Video yükleniyor...

Video Yüklenemedi

Ana Sayfaya Dön

#映画ラブソングの軌跡 ࿐⋆ Q. 制作期間中、奇跡は起こりましたか?  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ 音の仕上げ作業中に、思わず胸があたたかくなる出来事がありました。 それは、 ソウタとカイの想いがそっと重なり合う あの “食卓のシーン” の音源を 最終調整していたとき。 スタジオのモニターに映った 音の波長を示すグラフが 突然「ハート」の形を描いたのです。 まるで二人の気持ちが音を通して繋がったかのような、 ささやかな奇跡の瞬間でした。 ぜひ音ありでお聴きください🌻 映画『(LOVE SONG)』絶賛上映中 #movielovesong #映画ラブソング

458,360 görüntüleme • 9 ay önce •via X (Twitter)

0 Yorum

Yorum bulunmuyor

Orijinal gönderinin yorumları burada görünecek

Benzer Videolar

昨日と一昨日、僕の地元である兵庫県川西市で、『映画 えんとつ町のプペル ~約束の時計台~』の上映イベントをおこないました。 2日間の観客動員は、2420名。 (※チケット売り上げ、グッズ売り上げなどの細かい数字に関しては今日のサロン記事で全て共有させていただきますので、そちらでご確認ください) 今回、会場にはたくさんの子供たちが集まり、ロビーは縁日のような盛り上がりを見せ、映画を観に来たというより、お祭りに遊びに来たような空気があり、「熱狂」があり、それは僕らエンタメ屋がもっとも見たい景色でした。 ただ、最初からこの景色を目指していたわけはなくて、これは「プランB」なんです。 そもそも僕たちが上映イベントを始めたのは、映画公開時の初動が苦戦したことがキッカケで、「どうすれば、この作品を一人でも多くの方に観てもらえるんだろう?」という想いからでした。 4年半かけて作った作品が思うようなスタートを切れなくて、 申し訳ない気持ちになりましたし、みっともない気持ちにもなりましたし、 何より、悔しかったな。 映画業界には、「映画は公開から3日の結果がすべて」という定説があります。 初動が悪ければ、上映館数や上映回数が減り、そのまま興行が終わっていく…というアレです。 ただ、『映画 えんとつ町のプペル ~約束の時計台~』に関しては、評価と数字が合ってなくて、僕自身、この作品がこんなところで力尽きるとは到底思えなかったし、こんなところで終わりにしたくなかったんですね。 というわけで、「3日間で結果が出なければ終わり」ではなくて、その後からでも人を集めることができないのか考えてみることにしたわけです。 まず最初にやったのは「数字を盛ってよく見せようとするのではなくて、現状を正直に共有すること。 そして、それによって『応援シロ』を作ること。 「知られたくない結果」ほど皆は知りたいわけで、ここを見せないと何も始まらないので、「お恥ずかしい話ですが、今はココです」と現在地を正直に共有し、そこから、逆転の策を練りました。 その後に僕が提案したのは「長期決戦」でした。 「映画を10年間上映し続ける為には、何をして、何したらダメなのだろう?」と考えてみることに。 映画館に来てもらうだけではなく、映画そのものを「イベント」にして、人が集まる理由をつくることはできないのか?という試行錯誤の先に、今回の川西での上映イベントがあったわけです。 なので、初動が順調だったら、 何も問題が起きずに映画がヒットしていたら、 僕は、この2日間の景色を見ることができなかった。 第一希望(プランA)が必ずしも一番良い未来とは限らないなぁと昨日あらためて思いました。 そして、もう一つ思ったことがあります。 それは、「この景色を最優先する」ということ。 経営者なので、当然、収支は見ます。 事業として成立しているか。 キャッシュフローは大丈夫か。 投資したものをどう回収していくか。 それは、絶対に無視できません。 ですが、僕は経営者の前に一人のエンタメ屋です。 エンターテインメントには、目の前で人が笑い、子供たちが走り回り、町全体が少しだけ浮き足立っているような景色があって、それらには数字では測れない価値がある。 僕たちはこの価値を後回しにする会社であってはいけない。 今回の川西で、そのことを改めて教えてもらいました。 人生は、思い通りにいかないことだらけです。 経営も、思い通りにいかないことだらけです。 繰り返しますが、4年半かけて作った作品の初動が伸びなかった時、本当に苦しかったし、申し訳なかったし、みっともなかったし、悔しかった。 だけど、あの苦戦があったから、僕たちは「ならば、こっちでどうだ?」を考え、その結果、僕の地元・川西で2400人以上の人たちと一緒に、宝物のような景色を見ることができました。 ここから『映画 えんとつ町のプペル 〜約束の時計台〜』の上映イベントを各地で展開していきます。 皆様の街でもやらせていただきますので、是非、お越しください。 あらためて。 あの時は「失敗」だと思っていたものが、時間が経ってみると、僕たちを別の場所へ連れていってくれる大きなギフトでした。 だから、うまくいかないことを、すぐに「失敗」と決めつけないようにしたいと思います。 その出来事が、自分を連れていくのかは、その時点では分からないのだから。

