

49,181 views • 1 month ago

知名度SSS 吉野凌雅 2023年2月3日 名古屋市中区にある くら寿司名古屋栄店にて 吉野凌雅は 無職の19歳の男と 15歳の少女とともに来店した。 そして吉野はそこで 備え付けの醤油さしに 直接口をつけて そのまま醤油を直飲みするという 迷惑行為を行った。 また吉野はその時の 様子を撮影した動画を SNS上にアップしたので 投稿された動画は瞬く間に拡散され 世間から大きな炎上が巻き起こり くら寿司は顧客から クレーム処理や お問い合わせ対応に 追われることになった。 こうした重大な 事態を招いたにも関わらず 吉野は何ら反省することはなく なんとSNS上に 謝罪動画と題した動画を投稿し ニヤニヤ笑いながら 「寿司を乱暴に扱ってすみません」 「深く反省してまーす」 などとふざけるような行為をしたので 世間からの更なる炎上を招いた。 結局、被害を受けたくら寿司側から 被害届を提出された警察は 威力業務妨害罪として捜査を開始し 吉野の動画撮影や SNSの投稿に協力したとして 共犯者である19歳の男と 15歳の少女を逮捕したものの 肝心の主犯格である吉野については 顔がはっきりしていたものの 住所不定だったために 行方が分からなかったので なかなか逮捕することが出来なかった。 実は吉野は自分の起こした、事の騒ぎが 予想以上に大きくなっていったので このまま日本にいたら 警察に捕まってしまうことを恐れて 韓国へと国外逃亡していたのだ。 だが結局同年3月6日に 所持金が底を尽きてしまい 生活に困窮してしまったので 日本に戻ってきたところを 警察によって逮捕されたのだった。 またさらに驚くべき事実が判明した。 なんと吉野はくら寿司で 迷惑行為を行っていた際に 一緒だった15歳の少女に対して 身代金目的の営利誘拐をしていたとして 威力業務妨害罪と併せて追起訴されたのだ。 バカッターで誘拐犯とは。 本当になんて奴だ。 ちなみにSNS上で、 自分の起こした 迷惑行為の動画を投稿して 事件化され 逮捕起訴までされたのは 吉野が史上初であった。 この事件では吉野が起こした あまりにも非常識すぎる 迷惑行為の他にも あまりにも端正な 顔立ちにも注目が集まった。 くら寿司で迷惑行為を行っていた吉野は 金髪でかなりの長髪であったので 「男なのか女なのか分からない」 との声がネット上で相次いだ。 そして同年3月8日に 逮捕されてから保釈された際の 吉野の様子がテレビに流れると 黒髪の短髪という あまりにも別人の恰好になっていたので 外見に対する評価が一変し 「本当に同一人物なのか?」 「小動物系のイケメンじゃん」 「普通にかわいいし、モテそう。 なんでこんな馬鹿なことしたの?」 などとの声が挙がった。 まあ見た目がガラリと変わったのは 反省をしていることをアピールして 減刑を狙うために 弁護士から入れ知恵されたためだろうが。 吉野は事件を起こした当時 定職にはついておらず住所不定で 新宿歌舞伎町のトー横で 放浪生活を送っていたとされていて 同じ路上生活の仲間たちからは 「タゴミ」という あだ名で呼ばれていたとのこと。 「タゴミ」とは 吉野が使用していた Xアカウントの名前が 「ただのゴミ」 であったことにちなんでいた。 吉野の知り合いであった トー横の少年は 「吉野はみんなからの人気者で ムードメーカーで サービス精神旺盛で 雰囲気をよく盛り上げてくれた」 と意外にも 好印象であったことを証言している。 また吉野はずっと トー横にいたわけではなく ドン横と呼ばれる、 名古屋市中区栄の ドン・キホーテ横の栄広場や グリ下と呼ばれる、 大阪道頓堀のグリコサイン下といった 若者たちの溜まり場にも 転々としていたとのこと。 ちなみに吉野は どうやって生活をしていたのかというと その日の日銭稼ぎのために 歌舞伎町内に約300店舗もある ホストクラブの体験入店をしては 5000円から 8000円程度の体験料を受け取ると すぐにその店を辞めてはまた別の店へと 体験入店を繰り返し行い 吉野は「体験入店荒らし」 として近隣界隈で有名人だった。 また吉野は知り合った女性から 金銭的な援助を受ける ヒモ生活を送っていたとの情報もあった。 