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日本でリメイクされるので韓国ドラマ『ウ・ヨンウ』が話題だが、せめて1話だけでも観てから言及すべきだし、ましてや『みいちゃん』と同類扱いするのは論外だって😡 連続ドラマを見る時間がないと言う人には、『ウ・ヨンウ』のムン・ジウォン脚本家の前作で『ウ・ヨンウ』の原型… …とも言える映画『証人』をお勧めする。推理劇を通じて、弁護士に「なれなかった」高機能自閉症の主人公の生きづらさと、彼女に寄り添う周囲の関係性を丁寧に描いている。 それにしても『이상한 변호사 우영우』…『おかしな/変な/変わった 弁護士ウ・ヨンウ』を『ウ・ヨンウ弁護士は天才肌』とか、『증인』…『証人』を『無垢なる証人』と作品名を改変する日本側の問題は大きい。韓国の制作側が敏感な問題を扱う覚悟を持って作品名をつけた意図を、全てぶち壊してしまっている。

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NoBorder #17 を公開しました。 タイトルは「国が日本人を見捨てた?移民ばかり優遇する本当の理由」です。 「日本人ファースト」という言葉が、今年の参院選で一大旋風を巻き起こしました。一方で、それは差別的だと批判する意見もあります。 今回は「在日特権」や「外国人優遇政策の実態」、そして「外国人なしに日本の経済は成り立たないのか」といった論点を多角的に議論しました。 尚、先週の配信を受けて、桜井弁護士をはじめ在日外国人の擁護派に回った方々を出さないでほしいといった要望や、個人攻撃とも取れる誹謗中傷を数多く目にします。 前提として、この番組は1つのテーマに対して、異なる立場の論客の意見を聞いて真実の輪郭に迫ることを目指しています。 よって、他のメディアがしてきたように社会やSNS上で歓迎される意見だけを取り扱い、欠席裁判的な番組作りをするつもりは全くありません。 だからこそ今回も、外国人問題に対し、異なる見解の方を呼んでおり、外国人を擁護する立場の方々も、批判が飛んでくることを覚悟の上、建設的な議論をするためにリスクをとって出演いただいています。(だって今は、外国人を擁護する発言を少しでもすることがSNSではタブーになってるからね。。。) そこにはご視聴くださっている皆さんも敬意を持っていただき、個人攻撃は避けていただけると嬉しいです。 もし、見てくださっている方に議論関係なく、ただ特定の人を叩きたい人がいるなら、もう番組は見なくて良いです。 この番組はフェアに対立する双方の意見を聞いた上でその是非を考えられる視聴者と歩んでいきたいと考えています。

溝口勇児 | 連続起業家

590,650 次观看 • 10 个月前

これ、絵だけ見るとすごく分かりやすいのよね。左の人は「正論を並べてるつもり」、右の人は「もうしんどくて動けない人」。で、左の人はこう思ってるの。「オレ、間違ったこと言ってないよね?」って。でもね、その瞬間もう議論じゃなくて追い込みになってるのよ。 DVだって同じ。 「お前のために言ってる」 「普通はこうだろ」 って、全部、言葉は正しい風なの。でも、相手が涙目になってるのを見てもやめない時点で、それは助言じゃなくて支配に変わってる。 ポイントはね、「言ってる側が正論だと思ってるものが、相手からは殴られてるように見えてる」ってところなの。ここがまさにDVと同じ構造😱 DV加害者ってさ、「お前のために言ってる🤗」「間違ったことは言ってない🤓」「普通はこうするだろ😩」って、だいたい正論っぽいことを言うの。 家事の仕方、金の使い方、友だち付き合い、ぜんぶ「もっとこうしたほうがいいだろ😠🧐」がセットになってる。 でも殴られてる側からすると、もう内容なんて入ってこないのよ。 「また怒鳴られた」「またダメ出しされた」 っていう恐怖と無力感だけが積み上がっていく。 正論攻撃も同じで、職場でもSNSでも、本人は 「事実を指摘してるだけ」 「社会常識として言ってるだけ」 って顔してるんだけど、受けてる側は心の中でしゃがみ込んでるのよ。内容じゃなくて、立場で殴られてるの。 上司部下だったり、知識量の差だったり、フォロワー数だったり。 力関係が傾いてるところで正しさを振りかざした瞬間、それは議論じゃなくて支配に変わるのよね。 しかもややこしいのは、加害してる本人がほんとに自分はいいことをしていると信じ込んでるところだよ。 DVだって「オレがちゃんと教えてやらなきゃ、この人はダメになる」って本気で思ってたりするのよ😳 正論DVも同じで、「甘やかしたらこの人のためにならない」とか「ここでビシッと言うのが優しさ」って、自分で自分に酔ってる😱😱😱 だからどれだけ相手が傷ついても、「でも言ってあげなきゃ」とアクセルを踏み続けちゃうの。 結局、正論って刃物。 リュウジみたいな、作り手の気持ち考えてレシピ考案する料理人が使えばおいしいご飯ができるけど、よくわからないイライラした人が振り回したらただの凶器になる。 問題は刃が立ってるという自覚を持ってるかどうかだよ。DVも正論攻撃も、「自分が今、刃物を握ってる」って感覚がものすごく薄いんじゃないかしら? じゃあ、受ける側はどうしたらいいかというと、内容で反論する前に構造を止めたほうが早いのよ。 「それ、何のために言ってるんですか?」 「私をどうしたくて言ってるんですか?」 って聞いてみる。 これって、殴られてる拳に「ねえ、それ本当に必要?」ってラベルを貼る行為なの。 目的を問われた瞬間、「上に立ちたいだけ」「ストレス発散したいだけ」っていう本音がチラつくから、相手のテンションが一段落ちる。 もちろんね、「何も言うな」「注意は全部ハラスメント」って話じゃないよ? 子どもに危ないことを注意したり、職場でミスを指摘したり、それは必要なコミュニケーション。 ただそこで大事なのは、「正しいことを言う」より先に、「この言い方はこの人の心にどう届くか」を一回想像できるかどうかじゃないかしら? 相手の体力ゲージが赤になってる時に、さらに説教コンボを重ねたら倒れるに決まってるじゃない? ゲームだったら分かるのに、対人関係になると急に分からなくなるのよ、人間ってね。 だから、正論を武器みたいに振り回してる人を見たら、 「ああ、この人、自分の力の使い方がまだ下手なんだな」 と思っておけばいいんじゃないかしら? 距離をとるのも立派な自己防衛よ。 正しさで人を従わせる時代はもう古い。 これから必要なのは、「正しさ」と「優しさ」を両方持てる人間関係。 DVと同じ構造を見抜いて、一歩そこから抜け出す側に回れるかどうかで、生き心地ってだいぶ変わるわよ、本当にね💡

