Ajay Verma (アジャイ・ヴェルマ)'s banner
Ajay Verma (アジャイ・ヴェルマ)'s profile picture

Ajay Verma (アジャイ・ヴェルマ)

@DataAnalyst130913,343 subscribers

未解決事件| 忘れられた事件を発掘 📇 理不尽な出来事や声にならない話があれば、 DMで共有してください。 確認できる範囲で紹介することがあります。

Shorts

交際を断った。 それだけだった。 ナイフで何度も刺され、 斧で頭を殴られた。 19歳の夢が 住宅街の路上で終わった。 2016年2月27日夜、福岡市西区姪の浜で起きた 「姪浜女子予備校生殺害事件」。 北川ひかるさんは当時19歳の予備校生。 大学進学という夢に向かって 一生懸命勉強していた。 ひかるさんはどんな人だったのか。 大学受験に向けて予備校に通い、毎日努力を続けていた19歳だった。 将来への夢があった。 家族がいた。 友人がいた。 その日常が 2月27日の夜に突然終わった。 何が起きたのか。 同じ予備校に通っていた元少年(当時19歳)は、ひかるさんに交際を申し込み、断られた。 さらに「自分の秘密を言いふらされた」と一方的に思い込んだ。 その夜、 ひかるさんの自宅近くの路上で待ち伏せた。 ナイフで首や顔を何度も突き刺した。 倒れたひかるさんの頭を 斧で殴った。 近隣住民の110番通報で警察が駆けつけたとき、ひかるさんはすでに血を流して倒れていた。 病院に搬送されたが、 まもなく死亡が確認された。 しかし、 この事件には「もう一つの顔」がある。 元少年は犯行直後、 自ら近くの交番に出頭した。 「知り合いの女性を刺した」と。 両手は血だらけだった。 自首した。 それでも、 逮捕は2週間後だった。 出頭後、元少年はいったん病院に入院させられた。 その間、精神状態の確認が行われた。 正式逮捕は3月11日。 事件から12日後だった。 その後、精神鑑定が実施された。 弁護側は 「事件当時、統合失調症を発症しており、心神喪失または心神耗弱状態にあった」 として、無罪または刑の軽減を求めた。 しかし、 2017年10月31日、福岡地裁の裁判員裁判は 「完全責任能力があった」 と判断した。 🔴 判決 裁判長はこう述べた。 「北川さんに交際を断られ、一方的に恨みを抱いて殺害した。自己中心的で身勝手極まりない犯行」 判決は懲役20年。 検察の求刑は懲役22年だった。 検察も弁護側も控訴せず、 懲役20年が確定した。 交際を断られた。 秘密を言いふらされたと思い込んだ。 ナイフと斧で殺した。 答えは 懲役20年だった。 20年後、 元少年は出所する。 ひかるさんは 二度と帰ってこない。 大学進学という夢を持って 毎日勉強していた19歳が 「交際を断った」 ただそれだけで 命を奪われた。 「ノー」と言う権利が 命取りになった。 この社会で 「断る」ことは なぜ命がけにならなければならないのか。 あなたは、 交際を断っただけで命を奪われたこの事件を、どう思いますか。

交際を断った。 それだけだった。 ナイフで何度も刺され、 斧で頭を殴られた。 19歳の夢が 住宅街の路上で終わった。 2016年2月27日夜、福岡市西区姪の浜で起きた 「姪浜女子予備校生殺害事件」。 北川ひかるさんは当時19歳の予備校生。 大学進学という夢に向かって 一生懸命勉強していた。 ひかるさんはどんな人だったのか。 大学受験に向けて予備校に通い、毎日努力を続けていた19歳だった。 将来への夢があった。 家族がいた。 友人がいた。 その日常が 2月27日の夜に突然終わった。 何が起きたのか。 同じ予備校に通っていた元少年(当時19歳)は、ひかるさんに交際を申し込み、断られた。 さらに「自分の秘密を言いふらされた」と一方的に思い込んだ。 その夜、 ひかるさんの自宅近くの路上で待ち伏せた。 ナイフで首や顔を何度も突き刺した。 倒れたひかるさんの頭を 斧で殴った。 近隣住民の110番通報で警察が駆けつけたとき、ひかるさんはすでに血を流して倒れていた。 病院に搬送されたが、 まもなく死亡が確認された。 しかし、 この事件には「もう一つの顔」がある。 元少年は犯行直後、 自ら近くの交番に出頭した。 「知り合いの女性を刺した」と。 両手は血だらけだった。 自首した。 それでも、 逮捕は2週間後だった。 出頭後、元少年はいったん病院に入院させられた。 その間、精神状態の確認が行われた。 正式逮捕は3月11日。 事件から12日後だった。 その後、精神鑑定が実施された。 弁護側は 「事件当時、統合失調症を発症しており、心神喪失または心神耗弱状態にあった」 として、無罪または刑の軽減を求めた。 しかし、 2017年10月31日、福岡地裁の裁判員裁判は 「完全責任能力があった」 と判断した。 🔴 判決 裁判長はこう述べた。 「北川さんに交際を断られ、一方的に恨みを抱いて殺害した。自己中心的で身勝手極まりない犯行」 判決は懲役20年。 検察の求刑は懲役22年だった。 検察も弁護側も控訴せず、 懲役20年が確定した。 交際を断られた。 秘密を言いふらされたと思い込んだ。 ナイフと斧で殺した。 答えは 懲役20年だった。 20年後、 元少年は出所する。 ひかるさんは 二度と帰ってこない。 大学進学という夢を持って 毎日勉強していた19歳が 「交際を断った」 ただそれだけで 命を奪われた。 「ノー」と言う権利が 命取りになった。 この社会で 「断る」ことは なぜ命がけにならなければならないのか。 あなたは、 交際を断っただけで命を奪われたこの事件を、どう思いますか。

