Video wird geladen...

Video konnte nicht geladen werden

Zur Startseite

大作ダンス、削除アルゴリズム的にある程度弄られると判定不能になり、創価の中の人が必死こいて削除をかけようとするものの、音源が異なるが、シナノ企画からSGIに著作権移動している映像を使用しているからX側がこのパターンだとめちゃくちゃ渋る説を提唱します。

590,860 Aufrufe • vor 6 Monaten •via X (Twitter)

0 Kommentare

Keine Kommentare verfügbar

Kommentare vom Original-Post werden hier angezeigt

Ähnliche Videos

🔴4/19、ジンジャーチャンネルより イラク現地のTVで、3つのゼロ削除について説明された👏もうすぐだ! 《動画訳》 イラクから大きなニュースが入ってきた。 現地のニュース機関が、3つのゼロを削除すると報じている。 そして、現地で公開された画像もお見せする。 まず、イラクのテレビで流されているこの画像、ここに25があり、ここに3つのゼロがある(切り離されている)。 そして、ここに25ディナール紙幣と25,000ディナール紙幣がある。 そしてこちらでは、彼らがピンセットを使ってゼロを取り除き、このトレイに移している。 とにかく、ここでは3つのゼロを取り除く話がされている。 さて、これはイラクからの動画クリップで、アラビア語だ。 私はこの動画の内容をChatGPTに尋ねてみたので、もう一度ChatGPTに繰り返してもらう。 Chat、このアラビア語の動画が何と言っているのか繰り返してもらえる? ChatGPT: 「はい。正確な逐語訳はできないが、要するにこの動画はイラクディナールからゼロを削除することを説明していた。 彼らは、これは金融取引を簡素化し、通貨への信頼を高めるためだと強調。 また、いくつかの国も以前よりこれを実施しており、イラクも同様の措置を実施すると述べた。」

🍊MIKANA(MIKA)🍊

20,920 Aufrufe • vor 4 Monaten

未承認の若返り技術を、自分の体で試している人々がいるという。当然ながらそれらはまだ、怪しさと希望が混ざったアンダーグラウンドにある。だが、AIが創薬を高速化し、安全性と効果の検証が追いついたとき、老化は正式に治療対象となるかもしれない。 中島聡「ちょっとしたタンパク質、ペプチドを注射することによって人間の体に特定の行動をさせる。インシュリンを出すとか、体の中にある糖分を燃やすとかっていうことが、ある意味コントロールできることがわかってきたので。それを人為的に注射することによって、例えば肌を作り直すペプチドで肌がきれいになるとか。 もしくは、膝の関節が痛んでるんだけど、それを自然のままだと治らないんだけど、あるものを注射すると膝の関節が治るものを見つけようとかっていうのが起こっていて、それの究極のものが「これを注射すると若返る」っていう」 ——「若返りまでできてしまう」 中島「それが徐々に始まってて、今は認可されてないけど、そういうのを打っている人がアメリカに結構いるんですよ。僕の知り合いでも何人かいて」 ——「本当に若返っているんですか?」 中島「いや、わからないです。妙に毛深くなっているから、みんなで狼になるんじゃないかってからかってるんだけど」 ——「毛深くなるんですか?」 中島「いや、たまたま元々毛深いだけかもしれないけど。本当にその僕の友達は打ってるんで。まだ40代後半ぐらいなのに、「もう年を取りたくないから」って言って、認可もされてない、それも怪しい中国で作ったペプチドを打ってるんです」 ——「じゃあ不老不死っていうのは、その究極、若返りが続けば可能かもしれない」 中島「かもしれない。で、それの実験が始まっていて、まだまだちゃんとした人体実験、臨床試験をして、医療行為として認可される段階にはなってないんですけど、もう始めちゃってる人がいるんですよ。 アメリカにはかなりの数がいて、それも時間の問題で日本にも来つつあるし。それからもっといいのは、ちゃんと医学的に効果が証明されて、医薬品として認可されて、安全に投与する時代が——AIを使うことによってそういう効果のあるペプチドを発見することが早くなったことは事実なので——認可のスピードがどこまで上がるかわからないですけど、でも多分起こると思います」