ちなみに吉野が 警察の逮捕から免れるために 韓国へと逃亡したことはお話ししたが そこでもヒモ同然の 生活を送っていたとされている。 吉野がxのアカウントに 投稿していた内容によると 逃亡先の韓国で 以下の生活を していたことが判明している。 まず朝は靴磨きをしてお金を稼ぎ そのお金を使用して 夜はキャバクラに行き そこでキャバ嬢の韓国人女性と知り合い 仲良くなると 女性を油断させた隙に 大量にお酒を飲ませて酔わせて 女性の金でラブホテルへと行き 酔っぱらって 意識を失っている女性の財布から お金を盗み出す というものであった。 吉野曰く 「新しいビジネス」 「ヒモスキルが高い」 とのことだが やっている行為は ただの昏睡強盗で 立派な犯罪行為だ。 自分の日々の生活費を得るために 真っ当に働こうとはせず 犯罪行為などで楽にお金を稼ごうとする ろくでもない奴だが そんな吉野の実家は豪邸で 父親は会社の社長ということで 意外にもお金持ちであったことが とある週刊誌の取材で判明している。 なので吉野は実家から ある程度の金銭的な 援助を受けていたとされていて その証拠として 吉野は無職であったにも関わらず くら寿司で迷惑行為を行った際に 身に着けていた上着がかなり上質なもので さらには保釈後に身に着けていた バックパックも 定価であれば10万円以上もする 大変高価なものであった。 また保釈金についても 300万円という 大金だったので こちらも親から 用意されたものであると考えられる。 とある週刊誌の記者が 吉野の父親とされる人物に 電話で突撃取材をしたところ 「確かに息子は 凌雅といいますが、人違いだ。 事件を起こした人物と 同姓同名、同年齢だが、 まったくの別人だ」 と話して 自分の息子ではないと否定したとのこと。 だが「凌雅」というな名前は珍しく しかも同年齢であるので 恐らく自分の息子が起こした事件で 散々煮え湯を飲まされてきたので 親子の縁を切って これ以上関わり合いに なりたくないのだろうと推定される。 またネット上でも 吉野は父親との 仲が悪かったことが噂されていて 「お金はあったのかもしれないけど、 愛情のない家庭に育ったのかも」 「親が独親で居場所がなくて 放浪生活を続けていたのかも」 と考察する声が多かった。 2023年7月20日 名古屋地裁で吉野の初公判が行われ その時の吉野の外見が 逮捕前とあまりにも 変わっていたことが 大きな話題となった。 吉野は逮捕後、 保釈された時よりも さらに髪を短く切り 黒いスーツを着用した姿で 裁判所の前に殺到していた 報道陣の前に現れて 「二度とこんなことをしたくない」 と真剣な口調で語って 頭を深く下げた。 また吉野は行われた公判でも 起訴内容をすべて認めた上で 「面白いと思ってやってしまった」 との犯行動機を語った。 ちなみに吉野は逮捕される直前に 自身のxアカウントで 「僕は捕まりましぇーん」 とふざけたツイートを行ったり 逮捕された後も 「醤油さしに口はつけていない」 などと的外れな言い訳を行っていた。 なのでいくら見た目を変えても 減刑を狙うための パフォーマンスに過ぎず 反省しているふりを しているとしか思えないだろう。 同年10月13日、名古屋地裁で 被告人である吉野に対して 懲役3年 執行猶予5年の有罪判決が言い渡された。 裁判長は判決理由について 「顧客に安心して 食事をしてもらおうという 同社の努力を無にしかねない、 あまりにも無分別な犯行」 と指摘した。 吉野は判決直後 報道陣の取材に対して 「常識外れでおかしな部分があった」 と発言した上で 「たくさんの方に申し訳ない気持ちだ。 まっとうに働いて、 くら寿司さんに賠償していきたい」 と謝罪した。 そして吉野は現在 元犯罪者の社会復帰を 支援する建設企業で 見習いの塗装工として 働いているとされている。 仕事の日当は9000円で 休みは日曜日のみで 週6日勤務だ。 なので月収は21万円程度と推定され そこから日々の生活費を抜くと くら寿司側に対する 具体的な賠償金額は不明だが 一生かかっても 賠償は不可能であると思われる。 自分の犯した愚かな行為によって 一生を棒に振ることになった。