西野亮廣(キングコング)

72,712 görüntüleme • 1 ay önce

『映画ちいかわ 人魚の島のひみつ』は、原作を超えたのか。 結論から言う。 超えた部分もある。だが、原作にしかない怖さも失われた。 長文です。動画も作りました。 映画化としては、かなり成功している。 しかし、すべてが原作以上になったわけではない。 まず、映画が原作を超えたと感じた点を三つ挙げる。 一つ目は、音である。 漫画では、セイレーンの歌声も、波の音も、攻撃の衝撃も、読者が頭の中で想像する。 だが映画では、それらが具体的な音として押し寄せてくる。 特に、かわいらしい画面と、重く響く音の落差がすごい。 人魚をめぐる真相も、漫画ではコマと擬音によって距離を保てたが、 映画では音が付くことで、行為の暴力性が一気に現実へ近づく。 二つ目は、時間である。 漫画は自分の速度で読める。 怖い場面で止まることも、前のページへ戻ることもできる。 一方、映画は観客を決められた速度で物語の先へ運ぶ。 島へ着いた直後の楽しさ。 島民たちとの交流。 セイレーンの出現。 そして真相。 楽しい時間が少しずつ壊れていく流れを、観客は止められない。 この逃げられなさは、映画だからこそ成立した恐怖である。 三つ目は、登場人物の感情である。 ちいかわが怯える呼吸。 ハチワレが状況を理解しようとする声。 ラッコが危険を前にして見せる緊張。 うさぎの予測不能な動き。 漫画では小さな表情の変化として描かれていたものが、 声と動きによって立体的になっている。 特にヒトハとフタバは、真相を知ってから見返すと、 沈黙や視線の一つ一つが別の意味に見える。 これは映像化の大きな成功である。 では、原作の方が優れている部分は何か。 一番は、余白である。 漫画では、残酷な行為そのものをすべて説明しない。 コマとコマの間に、読者が想像する空間がある。 何が起きたのか。 どんな気持ちだったのか。 この先、二人はどうなるのか。 答えを与えすぎないからこそ、読後に不安が残る。 映画は音と動きで情報が増えた分、原作の曖昧さが少し減っている。 もう一つの弱点は、映画として観ると、 中盤の反復が長く感じられる可能性があることだ。 島での楽しい時間と、セイレーンによる被害を丁寧に積み上げる構成は、 原作ファンにはうれしい。 しかし、初めて触れる観客には、 物語の本当の焦点が見えるまで時間がかかるかもしれない。 そして最大の問題は、映像が豪華になることで、 残酷な物語まで娯楽として気持ちよく消費できてしまうことである。 アクションの迫力。 歌の魅力。 かわいい登場人物。 それらが強いほど、本作が描く罪や責任が薄く見える危険もある。 それでも私は、この映画化を高く評価する。 理由は、原作を分かりやすい子ども向け作品に変更せず、 ナガノ作品の不穏さを残したからである。 原作を超えたかどうかを、勝ち負けで決める必要はない。 漫画は、余白で怖がらせる。 映画は、音と時間で逃げ場を奪う。 同じ物語を、異なる方法で怖くした。 映画を観た人は、ぜひ原作も読んでほしい。 映画で具体化されたものと、漫画で最後まで曖昧なまま残されたもの。 その違いを比べたとき、 『人魚の島のひみつ』という物語の異常な完成度が、さらに見えてくるはずである。 あなたは、映画と原作、どちらが怖かったですか。 コメントで教えてください。

