Video yükleniyor...

Video Yüklenemedi

Ana Sayfaya Dön

【#星導学園 レム武装紹介】 レギオン——それは戦争マシンシリーズにおいて、最も人気のある製品の一つ。 個体の性能こそ、他のマシンに比べれば優位に立っていないかもしれない。だが、それらが数に物を言わせて集団戦を展開しさえすれば、「量から質への転換」という理論が完璧に証明される。 これこそが、「レギオン」という名の真の意味なのだ。 ▼YouTubeはこちら #星の翼

40,084 görüntüleme • 1 ay önce •via X (Twitter)

0 Yorum

Yorum bulunmuyor

Orijinal gönderinin yorumları burada görünecek

Benzer Videolar

たとえ「音楽を逆再生するとどうこう」という話に興味がなくても、これには明らかに何か不気味なものがある。 動画の翻訳 >ビリー・アイリッシュの曲を逆再生すると、それが悪魔のものだと証明される。 これを見ていると涙が出そうになった。 彼女がすべてを悪魔に捧げてしまったのを見るのが、本当に悲しいからだ。 この曲は普通に聴いても地獄や悪魔的なものだと分かる。 まして逆再生すると、悪魔がこの曲を通してあなたに語りかけていること、そして彼女自身もこの曲を通して語りかけていることが証明される。 あの部分はまるで、 「これが現実だ」 「私は悪魔に支配されている」 と言っているようだ。 こういうことが起きるんだ。 人は、 「有名になりたい」 「ビリー・アイリッシュみたいになりたい」 「彼女が持っているものを手に入れたい」 と思う。 でも、その裏にある暗く、醜く、邪悪な根を理解していない。 彼らは子どもを食べ、犠牲を捧げ、家族を殺し、こうした曲を作り、儀式を行わなければならない。 これは本当に起きていることだ。 私はカニエ・ウェストのプロデューサーを知っている人たちを知っている。 私が話していること、彼らがやっていること、舞台裏の狂気じみた出来事――そうしたことは本当に起きている。 目を開かなければならない。 この一曲だけでも証拠だ。 私は暗く悪魔的な曲を何百万曲でも見せることができる。 そして人々はそれを歌い、 「イェー!」 「イェー!」 と盛り上がる。 そのたびに、自分の人生へ悪魔的な領域を受け入れているのだ。 彼女の人生を見てみろ。 彼女からあふれ出る黒いものを見てみろ。 とても邪悪で、とても悲しい。 この少女はかつて本当に純粋だった。 しかし悪魔のために生きることを選び、自らを捧げてしまった。 そして今、その結果が見えている。 外から見ると幸せそうに見えることもあるだろう。 だが本当の姿は違う。 彼らの目から黒いものがあふれ出ている。 悪魔的で、悲しい。 本当に悲しいことだ。 イエスの道を選びなさい。

満月とWooと(仮)

16,723 görüntüleme • 1 ay önce

今日から六本木ヒルズ、東京シティビューで開催される「チ。ー地球の運動についてー」のプレス内覧会だん。 大勢の来場者に囲まれ、「チ」という作品の人気の高さを改めて実感した。 僕はMEGASTARを核とする星空シアターを制作。映像作品は本展のためにゼロから制作したもの。中世の天動説と地動説から、現代天文学が解き明かした宇宙像を描くといういわば「チ」の世界観のエピローグを意識して制作した。 「チ」で描かれている多くの言葉の中でも特に印象に残ったのが、信念を捨てる事の意義。 我々は、あまり言わないね。何かと「信念を貫く事の大切さ」を重要と教わりがちだ。 しかし本作はそこにあえて異論を挟む。 けれど思い返せば歴史を通じて起きた多くの衝突と悲劇は信念同士の衝突だ。現代でもまさにこれが繰り返されている。 正直言えば僕は少し不思議だったのだ。天文学や哲学という、やもすれば俗世に敬遠されそうな難解なテーマを描いている本作が、なぜこんなに人気を集めるのか? 人々にも、こんな問題意識が根深くあるからなのだろうと感じるし、だとすればそこには希望も見える。 地球が宇宙の中心だという信念と戦ったガリレオは太陽が宇宙の中心だと示した。しかしそれもまた後世に覆される。太陽もまた無数にある星の一つに過ぎない。そしてこれらをまとめた銀河系もまた無数の銀河の1つにすぎず、宇宙そのものが無数にあるかもしれないとさえ言われている。 見方を変えれば、一般相対論とそこから継承される現代宇宙論のの見地に立てばそもそも中心は存在せず、地球も太陽も我々自身も、すべてが宇宙の中心ともいえる。 我々の社会もまた同じではないか?真実は無数にあり、しかしどれもが完全な真実でもない。現代天文学が示した知見と作品のメッセージはそこで繋がっている気がするし、その訴えに共感する人々が増えるなら、まだまだ未来は明るいかもしれない。そんなことを考えさせられた。