1,201,972 Aufrufe

親友に、「会いに来て」と誘われた。 その部屋で、 彼女の首は 切断されていた。 2014年7月26日、長崎県佐世保市。 「佐世保高1同級生殺害事件」。 松尾愛和さんは明るく面倒見が良いと評判だった。写真部に所属し、日常の風景を撮り続けていた。歴史が得意で、将来は大学の文学部に進みたいと話していた。1学期は無欠席で、生活態度も真面目だった。 その愛和さんが15歳で死んだ。 犯行時刻とみられる午後8時ごろ、2人は加害者がひとり暮らしをするマンションの一室で過ごしていた。加害者は愛和さんの頭部を金属製の工具で何度も殴り、犬のリードで絞殺した。さらに遺体の首と左手首は切断された。 母親が「7時ごろに帰る」というメールを受け取った。 その後、愛和さんは戻らなかった。 しかし、この事件には「もう一つの顔」がある。 実は、多くの専門家が事件の前から加害者の少女に関わっていた。カウンセラーも、精神科医も、児童相談所も。 サインは、あった。 何度も、あった。 加害者の少女は小学校のときから人間関係でトラブルを度々起こしていた。 冷蔵庫の中には猫の頭蓋骨が見つかった。中学生のころから繰り返し猫の解剖をしていたと供述した。 それでも、誰も止めなかった。 加害者は取り調べで淡々と語った。 「中学生の時から殺人欲求があった」 「人間でも試してみたかった」 「解体してみたかった」 反省の言葉は、一切なかった。 🔴 処分と判決 加害者の少女は高校1年生のとき医療少年院に収容された。2021年、23歳になる前に、収容先の少年院長が26歳になるまでの収容延長を決定した。26歳まで延長するのは前例がないとされた。 刑事裁判:なし(少年法により) 加害者からの謝罪:なし 遺族への賠償:なし そして加害者の父親は、事件後に自ら命を絶った。 愛和さんの遺族は言った。 「一生、赦しはしない」 教育はもちろん大切だ。しかし、もしも誰かがもっと深く加害者の心の病理性に関われていたら、結果は違っていたかもしれない。 カウンセラーがいた。 精神科医がいた。 児童相談所がいた。 全員が、関わっていた。 誰も、止めなかった。 愛和さんは「会いに来て」と誘われた友人を信じて、その部屋に入った。 その選択を、誰が責められるのか。 「解体してみたかった」と語った16歳は少年院に入った。少年法に守られ、刑事責任を問われることはなかった。 愛和さんは15歳のまま、時間が止まった。 あなたは、何度もサインを出していた加害者を止められなかった大人たちと、少年法で守られた加害者に、どう向き合いますか。

親友に、「会いに来て」と誘われた。 その部屋で、 彼女の首は 切断されていた。 2014年7月26日、長崎県佐世保市。 「佐世保高1同級生殺害事件」。 松尾愛和さんは明るく面倒見が良いと評判だった。写真部に所属し、日常の風景を撮り続けていた。歴史が得意で、将来は大学の文学部に進みたいと話していた。1学期は無欠席で、生活態度も真面目だった。 その愛和さんが15歳で死んだ。 犯行時刻とみられる午後8時ごろ、2人は加害者がひとり暮らしをするマンションの一室で過ごしていた。加害者は愛和さんの頭部を金属製の工具で何度も殴り、犬のリードで絞殺した。さらに遺体の首と左手首は切断された。 母親が「7時ごろに帰る」というメールを受け取った。 その後、愛和さんは戻らなかった。 しかし、この事件には「もう一つの顔」がある。 実は、多くの専門家が事件の前から加害者の少女に関わっていた。カウンセラーも、精神科医も、児童相談所も。 サインは、あった。 何度も、あった。 加害者の少女は小学校のときから人間関係でトラブルを度々起こしていた。 冷蔵庫の中には猫の頭蓋骨が見つかった。中学生のころから繰り返し猫の解剖をしていたと供述した。 それでも、誰も止めなかった。 加害者は取り調べで淡々と語った。 「中学生の時から殺人欲求があった」 「人間でも試してみたかった」 「解体してみたかった」 反省の言葉は、一切なかった。 🔴 処分と判決 加害者の少女は高校1年生のとき医療少年院に収容された。2021年、23歳になる前に、収容先の少年院長が26歳になるまでの収容延長を決定した。26歳まで延長するのは前例がないとされた。 刑事裁判:なし(少年法により) 加害者からの謝罪:なし 遺族への賠償:なし そして加害者の父親は、事件後に自ら命を絶った。 愛和さんの遺族は言った。 「一生、赦しはしない」 教育はもちろん大切だ。しかし、もしも誰かがもっと深く加害者の心の病理性に関われていたら、結果は違っていたかもしれない。 カウンセラーがいた。 精神科医がいた。 児童相談所がいた。 全員が、関わっていた。 誰も、止めなかった。 愛和さんは「会いに来て」と誘われた友人を信じて、その部屋に入った。 その選択を、誰が責められるのか。 「解体してみたかった」と語った16歳は少年院に入った。少年法に守られ、刑事責任を問われることはなかった。 愛和さんは15歳のまま、時間が止まった。 あなたは、何度もサインを出していた加害者を止められなかった大人たちと、少年法で守られた加害者に、どう向き合いますか。

3,802,350 Aufrufe

5歳の歩夢くんは 母の腕の中で息を引き取った。 呼吸が小さくなり、やがて止まった。 居候先で1年間虐待され続けた。 死後、遺体は床下に埋められた。 「躾」と呼んでいた。 検察は「正当化できる要素は皆無」と断じた。 支配していた女は その10日後、別のシングルマザーに ケーキを持って訪ねていた。 次の標的を探していた。 2022年1月、埼玉県本庄市。 「本庄5歳児虐待死事件」。 2022年1月、埼玉県本庄市の住宅で柿本歩夢くん(当時5歳)が虐待され死亡し、遺体が床下に埋められた事件が発覚した。母・知香被告と同居人の丹羽洋樹被告、そして丹羽の交際相手・石井陽子被告が逮捕された。 歩夢くんはどんな子だったのか。 保育園関係者は語った。「本当はママが大好きな、素直ないい子でした」 母・知香さんはDV夫の元から歩夢くんを連れて逃げ出した。父親に手を出されたことはなかったが、DVを目の前で見て、父をとても怖がっていた。 逃げ出したはずだった。 それなのに次の場所で、もっと恐ろしいことが始まった。 何が起きたのか。 知香さんと歩夢くんは2021年1月ごろ、丹羽被告と石井被告が同居する住宅に身を寄せた。そこから1年にわたる壮絶な虐待が始まった。 保育園関係者は変化に気づいていた。「保育園でも叱られると、固まってうまく話せず、目が泳ぐようになりました」。美人と評判だった知香さんも、ノーメイクで身なりに気を使わなくなり、周囲との付き合いをやめてしまった。 2022年1月18日、石井被告の指示で、知香被告と丹羽被告が「躾」と称して歩夢くんに暴行した。歩夢くんが瀕死の状態に陥っても、大人たちは救急車を呼ばなかった。 歩夢くんは母の腕の中で息を引き取った。 絶命後、遺体は和室の床下に埋められた。 しかし、この事件には「もう一つの顔」がある。 石井被告は歩夢くんだけが標的ではなかった。 2021年2月28日、知香さんと出会う前から知り合いだったシングルマザーX子さんが、自分の息子Yくん(当時4歳)を石井・丹羽の家に預けたことがあった。お漏らしをしたことを石井に叱責された後、丹羽が「いらねえよ、お前」とYくんの頭を平手打ちした。Yくんは泣き叫びながら室内灯の紐に手を伸ばした。丹羽は再び平手打ちし、風呂場に連行した。 この様子は、丹羽が飼い猫用に設置していたペットカメラに偶然記録されていた。 歩夢くんが死んだ翌日 石井と丹羽は、別のシングルマザーC子さんの元を訪れていた。 ケーキを持って次の標的を探していた。 それから約10日後、2人は歩夢くんの死体遺棄容疑で逮捕された。 🔴 判決 検察側は論告で「躾の限度をはるかに超え、何ら正当化される要素はなく、動機や経緯に酌量の余地は皆無」と断じた。知香被告に懲役12年、丹羽被告に懲役15年を求刑した。 2023年9月8日、さいたま地裁は知香被告に懲役10年、丹羽被告に懲役12年の判決を言い渡した。両被告とも控訴した。 2023年11月24日、首謀者とされた石井陽子被告には懲役13年の判決が下された。 検察は「石井の指示がなくても暴行した」と指摘したが、同時に石井の存在が両被告の責任の大きさを量る重要な要素だったことも認めた。 支配し、命令し、虐待を促した石井被告。 その手は歩夢くんが死んだ直後も、別の家族に伸びていた。 知香被告は法廷で証人として、石井被告に重い刑を望むと証言した。「腕の中で息子の呼吸は小さくなり、やがて止まった」その言葉を法廷で繰り返した。 5歳の歩夢くんは、DV夫から逃げた先で、もっと恐ろしい支配者に出会った。 「躾」と呼ばれた虐待で命を落とした。 遺体は床下に埋められた。 石井被告は、歩夢くんが死んだ直後にも 次のシングルマザーと子どもを狙っていた。 あなたは、「躾」という言葉の下で5歳児が虐待死し、加害者が次の標的を探し続けていたこの事件に、何を思いますか。

