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原爆投下は裕仁天皇の指示 原爆作戦の司令官だったカーティス・ルメイは 、天皇から勲一等旭日大綬章を授与されており、自宅でのNHKからの、原爆投下先の支持者は誰か❓との問いに対し、それは言えないが、あの旭日大綬章を見ろ。とだけ言った。

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7月7日に放送された「#報道1930」でノンフィクション作家の保阪正康氏が示唆に富む発言をされていたので共有させていただきます。(その2) 「平成の天皇、そして昭和後期の天皇というのは、自分たちに課せられた役割は何なのかということを、自ら問い続け、そして実践してこられました。 答えは最初からあったわけではありません。それを探しながら、皇后陛下とともに、追悼や慰霊に取り組み、災害があれば被災地へ足を運び、国民に寄り添う。その一つひとつを積み重ねてこられたわけです。 逆に言えば、政治とは一線を画しながら、天皇という存在として何ができるのかを考え続け、その行動を積み重ねてきた。それが憲法の理念とも照応している。私は、その意味で一つのモデルケースをつくったのだと思っています。 令和の天皇も、その姿勢を受け継いでおられると思います。 ところが、今の立法のプロセスを見ていると、それを壊そうとしているように見えるんです。大変失礼な言い方になるかもしれませんが、天皇を元首のような存在にしようとしているのではないか。憲法改正も含めて、昔に戻そうとしているのではないか。結果として、象徴天皇制の下で積み重ねられてきた天皇のあり方を、ないがしろにしているように感じます。 象徴天皇制というのは、そういうものではありません。もっと政治的な存在にしていこう、実権を持たせるとまでは言いませんが、国政に対する責任を負わせるような、戦前に近い方向を目指しているのではないか。私は、そう考えたくなります。 象徴天皇制というのは、天皇が努力するだけで成り立つものではありません。国民もそれを支えながら、いわば二人三脚でつくり上げてきたものです。 ところが今の議論を聞いていると、「そういう天皇制では意味がない」という発想が、どこかにあるのではないかという感じがします。 結局、象徴天皇制というのは、国民の理解と支持があって初めて成り立つものです。天皇という存在は、国民と一体となって歩んでいかなければ続かない。 戦争では、天皇のために命を落とした人があれだけいた。それにもかかわらず、平成の天皇は、「それでも、なぜ天皇制は残ったのか」という問いと向き合われたのだと思います。 天皇を憎んでも当然であり、恨んでも当然である。にもかかわらず、なぜ天皇制は存続したのか――。 その問いを真剣に考え抜いた末に選び取られたのが、憲法の理念に基づく象徴天皇制だったのではないでしょうか。 そして、その考え方は、平成の時代における天皇陛下の一つひとつのご所作の中に、すべて表れているのだと私は思います」

