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【伝説】13歳の錦織圭 vs 35歳の松岡修造 今から約23年前、まだ無名だった13歳の錦織圭と、日本男子テニス界の第一人者だった松岡修造がコートで向き合った映像 実は2人の出会いはさらに古く、錦織が小学5年生、11歳だった頃 松岡が主催するジュニア育成合宿「修造チャレンジ」に参加した錦織少年 当時は中学生以上が中心だった合宿に、小学生ながら異例の抜擢 練習では高校生を破るほどの才能を見せ、松岡は後年、その出会いを「雷に打たれたような」と振り返っている そんな錦織少年が2003年、13歳で単身渡米 そして2008年、18歳でATPツアー初優勝 2014年には全米オープン準優勝、日本男子初のグランドスラム決勝進出という歴史的快挙 2015年には世界ランキング4位 2016年リオ五輪では銅メダル かつて松岡修造が記録した世界ランキング46位を、はるかに超える選手へと成長した その後は度重なる怪我に苦しみながらも現役を続け、2026年10月1日、36歳でついに引退 最後の舞台は東京・有明 松岡は引退発表を事前に本人から知らされていたという そして、25年前に出会った少年に贈った言葉は、いかにも松岡修造らしかった 「ありがとう圭!」 「まだ勝てるぞ圭!」 「引退を決めたからこそ強くなれる!」 錦織を「日本の宝」と呼び、最後まで全力で応援し続けた松岡修造 2014年、錦織が世界の頂点に迫ったときには、解説席で涙を流していた そして2026年、引退を迎えた錦織への特別寄稿には 「僕に、第二の青春をくれて」 あの13歳の少年と35歳の松岡修造 この映像の2人が、やがて日本テニス界の歴史を変える師弟になることを、当時どれほどの人が想像できただろう

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1 Kommentare

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ひろvor 15 Tagen

小学生の頃の小柄な泣き虫圭くんが印象に残っています😊 うざいぐらいの松岡修造さんにくらいついて、、、強くなる基を見つけてもらう合宿でしたかね?

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2006年6月22日。 ブラジルに敗れた夜。 テレビの前で声を失った人もいれば、悔しくて眠れなかった人もいた。 あの日、小学生だった子どもは、もう30代になった。 高校生だった少年少女は、親になった。 社会人になったばかりの人は、会社を支える立場になった。 日本もまた、激動の20年を歩いてきた。 リーマン・ショックで未来が揺れた。 2011年3月11日、東日本大震災が日常を奪った。 熊本地震、西日本豪雨、能登半島地震。 新型コロナウイルスは、人と人が会うことさえ当たり前ではないと教えた。 笑った日もあった。 泣いた日もあった。 大切な人に出会った人もいれば、大切な人との別れを経験した人もいる。 誰一人として、同じ20年を歩んだ人はいない。 それでも、ひとつだけ共通していることがある。 私たちは、そのたびに立ち上がってきた。 日本サッカーも同じだった。 2006年、世界の大きさを知った。 2010年、あと一歩に涙した。 2018年、ベスト8は指先からこぼれ落ちた。 2022年、世界を驚かせながら、あと一歩届かなかった。 敗れるたびに、この国は少しずつ強くなってきた。 そして、2026年6月30日。 相手は、またブラジル。 これは20年前のリベンジではない。 20年間という時間に、答えを出す日だ。 あの日、中田英寿がピッチに倒れ込んだ理由。 あの日、日本中が感じた悔しさ。 そのすべてが、この20年という時間を経て、一つの試合へとつながっている。 皆さんにとって、この20年はどんな20年でしたか。 その20年を胸に、日本代表を応援したい。 なぜなら、この90分は、11人だけの戦いではない。 20年間を生き抜いてきた、日本という国の物語だから。 🇯🇵

米国インデックス投資家|嵐ファンで2億円達成

1,060,237 Aufrufe • vor 4 Monaten

孫正義氏は17歳のとき、マイクロプロセッサの写真を見て路上で涙を流したという。彼はそれが人類の未来を変え、約50年後には人間の脳を超えると予測した。今がその50年後だ。人間を超える知能と、それを現実世界で働かせる身体。天才が半世紀にわたって追い続けた未来が、ついに現実になりつつある。 孫正義「これからAIによって起こることは、あまりにも驚異的で、あまりにも巨大です。だから、私が過去にやってきたことは、すべてほんの小さなことだったように思えるのです」 ——「では、これからの未来についてお聞きします。スティーブ・シュワルツマン氏から、孫さんにはぜひ一つ聞いてほしいと言われました。どうやって未来を見通しているのか、どうやって大きな構想に確信を持つようになるのか、ということです」 孫「AIは、もう何十年も私のテーマでした。実は17歳のとき、マイクロプロセッサの写真を初めて見たのです。道端で雑誌を読んでいたのですが、涙が出てきました。本当に、その場で泣き始めたのです。『ポピュラー・エレクトロニクス』か何かを読んでいただけなのに。 私は思いました。「これは人類の未来を変える」と。マイクロプロセッサはいずれ非常に強力になり、非常に賢くなって、最終的には人間の脳よりも賢くなる。ただし、それにはある程度の年月がかかるだろう、と。そして私は、おそらく50年くらいだと予測しました。まさにその通りになりました。今がその50年後です。当時17歳だった私も、今では69歳ですから、約50年です。 今やマイクロプロセッサは、データセンターの中で脳のような能力を発揮しています。それが現実になっているのです。 そして今度は、それがロボットの頭脳になろうとしています。つまり、仮想世界だけではなく、物理世界でも同じことが起ころうとしているのです」