クレア

616,291 次观看 • 9 个月前

実は今日ライブ配信をつけたのには、どうしても話さなければいけない理由がありました。 このまま何も言わずに済ませることは出来ないと思って。昔の僕たちの姿を愛してくださることはわかっていますし、気持ちも理解しています。 でも、今のENHYPENの姿を受け入れられなかったり否定したりする方もまだかなり多いようです。これまで僕たちがはっきり話してこなかったから説明してない、メンバーの人数について色々話される事も多かったです。 今のENHYPENは6人です、皆さん。ENHYPENは6人です。 コンサートでそういう事を言ったり、応援方法の事も含め、これまで明確にしてこなかったのでその気持ちは理解できます。でもその事でエンジン同士が争う姿を見るのは本当にいい気持ちはしません。正直に言うと公演にもかなり支障がでています。 今日こうしてはっきりお話ししたので、本当にこれからもENHYPENを好きで、僕たちを応援してくださる方なら、どう行動すべきかは皆さん自身が分かると思います。これは僕がはっきり言います。曖昧な言い方をすると伝わらないかもしれないので。 「ENHYPEN は7人だ」といった話をする事は結局エンジン同士を争わせる事になると思います。ファン同士が争うことなんて誰も望んでいませんよね。会社も望んでないしエンジンももちろん望んでない。 そして何より、僕たち6人が望んでません。だから今後そういう争いを煽るような事をするひとは、僕はファンではないと考えます。 メンバーを代表して、僕が話しに来ました。他の5人のメンバーもみんな同じ考えです。 これからそういうことはやめてほしいです。本気でお願いしています。公演中も本当に気になってしまいます。お金を払って長い時間をかけて来てくださる方々がいるし高価な公演です。そういう方々にも迷惑がかかっています。 だからそういう事はもうやめていただきたいです。 ジョンウォン、やっぱりジョンウォンがリーダーでよかった。これからもついて行くㅠㅠㅠありがとう

yo~i

447,862 次观看 • 1 个月前

このアニメ化は、現時点では肯定できません。 『みいちゃんと山田さん』が、2027年にアニメ化されます。 ただし、「題材が重いからアニメにするな」と言いたいわけではありません。 動画も作成しましたので、テキスト・動画お好みでご覧ください。 むしろ、貧困や搾取、社会からこぼれ落ちてしまう人を描く作品は必要である。 では、なぜ漫画として読んできた私が、アニメ化には強い不安を覚えるのか。 今回は、そこを本気で考える。 『みいちゃんと山田さん』の舞台は、2012年の新宿。 夜の街でキャバクラ嬢として働く山田さんが、 何をやっても少しうまくできない新人・みいちゃんと出会う物語である。 みいちゃんは、漢字や空気を読むことが苦手で、周囲から馬鹿にされ、 「可哀想」という言葉で一方的に分類されていく。 そして、この作品が残酷なのは、 みいちゃんを苦しめる明確な悪役が一人いるわけではないことである。 本人の特性。家庭環境。教育。貧困。 夜の街の仕組み。 善意のように見える無理解。 それらが少しずつ重なり、みいちゃんを逃げ場のない場所へ追い込んでいく。 つまり本作が描いているのは、一人の悪人による悲劇ではない。 社会全体が、弱い立場の人を少しずつ消費していく構造である。 だから私は、この漫画を単なる「かわいそうな女の子の物語」として 読むべきではないと思っている。 むしろ問われているのは、みいちゃんではなく、彼女を見ている私たちである。 助けたいと言いながら、どこかで見下していないか。 事情を理解したつもりになって、「かわいそうな人」と勝手に決めつけていないか。 衝撃的な人生を、どこか娯楽として消費していないか。 『みいちゃんと山田さん』は、みいちゃんを描いた作品であると同時に、 彼女を見ている私たち自身を描いた作品でもある。 漫画として高く評価されている理由も、そこにあると思っている。 ここで必ず出てくるのが、「漫画ならよくて、アニメはダメなのか」という意見だ。 私は、この疑問はもっともだと思う。 そして結論から言えば、漫画にも同じ危うさはある。 漫画だから安全ということではない。 実際、この作品を「かわいそうな女の子の漫画」とだけ受け取る人もいるし、 刺激的な場面だけを切り抜いて消費する人もいる。 だから、「漫画だから許される」という話ではない。 ただ、それでも私は、アニメになると問題の質が変わると思っている。 その理由は、漫画とアニメでは、受け手と作品との距離が違うからである。 漫画は、自分の意思でページをめくる。 読む速度も、自分で決められる。 苦しくなれば、本を閉じることもできる。 つまり読者は、作品との距離を自分で調整できるメディアである。 一方、アニメは違う。 映像が動く。声が付く。音楽が流れる。 沈黙にも演出が加わる。 つまり、制作側の解釈が、視聴者へより直接的に伝わるメディアである。 この違いは、とても大きい。 そして、この作品で最も難しいのが、みいちゃんという存在である。 例えば、みいちゃんの話し方一つとってもそうだ。 少し幼く演じれば、「現実の人を誇張している」と受け取る人がいるかもしれない。 逆に演技を抑えすぎれば、「原作が持つ危うさが伝わらない」と感じる人もいるだろう。 どちらを選んでも、現実に生きている誰かと重なってしまう可能性がある。 だから私は、「声優が大変」というよりも、 「脚本・演出・音響・監修を含めた制作全体が、 とてつもない責任を背負う作品」だと思っている。 そして、私が一番危惧していることがある。 それは、みいちゃんが、もう一度消費されてしまうことである。 本来、この作品が描いているのは、 社会が弱い立場の人を少しずつ消費してしまう構造だった。 なのにアニメ化された瞬間、 「問題作」「放送できるのか」「ヤバい」といった 刺激的な話題ばかりが広がってしまえば、 それは私たち自身が、みいちゃんを見世物として消費していることになる。 私は、それが一番悲しい。 もちろん、アニメ化には大きな意義もある。 漫画を読まない人にも、この社会の現実を届けられる。 「本人の努力不足」で片づけられがちな問題を、 社会全体の問題として考えるきっかけになるかもしれない。 だから私は、「アニメ化するべきではない」と言いたいわけではない。 むしろ、この難しい題材だからこそ、成功すれば、 とてつもなく価値のある作品になると思っている。 実際、製作委員会も、寄せられた意見や懸念を真摯に受け止めた上で、 専門家の助言を得ながら、適切なレーティングや注意喚起を設け、 慎重に制作を進めると発表している。 この声明が出たこと自体、これが普通のアニメ化ではないことを物語っている。 だから私は、現時点では手放しで「アニメ化おめでとう」とは言えない。 『みいちゃんと山田さん』のアニメ化は、 社会から見えにくい人を照らす作品になるのか。 それとも、その人たちを再び消費する作品になってしまうのか。 私は、その危うい境界線に立っている作品だと思っている。 あなたは、『みいちゃんと山田さん』のアニメ化について、どう考えますか。 ぜひコメントで教えてください。