榊󠄀原清一 / 人財版 令和の虎 主宰

44,708 görüntüleme • 1 ay önce

相米慎二「『ションベン・ライダー』('82⇩)というバカな映画が残したことは、一つには、50年代以降映画がお客さんから最も遠いメディアとして世の中の片側に追いやられる中で忘れてきたこと、映画本来の暗闇と対面することの中から受け取る方法の一番大きなものとしてあったキャメラというものに対する、自分なりの新しい模索をそこから始めなければならかった、ということ」 「『セーラー服と機関銃』(81)という成功の形と全然縁もゆかりもない、むしろ成功を自分が捨てる事で、役者の魅力とかホンの魅力とか当然映画を面白くみせるための要素はたくさんあるわけですけども、映画本来の持っている最も身近にあるキャメラというものをもういっぺんつかみなおしてみたいというのが、あの映画をやる気になった一番の理由なんです。それは例えば、映画が人の周りから遠くなった理由を世の中の人は色々語ります。テレビがあり、あるいは娯楽の多様性とかもう様々な分野から、映画の客が減少していったことを語ることはできるはずですけれども、作り手としての、僕達がお客さんを映画から最も離した要素の一番大きいものは、それは多分キャメラだという風に僕は思ったんです。それはテレビというメディアで育った世代が、一つには映画を観る努カ――映画を観るには多分テレビを観るような安直さでは多分映画を観ることは出来ないということに、ある一本でも二本でも映画を観た人なら気付く筈なんです。その映画を本当に面白く観るためには、ある映画の本数と、映画が持っているリズムと、映画が発散する空気をつかむ方法を自分がつかまなければ、映画というものはただ流れてゆくだけのもので、本当につまらないものだと思うんです」 -『甦る相米慎二』木村建哉・中村秀之・藤井仁子編著、インスクリプト、2011、370-371p

nave

26,323 görüntüleme • 12 gün önce

私が担当いたしました #ゼグレイダープラス の音楽について… 開発当初、内藤氏から「ゼグレイダーがもしゲーセンにあったら!」というとてもシンプルな御指示を賜り…。 うむ。。。ゲーセン。。。何を使って鳴らそうかな。。。 ということで、私の中でのゲーセン。昔憧れていたあのゲーセンサウンド!を!!と 私なりにシンプルに向かった先が、YM2151+最大16chの8bit PCMという、【あの音源セット】でした。 動画で流れる曲はLv12(12面)のボス曲ですが、こんな調子で、全曲【あの音源セット】のエミュレートでもって制作させていただきました。 ただ…PCM音源!と言ったところで、いきなり面白い結果を得られるものでもなく、真っ白な初期状態からひとつひとつ音ネタを仕込んでいった訳ですが、今回の楽曲に組み込んだPCMデータはCubaseの素材や、SC-88Pro,SC-8850からの新規制作になります。 サンプリングレートは(音階を用いることもあるので一概には言えませんが)【部分的にでもX68000】をオマージュしたかったのもあり、15625/7812Hzを基準としました。 結局、PCM 16ch全てを使うことはなかった(最大で11かな…)のですが、 ゲームの序盤はPCM少なめ、後半にかけてFM音源とPCM音源の絡みが徐々に派手になっていきますので、そのあたりもお楽しみいただければ幸いです。 furnace tracker

