正在加载视频...

视频加载失败

専守防衛でむしろ戦禍になってしまったウクライナ。 侵略したロシアは戦争を感じさせないという…

17,819 次观看 • 1 年前 •via X (Twitter)

1 条评论

渡海 難 的头像
渡海 難1 年前

憲法改正は簡単です。戦後の吉田内閣は簡単に改正できるように日本国憲法を作っていました。一度改正して、可笑しいとおもったら国会の過半数の決議で何回でも改正すればいいんです。民法も、刑法もみんなそうしているです。日本国憲法も同じです。少なくとも、吉田内閣はそう考えていました。  無作為に書き込んでいます。  お願いです。帝国憲法75条に気が付いてください。日本国憲法は国会の二分の一以上の多数決だけで改廃可能です。 1 八月革命説  日本人は洗脳から目を覚ましてください。八月革命説は、占領期間中、天皇陛下のお命と引き替えに示された国際法に反する非道なGHQの要求に忍耐するための一時しのぎ、方便です。昭和21年11月3日の公布日には帝国議会が正しく開かれて帝国憲法が存続していたことを無視するデタラメ論です。 2 帝国憲法改正の時期的要件  日本国憲法の成立は、帝国憲法75条違反です。75条は「摂政を置くの間」は憲法改正できないと言います。「置く」は動詞連体形の準体言です。「の」は準体言に連続する比喩の格助詞です。現代語訳する場合、準体言は省略された名詞を補充して訳します。  摂政を置く時期のような期間は、帝国憲法を改正できない。摂政を置く時期とは比喩であり、「天皇が、直接大政に関し、自由且つ正当な意思を表示ができない時期に」は、帝国憲法改正の時期的要件を欠く(憲法学者 穂積八束(安政7年 〜 大正元年)「憲法提要」)ということです。日本政府がハイジャックされて国家としての主権を喪失していた時期(GHQ占領期)は帝国憲法改正の時期的要件を欠いていたのです。 3 日本国憲法の制定目的  日本国憲法の制定には、国家の構造を決める国家の根本法を規定するという目的と、新たな根本法を帝国憲法に代えて憲法にするという目的、二つの目的を持っていました。帝国憲法3章(帝国議会)の通常法成立要件を満たしているため、GHQには一つ目の目的は達成できました。しかし、改正の時期的要件を欠き、改憲憲法としては75条で無効です。日本国憲法は帝国憲法を破っていません。違憲審査制度のない帝国憲法下では合憲違憲判断は国会の権限です。名称の如何に関わらず、違憲部分を含んでいても、合憲範囲に限っては有効です(帝国憲法76条)。 4 日本国憲法の現実  日本国憲法は、帝国憲法の規定によって、国内法を改正する手続きと同じ手続き、議員の二分の一以上の多数決で条文毎にいつでも適宜改正可能です(改定憲法撮要 美濃部達吉著)(日本国憲法部分無効論)。 5 サンフランシスコ講和条約1条の重み  日本国憲法上諭文では、日本国憲法は帝国憲法第七十三条による帝国議会の議決を経たと言います。上諭文には御名御璽と吉田内閣閣僚全員が副署しています。しかし、その当の吉田内閣は、日本国憲法を日本の憲法とは認めていませんでした。サンフランシスコ講和条約1条を読んでください。「戦争状態は、この条約が効力を生ずる日に終了する」とあります。  サンフランシスコ講和条約は、講和締結前日までは法的には戦争状態であったことを前提に締結しました。講和締結前日まで戦争状態であったということは、少なくとも締結前日(昭和27年4月28日)は、戦争を放棄してない帝国憲法下であったことを世界に宣言しているのです。この条約が効力を生ずる日以前は、日本は帝国憲法下であり、日本国憲法は、昭和22年5月以降も、国際的に日本の憲法として機能していなかったんです。日本国憲法が憲法として帝国憲法を破った瞬間などは存在しないんです。 6 朝鮮戦争への日本国の参戦  昭和25年10 月 6 日は、吉田内閣が朝鮮戦争への日本国の参戦命令を出した日です。日本は仁川上陸作戦の一躍を担っていました。この戦いで日本は戦死者を出しています。吉田内閣は、要請があれば軍部隊を派遣する内閣で、戦争放棄など考えていませんでした。だれか、日本の朝鮮戦争への参戦を違憲だと言った人はいましたか?日本中、一人もいませんでした。当時、政治家、憲法学者は、誰一人、帝国憲法が失効しているなどと考えてはいませんでした。米国も日本に戦争放棄を求めた意識などなかったのです。だからこそ吉田内閣は実質軍隊である自衛隊を創設しました。 7 ポツダム宣言との関係 ポツダム宣言との関連で深刻な問題だったのは、日本の国体が護持されるかどうかでした。ポツダム宣言は、国民主権の原理を採用することを要求していると連合国軍総司令部は解していました。日本政府は、ポツダム宣言は国民主権主義の採用を必ずしも要求するものではなく、国体は護持できると考えました。GHQは天皇の東京裁判への召還をちらつかせて日本を恫喝しました(押しつけ憲法論)。日本は、あくまでポツダム宣言の停戦条項の遵守を考えていました。ポツダム宣言には帝国憲法の改正の要求は含まれず、帝国憲法を改正しなくとも、運用によって宣言の趣旨に沿う 新しい政府をつくることは可能であると考えていました。 8 日本政府の対抗策 日本は、ポツダム宣言を無視するGHQの卑怯な要求に唯々諾々と従う政府ではありませんでした。日本の政府と国会は二つの選択肢がありました。ひとつは、帝国憲法はポツダム宣言受諾と同時に既に消えたものとし、何も無いところから憲法を新たに制定するという革命手法でした。もう一つは、帝国憲法の存在を肯定し、その改正という形で新たな憲法を制定するという改正手法でした。日本は改正手法を選びました。つまり、改正憲禁止条項75条のある帝国憲法枠内での改正という手法を取ったのです。こうして、日本国憲法の制定に論理的自己矛盾を内包させ、天皇を人質に恫喝してくるGHQの非道な要求に対抗しました。 9 白色人種との戦争の勝敗ライン  米国は日米の激しい戦闘状態の中、早い段階から日本との交渉を拒否し、日本側からの一方的無条件降伏を迫っていました。米国は、歴史上、有色人種と戦争する場合、相手方には無条件降伏以外はありませんでした。日本は、無条件降伏だけはできないと決めていました。降伏を条件付き降伏にもっていってくれたのが、それこそ地獄のような硫黄島で戦ってくれて、あるいは特攻隊攻撃までして戦ってくださった我々の祖父世代でした。  われわれの祖父達は、無条件降伏したことを理由にインディアンを虐殺し、消滅させ、無抵抗のアフリカ人を鉄砲で脅迫して奴隷狩りしてきた白人に、同様の有色人種として、始めて無条件降伏では無く、同じ降伏でも条件付き降伏を勝ち取ってくれたのです。本土決戦という誇大妄想的な戦術を編みだし、話し合いを拒否する米国を逆恫喝してポツダム宣言を引き出させたのは終戦直前の鈴木貫太郎内閣です。鈴木首相は、日本国の消滅を寸手のところで防いでくれた日本史上最大級の名相だったと思います。米国が無条件降伏にギリギリまでこだわり、日本側が特攻攻撃を含む文字通りの死闘を敢行した理由もあります。日本人は、インディアンの運命の二の舞いになる危機を脱したのです。 10 参考資料  Quoraの論文「日本国憲法制定の際、吉田内閣はどんな考えを持っていたのでしょうか?」 を読んでください。 朝鮮海域に出撃した日本特別掃海隊 元防衛研究所戦史部主任研究官 鈴 木 英 隆 「日本国憲法の制定過程」に関する資料