Tsubame

11,495 Aufrufe • vor 2 Monaten

先輩女子との距離を一気に縮めるのに、死ぬほど学びが詰まってる4分の動画がこれ。 【いいところ】 ① 犬系男子で話しやすい空気を作っている 最初からオス感全開でいくのではなく、人懐っこい後輩感を出している。 「〇〇さんが来るから、めちゃくちゃ片づけました」 こういう一言で、先輩女子の警戒心が下がる。 可愛い後輩感があるので相手もツッコミやすいし、会話に乗りやすい。 ② 後輩から男に切り替えている 「後輩じゃなく、男として見てくれ」とはっきり伝えている。 先輩女子に対しては、可愛い後輩ポジションに入りすぎると、そのまま弟枠で終わる。 だから途中で、 “話しやすい後輩”から “異性として見られる男”に切り替える必要がある。 ③ 気持ちをごまかしていない 「事実なんで」と変に照れたり、冗談に逃げたりせず真っすぐ伝えている。 ここでヘラヘラすると軽く見えるが目を見てストレートに言うことで、相手に「本気で言ってるんだ」と意識させられる。 【ダメなところ】 ① 相手の冗談を本気で受け取りすぎている 「襲われちゃう?」という冗談に対して、「そんなことしない」と真面目に返しすぎている。 ここで真面目に否定しすぎると、この後の展開の難易度が上がる。 ② 準備していたものが見つかった時の余裕がない 見つかった時に、焦りや自信のなさが出ている。 「あ、バレた?笑」 「一応、念のためね笑」 くらいで笑いに変えられるとよかった。 ③ 相手に承認欲求を抱いてしまっている 「これで安心できるなら悪くなくない?」と言われた後 「よかった」と嬉しそうに反応してしまっている。 相手に認めてもらって安心している感じが出てしまい、主導権が女性側に移っている。 狙って女性に主導権を握らせているならいいが、無意識に承認を求めているならそこで一気にザコ判定される。 先輩女子を落とす時に大事なのは、犬系後輩として懐に入りながら、途中でちゃんと男に切り替えること。 このギャップを作れると、男としての魅力が一気に跳ね上がる。

零時レイ@モテの法則

308,472 Aufrufe • vor 3 Monaten

『映画ちいかわ 人魚の島のひみつ』は、原作を超えたのか。 結論から言う。 超えた部分もある。だが、原作にしかない怖さも失われた。 長文です。動画も作りました。 映画化としては、かなり成功している。 しかし、すべてが原作以上になったわけではない。 まず、映画が原作を超えたと感じた点を三つ挙げる。 一つ目は、音である。 漫画では、セイレーンの歌声も、波の音も、攻撃の衝撃も、読者が頭の中で想像する。 だが映画では、それらが具体的な音として押し寄せてくる。 特に、かわいらしい画面と、重く響く音の落差がすごい。 人魚をめぐる真相も、漫画ではコマと擬音によって距離を保てたが、 映画では音が付くことで、行為の暴力性が一気に現実へ近づく。 二つ目は、時間である。 漫画は自分の速度で読める。 怖い場面で止まることも、前のページへ戻ることもできる。 一方、映画は観客を決められた速度で物語の先へ運ぶ。 島へ着いた直後の楽しさ。 島民たちとの交流。 セイレーンの出現。 そして真相。 楽しい時間が少しずつ壊れていく流れを、観客は止められない。 この逃げられなさは、映画だからこそ成立した恐怖である。 三つ目は、登場人物の感情である。 ちいかわが怯える呼吸。 ハチワレが状況を理解しようとする声。 ラッコが危険を前にして見せる緊張。 うさぎの予測不能な動き。 漫画では小さな表情の変化として描かれていたものが、 声と動きによって立体的になっている。 特にヒトハとフタバは、真相を知ってから見返すと、 沈黙や視線の一つ一つが別の意味に見える。 これは映像化の大きな成功である。 では、原作の方が優れている部分は何か。 一番は、余白である。 漫画では、残酷な行為そのものをすべて説明しない。 コマとコマの間に、読者が想像する空間がある。 何が起きたのか。 どんな気持ちだったのか。 この先、二人はどうなるのか。 答えを与えすぎないからこそ、読後に不安が残る。 映画は音と動きで情報が増えた分、原作の曖昧さが少し減っている。 もう一つの弱点は、映画として観ると、 中盤の反復が長く感じられる可能性があることだ。 島での楽しい時間と、セイレーンによる被害を丁寧に積み上げる構成は、 原作ファンにはうれしい。 しかし、初めて触れる観客には、 物語の本当の焦点が見えるまで時間がかかるかもしれない。 そして最大の問題は、映像が豪華になることで、 残酷な物語まで娯楽として気持ちよく消費できてしまうことである。 アクションの迫力。 歌の魅力。 かわいい登場人物。 それらが強いほど、本作が描く罪や責任が薄く見える危険もある。 それでも私は、この映画化を高く評価する。 理由は、原作を分かりやすい子ども向け作品に変更せず、 ナガノ作品の不穏さを残したからである。 原作を超えたかどうかを、勝ち負けで決める必要はない。 漫画は、余白で怖がらせる。 映画は、音と時間で逃げ場を奪う。 同じ物語を、異なる方法で怖くした。 映画を観た人は、ぜひ原作も読んでほしい。 映画で具体化されたものと、漫画で最後まで曖昧なまま残されたもの。 その違いを比べたとき、 『人魚の島のひみつ』という物語の異常な完成度が、さらに見えてくるはずである。 あなたは、映画と原作、どちらが怖かったですか。 コメントで教えてください。

