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夕方ぐらい、何やら外が賑やかだったのでベランダから下を見たら下校中の中学生ぐらいが今流行りの邦楽?の曲を歌いながら下校してた 今仲良くしてる学生時代の友人は生涯の友になることもあるしね そんな彼が担う日本の未来は明るいってハッキリわかんだね

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たとえ「音楽を逆再生するとどうこう」という話に興味がなくても、これには明らかに何か不気味なものがある。 動画の翻訳 >ビリー・アイリッシュの曲を逆再生すると、それが悪魔のものだと証明される。 これを見ていると涙が出そうになった。 彼女がすべてを悪魔に捧げてしまったのを見るのが、本当に悲しいからだ。 この曲は普通に聴いても地獄や悪魔的なものだと分かる。 まして逆再生すると、悪魔がこの曲を通してあなたに語りかけていること、そして彼女自身もこの曲を通して語りかけていることが証明される。 あの部分はまるで、 「これが現実だ」 「私は悪魔に支配されている」 と言っているようだ。 こういうことが起きるんだ。 人は、 「有名になりたい」 「ビリー・アイリッシュみたいになりたい」 「彼女が持っているものを手に入れたい」 と思う。 でも、その裏にある暗く、醜く、邪悪な根を理解していない。 彼らは子どもを食べ、犠牲を捧げ、家族を殺し、こうした曲を作り、儀式を行わなければならない。 これは本当に起きていることだ。 私はカニエ・ウェストのプロデューサーを知っている人たちを知っている。 私が話していること、彼らがやっていること、舞台裏の狂気じみた出来事――そうしたことは本当に起きている。 目を開かなければならない。 この一曲だけでも証拠だ。 私は暗く悪魔的な曲を何百万曲でも見せることができる。 そして人々はそれを歌い、 「イェー!」 「イェー!」 と盛り上がる。 そのたびに、自分の人生へ悪魔的な領域を受け入れているのだ。 彼女の人生を見てみろ。 彼女からあふれ出る黒いものを見てみろ。 とても邪悪で、とても悲しい。 この少女はかつて本当に純粋だった。 しかし悪魔のために生きることを選び、自らを捧げてしまった。 そして今、その結果が見えている。 外から見ると幸せそうに見えることもあるだろう。 だが本当の姿は違う。 彼らの目から黒いものがあふれ出ている。 悪魔的で、悲しい。 本当に悲しいことだ。 イエスの道を選びなさい。

満月とWooと(仮)