Tsubame

137,888 Aufrufe • vor 10 Tagen

90歳を超えた父親が、2人の子どもを養っていた。 娘は54歳。35年間、家から出られなかった。 息子は63歳。無職だった。 そして、父親が亡くなった。 残された2人が直面した現実。 それが、この物語だ。 2022年、中京テレビが記録した 「9060家族のおいてけぼり」。 9060問題とは何か。 90代の親が、60代の引きこもりの子どもを支えている。8050問題がさらに高齢化した、日本の見えない現実だ。 この家族も、そうだった。 父親が家賃も、食費も、光熱費も、生活のすべてを支えていた。 娘は35年間、外の世界をほとんど知らなかった。息子は63歳になるまで仕事がなかった。 それでも、父親がいたから生活を続けることができた。 父親はどんな人だったのか。 90歳を超えても、2人のために働き続けた。 「子どもたちが心配で死ねない」 その言葉が、この家族の状況を物語っている。 そして、父親が逝った。 収入が消えた。 社会とのつながりもほとんどなかった。 35年間、外を知らない娘と、63歳の無職の息子が残された。 誰が悪いのか。 娘は、好きで引きこもったわけではない。 息子も、好きで無職だったわけではない。 父親も、好きで90歳を超えるまで働き続けたわけではない。 誰か一人を責めれば終わる問題ではない。 それでも、家族は長い間、十分な支援につながることができなかった。 この問題には、もう一つの顔がある。 日本の引きこもり人口は推定146万人。その中では中高年層も大きな割合を占めている。 8050問題が叫ばれて久しい。 それでも現実には、親も子もさらに年齢を重ね、「9060」と呼ばれる状態になるまで孤立した家族がいる。 社会は問題を知っていた。 数字もあった。 それでも、支援につながれない家族が残った。 父親が亡くなった後、行政の支援窓口に相談に行った娘は、こう語ったという。 「どうしたらいいかわからない」 35年という長い時間、社会から離れて暮らしてきた54歳の娘が直面したのは、父親の死だけではなかった。 これからどう生活していけばいいのか。 誰に頼ればいいのか。 それさえわからない現実だった。 90歳を超えた父親は、亡くなるまで家族を支え続けた。 最後まで、この家族の生活を支えていたのは父親だった。 父親が逝った後に残されたのは、 「どうしたらいいかわからない」 という言葉と、長い孤立の時間だった。 あなたは「9060問題」を知っていましたか。 そして、高齢の親が亡くなるまで家族を支え続けなければならない状況について、何を感じますか。

Ajay Verma (アジャイ・ヴェルマ)

