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意外に知られていないがアンディ・ウォーホルの悪名高い「ファクトリー」は絵画製作の為のアトリエではなく、映画製作に興味の移ったアンディの撮影スタジオとして作られたのです。そこに訪れた者は有名人でも無名の一般人でもまずカメラの前に立たされるのです、変態的な記録魔アンディの本領発揮。

190,291 views • 1 year ago •via X (Twitter)

5 Comments

ちゅう's profile picture
ちゅう1 year ago

アンディ・ウォーホルの生涯を作品を紹介しながら案内するドキュメンタリー、本人の言葉と多くの関係者や家族のインタビューで構成、その時代ごとの貴重な映像がドキドキする。持ち上げるだけじゃなく関係者の辛辣なコメントも多い、「何もしないで何かを作ろうとした」と云う右腕のポール・モリセイ。

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Your Daily Post2 years ago

The Note Jim Carrey's Girlfriend Wrote Before She Took Her Own Life Is Absolutely Chilling: She blamed him for exposing her to a life of debauchery. Here is the full story 👇

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野々村文宏1 year ago

“スクリーン・テスト”。ファクトリーを訪問した若き日の岸田今日子も映っています。

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ちゅう1 year ago

おぉ、それ凄いですね、知りませんでした、ありがとうございます。

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トモロウ1 year ago

パティ ボイド映ってた

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J DillaとDaft Punk 2000年に発表された Slum Village の「Raise It Up」は、J Dilla が手に入れたレコードのイントロに入っていた強烈な電子音をサンプリングし組み上げた曲です 当時のディラは、その音の主が特別有名なアーティストだとは思っていなかったようですが、実はそれは Daft Punk のトーマ・バンガルテルがソロ名義で発表していた「Extra Dry」でした。 ダフト・パンクの当時のマネージャーであり、Ed Banger Recordsのオーナーでもあるペドロ・ウィンターは知人のDJから「スラム・ヴィレッジの新曲でトーマスの音が使われている」と知らされます。つまり、この曲のサンプリングは制作者に無許可で行われたものでした 通常であれば、使用料の請求や訴訟に発展してもおかしくないケースですが、すでにディラの才能を知っていたウィンターは、争うのではなく「サンプル使用の代わりにリミックスをやってもらおう」とディラ側に提案します。法的措置ではなく、音楽で返してもらうという発想でした。ディラもその申し出を快諾したといいます。 最終的にディラ本人は多忙のため制作に参加できませんでしたが、盟友の Karriem Riggins が作業を引き継ぎ、「Daft Punk – Aerodynamic (Slum Village Remix)」というコラボレーション曲が誕生しました

ネコ型

47,542 views • 7 months ago

いま、アーティストやクリエイターの多くは、「AIによって、もう自分が必要とされなくなる」と恐れている。けれど、全く逆の発想をする人々もいる。AIが壊しているのは、創作のために巨大な資本を集めなければならないという旧来の構造であり、むしろ自分たちに力を与えているのだと。 トム・ビリュー「この力がどれほど大きいかを最も簡単に表すなら、今、アーティストたちは「もうスタジオは自分たちを必要としなくなる」と恐れています。でも、それはまったく逆です。本当は、アーティストのほうがスタジオを必要としなくなるのです。 これまでスタジオが必要だったのは、非常に高価な制作を実現するために、大量の資本を集める必要があったからです。 ところが今起きているのは、その非常に高価だったものが、ばかばかしいほど安くなっているということです。そうなると違いを生むのは、資本を集められる人ではありません。センスを持ち、AIを使って、もはや資本を集約する存在を必要としない人です。 これは本当に興味深い瞬間です。AIを恐れずに使う人たちは、自分たちこそが運転席にいるのだと気づき始めます。彼らは、資本を集めるだけの人には作れなかったものを作れるようになります。そして、これまで自分では握れなかったものを、自らコントロールする機会を得るのです。 だから人々には気づいてほしいのです。「待てよ、これは自分から力を奪っているんじゃない。むしろ、自分に力を与えているんだ」と。これまで自分には資本を集める方法がなかったから、他人にコントロールされていたのです」

Tsubame

209,117 views • 18 days ago

『映画ちいかわ 人魚の島のひみつ』は、原作を超えたのか。 結論から言う。 超えた部分もある。だが、原作にしかない怖さも失われた。 長文です。動画も作りました。 映画化としては、かなり成功している。 しかし、すべてが原作以上になったわけではない。 まず、映画が原作を超えたと感じた点を三つ挙げる。 一つ目は、音である。 漫画では、セイレーンの歌声も、波の音も、攻撃の衝撃も、読者が頭の中で想像する。 だが映画では、それらが具体的な音として押し寄せてくる。 特に、かわいらしい画面と、重く響く音の落差がすごい。 人魚をめぐる真相も、漫画ではコマと擬音によって距離を保てたが、 映画では音が付くことで、行為の暴力性が一気に現実へ近づく。 二つ目は、時間である。 漫画は自分の速度で読める。 怖い場面で止まることも、前のページへ戻ることもできる。 一方、映画は観客を決められた速度で物語の先へ運ぶ。 島へ着いた直後の楽しさ。 島民たちとの交流。 セイレーンの出現。 そして真相。 楽しい時間が少しずつ壊れていく流れを、観客は止められない。 この逃げられなさは、映画だからこそ成立した恐怖である。 三つ目は、登場人物の感情である。 ちいかわが怯える呼吸。 ハチワレが状況を理解しようとする声。 ラッコが危険を前にして見せる緊張。 うさぎの予測不能な動き。 漫画では小さな表情の変化として描かれていたものが、 声と動きによって立体的になっている。 特にヒトハとフタバは、真相を知ってから見返すと、 沈黙や視線の一つ一つが別の意味に見える。 これは映像化の大きな成功である。 では、原作の方が優れている部分は何か。 一番は、余白である。 漫画では、残酷な行為そのものをすべて説明しない。 コマとコマの間に、読者が想像する空間がある。 何が起きたのか。 どんな気持ちだったのか。 この先、二人はどうなるのか。 答えを与えすぎないからこそ、読後に不安が残る。 映画は音と動きで情報が増えた分、原作の曖昧さが少し減っている。 もう一つの弱点は、映画として観ると、 中盤の反復が長く感じられる可能性があることだ。 島での楽しい時間と、セイレーンによる被害を丁寧に積み上げる構成は、 原作ファンにはうれしい。 しかし、初めて触れる観客には、 物語の本当の焦点が見えるまで時間がかかるかもしれない。 そして最大の問題は、映像が豪華になることで、 残酷な物語まで娯楽として気持ちよく消費できてしまうことである。 アクションの迫力。 歌の魅力。 かわいい登場人物。 それらが強いほど、本作が描く罪や責任が薄く見える危険もある。 それでも私は、この映画化を高く評価する。 理由は、原作を分かりやすい子ども向け作品に変更せず、 ナガノ作品の不穏さを残したからである。 原作を超えたかどうかを、勝ち負けで決める必要はない。 漫画は、余白で怖がらせる。 映画は、音と時間で逃げ場を奪う。 同じ物語を、異なる方法で怖くした。 映画を観た人は、ぜひ原作も読んでほしい。 映画で具体化されたものと、漫画で最後まで曖昧なまま残されたもの。 その違いを比べたとき、 『人魚の島のひみつ』という物語の異常な完成度が、さらに見えてくるはずである。 あなたは、映画と原作、どちらが怖かったですか。 コメントで教えてください。

榊󠄀原清一 / 人財版 令和の虎 主宰

44,708 views • 1 month ago