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小網神社がなぜ「東京最強」「金運•強運」と呼ばれているのか…! その歴史や背景を、ショートドラマにしました。 【3分だけお時間ください】 ロケ協力いただいたのは根津神社。逸話の近さもあり、こちらで撮影させていただきました。松の内のこの時期、初詣に行かれる人/行かれた人、明日から仕事初めで会社で詣でる人へ🙇

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キュアコンサータ®️9 months ago

何故金運最強なのかいまいちわからない・・・ 何か覚悟的なものが決まるからということ?

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【 へずまりゅう、友人の結婚式で追い返された件を語る 】 友人の父親 「え、へずまりゅう?なんでいるの?」 へずまりゅう 「シークレットゲストとして(友人に)招待されました」 父 「はあ!? 君、どれだけ世間に迷惑かけたと思ってるの? 会社の人もいるし、君を結婚式に入れることはできない」 へずま 「ご祝儀だけでも…」 父 「いらない。世間が更生したと認めてくれるまで がんばってください」 へずま 「……わかりました」 -------------------------- へずま 「…それで会場を後にしました。 悔しかった。 幼なじみを お祝いしたかったから…」 -------------------------- これはモヤモヤするね。 招待されて わざわざ山口まで行ったのだから、お父さんに反対されても 友人さんが貫き通してくれたらよかったのに… お父さんは、へずまが市議会議員になったのも知らなかったようだし、友人さんも、こういう展開になるのは 予想できたわけだから、サプライズゲストだとしても、あらかじめ両親には言っておくべきだったね… 過去にやってしまったことは消えないし、そのイメージが残ってるから、信頼を取り戻すのは時間がかかる。 グッとこらえて引き下がったへずまりゅう、漢だよ。

萩原圭一 K.Hagiwara 和光市議会議員・投資家

82,318 views • 3 months ago

お金は、貯め込むための数字ではない。自分と社会の間を巡る「エネルギー」なのだ。 瀬知さんの話で、まず印象に残るのが「時間は存在しない」という考え方です。 私たちは、生まれた日から年齢、出社時間、締め切り、年収、家賃まで、あらゆるものを数字で測っています。そのため、時間を絶対的なものだと思い込んでいます。 しかし瀬知さんによれば、私たちが「時間」と呼んでいるものの正体は、すべて「変化」です。 年を取ることも、環境が変わることも、夢に近づくことも、失敗して別の道へ進むことも、すべては変化にすぎない。時計ばかり気にしていると、「もう遅い」「間に合わない」「自分には時間がない」と焦り、せっかくのエネルギーをストレスに奪われてしまいます。 大切なのは、残り時間を数えることではなく、自分が望む変化に向かって動くことです。 そのとき、最初から大きな夢を持つ必要はありません。 「毎朝7時に起きる」 「今日は一ページだけ書く」 「気になっていた人へ連絡する」 そんな小さな目標を一つずつ達成していく。その達成感が次の行動を生み、やがて想像もしなかった場所へ自分を運んでくれるのです。 目指していたAには届かなかったとしても、動き続けた先でBやCという、もっと面白い答えに出会うこともあります。ひとつの夢に執着しすぎると、別の入口が開いていることに気づけません。 そして、時間と同じように、お金も単なる数字ではないと瀬知さんはいいます。 働いてお金を受け取る。買い物をしてお金を渡す。誰かのサービスを利用し、別の誰かの仕事を支える。これはすべて、エネルギーの交換です。 だから重要なのは、「いくら稼ぐか」だけではありません。 むしろ瀬知さんが重視するのは、「何に使うか」です。 ただ衝動的に散財するのではなく、本当に欲しいもの、自分の経験を豊かにするもの、誰かの仕事や社会を少し良くするものへ使う。高価な車でも旅行でも本でも、本人が大切にし、その先に生まれる変化を想像できるなら、それは生きたお金になります。 寄付も、何十万円、何百万円である必要はありません。コンビニの募金箱へ10円を入れることも、店で商品を買うことも、税金を納めることも、お金を社会へ戻す行為です。 もちろん、「使えば必ず同じ金額が戻ってくる」という魔法の話ではありません。使ったお金は実際になくなります。 しかし、お金を使えば新しい経験や出会いが生まれ、「また働こう」「次はこれをやってみよう」という行動の力が湧いてくる。その行動が新たな仕事や収入につながり、再びお金が巡り始めます。 瀬知さんのいう「お金の循環」とは、何もしなくても財布が膨らむ話ではなく、使う、動く、変化する、そして再び生み出すという流れなのです。 人生には、休まなければならない時期もあります。心や体が疲れているなら、無理に前進する必要はありません。ただ、少し元気が戻ったら、ほんの小さなことでいいから再び動いてみる。 時間とは変化であり、お金とはその変化を起こすためのエネルギーです。 そう考えると、本当に問うべきなのは「あと何年あるか」でも「いくら持っているか」でもありません。 限りある人生の中で、あなたは今日、自分の時間とお金というエネルギーを、どんな未来のために使いますか?

