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Ana Sayfaya Dön

昭和天皇 「私はどうなってもいいが、天皇の名のもとに戦った人々を救ってほしい」 連合国軍最高司令官ダグラス・マッカーサーの副官として、日本語の通訳者だったフォービアン・バワーズ少佐(Faubion Bowers)の貴重な証言 #昭和の日

660,318 görüntüleme • 1 yıl önce •via X (Twitter)

12 Yorum

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六衛府1 yıl önce

故・バワーズ少佐の証言している「あの日」とは1945年9月27日です。翌28日、朝日新聞が報道し、それを見た内閣情報局は写真と、同時掲載したアメリカ人記者の天皇会見記が「皇室の尊厳を損ない、公安に害がある」として頒布禁止処分を命じましたが連合国軍最高司令官総司令部は撤回を命じました。

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3sis.Dad1 yıl önce

我々が書籍等で見聞きしてきた 昭和天皇のマッカーサー面談時 のこの様なお気持ちの表明は本当 だったと思うと感極まります

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六衛府1 yıl önce

畏くも 昭和帝はこの会見の場で皇室財産(37億円・当時)を担保に全国民の衣食住の保証をマッカーサーに願い出ています。

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Theron Bassett2 yıl önce

When tyranny becomes law, rebellion becomes duty. - Thomas Jefferson

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じゅんたまのすけ1 yıl önce

私もこの方の動画を😂👍🏻 同じものをチョイスした、なかーまです🙏🏻スミマセン💦

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六衛府1 yıl önce

今日はこれしかないかなと(^_^;) 絶対に教科書には掲載されない歴史の真実ですね。

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derby_xx1 yıl önce

マッカーサーは昭和天皇の命乞いが見たくてワクワクしてたんですよね、ところが全く反対のコメントを聞いて、逆に畏敬の念を抱いたという逸話

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六衛府1 yıl önce

真意を把握したマッカーサーの言葉遣いが「You(あなた)」から「Your Majesty(陛下)」に変わりました。

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トーキョー031 yıl önce

真逆の日中友好議連。

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六衛府1 yıl önce

利権窓口ですね。

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JF😊🎌1 yıl önce

夫にこの話をしたばかり。 夫に映像見せます!

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六衛府1 yıl önce

お願いします。学校で教えないので知らない方は多いと思います。

Benzer Videolar

7月7日に放送された「#報道1930」でノンフィクション作家の保阪正康氏が示唆に富む発言をされていたので共有させていただきます。(その1) 「皇室典範の意思決定の進め方というのは、この法律だけの問題ではないと思うんです。国旗損壊罪や情報公開をめぐる問題、憲法改正など、そういった一連の政策と一体化しているのではないかと懸念しています。 4月29日の昭和の日の式典でも、天皇陛下に発言をさせない方向に持っていっているのではないか、と感じる場面がありました。昭和時代の歌を歌わせたり、当時の映像を流したりはするけれども、今の天皇陛下ご自身には発言をさせない。 また、高市総理大臣が天皇陛下のもとへ、ほとんど内奏にも行っていないという話も聞いています。逆に言えば、天皇を昭和10年代のような存在にしておこうとする、そういう発想があるのではないか。そして、それがさまざまな政策と連動しているのではないか、と私は感じています。政治的な見方が過ぎると言われるかもしれませんが、そういう懸念を持っています。 もう一つは、象徴天皇制そのものが、これによって壊れていくのではないかということです。 象徴天皇制というのは、戦後の歴史の中で、天皇ご自身も努力を重ね、国民もそれを受け止めながら、「国民統合の象徴」としての新しい天皇像を、ともにつくり上げてきたものです。 その積み重ねを、今、壊そうとしているのではないか。 もっと簡単に言えば、近代日本をきちんと学んでいない人たちの天皇観、その怖さというものを、私はひしひしと感じています。