6,098,075 Aufrufe • vor 28 Tagen

【松井秀喜氏が巨人の“新監督”に】栗山英樹氏に聞く“指導者としての可能性” | 日本ハムCBO 栗山英樹氏 (Q.会見を聞いてどう感じた?) 「一番気になったのは“服装”。国民栄誉賞をもらった時の長嶋さんと一緒のスーツを着ていて、これは長嶋さんからプレゼントされたと言われているが、松井さんが長嶋さんにプレゼントしたスーツで、ネクタイが形見分けで、長嶋さんがしていたものを松井さんのところに渡っているらしい」 「今日の会見でどちらのネクタイをしていたかは分からないが、メッセージとして『日本のプロ野球を作った長嶋さん。僕が背負います』という本当の“覚悟”を感じてすごく嬉しかった」 ▼松井秀喜氏のこれまでの経歴 日本プロ野球で10年、アメリカで10年、名門球団で活躍 ・NPB時代(1993〜2002年) 日本一3回、HR王3回、打点王3回、首位打者1回 ・MLB時代(2003〜2012年) ワールドシリーズMVP ・引退後 巨人で臨時コーチ ヤンキースでGM付特別アドバイザー ▼松井氏の“巨人への想い”は米国生活の中でどう膨らんだ? 日本ハムCBO 栗山英樹氏 「アメリカでプレーをして、自分が引退してから1回も日本一になっていない。巨人は強くて、いろんなものを引っ張ってくれるイメージがあった。それがうまくいかないことに対しての“悔しさ”や“ジレンマ”。アメリカはすごいが『日本の良さはこうなんだ』と示したきた選手なので、余計に悔しさみたいなのがあったのでは」 (Q.松井氏が巨人の監督に就任するまでに、これだけの時間が必要だったのか?) 「本人も言っていたが、本当はもっと早くというのはあったと思う。今、野球は過渡期に来ていて、みんながメジャーの方に気持ちがある。その中で『日本の野球はこうなんだ』『素晴らしさもある』というメッセージは、松井さんのような方を通さないと目がいかない。このタイミングを計ったわけではないが『よくぞこのタイミングで』と感じる」 (Q.プロ野球を取り巻く環境も変わりそうだが) 「良い選手がアメリカに行くという流れはあるが、日本もどんどんいい選手が出てきているし、プレー自体とかやり方も良いところがいっぱいある。ただ、見る機会がないと気がつかない。松井さんのことをみんな見たいと思ってるので、幅が広がるという意味ではすごく大きな存在」 ▼会見で語った監督就任の決め手は“ジャイアンツ愛” 「プロ野球全体を考えたときに、ジャイアンツはこういうポジションでないと、プロ野球が発展しないというところから日本の歴史は来ている。多分、長嶋さんもその想いがすごく強かったのが、松井さんにそのまま伝わっている」 「『365日、24時間すべてチームのために時間を使うか』と問われる仕事だと思っているので、今回このタイミングで本当に大きな決断をしてくれたと思う」 (Q.松井さんの人柄や監督に向いていると思うところは?) 「巨人軍の4番、ヤンキースで中心バッターをやってきた。野球全体を支えるという気持ちになったときに、目先の勝負だったりとか、一人の選手に引っ張られないと思う。野球全体が見えているので、僕は監督に向いていると思う」 (Q.松井氏の新監督就任で日本中が明るくなったように感じるが?) 「巨人軍ってそういう存在だったというのもあるかもしれないが、やはり松井選手の“覚悟”。『絶対チームを勝たせる』というのが伝わってきていて、それをみんなが感じているのでは」

報道ステーション+サタステ

694,187 Aufrufe • vor 3 Tagen

NYの9月11日テロから25年。いつもは個人的なこと書かないけど、今日は私の人生にとって大切な日なので、書きます。#9月11日 実は私はその頃NYに住んだばかりで、あの日をある程度体験したヒトなのです。 World Trade Centerからは少し離れた場所だけど、朝、バイト先に着いてしばらくして、ニュースで、NYだけでなくペンタゴンもやられたと知った。 外に出ると危ないと残る子たちもいたが、私はやはり自宅へ帰ろうと思った。 もうその時点で外に出ると、ダウンタウンのほうにWTCが破壊された原爆のそれのように大きなきのこ雲が見えていた。(添付した写真が私が見たのに近い) 歩道にはダウンタウンのほうから灰を体中にかぶった灰色の人たちが、あの現場から上のほうへ上のほうへと歩いてきていた。ゾンビに見えた。 皆、口をハンカチや手などで覆い、下のほうへ向かっ て歩く人は一人もいなかった。 なんとか地下鉄駅にたどり着いたら「閉鎖している のでバスで行け」というので、バス停へ。来たバスは 満員だけど運よく乗れた。 ところが、バスがミッドタウンのEmpire State Buildingに近づいてくると、バスの中では「今度はここに飛行 機が突っ込む」というデマが湧き、人々が狂ったよ うに他人を押しのけはじめた。 彼らは走っているバスから無理やり降りようとし、 人々が雪崩のように出口のほうに殺到する阿鼻叫喚の 事態に。 私も一瞬「もはやこれまでか」と思ったが、あるひと つのことに救われた。 後部座席のほうの黒人女性たちが、なんとその狂乱の さなかに「神はあなたとともにいる」とゴスペルを歌 いだしたのだ。最初は一人、そしてまた一人・・と次々に歌声が増えた。 その歌はなによりも力強く、凛々しく、私はバスを降りるよりなぜかこの女性たちと一緒にいたい、と思った。 心の表面は不安でいてもたってもたまらないのに、私の魂は、子供の頃にやさしく自分の眠りを包んだタオ ルケットのような彼女たちの歌にくるまれてしずかに 呼吸していた。 守られていた。 そして、人々が次々に降り、彼女たちと私とごく少数の人を載せたバスは、Grand Central Stationに到着。 ここからはもうバスも電車も機能しなくなっていたので、そこから家まで歩き。 40ブロック位、セントラルパークの中も通って自宅の あるアッパーウエストまで歩いたが、 あの、インディアンサマーの、心に突き刺さるほどの雲一つない澄ん だ青空を、私は一生忘れない。人生で最も美しい青空、と思った。 そしてNYでは数日ほど、道を歩く見知らぬ人々と「お 互い生き延びているので、がんばろう」みたいなア イコンタクトが多かった。彼ら彼女らの視線は、 恐怖と愛と連帯に満ちていた。知らない人たちなの に、みんながつながっている感じだった。 World Trade Centerで亡くなった人々の中には日本人も 24名いた。今私が住んでいるビルに住んでいた日本人 の方もお亡くなりになってます。 皆さん、どうか、どうか、一日一日を大切に生きてください。 生きてる間にできる限り愛の言葉や優しい言葉を伝えてください。 もしかしたらその人は突然明日いなくなるかもしれない、 それか、あなた自身がいなくなるかもしれない、ので。 追記:NYで多くの消防士、警察官などの人々が、帰っ てこれない可能性を知りながら崩れ落ちるビルの中に 救命のために入り、命を落としました。 世界は、人間はまだまだ捨てたもんじゃない、です。

