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Ana Sayfaya Dön

『点描の唄』をお風呂でキーを上げて歌ってみたい くらいに子供だけどちゃんと僕は貴方を好いている

15,166 görüntüleme • 11 ay önce •via X (Twitter)

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Benzer Videolar

みねちゃんの最後の日、夕方から何曲かの音楽を二人で一緒に聴き始めた。 その時に、一番最初に聴いたのが、中島みゆきの時代。 で、この曲を僕はみねちゃんのベットの横に座って、一緒に聴きながら歌って聴かせた。 みねちゃんはカラオケが嫌いだったし、そもそも、カラオケがあるような飲み屋にも一緒に行った事が無かったので、みねちゃんの前で歌った事って、それまで一度も無かったんだよねぇ。 だから、これが本当に最初で最後、みねちゃんに聴かせた僕の歌。 だけど、特別考えて選曲した訳じゃ無いし、この歌を歌おうと思って流し始めた訳でも無かった。 ただ何と無く、曲が始まると自然と歌ってしまったという感じだったんだけれど、歌詞の内容を考えてみると、これを歌った意味ってあるのかも知れないなぁって思えてくる。 ================= 今日は別れた恋人たちも 生まれ変わってめぐり逢うよ ================= 曲が終わると、みねちゃんは凄く嬉しそうな表情をして喜んでくれた。 どう?僕の歌… 凄く下手って訳でも無いでしょ?w これまで一度も聴かせた事が無かったけれど… 初めての僕の歌を聴いて褒めてくれたみねちゃんの笑顔を思い出しては、幸せだけど、でも、まだ凄く悲しい気持ちになる。 だけど、あの時間は、僕の一生の思い出だ。 みねちゃんの最後に、僕の歌を聴いて貰えて良かったと思う。 ほんの少しだったけれど、最後の最後に、二人で一緒に良い時間を過ごせたとも思う。 僕の歌を聴いて、みねちゃんが喜んでくれるなんて思ってなかったよ… 本当に嬉しかったなぁ。

ハコベ舎

32,995 görüntüleme • 2 yıl önce

ボクは4人兄弟の3番目で、兄ちゃんと、姉ちゃんと、弟がいる。 父ちゃんは、普通のサラリーマンで、毎日電車に揺られて、朝から晩まで働いた。 母ちゃんは自分を後回しにする人で、ときどき美容室には行っていたけど、自分の服を買ったところは見たことがない。ずっと同じ服を着回していた。 近所には「ダイエー」と「イズミヤ」という二つのスーパーがあって、母ちゃんは、毎朝チラシを舐めるように見ては、「今日は、食パンをダイエーで買って、牛乳をイズミヤで買う」という毎日を繰り返していた。10円でも安い牛乳を買い求めて走らせる自転車の後ろには、ボクか、幼い弟が乗っていた。 「誕生日会」があまり好きじゃなかった。 友達の誕生日会では不二家のケーキが振舞われる中、ボクの家の誕生日会は、母ちゃんの手作りのケーキが出された。恥ずかしかったし、友達に申し訳ない気持ちになったことを覚えている。 家の床が抜けるほどの貧乏じゃないけど、裕福ではなかった。サラリーマン家庭で、子供4人を養っているのだから当然だろう。そのことには、子供の頃から気がついていた。 あれは幼稚園から小学校低学年の頃、今でもハッキリと覚えている記憶がある。 年に一度、家族で外食をした。近所のステーキ屋だ。父ちゃんは「好きなものを食べろ」と言ったが、誕生日会があの調子だ。ボクは家計のことを考えてしまう。高いステーキなんて、とても頼めやしない。 だからといって遠慮してしまうと、父ちゃんが傷つくことはわかっていた。 子供に気を使われてしまうことほど、惨めなことはない。子供ながらに一生懸命考えて、「肉はあまり好きじゃなくて、野菜が好きだ」ということにして、「野菜炒め」を頼んだ。 安かったからだ。 肉は、誰かが頼んだものを少し分けてもらった。 「お年玉」も同じ調子だった。 お正月になると、大阪・吹田に住んでいる親戚の家に遊びに行って、「お年玉」をもらった。家計に余裕がないことは分かっていたから、「お年玉」はハナから母ちゃんにあげるつもりでいた。だけど、「家計が大変だから、これを使って」と言って、「お年玉」を渡してしまうと、母ちゃんが傷ついてしまう。足りない頭で一生懸命考えて、「お年玉」を母ちゃんに預けて、返してもらうことを忘れることにした。 兄弟の年齢差が、少し残酷だった。兄ちゃんとボクは5つ離れていて、ボクと弟は6つ離れていた。ボクの服は兄ちゃんの「お下がり」で、その服を弟が着るには、ボロすぎた。 弟は新しく服を買ってもらっていた。姉ちゃんは、一人娘だったので、服を買ってもらっていた。もちろん兄ちゃんは長男なので、服を買ってもらっていた。 服を買ってもらった記憶がないし、そういえば、兄弟の中で、ボクだけ自転車を買ってもらえなかった。理由は、「お下がり」で事足りたらなんだけど、家族の中でボクだけがO型(他は全員A型)だったので、「もしかして、捨て子なのかな?」と本気で疑ったこともある。 誕生日会で不二家のケーキが出てくる友達を羨んだし、洋服や自転車を買ってもらえる兄弟を羨んだ。 こうして、昔の記憶を掘り起こした時に、まず出てきたのは、この思い出なので、他者との比較が招いた「恥ずかしさ」や「嫉妬のようなもの」は、子供心に、それなりに刺さっていたんだと思う。 だけど、だからといって、親を恨んだことは無い。 限られたリソースの中でとても大切に育ててもらっていることは、子供ながらに分かっていた。誕生日ケーキを買うことはできなかったけど、毎年、欠かさず作ってくれた。 母ちゃんは、よく「腰が痛い」と言っていた。 いつだったか、その理由を婆ちゃんが教えてくれた。 赤ちゃんの頃のボクは酷く泣き虫で、起きている間、ずっと泣いていたらしい。本当に、ずっと。 母ちゃんは、父ちゃんを仕事に送り出し、兄ちゃんと姉ちゃんの世話をしながら、掃除洗濯料理をしながら、「ダイエー」と「イズミヤ」を行ったり来たりしながら、いつまでも泣き止まないボクをずっとおぶり続け、それで腰を悪くしたそうだ。ボクは、この罪をどう償おうか。 父ちゃんも、母ちゃんも、必死だった。子供4人を生み育てることで、諦めなきゃいけなかった幸せがたくさんあったと思う。今、自分のタイムスケジュールで好き勝手生きている自分が、いかに甘いかを思い知らされる。 たくさん、お金を稼いで、たくさんチヤホヤされているけど、「それが何だよ」と本気で思う。 どう考えたって、世の中の父ちゃん母ちゃんの方が偉大だし、ボクは、彼らが引き受けている数々の苦労から逃げた男なので、せめて、彼らが束の間、その羽を休められるエンターテイメントを提供しなきゃバチが当たる。 そういえば、婆ちゃんはよく「そんなことをしたら、バチが当たるから」と教えてくれたな。今日も頑張ろう。

西野亮廣(キングコング)

173,539 görüntüleme • 6 ay önce