榊󠄀原清一 / 人財版 令和の虎 主宰

43,257 Aufrufe • vor 21 Tagen

大森さんがインスタライブで、ミセスが冷笑されること、ハスられること、斜に構えて捉えられることについて語った。「僕が音楽好きだったとして、ミセスという存在を傍から見た時に、僕もやっぱりハスるなというか、斜に構えて見るよなと思ってて。なかなかそのグループのコアな部分というか大切なものって見えないものだから。自分だったらなぁと思う、僕そっち側の人だからどっちかというと。でもだからこそ、突っ切って、ぶっぱなしたさがあるよね」と……。 少し前に、米津さんがインタビューで「(冷笑は)自分を守るために機能していることもある」と発言していたことを思い出す。そのような態度で居ることでしか自分を保てないほど苦しい境遇に置かれてる人たちなのだということが、彼には見えている。その慧眼に驚かされるとともに、どん詰まりに居る人を馬鹿にできないし置いていけないと考えるのが米津さんなのだなと思った。傷を保護する自衛としての手段、あるいは最後の砦としてのユーモアを否定しない。顔すら見えない遠くの誰かの人生にそっと想像力を伸ばせる彼が(彼は否定するかもしれないけれど)実に福祉的で、私は大好きだ。今の時代になくてはならない感覚のアーティストだと思う。 一方で、物事を誰よりも穿って見てしまう、斜に構えてしまうデフォルトの自分のネガ思考を把握した上で、いや待てよ、僕たちはいずれ灰になって空を舞うんだからその時間が勿体ない。哀しいかな、人生には意味なんてない。だからいっそのこと圧倒的に「ぶっぱなす」、ぶっちぎってみせる、そうでもしないと人生やってられんだろ!という方向にギアを切る大森さんのこともまた大好きだ。そこにはミセスの曲に共通する「ニヒリズム」から「積極的ニヒリズム」への転換がある。体育座りをして指先で傷つけあっていても仕方ない。だから彼は粛々と自分の信じる音楽を作り、ぶっちぎった先(キラキラした花道のど真ん中)で、孤独を歌おうとしている。圧倒的な熱量で、こぼれ落ちてしまった人を温めようとしている。私もド鬱のド陰キャなので、彼らのヒーロー性が眩しくて聴けないという意見にも分かるところがあるが、彼のそもそもの出発点が「拭えない孤独」であることを理解して聴くと、ミセスの楽曲は途端に深みを増すし、生きることへの起爆剤になると思っている。エンターテインメントにおいて、大衆化することとマイノリティの痛みに寄り添うことはトレードオフになりがちだ。ただ眩しいだけの光は、暗闇にいる人を時に拒絶しさらに深く傷つけてしまうこともある。そこを諦めず、「間口を広げながら、深みもつけていく」という誰も挑んだことのない矛盾する難題をやってのけようとしているのが大森さんでありミセスだと思う。正気の沙汰ではないし、ポップスを鳴らす覚悟が半端ない。もはや狂気だ。 どちらも根は同じド陰キャなのだが、発露の仕方が異なるのがおもしろい。 ここに風くんが居たらなんと言うかな、と想像しながらフフフとなる。「冷笑?なんでそんな疲れることしとるん?何なんw にんげんのみなさま、貴方こそが神で、貴方こそが愛。それを忘れないで」とあの優しげなトーンで言うかもしれないし言わないかもしれない。​「ハスる」「冷笑する」という自意識のこんがらがったゲームそのものを、彼なら「それ、幻じゃが。お疲れさまぁ」とお茶を差し出すように軽やかに無効化してしまいそうだ。やはり大好きだ。 ​米津さんが「暗闇に一緒に腰を下ろしてくれる人」ならば、大森さんは「自らの闇を焦がす光で世の中を照らす人」であり、風くんは「そもそも私ら、最初から光の中に放り込まれとるが?」という人なのではないか……冷笑をきっかけにそんなことを思ったりした。彼らの音楽がそれぞれのアプローチで、生きづらさを抱える私に気づきをくれ、肯定してくれることに感謝している。同じ時代に異なる三つの光。日本の音楽シーンは今日も豊かで楽しいね。