Mimi Yamazaki

31,383 Aufrufe • vor 1 Monat

「かわいい子が一人暮らしをしている」 その一言が 20歳の女性の人生を 永遠に変えた。 3人の男が押し入った。 22時間 彼女は逃げられなかった。 2002年、福島県郡山市。 「福島県郡山監禁強姦事件」。 2002年9月2日午後6時30分、宅配便業者を装った男が20歳の女子大生の部屋のドアを開けさせ、3人の男が室内へ押し入った。翌日午後4時30分まで22時間にわたり監禁し、性的暴行を繰り返した。 彼女はどんな状況に置かれたのか 犯人たちは事前に謀議を重ね、計画的に犯行に及んだ。被害者をテープで縛りつけ、お互いを偽名で呼び合うなど、大人顔負けの犯罪計画だった。 犯行で奪った現金やカードで40万円以上を搾取し、その金を女性の抵抗を抑圧するための道具購入にあてた。 これは衝動犯罪ではなかった。 計画された組織的な犯行だった。 逮捕されたのは3人 成人の中島順司(当時34歳)と、15歳の服部英之、16歳の国分榮太郎。少年2人は少年法の規定に従い、まず家庭裁判所に送致された。 ここで問題が起きた。 しかし、この事件には「もう一つの顔」がある。 少年法の壁 2001年4月、少年法が改正され、刑事罰を問える年齢が16歳以上から14歳以上に引き下げられた。しかし改正後も、15歳以下の少年が検察へ逆送され刑事罰を問われたケースは一度もなかった。 法律は変わった。 しかし運用は変わっていなかった。 22時間監禁した。 計画的に性的暴行を加えた。 それでも「少年」という理由で保護処分になる可能性があった。 被害者の言葉 「私はこの事件で一生消えない傷が心に残りました。なのに、犯人たちは何年かすると社会に出てくるかと思うと、悔しくてしかたがありません」 その訴えが 歴史を動かした。 🔴 判決 2002年12月4日、福島家裁郡山支部の鈴木桂子裁判官は「少年らは事前に謀議の上、計画的に本件非行を行っている。執ようで非道きわまりない」として、2人を検察へ逆送する決定を下した。「被害者の受けた心の傷が生涯いやされることのない深刻なものであることは誰の目にも明らかであり、少年に対しては厳しい処分を望んでいる」と言及した。 裁判所は服部英之に懲役3年6ヶ月以上6年以下の不定期刑、国分榮太郎に懲役4年以上7年以下の不定期刑を言い渡した。成人の中島順司には懲役11年。 改正少年法施行後、全国で初めて15歳以下の少年が刑事裁判で裁かれた歴史的事件となった。 そして3人は全員、すでに出所している。 最高でも懲役11年。2013年頃には全員が出所し、社会に戻った。当時15歳だった服部英之は20代半ばで出所。人生をやり直せる年齢だった。 22時間 被害者の人生は変わった。 数年後 加害者は社会に戻った。 被害者は言った。 「一生消えない傷が心に残りました」 加害者は やり直せる年齢で出所した。 この非対称を あなたはどう思うか。 少年法は「更生」のための法律だ。 しかしその「更生」の陰で 被害者は一生、消えない傷と生きていく。 15歳が計画的に22時間の性的暴行に加わった。 それでも「少年」だから守られるべきなのか。 あなたは、この判決と 被害者の「一生消えない傷」という言葉を どう受け止めますか。
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「かわいい子が一人暮らしをしている」 その一言が 20歳の女性の人生を 永遠に変えた。 3人の男が押し入った。 22時間 彼女は逃げられなかった。 2002年、福島県郡山市。 「福島県郡山監禁強姦事件」。 2002年9月2日午後6時30分、宅配便業者を装った男が20歳の女子大生の部屋のドアを開けさせ、3人の男が室内へ押し入った。翌日午後4時30分まで22時間にわたり監禁し、性的暴行を繰り返した。 彼女はどんな状況に置かれたのか 犯人たちは事前に謀議を重ね、計画的に犯行に及んだ。被害者をテープで縛りつけ、お互いを偽名で呼び合うなど、大人顔負けの犯罪計画だった。 犯行で奪った現金やカードで40万円以上を搾取し、その金を女性の抵抗を抑圧するための道具購入にあてた。 これは衝動犯罪ではなかった。 計画された組織的な犯行だった。 逮捕されたのは3人 成人の中島順司(当時34歳)と、15歳の服部英之、16歳の国分榮太郎。少年2人は少年法の規定に従い、まず家庭裁判所に送致された。 ここで問題が起きた。 しかし、この事件には「もう一つの顔」がある。 少年法の壁 2001年4月、少年法が改正され、刑事罰を問える年齢が16歳以上から14歳以上に引き下げられた。しかし改正後も、15歳以下の少年が検察へ逆送され刑事罰を問われたケースは一度もなかった。 法律は変わった。 しかし運用は変わっていなかった。 22時間監禁した。 計画的に性的暴行を加えた。 それでも「少年」という理由で保護処分になる可能性があった。 被害者の言葉 「私はこの事件で一生消えない傷が心に残りました。なのに、犯人たちは何年かすると社会に出てくるかと思うと、悔しくてしかたがありません」 その訴えが 歴史を動かした。 🔴 判決 2002年12月4日、福島家裁郡山支部の鈴木桂子裁判官は「少年らは事前に謀議の上、計画的に本件非行を行っている。執ようで非道きわまりない」として、2人を検察へ逆送する決定を下した。「被害者の受けた心の傷が生涯いやされることのない深刻なものであることは誰の目にも明らかであり、少年に対しては厳しい処分を望んでいる」と言及した。 裁判所は服部英之に懲役3年6ヶ月以上6年以下の不定期刑、国分榮太郎に懲役4年以上7年以下の不定期刑を言い渡した。成人の中島順司には懲役11年。 改正少年法施行後、全国で初めて15歳以下の少年が刑事裁判で裁かれた歴史的事件となった。 そして3人は全員、すでに出所している。 最高でも懲役11年。2013年頃には全員が出所し、社会に戻った。当時15歳だった服部英之は20代半ばで出所。人生をやり直せる年齢だった。 22時間 被害者の人生は変わった。 数年後 加害者は社会に戻った。 被害者は言った。 「一生消えない傷が心に残りました」 加害者は やり直せる年齢で出所した。 この非対称を あなたはどう思うか。 少年法は「更生」のための法律だ。 しかしその「更生」の陰で 被害者は一生、消えない傷と生きていく。 15歳が計画的に22時間の性的暴行に加わった。 それでも「少年」だから守られるべきなのか。 あなたは、この判決と 被害者の「一生消えない傷」という言葉を どう受け止めますか。