角由紀子のヤバイ帝国

19,199 views • 2 months ago

緊急院内集会での、性売買経験当事者ネットワーク灯火のメンバーによる、3人目の当事者発言を紹介します。 ③『性売買の中にいる女の子たちを責める法律を変えてください』 私は14歳で、性売買を始めました。 家にも学校にも居場所がなく、必要としてくれたのは、買春者たちでした。 行くところがなくて野宿していたとき、私に近寄ってきたのは買春者か、風俗店のスカウトだけでした。 「5000円あげるからどう???」「どうせ行くとこないんでしょう」と買春を持ちかけてくるのは、サラリーマンや、このまま会社に行く人達、普通の人たちでした。 当時の私は、その人たちは、自分を必要としてくれるんだと、嬉しいことだと思い込んでいました。 私の周りには、そんな大人たちばっかりでした。 路上の性売買でも、風俗店でも、 嫌なことも嫌と言えず、ただ従うしかありませんでした。 そして、私は妊娠しました。 産むことも育てることも出来ないのが 現実でした。 体を売るしかない状況 今日を生きるためにそうせざるを得ない現実。 苦しかったしつらかったけど、そんなこと誰にも言えませんでした。 だからヘヤヘラしていました。愛想笑いをして、楽しそうにふるまっていました。 これが楽しいことだ、必要とされているんだと思い込もうとしていました。 辛くても、生きるにはそれしかなかったからです。 その後、私は少年院に入り、夢乃さんに知り合い、Colaboに繋がりました。 あたたかいご飯、寝られる場所、見返りを求められない関係を得ることができました。 Colaboと出会って、嫌なことは嫌と言えるようになりました。 今は、性売買について私は それをしなくてもいい社会を作るべきだと 考えています。 買春者たちは責められず、売った女が悪い。そんなのは間違ってます。 「体を売る女が悪い」と言う人がいるから、私も、自分のせいなんだと思っていました。 成人して風俗店や路上で体を売る状況の女性のほとんどが、子ども時代に私と同じような経験をしています。 性売買の中にいる女の子たちは、買春社会の被害者です。 困ったときに誰も助けてくれない社会の被害者なんです。 性売買から抜け出した後も、声をあげれば、顔を出せば、汚い目で見られ、 周りにいる自分の大切な人たちも、同じ目でみられます。 どうか、どうかお願いします。 性売買をする女の子の背景をみずに、ものを言うのはやめてください。 性売買をした女の子たちを責める法律を変えてください。 汚い目で見るんじゃなく、女の子が性売買をしなくてもいきていけるように、 1人1人の頭で考えて動いてください。(なお、20代) ■当日の様子はこちらからご覧いただけます。 後日配信・資料 【緊急院内集会】『日本の人身取引と買春社会―文京区タイ人少女人身取引事件から見えるもの』 タイ人の12歳の少女が一か月で60人以上を相手に「売春」させられた事件をきっかけに「買春処罰法」導入を求める声が高まっています。 そこで、緊急院内集会を開催し、今、日本で少女たちがどのように人身取引されているのか。被害の実態と必要な法制度について、長年被害者支援に携わってきた専門家による提言を行いました。