大平貴之

59,068 görüntüleme • 3 ay önce

FF5のガラフ対エクスデスを見ると、正直、今見ると胸が痛い。なぜなら、あの場面には、今の私たちが失いかけているものが、あまりにも綺麗に残っているからだ。映像の豪華さではない。声優の熱演でもない。あの場面の本質は、ゲームシステムと物語が、同じ一点で爆発していることにある。普通、RPGにおいてHPが0になればキャラクターは倒れる。 それはプレイヤーが何十時間もかけて身体に覚え込ませたルールである。 回復しなければ死ぬ。 戦闘不能になれば動けない。 その当たり前を、ガラフは破る。 HPが尽きても立つ。 攻撃されても倒れない。 メテオを撃たれても、フレアに焼かれても、氷に貫かれても、自分が信じていたゲームのルールが、ガラフの意志によって押し返されるのを見ている。 だから感動する。 ここを、今の私たちはよく間違える。感動的な場面を作ろうとすると、つい演出を盛る。声を震わせる。カメラを寄せる。音楽を大きくする。もちろん、それは現代の技術として正しい。プレイヤーに伝えるための手段として必要なこともある。 ガラフの最期は、その逆である。物語が戦闘の中にある。戦闘が物語の証明になっている。HP0というシステム上の死が、キャラクターの意志によって意味を変える。だから、あの小さなドット絵の老人は、現代の美麗なムービーよりも美しい。 ドット絵の制約。 容量の制約。 短い台詞。 プレイヤーの想像力に委ねる余白。 それらが奇跡的に噛み合っていた。 しかし、それだけではない。 あの場面は、ゲームという媒体の本質を理解していた。ゲームは、ただ物語を見せるものではない。プレイヤーがルールを理解し、そのルールの中で行動し、そのルールに慣れたところで、物語がそのルールを揺さぶる。その時、ゲームにしかできない感動が生まれる。 ここを忘れると、映画の劣化版になる。 綺麗な映像。豪華な音楽。重厚な台詞。しかし、プレイヤーはただ見ているだけでは意味がない。 ガラフの場面は、ゲームでしか成立しない。小説なら「死んでもなお立ち上がった」と書ける。だが、HP0なのに倒れない、という感動はゲームにしかない。 プレイヤーがゲームのルールを知っているからこそ成立する。これは、私たちが本来もっと大切にしなければならない財産である。 今のスクエニが、これの再現に必要なのは、現代のゲームにおける「HP0でも立つ」に相当するものを見つけることだ。 たとえば、プレイヤーがずっと信じてきた成長システム。長く使ってきたコマンド、当たり前に開いていたメニュー、守ってきた仲間のAI、セーブやロード、ジョブ、装備、マップ、召喚、パーティ編成。 そういうゲームとしての常識を、物語のある一点で変質させ、キャラクターの覚悟によって、システムの意味が変わる。プレイヤーの操作が、ただの操作ではなく、物語の選択になる。 そこまで設計できれば、今でも名場面は生まれる。 しかし、それは会議で説明しにくい。 「ここでUIの挙動を変えます」 「ここで戦闘不能のルールを一度だけ破ります」 「ここでプレイヤーの常識を裏切ります」 こういう企画は、リスクがある。現代の大規模開発では避けられやすい。けれど、そこを避け続けると、名場面は生まれない。 プレイヤーが信じてきたルールの中で、キャラクターの覚悟を体験させなければならない。 ガラフは「私は命をかけて守る」と長々語ったから感動したのではない。 本当に、命を超えて立ったから感動した。 しかもそれを、戦闘というプレイヤーが最も理解している場所で見せた。 今のスクエニがもう一度こういう場面を作るには、過去作の名場面を綺麗に再現するだけでは駄目だ。 FF5をリメイクして、ガラフのシーンを豪華なムービーにすることはできる。 だが、それだけでは足りない。 本当にやるべきは、現代のプレイヤーが慣れ切ったゲームの文法を、一度だけ感情のために壊すことだ。 システム担当とシナリオ担当が、同じ心臓で設計すること。 バトルと物語を分けないこと。 UIと感情を分けないこと。 演出と操作を分けないこと。 プレイヤーが手を動かした記憶の中に、キャラクターの死や覚悟を刻むこと。 それができた時、初めて「今のスクエニにも名場面は作れる」と言える。 ガラフの最期は、古い名場面ではない。 未来への宿題である。私たちは、あの小さなドット絵の老人に、いまだに問い詰められている。 お前たちは、映像を綺麗にすることばかり考えていないか。物語をムービーに逃がしていないか。ゲームのルールそのものを感動に変える勇気を、まだ持っているか。 エクスデスは叫んだ。 「なぜ死なん」 だが本当に問われているのは、今の私たちの方である。 なぜ、あのような場面をもう一度作れないのか。 答えは、技術が足りないからではない。勇気の置き場所を、少し忘れているからである。