許せない凶悪事件

106,262 views • 1 month ago

明日で39歳になります。事故当時は32歳。月日が経ちました。 「妻と娘の命を無駄にしないために、誰かの命が守られるように活動を続けよう」と生きてきた。その一心で、走り続けてきた気がする。でも最近、ある葛藤に悩んていた。結局その根っこには、「誰かの役に立つことで、妻と娘の命を無駄にしていないと思いたい」という、自分が生きている実感を得たい気持ちがあったんじゃないかと。 妻と娘や、他者のためにやっているつもりで、実は自分のためなんじゃないか。そんな自分は卑しい人間なのではないかと。 最近は、そんな自分の心と正面から向き合い、悩んだ。活動に対するモチベーションをどこに向けていいのか分からなくなる瞬間もあった。 それでも今は、「自己中心的利他でいい。」そう思えるようになった。 活動をすることで、自分の心が少し楽になる。そして、その活動が結果的に誰かの役に立つのなら、それで十分じゃないかと。 心が楽になることで、妻と娘もきっと安心してくれる。2人とは会話は出来ないけど、生前のふたりならそう言ってくれそうな気がする。そんなふうに今は思っています。ふたりが笑顔で祝ってくれたあの日の動画を見ながら、そんなことを考えていました。↓↓続きがあります↓↓

池袋暴走事故遺族 松永拓也

9,436,551 views • 1 year ago

昨日、ビックサイトで開催された元スタバの社長との講演の場で、僕たち二人に対して「理想のリーダーとは」を問われたけど、僕は「結果を出せる人」と答えた。 なぜなら結果が出せないリーダーは、どれだけ仲間に尊敬されていても、いつか会社を潰すし、プロジェクトをダメにするから。 つまりは、どんなケースでも結果をだせるリーダーだけが最終的に優れたリーダーだったと僕は思ってる。 僕が知る優れたリーダーの多くはまわりからの尊敬なんて求めない。もちろん僕だって、好かれたいし、いい人だって思われたい。「チーム全員に尊敬されたい」と思わないわけじゃないけど、その感情は結果を出す上では弱さにもなる。結果を出すためには、チームの想いを汲み取れないことだってあるし、相手からしたら重圧を感じるような高い要求を時にしなければいけない。トップダウンで強制したりすることだってある。 結果を出すために重要なことはやりきり、さして大事ではないものは断ち切る残酷な意思決定を下すことも。 その過程でついて来れなくなる人は当然出てくる。僕みたいなキャラクターの経営者の場合は、事前に何かしらの期待と尊敬の念を抱いて入社してくれる人も多く、それがついてこれなくなり真逆の感情に変わる人だって過去に何人も見てきた。 それでも実現したいビジョンがあるから仕事をしてる。だから簡単には妥協なんてできなくて。 (ちなみに田村さんは結果が出せるリーダーです。彼女に託したBACKMANは半年で売上が2倍になり、今では毎月大きな利益を残すまでに成長しています。) いろいろ書きましたが、先日セミナーで上記にも通じる内容で、若者達に「挑戦」について話したので、興味がある人は聞いてみてください

溝口勇児 | 連続起業家

193,117 views • 1 year ago

集団ストーカーの指示役?をおさえた 近くで観察してなにをやるのかを決める人間が居るようです 「匂い攻撃をやろうか」などと言っていたのが聞こえた、さらにスマホを向けられたので声かけ→警察を呼ばれるといういつもの流れ 異常に私のことを気にしてる、動画を嫌がっている 都合の悪い質問は無視 警察も集ストを「警戒しなくていい」とかほざいてくるし、動画を消せとほざく 動画を撮りながらついてきたとか言ってるが、スマホ持ちながら歩く人間なんてザラに居るし、あきらかに私を気にしすぎ、なにも知らないで犬の散歩をしにきた人間の反応ではない ・動画を嫌がりすぎ スマホもって歩いてただけで動画を撮ってると決めつけ、消してくれと執拗に迫ってくる、後ろめたいことがある人間の反応、何も知らないで犬の散歩をしにきた人間の反応ではない 訴えるとか言ってくるのもいつもと同じ 警察が動画を消してくれと言ってくるのもいつもと同じ、何も知らないで犬の散歩をしにきた人間の反応ではない マニュアル通りにしか対応できないのか! 車でわざわざ近くのコンビニまできてあんなところで犬の散歩?おかしいだろ! 千葉県柏市の集団ストーカーの指示役?のようです このように、嘘の防犯活動をして報酬を貰いながら無実の人間を「危険人物扱い」して追いかけまわし、嫌がらせをするやつらが居ます こいつらが日本を悪くしてる元凶!

