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Ana Sayfaya Dön

9日午後5時半からの #報道特集 後半の特集は… 【戦後80年 長崎原爆の日】 なぜ長崎・浦上の地に原爆は落とされたのか 長く信者が抱えた苦悩 そして、ある詩人が問い続けた戦争責任とは 予告動画をアップしましたので、 ぜひご覧ください。 #TBS #JNN

59,208 görüntüleme • 11 ay önce •via X (Twitter)

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九十九里浜です!80年前、米軍の上陸地点と予想され迎撃体制を整えたかつての場所はいま、平和な海水浴場になった。 実は、本土決戦は「ソ連を信頼して計画」された。馬鹿な話じゃろ!対ソ戦の人員兵器を日本に持ってきたんだから。終戦はソ連参戦で起き原爆投下は無関係だという真実を話したい! アメリカ軍は、沖縄を占領したあと、1945年秋に鹿児島県に上陸し、1946年春に千葉県に上陸する作戦を立てていた。 日本もこれを予想し、根こそぎ動員といい、迎撃体制を整えていた。 じゃあ、あの戦争末期にどこから軍隊や兵器を持ってくるのか? 関東軍、つまり対ソ戦のための兵力を日本本土に移動させていた。 日本はアメリカと戦争をしていたが、 全力でやったわけではなく、中国、ソ連、アメリカイギリスと三分割して戦っていたわけだ。 さて、1945年春から数ヶ月かけて、対ソ戦の兵力が移動していることはソ連に筒抜けだった。 にもかかわらず、日本の軍部はソ連を信頼していたんだな。 「中立条約を締結しているから裏切らない」と。 馬鹿丸出し。 どんなに勉強ができても、発達障害だとすぐ他人を信用するからな。 条約に書いてあるから約束が守られる、と本気で信じて、防衛力をせっせと無くしたわけだな。 馬鹿丸出し! まあ歴史的に武家公家は発達障害が生まれてなんかやらかすと、 どんな些細なことでも、すぐに白装束を着せたから遺伝的に発達はいないんだが、 農村だと発達だろうとなんだろうと労働力になるからな。 そんな農村から勉強ができるというだけで軍の幹部に昇進できる民主的システムだったのが大日本帝国陸海軍だ。 全員無邪気にソ連を信じて誰も疑わなかった背景がここにあると思う。 (石破・岸田にも通じる話だな) こうして、1945年8月8日23時に駐ソ大使の佐藤尚武が、 ソ連側から宣戦布告を受け取り、8月9日午前0時前後から総攻撃が始まった。 すると翌朝10時にはもう終戦の会議をしろ、ということになる。 長崎原爆の1時間前だった。 ところが8月6日朝に広島原爆が投下されても、 終戦という動きは全く出てこない。 あの爆弾が一体なにか、写真フィルムが感光したことから核兵器を疑い、 京大からガイガーカウンターを持ってきて調べ、 軍部は国民に向けて、核攻撃されたときの防備方法などの伝達に勤しんだ。 当然だよな。 当時の原爆は戦術核であり戦争に影響をあまり与えない理由は明白だった。 ①山岳部に原爆を落としても効果はあまりない。あくまで平野の都市だけに有効 ②高度を落として投下するため迎撃可能。実際に小倉への攻撃は防空戦隊で迎撃し、高射砲部隊がボックスカー(原爆投下機)の四つあるうちのエンジンの一つを破壊。 ③そもそも連発できない。 これらの理由から広島原爆は戦争終結に影響しなかったが、ソ連参戦は話が違う。 本土決戦の計画そのものが瓦解したわけだ。 こうして終戦になる。 そもそも2発の原爆は約30万人を殺したが、ソ連参戦は約40万人の日本人を殺している(未帰還人数) にもかかわらず、なぜ原爆が戦争を終わらせたというデマが流れたのか? それは「共産主義に手柄をたてさせない」という占領政策だった。 ソ連のおかげで日本を倒せたならば、北海道が戦後処理でソ連領になっていたかもしれん。 やむを得ず原爆を過大評価せざるを得なかった。 だがな! 1番頭に来るのは長崎原爆よ。 すでにポツダム宣言を受諾する意思を持った日本に対してなぜ落としたか。 広島はガンバレル式ウラニウム原爆といい、ナチスドイツが研究していた種類と同型のもの。 長崎はインプルージョン式プルトニウム原爆といい、アメリカが核実験に成功していたもの。 ちゃんと使い分けて威力を人体実験したわけだ。 日本はな、韓国とは違い、条約で解決したものについてグダグダ言わない。 だがな!南京だの慰安婦だのいまだ言うなら、こちらも言わざるを得なくなることを忘れるな! 戦争は80年前に終わった? いいや!まだ終わってないからこんなことになって石破茂が80年談話を出すとかいいう話しになっている。 物理的な交戦だけが終わったに過ぎず、精神の戦いはこれからだ! 私の書いた『新大東亜戦争肯定論』(¥1870)は真実を提供します!