hideko Wada

98,238 просмотров • 1 месяц назад

今日は昭和の日、昭和天皇の誕生日じゃ。 昭和に生まれた人は、またそれ以降に生まれた人も 今日は改めて「昭和天皇」について知って欲しいと思い、 戦争が終わったあとの話を書きたく思う。 あの大戦争のあと、 昭和天皇は全国各地を訪れ、 日本人を励ましたいと考えられた。 でも、当時の日本は連合軍占領下で自由が否定されていたから、 まずアメリカにお伺いをたてねばならなかった。 ところが案外すぐ許可された。 というのも、当時日本占領を担当していたアメリカ軍のケーディスらは、 昭和天皇と民衆が直接触れ合い、 最悪殺されたならばそれも良しとか思っていたからじゃ。 普通、戦争に負けた君主は亡命か生命を奪われるかのどちらかだ、 と考えていたからじゃな。 ところが始まってみると、 日本各地で昭和天皇は大歓迎され、 民衆は大喜びした。 それどころか、 昭和天皇がいらっしゃるのに 焼け野原のままであってはならないとみんなが思い、 道路や建物などの戦後復興が急速に進んだ。 今から話すことは、 ワシの祖母が戦後2年目のとき、 孤児院でボランティアスタッフみたいなことをしていたときに見たことじゃ。 昭和天皇は1947年12月に広島市佐伯区(当時佐伯郡)を訪れられた。 そこでまず向かわれたのは、 原爆によってお父さんもお母さんも 殺されて、 身寄りがなくなった孤児たちを 集めて生活していたところだった。 そこで昭和天皇が会われたのは 放射能を被爆し、 髪の毛が全部抜けてしまい、 原爆投下から2年経っても 髪が生えてこない子どもたちだった。 昭和天皇は、そこで1人の男の子をその御手で抱かれた。 その瞬間、 男の子は 「お父さん!」と言った。 聖帝は頷き、涙を流され、 その小さな男の子の本当の父親が我が子を抱き寄せるように、されたという。 そばで見ていた群衆も泣いた。 その後、 陛下の前に二十万人以上の人々が集まる中、 かつて原爆の熱線を浴びた跡が残る橋をわたり、 人々にお言葉を賜わられた。 "広島市民は復興に努力し、世界の平和に貢献せねばならぬ" 陛下からのお言葉を胸に抱き、 その場にいたワシの祖母も祖父も、 戦後日本の復興のため 全てを捧げようと心で固く陛下にお誓い申し上げたのだという。 その心は、もちろんワシに引き継がれている。 それは、まだ日本は戦後復興を終えておらず、 陛下の大御心を尊ばねならないからじゃ。 その理由は明白じゃ。 初代宮内庁長官になった 田島道治という人がな、 昭和天皇のお言葉を書き留めた『拝謁記』というものがある。 その中の昭和27年2月11日には、 昭和天皇はこのようにお言葉を賜わられたとある。 "他の改正ハ一切ふれずに軍備の点だけ公明正大に堂々と改正してやつた方がいヽ" (原文ママ) 更に翌3月11日には "侵略者が人間社会ニある以上軍隊ハ不得己(やむをえず)必要だ" 改めて問う。 ワシら日本人は、戦後復興を本当に成し遂げたのか? いいや、違う。 まだ復興は終わっていない。 憲法改正という最後の戦後復興が終わっていない!! ワシは昭和聖帝の大御心が全面改正ではなく 憲法第9条改正であられた以上、 ワシはこの部分の改正を強く主張する。 みよ! あの空を! 大地を! 海原を! 侵略者の軍靴の音が聞こないか! 護憲は朝敵であり、戦後復興の妨害じゃ。 目覚めよ日本人! それを今日、昭和の日に気付いて頂きたい! 多くの人に! みんなの意見を聞かせてな! 最後に宣伝させてな! ワシが書いた『日本は核武装せよ! ー被爆三世だから言うー』(¥990)は、 これからの日本の防衛政策について、被爆者の声を届けたい一心で書き綴った。 また、ワシの著作『われ、正気か!』は憲法改正の解説に力を入れ、ワシの地元、広島弁で書いた。 読んで深く知り、一緒に日本を守ろうな! 電子版も各社ある! 地元図書館や学校にリクエストして応援してな! また、文章が気に入ったらフォローしてな!