5歳の歩夢くんは 母の腕の中で息を引き取った。 呼吸が小さくなり、やがて止まった。 居候先で1年間虐待され続けた。 死後、遺体は床下に埋められた。 「躾」と呼んでいた。 検察は「正当化できる要素は皆無」と断じた。 支配していた女は その10日後、別のシングルマザーに ケーキを持って訪ねていた。 次の標的を探していた。 2022年1月、埼玉県本庄市。 「本庄5歳児虐待死事件」。 2022年1月、埼玉県本庄市の住宅で柿本歩夢くん(当時5歳)が虐待され死亡し、遺体が床下に埋められた事件が発覚した。母・知香被告と同居人の丹羽洋樹被告、そして丹羽の交際相手・石井陽子被告が逮捕された。 歩夢くんはどんな子だったのか。 保育園関係者は語った。「本当はママが大好きな、素直ないい子でした」 母・知香さんはDV夫の元から歩夢くんを連れて逃げ出した。父親に手を出されたことはなかったが、DVを目の前で見て、父をとても怖がっていた。 逃げ出したはずだった。 それなのに次の場所で、もっと恐ろしいことが始まった。 何が起きたのか。 知香さんと歩夢くんは2021年1月ごろ、丹羽被告と石井被告が同居する住宅に身を寄せた。そこから1年にわたる壮絶な虐待が始まった。 保育園関係者は変化に気づいていた。「保育園でも叱られると、固まってうまく話せず、目が泳ぐようになりました」。美人と評判だった知香さんも、ノーメイクで身なりに気を使わなくなり、周囲との付き合いをやめてしまった。 2022年1月18日、石井被告の指示で、知香被告と丹羽被告が「躾」と称して歩夢くんに暴行した。歩夢くんが瀕死の状態に陥っても、大人たちは救急車を呼ばなかった。 歩夢くんは母の腕の中で息を引き取った。 絶命後、遺体は和室の床下に埋められた。 しかし、この事件には「もう一つの顔」がある。 石井被告は歩夢くんだけが標的ではなかった。 2021年2月28日、知香さんと出会う前から知り合いだったシングルマザーX子さんが、自分の息子Yくん(当時4歳)を石井・丹羽の家に預けたことがあった。お漏らしをしたことを石井に叱責された後、丹羽が「いらねえよ、お前」とYくんの頭を平手打ちした。Yくんは泣き叫びながら室内灯の紐に手を伸ばした。丹羽は再び平手打ちし、風呂場に連行した。 この様子は、丹羽が飼い猫用に設置していたペットカメラに偶然記録されていた。 歩夢くんが死んだ翌日 石井と丹羽は、別のシングルマザーC子さんの元を訪れていた。 ケーキを持って次の標的を探していた。 それから約10日後、2人は歩夢くんの死体遺棄容疑で逮捕された。 🔴 判決 検察側は論告で「躾の限度をはるかに超え、何ら正当化される要素はなく、動機や経緯に酌量の余地は皆無」と断じた。知香被告に懲役12年、丹羽被告に懲役15年を求刑した。 2023年9月8日、さいたま地裁は知香被告に懲役10年、丹羽被告に懲役12年の判決を言い渡した。両被告とも控訴した。 2023年11月24日、首謀者とされた石井陽子被告には懲役13年の判決が下された。 検察は「石井の指示がなくても暴行した」と指摘したが、同時に石井の存在が両被告の責任の大きさを量る重要な要素だったことも認めた。 支配し、命令し、虐待を促した石井被告。 その手は歩夢くんが死んだ直後も、別の家族に伸びていた。 知香被告は法廷で証人として、石井被告に重い刑を望むと証言した。「腕の中で息子の呼吸は小さくなり、やがて止まった」その言葉を法廷で繰り返した。 5歳の歩夢くんは、DV夫から逃げた先で、もっと恐ろしい支配者に出会った。 「躾」と呼ばれた虐待で命を落とした。 遺体は床下に埋められた。 石井被告は、歩夢くんが死んだ直後にも 次のシングルマザーと子どもを狙っていた。 あなたは、「躾」という言葉の下で5歳児が虐待死し、加害者が次の標的を探し続けていたこの事件に、何を思いますか。