クレア

452,340 görüntüleme • 2 ay önce

ハリウッド闇のセレブたちの悪魔崇拝儀式。 ジャスティン・ビーバーほどのスーパーアイドルの発言で有ればすぐに飛び付くのが普通であるが、この件に関しては日本のメディアが全く報道しないジャスティン・ビーバーの真実の告発。 僕はそこから逃げだしたけどその子が死ぬ声が聞こえた。今も忘れられない。 小児虐待の儀式の話は複数から問こえてくる。 LAの「ボヘミアングローブクラブ」 アレックス・ジョーンズが数年前に暴いた話であるがこの話を調べたらこの類の儀式についてより詳しい情報が得られるだろう。 僕がこの会に入るにはこのかわいそうな子にひどいことをしないとならないんだ。だけどその時わかったことは彼らにとってはそれじゃまだ足りないってことなんだよ。 この少年を殺さなきゃならない。彼らはこの子は大勢のやつらにやられたって言っていた。 この子は出血してるって。 彼らは幼い子どもたちにドラッグを与え パーティーに連れ出しセレブたちに性的暴行をさせるのだ。もし子供を暴行することを断れば殺すと脅される。しかしもし同意したらすべての行為が撮影されるのだ。そして奴らの手におちてしまう。 このかわいそうな子どもたちは薬を打たれ 暴行されるだけでなくショックな方法で殺されるのだ。子どもたちは故意に拷問され 死めほどの恐怖を味わうが、そうされることで血液にアドレナリンが放出される。 それを飲むとこの人食いたちは自分たちは強力なパワーを得たと感じるのだ。
1:07

Sensitive content

ハリウッド闇のセレブたちの悪魔崇拝儀式。 ジャスティン・ビーバーほどのスーパーアイドルの発言で有ればすぐに飛び付くのが普通であるが、この件に関しては日本のメディアが全く報道しないジャスティン・ビーバーの真実の告発。 僕はそこから逃げだしたけどその子が死ぬ声が聞こえた。今も忘れられない。 小児虐待の儀式の話は複数から問こえてくる。 LAの「ボヘミアングローブクラブ」 アレックス・ジョーンズが数年前に暴いた話であるがこの話を調べたらこの類の儀式についてより詳しい情報が得られるだろう。 僕がこの会に入るにはこのかわいそうな子にひどいことをしないとならないんだ。だけどその時わかったことは彼らにとってはそれじゃまだ足りないってことなんだよ。 この少年を殺さなきゃならない。彼らはこの子は大勢のやつらにやられたって言っていた。 この子は出血してるって。 彼らは幼い子どもたちにドラッグを与え パーティーに連れ出しセレブたちに性的暴行をさせるのだ。もし子供を暴行することを断れば殺すと脅される。しかしもし同意したらすべての行為が撮影されるのだ。そして奴らの手におちてしまう。 このかわいそうな子どもたちは薬を打たれ 暴行されるだけでなくショックな方法で殺されるのだ。子どもたちは故意に拷問され 死めほどの恐怖を味わうが、そうされることで血液にアドレナリンが放出される。 それを飲むとこの人食いたちは自分たちは強力なパワーを得たと感じるのだ。