仁藤夢乃 Yumeno Nito

46,763 views • 10 months ago

新機能をローンチします!!! そして、 友達を自分で作るのを辞めました。 日本人は全員これだけは読んでほしいんだけど... 日本には、美しい文化がある。 「おまかせ」。 寿司屋のカウンターに座って 「おまかせ」と言うと、 職人が、その日いちばん良いものを 全部選んでくれる。 自分では選ばない。プロを信じる。 だからこそ、 予想もしなかった出会いが生まれる。 これ、人間関係にも持ち込んでいいはず。 大阪で7年間、自分の家に100人以上の 「初対面の誰か」を泊めてきました。 ある日、マリーという子が来た。 日本に来たばかりで、 街もわからない。友達もいない。 正直、何から始めればいいかもわからない。 僕の行きつけのバーに連れていきました。 彼女はただ、その場にいて、 話して、笑っていただけ。 夜が終わる頃、マリーには 新しい友達が5人できていました。 自分で必死に探さなくても、 ちゃんと設計された“場”に乗れば 友達はできる。 この体験をスケールさせたくて、 「Omakase Friends」を作りました。 AIが相性の良い人を “おまかせスタイル”で選んで 少人数のディナーに招待する。 ・自分でイベントを探さない ・プロフィールを必死に盛らない ・誰と会うかも『おまかせ』 やることは、呼ばれた場所に来て、 ちゃんとその時間を楽しむことだけ。 そこで、予想もしなかった友達に出会う。 この「Omakase Friends」を、 Homii Worldの新機能としてローンチします! まずは東京の外国人コミュニティから。 友達づくりも、 “がんばる”から“任せる設計”へ。 そんな世界を、ここから作っていきます。 リンクはリプ欄へ👇

Ko📱toC × Global🌏 @ NY

79,679 views • 6 months ago

今日で、7人のWESTꓸが最後だ。 まだこの言葉を書くことにも、どこか現実味がない。 WESTꓸを好きになって、たくさん笑った。たくさん泣いた。 会える日を楽しみにして、チケットを握りしめ、何を着ていこう、何を持っていこうと考え、会いに行き。 ライブが終われば「やっぱ最高だな」と余韻に浸りながら友だちと本人不在打ち上げで乾杯。 何気ないブログの一言に救われたり、くだらないことで笑ったり、7人がわちゃわちゃしているだけで嬉しかったり。 そんな日々が、私の生活の中に当たり前みたいに存在してた。 WESTꓸがいることが当たり前で、7人でいることが当たり前で、またすぐ会えると思ってた。 だからこそ、今こうして「最後」という言葉を使わなきゃいけないことが、やっぱり寂しい。 もっと7人を見たかった。 もっと7人で笑っているところを見たかった。 もっとくだらないことで騒いでいるところも、ステージの上でふざけているところも、歌っているところも、7人にしか作れない空気を、まだまだ見ていたかった。 正直、全部を綺麗な思い出にできるほど、私は器用じゃないんだけども。 楽しかったことだけじゃない。嬉しかったことだけじゃない。悲しかったことも、悔しかったことも、どうしてって思ったことも、受け入れられなかったことも、たくさんあった。 それでも、振り返ってみれば、私の中に残っているのは、やっぱり7人と過ごした時間そのものなんだと思います。 7人がくれた言葉。 7人が歌ってくれた歌。 7人が見せてくれた景色。 7人の笑っていた顔。 会場いっぱいに響いた声。 自然に会場に広がる虹色。 広い夜空の下で一緒に見た花火。 一緒に笑った時間。 一緒に泣いた時間。 そのひとつひとつが、私の人生の中にちゃんと残っています。 WESTꓸを好きにならなかったら出会えなかった人も、行かなかった場所も、見なかった景色も、知らなかった感情も、きっとたくさんある。 WESTꓸを好きだったことで、私の日常は確かに変わりました。 しんどい日にも、WESTꓸがいた。 何もしたくない日にも、WESTꓸを見れば笑えた。 楽しみが欲しい日には、次に会える日を楽しみにできた。 「推し」という言葉だけでは片付けられないくらい、WESTꓸは私の生活の一部でした。 だから、今日で終わるからといって、その時間まで終わってしまうわけじゃないと思っています。 7人が7人でいた時間は、もう誰にも消せない。 どんな未来になっても、7人でWESTꓸとして歩いてきた時間がなくなることはない。 7人が出会ったことも、7人で始めたことも、7人で笑ったことも、7人で泣いたことも、7人でここまで来たことも。 全部、本当のことだから。 私はたぶん、これから先もふとした瞬間に「WESTꓸが7人だったらどうなってたんやろ」って思うんだと思う。 誰かの新しい曲を聴いたとき。どこかでWESTꓸの曲が流れたとき。昔の映像を見返したとき。7人の名前を見たとき。 虹を、見た時。 きっと何度でも、7人だった頃を思い出す。 忘れなくていい。綺麗に忘れなくていい。無理に前を向かなくてもいい。 大切だったものが終わるとき、寂しいと思うくらい大切にできたこと自体が、きっと幸せなことなんだなと思えます。

