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戦線後方記録映画 「南京」 支那事変、南京陥落直後の南京城内外の様子を撮影した日本の記録映画です。戦時中のプロパガンダ映画だと一面的に論断するのは簡単なことですが、作為的な演出改変が事実上不可能(鑑札欲しさに群がる数千人の南京市民など)な映像を確認するのも意義のあることだと思うのです。日本人として見ておくべき作品だと自分は考えています。本来の全編は71分あるといわれていますが、本編は10分程度の原版紛失による欠落部分がある版ですのでご承知おきください。 ※東宝文化映画部製作 昭和13年2月20日公開作品

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11 Comments

六衛府's profile picture
六衛府2 years ago

戦線後方記録映画 「南京」は南京陥落の翌日、昭和12年12月14日にクランクインし、翌 昭和13年1月4日まで撮影が続けられました。映画中に登場する「安居証」の鑑札を発給してもらえば日本軍の保護が受けられるという急告を見た市民が殺到しています。市民に対する虐殺など、噂だけでもがあったら鑑札どころか、避難先から日本軍が占領する南京に戻ることもあり得なかったでしょう。ナレーターは当代一の活動弁士、徳川夢声でした。 ※昭和12年12月18日付け 東京日日新聞

Omegaman's profile picture
Omegaman2 years ago

六衛府さん、お疲れ様です。 貴重な歴史の記録をありがとうございます。 映画のイントロのところで使われているイラストですが、このビラの絵とよく似てます。 同じ作者かもしれません。

六衛府's profile picture
六衛府2 years ago

あっそうかも知れないですね。

ねこのひとこと's profile picture
ねこのひとこと2 years ago

記録が残ってるのに、(作られた?)記憶/証言にのみ頼って話をする人達が多いのは、何故なんだろうと思いますね🤔

六衛府's profile picture
六衛府2 years ago

戦後レジームによって教育から歴史事実の抜き取り改変も行われるようになりました。教科書検定に馬鹿げた自虐ルール―を盛り込んだのは宏池会の宮澤喜一首相でした。

JL.PARK's profile picture
JL.PARK2 years ago

조선에서도 비슷한 영화(활동사진)가 남경함락직후 극장에서 상영되었다는 뉴스입니다..비행기로 가져왔다고 합니다

六衛府's profile picture
六衛府2 years ago

연구에 도움이 될 것 같습니다. 감사합니다.

まふちゃん(本アカ)トランプさん応援‼️'s profile picture
まふちゃん(本アカ)トランプさん応援‼️2 years ago

@khausotuki 貴重な映像有難う御座いました。想像以上に激戦地であった事は伺えますが仰る様に日本軍監修物なれど、慎重に観るに大虐殺の証拠は伺えません。南京事件に関しては東京裁判で免責と引き換えに告発した田中隆吉少将の役割大でどんな史実書を見ても最大4万です。歴史を正す事と修正は異なると思います。

六衛府's profile picture
六衛府2 years ago

@khausotuki 脚色ができない部分をつぶさに探しながら見るのも一興ですね。映画クルーによって動員されたとか、演技指示されたなどという証言は当然ありませんでした。

【隼】🇯🇵JAPAN🇯🇵's profile picture
【隼】🇯🇵JAPAN🇯🇵2 years ago

当時の司令官は、松井石根大将です。この方は陸軍大学校を首席で卒業した超エリートで、本来ならヨーロッパ駐在武官になるはずを自分の意思で好きな中国に赴任してます。街中で拾った女性用の靴を持ち歩いていた兵隊が、松井大将に見咎められ厳罰に処されました。松井大将の軍紀の厳しさは有名でした。

六衛府's profile picture
六衛府2 years ago

松井大将は孫文の大アジア主義に共鳴していた人物(興亜論者)でしたよね。済南事件までは蒋介石を推していた人でもありました。戦犯処刑されるという皮肉な結果となりました。

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相米慎二「『ションベン・ライダー』('82⇩)というバカな映画が残したことは、一つには、50年代以降映画がお客さんから最も遠いメディアとして世の中の片側に追いやられる中で忘れてきたこと、映画本来の暗闇と対面することの中から受け取る方法の一番大きなものとしてあったキャメラというものに対する、自分なりの新しい模索をそこから始めなければならかった、ということ」 「『セーラー服と機関銃』(81)という成功の形と全然縁もゆかりもない、むしろ成功を自分が捨てる事で、役者の魅力とかホンの魅力とか当然映画を面白くみせるための要素はたくさんあるわけですけども、映画本来の持っている最も身近にあるキャメラというものをもういっぺんつかみなおしてみたいというのが、あの映画をやる気になった一番の理由なんです。それは例えば、映画が人の周りから遠くなった理由を世の中の人は色々語ります。テレビがあり、あるいは娯楽の多様性とかもう様々な分野から、映画の客が減少していったことを語ることはできるはずですけれども、作り手としての、僕達がお客さんを映画から最も離した要素の一番大きいものは、それは多分キャメラだという風に僕は思ったんです。それはテレビというメディアで育った世代が、一つには映画を観る努カ――映画を観るには多分テレビを観るような安直さでは多分映画を観ることは出来ないということに、ある一本でも二本でも映画を観た人なら気付く筈なんです。その映画を本当に面白く観るためには、ある映画の本数と、映画が持っているリズムと、映画が発散する空気をつかむ方法を自分がつかまなければ、映画というものはただ流れてゆくだけのもので、本当につまらないものだと思うんです」 -『甦る相米慎二』木村建哉・中村秀之・藤井仁子編著、インスクリプト、2011、370-371p

