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Ana Sayfaya Dön

富山に住む母が、雨が上がった後の実家の裏の景色を家族LINEに送ってきたんだけど、 この世の終わりくらいきれいだな

16,402 görüntüleme • 24 gün önce •via X (Twitter)

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世界が待っていた初優勝❗️【 I 🧡 RALLY アイラブラリー No.110 文:エンピツ舎 あめかよ】ドライバーの人気は、名前が呼ばれた瞬間の歓声やどよめきに表れることがある。2025年のラリー・カナリアで強く印象に残っているのが、ラス・パルマスのスタジアムで行われたスーパーSSの熱気だ。 ショーアップされたバスケットボールアリーナには独特の高揚感があり、観客席から見ていると、どの選手にどれほどの期待と愛着が集まっているのかがよく伝わってきた。 世界チャンピオンに大きな歓声が上がるのは自然なこと。地元にゆかりのある選手が強く支持されるのもよくわかる。けれど、その中で強く印象に残ったのが、勝田貴元の名前がコールされた瞬間だった。 「カツゥター!」 その響きとともに起きたどよめきに、思わず驚かされた。なぜ、遠い日本から来たひとりのドライバーに、ここまで大きな声援が集まるのだろう、と。 ラリーを知るまでは、カナリア諸島のことを身近に感じていたわけではなかった。ヨーロッパのひとつの島で、「勝田」の名前にこれほどの反応が返ってくる。その光景を前にして実感したのは、ただの“日本の人気選手”という枠だけでは語れないということだった。 速さだけではなく、誠実な人柄、ひたむきさ、苦しい時間を経ても挑戦を続ける姿、そして見ている側に応援したいと思わせる何か。そうした積み重ねが国境を越えて伝わり、世界のラリーファンの心をつかんできたのだと思う。だからこそ、ケニアでつかんだ初優勝は、単なる勝利以上の意味を持った。本人にとって悲願だっただけでなく、多くの人が待ち望んでいた勝利でもあった。 海外ラリーをいくつか見る中でも、あのカナリアで感じたタカさん人気の熱量は忘れがたい。世界はずっと勝つ瞬間を待っていたのだと、今ならはっきりわかる。 次は、日本がその熱を受け取る番だ。5月のラリージャパンでは、海外で示されてきた人気に負けない大きな声援で迎えたい。5月のラリージャパンでは、海外で勝田選手に注がれていたあの温かな声援のように、日本を訪れるさまざまな国やチームの選手たちを応援したい。そんな歓声が行き交う景色こそ、この大会をいっそう特別なものにしてくれるはずだ。 ✳️「FORUM8 WRC2 Most Stage Wins Award」は2026シーズンも継続! 🚘 FORUM8 Rally Japanの情報はここから 👉 #WRC #forum8 #iloverally #SafariRallyKenya #ラリージャパン FIA 世界ラリー選手権WRC

フォーラムエイト ( FORUM8 )

31,999 görüntüleme • 6 ay önce

チェコに行った事がないのが最大の悔やみだ。休みが取れたら何とか行きたい。F1取材で世界中を回っていた昔の仕事仲間の親友、T君がいた。彼はF1の仕事を辞めた後も、時々2、3年かけて世界中を旅していたが、世界で一番綺麗な街はプラハだと力説した。僕より遥かに世界を知っている彼の言葉だから信用した。 「世界一綺麗な街、プラハ」を首都に抱く、そんな国のチェコ議会が大議員団で台湾を訪問したのは3年前だろうか・・・。共産シナを嫌う親台湾の東欧諸国が多いのは間違いなく冷戦時代の名残だ。 もともとチェコには縁があり、思い出もある。実は70年代の冷戦時代にチェコスロバキアからの客人が家に来たことがある。青山一丁目の三菱信託が入ったビルの地下にチェコ料理の店があった。その店長さんはミロッシュさんといった。人懐こくて何回か行くと仲良くなった。僕は学生だったのでそんなに頻繁に行けなかったが、父の仕事場が近くだったので父は僕より彼と仲良くなっていた。 当時驚いたのは、ミロッシュさんの単身赴任の理由を知ったからだ。彼は公務員として遠く日本にシェフとして単身で赴任していたが、家族全員で西側の国に住むと亡命する確率が高くなるから禁じられていたのだ。一家で亡命できるからだ。 昭和50年(1975)だった。民主化を進めるチェコスロバキアにソ連とワルシャワ条約機構の戦車が侵攻し、自由化の波が蹂躙された〈プラハの春〉から7年後だ。僕が学生の時にミロッシュさん一家が来日することになった。 家族の束の間の再会が約束されたわけだが、その機会を大切に過ごしてもらいたいと希った父が、ミロッシュさん一家を我が家に招待した。奥様も穏やかで優しい方だった。子供は二人姉弟で姉が17歳、弟は確か14歳だった。 姉は色が白くセミロングのブロンドが揺れて眩しかった。僕は冷静さを装っていたがすっかり舞い上がっていた。 高校時代のバンドのテーマ曲「サマーサンバ」をギター弾いたが指が動かない。彼女にギターを渡すと「エーデルワイス」を上手に弾いて歌ってくれた。穴があったら入りたくなった心境だ。 その後、何を話したのか全く記憶にないのは、絶好の機会をみすみす逃す、何か大きな失敗をしでかしたという意識で茫然自失だったからだろう。 過去にそんな事もあったので、T君の「世界一綺麗な街、プラハ」という言葉を強烈に受け止めたのだろう。どうしても行きたい街だ。