ぴみ

95,425 views • 15 days ago

【死という解放】 彼女の最期の日は大雨。 ⁡ 5才の乳牛としての牛生、 そしてこの子の命が終わる日です。 ⁡ 彼女はこの日の朝、5年間過ごした牛舎と仲間たちとお別れの挨拶も許されぬまま、トラックが入ってきやすい別の場所へと移動させられました😢 トラックが到着するまでの間、 独りぽつんとそこに座り、最期の景色とほんのわずかな自由時間を静かに感じていた。 5年間つなぎ飼育だった彼女は、 その場に立つ、座るという動作しか許されておらず、 牛生最期の日に生まれて初めて鎖から解放され、わずかな時間でも自由になったのに、身体に染み込んだ5年間の習慣は消えない。 この時も鎖に繋がれていると思っているのか、ずっとその場に座ったままだった。 ⁡ 彼女は最後を迎える牛の中でもとても落ち着き、冷静で、 まるで自分のこれからの運命を悟っているかのように、トラックの音が聞こえた瞬間は少しソワソワして怯えたけれど、 飼い主にお尻を叩かれてすぐに自分で立ち上がり、誰の手も煩わせることなく、自らの足で歩いてトラックに乗った。 その後ろ姿は、 5年という長い年月、人間のためだけに生まれ、人間のためだけに心身をすり減らし、強制妊娠出産を繰り返し、一切の幸せや楽しみ喜びはなく、 苦しみと悲しさ、寂しさだけに耐えてきた。 そう見て分かる程、疲れ切った体に毛並みは泥だけでボロボロ。 足元はフラフラだった。 私は敷地外からこの様子を見ていたけれど、 終始暴れることなく、立派に牛としての運命を生き抜いたと感じ、またしても現実の不公平さと、残酷さに心の奥底から嫌気がさしている。 人間の世界では【正解】そのものが都合良くできていて矛盾だらけ。 いったい何が正解なのか私には分からないけれど、この現実だけは不正解だと私は思う。 #動物を助けたい

すべての動物に権利を

1,229,243 views • 1 year ago

【運営からの残念なお知らせ、続き】 アイドルを応援するオタクへ。 今日は、綺麗な努力物語ではありません。 🚨【炎上覚悟】振り落とし中、3人が走り出しました。 『可愛くて、ちょっとおかしい恋してる』は、 超星みるくの生誕祭で披露される予定の新曲です。 しかし本日の振り落とし開始時点で、 ステージに立てるのは最前りあ1人だけでした。 みるくの生誕祭なのに、 みるく本人が出演できない。 その現実を前に、 超星みるく・稗田あいす・まのんの3人が、最後の調整へ走り出しました。 そして、基準をクリアして戻ってきたのは、 超星みるくだけ。 泣いていました。 髪も、顔も、完全に崩れていました。 それでも、そのまま振り落としに途中参加しました。 最初から最後まで立ち続けた、りあ。 最後の30分で、 自分の生誕祭のステージに戻ってきた、みるく。 ただし、誤解しないでください。 泣いたから参加できたわけではありません。 生誕祭の主役だから救済されたわけでもありません。 基準をクリアしたから、参加しました。 プロとして見れば、最初から間に合わせるべきでした。 「頑張った」「惜しかった」だけで、出演資格は生まれません。 でも、最後に結果を出した事実も消えません。 あいすとまのんは、今回も未達成。 そのため、本日の振り落としには参加させていません。 それでも今回だけは、 直前のダンスレッスンまで最終調整期間を延長します。 これは甘やかしではありません。 今日で終わっていた2人に与える、 最後の挑戦権です。 ここで間に合わなければ、 どれだけ泣いても、悔しがっても、出演させません。 「全員出してあげて」 「生誕祭なんだから出すべき」 「頑張っているなら許してあげて」 その気持ちだけでは、ステージには立てません。 4人で立つのか。 りあとみるくの2人になるのか。 それとも、りあ1人に戻るのか。 最初は、りあ1人でした。 そこへ、みるくが泣きながら戻ってきました。 残された時間で、 あいすとまのんも間に合わせられるのか。 これは、アイドルの優しさの話なのか。 それとも、運営が甘すぎるだけなのか。 オタクは、どう思いますか。