榊󠄀原清一 / 人財版 令和の虎 主宰

327,720 次观看 • 17 天前

日本って国はね、空気が読めるって自慢するくせに、いちばん大事な事実を読み違えることがある。見た目で人を分類しちゃうんだよ。で、その分類が外れると、急に頭がフリーズする。黒人だけど日本生まれ日本育ちの人が、どこ出身?、日本語上手だねって言われる。ここまでは、まあ悪意じゃない人も多い。 興味のつもりで聞いてる人もいる。 本人もThank youって笑って受け止めて、日本生まれ日本育ちですって丁寧に説明する。偉いよ。こっちが頭下がる。 でも問題はその先なんだよね。 「日本生まれ日本育ちなんだ。日本語どうやって勉強したの?」 って聞いちゃうやつ。 もうここまで来ると落語の間違ったオチなんだよ。 オチが成立してない。 聞いてる側の脳内では、黒人=外国人=日本語は勉強して喋るものって脚本が固定されてて、相手がその脚本を裏切っても、台本を直せない。 だから同じセリフを繰り返す。 本人は人生を説明してるのに、聞いてる側は偏見の確認テストをやってるだけ。これ、地味に刺さるんだよ。毎回だと疲れる。 一方で、介護現場の話が出てくる。 「外国人が介護をするなら日本語が読めないと困る😤」 これもね、言い方はキツいけど、現場の実務としては正論の面がある。介護ってのは優しさだけじゃ回らない。 記録、申し送り、投薬、医師や看護との連携、事故報告、家族への説明。全部言葉と文字でつながってる。日本語が読めないと、日本人職員が代筆、代行することになって負担が増える。最終的に危ないのは利用者さんだ。ここはキレイ事で誤魔化しちゃいけない。 で、ここからがこの国のややこしさなんだけどさ。 日本語ができないと困るという話が、いつのまにか見た目が外国っぽい人は日本語できないはずという雑な想像と、同じ棚に置かれちゃうんだよ。これが最悪の混線。 介護の話は能力と安全の話。 黒人で日本生まれの話は所属と尊厳の話。 まったく別の回線なのに、日本は平気でショートさせる。 介護現場は「飛行機の操縦席」みたいなもんで、マニュアル読めない人に任せられないのは当たり前。 でも黒人で日本育ちの人に操縦できるの?免許あるの?って毎回聞いてるのは、ただ顔だけ見て止めてる検問なんだよ。 しかも本人が免許を見せても、でもどうやって免許取ったの?って聞き続ける。 もう失礼とか以前に、しつこい。 あたしが言いたいのは、静かにしろとか、差別だとか、どっちかの正義で殴り合う話じゃないってこと。 この国が必要なのは、線引きの精度なんだよ。 介護は、言語能力をきちんと条件にする。 遠慮せずに。人手不足でもそこは絶対。 同時に、見た目であなたは日本人じゃないと決めつける癖は捨てる。 この両方を同時にやらないと、現場も社会も壊れる。 そして、黒人で日本生まれ日本育ちの人が言ってた人に興味を持つのは素敵って姿勢、あれがいちばん大事なんだよ。 興味を持つなら、最後までちゃんと持てよ、って話でさ。 確認のための質問じゃなくて、理解するための質問にしろってこと。 どこ出身?って聞くなら、日本ですで終わらせろ。 そこから先は、あなたの想像を押し付けるんじゃなくて、相手の人生を聞け。 日本って国は、ルールを守るのは得意なんだよ。 でも、相手の背景を受け止めるのは、まだ下手だ。 介護みたいに命が絡む現場は、言葉の基準を厳しくしていい。 その代わり、街の会話では、見た目で人を決めつける基準を捨てなきゃね。 この二つを同時にできたら、少なくともどうなってしまうんだこの国はって嘆く回数は減る。 日本語が第一言語の日本人に日本語どうやって勉強したの?って聞くのは、 寿司屋で板前に箸の使い方、独学?って聞くようなもんだよ。 いい加減、こういう見た目で判断する社会を笑って済ませちゃいけない段階に来てるんじゃないかしら?