16,723 views • 3 months ago

6/17 ジフン 幽霊よりも怖い人間(サセン)の話 🐶僕はね…まあ、もう今デビューして6年目だから話せることだけど、僕が「人気歌謡」のMCをやっていた時のことです。 🐶「人気歌謡」のMCをして退勤するとき、僕はいつも、当時はV LIVEだったかな?そう、当時はV LIVEだったと思う。退勤する途中に、よくV LIVEの配信をやっていたんだ。 なぜなら、その時からのファンだった人たちは覚えてるだろうけど、僕があのスイカを食べたあの時のことだよ。 🐶でも、いつもテレビ局から、宿舎がある麻浦が近いから、普通なら15分か20分で着いちゃうんだ。だから、いつも少し遠回りして帰っていたんだよね。マネージャーのヒョンに少しお願いして、「少しだけ遠回りして、30分くらいは配信をやりたいから」って。 そうすればファンの方たちも嬉しいし、僕も嬉しいから。そうやって30分、長ければ40分くらいぐるぐる回って家に帰っていたんだ。 🐶もちろん、今でももし「人気歌謡」のMCをやるなら、退勤のときにそうするつもりだよ。でもね… 🐶そうしてアパートに着くと、僕はいつも地下1階で降りていたんです。僕たちの宿舎のエレベーターの話なんだけど… 🐶いつも地下1階の駐車場で降りるんだけど、常にサセンたちが、僕たちのアパートの前にある遊び場でそうやって僕を待っていて、僕がこうしてアパートに入っていくじゃない? 僕たちのカーニバル、あの子たちは僕たちのカーニバルのナンバーも全部覚えているんだよ。だからカーニバルが入ってくると、僕たちの家に向かってものすごく走っていくの。4人、5人、多ければ6人くらい。 🐶本当に不気味だよ、それを見ると。その後ろ姿を見ると本当に不気味で、「わあ、あの子たち本当に何やってるんだろう」って思うほど奇怪なんだけど… 🐶僕が地下駐車場に行くと、あの子たちは1階の僕たちのアパートの中にものすごい勢いで走っていくの。そうすると、僕が地下1階からエレベーターに乗って、こうやって自分の家へ上がっていくじゃない? そしたら、エレベーターが1階で止まるんだ。1階で止まると…女の子たちが4人、5人……少なくても3人、多ければ6人くらい乗ってくる。 🐶そしてあの子たちは、前を全く見ないんだ。エレベーターに乗ると、僕のことを見ているんだよ。僕がこうやって乗ってるじゃない?そしたら、全員がドアを見ずに、僕の方をくるっと向いて、僕をじっと見つめているんだ。 🐶そして、僕が降りるまで絶対に降りない。 僕たちが当時住んでいた宿舎は高層階だったんだ。でも降りない。 🐶だから僕はいつだったか一度、「ここに住んでるんですか?」って聞いたことがある。「ここに居住してるんですか?なぜ降りないんですか?」って。そしたら、誰も何も答えない。 🐶ちょっとそんな感じだった。だから、幽霊とかより人間の方がもっと怖いんだ。あの子たちは良心もなくて、ただ本当に何も考えてなくて、ただ…本当に人間の方が怖いです。どこに飛ぶか、何をするかわからないから、人間は。本当に。 🐶当時はこんな話をするのも良くないと思って言わなかったし、今になってやっと話すことだけどね。 とにかくそんなことがあったんだ。だから、たくさんあるエピソードの中の本当に一つだけの話だけど、僕はいつもそうだった。 1年中、退勤するたびに毎日そうだったんだ、マジで。本当に毎日そうだった。だから、皆さんも常に人間に気をつけてね。 本当にそう。気をつけなきゃダメだよ、本当に。 (意訳です、間違えてたらすみません) ジフンのエレベーター内の話を聞きながら、ゾッとした…

nina

578,426 views • 3 months ago

お洋服が好きなら男の子でも女の子でも .. 👍🤍音付きはぜひInstagramへ🫶🏻 中学生のときだったかな、 教室の隅で絵ばっかり描いてるような子だったのだけど 土日はドキドキしながら、ロリィタみたいなコーディネートで出かけるのが楽しみだった*ˊᵕˋ*♡♡ ⁡ ある時、それを同級生の子に見られてたみたいで ヒソヒソ冷やかされたことがあって すごく恥ずかしかったけど ⁡ 今となってはいい思い出✧*。 ⁡ このコメントをくださった方はまだ学生さんのようだったけど、もし挫けそうな出来事があっても 学校の中だけが世界の全てじゃない。 ⁡ 私はむしろ 学校を卒業してからがとーーーっても楽しい人生になっていったから ⁡ ちょっと特殊なファッションが好きになったら 嫌なこともきっとあると思うけど ⁡ その分、好きで良かったって思える瞬間に沢山巡り会えるはずだから ⁡ ぜひ、貴方の「お洋服が好き」という気持ちを 大切にしていただきたいです𓂃🥀𓈒𓏸♡♡ 🍩🍀先日のアイカツプリパラライブでカバーさせてもらった ドレッシングパフェの曲♡♡ ぜひ、CHANGE! MY WORLDの歌詞を見てみて欲しいな!! ⁡ この曲は、そのドレッシングパフェの ランforジャンピン! すっごく楽しかった思い出〜♡♡

