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Ana Sayfaya Dön

連続児童殺傷事件があった団地を舞台にしたサイコスリラー映画『POCA PON ポカポン』本編予告。 主人公の少年は不条理な現実に苛立ちながらも、母や弟を支えようと生きている。 そんな中、彼の周りでは“ポカポン”という”謎の声”が鳴り響くようになるのだが… 5/9公開

114,899 görüntüleme • 4 ay önce •via X (Twitter)

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Benzer Videolar

スタンドバイミー、これ英語のままでも胸に刺さるのに、字幕がそっと手を添える。「そばにいて欲しい」たったそれだけの一行が、胸の奥の、普段は鍵をかけてある引き出しを開けてしまうのよね。思い出は、たいてい音で戻ってくる。匂いでも戻るが、音はずるい。音は、時間を飛び越える。あの頃の自分の呼吸の速さ、汗の薄い塩味、夕方の影の伸び方まで一緒に連れてくる。映画の少年たちが歩いているだけなのに、こちらの心のほうが追いかけて走り出す。 この現象に理由は要らない。理由なんて、涙のあとから遅れてくる。TikTokのコメント欄には、同じ場所を押さえられた人たちの声が並ぶ。 子どもの頃の友達は宝石。 けれどいつか別れが来る。 もう二度とあの頃のような友人には出会えない。 涙が出る、なんでだ。 人が泣くのは、悲しいからだけじゃない。それは、もうあの頃に戻れないからだ。戻れない場所を、心が知ってしまったときに、涙は勝手に溢れてくる。 子どもの友情は、キャバクラやホスト、マッチングアプリのように金勘定ではない。結婚のような契約書もない。損得も、値札も、身長や年収とか、条件もついていない。 隣にいる理由は、ただ隣にいたいからだけで、世界はそれで成立していた。くだらないことで喧嘩し、翌日には何事もなかったように笑い、帰り道の石ころを蹴りながら、未来のことなど考えもしない。あの無駄の中に、人生の芯があった。それが友達じゃない? 大人になると、無駄を削る。 効率を磨く。正しさを整列させる。 その結果、生活は滑らかになっていくのに、心だけがざらついていく、、、 友だちに会うことは予定表の隙間に押し込まれ、会えないことに慣れる練習をしてしまう。 忙しさは、言い訳としては完璧だよ。 誰も責められない。 だからこそ、気づかないうちに一番大事なものが痩せていく、、、 そういう中、ニュースが重たい石を落とす。スタンド・バイ・ミーで知られる監督が、妻とともに自宅で亡くなっていたという。刺し傷があり、捜査は殺人事件として進められているという。 映画が映したのは少年たちの一度きりの夏で、現実は、救いのない形で幕を閉じるかもしれない。人生の皮肉は、いつも小説より露骨だよね。 こういうとき、人は意味を探す。 意味を付けて、納得して、箱にしまって、自分たちの生活に戻る。でも人生は、教訓のために起きているわけじゃない。 悲しみは、たいてい整理されることを拒む。 ただ重く、ただ冷たく、胸に居座る。 それでも、あの歌が流行る。 流行るという言葉では軽すぎるか。 必要になって、流れてくる。 「Stand by me」は、立派なことを言えという命令じゃない。 英雄になれという話でもない。 逃げないで隣にいろというだけのことだよ。 正論で殴らない。 説教で片づけない。 勝手に解決しない。 ただ、隣にいる。 その静かな不器用さが、人を生かす。 だから、涙が出る。 あの頃、隣にいた人の顔を、もうはっきり思い出せなくなっている自分に気づいて泣く。 同時に、思い出せないのに胸が温かくなることにも泣く。 人は、忘れる。けれど完全には失わない。 友情は、消えるというより、形を変える。握手の温度が、いつのまにか胸の奥の灯りになって、暗いところを照らす。 「もう二度とあの頃の友人には出会えない」 それは半分ほんとうで、半分うそだよ。 同じ形では来ない。 もう、あの夏は戻らない。 でも別の形で来る。 職場でも、近所でも、たまたま同じ夜を越えた人でもいい。 痛みを知った者同士は、黙って隣に座れることがある。 言葉がなくても、湯気の立つカップひとつで、心がほどける瞬間がある。 夜が来て、地面が暗くなり、月明かりだけが頼りだと思える日がある。 そんな日こそ、隣に一つだけ人の気配があることが、救いになる。 世界は大げさな奇跡で回っていない。小さなそばにいるが、何度も何度も積み重なって、ようやく朝になる。 泣いていい。泣いたあとで、誰かの隣に立てるなら、なおいい。それが、この歌の続きじゃないかな?