Ajay Verma (アジャイ・ヴェルマ)

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日本に行った人が、帰ってから苦しくなることがある。日本で見たものは、特別なイベントじゃない。電車がだいたい時間に来ること。人が列をつくること。店で「ありがとう」と言われること。夜の道が、怖くないこと。そういう小さな当たり前。でも、その小さな当たり前が、帰国した瞬間に刃になる。 自分の国の音が、急に大きく聞こえる。怒鳴り声。クラクション。割り込み。投げるような言葉。前は平気だったのに、平気じゃなくなる。日本が良すぎたからじゃない。比べる目が、できてしまったからだ。 この痛みは、普通な感覚。違う世界を一度見た人にだけ起きる、ふつうの揺れ。 ただ、ここで気をつけたいことがある。旅先は、少しだけ夢に似ている。短い時間の中で、いい場面が多く見える。だから日本は完璧だと思いすぎると、自分のいる場所が全部ダメに見えてしまう。すると心が、帰る場所を失う。 じゃあ、どうしたらいいのか。 答えは、全部を日本にしようとしないこと。 日本で好きだったことを、ひとつだけ持ち帰る。 朝、靴をそろえる。 人にぶつかったら小さく「すいません」と言う。 時間を守る。部屋を少し整える。 たったそれだけで、心は夢が終わったじゃなくて、夢を生活に変えたと思える。 そしてもう一つ大事なのは、ひとりにならないこと。日本が好きだった人は、日本が好きな人と話せばいい。好きは、誰かと分けると、痛みじゃなくなる。 日本を忘れられないのは、弱いからじゃない。日本に来てくれた人の中に「こう生きたい」が生まれたからだ。 その気持ちを大切にすれば大丈夫。夢は、逃げるためじゃなく、戻ってきたあとに生きるためにある。