クレア

2,244,536 次观看 • 8 个月前

最近サナ活という言葉がある。これは、高市早苗(たかいちさなえ)さんを応援する若い人たちが使う言葉です。政治家を推すなんて、ちょっと不思議に思う人もいるかもしれません。でも、これがすごく良いことなんです😊 推し活って、要は誰かを信じて応援すること。K-POPのアイドルを応援するように、 「この人の生き方、考え方がかっこいい!」 と思って応援するのがサナ活。 でもアイドルとちがって、高市さんは日本という国を守るために働いています。つまりサナ活は、日本を好きになる入口でもあるんです🇯🇵 高市さんはいつも、「国を守る」「家族を守る」「伝統を守る」と言います。 保守(ほしゅ)とは、「昔から大事にされてきたものを大切にする」という考え。 たとえば、家族を思いやる気持ち、ありがとうを言うこと、神社で手を合わせること。そういう優しさの中にある強さのことです。 サナ活は、ただのファン活動じゃなくて、守りたいものがあるってかっこいいと気づく若い人の動きなんです✨ あたしはこれをSNSから生まれる希望の政治だと思ってます。 今の時代、ニュースだけじゃなく、SNSで政治が広がります。 「サナかわいい!」から始まってもいい。 そこから「この人、どんな国を作りたいんだろう?」と考え始める。 それが、日本の未来を考える最初の一歩なんです。 サナ活は、好きから始まるやさしい愛国心。 高市さんを応援することは、自分たちの未来を守るリーダーを信じるという希望の行動です。 だから子どもも大人も、みーんなで。 「日本って、どんな国であってほしい?」 と考えてみてください。サナ活は、きっとその答えを探すきっかけになるはずです🌿✨

クレア

717,423 次观看 • 10 个月前

たとえ「音楽を逆再生するとどうこう」という話に興味がなくても、これには明らかに何か不気味なものがある。 動画の翻訳 >ビリー・アイリッシュの曲を逆再生すると、それが悪魔のものだと証明される。 これを見ていると涙が出そうになった。 彼女がすべてを悪魔に捧げてしまったのを見るのが、本当に悲しいからだ。 この曲は普通に聴いても地獄や悪魔的なものだと分かる。 まして逆再生すると、悪魔がこの曲を通してあなたに語りかけていること、そして彼女自身もこの曲を通して語りかけていることが証明される。 あの部分はまるで、 「これが現実だ」 「私は悪魔に支配されている」 と言っているようだ。 こういうことが起きるんだ。 人は、 「有名になりたい」 「ビリー・アイリッシュみたいになりたい」 「彼女が持っているものを手に入れたい」 と思う。 でも、その裏にある暗く、醜く、邪悪な根を理解していない。 彼らは子どもを食べ、犠牲を捧げ、家族を殺し、こうした曲を作り、儀式を行わなければならない。 これは本当に起きていることだ。 私はカニエ・ウェストのプロデューサーを知っている人たちを知っている。 私が話していること、彼らがやっていること、舞台裏の狂気じみた出来事――そうしたことは本当に起きている。 目を開かなければならない。 この一曲だけでも証拠だ。 私は暗く悪魔的な曲を何百万曲でも見せることができる。 そして人々はそれを歌い、 「イェー!」 「イェー!」 と盛り上がる。 そのたびに、自分の人生へ悪魔的な領域を受け入れているのだ。 彼女の人生を見てみろ。 彼女からあふれ出る黒いものを見てみろ。 とても邪悪で、とても悲しい。 この少女はかつて本当に純粋だった。 しかし悪魔のために生きることを選び、自らを捧げてしまった。 そして今、その結果が見えている。 外から見ると幸せそうに見えることもあるだろう。 だが本当の姿は違う。 彼らの目から黒いものがあふれ出ている。 悪魔的で、悲しい。 本当に悲しいことだ。 イエスの道を選びなさい。

満月とWooと(仮)