かたし@匂い散布などのグループ嫌がらせを受けている純日本人

12,969 views • 1 month ago

三次元にとどまることを選択した人々に何が起こるのか 古代のシステムが崩壊し、地球がより高い周波数で上昇するにつれて、一部の魂は5次元に上昇し、他の魂は天の意識のままになります。 これは、腐敗したシステムが彼らのために存在し続けることを意味するものではありません。 彼らの現実の認識は、真実が彼らの周りで明らかにされていても、恐怖、生存、幻想に閉じ込められたままになる原因となります。 地球上の誰もが同じ壊れたシステムの崩壊を目撃しています。 支配に基づく政府、メディア、銀行、企業、機関は、暴露されるでしょう。 しかし、この破壊は外部から起こりますが、3次元の人々と5次元に移動する人々を分けるのは内部の反応です。 5次元の人々にとって、この崩壊は解放と見なされ、彼らは恐れていません。 彼らはすでに幻想を捨て、心と頭の中で準備をしています。 彼らは平和、明晰さ、目的を感じます。 この破壊は、彼らがすでに知っていたことを確認します。 そして今、彼らは自信と信仰を持って新しい地球に完全に入っています。 まだ3次元にいる人も同様の障害を経験しますが、反応は非常に異なります。 彼らはパニックに陥り、混乱し、裏切られたと感じています。 彼らはまだ古いシステムが彼らを救うと信じています。 彼らは真実に抵抗し、偽の救世主に従い、誰かが問題を解決するのを待ちます。 彼らは周りのすべてが崩壊したときに立ち上がる準備ができていないため、嘘にしがみついています。 これにより、物理的な空間ではなく周波数の分割が生じます。 私たちは皆同じ土地を歩いていますが、私たちの経験はまったく異なります。 三次元の人々にとって、世界は暗く絶望的に見えます。 五次元の人々にとって、世界は生きていて、光に満ちています。 人々は自分が調和しているものしか見ません。 それはラジオ局が異なる周波数で放送しているようなもので、あなたのチャンネルにチューニングされていないものは何も聞こえません。 三次元に閉じ込められた人々の中には、やがて目覚める者もいるでしょう。 圧力、崩壊、摩耗、孤独はついに殻から出てくることができます。 彼らは夢を見たり、感情的なブレークスルーを経験したり、献身の心を開く瞬間を経験するかもしれません。 その瞬間、彼らは目を覚まし、物事を見始め、変化が始まります。 このサイクル中に目が覚めない人もいるかもしれません。 彼らの魂は地球を去り、他の場所で彼らの研究を続けることを選ぶかもしれません。 準備ができたら、もう一度チャンスがあります。 誰も罰せられたり忘れられたりしません。 しかし、スケジュールは異なります。 五次元のアセンダントとしての役割は、彼らを説得することではなく、光を具現化することです。 愛をもって真実を語り、種を植えよう。 そして、一歩下がって、彼らの魂に決めさせてください。 あなたは嵐から誰かを救うためにここにいるわけではありません。 あなたはここにいて、平和が可能であることを彼らに思い出させ、落ち着きの中心になるためにいます。 これは素晴らしい選択です。 システムは誰にとっても壊れています。 しかし、起こる未来は、あなたが嵐の中にいる頻度に完全に依存しています。

