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小さいパーツを表に返す方法のひとつ。 使ってるのはアルミストローとチタン箸。普通のストローと箸でいいと思う。

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「お箸の練習は、これだけでOK」 という内容を動画にまとめました。 お箸に興味を持ちはじめたお子さんに、 いきなり「はさむ」練習をするのは、 数字に興味を持ち始めたお子さんに、 いきなり「方程式」を教えるようなもの。 まず大切なのは、お箸を”手の一部”としてなじませていくこと。 そのために必要なのは厳選すると以下の3つ。 ①まぜる ②集める ③すくいあげる もう少し詳しく言うと、 ①まぜる お箸の長さ・重さ・先端からの抵抗感を感じながら、お箸を手になじませていきます。 ②集める お箸の先端で物の中心を捉えて2次元で操作する感覚を身につけます。 ③すくいあげる お箸の先端で物の中心を捉えて3次元で操作する感覚を身につけます。 ご飯を食べるとき、 実は「はさんでいる」というより、 下から支えて、すくいあげていることのほうが多いです。 この3つの動きをしっかりやっていくと、 まずは「ご飯をお箸で食べる」ができるようになります。 すると、お箸を使うこと自体に自信が持てるようになります。 その自信が土台になると、 「刺す・ほじくる・切る・ほぐす・はさむ」 などの動きに自然と挑戦できるようになっていきます。 これまで、たくさんの子どもたちと関わってきましたが、この流れで練習していくと、多くの子がお箸を上手に使えるようになっていきました。 ぜひ、ご家庭でも試してみてください!

野口翔|発達OT|おうち時間を、育ちの時間へ。

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戦前の『大日本帝国憲法』の下では、個人というのは、国家に奉仕するものというふうに位置づけられていました。 これが『日本国憲法』になって、180度転換したと言ってもいいと思います。 13条で個人の尊重。 すべて国民は個人として尊重されるということが規定されていますけれども、つまり、個人の人権のために、国家があるのだというふうに考え方が変わっています。 ある意味、そのことが理解できれば『憲法』の構造というのは、だいたい90%ぐらい理解できたと言っても過言ではないと思います。 個人の尊重というのは、どういうことかと言えば、その人の人格というのは思想に一番よく表れますから、思想や信条の自由を保証したりとか、あるいは、その思想というのは外に発表したいということを求めますから、それが表現の自由として保証されるということです。 いくら自由だ自由だと言っても、やっぱり命が大事ですので、食べていかなければいけないということで、生存権を保障したりとか、すべてその個人の尊重というところに繋がっています。 統治の機構も、権力分立などが規定されていますが、これはどうしても権力というのは濫用されがちなので、チェックアンドバランスを確保することによって個人の人権が守られるように。 また多数者であっても、つまり立法権であっても奪えない人権というのを確保することによって、法の支配という構造をとっています。 あくまでも、個人の尊重というのが目的で、立憲主義や権力分立はその手段に過ぎませんから、人権をより豊かにしていくだとか、あるいはその立憲主義をより強化するという意味での憲法改正という議論は大いににあって良いのではないかと思っています。 あくまでも憲法の条文というのは、文字で書かれているものに過ぎないので、どういう中身を豊かにしていくかというのは政治の役割だと思います。 かつてであれば人権だと認識されなかったものも、時代の変化や意識の変化によって、これが人権問題だというふうに捉えられるようになっているものもあります。 これは、奥平康弘先生の言葉を借りれば、憲法という、その時代に書かれたテキスト、それを後の時代に生きている人たちと、いわば、その中身をともに創造していく、未完のプロジェクトだと言っても良いと思います。 #戦後80年 #終戦記念日 #憲法9条 #憲法 #平和 #個人の尊重

山花 郁夫 #あなたがあなたらしく生きられるためにー

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相米慎二「本来長回しという技法、あるいは長回しという風に語られている技法というのは映画史の中では、決して、僕は、どう言ったらいいんでしょう、正しい技術論だとは思ってない訳です。それは、ただある時期映画を根本的にとらえなおすための方法として自分がやらなければならないと思ってやった訳です。本来キャメラが過剰に映画の中に入り込んでくるというのは、無意味なことで、そこに表現されているのは俳優さんと、もう一個、映画の空気な訳で、それをうつすためにはキャメラというものは一番目立たないのであればいいという風に本来あるはずなんです。だけど80年代は、そのことで映画を埋もれさせてしまうことが一番マイナスだと思って、過激というか、ちょっと誇張した方法論を自分で選んでしまったのです。 『東京上空いらっしゃいませ』('90⇩)というのは、むしろ技術的にそのことに対する反省があるので、自分がつくる時の内的な欲求としては、割と今現在は途上だと思うけども、もう一個僕が映画の技術的な方法論を獲得するためには、通らなければならないところだという風に思うんです」 ー『甦る相米慎二』(2011インスクリプト) 「自作にみる現代映画論」相米慎二 P384より

nave

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