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小学生の頃教えていたカナが、CUTIE STREETのメンバーになった。 THE FIRST TAKEのダンス動画を見て、たくさんのDMもいただきました。 その中には仙人さんのパクリなんじゃないか?などのメッセージもありましたが、 そうではありません。 僕が長年かけて築いてきたものをKUMAが学び、さらにカナにあった表現へと進化させ、次の世代に伝えている。 それはパクリではなく、伝承だと思っています。 そして、カナについて「やっぱり才能がある」という声もたくさんいただきました。 もちろん素晴らしい才能があります。 でも、僕が知っているカナは、単に才能だけでここまで来た子ではありません。 誰よりも努力する才能を持った子でした。 小学生の頃、僕がプロデュースしていたA BATHING APEのダンスチームにいたカナ。 教えたことを、その場ですぐに何でもできる天才タイプだったというより、次に会うまでに何度も練習してくる子でした。 前回できなかったことが、次にはできるようになっている。 きっと僕らの見えないところで、誰よりも練習していたんだと思います。 実はKUMAも同じでした。 誰よりも練習し、誰よりも自分の踊りと向き合っていた一人です。 それが今こうして多くの人の心を動かしている。 僕にとっては、技術だけではなく、努力する姿勢まで受け継がれているようで、本当に嬉しかったんです。 そして改めて思いました。 今、みんなが「すごい!」と感動する動きも、最初はたった一歩から始まっている。 誰でもできることを、何度も何度も繰り返す。 その積み重ねが、いつか誰にも真似できないものになる。 僕自身も、今活躍している教え子たちも、きっと同じです。 でも、少し残酷なことがあります。 人は完成した姿には拍手を送るけれど、完成するまでの時間には、なかなか拍手を送ってくれない。 誰にも見られていない練習。 何度やってもうまくいかない夜。 自分には才能がないんじゃないかと悩んだ日。 そんな時間は、華やかな動画には映りません。 でも、僕は思うんです。 本当の物語は、拍手のない時間にこそある。 今回、カナの姿に感動したのは、ダンスが素晴らしかったからだけではありません。 あの小さかったカナが、今も変わらず努力を重ね、その先にある景色を見せてくれたから。 そして、その隣にKUMAがいたから。 そんな姿を見て、僕も届けたいものがあると思いました。 僕は今、音楽という新しい表現を追求している途中です。 動画を見て今すぐにでも届けたくなり まだ正式に発表する前でしたが、ずっと大切にしてきた想いの一曲を送ります。 タイトルは、 『誰でもできること』 まだ誰にも認められていない人へ。 自分には特別な才能がないと思っている人へ。 何年も頑張っているのに、結果が出ない人へ。 そして今も、見えないゴールに向かって、一人で努力を続けている人へ。 伝えたいことがあります。 誰でもできることを、誰にも真似できないほど繰り返した先に、誰にも真似できない自分が生まれる。 今日の小さな一歩が、いつか誰かの希望になるかもしれない。 今回のカナの姿が、僕にとってそうだったように。 この曲を、今も夢に向かって頑張るすべての人に。 誰よりも努力してきたKUMAへ。 そして、小学生だったあの日から、一歩ずつ歩き続けてきたカナへ。 素晴らしい感動をありがとう。 最後に、今、まだ誰からも拍手をもらえていないあなたへ。 あなたが積み重ねた時間は、決して無駄じゃない。 いつか、あの日の自分に「諦めなくてよかった」と言える日が来ることを願って。 心を込めて、この曲を贈ります。 『誰でもできること』 黄帝心仙人 #CUTIESTREET #板倉可奈 #THEFIRSTTAKE #KUMA #黄帝心仙人 #誰でもできること

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【ファン必読】あなたは今のままで十分に素晴らしい #ハリー・スタイルズ、ステージでの言葉 「前回のツアーが終わってから少しお休みをして、自分自身の人生に向き合うような時間を過ごしていました。色々なことがあって、本当に素晴らしいこともあれば、辛いこともありました。この数年の間に何人かの友人を亡くしたりもして、本当にさまざまなことがありました。僕にとって人生におけるそういった大きな出来事をただ受け入れ、心に落とし込むための時間を持てたこと、そしてここ数年で、人生がどれほど儚くて、美しくて、素晴らしくて、同時に過酷で、残酷で、そしてインスピレーションを与えてくれるものなのか、人生が持つありとあらゆる側面を身をもって実感しました。今夜、この会場で皆さんと一緒に、皆さんが作り出すこのエネルギーを感じながら、どうか皆さんもこのエネルギーを感じて、その小さな欠片を外の世界へと持ち帰ってほしい。そして外の世界でも自分がなりたいと願うどんな自分にでもなれるんだと信じてください。あなたの人生をあなたの好きなように生きてください。人生はあなたのものです。あなたは、今のままで十分に素晴らしい。愛され、尊重される価値があります。そして見知らぬ誰かもまた、あなたの愛と敬意を受けるに値する存在です。友達を気にかけてあげてください。見知らぬ人にも気を配って、人々に手を差し伸べてください。人生は美しく、そして儚いものです。僕が一つだけ確実に分かっていることは、今夜、僕たちにはお互いがいるということ。僕らにはお互いがいるんです。本当にありがとう。」 (via strettyend)