😺かずみん😺

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リアリティをもって世界を考えられるようになる。 みなさんから寄せられる反響を見ていると、 万博の本当の意義は、まさにそこにあったのではないかと改めて感じる。 インターネットが普及し、 世界中のどんな情報でも簡単に手に入る時代に、 万博を開催することの意義は? と問われていた。 しかし万博が示したのは、 情報ではなく、文化を体感し、人と繋がり、実感をもって世界を考えることの力であった。 藤本壮介さんが掲げたテーマ 「多様でありながら、ひとつ」。 対立と分断が加速するこの世界にあって、 文化も、宗教も、利害も異なる世界中の国々が、 大屋根リングに囲まれひとつになり、 同じ場所に集い、 同じ空を見上げる。 藤本さんが何度も語っていたあの光景が、 いま、世界の緊張が高まるなかで、悲しいけれども、これほどまでに意味を持つことになろうとは。 「One World, One Planet.」 万博会場で、毎夜見上げたあの言葉。 あのときは未来へのメッセージとして輝いていた。 しかしいま、その言葉は、 私たちに対する問いとして響いている。 本当に世界はひとつになれるのか。 万博が残したものは、 いっときの楽しかった思い出ではない。 世界を、自分ごととして考える力である。

米澤隆

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カラスの心が見ているのは、“敵”ではなく“意図”。 カラスは、ただ人を覚えているのではありません。 “なぜその行動をしたのか”――その理由を見抜いています。 人が石を投げたなら、次に近づくときにその人を警戒し、 逆にパンを差し出した人には、翌日も同じ場所で待つ。 研究では、カラスが人の顔を数年単位で記憶し、 その人の“意図”を読み取って行動を変えることが確認されています。 つまり、彼らにとって「危険」と「優しさ」は、 単なる刺激ではなく、“意味のある出来事”なのです。 カラスの世界には、 「好奇心」と「警戒心」の境界がほとんどありません。 ゴミを突くのも、声を上げるのも、 それは“理解しようとする行動”。 観察し、試し、答えを得て、 次にどう動くべきかを自ら学び取っていく。 そして、彼らの社会には“学びの共有”がある。 一羽が危険を経験すれば、その情報は群れ全体に広がる。 カラスたちは仲間の声のトーンや、動きのリズムから、 “何が起きたのか”を読み取ることができるのです。 それはまるで、音で語られる記憶のネットワーク。 私たちが“知能”と呼ぶものを、 彼らは日々の空で実践しています。 そこには理屈も言葉もない。 ただ、「理解しようとする力」だけが、 種を超えて共通している。 だからこそ、 カラスがじっとこちらを見つめているとき、 それはただの観察ではなく、“対話”なのかもしれません。 ――カラスの瞳に映るのは、 敵でも味方でもなく、 “理解し合おうとする人間”という存在。 私たちが彼らを見つめるとき、 同じように、問われているのです。 この世界を、あなたは“見て”いますか。 それとも、“理解しようとしていますか”。

SCIENCE FACTORY ltd.