新田忠弘【Tadahiro Nitta】

27,964 görüntüleme • 3 ay önce

同じ映像なのに、再生するたび“聞こえる声”が変わった。 今回の話は、ヤバい帝国が大阪にある「人形酒場 絶望の壁」を取材したときに起きた、奇妙な音声現象です。 「絶望の壁」は、店内に不気味な人形や、いわくのある品々が大量に並ぶ独特な店です。 撮影が行われたのは昼間の準備中。営業中のような客の話し声や物音はなく、外から鳥や猫の声が頻繁に入ってくるような環境でもありませんでした。 取材そのものは、特に大きな異変もなく終了します。 ところが後日、その映像をイベント会場で再生したとき、映像の中から奇妙な音が聞こえてきました。 最初に聞こえたのは、鳥の鳴き声のような音。 次に再生したときには、猫が鳴いているような声。 さらに別の場面では、人間が笑っているようにも聞こえる声まで混ざっていたといいます。 これだけなら、撮影時に入り込んだ環境音や、機材が拾った雑音とも考えられます。 しかし、本当に気味が悪いのはここからです。 同じ映像ファイルを、同じ会場で再生しているはずなのに、その音が毎回同じようには聞こえなかったのです。 一度目には聞こえた鳥の声が、次に再生すると消えている。 猫の声が入ったと思った場所をもう一度確認しても、今度は何も聞こえない。 会場にいた複数の人が確かに聞いているのに、元の撮影データを確認すると、それらしい音が見つからない。 普通、映像データに記録された音なら、何度再生しても同じ場所で、同じ音が流れるはずです。 ところが今回は、まるで映像に音が保存されていたのではなく、再生されたその場で“何か”が声を加えていたように見えます。 さらに猫の声には、別の不気味なつながりがありました。 以前、ヤバい帝国がオカルトスイーパーズとトンネルロケを行った際にも、猫のような声が録音されていたといいます。 しかも、その音は近くにいた人のマイクには入らず、福田さんと角さん側のマイクにだけ残っていました。 同じ場所にいたのなら、環境音は複数のマイクに入っても不思議ではありません。それなのに、なぜ特定の二人の側だけで聞こえたのでしょうか。 角さんには、かつて飼っていた猫が家からいなくなり、そのまま戻ってこなかったという経験もあります。 そのため一瞬、「あの猫が何かを伝えようとしているのではないか」という考えも浮かびました。 しかし、声を聞き比べると、どうも同じ猫とは思えなかった。 では、あの鳴き声はいったい誰の猫だったのか。 むしろ正体の分からない“猫のような何か”が、取材先から取材先へついて来ているようにも感じられます。 鳥の声にも、似たような偶然がありました。 福田さんは最近、大阪で見つけた「異様なほど鳥が集まる場所」について話していました。 すると、その後に再生された「絶望の壁」の映像から、鳥に似た声が聞こえてきたのです。 猫の話をすれば、猫の声。 鳥の話をすれば、鳥の声。 まるで、人間たちの会話をどこかで聞いていたものが、知っている音を使って反応しているようです。 もちろん、音響設備の不具合、別の機器からの混線、会場内の環境音、あるいは人間の脳が曖昧な雑音を声として捉える現象など、現実的な可能性は考えられます。 しかし、それならなぜ、話題に出たものと似た音が続けて現れたのでしょうか。 そして、なぜ同じファイルなのに、再生するたび聞こえ方が変わったのでしょう。 この体験の怖さは、幽霊の姿が映り込んだことではありません。 姿は何も見えない。 映像の中にも、はっきりした異変はない。 ただ、存在しないはずの声だけが、必要な瞬間に現れては消えていく。 「絶望の壁」に並んでいた人形や呪物が、取材中の会話を静かに聞いていたのか。 それとも撮影をきっかけに、何かが映像ではなく、福田さんたちの側について来てしまったのか。 もし次に再生したとき、その声が鳥でも猫でもなく、はっきりと誰かの名前を呼んだとしたら――あなたは、それでもただのノイズだと思えるでしょうか?