【公式】異世界アイドル☆パラレルパレード|パラパレ

146,536 views • 2 months ago

【悲報】カバー社、またしても物議を醸してしまうやらかし… ホロライブの歴史を振り返る「hololive HISTORY」と題された年表パネルが公開されるも、なぜか一部の卒業生たちの名前が見当たらないとして物議を醸しています。 これに対し、ファンからは 「卒業生をなかったことにするのはやめてほしい」 「彼女たちも一緒に歴史を作ってきた仲間だろ」 「歴史を振り返るなら卒業生も載せるべきでは?」 といった批判の声が噴出。 そもそも、推しの卒業を悲しみながらも、その決断を受け入れ、今もホロライブを応援し続けているファンは少なくないはずです。 そんな人たちにとって、かつて応援していたタレントが、まるで最初から存在しなかったかのように扱われることが、どれほど悲しいことなのか。 卒業に至った事情はそれぞれ異なるとはいえ、タレントが活動を終えるまでの経緯について、運営会社にも振り返るべき点はあるのではないでしょうか。 それにもかかわらず、歴史を振り返る展示で卒業生の足跡まで消してしまったように見えるのでは、ファンから「ああ、やっぱりこの会社は……」と思われても仕方がないと思います。 卒業したからといって、その人がホロライブにいた事実まで消えるわけではないのですから。 今のホロライブがあるのは、現在活動しているタレントだけでなく、すでに去っていったタレントたちの努力や功績があってこそではないでしょうか。 卒業したら歴史からも卒業扱いなのですか……? 「hololive HISTORY」ならぬ「hololive MEMORY DELETE」になってしまった感が否めません。 せめて、ファンが大切にしてきた思い出くらいは、大切にしてほしいものです。