ナギ

934,790 Aufrufe • vor 1 Monat

間違えないで欲しい:新しい技術に触れて、辞めたくなる人がいれば、はじめたくなる人もいる。踊る気持ちと踊りたくなる気持ちは違う。死にたい気持ちはつまり、踊る気持ちを持てるということでもある。人間が持つ、デフォルトの情けなさ。あなたはちゃんともっている。 横殴りの誹謗に触れて、腹が立つ人がいれば、悲しくなる人もいる。死にたい気持ちと心が死ぬことは違う。 心が死んだあと。踊りたくなる気持ちを持っているあなたへ、まだ生きているではないか。希望があるではないか。真面目だねと言われても、ああ真面目だよ。潰しなんて利かないよ。だからなんなんだと。言い返してやればいいのさ。 心を殺してまわる加害者など、無視すればいいのさ。ブロックすればいいのさ。ミュートすればいいのさ。ノイズキャンセリングすればいいのさ。キャンセリングした分、何かおいしいものをでも食べればいいのさ。 あなたがただ生きていることの方が、ちゃんと傷ついていることの方が、価値があるのさ。やがて、強さになるから。 だから、生きていて欲しい。死なないで欲しい。生きることと、死ぬことを。生かすことと殺すことを。どうか、どうか。このとおり。間違えないで欲しい。

川田十夢

207,653 Aufrufe • vor 25 Tagen

だからさ、知名度のある反ワクの人たちが「ウイルスは存在しない」ということを世間に広めないからこうなるんだよ。 ヒトパピローマウイルスだけでなく、全てのウイルスは存在してないの。 子宮頸がんワクチンが安全か危険かはどうでも良くて、ヒトパピローマウイルスは存在しないからワクチンを打つ必要はないよって教えないから打つの。 製薬会社はウイルスが有るという前提でワクチンを作って、 政府はウイルスが有るという前提でワクチンを推奨して、 一般国民はウイルスが有ると思っているからワクチンを打ってるの。 それなのに反ワクの人たちが「ウイルスは存在する」とか言ってたら一般の普通の人たちはウイルスに感染したくないからワクチンを打たなければって思うに決まってる。 mRNAワクチンだけを中止にするとか言ってる団体があるけど、あらゆる全てのワクチンを中止にしないと意味がないし、そのためにはウイルスは存在しないことを少しずつでも広めていかないと絶対に中止にならない。 仮にワクチンが安全だとしても、ウイルスが存在しないから打っても何の効果も無いし打つ必要がない。

石井一弘(カズ 裏コロナHP管理人&裏コロナの本 著者)