角由紀子のヤバイ帝国

121,869 görüntüleme • 1 ay önce

前回の投稿で横浜にて惨状を晒しちゃった国際名乗っちゃってる映画祭もどきのイベントの事を呟いたら、業界も映画ファンの方々からも多く賛同頂いたので、バズッた❓ってことでこちらのお話もさせて下さい。 これまた横浜と企みは一緒ですが、それ以下の劣化版で、いまやマスコミにも相手にされず、現地の夕張でも誰も話題にしないのが #ゆうばり国際ファンタスティック映画祭 なのですが、我々の様な映画人、映画ファンたちが夢見ていたかつての栄光ある映画祭とは全く別物です。 名前だけ手に入れた運営会社が映画祭利用して金を稼ぐのと同時に、運営の頭が自分は文化貢献しているという肩書で商売利用しているのが現状です。 2年前に前の運営(※ここの前理事長も問題あるんだけどねw)がダメになり、#ゆうばり映画祭 の継続がこのままだと難しいとなり、映画祭で育っててもらった身としては、なんとかしたいから映画祭の有志の会を立ち上げて代表務めましたが、参入してきたいまの運営たちが全く映画を理解しておらず、昨年は35回の節目だから一から話をして映画祭を少しでも立て直せたらと思ってましたが、とにかく頭にあるのは「イベントだ、儲かるかどうか?」など映画のことなど頭に無くて、上映作品(節目だから回顧としてかつて上映した作品など)のことも話しても、上映料とかも知らず「なんでお金が掛かるの? そんなことよりイベントを!」という状態…もう限界だと辞任した訳です。 声掛けてたゲスト候補や各映画会社にも状況説明と謝罪し、一応は収まりましたが、今度は逆恨みした運営側が「中田は何百万と法外なギャラを請求したから辞めさせた」と嘘を吹聴してましたが、関係者は実情知ってたので「大変でしたね」と労ってくれました。 なるべく映画祭に負担掛けたくないから、ゲスト候補との交渉(お茶飲んだりとか)とか掛かった必要経費だけで請求したんだけどね、3万円ちょいw(それも渋ってなかなか払わなかった…)。 そんな誰も映画も映画祭も根本的に理解していない連中(※横浜でやったイベント屋と同じ感覚)でやった去年のゆうばり映画祭は、名前だけ堂々と名乗っているけど別物で、バッタ屋たちの下世話最低イベントになってしまったのは、去年行って酷い目に遇ったゲストや(※本人たちから聞いたけどスゲー話)、わざわざ行った映画ファンの方々のお話が真実です。 もう、かつてのゆうばりファンタはこの世には存在しません。我々の大切だった映画祭はもう無いのです。 でも、この映画祭を昔からの継続だと思ってコンペに応募している方々や、映画が好きで集うボランティアスタッフ(※去年の人たち散々でしたね)や、映画ファンの皆様、いまのゆうばり国際ファンタスティック映画祭は全くの別物です。映画愛も微塵に無くて、前運営理事長から手に入れたバッタ屋たちのイベントです。 なので、あなたたちの映画への愛や情熱や、そして夢が利用されないことと、失望しないことを切に願います。 もう上映も決まって行かれる方はどうぞご用心下さい。 映画を愛してない人間たちが映画を商売利用することに憤りを感じます。 そして前の投稿でも言いましたが横浜を始め、いまは気軽に国際映画祭ってどこでも名乗る身分相応でない映画祭もどきが増えちゃた由々しき事態も、日本映画界隈の問題だと思ってます。 我々が心から愛してる映画を舐めないで欲しい。 そんな事もあってなぜ、ゆうばり映画祭はこんなことになってしまったのか?と、それを伝えるべく現在ドキュメンタリー映画を製作しております。まだまだ取材と撮影はしております。色々とえげつない話が出てきてますw まさに取材を進める内に出て来た“不可解な真実”を、皆さんに知って貰い、今後の警鐘になれたら幸いです。 中田圭監督作品「ゆうばり映画祭の不可解な真実」製作中