橋本琴絵

515,132 просмотров • 2 лет назад

百田氏が、静まりかえった国会の委員会で諭した言葉は、2000年以上の歴史を、たった一人で背負ったものだった。自民党は、自分たちがかつてない大罪を犯したことに、いまだ気づいてもいない。結局、自民党は変わらなかったのだ。それどころか、多くの議席を得て、むしろ調子に乗り、事態は悪化していったのかもしれない。 後世の歴史家は、この映像を見て「ここが日本の分岐点だった」と言うのだろうか。こんな日本になったのは、政治家たちがクズなのか、それとも俺たち自身が不甲斐ないだけだったのか。 不甲斐ない俺は、せめて、この映像に字幕を付け、彼の言葉を、このXのポストに書き、皆さんに託したい。 百田氏は語った。 「日本保守党の百田直樹です。 私は皇室全体会議におきまして毎回発言の冒頭、同じことを申し上げてきましたが、今日も また同じことを言わせていただきます。 日本の歴史とともにあられ、約2000年の伝統を有する世界最古の皇室に対し2026年の今日、たまたま選挙に通っただけの一介の国会議員に過ぎない者が意見をするなど 誠に恐れ多いことだと言わざるを得ません。 しかしながら、あえて一言申し上げます。 今日は質問ではなく私の意見を申し上げます。 日本保守党の意見は一貫して変わりません。 今、考えるべきは将来の皇統の安定継承を可能とする手立てであり、そのための最小限の法改正です。 皇統とは男系男子による継承です。 このことは現在の皇室典範でも第一条に謳われていますが、この原則が悠仁親王殿下の後の代にも揺らぐことのないように、これだけを私たちは考えるべきなのです。 その有効な策である養子案、旧宮家から男系男子の御子孫を養子に迎えられる案に保守党は 賛成すると一貫して主張してまいりました。 ところが今般の皇室典範の改正にはもう一つの論点があります。 皇族女性が御婚姻後も皇族として残るという案です。 これは私は賛成で聞かれると繰り返し申し上げてきました。 その理由は将来いわゆる女系天皇の誕生へとつながるリスクを内包しているからです。 女性天皇が一般男性と結婚され、お子様を設けられた時、必ずやお子様に皇族の身分を与えるべきだという意見が出てくるでしょう。 必ず将来私は断言します。絶対にそうした世論を形成しようと図る人、組織団体が現れます。 いわく、母とこの身分が違うのは人権問題だ、 いわく、母親が皇族であるのに、お子様が、 それを継げないのは人道上おかしい、 いわく、これは一種の女性差別である等々、理由は いくらでも付けられるでしょう。 その世論に負ければ二千年の歴史に例のなかったことが起きる恐れがあるのです。 皇族の血統にない男性が皇族になる、これは 長い日本の歴史上一例もないことです。 そのお子様が皇位継承者となり、万が一皇位を継けば いわゆる女系天皇が誕生するわけですが、この瞬間、万世一系の皇統は途絶えます。 王朝が変わることを意味します。 いいですか、皆さん、戦後の誤った教育のせいで、多くの日本人が我が国の国体である天皇、また皇統の何たるかを知らずにいます。 そういう中で2000年の歴史を安易に変えていいのでしょうか? 80年前、11宮家を臣籍降下させたのはアメリカを中心とした占領軍の圧力です。 宮家をなくせば、いずれ皇統が絶える可能性が高まると 彼らは考えたからですが、まさに今その狙い通りの 危機にあります。 一方、現在の我が国には皇室の破壊を目論む団体メディア、あるいは外国勢力がいくつも存在します。 長年、天皇制廃止を党是の一つとして訴えてきた政党もあります。 そうした人々が声高に唱えているのが女性天皇 及び女系天皇の誕生です。 彼らは男女同権を金貨玉上のごとく振りかざし、女性天皇女慶天皇誕生を主張します。 しかし、もし将来、女系天皇が誕生したならば、そのとき彼らは一転して皇統の正当性が失われたといい、皇室の終わりを主張するに違いありません。 今回の女性皇族の身分保持案はこのような リスクを将来に残すということなのです。 ここで今一度、女性天皇の歴史に触れます。 歴代126代の天皇のうち女性天皇は8人おられました。 その8人は天皇に即位された時点で全員が独身です。 4人は配偶者を亡くした未亡人、残りの4人は未婚です。 そしてこの8人はいずれもその後、結婚されず、 1人のお子様も得られませんでした。 これは偶然でしょうか?8人もの女性天皇皆様が即位後に独身を通されたことが偶然だったはずはありません。 女系天皇誕生を回避するための不分立が存在したと考えるべきでしょう。 今日この場におられる皆さんの中には皇室が未来永劫変わらず日本と共にあってほしいと考えておられる人がいるなら、今からでも遅くはない。この女性皇族の身分保持案に疑義を唱えてください。 将来、本当の意味での 皇統の危機が訪れたとき、私たちは厳しい歴史の 審判を受けることになります。 令和8年の皇室典範改正こそが過ちの端所であったと断罪される恐れがあるのです。 皆さんにはその覚悟が悪なのでしょうか? 私は70歳です。 おそらく寿命はあと10年ちょっとでしょう。 別に死ぬのは怖かないです。 しかし私の死後、作家でもあった百田直樹は、 なぜあの法案を止められなかったのかと言われるぐらい 嫌なことはありません。 ただ残念ながら私は弱小政党の代表に過ぎず、この間違った流れを止める 力はありません。 もし私が総理大臣なら政治生命をかけてでも止めるところです。 神武天皇から126代、全ての天皇は男系でつながってきました。 例外はありません。 しかしもし将来、皇統と男系でつながらない方が皇位継承者となれば皇統断絶のリスクは極限まで増大し、万が一にも女系天皇が誕生すれば、日本の皇統の終焉が訪れます。 皆さんに申し上げたい。 ここにいる皆さんは全員70年後にはこの世にいません。 しかし日本はその後もずっと続くのです。 私たちは悠久の歴史の中のほんの僅かな時代を生きるだけの 存在であるという自覚を持つべきなのではないでしょうか。 その我々が国体を触ることへの 恐れも忘れてはなりません。 これで私の意見を終わります。 ありがとうございました。」 百田さん、ありがとうございました。