1,383,428 Aufrufe

「医師になる夢」を叶えた。 それでも——37歳の女性研修医は過労で命を落とした。 2016年1月、新潟県新潟市。 「新潟市民病院女性研修医過労自殺事件」。 木元文(あや)さんは、看護助手として働きながら医師を目指して勉強を続けていた。 簡単な道ではなかった。 働きながら受験勉強を続け、2007年、新潟大学医学部に合格した。 努力を積み重ね、ようやく夢だった医師になった。 周囲からも真面目で責任感が強い人として知られていた。 しかし、その夢の先で待っていたのは—— 異常な長時間労働だった。 何が起きたのか。 2013年から研修医として勤務を開始。 2015年4月、後期研修医として新潟市民病院へ移った後、救急患者対応の呼び出し勤務が急増した。 昼夜を問わず呼び出された。 十分な休息はなかった。 慢性的な疲労が続いていた。 遺族によると、死亡前の時間外労働は最も多い月で251時間に達していた。 過労死ラインは月80時間。 251時間は その3倍を超えていた。 2016年1月24日夜。 木元さんは家族に行き先を告げず、一人で自宅を出た。 翌朝、自宅近くの公園で亡くなっているのが見つかった。 37歳だった。 しかし、この事件には「もう一つの顔」がある。 医療現場では長時間労働が常態化していた。 「医師だから仕方ない」 「患者の命を守るため」 そんな空気が、過酷な労働環境を正当化していた。 木元さんは、看護助手から努力して医師になった人間だった。 ようやく掴んだ夢だった。 それでも その現場は彼女を守れなかった。 🔴 労災認定 2018年7月、新潟労働基準監督署は、木元さんの自殺について「過労が原因」として労災認定する方針を決定した。 長時間労働と精神的負荷の関連が認められた。 しかし—— 刑事責任を問われた人物はいなかった。 251時間働かせた。 救急呼び出しを繰り返した。 命を救う医師が、過労で命を失った。 それでも 「医療現場だから仕方ない」 で終わらせていいのか。 看護助手から努力して医師になった女性が 夢を叶えた先で過労死した。 あなたは、月251時間働かされた末に命を落とした37歳の女性医師について、何を思いますか。

「医師になる夢」を叶えた。 それでも——37歳の女性研修医は過労で命を落とした。 2016年1月、新潟県新潟市。 「新潟市民病院女性研修医過労自殺事件」。 木元文(あや)さんは、看護助手として働きながら医師を目指して勉強を続けていた。 簡単な道ではなかった。 働きながら受験勉強を続け、2007年、新潟大学医学部に合格した。 努力を積み重ね、ようやく夢だった医師になった。 周囲からも真面目で責任感が強い人として知られていた。 しかし、その夢の先で待っていたのは—— 異常な長時間労働だった。 何が起きたのか。 2013年から研修医として勤務を開始。 2015年4月、後期研修医として新潟市民病院へ移った後、救急患者対応の呼び出し勤務が急増した。 昼夜を問わず呼び出された。 十分な休息はなかった。 慢性的な疲労が続いていた。 遺族によると、死亡前の時間外労働は最も多い月で251時間に達していた。 過労死ラインは月80時間。 251時間は その3倍を超えていた。 2016年1月24日夜。 木元さんは家族に行き先を告げず、一人で自宅を出た。 翌朝、自宅近くの公園で亡くなっているのが見つかった。 37歳だった。 しかし、この事件には「もう一つの顔」がある。 医療現場では長時間労働が常態化していた。 「医師だから仕方ない」 「患者の命を守るため」 そんな空気が、過酷な労働環境を正当化していた。 木元さんは、看護助手から努力して医師になった人間だった。 ようやく掴んだ夢だった。 それでも その現場は彼女を守れなかった。 🔴 労災認定 2018年7月、新潟労働基準監督署は、木元さんの自殺について「過労が原因」として労災認定する方針を決定した。 長時間労働と精神的負荷の関連が認められた。 しかし—— 刑事責任を問われた人物はいなかった。 251時間働かせた。 救急呼び出しを繰り返した。 命を救う医師が、過労で命を失った。 それでも 「医療現場だから仕方ない」 で終わらせていいのか。 看護助手から努力して医師になった女性が 夢を叶えた先で過労死した。 あなたは、月251時間働かされた末に命を落とした37歳の女性医師について、何を思いますか。

1,606,159 Aufrufe

閉じられた扉の向こうで、 姉弟は約50日間、待ち続けた。 それでも—— 誰も、助けに来なかった。 3歳の桜子ちゃんは、 冷蔵庫の辛子とマヨネーズを舐めた。 カップ麺の容器も、残らず舐めた。 それを、1歳の弟・楓くんにも分け与えた。 2010年、大阪で起きた 「大阪二児置き去り死事件」。 2010年7月30日、大阪市西区のマンションで 3歳の女の子と1歳9ヶ月の男の子の遺体が発見された。 死後50日。 部屋はゴミと排泄物にまみれていた。 エアコンは止まり、水道も出なかった。 姉弟は何をしていたのか—— 食べ物がなくなると、桜子ちゃんはゴミを漁った。 製氷庫に残った氷の結晶まで舐めた。 それでも弟に分け与え続けた。 最後に桜子ちゃんは食中毒を起こし、 弟より10時間以上早く息絶えた。 母親は、その間どこにいたのか。 男性と過ごし、海水浴に行き、ホテルに泊まっていた。 その様子をSNSに投稿していた。 しかし、この事件には「もう一つの顔」がある。 3月から5月にかけて、 近隣住民が児童相談所に複数回通報していた。 「子どもの泣き声がずっと聞こえる」と。 児相職員は部屋を5回訪問した。 しかし、5回とも—— インターホンを押して、帰った。 ドアを開けなかった。 中を確認しなかった。 調査を打ち切った。 2008年に改正された児童虐待防止法では、 職員が強制的に立ち入る権限が与えられていた。 しかし2011年時点でその権限が使われたのは、 全国でたった3件。 扉一枚を開ける権限があった。 法律も、権限も、通報も、あった。 それでも、二人は死んだ。 🔴 判決 2012年、大阪地裁は懲役30年。 裁判長は 「犯行態様はむごいの一言に尽きる」と述べた。 同時にこうも言った—— 「被告1人を責めるのはいささか酷だ」と。 母親自身も幼少期にネグレクトを受け、 中学時代には性被害に遭い、 22歳で養育費もなく、親族の援助もなく、 公的支援の使い方すら誰も教えてくれなかった。 5回、扉の前に立った大人たちは インターホンを押して帰った。 桜子ちゃんと楓くんが 「お腹すいた」と泣いていたかもしれない扉の前で。 この国のシステムは、 子どもの泣き声より、 「不在確認」という書類を優先した。 あなたは、この事件を 「母親一人の罪」だと思いますか。

