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務川くんとのリハーサルからヒンデミットのソナタよりファンタジーのワンシーン。僕に中でのファンタジーのテーマは「初恋と過去」。途中でヴィオラが装飾音を弾いている際にピアノにふと現れる旋律の青さと切なさは、誰かの人生の大切な瞬間をとらえてるような気持ちになる。

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大森さんがインスタライブで、ミセスが冷笑されること、ハスられること、斜に構えて捉えられることについて語った。「僕が音楽好きだったとして、ミセスという存在を傍から見た時に、僕もやっぱりハスるなというか、斜に構えて見るよなと思ってて。なかなかそのグループのコアな部分というか大切なものって見えないものだから。自分だったらなぁと思う、僕そっち側の人だからどっちかというと。でもだからこそ、突っ切って、ぶっぱなしたさがあるよね」と……。 少し前に、米津さんがインタビューで「(冷笑は)自分を守るために機能していることもある」と発言していたことを思い出す。そのような態度で居ることでしか自分を保てないほど苦しい境遇に置かれてる人たちなのだということが、彼には見えている。その慧眼に驚かされるとともに、どん詰まりに居る人を馬鹿にできないし置いていけないと考えるのが米津さんなのだなと思った。傷を保護する自衛としての手段、あるいは最後の砦としてのユーモアを否定しない。顔すら見えない遠くの誰かの人生にそっと想像力を伸ばせる彼が(彼は否定するかもしれないけれど)実に福祉的で、私は大好きだ。今の時代になくてはならない感覚のアーティストだと思う。 一方で、物事を誰よりも穿って見てしまう、斜に構えてしまうデフォルトの自分のネガ思考を把握した上で、いや待てよ、僕たちはいずれ灰になって空を舞うんだからその時間が勿体ない。哀しいかな、人生には意味なんてない。だからいっそのこと圧倒的に「ぶっぱなす」、ぶっちぎってみせる、そうでもしないと人生やってられんだろ!という方向にギアを切る大森さんのこともまた大好きだ。そこにはミセスの曲に共通する「ニヒリズム」から「積極的ニヒリズム」への転換がある。体育座りをして指先で傷つけあっていても仕方ない。だから彼は粛々と自分の信じる音楽を作り、ぶっちぎった先(キラキラした花道のど真ん中)で、孤独を歌おうとしている。圧倒的な熱量で、こぼれ落ちてしまった人を温めようとしている。私もド鬱のド陰キャなので、彼らのヒーロー性が眩しくて聴けないという意見にも分かるところがあるが、彼のそもそもの出発点が「拭えない孤独」であることを理解して聴くと、ミセスの楽曲は途端に深みを増すし、生きることへの起爆剤になると思っている。エンターテインメントにおいて、大衆化することとマイノリティの痛みに寄り添うことはトレードオフになりがちだ。ただ眩しいだけの光は、暗闇にいる人を時に拒絶しさらに深く傷つけてしまうこともある。そこを諦めず、「間口を広げながら、深みもつけていく」という誰も挑んだことのない矛盾する難題をやってのけようとしているのが大森さんでありミセスだと思う。正気の沙汰ではないし、ポップスを鳴らす覚悟が半端ない。もはや狂気だ。 どちらも根は同じド陰キャなのだが、発露の仕方が異なるのがおもしろい。 ここに風くんが居たらなんと言うかな、と想像しながらフフフとなる。「冷笑?なんでそんな疲れることしとるん?何なんw にんげんのみなさま、貴方こそが神で、貴方こそが愛。それを忘れないで」とあの優しげなトーンで言うかもしれないし言わないかもしれない。​「ハスる」「冷笑する」という自意識のこんがらがったゲームそのものを、彼なら「それ、幻じゃが。お疲れさまぁ」とお茶を差し出すように軽やかに無効化してしまいそうだ。やはり大好きだ。 ​米津さんが「暗闇に一緒に腰を下ろしてくれる人」ならば、大森さんは「自らの闇を焦がす光で世の中を照らす人」であり、風くんは「そもそも私ら、最初から光の中に放り込まれとるが?」という人なのではないか……冷笑をきっかけにそんなことを思ったりした。彼らの音楽がそれぞれのアプローチで、生きづらさを抱える私に気づきをくれ、肯定してくれることに感謝している。同じ時代に異なる三つの光。日本の音楽シーンは今日も豊かで楽しいね。