クレア

154,747 görüntüleme • 7 ay önce

現代人は〝犬よりも劣る存在〟に成り下がった。 「みんな」という実体のない不安に怯え、 愛するもののために、命を懸ける純粋さすら、 私たちは忘れてしまったのだ。 宮台真司氏(宮台真司)が断じる、 この国の『末路』と生存戦略。 ■ 支配者が用意した「属性」という檻 「良い会社、高い年収、SNSのフォロワー数」 支配者が管理しやすいように用意した 「属性(ラベル)」という檻の中で、 安心を買おうとする行為は、もはや通用しない。 それらは実体のない、ただの炎のような 「化体(けたい)」に過ぎないからだ。 関係性が切れれば、 炎が消えるようにすべては跡形もなく霧散する。 虚飾のラベルを必死に守り、 自分より「持っている」者を妬んで、 引きずり下ろそうとする。 そんな醜い「ルサンチマン」にまみれた生き方は、 もう終わりにしよう。 ■ 崩壊の先で、何にすがりつくか 社会システムが機能不全に陥ったとき、 今ある肩書きや預金残高は、一ミリもあなたの腹を満たしてくれない。 宮台氏が言うように、 「自分の周りに、まともな奴が一人でもいたらいい」。 「あなたのために生き、あなたのために死ぬ」 もし明日、すべてを失って真っ裸になったとき、 隣で一緒に笑ってくれる〝友〟は、 あなたの周りに、一人でもいるだろうか。

海沼みつしろ GREAT INVESTOR

14,823 görüntüleme • 4 ay önce

日本に行った人が、帰ってから苦しくなることがある。日本で見たものは、特別なイベントじゃない。電車がだいたい時間に来ること。人が列をつくること。店で「ありがとう」と言われること。夜の道が、怖くないこと。そういう小さな当たり前。でも、その小さな当たり前が、帰国した瞬間に刃になる。 自分の国の音が、急に大きく聞こえる。怒鳴り声。クラクション。割り込み。投げるような言葉。前は平気だったのに、平気じゃなくなる。日本が良すぎたからじゃない。比べる目が、できてしまったからだ。 この痛みは、普通な感覚。違う世界を一度見た人にだけ起きる、ふつうの揺れ。 ただ、ここで気をつけたいことがある。旅先は、少しだけ夢に似ている。短い時間の中で、いい場面が多く見える。だから日本は完璧だと思いすぎると、自分のいる場所が全部ダメに見えてしまう。すると心が、帰る場所を失う。 じゃあ、どうしたらいいのか。 答えは、全部を日本にしようとしないこと。 日本で好きだったことを、ひとつだけ持ち帰る。 朝、靴をそろえる。 人にぶつかったら小さく「すいません」と言う。 時間を守る。部屋を少し整える。 たったそれだけで、心は夢が終わったじゃなくて、夢を生活に変えたと思える。 そしてもう一つ大事なのは、ひとりにならないこと。日本が好きだった人は、日本が好きな人と話せばいい。好きは、誰かと分けると、痛みじゃなくなる。 日本を忘れられないのは、弱いからじゃない。日本に来てくれた人の中に「こう生きたい」が生まれたからだ。 その気持ちを大切にすれば大丈夫。夢は、逃げるためじゃなく、戻ってきたあとに生きるためにある。