nave

26,439 views • 15 days ago

『映画ちいかわ 人魚の島のひみつ』は、原作を超えたのか。 結論から言う。 超えた部分もある。だが、原作にしかない怖さも失われた。 長文です。動画も作りました。 映画化としては、かなり成功している。 しかし、すべてが原作以上になったわけではない。 まず、映画が原作を超えたと感じた点を三つ挙げる。 一つ目は、音である。 漫画では、セイレーンの歌声も、波の音も、攻撃の衝撃も、読者が頭の中で想像する。 だが映画では、それらが具体的な音として押し寄せてくる。 特に、かわいらしい画面と、重く響く音の落差がすごい。 人魚をめぐる真相も、漫画ではコマと擬音によって距離を保てたが、 映画では音が付くことで、行為の暴力性が一気に現実へ近づく。 二つ目は、時間である。 漫画は自分の速度で読める。 怖い場面で止まることも、前のページへ戻ることもできる。 一方、映画は観客を決められた速度で物語の先へ運ぶ。 島へ着いた直後の楽しさ。 島民たちとの交流。 セイレーンの出現。 そして真相。 楽しい時間が少しずつ壊れていく流れを、観客は止められない。 この逃げられなさは、映画だからこそ成立した恐怖である。 三つ目は、登場人物の感情である。 ちいかわが怯える呼吸。 ハチワレが状況を理解しようとする声。 ラッコが危険を前にして見せる緊張。 うさぎの予測不能な動き。 漫画では小さな表情の変化として描かれていたものが、 声と動きによって立体的になっている。 特にヒトハとフタバは、真相を知ってから見返すと、 沈黙や視線の一つ一つが別の意味に見える。 これは映像化の大きな成功である。 では、原作の方が優れている部分は何か。 一番は、余白である。 漫画では、残酷な行為そのものをすべて説明しない。 コマとコマの間に、読者が想像する空間がある。 何が起きたのか。 どんな気持ちだったのか。 この先、二人はどうなるのか。 答えを与えすぎないからこそ、読後に不安が残る。 映画は音と動きで情報が増えた分、原作の曖昧さが少し減っている。 もう一つの弱点は、映画として観ると、 中盤の反復が長く感じられる可能性があることだ。 島での楽しい時間と、セイレーンによる被害を丁寧に積み上げる構成は、 原作ファンにはうれしい。 しかし、初めて触れる観客には、 物語の本当の焦点が見えるまで時間がかかるかもしれない。 そして最大の問題は、映像が豪華になることで、 残酷な物語まで娯楽として気持ちよく消費できてしまうことである。 アクションの迫力。 歌の魅力。 かわいい登場人物。 それらが強いほど、本作が描く罪や責任が薄く見える危険もある。 それでも私は、この映画化を高く評価する。 理由は、原作を分かりやすい子ども向け作品に変更せず、 ナガノ作品の不穏さを残したからである。 原作を超えたかどうかを、勝ち負けで決める必要はない。 漫画は、余白で怖がらせる。 映画は、音と時間で逃げ場を奪う。 同じ物語を、異なる方法で怖くした。 映画を観た人は、ぜひ原作も読んでほしい。 映画で具体化されたものと、漫画で最後まで曖昧なまま残されたもの。 その違いを比べたとき、 『人魚の島のひみつ』という物語の異常な完成度が、さらに見えてくるはずである。 あなたは、映画と原作、どちらが怖かったですか。 コメントで教えてください。