16,723 次观看 • 2 个月前

「グエー死んだンゴ」ってさ、ネットだと軽いノリの断末魔ギャグみたいに見えるんだけど、現実でそれが最後の言葉になった瞬間、笑いってやつが急に重たくなるのよね。笑っていいのか、泣いていいのか、手が止まる。で、止まったところに気づく。「この言葉、ふざけてるんじゃなくて、ふざけるしかなかったんだ」って。 映像の中のお父さんが言う「なんでうちの子が」 これね、親の口から出る言葉として一番まっとうで、一番残酷。答えが出ないから。病気は抽選会じゃないのに、当たった側だけが人生ごと持っていかれる。 しかも類上皮肉腫みたいな希少がんって、名前すら知られてない、、、だから余計に「うちの子が」になるんじゃないかな? で、この話の刺さるところは、息子さんが亡くなったあとに物語が動き出すところです。 予約投稿って、便利な機能だと思う。 だけどあれが今回は時間差の手紙になった。本人はもういないのに、言葉だけが世界に届く。 まるで、遅れて届いた花束に、棘が混じってるみたいなもんだ。 嬉しい。 ありがたい。 でも痛い。 痛いけど、花なのよね。 しかも、普段SNSを見ないお父さんが、葬儀が終わってから息子の人生の続きをスマホで知るわけだよ。 これ、「生きてる時に言えなかったことが、死んだあとに通知で届く」っていう奇跡でもある。 親子って近いようで、いちばん遠い時がある。 照れくさくて、忙しくて、まあそのうちでいいかって先送りして、気づいたら電池切れ、、、 お父さんが「ありがとうって言えなかった」って話、あれは胸に来る。時計の電池より先に、言葉の電池が切れちゃったんだよね、、、 でもさ、希望もあるんだよ。 この件がすごくバズったって事実には、アルゴリズムが悲しみを燃料にして回してる感じは確かにある。 命の尊さでバズらせるな!って声もあるけど、あの投稿が、希少がんの存在を人に知らせたり、寄付が集まったり、「一人じゃなかった」を可視化したのも事実じゃない? つまりSNSってのは、包丁なんだよ。 料理にもなるし、怪我もする。使う側の手つきが問われる💡 息子さんが、病気に「デカすぎ」ってあだ名をつけて、検査のことまで面白い面白くないで語ってた。 これね、強がりってより礼儀なんだよ。 周りを暗くさせないための礼儀。 自分の恐怖を、自分で笑いに変換して、他人の心の負担を軽くする。 芸人みたいなことを、死にかけの若者が病室でやってた。そりゃ人を引き寄せるって言われるよ。笑いは才能だけど、笑いの裏にある痛みは、本人しか背負えない。 「グエー死んだンゴ」をただのネタにしちゃいけない。 あれは、令和に投下された遺言の形式なんだよ。ふざけた形でしか出せない本音がある。 そして、見てる側も、拡散する側も、たまには一拍おいて、リポストの指が動く前に、線香一本分くらいの間を心に置くのもいいんじゃないかしら? 笑っていい。 でも敬意を忘れない。 最後に、親も子も、言葉をケチるなと言いたい。 照れくさいありがとうってのは、もったいぶるほど高くつく。これ、言ったら減るんじゃない。言わないと、気がつくと残高ゼロになる。 息子さんが最後に残したのは、バズでも名言でもなくて、「人間ってやつは、弱い時ほど誰かを笑わせようとする」っていう、静かな証明だったんじゃないかな?

クレア

2,858,313 次观看 • 8 个月前

“同じ地球に住んでるのに、見えてるお金の桁が別世界だった。” 苫米地さんの話でいちばんゾッとするのは、 「お金持ちの世界って、僕らが思ってるよりずっと遠い場所にある」とハッキリ言っているところです。 ふつうの人は、 お金持ちっていっても 「会社が大きい人」 「高い家に住んでる人」 くらいを想像しますよね。 でも苫米地さんの話では、その上にまだ別の階層がある。 しかもそこでは、個人でとんでもない額のお金を持っている人たちがいて、 そのお金を「どう使えば世界に影響を出せるか」を考えていると言うんです。 たとえるなら、 町内会の貯金箱の話をしていたら、 急に“国をいくつも動かせる財布”の話が始まる感じです。 同じ「お金」の話なのに、スケールが違いすぎる。 さらに苫米地さんは、日本は今かなり貧乏だとはっきり言っています。 ここでいう貧乏は、「今日のごはんがない」という意味だけではありません。 国として余裕がなくて、だから税金を強く取ろうとしたり、国民の負担がどんどん重くなったりしている、という話です。 つまり、 見えにくいけれど、 国の体力そのものが落ちている、ということです。 これも中学生向けに言うと、 クラスで見た目は普通にしてるのに、 実は財布の中がずっとカツカツで、何かあるたびにみんなから細かく集金しないと回らない状態に近いです。 しかも苫米地さんが怖いのは、日本の「ふつう」と、 世界の超富裕層の「ふつう」は、もう同じものさしでは測れないと言っているところです。 僕らは日本の中だけを見て「これが当たり前」と思いがちです。でもその外には、戦争や国の対立よりもっと高い場所で、お金も人脈も動かしている人たちがいる。 しかもその人たちは、国どうしがケンカしていても、その上から全体を見ていることがある。 ここがちょっと不気味です。 なぜなら、ニュースでは国と国がぶつかっているように見えるのに、もっと上では「両方とつながっている人たち」がいるかもしれないからです。 つまり苫米地さんの話は、ただの金持ち自慢ではありません。 本当に怖いのは、自分たちが見ている世界地図の上に、 さらに“見えない地図”がもう1枚あるかもしれない、 と感じさせるところです。 国のルール。 税金。 戦争。 社会貢献。 お金持ち。 これらがバラバラじゃなくて、実はもっと大きなひとつの盤面で動いているかもしれない。そう思うと、急に世の中の見え方が変わってきます。 苫米地さんの話をひとことで言うと、「日本の常識だけで世界を見ていると、本当の大きさを見失う」ということなのかもしれません。 あなたはこの話を聞いて、「そんな別世界が本当にある」と思いますか? それとも「話を盛っているだけ」に聞こえますか? 気になったら保存して、あとでもう一度ゆっくり読み返してください。 あなたの考えをコメントでぜひ聞かせてください。