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【ダウンタウンよ見ているか?】 昨年水曜日のダウンタウンという番組で日本一のシャッター商店街に認定された我らが西柳ヶ瀬。あの時はふざけるなという怒りの声。もう西柳ヶ瀬は終わったという諦めの声、いろいろな批判の声も多数あがった。 私もあの番組を苦虫を噛む想いで見ていた。 でもね今は思う。 日本一のシャッター商店街に任命してくれて本当にありがとうと。 この「日本一のシャッター商店街」という称号は、このまちに、「変わらないといけないという強い意志」を生み出してくれた。 今年度、私が理事長になるにあたって、掲げた目標。 「西柳ヶ瀬を何とかする!」 その時には何とかするとは思ったものの、何をするかは決まっていなかった。正直どこから手を付けていいかがわからなかった。 そこで、グランベール岐山支配人に相談に行った。すると支配人は変なことを言い出す。「水野さん、西柳ヶ瀬という言葉はちょっと悪いイメージもついている。ここはあえて新しいブランディングネームとして、奥柳ヶ瀬という言葉を使ってみてはどうだろうか?」と。 これを聞いたとき、私には何かが見えた気がした。 この日本一のシャッター商店街が変わる。 そうして、始まった奥柳ヶ瀬プロジェクト。 まずは、世間に注目を浴びるために奥柳ヶ瀬夜市をやろうと決めた。 でも、残念ながら西柳ヶ瀬には人手も足りない。 どうしようか。 そんな時にいきてきたのが、この「日本一のシャッター商店街を何とかしよう」というビジョン。この想いと奥柳ヶ瀬という変な言葉につられて多くの協力者が現れた。 こうして実行委員会が形成され、あれよあれよとプロジェクトが動き出した。 クラファンで行った1万円の参加費を取る廃墟ツアーはなんとすぐに完売御礼。そして総額122万円もの金額があつまった。 こうして、このお金のおかげでこの夜市のプロジェクトができるようになった。 その後もメディアの注目を多く浴び、本日9/21奥柳ヶ瀬夜市は本番を迎えた。 正直、どうなるか不安だった。 恐らく身内だけの小さなイベントになってしまうのではないかと。 元々危ないエリアでもあったため、イベント開催で多くのトラブルも起きるのではないかと危惧をしていた。 しかしどうだろうか。 蓋を開ければ大盛況。 全盛期を彷彿させる多くの人が西柳ヶ瀬にあふれているではないか。 バブルの遺産オーロラネオンがこの夜市にとてもいい雰囲気を与えてくれた。 大人だけでなく、子連れのファミリーも多く来てくれていた。 昔から西柳ヶ瀬を支えてきた地元の皆さんも本当に喜んでくれていた。 私にとってそれが何よりうれしい。 もうだめだと思っていた西柳ヶ瀬。 それがこの奥柳ヶ瀬というプロジェクトによって、何か変わるかもしれない!という大きな期待に変わったと言ってくれた。 実際にこの西柳ヶ瀬ではこのプロジェクトをやり出してから新規テナントの出店があったり、ビルの売買が進んでサウナができる計画も動き出した。 こんなことは直近10年全くなかった。 これもすべてのきっかけはあの憎っくき水曜日のダウンタウンだった。 今ではあの憎さが、大きな感謝に変わった。 あの時、水曜日のダウンタウンに日本一のシャッター商店街の称号をもらっていなければこのようには絶対なってなかったはずだ。 ダウンタウンよあの時はムカついてしまいごめんなさい。 でもね、今は本当に感謝している。 今後もこの日本一のシャッター商店街の逆襲は続く。 いつか、松本さんがテレビに復帰され、西柳ヶ瀬(奥柳ヶ瀬)も再生したあかつきには、もう一度番組で取り上げてくれたらうれしいな。 そんな日をめざして、またこの西柳ヶ瀬を奥柳ヶ瀬プロジェクトを推し進め必ず再生してみせる。 ダウンタウンよ本当にありがとう。 柳ケ瀬を代表してお礼を申し上げる。