愛野えり︎🫖

32,741 views • 5 months ago

中国人親子、日本の学校の話 ・日本と中国の学校両方籍を置いていて、今中国の学校が冬休みなので日本に来て日本の公立校に通う。 ・「同級生の女の子たちが小声で話てた。内容は聞こえないけどあたしの悪口を言ってるに違いない。悪口じゃなかったら小声で喋る必要がないだろ」 ・「こないだ縁を切るって言ってた男の子?あいつマジでウザい。殴りたいんだけど相手の親が文句を言いそうだからやめとく。日本人の子はマジでめんどくさー。殴られたら泣くか先生に告げ口しかできないんだよ。堂々と殴り合えば良いのに」と言った子に、 親が「さすが我が大東北(訳註、旧満州のこと)の子!殴るのを支持するよ。いじめられたら倍返ししなきゃ。テコンドー練習しようよ」と唆す。 「いやテコンドーやらなくていい。お○ん○んを狙って蹴ればいいんだ。」と返事する子。 「それ言っちゃダメ」と笑う親、それでもカットせずにアップ。やはり自慢で仕方がないご様子。 「うちの子日本の学校はたまにしか行かないし、中国の学校の方が断然合うって言ってる。成績が良いから良いじゃん。明るい我が子がママの誇りだ」 ⇧ 中国の学校に在籍しているのに、なぜ休暇を利用して日本の公立校に来る?受け入れる義務がある?

和気ニャン

6,057,462 views • 7 months ago

大森さんがインスタライブで、ミセスが冷笑されること、ハスられること、斜に構えて捉えられることについて語った。「僕が音楽好きだったとして、ミセスという存在を傍から見た時に、僕もやっぱりハスるなというか、斜に構えて見るよなと思ってて。なかなかそのグループのコアな部分というか大切なものって見えないものだから。自分だったらなぁと思う、僕そっち側の人だからどっちかというと。でもだからこそ、突っ切って、ぶっぱなしたさがあるよね」と……。 少し前に、米津さんがインタビューで「(冷笑は)自分を守るために機能していることもある」と発言していたことを思い出す。そのような態度で居ることでしか自分を保てないほど苦しい境遇に置かれてる人たちなのだということが、彼には見えている。その慧眼に驚かされるとともに、どん詰まりに居る人を馬鹿にできないし置いていけないと考えるのが米津さんなのだなと思った。傷を保護する自衛としての手段、あるいは最後の砦としてのユーモアを否定しない。顔すら見えない遠くの誰かの人生にそっと想像力を伸ばせる彼が(彼は否定するかもしれないけれど)実に福祉的で、私は大好きだ。今の時代になくてはならない感覚のアーティストだと思う。 一方で、物事を誰よりも穿って見てしまう、斜に構えてしまうデフォルトの自分のネガ思考を把握した上で、いや待てよ、僕たちはいずれ灰になって空を舞うんだからその時間が勿体ない。哀しいかな、人生には意味なんてない。だからいっそのこと圧倒的に「ぶっぱなす」、ぶっちぎってみせる、そうでもしないと人生やってられんだろ!という方向にギアを切る大森さんのこともまた大好きだ。そこにはミセスの曲に共通する「ニヒリズム」から「積極的ニヒリズム」への転換がある。体育座りをして指先で傷つけあっていても仕方ない。だから彼は粛々と自分の信じる音楽を作り、ぶっちぎった先(キラキラした花道のど真ん中)で、孤独を歌おうとしている。圧倒的な熱量で、こぼれ落ちてしまった人を温めようとしている。私もド鬱のド陰キャなので、彼らのヒーロー性が眩しくて聴けないという意見にも分かるところがあるが、彼のそもそもの出発点が「拭えない孤独」であることを理解して聴くと、ミセスの楽曲は途端に深みを増すし、生きることへの起爆剤になると思っている。エンターテインメントにおいて、大衆化することとマイノリティの痛みに寄り添うことはトレードオフになりがちだ。ただ眩しいだけの光は、暗闇にいる人を時に拒絶しさらに深く傷つけてしまうこともある。そこを諦めず、「間口を広げながら、深みもつけていく」という誰も挑んだことのない矛盾する難題をやってのけようとしているのが大森さんでありミセスだと思う。正気の沙汰ではないし、ポップスを鳴らす覚悟が半端ない。もはや狂気だ。 どちらも根は同じド陰キャなのだが、発露の仕方が異なるのがおもしろい。 ここに風くんが居たらなんと言うかな、と想像しながらフフフとなる。「冷笑?なんでそんな疲れることしとるん?何なんw にんげんのみなさま、貴方こそが神で、貴方こそが愛。それを忘れないで」とあの優しげなトーンで言うかもしれないし言わないかもしれない。​「ハスる」「冷笑する」という自意識のこんがらがったゲームそのものを、彼なら「それ、幻じゃが。お疲れさまぁ」とお茶を差し出すように軽やかに無効化してしまいそうだ。やはり大好きだ。 ​米津さんが「暗闇に一緒に腰を下ろしてくれる人」ならば、大森さんは「自らの闇を焦がす光で世の中を照らす人」であり、風くんは「そもそも私ら、最初から光の中に放り込まれとるが?」という人なのではないか……冷笑をきっかけにそんなことを思ったりした。彼らの音楽がそれぞれのアプローチで、生きづらさを抱える私に気づきをくれ、肯定してくれることに感謝している。同じ時代に異なる三つの光。日本の音楽シーンは今日も豊かで楽しいね。