hideko Wada

297,952 görüntüleme • 1 ay önce

今日は昭和の日、昭和天皇の誕生日じゃ。 昭和に生まれた人は、またそれ以降に生まれた人も 今日は改めて「昭和天皇」について知って欲しいと思い、 戦争が終わったあとの話を書きたく思う。 あの大戦争のあと、 昭和天皇は全国各地を訪れ、 日本人を励ましたいと考えられた。 でも、当時の日本は連合軍占領下で自由が否定されていたから、 まずアメリカにお伺いをたてねばならなかった。 ところが案外すぐ許可された。 というのも、当時日本占領を担当していたアメリカ軍のケーディスらは、 昭和天皇と民衆が直接触れ合い、 最悪殺されたならばそれも良しとか思っていたからじゃ。 普通、戦争に負けた君主は亡命か生命を奪われるかのどちらかだ、 と考えていたからじゃな。 ところが始まってみると、 日本各地で昭和天皇は大歓迎され、 民衆は大喜びした。 それどころか、 昭和天皇がいらっしゃるのに 焼け野原のままであってはならないとみんなが思い、 道路や建物などの戦後復興が急速に進んだ。 今から話すことは、 ワシの祖母が戦後2年目のとき、 孤児院でボランティアスタッフみたいなことをしていたときに見たことじゃ。 昭和天皇は1947年12月に広島市佐伯区(当時佐伯郡)を訪れられた。 そこでまず向かわれたのは、 原爆によってお父さんもお母さんも 殺されて、 身寄りがなくなった孤児たちを 集めて生活していたところだった。 そこで昭和天皇が会われたのは 放射能を被爆し、 髪の毛が全部抜けてしまい、 原爆投下から2年経っても 髪が生えてこない子どもたちだった。 昭和天皇は、そこで1人の男の子をその御手で抱かれた。 その瞬間、 男の子は 「お父さん!」と言った。 聖帝は頷き、涙を流され、 その小さな男の子の本当の父親が我が子を抱き寄せるように、されたという。 そばで見ていた群衆も泣いた。 その後、 陛下の前に二十万人以上の人々が集まる中、 かつて原爆の熱線を浴びた跡が残る橋をわたり、 人々にお言葉を賜わられた。 "広島市民は復興に努力し、世界の平和に貢献せねばならぬ" 陛下からのお言葉を胸に抱き、 その場にいたワシの祖母も祖父も、 戦後日本の復興のため 全てを捧げようと心で固く陛下にお誓い申し上げたのだという。 その心は、もちろんワシに引き継がれている。 それは、まだ日本は戦後復興を終えておらず、 陛下の大御心を尊ばねならないからじゃ。 その理由は明白じゃ。 初代宮内庁長官になった 田島道治という人がな、 昭和天皇のお言葉を書き留めた『拝謁記』というものがある。 その中の昭和27年2月11日には、 昭和天皇はこのようにお言葉を賜わられたとある。 "他の改正ハ一切ふれずに軍備の点だけ公明正大に堂々と改正してやつた方がいヽ" (原文ママ) 更に翌3月11日には "侵略者が人間社会ニある以上軍隊ハ不得己(やむをえず)必要だ" 改めて問う。 ワシら日本人は、戦後復興を本当に成し遂げたのか? いいや、違う。 まだ復興は終わっていない。 憲法改正という最後の戦後復興が終わっていない!! ワシは昭和聖帝の大御心が全面改正ではなく 憲法第9条改正であられた以上、 ワシはこの部分の改正を強く主張する。 みよ! あの空を! 大地を! 海原を! 侵略者の軍靴の音が聞こないか! 護憲は朝敵であり、戦後復興の妨害じゃ。 目覚めよ日本人! それを今日、昭和の日に気付いて頂きたい! 多くの人に! みんなの意見を聞かせてな! 最後に宣伝させてな! ワシが書いた『日本は核武装せよ! ー被爆三世だから言うー』(¥990)は、 これからの日本の防衛政策について、被爆者の声を届けたい一心で書き綴った。 また、ワシの著作『われ、正気か!』は憲法改正の解説に力を入れ、ワシの地元、広島弁で書いた。 読んで深く知り、一緒に日本を守ろうな! 電子版も各社ある! 地元図書館や学校にリクエストして応援してな! また、文章が気に入ったらフォローしてな!

橋本琴絵

515,132 görüntüleme • 2 yıl önce

7月7日に放送された「#報道1930」でノンフィクション作家の保阪正康氏が示唆に富む発言をされていたので共有させていただきます。(その2) 「平成の天皇、そして昭和後期の天皇というのは、自分たちに課せられた役割は何なのかということを、自ら問い続け、そして実践してこられました。 答えは最初からあったわけではありません。それを探しながら、皇后陛下とともに、追悼や慰霊に取り組み、災害があれば被災地へ足を運び、国民に寄り添う。その一つひとつを積み重ねてこられたわけです。 逆に言えば、政治とは一線を画しながら、天皇という存在として何ができるのかを考え続け、その行動を積み重ねてきた。それが憲法の理念とも照応している。私は、その意味で一つのモデルケースをつくったのだと思っています。 令和の天皇も、その姿勢を受け継いでおられると思います。 ところが、今の立法のプロセスを見ていると、それを壊そうとしているように見えるんです。大変失礼な言い方になるかもしれませんが、天皇を元首のような存在にしようとしているのではないか。憲法改正も含めて、昔に戻そうとしているのではないか。結果として、象徴天皇制の下で積み重ねられてきた天皇のあり方を、ないがしろにしているように感じます。 象徴天皇制というのは、そういうものではありません。もっと政治的な存在にしていこう、実権を持たせるとまでは言いませんが、国政に対する責任を負わせるような、戦前に近い方向を目指しているのではないか。私は、そう考えたくなります。 象徴天皇制というのは、天皇が努力するだけで成り立つものではありません。国民もそれを支えながら、いわば二人三脚でつくり上げてきたものです。 ところが今の議論を聞いていると、「そういう天皇制では意味がない」という発想が、どこかにあるのではないかという感じがします。 結局、象徴天皇制というのは、国民の理解と支持があって初めて成り立つものです。天皇という存在は、国民と一体となって歩んでいかなければ続かない。 戦争では、天皇のために命を落とした人があれだけいた。それにもかかわらず、平成の天皇は、「それでも、なぜ天皇制は残ったのか」という問いと向き合われたのだと思います。 天皇を憎んでも当然であり、恨んでも当然である。にもかかわらず、なぜ天皇制は存続したのか――。 その問いを真剣に考え抜いた末に選び取られたのが、憲法の理念に基づく象徴天皇制だったのではないでしょうか。 そして、その考え方は、平成の時代における天皇陛下の一つひとつのご所作の中に、すべて表れているのだと私は思います」

hideko Wada

98,319 görüntüleme • 1 ay önce