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【戦後80年】激戦地・硫黄島 今も続く“強制疎開” | ▼“硫黄島”とはどんな場所だった? 硫黄の採掘を目的として1889年に開拓者が入り、その後、1000人を超える人が住むようになりました 元硫黄島民 渡部敦子さん(95) 「本当に硫黄島というのは、将来は日本のハワイになるぐらいにいいところだったんですよね」 「一年中あたたかくて、果物は何でもあって、魚は買わなくても、釣りに行ってはマグロやサワラや底物が届く」 「みんなそれぞれに、豊かに暮らしていたところです」 島ではスポーツが盛んで、特に人気だった野球は、いくつものチームが作られていたといいます ▼1944年6月、硫黄島に対する空襲開始 米軍は当時、硫黄島を占領して中継基地として、攻撃能力を飛躍的に高める作戦に 元硫黄島民 渡部敦子さん(95) 「自然の穴にみんな隠れて。ごはんを食べるどころじゃなかった。毎日空襲で」 ▼日本軍は地上戦に備え、島民に“強制疎開”を命じる 元硫黄島民 渡部敦子さん(95) 「履物も無くて裸足で逃げて歩いて、その悔しさったらなかったです。涙も止まらなかったです」 島民に“強制疎開”を命じる一方で、16歳以上の健康な男性は軍属として島に残り、日本軍を支援する命令 →島に残ったのは103人でした 8歳で強制疎開した齋藤信治さん(89) 父親と叔父らが島に残され、米軍の攻撃にさらされました 元硫黄島民 齋藤信治さん(89) 「親父と一緒にいたおじさんといとこが、親父と3人で壕で朝飯を食べていた時に、眉間に(爆弾の)破片が2人に入って即死」 「親父は伏せて右手に破片が入って、軍の飛行機で内地に送られた」 ▼硫黄島の戦いが終結したのは“強制疎開”から8カ月後 軍属として残された島民103人のうち、生き残ったのはわずか10人ほどと言われています 島はその後、米軍の重要な基地となりました 戦後80年となった今でも、硫黄島の空には米軍の戦闘機が飛び交います 島が日本に返還された後も、自衛隊の基地を使い、定期的に訓練が行われています ▼強制疎開の島民はその後も島に戻れず…その理由は? 日本政府は『火山活動によって島が隆起し、住むには適さない』という理由で帰島を認めていません 元硫黄島民 齋藤信治さん(89) 「今だって住めるんですよ、いくらでも」 「噴火があったって、いくらでもあいてるんですよ」 「もう何もいらないですよ。硫黄島で生活するには。自給自足はいくらでも出来ますね」 「だから絶対に俺は帰るという気持ちがずっとあって」 元硫黄島民 渡部敦子さん(95) 「今もう95歳ですから、1人2人、みんな欠けちゃっていなくなっちゃった」 「若い人はあんなところに帰って何するのと言うけれど、私らにすればあたたかいところだから」 「いまだに硫黄島へ帰る考えをしています」
108,798 görüntüleme • 1 yıl önce •via X (Twitter)
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