閉じられた扉の向こうで、 姉弟は約50日間、待ち続けた。 それでも—— 誰も、助けに来なかった。 3歳の桜子ちゃんは、 冷蔵庫の辛子とマヨネーズを舐めた。 カップ麺の容器も、残らず舐めた。 それを、1歳の弟・楓くんにも分け与えた。 2010年、大阪で起きた 「大阪二児置き去り死事件」。 2010年7月30日、大阪市西区のマンションで 3歳の女の子と1歳9ヶ月の男の子の遺体が発見された。 死後50日。 部屋はゴミと排泄物にまみれていた。 エアコンは止まり、水道も出なかった。 姉弟は何をしていたのか—— 食べ物がなくなると、桜子ちゃんはゴミを漁った。 製氷庫に残った氷の結晶まで舐めた。 それでも弟に分け与え続けた。 最後に桜子ちゃんは食中毒を起こし、 弟より10時間以上早く息絶えた。 母親は、その間どこにいたのか。 男性と過ごし、海水浴に行き、ホテルに泊まっていた。 その様子をSNSに投稿していた。 しかし、この事件には「もう一つの顔」がある。 3月から5月にかけて、 近隣住民が児童相談所に複数回通報していた。 「子どもの泣き声がずっと聞こえる」と。 児相職員は部屋を5回訪問した。 しかし、5回とも—— インターホンを押して、帰った。 ドアを開けなかった。 中を確認しなかった。 調査を打ち切った。 2008年に改正された児童虐待防止法では、 職員が強制的に立ち入る権限が与えられていた。 しかし2011年時点でその権限が使われたのは、 全国でたった3件。 扉一枚を開ける権限があった。 法律も、権限も、通報も、あった。 それでも、二人は死んだ。 🔴 判決 2012年、大阪地裁は懲役30年。 裁判長は 「犯行態様はむごいの一言に尽きる」と述べた。 同時にこうも言った—— 「被告1人を責めるのはいささか酷だ」と。 母親自身も幼少期にネグレクトを受け、 中学時代には性被害に遭い、 22歳で養育費もなく、親族の援助もなく、 公的支援の使い方すら誰も教えてくれなかった。 5回、扉の前に立った大人たちは インターホンを押して帰った。 桜子ちゃんと楓くんが 「お腹すいた」と泣いていたかもしれない扉の前で。 この国のシステムは、 子どもの泣き声より、 「不在確認」という書類を優先した。 あなたは、この事件を 「母親一人の罪」だと思いますか。

1,890,341 Aufrufe

19歳で東京電力に入社した。 父と同じ会社で働くことが、夢だった。 配属された教育係・A氏が 突然、無視を始めた。 現場に一人だけ置いてきぼりにされた。 お菓子を配る時、一人だけ配ってもらえなかった。 ブログに書いた。 「土下座だってする。 以前のような優しい人に戻ってほしい」 2011年6月、山梨県。 「東京電力新人社員いじめ自殺事件」。 芦澤拓磨さん(当時19歳)は高校卒業後、東京電力山梨支店に入社した。父親も東電社員で、同じ会社で働くことが夢だった。2011年6月、入社2年目、未成年のまま自ら命を絶った。 拓磨さんはどんな人だったのか。 母・ひとみさんは語った。 「6月に7回忌を終えましたが、いまだに拓磨が死んだことを受け入れられません。そのうち玄関のドアを開けて帰ってくるんじゃないかと……」 父と同じ会社に入った。 夢を叶えたはずだった19歳だった。 何が起きたのか。 教育係のA氏が突然、無視を始めた。会話をしなくなった。班の人間が現場に出ているのに、拓磨さん一人だけ置いてきぼりにされた。お菓子を配る時も、拓磨さんだけ配ってもらえなかった。 ブログにこう書いた。 「5月11日、誰が俺を嫌っているのかわからない。何が原因かわからない。以前のような優しく、面白い人に戻ってくれるのなら土下座だってする」 遺書には、 「無視されてから本当に辛い日々を送ってきました。無視されたから死ぬなんて馬鹿らしいと思う方もいらっしゃると思います。しかし、私には耐え難い苦痛でした」 と綴られていた。 「馬鹿らしい」とわかっていた。 それでも、耐えられなかった。 しかし、この事件には「もう一つの顔」がある。 父・明さんが東電の内部調査報告書を入手した。そこにはA氏によるいじめが認定されていた。しかし東電は遺族にその調査結果を自発的に開示しなかった。父親が情報を求め続けて、ようやく見せられた。 社内調査で、いじめを認定していた。 それでも、遺族に自発的に伝えなかった。 A氏は処分を受けた。しかし東電は処分の詳細を公表しなかった。 いじめを認定した。 処分した。 詳細は、公表されなかった。 🔴 労災と結末 拓磨さんの死は労災と認定された。しかし刑事責任を問われた者はいなかった。A氏の処分内容は今も公表されていない。 父・明さんは語った。 「拓磨は東電が好きで、私と同じ会社に入ることを夢見ていた。その会社でいじめられて死んだ。なぜ詳細を教えてもらえないのか」 19歳が書いたブログに、すべてが残っていた。 「土下座だってする」と書いた。 「耐え難い苦痛だった」と書いた。 東電は社内でいじめを認定した。 遺族に自発的に伝えなかった。 A氏の処分は公表されなかった。 刑事責任を問われた者は誰もいなかった。 父と同じ会社に入ることが夢だった19歳が その会社の先輩に無視され続けて死んだ。 「無視」という言葉は軽く聞こえる。 しかし19歳には、耐え難い苦痛だった。 あなたは、社内でいじめを認定しながら遺族に伝えず、加害者への処分も公表しなかった東京電力に、何を思いますか。

19歳で東京電力に入社した。 父と同じ会社で働くことが、夢だった。 配属された教育係・A氏が 突然、無視を始めた。 現場に一人だけ置いてきぼりにされた。 お菓子を配る時、一人だけ配ってもらえなかった。 ブログに書いた。 「土下座だってする。 以前のような優しい人に戻ってほしい」 2011年6月、山梨県。 「東京電力新人社員いじめ自殺事件」。 芦澤拓磨さん(当時19歳)は高校卒業後、東京電力山梨支店に入社した。父親も東電社員で、同じ会社で働くことが夢だった。2011年6月、入社2年目、未成年のまま自ら命を絶った。 拓磨さんはどんな人だったのか。 母・ひとみさんは語った。 「6月に7回忌を終えましたが、いまだに拓磨が死んだことを受け入れられません。そのうち玄関のドアを開けて帰ってくるんじゃないかと……」 父と同じ会社に入った。 夢を叶えたはずだった19歳だった。 何が起きたのか。 教育係のA氏が突然、無視を始めた。会話をしなくなった。班の人間が現場に出ているのに、拓磨さん一人だけ置いてきぼりにされた。お菓子を配る時も、拓磨さんだけ配ってもらえなかった。 ブログにこう書いた。 「5月11日、誰が俺を嫌っているのかわからない。何が原因かわからない。以前のような優しく、面白い人に戻ってくれるのなら土下座だってする」 遺書には、 「無視されてから本当に辛い日々を送ってきました。無視されたから死ぬなんて馬鹿らしいと思う方もいらっしゃると思います。しかし、私には耐え難い苦痛でした」 と綴られていた。 「馬鹿らしい」とわかっていた。 それでも、耐えられなかった。 しかし、この事件には「もう一つの顔」がある。 父・明さんが東電の内部調査報告書を入手した。そこにはA氏によるいじめが認定されていた。しかし東電は遺族にその調査結果を自発的に開示しなかった。父親が情報を求め続けて、ようやく見せられた。 社内調査で、いじめを認定していた。 それでも、遺族に自発的に伝えなかった。 A氏は処分を受けた。しかし東電は処分の詳細を公表しなかった。 いじめを認定した。 処分した。 詳細は、公表されなかった。 🔴 労災と結末 拓磨さんの死は労災と認定された。しかし刑事責任を問われた者はいなかった。A氏の処分内容は今も公表されていない。 父・明さんは語った。 「拓磨は東電が好きで、私と同じ会社に入ることを夢見ていた。その会社でいじめられて死んだ。なぜ詳細を教えてもらえないのか」 19歳が書いたブログに、すべてが残っていた。 「土下座だってする」と書いた。 「耐え難い苦痛だった」と書いた。 東電は社内でいじめを認定した。 遺族に自発的に伝えなかった。 A氏の処分は公表されなかった。 刑事責任を問われた者は誰もいなかった。 父と同じ会社に入ることが夢だった19歳が その会社の先輩に無視され続けて死んだ。 「無視」という言葉は軽く聞こえる。 しかし19歳には、耐え難い苦痛だった。 あなたは、社内でいじめを認定しながら遺族に伝えず、加害者への処分も公表しなかった東京電力に、何を思いますか。