相关视频

プーチン大統領が戦勝記念日の演説で強調したのは、「ロシアは過去の戦争の記憶を絶対に手放さない」ということでした。 ナチス・ドイツとの戦いで、ソ連の人々は国を守り、ヨーロッパを解放し、世界を“容赦ない悪”から救った。 プーチン氏はこの歴史を、ロシアにとって最も大切な誇りとして語っています。 特に、1941年6月22日の独ソ戦開始を「悲劇の日」と位置づけ、ナチスはソ連の資源を奪い、文化を破壊し、多民族国家だったソ連の人々を奴隷化・絶滅させようとしたと説明しました。 そのうえで、ナチスが読み違えたのは「ロシア人の気質」と「ソ連人民の精神力」だったと強調しています。 そして話は、現在のウクライナ戦争にもつながっていきます。 いま戦っているロシア兵は、かつてナチスと戦った世代の精神を受け継いでいる。相手はNATO全体に支援された“攻撃的な力”だが、それでもロシアは前に進んでいる。そんな構図で語られています。 さらにプーチン氏は、勝利は前線だけで作られるものではなく、工場、科学、医療、教育、文化、ボランティア、そして市民一人ひとりの力によって支えられているとも訴えました。 要するにこの演説は、過去の対ナチ戦争の記憶と現在の戦争を一本の線でつなぎ、「ロシアは孤立しているのではなく、国民全体で正しい戦いをしている」という物語を強く打ち出したものです。

チタロ

20,835 次观看 • 2 个月前