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ドジャース ベッツ インタビュー『ヨシノブの快投に感謝 & 自分のエラーに言い訳はしない & 大谷翔平は世界最高の選手』 『僕が言えるのは、あのボールは僕が捕らなきゃいけなかったということだけだ』 ◆ 8回の痛恨のエラーと山本由伸投手からの気遣いについて ーー 10回やれば10回とも成功するような、普段のあなたなら確実にアウトにできる8回の守備位置でのプレーでした。あの打球をどのように見ていましたか? この球場の内野は不規則なバウンドをすると聞いたことがありますが、捕球を試みた際、実際のボールの跳ね方はどうだったのでしょうか? 『いや、ただの簡単なゴロ(ルーティン・グラウンドボール)だったよ。それを僕がミスしてしまったんだ。それについて一切の言い訳をするつもりはないよ』 ーー その後のイニング間で、ヨシノブがあなたのところへ来てポンと優しく叩いて気遣っている姿がありました。彼が素晴らしい人間性を持っているのは明らかですが、「僕らはみんなひとつのチームだ」というサポートを彼から受けたあの瞬間は、あなた自身やチーム、そして彼との関係性にとってどのような意味を持ちましたか? 『うーん、どうだろう。つまり、あの状況でああやって声をかけてくれたのは、もちろんすごく嬉しかったし素晴らしいことだよ。でも、僕らにとって何よりも一番重要なのは「試合に勝つこと」であり、僕らが気にかけているのは本当にそれだけなんだ』 ーー (あのミスの時点で)完全試合が継続していたことは意識していましたか? 『あぁ、もちろんものすごく意識していたよ。マウンドで何が起きているかはすべて分かっていた。だからといって、それで余計なプレッシャーを感じていたわけじゃない。さっきも言ったように、言い訳をするつもりはないよ。あのプレーは僕が確実にアウトにするべきだったんだ』 ーー あのミスが起きた瞬間、頭の中には何が浮かびましたか? 『何も。やるべきことはすべてやったし、そう動くべきだという通りにプレーした。ただ、ボールをキャッチできなかった、それだけさ』 ーー 予想していたよりも打球が高く跳ねたのでしょうか? 『それについては、周りの誰かが映像を見て判断すればいいことさ。でも、僕が言えるのは、あのボールは僕が捕らなきゃいけなかったということだけだ』 ◆ 山本由伸投手の圧巻のピッチングについて ーー あなたは今日の午後ずっと、内野のポジションから彼の後ろ姿を見ていました。彼の今日のピッチングがいかに素晴らしかったか、改めて教えてください。 『あぁ、今日の彼はしっかりストライクゾーンで勝負できていたね。ボールがど真ん中に行くのを防いでいたし、相手バッターたちのタイミングを完璧に外していた。まさに「ヨシノブがヨシノブたる所以」というような、彼らしいピッチングだったよ。彼が僕たちのチームにいてくれて本当に心から良かったと思っている』 ーー 彼は今年だけでなく昨年もそうでしたが、9回までノーヒットノーランを継続させるような、こういった圧倒的でクリーンなパフォーマンスを披露できるのは、一体彼の何がそうさせているのでしょうか? 『とにかく持っている球種が多すぎるんだ。バッターをアウトにするためのバリエーションがいくつもある。それに、後ろでマスクを被ったラッシングも、サインを出す上で最高の仕事をしてくれた。スミスも含めて、彼らは球種を上手くミックスして配球する素晴らしいリードをしていたよ。ヨシノブはバッターの一打席ごとにアプローチを変えて投げてくるから、対戦相手としては対策を立てるのが本当に難しいんだと思う』 ーー 登板を終えたヨシノブをマウンドから下ろすためにロバーツ監督が向かったとき、あなたたちはヨシノブにどんな言葉をかけていたのですか? 『ただ「ナイスピッチング」と伝えたよ。本当に、それ以外の言葉が見つからないくらいの快投だったからね。世界中の誰もが彼が最高のピッチングをしたと分かっていたはずだし、僕らはそれを改めて本人に伝えて称えただけさ』 ◆ 大谷翔平選手の戦線復帰と先制ホームランについて ーー ヨシノブが素晴らしいピッチングをしたので少し影に隠れてしまったかもしれませんが、ショウヘイが再びラインナップに戻ってきて、いきなりあのホームランでチームに電撃的な勢いを与えてくれたことについてはどう感じていますか? 『最高だよ、本当に素晴らしいね。言うまでもなく、彼は「世界最高の野球選手」だからね。世界最高のプレーヤーが打線に戻ってきてくれるんだから、それがチームにとって間違いなく大きなプラスになるのは当然さ。そして、彼は復帰してすぐ、その実力を僕たちに証明してくれたね』 Mookie Betts #Dodgers ©SportsNetLA