583,524 Aufrufe

「ばあちゃん、ばあちゃん」 4歳の女の子が 7キロの道を一人で歩いてきた。 夏美ちゃんは5回、SOSを出した。 5回とも誰も止めなかった。 2009年11月、夏美ちゃんは死んだ。 兵庫県三田市。 「なっちゃん虐待死事件」。 夏美ちゃんはどんな子だったのか。 利発で人なつっこく、幼稚園でも人気者だった。2歳で実母を病気で亡くし、父の再婚を機に継母と暮らすようになった。「まま、ずうっとすき」その言葉を残した5歳だった。 何が起きたのか。 2009年春、夏美ちゃんは7キロの道を一人で歩いて祖母の家に向かった。継母に「どこでも好きなところに行け」と言われたという。祖母はすぐに市に相談した。 同じ年の夏、幼稚園が頬に叩かれた痕があることに気づいた。児相が一時保護した。しかし1ヶ月ほどで自宅に戻した。保育所に通わせて継母の育児負担を軽くし「見守る」方針にした。 その後も2度、傷を確認した。 2度とも家に返した。 11月、夏美ちゃんは死んだ。 しかし、この事件には「もう一つの顔」がある。 SOS① 祖母が「どこでも行け」と言われたと市に相談した。 SOS② 幼稚園が頬の傷に気づき児相が動いた。 SOS③ 一時保護から1ヶ月で家に返した後、傷を確認した。 SOS④ 再度、傷を確認した。 SOS⑤ 夏美ちゃんは7キロ歩いて逃げていた。 5回のSOSが届かなかった。 重大な虐待事件が起きるたびに、自治体は「検証報告書」をつくる。しかし教訓は生かされず、似たような事件が各地で繰り返されている。 🔴 判決 継母・寺本浩子被告は傷害致死罪で逮捕・起訴され有罪となった。 父親については、虐待を止めなかった保護責任が問われたが、詳細な処分は公表されていない。 祖母は夏美ちゃんを守ろうとした唯一の大人だった。市に相談し、児相に訴えた。しかし児相は動かなかった。祖母は何も悪くなかった。 それでも夏美ちゃんは死んだ。 5回のSOSが届かなかった。 検証報告書が書かれた。 教訓が書かれた。 それでもまた同じ子どもが死んだ。 「まま、ずうっとすき」と言った夏美ちゃんは 7キロ歩いて助けを求めた。 あなたは、5回のSOSが届かず死んだ夏美ちゃんの事件と、その後も同じことが繰り返されているこの国の児童相談所の仕組みに、何を思いますか。

「ばあちゃん、ばあちゃん」 4歳の女の子が 7キロの道を一人で歩いてきた。 夏美ちゃんは5回、SOSを出した。 5回とも誰も止めなかった。 2009年11月、夏美ちゃんは死んだ。 兵庫県三田市。 「なっちゃん虐待死事件」。 夏美ちゃんはどんな子だったのか。 利発で人なつっこく、幼稚園でも人気者だった。2歳で実母を病気で亡くし、父の再婚を機に継母と暮らすようになった。「まま、ずうっとすき」その言葉を残した5歳だった。 何が起きたのか。 2009年春、夏美ちゃんは7キロの道を一人で歩いて祖母の家に向かった。継母に「どこでも好きなところに行け」と言われたという。祖母はすぐに市に相談した。 同じ年の夏、幼稚園が頬に叩かれた痕があることに気づいた。児相が一時保護した。しかし1ヶ月ほどで自宅に戻した。保育所に通わせて継母の育児負担を軽くし「見守る」方針にした。 その後も2度、傷を確認した。 2度とも家に返した。 11月、夏美ちゃんは死んだ。 しかし、この事件には「もう一つの顔」がある。 SOS① 祖母が「どこでも行け」と言われたと市に相談した。 SOS② 幼稚園が頬の傷に気づき児相が動いた。 SOS③ 一時保護から1ヶ月で家に返した後、傷を確認した。 SOS④ 再度、傷を確認した。 SOS⑤ 夏美ちゃんは7キロ歩いて逃げていた。 5回のSOSが届かなかった。 重大な虐待事件が起きるたびに、自治体は「検証報告書」をつくる。しかし教訓は生かされず、似たような事件が各地で繰り返されている。 🔴 判決 継母・寺本浩子被告は傷害致死罪で逮捕・起訴され有罪となった。 父親については、虐待を止めなかった保護責任が問われたが、詳細な処分は公表されていない。 祖母は夏美ちゃんを守ろうとした唯一の大人だった。市に相談し、児相に訴えた。しかし児相は動かなかった。祖母は何も悪くなかった。 それでも夏美ちゃんは死んだ。 5回のSOSが届かなかった。 検証報告書が書かれた。 教訓が書かれた。 それでもまた同じ子どもが死んだ。 「まま、ずうっとすき」と言った夏美ちゃんは 7キロ歩いて助けを求めた。 あなたは、5回のSOSが届かず死んだ夏美ちゃんの事件と、その後も同じことが繰り返されているこの国の児童相談所の仕組みに、何を思いますか。