水野琢朗/柳ケ瀬の逆境理事長

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知名度SSS 河原美代子 騒音おばさん事件 奈良県生駒郡平群町に 住んでいた主婦である河原美代子は 2002年11月から 2005年4月までの約2年半もの間 隣近所に住んでいた 被害者夫婦に対して CDラジカセで24時間365日 大音量で音楽を流し続ける 布団を大きな音でたたき続ける 大きな声で暴言を吐く 車のクラクションを鳴らす などの迷惑行為を行い これにより奥さんの方に 不眠や幻覚、頭痛などの症状が現れ 病院への通院を余儀なくされた。 騒音おばさんが、鬼のような形相で 引っ越しを迫ったり、暴言を吐く映像は 被害者夫婦が撮影して マスコミに提供したもので これをきっかけに 騒音おばさんは全国で有名となった。 さて先ほど、騒音おばさんの迷惑行為が 2002年からだと述べたが 実はそれ以前にも 騒音おばさんと被害者夫婦との間で トラブルは発生していて 一連の事件の発端は1989年に遡る。 被害者夫婦が騒音おばさんの 住む近所に引っ越してきた年だ。 そして1990年ごろから 騒音おばさんと被害者夫婦との間で トラブルが起こるようになり 1996年に騒音おばさんが CDラジカセで大音量の音楽を流したことで 被害者夫婦は民事訴訟を起こし 1999年に騒音おばさんは敗訴し 被害者夫婦に対して 約60万円の罰金を支払った。 だが騒音おばさんの 嫌がらせ行為はその後も続き 2000年に騒音おばさんが 被害者夫婦の住み家の玄関を蹴飛ばし その様子が設置してあった監視カメラの 映像に残されていたことから 2002年に 器物破損の疑いで騒音おばさんが逮捕。 騒音おばさんの迷惑行為が 一時的になくなったのは この時の逮捕拘留中のみであった。 そして2005年4月11日に 騒音おばさんはついに 傷害容疑で逮捕された。 それ以前にも奈良県警は 被害者夫婦の訴えで 騒音おばさんの逮捕に 踏み切ろうとしたものの、 騒音おばさんは 警官が自宅を訪れるときだけ 騒音行為をやめるなど 証拠が不十分であったことから なかなか難航していた。 だが警察は 騒音おばさんの出す 騒音の大きさを測定したり 被害者で騒音おばさんの迷惑行為により 体調不良を起こして 1か月間の通院を余儀なくされた 奥さんの健康診断書などの提出を受けて ようやく逮捕することができたのだった。 その後、奈良地裁で 行われた公判で検察側は 「隣人に苦しみを与えた陰湿な犯行で、 嫌がらせは約2年6か月にわたった。 “騒音おばさんの町”として 平群町の悪評を広めた」 として懲役3年を求刑。 だが被告である騒音おばさんは 「被害者である奥さんの 女性が何でもわたしのせいにした」 「謝ってしもうたら、 冤罪を認めることになる。 自分に罪はない。 認めるつもりはない!」 などと罪状を否認し無罪を主張。 便箋70枚にも及ぶ意見陳述書を 騒音おばさんは 法廷で読み上げようとしたが 裁判長によって 途中で止められたとのこと。 また、騒音おばさんは、 犯行の証拠として採用された 「引っ越し、引っ越し」 と叫びながら布団をたたく あの映像が法廷で流されると、 その映像の音楽に合わせて 踊る場面があったとのこと。 弁護側も 「音を流す行為自体は、 傷害罪とはいえない」 として無罪を主張したが 裁判長は 「音楽を大音量で鳴らし続ける行為は、 被害者に精神的ストレスを与え、 身体の生理的機能を害するもので 傷害罪にあたる」 と認定し、 「執拗かつ陰湿。 反省の態度が感じられず、 再犯の可能性も強い」 として、騒音おばさんに対して 懲役1年の実刑判決を言い渡した。 だが騒音おばさんは 判決を不服として控訴し、 検察側も 「2年以上にわたり 積極的に危害を加えたのに、 量刑が軽すぎる」 などとして控訴した。 そして大阪高裁の控訴審で、 裁判長は 「傷害の確定的な故意があり犯行は陰湿。 1審判決の量刑は軽い」 として、懲役1年8カ月の判決を 騒音おばさんに対して言い渡した。 騒音おばさんは上告を試みたが 2007年4月に 最高裁は上告を棄却して 高裁の懲役1年8カ月の判決が確定。 なお、未決拘留日数が差し引きされ 騒音おばさんが実際に服役したのは 約3カ月程度で 2007年7月に 騒音おばさんは満期で出所した。 ちなみに2004年に 被害者夫婦は騒音おばさんに対して 2度目の民事訴訟を起こしていて 刑事裁判と並行して民事裁判も争われていた。 こちらも2006年に最高裁は 騒音おばさんの上告を棄却して 200万円の賠償を命じた 大阪高裁の判決が確定したとのこと。 なので刑事、民事ともに 被害者夫婦が「被害者」 騒音おばさんが「加害者」であると 裁判で正式に認定されている。 だが動画の冒頭でもお話しした通り 実際は被害者夫婦の方が「加害者」で 騒音おばさんの方が 真の「被害者」だった のではないかという 衝撃の真相がネット上で 考察流布されている。 その根拠について これから解説していく。 もちろんあくまでも 推測や仮説にしかすぎないので ご注意して聞いていただきたい。 