【MLB速報】放送地区【大谷速報】

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【OYA通信vol 16 】 昨日、Tohjiのライブでララアリーナに立った。 「Gyal Is Everything」が流れた瞬間、会場にいた1万人くらいの人たちが一緒に歌ってくれた。 声はイヤモニしてたので聞けなかったけど、後から映像で見たらなんとも言えない気持ちになった。 音楽は俺を、本当に遠くまで連れてきてくれた。 でも、昨日突然ここに辿り着いたわけじゃない。 コロナの時に、LOOTAが 「南浦和でスタジオ始めましょう」と言ってきた。 そこからOYA Studioを始めて、いろんな人と出会って、いろんな作品に関わるようになった。 Tohjiと出会ったのもその頃だった。 当時、TohjiとLOOTAが南浦和で「KUUGA」という作品を作っていた。 正直その時の俺は、 「こんな訳分かんねーの作ってて大丈夫なのかよ!」 と思ってた。笑 でも昨日、ララアリーナで2人がその曲を歌って、1万人がめちゃくちゃ盛り上がっている景色を見た。 その時に分かった。 音楽なんて、未来を予想して作るもんじゃない。 流行るかどうかなんて、誰にも分からない。 大事なのは、人の魂に火をつけるものを作ることなんだ。 そして思えば、俺の人生は上がり下がりがパナい。 スタジオを始める前の2018年。 俺は名前を取り上げられ、47番と呼ばれていた。 そこで、俺はノートに、これからやりたいことをたくさん書いていた。 そのノートを昨日、久しぶりに見た。 全部ではない。 でも、書いてあったことの8割くらいが現実になっていた。 デカい会場でライブして盛り上げる。 スタジオを作って若い人たちを育てる。 ビジネスをやる。 ジャマイカや日本で俺の曲がかかる。 他にもいろんなことを書いていた。 2018年の俺が書いた言葉と、昨日ララアリーナで見た景色。 それを見比べて、鳥肌が立った。 もちろん、ノートに書けば勝手に夢が叶うわけじゃない。 でも、自分がどこへ行きたいのかを決めて、そこへ向かって行動し続けることには意味がある。 人生には、意味が分からない「点」がたくさんある。 その時は何にも繋がってないように見える。 でも行動をやめずにいると、何年か経って突然、 点と点が線になる瞬間がある。 生きていれば、人にも出来事にも振り回される。 ネガティブなことに引っ張られて、目標を見失うこともある。 だからこそ、自分がどうなりたいのかを忘れずに、今日やることを毎日やり切る。 それが少しずつ自分を高いところへ連れていってくれるし、時には意外な誰かが助けてくれたりもする。 そして人生は、上がったり下がったりだ。 昨日、俺は1万人の前で歌っていた。 そしてその次の日。 浮かれた俺は、どこかにゴールドチェーンを落とした。 カミサマはバランスを取ってくれる。 良いことがあっても、それが永遠に続くわけじゃない。 悪いことがあっても、それが永遠に続くわけじゃない。 色々と一喜一憂するのはアホだ。 自分が行きたい場所ややりたいこと、会いたい人など後悔しないように、感謝を忘れないで、今日やることをやる。 まだまだ人生の途中。 2018年の俺には、2026年のこの景色なんて想像できなかった。 だったら今の俺にも、2030年の景色なんて想像できないのかもしれない。 思い切り後悔ないように生きる。 この先、どんな点がどんな線になるのか楽しみだぜ。

TRIGAFINGA

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2024年は私にとって幸せな年でした。 キムスヒョン俳優のファンになってから最高の1年だったと言っても過言ではありません。 2025年もGood dayで素敵な歌声とカッコよく可愛い俳優の姿が見られて本当に最高でした。 3月9日までは… その後突如未曾有の出来事に襲われて今に至りますが、これは私にとって決して最悪の出来事だけで終わったわけではありません。 私は2013年に"太陽を抱く月"を観てキムスヒョン俳優のファンになり、以来一筋に応援しながら俳優の演技、人間性、生き方、考え方など全ての面で魅了され続けてました。 でも今年3月にあの悲惨な出来事がなければ絶対に知ることのできなかった俳優の人間としての真の姿を見て、知って、私はそれまで自分が12年間俳優を応援して来たことが決して間違ってはいなかったと確信する事ができたのです。 その確信は俳優が集中攻撃を受けてどんなに辛い時でも私の自尊心を高い所へと押し上げてくれました。 俳優を追い続けて来た今日までの13年間は私の宝物です。 その中でも今回の出来事により何があっても絶対に揺らぐことのない俳優への絶対的な信頼を抱くことができた事は、私にとってこの2025年がただ最悪だっただけの1年ではない理由です。 今はだだ2026年が2024年を超えるくらい素晴らしい1年になる事を心から願っています 2026年こそ絶対にキムスヒョン俳優の真実が証明されますように🙏🏻 #김수현 #kimSooHyun #キムスヒョン #WeStandWithKimSooHyun

hikari

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