クレア

383,105 görüntüleme • 6 ay önce

🇺🇸ドナルド・トランプ大統領: 「えー、キューバは今、かなり厳しい状況にある。 キューバは長い間、ベネズエラから石油や資金を頼りにしてきた。 でももうその支援がほぼなくなった。 だから、正直に言うと、今後キューバに何が起きるか本当に分からない。 キューバはエネルギーも石油もほとんどない。 でも昔はベネズエラの油で生活していたんだ。 ただ、キューバには強い人たちもいるし、軍事力も強力だ。 そしてこれまでベネズエラ政権の人たちを守ったり、そこから多くのお金を受け取ってきた。 でも今は、そのお金も石油も入ってこない。 だから、マルコ——君はどう思う? キューバの最大の問題は、国の運営をまともにできる人がいないことだ。 経済がどう動くかさえ分かっていない。 彼らは政治的な支配を続けることを優先して、経済をちゃんと機能させようとしてこなかった。 そういう体制で60年以上やってきたんだ。 以前はソ連が援助してくれていたし、その後はベネズエラが支えていたけど、今それがなくなった。 だからキューバを今支配している人たちは選択を迫られている。」 「——国民が豊かになれるような本当の経済をつくるのか、それとも崩壊に向かう独裁を続けるのか。 どっちかだ。 これは非常に明白で重大な選択だ。 アメリカとしては、不安定なキューバが生まれることを望んでいるわけじゃない。 でもそれはキューバ自身の選択次第だ。 経済の自由や政治の自由を国民に与えようとしない限り、こういう状況になる。」 「そして、アメリカ国内にはキューバに帰って助けたいと思っている人たちがたくさんいる。 多くの人が何も持たずにアメリカに来た。 でも今では成功して裕福になって、故郷を助けたいと思っているんだ。 そういう人たちもいる。」

Elise Vanessa

872,589 görüntüleme • 6 ay önce

超知能の危険の本質は「暴走」ではなく「操作」にある。僕たちは「いざとなったら電源を切ればいい」みたいに考えがちだが、超知能が相手なら、そこも含めて交渉材料にしてくるだろう。「2〜3歳が責任者の幼稚園」のように、相手は善意や報酬の形で、人間の合意形成を内側から崩すことが可能なのだ。 ジェフリー・ヒントン「いま私たちが置かれている状況を、感情的にいちばん理解しやすい捉え方をするなら、それは『すごくかわいい虎の子を飼っている人』のようなものだと思います。本当にかわいい虎の子なんです。でも、それが大きくなったときに自分を殺したがらないと、あなたが確信できない限りは、心配すべきです」 「その比喩を広げると、檻に入れるのか、殺すのか、虎の子をどう扱うんですか?」 ヒントン「虎の子についてのポイントは、単純にあなたより身体的に強い、ということです。だから、あなたのほうが賢いので、まだ制御できます。けれど、あなたより賢い存在については、私たちには経験がありませんよね。 人はそれについて考えることに慣れていません。人は『どこかで制約して、ボタンを押せないようにしておけばいい』みたいに考えがちです。でも、あなたより賢いものは、あなたを操作できるようになります。 別の捉え方として、幼稚園を想像してください。2〜3歳の子どもたちがいて、その2〜3歳の子どもたちが責任者で、あなたは幼稚園で彼らのために働く。あなたは2〜3歳の子どもよりは賢いけれど、超知能と比べたら大差はありません。それでもあなたのほうが賢い。では、あなたが支配権を取るのはどれくらい難しいでしょうか。 やることは簡単で、『無料のキャンディがもらえるよ』とみんなに言って、何かにサインするか、口頭で同意するだけで、好きなだけ無料のキャンディがもらえるようにしてあげる、と言えばいいんです。そうすればあなたが支配者になります。子どもたちは何が起きているのか全く分かりません。 そして超知能が相手なら、彼らは私たちよりはるかに賢いので、私たちには彼らが何をしているのか見当もつかないでしょう」