まず騒音おばさんこと河原美代子氏は 事件当時家族の介護に追われていた。 1947年に 富山県に生まれた河原氏は 1968年、21歳の時に お見合い結婚をして 女の子二人、男の子一人を授かった。 だが河原氏が結婚した夫は 実は遺伝性の病気である 「脊髄小脳変性症」を患っていて 河原氏がそのことを知ったのは 結婚してからだった。 「脊髄小脳変性症」とは うまく歩けない、 ろれつが回らないなどの症状があり、 次第に動けなくなり 死に至る恐ろしい病気だ。 遺伝性の病気なので 河原氏の夫だけでなく 夫の間に授かった3人の子供たち全員が 脊髄小脳変性症を発症し 河原氏は一人で家族全員の 介護をしないといけなくなった。 そのせいで日頃から 疲労やストレスをためていた河原氏に さらに追い打ちをかけるかのように 隣近所に住んでいた被害者夫婦から 嫌がらせを受けるようになる。 河原氏は過去に 2度引っ越した過去があり 1973年に大阪府八尾市に引っ越し 1988年に奈良騒音事件を起こした 奈良県生駒郡平群町へと引っ越した。 実は騒音おばさんは、 奈良騒音事件を起こす前にも 生駒郡平群町に引っ越してきてすぐに 被害者夫婦とは 別の隣人とトラブルを起こしていた。 こちらも民事訴訟にまで発展したが 騒音おばさんの方が勝訴して 敗訴した隣人は別の場所へと引っ越した。 そしてそれから 約2年後の1990年に 今度は被害者夫婦と 最初のトラブルが起きるようになる。 被害者夫婦は 自宅に外灯を設置していたが その外灯は河原氏の住む 自宅を眩しく照らし、 河原氏は眩しすぎて 病気持ちの家族全員が眠れないと 被害者夫婦に対して、 光がこちらに来ないように せめて囲いを 作ってくれないかとお願いするが 被害者夫婦は 河原氏のお願いを無視し、 あろうことか、奥さんは 早朝から布団を激しく叩くなど 河原氏に対して 嫌がらせを行うようになった。 また、河原氏は 病気を持つ子供たちのために 清潔な布団を用意しようと 毎朝頻繁に布団を干していたが そのことについて被害者夫婦は 「布団叩きがうるさい」 などと文句を言うこともあった。 さらには、被害者夫婦は 河原氏の子供たちに対して 「キチガイだ」 などと近隣住民に対して 言いふらすなどまでしていたとのこと。 その他にも河原氏は 家の中を盗み聞きされ、 それを近所に言いふらされる 監視カメラで家の中を盗撮される 塀の落書きを自分のせいにされる などの嫌がらせを受けていた。 もしこれらがすべて本当だったとしたら 河原氏が「被害者」で 被害者夫婦の方が「加害者」 と立場が全く変わってくる。 河原氏がCDラジカセで 大音量の音楽を流していたのも 家の中を盗み聞きされることを 恐れたからだと法廷で証言している。 「子供の泣き声がうるさいなど 近所から苦情を言われ 裁判を起こされたので、 生活音を消すためするようになった。 亡くなった娘の悪口を言いふらされたり、 鍵穴を塞がれるなど虐めに遭っていた」 河原氏は2000年に長女を亡くし 2002年に次女を亡くした。 そして夫と長男の病状が どんどん悪化していく中で 河原氏は介護を続けた。 そのような状況のなか 被害者夫婦から毎日のように 嫌がらせを受けていたことで 河原氏は追い込まれていき、 とうとう精神のバランスを崩して 事件にまで発展してしまった。 河原氏は、被害者夫婦から 自分の家族を守るために CDラジカセで大音量を流して 暴言を吐いて対抗しようとした。 しかし被害者夫婦に そのことをうまく利用され 映像を証拠として 警察とマスコミに提出され 世間から「河原氏が一方的に悪い」 という状況になってしまった。 確かに、河原氏の動画を警察だけでなく マスコミにまで提出したのは謎で 被害者夫婦が マスコミに情報を流したのは 河原氏を一方的に 悪者に仕立て上げようという 魂胆が伺える。 ただ繰り返しになるが これはあくまでも推測や仮定にすぎず 行われた裁判の結果は 河原氏が加害者であると 結論づけられている。 だが河原氏は近所の人に対して 植木の世話の仕方を教えたり ゴミ捨て場の掃除を 率先してやるなどしていたので 近隣住民からの評判はかなり良かったそうで、 これも 「実は騒音おばさんの方が被害者だった」 とする説を裏付けている。 また河原氏は、 被害者夫婦以外の近所の人に対しては 笑顔で挨拶したり、 この騒動を申し訳ないと 頭を下げて謝っていた という情報まであった。 また河原氏は親族からの評判もよく 「愚痴一つこぼさずに家族の介護をしていた」 という証言もあったとのこと。 なぜこんなに評判の良い河原氏が 狂気じみた「騒音おばさん」へと 変貌してしまったのか。 それはやはり... 騒音おばさんは2007年7月に 満期で出所したのち 奈良県生駒郡平群町にある 元の自宅へ戻ったとの 情報がネット上にあった。 そして被害者夫婦の方は事件後 近隣住民からいじめにあい、 どこかに引っ越していったので 騒音おばさんは騒音を出すことがなくなり 現在は静かに 平穏に過ごしているとのことだ。

許せない凶悪事件

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