😺かずみん😺

249,613 görüntüleme • 1 yıl önce

もし、人間が最近登場した抽象領域——高等数学、理論物理、形式言語、コードベースの設計——ですら高い学習能力を発揮するのだとしたら、それは「進化が事前に最適化した結果」としては説明がつかない。そこには、まだ言語化されていない汎用学習のメカニズムがあるはずだ。 イリヤ・スツケヴァー「少なくとも私自身について言えば、5歳のころの自分を思い出すと、その当時は車にとても興奮していました。そして、5歳の時点で、私の『車を認識する能力』は、自動運転に十分なくらい高かったと確信しています。5歳の子どもは、それほど多くのデータを見るわけではありません。 ほとんどの時間を親の家の中で過ごすので、データの多様性はとても低いです。とはいえ、『それも進化のおかげだ』と言うことはできるかもしれません。しかし、言語や数学、コーディングについては、おそらくそうではありません」 ドワーケシュ・パテル「それでも、人間のほうがモデルより優れているように思えます。もちろん、モデルは言語や数学、コーディングそのものについては、平均的な人間より優れています。ただ、『学習する能力』という点で、モデルは平均的な人間より本当に優れているのでしょうか」 スツケヴァー「ええ、そうです。間違いなくそうです。私が言おうとしているのは、言語、数学、コーディング——とくに数学とコーディング——が示しているのは、『人を学習上手にしているもの』は、おそらく複雑なプライアというよりも、もっと根本的な何かだということです」 パテル「ちょっとよく分かりません。なぜそう言えるのですか」 スツケヴァー「では、人々が非常に高い確実性をもって発揮しているようなスキルを考えてみてください。もしそのスキルが、私たちの祖先にとって何百万年、何億年ものあいだ非常に有用だったものであれば、人間がそれを得意なのは進化のおかげであり、私たちがどこか非常に分かりにくい形で『進化的なプライア』を持っていて、そのおかげでうまくできているのだ、と主張することができます。 しかし、人々が『ごく最近になるまで存在しなかった領域』においても、高い能力、信頼性、ロバスト性、そして学習能力を発揮しているのであれば、それは『人間はそもそも、より優れた機械学習そのものを備えている』ということを示しているのです」

Tsubame

53,501 görüntüleme • 8 ay önce

トラック運転手の仕事がロボットに代替されたとき、彼らは何をすれば良いのか。「再訓練すればいい」という理屈は通用しない。彼らはプログラマーにはなれない——そもそも、プログラミングという仕事さえ消えるかもしれない。労働を中心に設計された社会制度そのものが、再設計を迫られている。 エマド・モスタク「そして、いま起きているような規模の置き換えに対応できるセーフティネットは、私たちにはありません。 私がよく挙げる実例は、アメリカのトラック運転手です。アメリカには100万人のトラック運転手がいて、その周辺には200万から300万の仕事が依存しています。 彼らは、トラックのドアを開け、乗り込み、そのまま運転していくTesla Optimusロボットに置き換えられるでしょう。そのOptimusのコストは時給1ドル50セントです。そして一瞬で、数千億ドル規模の経済が消えるわけです。 そのとき、トラック運転手は自分のアイデンティティをどうすればよいのでしょうか。 強い教会コミュニティなどを持っていれば、まだ大丈夫かもしれません。住まいを与えられるなら、それも助けになるでしょう。 しかし、プログラミングという仕事自体が存在しなくなるときに、彼らがプログラマーへ再訓練されることはありません。では、彼らは何に向かえばよいのでしょうか。 だから長期的には、社会の中で価値がどう流れるのか、そして私たちは何に報酬を与えるのかを、本当に考え直さなければならないと思います。古典的な資本構造では、それは労働と結びついていました。しかし、その結びつきはいま壊れつつあります。 数年後には、こうなるでしょう。「なぜデジタル労働者を雇う必要があるのか。文字通りのデジタル労働者がいるのに」「なぜこれをやるために人間を雇う必要があるのか。ロボットがいるのに」 そうです。これが本当の危険です。だからこそ、私たちはこの種の問題について大きな議論をしなければならないのです」