角由紀子のヤバイ帝国

347,040 次观看 • 4 个月前

日本に行った人が、帰ってから苦しくなることがある。日本で見たものは、特別なイベントじゃない。電車がだいたい時間に来ること。人が列をつくること。店で「ありがとう」と言われること。夜の道が、怖くないこと。そういう小さな当たり前。でも、その小さな当たり前が、帰国した瞬間に刃になる。 自分の国の音が、急に大きく聞こえる。怒鳴り声。クラクション。割り込み。投げるような言葉。前は平気だったのに、平気じゃなくなる。日本が良すぎたからじゃない。比べる目が、できてしまったからだ。 この痛みは、普通な感覚。違う世界を一度見た人にだけ起きる、ふつうの揺れ。 ただ、ここで気をつけたいことがある。旅先は、少しだけ夢に似ている。短い時間の中で、いい場面が多く見える。だから日本は完璧だと思いすぎると、自分のいる場所が全部ダメに見えてしまう。すると心が、帰る場所を失う。 じゃあ、どうしたらいいのか。 答えは、全部を日本にしようとしないこと。 日本で好きだったことを、ひとつだけ持ち帰る。 朝、靴をそろえる。 人にぶつかったら小さく「すいません」と言う。 時間を守る。部屋を少し整える。 たったそれだけで、心は夢が終わったじゃなくて、夢を生活に変えたと思える。 そしてもう一つ大事なのは、ひとりにならないこと。日本が好きだった人は、日本が好きな人と話せばいい。好きは、誰かと分けると、痛みじゃなくなる。 日本を忘れられないのは、弱いからじゃない。日本に来てくれた人の中に「こう生きたい」が生まれたからだ。 その気持ちを大切にすれば大丈夫。夢は、逃げるためじゃなく、戻ってきたあとに生きるためにある。

クレア

383,105 次观看 • 7 个月前

「こういうところとかでもさ、よくコメントで、今ねこっから次じゃあ政治の話にするけど コメント欄で批判とか誹謗中傷とかやってる人達 いいよ、分かるよ その日頃きっと楽しくないんだろうな 全然ストレスまみれで楽しい事もないから目立ってなんか偉そうなこと言ってるやつ見つけてあのムカつくことをとりあえず言う いいんだけどさ でもそれってさやっぱり誰の為にもならないわけですよ で"誰の為にもならねえとか言われても知らねえし" それもそうだと思う 俺もひねくれてた時期があるからそういう風になんか目立ってる人を捕まえて何か言いたくなる気持ちも人間当然あるし嫌な部分っていうのは当然あるんだけれども やっぱりそういうことに対して突っ込んでいくとかさ、こういういわゆるオーガニックのことに関しても、わざわざやらなくてもいいことをやりに行くって、これってすごくエネルギーがいるし、どう考えても人の為なんですよ その人の為の一部の中にこうやって批判してる人達の部分も入ってるってことを絶対に忘れないでほしい あなたたちが生きやすい世の中を作る為に影響力があったり、お金持っている人達は一生懸命頑張る瞬間というのがあるんです それがいい方向に作用する時もあれば悪い方向に作用する時もあるけど、人の為に何かを頑張ろうとしていることには間違いないし、そういった人達を傷つけるような言葉というのは非常に僕は一個人の意見としては不愉快だし、もっと考えてほしい なんか文句があったり苦しいこと悲しいこと、そんなんってもう本当にこう腐るほどあるし分かるんだけど 、どうか乗り越えてほしいなと思うし乗り越えるための努力を僕は自分自身持っていきたいなとは思う ので なんかそういう一つの意図があって言ってるってこと これは政治の話をする時も一緒 オーガニックの話をする時も一緒 僕らのファンは絶対そういうマインドでいてほしいし これをね別に強要はしてないよ でも僕らのファンはそうあってほしい、素敵な人であってほしい 人を中傷したり、誹謗中傷したりとかそういう人間であってほしくない、言葉を選んで喋ってほしい ムカつくこともあると思う、でもムカつくことがあったとしてもその時に一回グッと堪える...まあ俺もできない時あるからわかるんだけど、だけどなんとか頑張ってほしい 今こういう時代じゃん? ここで何でも好きなこと言えるんだよ一人で、思ったこと でもこれが今だったら13,000人の人に届いて、その中でこの話をされて不愉快に思う人も何かしらあると思う でも、そういうことがあるということを発信する側は常に考えなきゃいけない だからそれは僕らのファンであれば、もしこれから何か発信をしていく人であれば、そこを絶対に忘れないで発信してほしいなと思います 必ず何かをする時に何かを動かす時、何かをやる時には痛みが生じる その痛みをやっぱり俺らは分かち合わなきゃいけない し...宗教とかじゃないよ全くそういうのじゃない そういうんじゃなくて、もうこれは世の中を平和にする為に 、一人一人が考えなきゃいけないことなので、今のこの時代だからこそ、すごく大事なことだと思います 僕は昨今、やっぱりいろんなSNSだったり、まあソーシャルメディア通じてTikTok•Instagram•YouTube見てて、やっぱりそういうことがあのちょっと激しくなりすぎて人の揚げ足を取ったりとか、悪口を言ったり自分の理論を正当化する為に、あまりにも人の意見を聞かずに突き進んでしまう様なおじさん達を見てると悲しくなる、おばさん達みたいに、とか... それはちょっとまだ、まだまだ全然もっともっといろんなことを経験して人を許す力みたいなものを持ってもいいんじゃないかなと思います」