ナギ

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間違えないで欲しい:新しい技術に触れて、辞めたくなる人がいれば、はじめたくなる人もいる。踊る気持ちと踊りたくなる気持ちは違う。死にたい気持ちはつまり、踊る気持ちを持てるということでもある。人間が持つ、デフォルトの情けなさ。あなたはちゃんともっている。 横殴りの誹謗に触れて、腹が立つ人がいれば、悲しくなる人もいる。死にたい気持ちと心が死ぬことは違う。 心が死んだあと。踊りたくなる気持ちを持っているあなたへ、まだ生きているではないか。希望があるではないか。真面目だねと言われても、ああ真面目だよ。潰しなんて利かないよ。だからなんなんだと。言い返してやればいいのさ。 心を殺してまわる加害者など、無視すればいいのさ。ブロックすればいいのさ。ミュートすればいいのさ。ノイズキャンセリングすればいいのさ。キャンセリングした分、何かおいしいものをでも食べればいいのさ。 あなたがただ生きていることの方が、ちゃんと傷ついていることの方が、価値があるのさ。やがて、強さになるから。 だから、生きていて欲しい。死なないで欲しい。生きることと、死ぬことを。生かすことと殺すことを。どうか、どうか。このとおり。間違えないで欲しい。

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260620 ジウンさんからウンドンイへのお手紙✉️ 🐈‍⬛いつも手紙を受け取ってばかりだったので手紙を書いてきました。僕のウンドンイたちへ。僕に会いに来てくれたその一歩一歩がどれほど大切なものか分かっているから、本当に「ありがとう」と言葉を伝えたいです。実は、ステージの下の僕は本当にごく普通の人間です。道を歩いていても簡単に見かけるような、そんな平凡な人間です。だけど、ステージの上でこんな快感や幸福、そして愛を感じる時には、ふとこんな風に思います。「あぁ僕はそれでも誰かにとっては大切で、特別な存在なんだな」と。でも、僕がもっと重要に思っていることは別にあります。むしろ、今僕の目に映っているお一人お一人が、僕よりもっと大切で特別な人だと思っているんです。だから、僕にとって一番大切な人たちは、まさに今この場所にいらっしゃるウンドンイたちです。皆さんが愛してくれた時間と積み重ねてきた思い出、そして今日のこの瞬間までも、本当に大切だという言葉を絶対に伝えたいです。そしてこれからの僕は、本当に多様な姿で皆さんのもとを訪れ、今日のように素敵な思い出をプレゼントできる人になろうと思っています。僕よりもっと大切で、これからがもっと輝く僕たちのウンドンイたちが、もっとたくさん笑って、もっとたくさん幸せになってくれたら嬉しいです。今日のこの瞬間も、皆さんの記憶の中に温かく残ることを願っています。心から感謝していますし愛しています。

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🐰僕が存在する理由はなんなのか考えた時、ただ自分の夢のために生きるのではなく、僕を見てくれている人達に、そして歌、ダンス、ステージが好きな人達に、そして僕たちを本当に愛してくれる42のみんなに少しでもパワーをあげられたら嬉しいし、そんな存在になることで存在意義を見いだせる気がします。もし僕達のことをすごく好きな人が僕らを見て力を得られなかったら、それは僕たちが上手くできなかったんだと思います。 最近とある42の手紙に『ハンジンのことが本当に大好きなんだけど、ちょっと大変。ずっと好きでいるべきかな』と書いてあって、答えにすごく悩みました。 昔の僕なら「もちろんこれからも僕のことを好きでいないとだよ!42にパワーをあげられるように僕がもっと頑張るよ!」って答えると思います。 でも最近は考えが変わりました。僕が頑張る過程で、長い間42が大変に感じていたらどうしよう?42の日常生活の時間を浪費させていないのか?と思うようになりました。 幸せな気持ちで僕のことを好きでいてほしいし、42のちからになれるように僕もこれからもずっと頑張ります!でも、もしアイドルを好きでいる過程で大変に思うことがあれば、皆さんは申し訳なく思う必要はないと思います。1度その人から離れて自分にエナジーを与えてくれる相手を探しに行っていいと思います。 ファンの皆さんはアイドルをただ好きでいるだけでなく、アイドルからエナジーや力や愛、慰め、歌やステージなど、何かしら与えられるべきだと思います。もし好きなアイドルからこういったものを何も得られなければ、その人はあなたと合っていないのかもしれません。そのアイドルがもっと努力するか、1度離れて新たな人を探してみたらいいかもです。 「どうすれば42が幸せに僕のことを好きでいられるかな?」という悩みをすごくしました。42の皆さんは自分に合った選択をしてほしいです。アイドルを好きということはときめく気持ちであるべきなのに、苦痛に感じるべきじゃないと思います。 僕も頑張って、42にもっと沢山の愛をあげられるようにずっと頑張ると約束します🤙🏻

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