Tsubame

16,125 görüntüleme • 1 ay önce

お二人の対談内容が、衝撃的だった。 ジェイソン・モーガン先生は、こう語っていた。 ウクライナ戦争は、単なるロシア対ウクライナの戦争ではない。 その背後には、国際金融・軍産複合体・イスラエル、ユダヤマフィアの強い影響力がある。 さらに、イランをめぐる戦争もまた、イスラエルの利益と深く関係している。 世界中がその構造に巻き込まれているにもかかわらず、日本ではその本質がなかなか伝わらない。 なぜなら、日本国内には「保守」を装いながら、実際にはアメリカやイスラエルの都合を代弁するような言論『排米保守』が強く存在しているからだ。 保守の顔をした言論人を通して、 「アメリカに従うことが保守」 「イスラエルを批判してはいけない」 という空気が作られている。 メディアもまたBBCのプロパガンダ放送をそのまま翻訳して流しているだけ。 ちなみにBBCはイスラエルの諜報機関モサドから多額の援助を受けているとエプスタイン文書でばれている なぜ日本が、イスラエルの戦争に巻き込まれなければならないのか。 なぜ日本が、アメリカの戦略のためにアジアで戦争の準備をさせられているのか。 なぜ日本人は、それに気づかないまま、今の政治を支持してしまうのか。 モーガン先生はこう語っていた。 「アメリカにあれだけのことをされ、今もなお経済を壊され、好き放題やられている。それなのに、なぜ日本人は排米保守に騙され、傀儡である高市氏を支持し、黙っているのかわからない」 宇山氏もこう指摘していた。 「日本はGHQの統制によって精神的に去勢され、さらに現在は“エセ排米保守”の力が強すぎる。そのため、本当の情報が国民に届かない」 高市氏は保守の顔をしていても、実際にはアメリカの意向に沿って動く政治家であれば、ゼレンスキーと同じ、ただの操り人形だ。 つまり、日本が向かわされているのは、 「日本を守るための戦争」ではなく、 「アメリカとイスラエルの戦略に日本が利用される戦争」だということ。 ————- 🐶茂木誠先生も先日、ジェイソン・モーガン先生の話が決して荒唐無稽ではなく正しいと語っていた。 チャンネル桜での話も見たが、今ならその意味がよくわかる。 日本人はそろそろ気づかなければならない。 「親米=保守」ではない。 「アメリカに従うこと=日本を守ること」でもない。 本当の保守とは、日本を外国の戦争に差し出さないこと。 日本人の命と国益を、他国の都合よりも上に置くことだ。