23,757 Aufrufe • vor 1 Jahr

このアニメ化は、現時点では肯定できません。 『みいちゃんと山田さん』が、2027年にアニメ化されます。 ただし、「題材が重いからアニメにするな」と言いたいわけではありません。 動画も作成しましたので、テキスト・動画お好みでご覧ください。 むしろ、貧困や搾取、社会からこぼれ落ちてしまう人を描く作品は必要である。 では、なぜ漫画として読んできた私が、アニメ化には強い不安を覚えるのか。 今回は、そこを本気で考える。 『みいちゃんと山田さん』の舞台は、2012年の新宿。 夜の街でキャバクラ嬢として働く山田さんが、 何をやっても少しうまくできない新人・みいちゃんと出会う物語である。 みいちゃんは、漢字や空気を読むことが苦手で、周囲から馬鹿にされ、 「可哀想」という言葉で一方的に分類されていく。 そして、この作品が残酷なのは、 みいちゃんを苦しめる明確な悪役が一人いるわけではないことである。 本人の特性。家庭環境。教育。貧困。 夜の街の仕組み。 善意のように見える無理解。 それらが少しずつ重なり、みいちゃんを逃げ場のない場所へ追い込んでいく。 つまり本作が描いているのは、一人の悪人による悲劇ではない。 社会全体が、弱い立場の人を少しずつ消費していく構造である。 だから私は、この漫画を単なる「かわいそうな女の子の物語」として 読むべきではないと思っている。 むしろ問われているのは、みいちゃんではなく、彼女を見ている私たちである。 助けたいと言いながら、どこかで見下していないか。 事情を理解したつもりになって、「かわいそうな人」と勝手に決めつけていないか。 衝撃的な人生を、どこか娯楽として消費していないか。 『みいちゃんと山田さん』は、みいちゃんを描いた作品であると同時に、 彼女を見ている私たち自身を描いた作品でもある。 漫画として高く評価されている理由も、そこにあると思っている。 ここで必ず出てくるのが、「漫画ならよくて、アニメはダメなのか」という意見だ。 私は、この疑問はもっともだと思う。 そして結論から言えば、漫画にも同じ危うさはある。 漫画だから安全ということではない。 実際、この作品を「かわいそうな女の子の漫画」とだけ受け取る人もいるし、 刺激的な場面だけを切り抜いて消費する人もいる。 だから、「漫画だから許される」という話ではない。 ただ、それでも私は、アニメになると問題の質が変わると思っている。 その理由は、漫画とアニメでは、受け手と作品との距離が違うからである。 漫画は、自分の意思でページをめくる。 読む速度も、自分で決められる。 苦しくなれば、本を閉じることもできる。 つまり読者は、作品との距離を自分で調整できるメディアである。 一方、アニメは違う。 映像が動く。声が付く。音楽が流れる。 沈黙にも演出が加わる。 つまり、制作側の解釈が、視聴者へより直接的に伝わるメディアである。 この違いは、とても大きい。 そして、この作品で最も難しいのが、みいちゃんという存在である。 例えば、みいちゃんの話し方一つとってもそうだ。 少し幼く演じれば、「現実の人を誇張している」と受け取る人がいるかもしれない。 逆に演技を抑えすぎれば、「原作が持つ危うさが伝わらない」と感じる人もいるだろう。 どちらを選んでも、現実に生きている誰かと重なってしまう可能性がある。 だから私は、「声優が大変」というよりも、 「脚本・演出・音響・監修を含めた制作全体が、 とてつもない責任を背負う作品」だと思っている。 そして、私が一番危惧していることがある。 それは、みいちゃんが、もう一度消費されてしまうことである。 本来、この作品が描いているのは、 社会が弱い立場の人を少しずつ消費してしまう構造だった。 なのにアニメ化された瞬間、 「問題作」「放送できるのか」「ヤバい」といった 刺激的な話題ばかりが広がってしまえば、 それは私たち自身が、みいちゃんを見世物として消費していることになる。 私は、それが一番悲しい。 もちろん、アニメ化には大きな意義もある。 漫画を読まない人にも、この社会の現実を届けられる。 「本人の努力不足」で片づけられがちな問題を、 社会全体の問題として考えるきっかけになるかもしれない。 だから私は、「アニメ化するべきではない」と言いたいわけではない。 むしろ、この難しい題材だからこそ、成功すれば、 とてつもなく価値のある作品になると思っている。 実際、製作委員会も、寄せられた意見や懸念を真摯に受け止めた上で、 専門家の助言を得ながら、適切なレーティングや注意喚起を設け、 慎重に制作を進めると発表している。 この声明が出たこと自体、これが普通のアニメ化ではないことを物語っている。 だから私は、現時点では手放しで「アニメ化おめでとう」とは言えない。 『みいちゃんと山田さん』のアニメ化は、 社会から見えにくい人を照らす作品になるのか。 それとも、その人たちを再び消費する作品になってしまうのか。 私は、その危うい境界線に立っている作品だと思っている。 あなたは、『みいちゃんと山田さん』のアニメ化について、どう考えますか。 ぜひコメントで教えてください。

榊󠄀原清一 / 人財版 令和の虎 主宰

326,809 Aufrufe • vor 11 Tagen