中田圭

21,235 görüntüleme • 4 ay önce

WORLD AI FILM FESTIVAL 2026 in KYOTO ベストAIフィルム ファイナリストノミネート 「memory of father.」 #WAIFF 病を抱えた父を自宅に引き取った息子。残された時間のなかで、ふたりはかつての記憶を辿りながら、本当の別れを受け入れようとしている。静かに立場が入れ替わる時間の流れの中で、過去と現在はゆるやかに交差していく。 (以下は本作に寄せたあとがきです。ぜひ本編をご覧になってからお読みください。) 「memory of father.」に寄せて 本作は、私の奥でくすぶっていた、ごく個人的な感情から制作を始めました。私のど真ん中に居座り、こねくり回してきた「家族」というテーマ。とりわけ「父」という存在について。その物語を形にしたかった。 制作の途中、作品として成立させるため当初の構想からは姿を変えていますが、その気持ちは変わってません。 映画は、いつも私を知らないどこかへ連れて行ってくれます。ゆっくりと自分の中に温かさが満ちていくのを感じること。これまで感じたことのない気持ちを味わわせてくれること。ときに、言葉にならない感情をぐちゅぐちゅと抉られること。私にとってそのすべての映画体験が愛しいものです。 「memory of father.」は、そんな「手触り」を感じられる映画を目指しました。観る人の心に直接触れるような、優しく、感情の輪郭に触れるような作品でありたいと願ったものです。 去年の夏AIに触れるまで、私には映像制作の経験がありませんでした。いま私ができるのは、ただAIと一緒に映像を作ることだけです。フィールドを問わず、誰でも映像作品を作ることができる、そんなささやかな証明を、この作品で成し遂げたかったのかもしれません。 そして、AI映像制作に取り組む中でふつふつと芽生え始めた、AIと一緒なら私にも大好きな映画を作れるようになるかもしれない。そんなささやかな夢が、短い作品ではありますが、いま、ひとつ叶いました。 この作品に、所謂「AIらしさ」というものはありません。登場人物が自然にそこに息づいていること、そして観てくださる皆さんを映像の世界に引き込むこと。この二つを、意識して制作しています。 制作中は、友人たち、そしてお世話になっている方から、フィードバックやアドバイスをいただきました。特に伊香佑志さん(伊香佑志 / Honoo)からの言葉がなければ、この作品は完成しなかったと思っています。改めて、心からの感謝を伝えたいです。 そして、今この世にあるすべての映画作品に、心からの感謝と敬意をこめて。

ICO

66,710 görüntüleme • 6 ay önce

「愛している」と言わないことが最大の愛。そんな切ない気持ち。あなたは経験したことありますか? ファイナルファンタジー6。ロック、レイチェル、セリス。この3人が紡ぐこのシーン。涙無しで見ることはできなかった。 「お話したかった。」蘇るレイチェル。 でもそれは幻獣フェニックスの最後の力が起こしたつかの間の奇跡だった。 レイチェルは言う。 「愛している。」ではなく、 「幸せだった。」と。 「幸せをありがとう。」と。 レイチェルは続ける。 「心を縛っている鎖を断ち切って。」 「あなたの心の中の、その人を愛してあげて。」と。 レイチェルがロックに「愛してる。」と言わなかったことに、レイチェルの最大の愛がこめられている。自分はそう思いました。本当は言いたかったはずです。「愛している。」と。 あとこれは勝手な解釈ですが、レイチェルはこの場面、選択があったのではないかと思いました。 「自分がフェニックスの命を使って蘇るか。」 それとも 「自分の最後の命を使ってフェニックスの力を蘇らせるか。」 「フェニックスよ、よみがえり、ロックの力に!!」 その言葉と共にレイチェルが輝き、フェニックスが復活する。 魔石フェニックスには永遠の炎の力だけではなく、永遠の愛の力が宿った。 自分はそう解釈しました。 魔石レイチェル、大事に使っていきます。 そして、立ち上がり、再び闘志を燃やすロック。歩み寄るセリス。 ムービーが終わり、メニューボタンを開いた瞬間、ロックとセリスしかいないことにも心をつかまれました。 このシーンは、ロック、レイチェル、セリスの3人だけの物語だったんですね。 皆さんはこのシーン、どんな気持ちで見ましたか?

弦 | GEN GAME

111,708 görüntüleme • 5 ay önce