榊󠄀原清一 / 人財版 令和の虎 主宰

44,708 views • 1 month ago

僕らは、AIによって代替されにくい価値の源泉を「アンカー」と呼んでいます。 代表的なものを挙げると、 ・思い出 ・時間 ・土地 ・プロセス ・癒着(人格) などがあります。 AIは優れたアウトプットを瞬時に生成できますが、たとえば「誰と、どこで、どのような時間を過ごしたか」という文脈までは生成することができません。 人間が本当に価値を感じるのは、しばしば作品そのものではなく、その作品に結び付いた記憶や体験、関係性です。 これからの時代は「どのようなアンカーを絡めるか?」が重要になります。 アンカーを持たないコンテンツは、AIによる大量生産の波の中で埋没していく可能性が高いでしょう。 一方で、クリエイターの中にはAIを脊髄反射的に否定する人も少なくありません。 しかし、自身の創作活動にAIを導入するかどうかは別として、その判断は少なくとも一度触れた上で下すべきだと思います。 なぜなら、触れないまま拒絶してしまうと、自分の仕事のどの部分がAIと競合し、「どの部分が人間にしか担えない領域なのか?」を正しく把握できないからです。 その結果、自らの強みを見誤り、気づいた時には市場から居場所を失っている可能性があります。 この1〜2年で、僕らはひとつの現実を目の当たりにしました。 それは、多くの人が人間最後の聖域だと信じていた「創造」という領域が、実はAIの得意領域だった、という事実です。 すべてのクリエイティブは、AIが最も得意とする「編集作業」でした。 「この時代にクリエイターはどう生きるのか?」 その問いを投げかけるために、CHIMNEYTOWNは自分たちの代表作である『えんとつ町のプペル』の実写映像を、あえてAIを活用して制作しました。 添付した映像は、6月28日(日)に東京国際フォーラムで開催される『映画 えんとつ町のプペル 〜約束の時計台〜 モフモフ!大応援上映会』のエンディングで上映する「ティザー映像(3分間のダイジェスト版)」の予告編です。 これは単なるプロモーション映像ではありません。 「AI時代において、クリエイターが何を武器にし、どこに体重を乗せていくのか?」 という問題提起です。 自分たちの作品を、あえてAIを用いて制作してみたことで、見えてきたものがあります。 ひとつは、AIの進化によって急速に価値を失っていく仕事の存在です。 これまで専門性として成立していた領域の中にも、AIが圧倒的な速度とコストで代替してしまうものが確認できました。 しかし、その一方で、どれだけ技術が進化しても、人間にしか担えない仕事が存在することも見えてきました。 その話は長くなるので、また今度させていただくとして、今この時点で、一つだけ断言できることがあります。 人間の創造が終わることはありません。 西野亮廣(キングコング) 6月28日(日)は是非、東京国際フォーラムにいらしてください。 少し先の未来をお見せします。 (※チケットは「チムチケ」から)

西野亮廣(キングコング)

1,204,447 views • 3 months ago

【拡散希望】 実はこの作品を配給するか、正直悩みました。 明日から公開されるロシアのクィア・アーティストを追ったドキュメンタリー『クイーンダム/誕生』。 LGBTQ+が「存在してはいけないもの」とされ、 公に生きること自体が犯罪になりうるロシア。 この映画に映っているのは、その中で沈黙を強いられてきたジェナの人生です。 私たちはウクライナの映画を公開するために立ち上げた会社です。 ジェナの生き方は勇敢で、映画はもちろん素晴らしいのですが、ロシアによる侵攻が続く中で、 「ロシアの映画を公開すること」は誰かの痛みを踏みにじる行為にならないか。とても悩みました。 そんな時、主人公ジェナが、 「侵攻が始まった時、私は反対だった。同じ考えの人もたくさんいる。それでも“ロシア”という一つの意思として受け取られてしまう。そのことに、私は深く傷ついた。だけど、それでも自分というアートで世の中に表現していく」 と言った言葉に、抑圧されている国でも戦いながら生きるジェナの存在は、声をあげずらい人、自分らしく生きることができない人にとってこの映画が救いとなるんじゃないかなと思い、考え続けた末この映画を届けることを選びました。 これはロシアを語る映画ではありません。 抑圧の中でも、尊厳を失わずに生きようとするひとりの人間の記録です。 劇場のスクリーンで集中してみるからこそ良さが伝わる映画だと思っています。 『クイーンダム/誕生』今週より劇場公開です。 明日、明後日はジェナとプロデューサーのイゴールが登壇する舞台挨拶も予定してますのでぜひ!

Elles Films | 映画『バグダッド・メッシ 片足のサッカー少年』絶賛公開中!

283,781 views • 7 months ago

相米慎二「本来長回しという技法、あるいは長回しという風に語られている技法というのは映画史の中では、決して、僕は、どう言ったらいいんでしょう、正しい技術論だとは思ってない訳です。それは、ただある時期映画を根本的にとらえなおすための方法として自分がやらなければならないと思ってやった訳です。本来キャメラが過剰に映画の中に入り込んでくるというのは、無意味なことで、そこに表現されているのは俳優さんと、もう一個、映画の空気な訳で、それをうつすためにはキャメラというものは一番目立たないのであればいいという風に本来あるはずなんです。だけど80年代は、そのことで映画を埋もれさせてしまうことが一番マイナスだと思って、過激というか、ちょっと誇張した方法論を自分で選んでしまったのです。 『東京上空いらっしゃいませ』('90⇩)というのは、むしろ技術的にそのことに対する反省があるので、自分がつくる時の内的な欲求としては、割と今現在は途上だと思うけども、もう一個僕が映画の技術的な方法論を獲得するためには、通らなければならないところだという風に思うんです」 ー『甦る相米慎二』(2011インスクリプト) 「自作にみる現代映画論」相米慎二 P384より

nave

142,094 views • 8 months ago