西村幸祐

91,944 görüntüleme • 6 ay önce

自分の中で最大に楽しかった一人旅はインド。ガンジス川で牛に頭突きされ、ツノで腹の皮が赤くなって、びっくりしすぎてその場でへたれこんで。で、そのあとカレー屋に入って、バターチキンカレーを頼んだら、ヨーグルトカレーが出てきて、マジムカついて、「いや、ちがうけど」と言ったら、「バターチキンカレーが食いたいならさらにお金を払え」と言われ。 要はカモにされ。 食べたくもないヨーグルトカレーを食べ、いざ宿に帰ろうとリキシャーを探していたら、みんながみんな、とんでもない値段でふっかけてきて、「そんな高いわけないだろ!」と言っても、誰も値下げをせず。 挙げ句の果てに、「この女はクレイジーだ」と言われてるのが聞こえてきて、ついに私はガンジス川のほとりで、「てめぇら○○○○ぞ!!」と叫んだ。 インドの申請なる地で暴言を吐く。 ふだんの自分ならあり得ないけど、インドで数えきれないほど騙されかけたり、頼んでもいないガイドがいきなり派遣されたり。 買わないっつってんのに謎のお土産屋につれていかれたり。 ガンジス川の船の上で、「これはガンジス川の水を入れた壺のキーホルダーだ」と言われて買ったら、中は砂だったり。 とにかくやばかった。 2週間、1人で旅をし、タール砂漠で野宿星空ツアーに参加して、夜中におしっこをしようと砂漠を徘徊し、ズボンを下ろしておしっこをしてたら、いきなり獣に囲まれて、下半身まるだしでタール砂漠を走り抜け、木でできたベッドに潜り込み、獣に囲まれ。 朝、起きたら野犬だとわかり。 シャーラさんというガイドに、「彼らは昨日の夕飯のチャパティを狙っていたんだよ」と言われ、だったら昨晩、チャパティを野犬にくれてやれよと思ったり。 カースト制度をまのあたりにしたり。 高級ホテルに泊まったのに、お湯が茶色だし、髪の毛を洗って枕に寝転んだら、枕は茶色になるし。 サリーの着方がイカれてたのか、インド人の女性に「着方が違います」と道端で直されたり。 深夜特急が4時間遅れてきたり。 深夜特急の中で出された夜食の肉が、なんの肉かわからないけど、ワゴンサービスがないから、おそるおそる食ったり。 斜め前の席に寝てたインド人女性に、チッチッと舌打ちをされて、犬を呼ぶ様に声をかけられ、あんたのそのカバンちょうだい、と言われたり。 高速道路でラクダの群れを見たり。 俺はヘビ使いのプロだ!といいつつも、ヘビに逃げられているヘビ使いをみたり。 汚い服のままデリーに行ったら、かなり浮いていたり。 デリー、ジャイプール、タール砂漠、アグラ、ガンジス川、と周遊した。 まだまだ書ききれないけど、インドはいろんな意味でやばかった。

猫田まんじまる

172,854 görüntüleme • 4 ay önce