髙安カミユ(ミジンコまさ)

386,539 просмотров • 1 месяц назад

7月7日に放送された「#報道1930」でノンフィクション作家の保阪正康氏が示唆に富む発言をされていたので共有させていただきます。(その1) 「皇室典範の意思決定の進め方というのは、この法律だけの問題ではないと思うんです。国旗損壊罪や情報公開をめぐる問題、憲法改正など、そういった一連の政策と一体化しているのではないかと懸念しています。 4月29日の昭和の日の式典でも、天皇陛下に発言をさせない方向に持っていっているのではないか、と感じる場面がありました。昭和時代の歌を歌わせたり、当時の映像を流したりはするけれども、今の天皇陛下ご自身には発言をさせない。 また、高市総理大臣が天皇陛下のもとへ、ほとんど内奏にも行っていないという話も聞いています。逆に言えば、天皇を昭和10年代のような存在にしておこうとする、そういう発想があるのではないか。そして、それがさまざまな政策と連動しているのではないか、と私は感じています。政治的な見方が過ぎると言われるかもしれませんが、そういう懸念を持っています。 もう一つは、象徴天皇制そのものが、これによって壊れていくのではないかということです。 象徴天皇制というのは、戦後の歴史の中で、天皇ご自身も努力を重ね、国民もそれを受け止めながら、「国民統合の象徴」としての新しい天皇像を、ともにつくり上げてきたものです。 その積み重ねを、今、壊そうとしているのではないか。 もっと簡単に言えば、近代日本をきちんと学んでいない人たちの天皇観、その怖さというものを、私はひしひしと感じています。

hideko Wada

297,192 просмотров • 1 месяц назад

「女性が天皇になれないのはおかしい」と言う人は、「皇位継承に差別があってはならない。平等に継承できるべきだ!」と考えているんですよね? だとしたら勿論、「血統により皇位継承権に差があるのもダメ」とも考えてますよね? 女性差別以外のあらゆる差別もダメですよね? 「男性なら天皇になれるけど、女性だと天皇になれない」が差別だというのなら、 「一般人の子として生まれたらどんなに努力しても天皇にはなれない」のも出自や血統による差別ですものね。 つまり、愛子天皇論=皇室廃止論なんですよ。 だって、女性差別はダメだけど、血統(本人の努力ではどうにもできないこと)で、身分や立場が決まる差別には賛成っておかしいですよね? 私たちが「あの人が天皇陛下だ。皇族方だ。日本の象徴だ」と無意識にも認めているのは、過去から続くルールに則って選ばれた人達だから」です。 「父方のみをひたすら遡ると初代・神武天皇に行き着く」という点に、天皇の正統性があるんです。 もし「時代に合わせて天皇の選び方もどんどん変えていきましょう!」みたいなことを気軽に始めたら、いつかどこかで「なんであの人が天皇なの?なんであの人にあんな特権を与えないといけないの?あの人が天皇たる根拠はなんなの?」という話になってしまう。 つまり、存在自体の正統性が失われてしまうのです。 天皇が、「日本の皇室だ。天皇陛下だ。象徴だ」と認められているのは、天皇が「民主的なプロセスに則り、一切の差別なく選ばれているから」ではなく、 「天皇になるのは誰であるべきかという太古の昔からのルールに則って選ばれた人だから」です。このルールが「神武天皇の男系」。 しかも日本はこのルールが遥か昔まで、世界で一番長く遡れるから、他国の王室・皇室と比較しても高く評価されているんです。だから一度ルールを変えてしまうと、その価値は一気に失墜してしまいます。 皇位や王位は「血」によって承継されるものなのだから、差別はダメとか言いだしたら制度自体が成立しなくなります。 一般人の人権や平等論とは切り離して考えないといけないんです。 そもそも愛子さまが「内親王」と認められているのも、神武天皇の男系子孫であらせられるからですよ。 秋篠宮皇嗣殿下が次代の天皇だと認めないことは、愛子さまの正統性を否定することです。 上皇陛下が昭和天皇の第5子でありながら、即位され、「第125代天皇」になられたのも、皇統が男系だからですよね。 愛子天皇論は皇室否定であり、愛子さまへの侮辱です。