451,058 Aufrufe

8年の懲役。 それが6歳の命の代償だった。 水につけられ、苦しがって泣いた。 殴られ、蹴られた。 それでも救急車は呼ばれなかった。 小学校に通えず、誰にも見つけられなかった。 そして加害者は8年で社会に戻る。 2012年7月、神奈川県横浜市。 「横浜女児遺棄事件」。 2013年4月21日、横浜市磯子区の雑木林で山口あいりちゃん(当時6歳)の遺体が見つかった。判決などによると、2012年7月22日、あいりちゃんは横浜市南区のアパートの風呂場で暴行を受けて死亡し、その後雑木林に遺棄された。 あいりちゃんはどんな子だったのか。 母の体調を気遣うあいりちゃんの姿が印象に残っているという。洗濯機を回し、乾いた洗濯物を畳み、つわりの和らぐ効果があるという足つぼを竹の棒で押してあげていた。 弁護側が提出したノートには、あいりちゃんが書き残したとみられるメモがあった。妊娠中で交際相手から暴力を振るわれていた母を気遣う言葉が、たどたどしい文字で記されていた。 「だれかままをたすけてくれないかな」 母を心配する優しい6歳だった。 何が起きたのか。 あいりちゃんは千葉県松戸市や秦野市、横浜市などを転々とし、小学校に通っていなかった。 母・山口行恵被告は2011年6月、あいりちゃんを茨城県の実家から引き取った。 「一緒に暮らしたい」 というあいりちゃんの願いに、家族の反対を承知で応えた。 翌2012年5月、出会い系サイトで知り合った八井隆一被告のアパートに、あいりちゃんと次女を連れて転居した。 八井被告からは「月30万円以上の収入がある」と聞いていたが、実際には家賃を払うと1、2万円程度しか残らなかった。 そのころから、あいりちゃんへの暴行が始まった。 あいりちゃんが以前住んでいた祖父母の家に「帰りたい」とせがむようになったため、2012年4月ごろから虐待が繰り返されたという。 帰りたいと言っていた。 それでも帰れなかった。 7月22日夜、あいりちゃんが足を踏んだことに腹を立てた母親が、浴室でシャワーの水をかけ、八井被告に「しつけ」を頼んだ。 八井被告は 「風呂場で浴槽の水に顔をつけたら苦しがって泣いた。母親も水をかけてたたいた」 と供述した。 殴ったり蹴ったりした後、服を着たまま水につける暴行を加え、そのまま放置した。 「しばらくして倒れるような音がした」 という。 あいりちゃんが倒れた後、母親は救急車を呼ぼうと考えた。 しかし、 「自分の暴力もばれてしまう」 「次女と一緒に暮らせなくなる」 と思いとどまった。 救急車を呼ぼうとした。 それでも、呼ばなかった。 しかし、この事件には「もう一つの顔」がある。 あいりちゃんは小学校に通っていなかった。 安否確認は難航していた。 千葉県松戸市、秦野市、横浜市と転居を繰り返す中で、自治体や児童相談所など関係機関の間の情報共有に課題があったことが、事件後に浮き彫りになった。 学校に通っていない子どもの存在を誰も追えなかった。 転居するたびに情報は引き継がれなかった。 🔴 判決 母・山口行恵被告は死体遺棄罪などで起訴された。 被告人質問では、あいりちゃんの死を受け止められず、八井被告が遺体を埋める際に何をしているか分からなかったと述べ、死体遺棄罪を否認した。 八井隆一被告は傷害致死と死体遺棄の罪に問われた。 横浜地裁は懲役8年の判決を言い渡した。 八井被告は控訴期限までに控訴せず、判決が確定した。 判決確定前、八井受刑者は神奈川新聞の取材に応じた。 「あいりちゃんがストレスのはけ口になってしまった。自分の命と取り換えてでも、生きさせてあげたい」 と語った。 手紙にはこうも書かれていた。 「今思うとしつけなのか、ストレスのはけ口なのかよくわからないでいた」 「しつけ」と「ストレスのはけ口」 その境界線すら、自分でわからなかったと言った。 母親が頼んだ「しつけ」が暴行になった。 水につけられ、苦しがって泣いた。 それでも救急車は呼ばれなかった。 小学校に通えず、誰にも見つけられなかった。 あいりちゃんが書いたメモには 「だれかままをたすけてくれないかな」 とあった。 母を助けたいと願った6歳は 誰にも助けてもらえなかった。 長時間にわたる暴行で6歳の命を奪った罪に対する刑罰が懲役8年だけだったこと。 あなたはこの量刑を、十分だと思いますか。 あいりちゃんが書いた 「だれかままをたすけてくれないかな」 というメモは、彼女自身の命の重さを問いかけているように思えます。 6歳が暴行で死亡した罪に対して、懲役8年。 あなたはこの量刑を、十分だと思いますか。