ナギ

935,233 views • 2 months ago

小さい頃から、春日三球・照代の漫才が大好きだった。 私はたぶん、三球・照代先生にかなり深い影響を受けている。 有名なのは、 「地下鉄の電車はどこから入れたの?」 というやつである。 考えてみれば、どうでもいい。 どうでもいいのだが、言われてみると気になる。 そして考え始める。 考えなくていいことを考え、そこに妙な理屈をつけて、とうとう一つの世界を作ってしまう。 私は子供の頃から、こういうものが大好きだった。 三球・照代先生の漫才には、そういう論理がたくさんあった。 たとえば、 冬には幽霊が出ない。 なぜなら幽霊は浴衣一枚だから寒い。 というような論理である。 素晴らしい。 幽霊がいるかいないか、というところには一切疑問を持たない。 幽霊はいる。 そこはもう決まっている。 問題は冬である。 浴衣一枚では寒い。 だから冬には出ない。 完璧である。 私はこういう感覚に、ものすごく影響を受けている。 ありえないものを作るのではない。 ありえないものが存在していることを前提にして、そこから妙に現実的なことを考えるのである。 猫が立っていてもいい。 タコが何かを抱いていてもいい。 カニが誰かをかばっていてもいい。 そこを説明する必要はない。 問題は、その猫が何を見ているのかとか、そのタコがちゃんと抱けているのかとか、カニは痛くないのかとか、そういうことである。 考えてみれば、私の彫刻も絵も、ずいぶん三球・照代先生的である。 さて、昔の春日三球・照代の映像を流していて、驚いた。 この時の三球先生は五十三歳だという。 五十三歳。 私と同い年ではないか。 ついに追いついてしまった。 子供の頃にテレビで見ていた三球先生は、立派な大人であった。 五十三歳というのは、ああいう完成された人間になる年齢なのだと思っていた。 実際に自分がなってみると、そんなことはなかった。 今日も木を彫りながら、 もう少し足を小さくしたほうが面白いのではないか、 などと考えている。 五十三歳にもなって、やっていることはだいたいそれである。 そして今見ると、もう一つ驚くことがある。 照代先生が、ものすごく美しいのである。 子供の頃はまったく気がつかなかった。 普通のおばさんとしか思わなかった。 ところが今見ると、目鼻立ちがすっとしていて、品があり、立ち姿も美しい。 その美しい人が横に立って、三球先生の妙な理屈につきあっている。 そして、素晴らしい間でツッコミが炸裂する。 なんと贅沢なことであろう。 三球先生は五十三歳だった。 照代先生は美しかった。 そして私は五十三歳になって、今日も木を彫っている。 木彫はゆっくり進む。 昨日と今日で何が変わったのか、私にもよく分からないくらい、ゆっくり進む。 しかし、急ぐこともない。 冬に幽霊が出ない理由を、浴衣一枚では寒いからだと考える。 私はそういう世界で育った。 そしてどうやら五十三歳になった今も、 そこから一歩も出ていない。 Tajima Takaoki Art Project 彫刻家・田島享央己による アートプロジェクト記録アカウント。 某企業の複数年にわたる 野外モニュメント制作を中心に、 木彫、ブロンズ、絵画、ドローイングなど、作品が生まれていく過程を記録していきます。 制作、思考、素材、時間、 そして「生き物としての人間」の記録。 Archive of a Multi-Year Art Project for a Corporate Client