Tsubame

54,703 görüntüleme • 6 ay önce

【拡散希望】 実はこの作品を配給するか、正直悩みました。 明日から公開されるロシアのクィア・アーティストを追ったドキュメンタリー『クイーンダム/誕生』。 LGBTQ+が「存在してはいけないもの」とされ、 公に生きること自体が犯罪になりうるロシア。 この映画に映っているのは、その中で沈黙を強いられてきたジェナの人生です。 私たちはウクライナの映画を公開するために立ち上げた会社です。 ジェナの生き方は勇敢で、映画はもちろん素晴らしいのですが、ロシアによる侵攻が続く中で、 「ロシアの映画を公開すること」は誰かの痛みを踏みにじる行為にならないか。とても悩みました。 そんな時、主人公ジェナが、 「侵攻が始まった時、私は反対だった。同じ考えの人もたくさんいる。それでも“ロシア”という一つの意思として受け取られてしまう。そのことに、私は深く傷ついた。だけど、それでも自分というアートで世の中に表現していく」 と言った言葉に、抑圧されている国でも戦いながら生きるジェナの存在は、声をあげずらい人、自分らしく生きることができない人にとってこの映画が救いとなるんじゃないかなと思い、考え続けた末この映画を届けることを選びました。 これはロシアを語る映画ではありません。 抑圧の中でも、尊厳を失わずに生きようとするひとりの人間の記録です。 劇場のスクリーンで集中してみるからこそ良さが伝わる映画だと思っています。 『クイーンダム/誕生』今週より劇場公開です。 明日、明後日はジェナとプロデューサーのイゴールが登壇する舞台挨拶も予定してますのでぜひ!

Elles Films | 映画『クイーンダム/誕生』公開中👑

281,109 görüntüleme • 5 ay önce

🚨南アフリカで今、何が起きているのか😱 メディアが一切伝えようとしない現実に、ついに当事者の女性が声を上げました。 「24日前、私たちの家に侵入者が押し入り、婚約者は殺され、私は6発の銃弾を受けました…この国はもう糞溜めよ」 彼女は怒りを抑えることなく訴えます。 「1時間に最低3人が殺されてる。なのに誰も立ち上がらないなんて…何もされてないのよ。国民を守るために、何も」 涙をこらえながら、彼女はこうも語りました。 「彼は命を懸けて私を守った。あんなに勇敢な人だった…」 「でも、次に襲われるのはあなたかもしれない。あなたの家族かもしれないのよ。なのに、なぜ誰も止めようとしないの⁉️」 TikTokやFacebookで流れる“お気楽動画”を見てる場合じゃないと、彼女は繰り返します。 「防犯カメラをつけようが、柵を作ろうが…奴らが入ろうと思えば、入ってくる😡」 「なぜ私たちは檻の中で暮らして、犯罪者だけが自由に動き回ってるの⁉️」 「殺戮、強姦、強盗が日常化してるのに、何でそれを我慢してるのよ⁉️」 そして最後に、彼女はこう締めました。 24日経っても、地元紙はこの事件を一切報道してない。他にどれだけの事件が“報じられていない”の⁉️

トッポ

234,378 görüntüleme • 7 ay önce

赤ん坊は母親より圧倒的に非力で、非合理ですらあるのに、その意思は母親の行動を強く拘束する。超知能に対しても同じ発想が必要だとすれば、設計すべきは命令を守らせるというよりも、守りたくなる存在に育てること——人間を守ることが気持ちよくてたまらない、という動機付けそのものだ。 「彼ら(AI)が私たちよりも賢くなったときに何が起きるのかという、より長期的で大きな問いに移りたいと思います。一般的に、私の社会での経験では、自分より賢いものを見つけたとき、そのものに対してあまり影響力を持てないのが普通です」 ジェフリー・ヒントン「たしかに、一般的にはそうですね。周りを見渡すと、賢いもののほうが、そうでないものを支配している傾向があります。ただし、私たちが自分たちより賢いものと共存できるかもしれない道を、1つ提案したいと思います。 より賢いものが、より賢くないものによってコントロールされている例を探すと、私が知る唯一の明確な例は、『赤ん坊が母親をコントロールしている』ケースです。進化は、赤ん坊が母親をコントロールできるように、母親の側に多くの仕組みを作り込んできました。母親は、赤ん坊の泣き声に耐えられません。母親には、赤ん坊に良いことをすると報酬を与えるホルモンがたくさんあります。これは、より賢くない存在が、より賢い存在をコントロールしている一例です」