橋本琴絵

186,343 görüntüleme • 11 ay önce

私は28才から36才まで6人の子を産み、改めて「あの戦争」を考えると、息子と娘の命を何のために母親たちは捧げたのかを思いました。戦死者230万8千人(うち女性5万7千人)の命で私たちは何を得たのでしょうか。それは「人種差別の廃止」です。あの時代、有色人種は人間として扱われなかったのです! 石破茂総理は、来月に戦後80年談話を発表すると言っています。 しかし、その内容は戦後に塗り替えられた偽の歴史でしょう。 なぜ日本が中国で戦争をしなければらならかったのか。 それはナチスが中国軍を指揮していたからです! 誰も知らないでしょう? 当時の中国軍が、右手を高く突き出し、「ジークハイル!」と叫ぶのが公式の挨拶だったことを。 実際にナチスドイツから派遣された軍人が、南京で日本軍と戦っていたことを! だから日本はナチスドイツと条約を締結してナチスを中国から追い出したことを! なぜ、日本が東南アジアで戦争をしなければならなかったのか。 それは東南アジアの多くの人々が家畜として扱われ、人権を否定されていたからです! 誰も知らないでしょう? 当時のイギリスやオランダが、レクリエーションでアジア人を殺害しても殺人罪が適用されなかったことを! 実際に国連で人種差別廃止が話し合われたのに、アメリカとイギリスが反対して人種差別が合法化されたことを! 20年以上、話し合いで解決を試みようと日本人は頑張ったが不可能だった。 ならば、武力をもって正義をつらぬくしかあるまい。 あの戦争の目的は人種差別の廃止であり、 日本の母親たちは、 そのために息子と娘を捧げたのです。 息子たちは、空に散り、海に浸かり、山に草むし、沼に沈み、川に流され、野に斃れた。 娘たちは、看護のため、汗だくとなり、血まみれとなり、傷ついた人々を救うため、必死になり、 ついに敵の攻撃でその命を美しく散らせたのです。 正義があったのです。 その正義のため、日本は戦ったのです! にもかかわらず、その正義を隠すため、 新たな汚辱にまみれた談話がまた出されようとしています。 私は日本人として、6児の母親として、それが許せないのです。 あの戦争を正しく理解していなければ、 日本はまた戦争に巻き込まれ、悲惨な未来が待っています。 なぜならば、「日本人は侵略者だった」という歴史認識は、 これから未来に、私たち日本人を虐殺する大義名分のために作られているからです。 ニュースで見たでしょう! ただ日本人というだけで内臓をナイフで引きずりだされて殺された小学生を! それを賞賛する数億の人々を! 「過去に侵略した奴らは女性も子どもも殺していいんだ」 これが「歴史の塗り替え」の目的です。 そうならないために! 今年3月に出産後、育児をしながら寝ずに上梓しました。 読んで下さい! 未来のために! 歴史認識は、国防です! 橋本琴絵著 『新大東亜戦争肯定論』(¥1870)

橋本琴絵

2,144,231 görüntüleme • 1 yıl önce