VTuber Insider Japan

302,864 views • 2 days ago

「命を優先する」―― さとうさおり氏が、リーダーとして絶対に言ってはいけなかった一言 さとうさおり氏の辞職表明を見て、多くの人が感じた違和感。 「何かがおかしい。でも、うまく言葉にできない」 その正体は、辞職したことそのものではないと思う。 問題は、 「命を優先する」 と言って去ったことだ。 最初に断っておきたい。 命を守ることが悪いのではない。 本当に身の危険があるなら、逃げればいい。 議員を辞めてもいい。 家族や自分自身の安全を最優先することを、誰も責めることはできない。 しかし、だからこそ私は思う。 政治家として、そして人を率いてきたリーダーとして、「命を優先する」という言葉だけは使うべきではなかった。 なぜなら、それは単なる辞職理由ではないからだ。 その一言は、それまで彼女自身が作ってきた「戦うリーダー」という物語を、自分の手で壊してしまう言葉だからである。 さとう氏は、強い言葉で支持を集めてきた。 隠すな。 公開しろ。 説明しろ。 おかしいものには声を上げろ。 東京都にも、既存政治にも遠慮しない。 普通の政治家が躊躇するところまで踏み込む。 だから、多くの人が期待した。 この人なら逃げない。 この人なら最後まで戦う。 そう思った人も少なくなかったはずだ。 ところが、自分自身が説明を求められる側になったとき、 「今後の人生に大きく関わる事情」 「自分だけに関わる問題ではないので詳細は話せない」 そして最後に、 「命を優先する」 と語った。 ここで、これまでの人物像との間に大きな亀裂が入った。 「命を優先します」 これは、非常に強い言葉だ。 強すぎると言ってもいい。 なぜなら、この言葉を出された瞬間、誰も反論できなくなるからだ。 「それでも議員を続けろ」 とは言えない。 「命より議席を優先しろ」 などと言えるはずもない。 つまり、この一言が出た瞬間に、 なぜ辞めるのか。 何が起きたのか。 なぜ休養では駄目なのか。 なぜ議員を辞める必要があるのか。 辞めれば何が解決するのか。 という、本来有権者に説明されるべき問いが、全部止まってしまう。 だから私は、この言葉が一番まずかったと思う。 命を説明したのではない。 結果として、 「命」という反論不能な言葉によって、説明そのものを終了させてしまった。 そう見えてしまうからだ。 もちろん、本当に命に関わる事情があった可能性は否定できない。 外部の人間には分からない。 第三者が関わっているなら、詳細を公表できないことだってある。 しかし、 「全部話せない」 と 「何も説明できない」 は全く違う。 たとえば、 「安全上の重大な事情が生じた」 「第三者保護のため詳細は明らかにできない」 「議員活動を継続する限り、その問題を解消することが困難である」 「必要な相談や安全確保の手続は取っている」 「これまでの政治的主張を撤回したわけではない」 それくらいは説明できる。 そうすれば、少なくとも、 安全のために退くこと と 政治的に敗北して退くこと を切り分けられる。 しかし「命を優先する」という言葉だけが前面に出れば、受け手には別の物語ができてしまう。 東京都と戦っていた政治家に何かが起きた。 そして命を守るために退いた。 本人がそういう意味で言ったのかどうかは関係ない。 政治家の言葉は、本人の意図だけでは成立しない。 どう受け取られるかまで含めて政治である。 そして、ここからがもっと重要だ。 これは単なる「言葉選びの失敗」ではない。 リーダー論として見ても、かなり深刻な失敗である。 リーダーとは、恐怖を感じない人ではない。 怖いものは怖い。 危険なら撤退する。 場合によっては、逃げる判断だって必要だ。 しかしリーダーには、その次の仕事がある。 自分の恐怖を、自分の中で処理することだ。 そして仲間には、 「何が起きているのか」 「何を守るのか」 「何を撤回しないのか」 「これからどう進むのか」 を示す。 リーダーの役割とは、全員の前で一番勇ましい言葉を叫ぶことではない。 混乱した状況を整理して、周囲に方向を示すことだ。 ところが今回の辞職表明で支持者に残されたのは、方向ではなかった。 不安だった。 「命を優先する」 と言われれば、支持者は当然考える。 そんなに危険なのか。 何があったんだ。 誰かに何かされたのか。 これまで応援してきた活動は危険なのか。 東京都を追及すると、こんなことになるのか。 やちよの会はどうなるのか。 これまで一緒に活動していた人たちはどうするのか。 そして、本人が具体的な説明をしなければ、その空白を支持者自身が埋め始める。 憶測が始まる。 噂が始まる。 陰謀論まで生まれる。 つまり、リーダーが自分で整理すべき不安を、支持者側にそのまま渡してしまった。 私は、ここが今回もっともまずいと思う。 自分の恐怖だけを置いて去ってしまったように見える。 リーダーなら、本来は逆である。 仮に自分が去らなければならなくなったとしても、 「私はここで離れる」 「しかし、この問題提起は間違っていない」 「ここまでは達成した」 「ここから先はこう引き継ぐ」 「皆さんが恐れる必要はない」 「私が去っても、この活動の意味は消えない」 と残す。 