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日本の音階 - 琉球音階 - 田舎節 - 岩戸音階 - 雲井音階 をコード進行上で使うとこんな感じの響きになります。 本来はこんなサッパリした感じで説明できるスケールではないのですが、西洋音楽的な解釈で使っても楽しいです

34,304 views • 6 months ago •via X (Twitter)

1 Comments

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NOWC@mesTHEP@in6 months ago

Interesting.

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スケールコンクール。 スケール(音階)には、全く才能は関係ない。 もちろん良い耳を持っていると習得は早いです。 しかし、それは早いだけで、そこから先にはどれだけスケールを美しく演奏できるかという終わりの無い追求がある。 スケールは人間の発見した、数ある周波数の中から発見した、最も美しいメロディでもあり、最も合理的なシステムでもある。 スケールの習得は、楽典の基礎、楽器のメカニズムの理解、「指をよく使う」特徴のある音楽の基本動作の学習によって成される。 ここに才能は関係ない。 足し算引き算を理解するのと同じで、ある程度普遍的な法則がある。 スケールを演奏できない=調性の法則を体得していない その時点で、楽曲の仕組みを芯から理解することはできない。 おそらく感じることが出来るのは、メロディが好みかどうか、ハーモニーが心地よいかどうか、音量が大きいかどうか、曲のコード進行が好みかどうか、リズムが面白いかどうか、 この段階までの理解しかできない。 もちろん、この段階までの理解でも音楽を十分に味わい楽しむことも出来る。 スケールの習熟度で、奏者のレベルはわかる。 ・長短の調性が吹けるかどうか ・インターバルのスケールがどれくらい出来るか ・アルペジオがどれくらい出来るかどうか ・アーティキュレーションのパターンがどれだけクリアに出来るか ・フラジオ音域までどれだけ出来るか ・どれだけレガートで出来るか ・その他音階をどれだけ出来るか ジャズにおいては ・教会旋法をどれだけ体感して出来ているか(これはあまりJAZZの知識がないので主観です) こうしたスケールの要素には、才能は全く関係ない。 才能がないと思ったらスケールを徹底して取り組むべき。 そして、それが才能になる。

Yo Matsushita 松下洋 🎷

12,875 views • 1 month ago

沖縄音楽や民謡は文化によって守られた時点で、生活と密着しなくなり進展のない音楽になってしまうと思います。 坂本龍一さんが、沖縄音楽を取り入れてアルバムを作った1980年代に下記のことを言ってましたが、30年近く経った今も考えさせられます。 『沖縄へ 1987年8月 坂本龍一』 なぜもっと血と共同体から離脱しないのか 沖縄の音楽にしても、沖縄の人間が"沖縄音楽を使った現在の音楽"を作っていない。東京経由の洋楽(ロックとかポップス)をやっているだけです。あるいは、現在をとり入れないで、トラディショナルをやっている人達、そのどちらかだけです。僕は一生懸命探したけれど、沖縄の三線とか沖縄のメロディーを使ってロックをやってる若い奴っていない。それって日本の縮図だと思った。日本そのものだ、と。 沖縄のものを使うことはトラディショナルに復帰することでもないし、英語が少しできるからといって、東京経由のポップソング、ホイットニー・ヒューストンの真似することでもないはずなんです。なんでもっと、自分の血とか共同体を離脱しないのかってね。そこからどれだけ離脱するかが、地球音楽だと思う。 共同体のタコツボに生温かくもぐり込んでるのがいちばん楽なんです。外へ出るということは、とりあえず勉強することなんです。それって勇気ですよ。自分にないコードを解読することでしょ。外へ出て、決して定点を持たない地点から、どんな音楽地図が描けるか?実は地球自体、上も下もないんです。北半球が上というのは人間の単純な思い込みです。端的に地を失えばいいんです。定点のない地球儀、それが『NEO GEO』です。 その坂本龍一さんに影響されて作った『NEO SAYA』は、沖縄音楽とアイヌ音楽をミックスして新大陸的な楽曲を目指しました。 私も沖縄民謡に新しい音や独自の音を混ぜて、チャンプルー的に新しい進展のある沖縄音楽を作っているつもりで活動しています。

彩Saya (ex 沖縄電子少女彩 Okinawa Electric Girl Saya)

49,310 views • 11 months ago