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今日はオヤジの命日です☺️ 6年前、コロナ真っ最中に(コロナではなく)面会も出来ずに逝った。 頑固職人で貧しくて僕はグレて いつもぶつかった。迷惑ばかりかけた。晩年は僕が1人で介護した。 死ぬ前日、何とか話がしたいと電話をしたら充電切れ。看護師さんに話すと『充電して私が必ず何とかします!』と。 以下、最期の会話です。 父【お前には世話になったな】 そんな事を言われた事がなかったので動転した。口をついた言葉は 『生んでくれて育ててくれてありがとう。感謝してる』 父【あぁ。俺も感謝してるよ】 『向こうに行ったらお母さん今度こそ優しくしろよ!』 父【あぁ、わかった】 『まぁそう言わずにさ、何とかしてまたワンタン麺を食べに行こうぜ』 ※これが数日前postしたワンタン麺です☺️ 父【あぁ。でもちょっと苦しいな】 『そうか。またな!』 一字一句忘れはしない。 これが最期の会話です。 だから後悔が、ない。こんなに別れの言葉を交わせたのは珍しいでしょう。 あの時、電話を繋いでくれた看護師さんがいなかったら この後の人生は変わっていたと思うのです。

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つかさし

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