132,554 просмотров • 2 месяцев назад

あなたは知っていましたか。 昭和20年、米軍上陸に対応する作戦会議8月6日午前8時、必ず出席するようにと、九州から大阪までの各司令官が広島に招集された。命令したのは、陸軍元帥畑駿六。前日に到着した司令官たちは前夜祭に出席。 県知事や広島市長、大物たちも集まり、大盤振る舞いが行われた。 その日の夜、畑元帥は車で100数十キロ離れた。 福山市まで移動してそして翌朝の8時会議という嘘に招集された。 幹部たちは意図的に全員、小学校では8月6日、夏休みだったにもかかわらずその日はなぜか登校日。 後に、軍の幹部が小学校の校長に、この日、必ず登校するようにと命令していたことが判明。 私達が知らされていない歴史は確実に存在する。 【畑 俊六】 人物情報 人物名:畑 俊六(shunroku hata) 号 (ペンネーム) 生没年:1879 〜 1962 職業:陸軍軍人(元帥大将) 台湾軍司令官 侍従武官長 陸軍大臣 昭和天皇から厚い新任 広島で原爆被爆 偕行社会長 出身:福島県 『書簡目録』 掲載ページ280ページ 備考A級戦犯として起訴、終身刑宣告 昭和29年仮釈放 従二位勲一等 封筒入り名刺2通あり 広島原爆投下後の広島市においての天皇裕仁の演説。 日本国旗が一つもなびいてない。 おみそちゃんねん その時は迫っていた 1945年8月6日、8月9日、広島長崎に投下された原子爆弾、実は三発目の投下が計画されていたことをあなたはご存知だろうか? その場所とは東京時の大統領トルーマンは焦っていた。 二発の原子爆弾を投下してもなお日本が降伏をしようとしなかったからである。 当時、東京は焼け野原になったとはいえ三百万人が住み、そして日本の心のよりどこ所、天皇陛下も住んでいるこの街を落とせば、日本は降伏するに違いない。 トルーマンはそう考えた。 もう時がなかった。 八月十五日、日本は無条件降伏を受諾するのだが実はこれが一日でも遅れていたら東京に投下されていたと言われている。 終戦記念日八月十五日は東京が救われた日でもあるのです。

カミーユ ディアラン(ΦωΦ)Uo・ェ・oU🦜

16,102 просмотров • 2 лет назад

女性天皇は世論調査で、7〜8割の方から支持されている。 皇位継承というテーマを世論調査だけで判断することに僕は反対だ。 ただ、天皇が憲法で「日本国及び日本国民統合の象徴」とされている以上、人々の受け止め方を無視するわけにもいかない。 「女系天皇につながる」という反対論はある。確かに、女性天皇と女系天皇は別の問題だ。過去の8人10代の女性天皇はいずれも男系であり、女性天皇それ自体に前例がないわけではない。論点は、女性天皇を認めるかどうかよりも、その先の継承をどう設計するかにある。両者は地続きではあるけれども、いっぺんに同一視せず、順を追って議論すべきだと思う。 上皇陛下は、天皇であられた時に譲位を望むビデオメッセージを公表された。その中で、「象徴天皇の務めが常に途切れることなく、安定的に続いていくことをひとえに念じ」と述べられた。安定して続いていくことは、制度の都合である以前に、皇室自身の願いでもあった。 皇位継承は、人気投票で決める話ではない。 ただ、国民の受け止め方、皇室の方々の人生、そして象徴天皇制の安定的な維持を切り離して考えることもできないと思う。