Rutaso.Japan🇯🇵🐶

22,594 görüntüleme • 3 ay önce

戦前の『大日本帝国憲法』の下では、個人というのは、国家に奉仕するものというふうに位置づけられていました。 これが『日本国憲法』になって、180度転換したと言ってもいいと思います。 13条で個人の尊重。 すべて国民は個人として尊重されるということが規定されていますけれども、つまり、個人の人権のために、国家があるのだというふうに考え方が変わっています。 ある意味、そのことが理解できれば『憲法』の構造というのは、だいたい90%ぐらい理解できたと言っても過言ではないと思います。 個人の尊重というのは、どういうことかと言えば、その人の人格というのは思想に一番よく表れますから、思想や信条の自由を保証したりとか、あるいは、その思想というのは外に発表したいということを求めますから、それが表現の自由として保証されるということです。 いくら自由だ自由だと言っても、やっぱり命が大事ですので、食べていかなければいけないということで、生存権を保障したりとか、すべてその個人の尊重というところに繋がっています。 統治の機構も、権力分立などが規定されていますが、これはどうしても権力というのは濫用されがちなので、チェックアンドバランスを確保することによって個人の人権が守られるように。 また多数者であっても、つまり立法権であっても奪えない人権というのを確保することによって、法の支配という構造をとっています。 あくまでも、個人の尊重というのが目的で、立憲主義や権力分立はその手段に過ぎませんから、人権をより豊かにしていくだとか、あるいはその立憲主義をより強化するという意味での憲法改正という議論は大いににあって良いのではないかと思っています。 あくまでも憲法の条文というのは、文字で書かれているものに過ぎないので、どういう中身を豊かにしていくかというのは政治の役割だと思います。 かつてであれば人権だと認識されなかったものも、時代の変化や意識の変化によって、これが人権問題だというふうに捉えられるようになっているものもあります。 これは、奥平康弘先生の言葉を借りれば、憲法という、その時代に書かれたテキスト、それを後の時代に生きている人たちと、いわば、その中身をともに創造していく、未完のプロジェクトだと言っても良いと思います。 #戦後80年 #終戦記念日 #憲法9条 #憲法 #平和 #個人の尊重

山花 郁夫 #あなたがあなたらしく生きられるためにー

12,510 görüntüleme • 11 ay önce

🇮🇷【イラン人男性からグレタへの言葉】 ───「100年後の地球よりも、今日の処刑を止めてくれ」という、極限状態に置かれた人々の痛烈な叫びです。 イラン人男性: 「一体全体、なぜ人々が君のことを「人権活動家」なんて呼ぶのか、僕にはさっぱりわからない。 『アメリカ大統領(トランプ)は今、ある一つの文明が今夜死に絶え、二度と元には戻らないだろうと言った。 それなのに、誰も反応していない。 これが全てを物語っている。 一体みんな、この状況で何をボサッとしているんだ?』───。 1,900万人以上の人々が君のビデオを見た。 これは、これまでに起こり得た中で最も胸糞悪い出来事の一つだ。 なぜなら、君は「僕の文明」について語っているのに、その僕の文明は40日間以上もインターネットへのアクセスを完全に遮断されている。 君はそのことについては一言も触れない。 君はその事実について、世間の関心を喚起しようともしない。 それでどうして、自分は「人間」のことを大切に思っているなんて主張できるんだ? 狂信的な連中を除けば、ほぼ全てのイラン人が現体制に反対している。 その狂信者どもは、君が自由に生きることも、自由に発言することも許さない連中だ。 あるいは、君がそんな格好で外を歩くことさえ許さないだろう。 もし「戦争が解決策ではない」と言うのなら、わかった。 ならば、変化は内側から起こさなければならない。 だが制裁は機能していない。 そして、もし人々が自由を求めてデモに出れば、何が起こるか。 3万人、4万人……。 僕はもうこの数字を繰り返すことに、うんざりし、疲れ果ててしまった。 なぜなら、誰も気に留めないからだ。 君が唯一気にしているのは、トランプが何を言うかだけだ。 なぜなら、君は彼のことがクソ忌々しいほど嫌いだからだ。 君は僕の文明のことなんて、どうでもいいんだ。 僕の仲間たちが毎日、一人ずつ処刑されているというのに。 なぜ君は、そのことについてのビデオを作ろうとしないんだ? 僕は、僕の国民を支えるためにここにいる。 いいか、僕はトランプを支持するためにここにいるわけでも、戦争を支持するためにここにいるわけでもない。 僕はバカじゃない。 自分の国が破壊されることなんて望んでいない。 そこを理解してくれ。 だが、もし「これ」しか方法がないというのなら……。 この体制を排除する手段が他にないのなら。 ならば、やってくれ。 僕はそのために死ぬ覚悟ができている。 トランプの言ったことは、最高に賢いやり方ではないかもしれない。 だが、彼が言った「文明」というのは、イラン国民のことではないんだ。 イランの人々は標的ではない。 民間人は標的ではないんだ。 もし建物が破壊されているのを見たら、それは体制側の人間が民間人の間に隠れているからだ。 「アメリカに死を」「イスラエルに死を」と叫び、全世界を脅し、自国民を殺し、逮捕し、処刑している現体制以外に、文明を破壊しようとしている奴など誰もいない。 君は一度でもイランに来たことがあるか? ないだろう。 君は僕の国民が何を望んでいるかさえ知らない。 彼らにはインターネットがないんだから。 君には巨大な聴衆(オーディエンス)がいる。 なぜ、この現状を世に知らせるためにそれを使わないんだ? 僕たちはバカじゃない。 君のプロパガンダを僕たちに押し付けることなんてできない。 今度はそうはいかない。 このイランという国家相手には、そんな真似は通用しないんだ!」 🎯🔥🔥