𝙴𝚄𝙿𝙷𝙾𝚁𝙸𝙰

164,487 次观看 • 8 天前

人々はいつも、その時点でAIにできないことを取り上げて、それができれば知能が完成するのだと言いたがる。けれど、AlphaFoldの開発者が探そうとしているのは、むしろ逆だ。「AGIを待たずとも機械が圧勝できてしまう問題」であり、それを通じて人間社会に有用なシステムを量産していく道なのだ。 ジョン・ジャンパー「かつては『知能とはチェスを指すことだ』と言われていて、チェスが指せる機械をつくれれば、それで知能はほぼできあがるのだからチェスをやらせよう、と考えていた時代がありました。実際に、カスパロフとの対局があった1994年ごろには、チェスで人間を超えるレベルの機械を手に入れました。しかしそれは、読んだり書いたりできる機械へとつながる道筋ではありませんでした。 ですから私たちはいつも、ある問題を取り上げて『これこそが問題だ』と言いたがりますし、ときには『人類最後の試験』のような名前を楽観的につけてしまう。これさえ解ければ、もう機械に問題を出す意味はなくなるはずだ、と。しかし私が強く関心を持っているのは、ある意味ではとても『やさしい』問題——驚くほどうまく解けて、AGIをつくる前から非常に有用なシステムを構築できてしまうような問題——をどう見つけるかという点です。 そうしたタイプの科学的な問題に取り組みたいのです。そしてもちろん、AGIをつくろうとしている人たちと同じ系統の強力な技法を使いたい。しかし、哲学的な議論にとらわれる必要はありません。ただ有用なシステムをつくればいいのです。実際、いまの業界全体が考えているのは、ソフトウェア開発をする人にとって意味があり、文章を書く人にとっても意味があり、私たちが解ける問題の範囲そのものを広げてくれるような有用なシステムをどう作るかということだと思います。その結果としてAGIにたどり着くのかどうかは、いずれ分かるでしょう。でも、少なくとも有用なシステムには確実にたどり着きます」

Tsubame

17,968 次观看 • 9 个月前

大森さんがインスタライブで、ミセスが冷笑されること、ハスられること、斜に構えて捉えられることについて語った。「僕が音楽好きだったとして、ミセスという存在を傍から見た時に、僕もやっぱりハスるなというか、斜に構えて見るよなと思ってて。なかなかそのグループのコアな部分というか大切なものって見えないものだから。自分だったらなぁと思う、僕そっち側の人だからどっちかというと。でもだからこそ、突っ切って、ぶっぱなしたさがあるよね」と……。 少し前に、米津さんがインタビューで「(冷笑は)自分を守るために機能していることもある」と発言していたことを思い出す。そのような態度で居ることでしか自分を保てないほど苦しい境遇に置かれてる人たちなのだということが、彼には見えている。その慧眼に驚かされるとともに、どん詰まりに居る人を馬鹿にできないし置いていけないと考えるのが米津さんなのだなと思った。傷を保護する自衛としての手段、あるいは最後の砦としてのユーモアを否定しない。顔すら見えない遠くの誰かの人生にそっと想像力を伸ばせる彼が(彼は否定するかもしれないけれど)実に福祉的で、私は大好きだ。今の時代になくてはならない感覚のアーティストだと思う。 一方で、物事を誰よりも穿って見てしまう、斜に構えてしまうデフォルトの自分のネガ思考を把握した上で、いや待てよ、僕たちはいずれ灰になって空を舞うんだからその時間が勿体ない。哀しいかな、人生には意味なんてない。だからいっそのこと圧倒的に「ぶっぱなす」、ぶっちぎってみせる、そうでもしないと人生やってられんだろ!という方向にギアを切る大森さんのこともまた大好きだ。そこにはミセスの曲に共通する「ニヒリズム」から「積極的ニヒリズム」への転換がある。体育座りをして指先で傷つけあっていても仕方ない。だから彼は粛々と自分の信じる音楽を作り、ぶっちぎった先(キラキラした花道のど真ん中)で、孤独を歌おうとしている。圧倒的な熱量で、こぼれ落ちてしまった人を温めようとしている。私もド鬱のド陰キャなので、彼らのヒーロー性が眩しくて聴けないという意見にも分かるところがあるが、彼のそもそもの出発点が「拭えない孤独」であることを理解して聴くと、ミセスの楽曲は途端に深みを増すし、生きることへの起爆剤になると思っている。エンターテインメントにおいて、大衆化することとマイノリティの痛みに寄り添うことはトレードオフになりがちだ。ただ眩しいだけの光は、暗闇にいる人を時に拒絶しさらに深く傷つけてしまうこともある。そこを諦めず、「間口を広げながら、深みもつけていく」という誰も挑んだことのない矛盾する難題をやってのけようとしているのが大森さんでありミセスだと思う。正気の沙汰ではないし、ポップスを鳴らす覚悟が半端ない。もはや狂気だ。 どちらも根は同じド陰キャなのだが、発露の仕方が異なるのがおもしろい。 ここに風くんが居たらなんと言うかな、と想像しながらフフフとなる。「冷笑?なんでそんな疲れることしとるん?何なんw にんげんのみなさま、貴方こそが神で、貴方こそが愛。それを忘れないで」とあの優しげなトーンで言うかもしれないし言わないかもしれない。​「ハスる」「冷笑する」という自意識のこんがらがったゲームそのものを、彼なら「それ、幻じゃが。お疲れさまぁ」とお茶を差し出すように軽やかに無効化してしまいそうだ。やはり大好きだ。 ​米津さんが「暗闇に一緒に腰を下ろしてくれる人」ならば、大森さんは「自らの闇を焦がす光で世の中を照らす人」であり、風くんは「そもそも私ら、最初から光の中に放り込まれとるが?」という人なのではないか……冷笑をきっかけにそんなことを思ったりした。彼らの音楽がそれぞれのアプローチで、生きづらさを抱える私に気づきをくれ、肯定してくれることに感謝している。同じ時代に異なる三つの光。日本の音楽シーンは今日も豊かで楽しいね。