これが、リーダーの撤退だ。 戦い続けることだけが勇気ではない。 撤退することだってある。 しかし、 仲間が前を向ける形にして撤退する。 そこまでがリーダーの責任なのである。 政治家には支持者がいる。 もっと言えば、その人の言葉を信じて実際に動いた人がいる。 票を投じた人。 寄附した人。 ポスターを貼った人。 ポスティングした人。 SNSで応援した人。 家族や知人に投票を頼んだ人。 時間を使い、金を使い、ときには人間関係まで使って応援した人たちがいる。 リーダーは、その人たちを動かしてきた。 ならば、自分が突然去るときに、 「私は自分の命を優先します」 だけでは足りない。 自分の人生を守る権利はもちろんある。 しかし同時に、 自分を信じて動いた人たちを、どういう状態で残していくのか。 そこにも責任がある。 今回の違和感は、おそらくここにある。 本人にとっては、 「自分の人生を守るための決断」 だったのかもしれない。 しかし支持者から見れば、 「あなたを信じてここまで来た私たちは、どうすればいいのか」 という話でもある。 リーダーの辞職は、自分一人の人生の決断では終わらない。 だからこそ、退出するときほど、その人のリーダーとしての本質が出る。 そして今回、さらに厳しいのは、彼女がこれまで「戦う姿勢」そのものを支持の源泉にしてきたことである。 強い言葉を使う。 権力に食ってかかる。 既得権益を恐れない。 隠されたものを公開させる。 そういう姿勢を見せ続けてきた。 だからこそ、 「命は一つしかない」 という言葉の破壊力が大きかった。 本人としては「自分を大切にする」という当然のことを言っただけなのかもしれない。 しかし、支持者側には、 「最後は怖くなって退いたのか」 という印象が残り得る。 事実がそうだった、と言っているのではない。 そういう物語を、自分の言葉によって成立させてしまった。 それが問題なのだ。 そして、リーダーとして最も避けるべきなのはここだと思う。 「圧力をかければ、この人は退く」 という印象を残すことだ。 仮に本当に何らかの重大な外的事情があったのであれば、なおさらである。 リーダーが退くときに、 「私はここで退く。しかし要求を受け入れたわけではない」 「主張は撤回しない」 「記録は残す」 「問題提起は引き継ぐ」 と明確にしなければならない。 そうしなければ、相手側にも、支持者側にも、 「押された結果、退いた」 という印象が残る。 これは、政治運動を率いる人物にとって非常に大きな問題である。 結局、今回の件で問われているのは、 「辞めるのは弱いのか」 ではない。 そんな単純な話ではない。 問われているのは、 「リーダーとは何か」 ということだ。 リーダーとは、一番大きな声を出す人ではない。 一番勇ましい言葉を使う人でもない。 敵を一番激しく批判する人でもない。 本当にリーダーの資質が問われるのは、 自分自身が追い詰められたとき。 自分自身が説明を求められたとき。 自分自身が撤退しなければならなくなったときだ。 そのときに、 自分の不安を周囲にばら撒くのか。 それとも、 自分が不安を引き受け、周囲には方向を示すのか。 ここに決定的な違いがある。 だから、多くの人が今回感じた違和感を、私はこう表現したい。 「強い人だと思っていた。でも、強い言葉を使うのが上手な人だっただけなのではないか。」 強い言葉を使うことと、強い人間であることは違う。 そして、 強い人であることと、リーダーであることも違う。 リーダーとは、自分が最後まで立っている人ではない。 退かなければならないときでさえ、 残された人が前を向けるようにしてから退く人だ。 今回の辞職表明には、それが見えなかった。 むしろ残されたのは、 「命に関わるほど何か恐ろしいことが起きたらしい」 という巨大な不安と、 「でも詳しいことは分からない」 という空白だった。 これは、リーダーとして最も残してはいけないものではないだろうか。 命を守ることは間違っていない。 逃げることも、必ずしも間違いではない。 辞めることだってある。 しかし、自分を信じてついてきた人たちがいるなら、最後にやるべきことがある。 自分が何を守るために退くのか。 何については一歩も退いていないのか。 そして、自分が去ったあと、仲間はどこへ向かえばいいのか。 それを示すことだ。 だから私は、 「命を優先する」 という言葉こそ、今回もっとも言ってはいけない言葉だったと思う。 命を軽く扱ったからではない。 逆だ。 あまりにも重い言葉を、リーダーとして説明すべきことの代わりに置いてしまったからだ。 命を盾にすれば、誰も反論できない。 しかし、 誰も反論できないことと、誰もが納得することは全く違う。 そして最後に残る問いは、これだ。 リーダーとは、自分が安全な場所まで逃げ切る人ではない。 自分が去ったあとも、仲間が立っていられる場所を残してから去る人ではないか。 今回、多くの人が感じている違和感。 その正体は、辞職への失望だけではない。 「私たちが見ていたのは、本当にリーダーだったのだろうか」 という疑問なのだと思う。