Elise Vanessa

27,117 görüntüleme • 3 ay önce

大森さんがインスタライブで、ミセスが冷笑されること、ハスられること、斜に構えて捉えられることについて語った。「僕が音楽好きだったとして、ミセスという存在を傍から見た時に、僕もやっぱりハスるなというか、斜に構えて見るよなと思ってて。なかなかそのグループのコアな部分というか大切なものって見えないものだから。自分だったらなぁと思う、僕そっち側の人だからどっちかというと。でもだからこそ、突っ切って、ぶっぱなしたさがあるよね」と……。 少し前に、米津さんがインタビューで「(冷笑は)自分を守るために機能していることもある」と発言していたことを思い出す。そのような態度で居ることでしか自分を保てないほど苦しい境遇に置かれてる人たちなのだということが、彼には見えている。その慧眼に驚かされるとともに、どん詰まりに居る人を馬鹿にできないし置いていけないと考えるのが米津さんなのだなと思った。傷を保護する自衛としての手段、あるいは最後の砦としてのユーモアを否定しない。顔すら見えない遠くの誰かの人生にそっと想像力を伸ばせる彼が(彼は否定するかもしれないけれど)実に福祉的で、私は大好きだ。今の時代になくてはならない感覚のアーティストだと思う。 一方で、物事を誰よりも穿って見てしまう、斜に構えてしまうデフォルトの自分のネガ思考を把握した上で、いや待てよ、僕たちはいずれ灰になって空を舞うんだからその時間が勿体ない。哀しいかな、人生には意味なんてない。だからいっそのこと圧倒的に「ぶっぱなす」、ぶっちぎってみせる、そうでもしないと人生やってられんだろ!という方向にギアを切る大森さんのこともまた大好きだ。そこにはミセスの曲に共通する「ニヒリズム」から「積極的ニヒリズム」への転換がある。体育座りをして指先で傷つけあっていても仕方ない。だから彼は粛々と自分の信じる音楽を作り、ぶっちぎった先(キラキラした花道のど真ん中)で、孤独を歌おうとしている。圧倒的な熱量で、こぼれ落ちてしまった人を温めようとしている。私もド鬱のド陰キャなので、彼らのヒーロー性が眩しくて聴けないという意見にも分かるところがあるが、彼のそもそもの出発点が「拭えない孤独」であることを理解して聴くと、ミセスの楽曲は途端に深みを増すし、生きることへの起爆剤になると思っている。エンターテインメントにおいて、大衆化することとマイノリティの痛みに寄り添うことはトレードオフになりがちだ。ただ眩しいだけの光は、暗闇にいる人を時に拒絶しさらに深く傷つけてしまうこともある。そこを諦めず、「間口を広げながら、深みもつけていく」という誰も挑んだことのない矛盾する難題をやってのけようとしているのが大森さんでありミセスだと思う。正気の沙汰ではないし、ポップスを鳴らす覚悟が半端ない。もはや狂気だ。 どちらも根は同じド陰キャなのだが、発露の仕方が異なるのがおもしろい。 ここに風くんが居たらなんと言うかな、と想像しながらフフフとなる。「冷笑?なんでそんな疲れることしとるん?何なんw にんげんのみなさま、貴方こそが神で、貴方こそが愛。それを忘れないで」とあの優しげなトーンで言うかもしれないし言わないかもしれない。​「ハスる」「冷笑する」という自意識のこんがらがったゲームそのものを、彼なら「それ、幻じゃが。お疲れさまぁ」とお茶を差し出すように軽やかに無効化してしまいそうだ。やはり大好きだ。 ​米津さんが「暗闇に一緒に腰を下ろしてくれる人」ならば、大森さんは「自らの闇を焦がす光で世の中を照らす人」であり、風くんは「そもそも私ら、最初から光の中に放り込まれとるが?」という人なのではないか……冷笑をきっかけにそんなことを思ったりした。彼らの音楽がそれぞれのアプローチで、生きづらさを抱える私に気づきをくれ、肯定してくれることに感謝している。同じ時代に異なる三つの光。日本の音楽シーンは今日も豊かで楽しいね。