ナギ

935,233 次观看 • 1 个月前

しかし令和の今、旧劇エヴァのシンジとアスカでまだ論争が起きるとは全く想像してなかったよ そもそも22話の追加シーンが視聴できればアスカの気持ちはまずわかるってぐらいはっきり描写してあるのに、なぜか日本は配信で見れない仕様にしちゃってるのが問題ですよね、海外の配信なら見れたりするそうですが アスカは旧作でシンジに「抱きしめてもくれないくせに」「あんたが全部私のものにならないなら、私、何もいらない」等のセリフも言っちゃってますけど、 大人になった今見るとそういったシンジとの描写もですが加持に対しても、ミサトと大人の関係に戻ったとわかった15話の香水の匂いの後も加持さーん(ハート)といつもと変わらず接し嫉妬のかけらもない描写とかからも内心はあくまで大人と子供と割り切って甘えてる感じ もし異性として本当に好きでしたらミサトと関係を戻したのに気付いたのに気にするそぶりがなくライバルとも見なさず、尾を引いてないのはそういう描写だったのかなーと シンジに対しては綾波とちょっと話して微笑む所を見るだけで嫉妬をむき出しにするシーンをわざわざ入れてるのに(公式本ではこの時のアスカを二人の関係を勘違いしたアスカに黒い炎が~的に言及してました)

PON3@Skeb募集中

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いまのAIに決定的に欠けているのは、僕たちの背景を理解する能力だ。だから毎回プロンプトで関係性を組み立て、状況説明をし、欲しい出力へ誘導しなければならない。だが、その制約が外れ始めたとき、AIは単なる便利ツールではなくなるのだろう。その日はきっと、それほど遠くない。 サム・アルトマン「今のモデルは、将来そうなるものと比べれば、まだかなり愚かです。しかもそれ以上に、あなたの人生についての理解がきわめて限られています。今はまだ、こちらがうまく、なだめたりすかしたりしながら、欲しいものを引き出さなければならないのです。 ですが、あなたの文脈をすべて知っているようなモデルは、もうそれほど遠くありません。そのモデルは、あなたのことを知っている。あなたの人生を知っている。何をしているかを知っている。何を大事にしているかを知っている。あなたの人生にいる人たちのことも知っている。もちろん、あなたが望む形で、望む範囲においてですが、あなたのコンピュータやブラウザにもアクセスできる。そして時間がたつにつれて、現実世界であなたの周囲に起きていることにも、ますますアクセスするようになるかもしれません。 それは、コンピュータを使う感覚、そしてAIを使う感覚そのものを、完全に変えてしまうはずです。私はそれに強く興奮しています。ただ、実際それがどんな感覚になるのかは、私たち自身でさえ、まだ十分に直感できていないと思います」 グレッグ・ブロックマン「まさにその点ですが、今の私たちは、チャットでも何でも、使っているツールに対して『何が起きているのか』を説明するのに、ものすごく多くの時間を使っています。そしてそれがどれだけ苛立たしいかを考えてみてください。まるで同僚に対して、いや、私が欲しいのはこういうことで、今こういう状況なんだ、と延々説明し続けているようなものです。今のシステムの振る舞い方は、本来こうあってほしい姿ではないのです」

Tsubame

15,287 次观看 • 4 个月前

【まだまだ届けたい!】 みなさん、こんにちは! ホンジツ1日限りの富だけで生活する島のお話を作ったら、いつのまにか自分もそんな生活が始まっていた高橋伊久磨です。 そこまでして人生をかけて作った作品の配信がホンジツ終了します。 もっとたくさんの方に届けたい。 そんな思いでいま文字を打ってます。 ※それゆえ少し長くなるかも知れません🗣️ 思えばこの作品を頭の中に思い浮かべ始めたのは一昨年。 その頃の僕は、新作を作り続けることに疑問を感じ始めていて、『ずっと愛されるものを人生を賭けて育て続けた方が面白いだろう!』と考えました。 人生を賭けるんだから自分がずーっと愛し続けられるものがいいだろうと思い、自分の中から出てきた言葉が《島》《人の輪》でした。 まだ自分が見たこともないようなものを見たり感じたりするのが昔から好きなんです。 そして、とにかく常に人との繋がりに僕は飢えているんです。 そうして 人と繋がる事を恐れ、1日限りの富だけで暮らす島ホンジツ島。 というのが生まれました。 最初はそれこそなんくるないさー!な感じで、とにかく賑やかなだけの作品を書いてました。 夢を語りまくっていたそんなある日、お世話になっている先輩に『伊久磨は “向き合う事”から逃げ続けている。人ともそうだし自分とも。』そんなふうに釘を刺されました。 都合が悪くなると『まあまあ!大丈夫大丈夫!』と見ないように聞かないようにしていたんです。 なんくるないさーの弱点でした。 これにはすごくハッ!とさせられて。 意識的に人と自分と向き合うようにしたんです。 でもこれがとんでもなく難しくって。 正直今でもまだ向き合いきれてない瞬間があるなぁと感じます。 それでも確かなのは、明らかに周りに仲間が増えたんです。それも今まで以上に共に先に前に進んでいけるような強い仲間に。 この作品がのテーマが“向き合う”になったのはその時です。 なんくるないさーが向き合う痛みと喜びを知り、仲間ができるお話。 なにかと向き合う勇気をもらえるような、そっと背中を押してくれるような、そんな作品になっていればと思います。 ちなみに、大公開している下のナンバーは『向き合ってない!』と叱咤激励をもらって、肩を落としながら大好きな海を見つめながら書いた曲です笑 ホンジツ夜23:59までフルでお楽しみいただけますので、ぜひ一度見ていただけたら嬉しいです! ↓配信チケットはコメント欄にて↓

高橋 伊久磨 | 体験型ミュージカルの人

11,073 次观看 • 1 年前