田島享央己 / Takaoki Tajima

14,808 views • 16 days ago

【OYA通信vol 16 】 昨日、Tohjiのライブでララアリーナに立った。 「Gyal Is Everything」が流れた瞬間、会場にいた1万人くらいの人たちが一緒に歌ってくれた。 声はイヤモニしてたので聞けなかったけど、後から映像で見たらなんとも言えない気持ちになった。 音楽は俺を、本当に遠くまで連れてきてくれた。 でも、昨日突然ここに辿り着いたわけじゃない。 コロナの時に、LOOTAが 「南浦和でスタジオ始めましょう」と言ってきた。 そこからOYA Studioを始めて、いろんな人と出会って、いろんな作品に関わるようになった。 Tohjiと出会ったのもその頃だった。 当時、TohjiとLOOTAが南浦和で「KUUGA」という作品を作っていた。 正直その時の俺は、 「こんな訳分かんねーの作ってて大丈夫なのかよ!」 と思ってた。笑 でも昨日、ララアリーナで2人がその曲を歌って、1万人がめちゃくちゃ盛り上がっている景色を見た。 その時に分かった。 音楽なんて、未来を予想して作るもんじゃない。 流行るかどうかなんて、誰にも分からない。 大事なのは、人の魂に火をつけるものを作ることなんだ。 そして思えば、俺の人生は上がり下がりがパナい。 スタジオを始める前の2018年。 俺は名前を取り上げられ、47番と呼ばれていた。 そこで、俺はノートに、これからやりたいことをたくさん書いていた。 そのノートを昨日、久しぶりに見た。 全部ではない。 でも、書いてあったことの8割くらいが現実になっていた。 デカい会場でライブして盛り上げる。 スタジオを作って若い人たちを育てる。 ビジネスをやる。 ジャマイカや日本で俺の曲がかかる。 他にもいろんなことを書いていた。 2018年の俺が書いた言葉と、昨日ララアリーナで見た景色。 それを見比べて、鳥肌が立った。 もちろん、ノートに書けば勝手に夢が叶うわけじゃない。 でも、自分がどこへ行きたいのかを決めて、そこへ向かって行動し続けることには意味がある。 人生には、意味が分からない「点」がたくさんある。 その時は何にも繋がってないように見える。 でも行動をやめずにいると、何年か経って突然、 点と点が線になる瞬間がある。 生きていれば、人にも出来事にも振り回される。 ネガティブなことに引っ張られて、目標を見失うこともある。 だからこそ、自分がどうなりたいのかを忘れずに、今日やることを毎日やり切る。 それが少しずつ自分を高いところへ連れていってくれるし、時には意外な誰かが助けてくれたりもする。 そして人生は、上がったり下がったりだ。 昨日、俺は1万人の前で歌っていた。 そしてその次の日。 浮かれた俺は、どこかにゴールドチェーンを落とした。 カミサマはバランスを取ってくれる。 良いことがあっても、それが永遠に続くわけじゃない。 悪いことがあっても、それが永遠に続くわけじゃない。 色々と一喜一憂するのはアホだ。 自分が行きたい場所ややりたいこと、会いたい人など後悔しないように、感謝を忘れないで、今日やることをやる。 まだまだ人生の途中。 2018年の俺には、2026年のこの景色なんて想像できなかった。 だったら今の俺にも、2030年の景色なんて想像できないのかもしれない。 思い切り後悔ないように生きる。 この先、どんな点がどんな線になるのか楽しみだぜ。

TRIGAFINGA

111,783 views • 1 month ago