ナギ

930,797 görüntüleme • 21 gün önce

いまのAIに決定的に欠けているのは、僕たちの背景を理解する能力だ。だから毎回プロンプトで関係性を組み立て、状況説明をし、欲しい出力へ誘導しなければならない。だが、その制約が外れ始めたとき、AIは単なる便利ツールではなくなるのだろう。その日はきっと、それほど遠くない。 サム・アルトマン「今のモデルは、将来そうなるものと比べれば、まだかなり愚かです。しかもそれ以上に、あなたの人生についての理解がきわめて限られています。今はまだ、こちらがうまく、なだめたりすかしたりしながら、欲しいものを引き出さなければならないのです。 ですが、あなたの文脈をすべて知っているようなモデルは、もうそれほど遠くありません。そのモデルは、あなたのことを知っている。あなたの人生を知っている。何をしているかを知っている。何を大事にしているかを知っている。あなたの人生にいる人たちのことも知っている。もちろん、あなたが望む形で、望む範囲においてですが、あなたのコンピュータやブラウザにもアクセスできる。そして時間がたつにつれて、現実世界であなたの周囲に起きていることにも、ますますアクセスするようになるかもしれません。 それは、コンピュータを使う感覚、そしてAIを使う感覚そのものを、完全に変えてしまうはずです。私はそれに強く興奮しています。ただ、実際それがどんな感覚になるのかは、私たち自身でさえ、まだ十分に直感できていないと思います」 グレッグ・ブロックマン「まさにその点ですが、今の私たちは、チャットでも何でも、使っているツールに対して『何が起きているのか』を説明するのに、ものすごく多くの時間を使っています。そしてそれがどれだけ苛立たしいかを考えてみてください。まるで同僚に対して、いや、私が欲しいのはこういうことで、今こういう状況なんだ、と延々説明し続けているようなものです。今のシステムの振る舞い方は、本来こうあってほしい姿ではないのです」

Tsubame

15,287 görüntüleme • 3 ay önce

すべての人に「自分の代理人として働くAI」がつく世界は一見ユートピアに見えるが、僕たちはAIの決定に「了解」と返すだけの存在になってしまうかもしれない。だからその先では「AIとの融合」という論点が避けられなくなっていく。理解そのものをAIと共有し、人間が再びゲームの内部に戻るのだ。 イリヤ・スツケヴァー「長期的な均衡という観点から言うと、一つのアプローチは『おそらくすべての人が、自分のために行動してくれるAIを持つようになる』という世界だ、と言えるかもしれません。それが無期限に維持できるなら、確かに良いことです。 しかしその欠点は、AIがその人のためにお金を稼ぎ、政治の場でニーズを代弁し、おそらく『これこれこういうことをやりました。状況はこうです』とレポートを書き、人間は『素晴らしい、そのまま続けて』と返すだけになることです。そこで人間は、もはやプロセスの参加者ではなくなってしまう。これはかなり危うい状態だと言えるでしょう。 気に入っている解決策ではないと前置きしますが、一つの解は『人間がNeuralink++のようなもので部分的にAIになる』ことです。そうなると、AIが何かを理解したとき、私たちもそれを理解するようになり、その理解が丸ごと転送される。AIが何らかの状況に置かれているとき、その状況に私たち自身も完全に関与していることになる。それが長期的な均衡に対する答えだと、私は考えています」

Tsubame

21,189 görüntüleme • 8 ay önce