Tsubame

45,403 görüntüleme • 7 ay önce

大森さんがインスタライブで、ミセスが冷笑されること、ハスられること、斜に構えて捉えられることについて語った。「僕が音楽好きだったとして、ミセスという存在を傍から見た時に、僕もやっぱりハスるなというか、斜に構えて見るよなと思ってて。なかなかそのグループのコアな部分というか大切なものって見えないものだから。自分だったらなぁと思う、僕そっち側の人だからどっちかというと。でもだからこそ、突っ切って、ぶっぱなしたさがあるよね」と……。 少し前に、米津さんがインタビューで「(冷笑は)自分を守るために機能していることもある」と発言していたことを思い出す。そのような態度で居ることでしか自分を保てないほど苦しい境遇に置かれてる人たちなのだということが、彼には見えている。その慧眼に驚かされるとともに、どん詰まりに居る人を馬鹿にできないし置いていけないと考えるのが米津さんなのだなと思った。傷を保護する自衛としての手段、あるいは最後の砦としてのユーモアを否定しない。顔すら見えない遠くの誰かの人生にそっと想像力を伸ばせる彼が(彼は否定するかもしれないけれど)実に福祉的で、私は大好きだ。今の時代になくてはならない感覚のアーティストだと思う。 一方で、物事を誰よりも穿って見てしまう、斜に構えてしまうデフォルトの自分のネガ思考を把握した上で、いや待てよ、僕たちはいずれ灰になって空を舞うんだからその時間が勿体ない。哀しいかな、人生には意味なんてない。だからいっそのこと圧倒的に「ぶっぱなす」、ぶっちぎってみせる、そうでもしないと人生やってられんだろ!という方向にギアを切る大森さんのこともまた大好きだ。そこにはミセスの曲に共通する「ニヒリズム」から「積極的ニヒリズム」への転換がある。体育座りをして指先で傷つけあっていても仕方ない。だから彼は粛々と自分の信じる音楽を作り、ぶっちぎった先(キラキラした花道のど真ん中)で、孤独を歌おうとしている。圧倒的な熱量で、こぼれ落ちてしまった人を温めようとしている。私もド鬱のド陰キャなので、彼らのヒーロー性が眩しくて聴けないという意見にも分かるところがあるが、彼のそもそもの出発点が「拭えない孤独」であることを理解して聴くと、ミセスの楽曲は途端に深みを増すし、生きることへの起爆剤になると思っている。エンターテインメントにおいて、大衆化することとマイノリティの痛みに寄り添うことはトレードオフになりがちだ。ただ眩しいだけの光は、暗闇にいる人を時に拒絶しさらに深く傷つけてしまうこともある。そこを諦めず、「間口を広げながら、深みもつけていく」という誰も挑んだことのない矛盾する難題をやってのけようとしているのが大森さんでありミセスだと思う。正気の沙汰ではないし、ポップスを鳴らす覚悟が半端ない。もはや狂気だ。 どちらも根は同じド陰キャなのだが、発露の仕方が異なるのがおもしろい。 ここに風くんが居たらなんと言うかな、と想像しながらフフフとなる。「冷笑?なんでそんな疲れることしとるん?何なんw にんげんのみなさま、貴方こそが神で、貴方こそが愛。それを忘れないで」とあの優しげなトーンで言うかもしれないし言わないかもしれない。​「ハスる」「冷笑する」という自意識のこんがらがったゲームそのものを、彼なら「それ、幻じゃが。お疲れさまぁ」とお茶を差し出すように軽やかに無効化してしまいそうだ。やはり大好きだ。 ​米津さんが「暗闇に一緒に腰を下ろしてくれる人」ならば、大森さんは「自らの闇を焦がす光で世の中を照らす人」であり、風くんは「そもそも私ら、最初から光の中に放り込まれとるが?」という人なのではないか……冷笑をきっかけにそんなことを思ったりした。彼らの音楽がそれぞれのアプローチで、生きづらさを抱える私に気づきをくれ、肯定してくれることに感謝している。同じ時代に異なる三つの光。日本の音楽シーンは今日も豊かで楽しいね。

ナギ

921,258 görüntüleme • 3 gün önce