ひがくぼきみお

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〜傍系、旧宮家の否定は、皇室の否定 皇統に直系も傍系もない〜 「陛下の直系を守れ。」 最近、この言葉をよく目にします。 旧宮家は赤の他人。 三十八親等。 六百年も離れている。 傍系が継げば皇位簒奪だ。 一見すると、今上天皇の直系こそ皇統そのものであり、傍系はそこへ割り込む存在のように聞こえます。 しかし、その見方を歴史に当てはめれば、歴代天皇の御継承そのものを否定することになります。 皇統は、今上天皇を起点として始まるものではありません。 天照大御神が瓊瓊杵尊に授けられた天壌無窮の神勅。 その神勅を承ける御系譜が、神武天皇の御即位を経て、歴代天皇へ男系で受け継がれてきました。 それが、天つ日嗣です。 皇位は、時代ごとに選び直される役職でも、単なる家督でもありません。 神勅を承けた御系譜の中で、祖宗から伝えられてきた御位です。 だから皇統とは、 神勅を承け、神武天皇以来、男系で受け継がれてきた一系の正統なのです。 明治天皇が御裁可あそばされた「皇室典範義解」も、こう定義しています。 祖宗の皇統とは、一系の正統を承くる皇胤を謂ふ。 さらに、 皇統は男系に限り、女系の所出に及ばざるは、皇家の成法なり。 と明記しました。 皇統は一つです。 直系の皇統と、傍系の皇統があるのではありません。 あるのは、神勅を承け、神武天皇以来、男系で受け継がれてきた一系の皇統だけです。 直系と傍系は、その一系の皇統に連なる皇胤の、親族関係の違いにすぎません。 直系とは、ある天皇から親子で直接下る関係。 傍系とは、兄弟、叔父、甥、あるいはそこから分かれた宮家などを通じて祖宗へ連なる関係です。 枝が違っても、根は変わりません。 だから傍系の皇胤が皇位を継承されても、皇統が別のものへ移るわけではありません。 神武天皇以来の一系の皇統を、そのまま受け継がれるのです。 もし直系だけが正統であるなら、直系に継承者がおられなくなった時点で、皇統は幾度も途絶えていたはずです。 しかし、日本の歴史はそうなりませんでした。 直系が続くときは、直系へ。 直系に男子の継承者がおられないときは、傍系の皇胤へ。 それを繰り返しながら、天つ日嗣は今日まで受け継がれてきました。 先代天皇の直系ではない方への皇位継承は、政府資料でも五十五例と整理されています。 継体天皇。 光仁天皇。 後花園天皇。 光格天皇。 いずれも、先帝の直系ではないお立場から皇位を継承されました。 それでも皇統は途絶えていません。 なぜなら、御歴代は祖宗へ連なる皇胤であられ、神勅の天つ日嗣を承け継がれたからです。 傍系継承は、直系から皇位を奪うことではありません。 直系が続かないときに、一系の皇統を絶やさず受け継ぐための正統な継承です。 なぜ宮家が置かれてきたのでしょうか。 直系に男子の継承者がおられなくなった場合にも、正統に天皇をお出しする為です。 伏見宮家から後花園天皇が、閑院宮家から光格天皇が立たれたことは、その役割をよく示しています。 宮家は、皇室と無関係な別家ではありません。 一系の皇統を支えてきた皇胤の御家です。 一方、今上陛下の直系を絶対視すれば、避けられない問題があります。 皇位継承の原理では、皇統は男系に限られ、女系の子孫には及びません。 愛子内親王殿下は、今上天皇の直系であられます。 しかし、仮に女性天皇として即位されても、一般男性との間に生まれる子は女系となり、皇統を受け継ぐことにはなりません。 つまり、 陛下の直系を守ることと、皇統を守ることは同じではない。 ここを混同してはならないのです。 陛下の直系だけに皇位をつなごうとすれば、その先に男系の継承者はいません。 直系を絶対視する論理は、皇統を守るどころか、女系へ移し、神武一統の歴史を終わらせる結論へ向かいます。 だから歴史は、直系だけを絶対原理にはしませんでした。 守ってきたのは、特定の天皇お一方から下る直系ではありません。 神勅を承け、神武天皇以来、男系で続く一系の皇統です。 直系が続くときは、直系へ。 直系に男子の継承者がおられないときは、傍系の皇胤へ。 継承される御方が替わっても、天つ日嗣は替わりません。 なぜなら、いずれも祖宗から続く一系の正統を承ける皇胤であられるからです。 傍系を皇位簒奪と呼ぶなら、歴代の傍系継承を否定することになる。 その先に続く、現在の皇室の正統まで否定することになります。 皇統は、今上陛下から始まるのではない。 天照大御神の神勅を承け、神武天皇以来、男系で受け継がれてきた一系の正統です。 皇位継承の原理は、神勅の天つ日嗣が宿る皇統を絶やさないこと。 傍系を否定する者は、皇統を守っているのではありません。 天つ日嗣を今日までつないでこられた、御歴代の御継承、陛下の宣明まで否定してしまうことなのです。

🌸大和号外🌸

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