PTA適正化推進委員会 佐藤

80,842 views • 1 month ago

NYの9月11日テロから25年。いつもは個人的なこと書かないけど、今日は私の人生にとって大切な日なので、書きます。#9月11日 実は私はその頃NYに住んだばかりで、あの日をある程度体験したヒトなのです。 World Trade Centerからは少し離れた場所だけど、朝、バイト先に着いてしばらくして、ニュースで、NYだけでなくペンタゴンもやられたと知った。 外に出ると危ないと残る子たちもいたが、私はやはり自宅へ帰ろうと思った。 もうその時点で外に出ると、ダウンタウンのほうにWTCが破壊された原爆のそれのように大きなきのこ雲が見えていた。(添付した写真が私が見たのに近い) 歩道にはダウンタウンのほうから灰を体中にかぶった灰色の人たちが、あの現場から上のほうへ上のほうへと歩いてきていた。ゾンビに見えた。 皆、口をハンカチや手などで覆い、下のほうへ向かっ て歩く人は一人もいなかった。 なんとか地下鉄駅にたどり着いたら「閉鎖している のでバスで行け」というので、バス停へ。来たバスは 満員だけど運よく乗れた。 ところが、バスがミッドタウンのEmpire State Buildingに近づいてくると、バスの中では「今度はここに飛行 機が突っ込む」というデマが湧き、人々が狂ったよ うに他人を押しのけはじめた。 彼らは走っているバスから無理やり降りようとし、 人々が雪崩のように出口のほうに殺到する阿鼻叫喚の 事態に。 私も一瞬「もはやこれまでか」と思ったが、あるひと つのことに救われた。 後部座席のほうの黒人女性たちが、なんとその狂乱の さなかに「神はあなたとともにいる」とゴスペルを歌 いだしたのだ。最初は一人、そしてまた一人・・と次々に歌声が増えた。 その歌はなによりも力強く、凛々しく、私はバスを降りるよりなぜかこの女性たちと一緒にいたい、と思った。 心の表面は不安でいてもたってもたまらないのに、私の魂は、子供の頃にやさしく自分の眠りを包んだタオ ルケットのような彼女たちの歌にくるまれてしずかに 呼吸していた。 守られていた。 そして、人々が次々に降り、彼女たちと私とごく少数の人を載せたバスは、Grand Central Stationに到着。 ここからはもうバスも電車も機能しなくなっていたので、そこから家まで歩き。 40ブロック位、セントラルパークの中も通って自宅の あるアッパーウエストまで歩いたが、 あの、インディアンサマーの、心に突き刺さるほどの雲一つない澄ん だ青空を、私は一生忘れない。人生で最も美しい青空、と思った。 そしてNYでは数日ほど、道を歩く見知らぬ人々と「お 互い生き延びているので、がんばろう」みたいなア イコンタクトが多かった。彼ら彼女らの視線は、 恐怖と愛と連帯に満ちていた。知らない人たちなの に、みんながつながっている感じだった。 World Trade Centerで亡くなった人々の中には日本人も 24名いた。今私が住んでいるビルに住んでいた日本人 の方もお亡くなりになってます。 皆さん、どうか、どうか、一日一日を大切に生きてください。 生きてる間にできる限り愛の言葉や優しい言葉を伝えてください。 もしかしたらその人は突然明日いなくなるかもしれない、 それか、あなた自身がいなくなるかもしれない、ので。 追記:NYで多くの消防士、警察官などの人々が、帰っ てこれない可能性を知りながら崩れ落ちるビルの中に 救命のために入り、命を落としました。 世界は、人間はまだまだ捨てたもんじゃない、です。

Mimi Yamazaki

30,511 views • 1 month ago