8年の懲役。 それが6歳の命の代償だった。 水につけられ、苦しがって泣いた。 殴られ、蹴られた。 それでも救急車は呼ばれなかった。 小学校に通えず、誰にも見つけられなかった。 そして加害者は8年で社会に戻る。 2012年7月、神奈川県横浜市。 「横浜女児遺棄事件」。 2013年4月21日、横浜市磯子区の雑木林で山口あいりちゃん(当時6歳)の遺体が見つかった。判決などによると、2012年7月22日、あいりちゃんは横浜市南区のアパートの風呂場で暴行を受けて死亡し、その後雑木林に遺棄された。 あいりちゃんはどんな子だったのか。 母の体調を気遣うあいりちゃんの姿が印象に残っているという。洗濯機を回し、乾いた洗濯物を畳み、つわりの和らぐ効果があるという足つぼを竹の棒で押してあげていた。 弁護側が提出したノートには、あいりちゃんが書き残したとみられるメモがあった。妊娠中で交際相手から暴力を振るわれていた母を気遣う言葉が、たどたどしい文字で記されていた。 「だれかままをたすけてくれないかな」 母を心配する優しい6歳だった。 何が起きたのか。 あいりちゃんは千葉県松戸市や秦野市、横浜市などを転々とし、小学校に通っていなかった。 母・山口行恵被告は2011年6月、あいりちゃんを茨城県の実家から引き取った。 「一緒に暮らしたい」 というあいりちゃんの願いに、家族の反対を承知で応えた。 翌2012年5月、出会い系サイトで知り合った八井隆一被告のアパートに、あいりちゃんと次女を連れて転居した。 八井被告からは「月30万円以上の収入がある」と聞いていたが、実際には家賃を払うと1、2万円程度しか残らなかった。 そのころから、あいりちゃんへの暴行が始まった。 あいりちゃんが以前住んでいた祖父母の家に「帰りたい」とせがむようになったため、2012年4月ごろから虐待が繰り返されたという。 帰りたいと言っていた。 それでも帰れなかった。 7月22日夜、あいりちゃんが足を踏んだことに腹を立てた母親が、浴室でシャワーの水をかけ、八井被告に「しつけ」を頼んだ。 八井被告は 「風呂場で浴槽の水に顔をつけたら苦しがって泣いた。母親も水をかけてたたいた」 と供述した。 殴ったり蹴ったりした後、服を着たまま水につける暴行を加え、そのまま放置した。 「しばらくして倒れるような音がした」 という。 あいりちゃんが倒れた後、母親は救急車を呼ぼうと考えた。 しかし、 「自分の暴力もばれてしまう」 「次女と一緒に暮らせなくなる」 と思いとどまった。 救急車を呼ぼうとした。 それでも、呼ばなかった。 しかし、この事件には「もう一つの顔」がある。 あいりちゃんは小学校に通っていなかった。 安否確認は難航していた。 千葉県松戸市、秦野市、横浜市と転居を繰り返す中で、自治体や児童相談所など関係機関の間の情報共有に課題があったことが、事件後に浮き彫りになった。 学校に通っていない子どもの存在を誰も追えなかった。 転居するたびに情報は引き継がれなかった。 🔴 判決 母・山口行恵被告は死体遺棄罪などで起訴された。 被告人質問では、あいりちゃんの死を受け止められず、八井被告が遺体を埋める際に何をしているか分からなかったと述べ、死体遺棄罪を否認した。 八井隆一被告は傷害致死と死体遺棄の罪に問われた。 横浜地裁は懲役8年の判決を言い渡した。 八井被告は控訴期限までに控訴せず、判決が確定した。 判決確定前、八井受刑者は神奈川新聞の取材に応じた。 「あいりちゃんがストレスのはけ口になってしまった。自分の命と取り換えてでも、生きさせてあげたい」 と語った。 手紙にはこうも書かれていた。 「今思うとしつけなのか、ストレスのはけ口なのかよくわからないでいた」 「しつけ」と「ストレスのはけ口」 その境界線すら、自分でわからなかったと言った。 母親が頼んだ「しつけ」が暴行になった。 水につけられ、苦しがって泣いた。 それでも救急車は呼ばれなかった。 小学校に通えず、誰にも見つけられなかった。 あいりちゃんが書いたメモには 「だれかままをたすけてくれないかな」 とあった。 母を助けたいと願った6歳は 誰にも助けてもらえなかった。 長時間にわたる暴行で6歳の命を奪った罪に対する刑罰が懲役8年だけだったこと。 あなたはこの量刑を、十分だと思いますか。 あいりちゃんが書いた 「だれかままをたすけてくれないかな」 というメモは、彼女自身の命の重さを問いかけているように思えます。 6歳が暴行で死亡した罪に対して、懲役8年。 あなたはこの量刑を、十分だと思いますか。

69,297 Aufrufe

マンガが好きだった。 アニメが好きだった。 ゲームが好きだった。 夢はペットトリマーだった。 その専門学校へ通うための資金を貯めようと 加野青果に入社した。 入社3ヶ月後から 「てめえ」「ばかじゃないの」が始まった。 2012年6月、愛知県名古屋市。 「加野青果社員パワハラ自殺事件」。 伊佐間綾奈さんは1991年生まれ。地元の私立高校卒業後、2009年4月に野菜・果物の卸売企業「加野青果株式会社」(愛知県名古屋市)に正社員として入社した。経理部に配属された。ペットトリマーになる夢があり、その専門学校へ通うための資金を貯めようと働き始めた。 綾奈さんはどんな子だったのか。 マンガ、アニメ、ゲームが好きな普通の21歳だった。夢を持ち、資金を貯めながら次のステップへ向かおうとしていた。 何が起きたのか。 入社後、職場では日常的に 「てめえ、このやろう」 「あんた、同じミスばかりして」 「ゆとりは使えない」 などと厳しい口調で叱責された。 綾奈さんの出身高校から来るやつは使えないと暴言を吐かれていた。 入社約3ヶ月後から、指導的な立場にあった先輩女性社員2人に呼び出されて 「てめえ」 「ばかじゃないの」 と威圧的な言葉でミスを指摘されるなどのいじめが長期間続いた。 担務が替わり、業務に慣れず時間外労働が月58時間を超えた際、休日に先輩社員から電話で叱られることもあった。2011年末ごろうつ状態になり、2012年6月中旬、自宅マンションから飛び降り自殺した。 休日も 電話で叱られた。 うつ病になっても 出勤し続けた。 しかし、この事件には「もう一つの顔」がある。 会社の取締役Fに対して、綾奈さんへのいじめがあると申告した社員がいた。Fは加害者に「優しい口調で指導するよう促した」だけだった。その後も何も変わらなかった。 社内にいじめが伝わった。 会社の対応は 「優しく指導するよう促す」 だけだった。 会社はいじめを知りながら放置した上、十分な引継をすることなく配置転換を実施し、過重な業務を担当させた。 知っていた。 それでも何も止めなかった。 さらに 慣れない業務に異動させた。 🔴 裁判と判決 一審・名古屋地裁は先輩2人のパワハラの不法行為性は認めたものの、自死との因果関係を否定。会社への賠償は165万円にとどまった。 パワハラは認めた。 死との因果関係は「否定」した。 控訴審・名古屋高裁は2017年11月30日、自殺とパワハラの因果関係を認め、賠償額を約5500万円に大幅増額した。裁判長は 「先輩社員の叱責を認識しながら放置し、注意義務を怠った」 として会社の責任を認定した。 2018年11月13日、最高裁で高裁判決が確定した。 「てめえ」「ばかじゃないの」と言い続けた。 会社は知っていた。 「優しく話すよう促した」だけだった。 うつ病になっても放置された。 21歳で死んだ。 一審は因果関係を否定した。 高裁でようやく 5500万円が認められた。 ペットトリマーになる夢は 叶わなかった。 あなたは、「てめえ」「ばかじゃないの」と言い続けた先輩と、それを知りながら放置した会社に、何を思いますか。

マンガが好きだった。 アニメが好きだった。 ゲームが好きだった。 夢はペットトリマーだった。 その専門学校へ通うための資金を貯めようと 加野青果に入社した。 入社3ヶ月後から 「てめえ」「ばかじゃないの」が始まった。 2012年6月、愛知県名古屋市。 「加野青果社員パワハラ自殺事件」。 伊佐間綾奈さんは1991年生まれ。地元の私立高校卒業後、2009年4月に野菜・果物の卸売企業「加野青果株式会社」(愛知県名古屋市)に正社員として入社した。経理部に配属された。ペットトリマーになる夢があり、その専門学校へ通うための資金を貯めようと働き始めた。 綾奈さんはどんな子だったのか。 マンガ、アニメ、ゲームが好きな普通の21歳だった。夢を持ち、資金を貯めながら次のステップへ向かおうとしていた。 何が起きたのか。 入社後、職場では日常的に 「てめえ、このやろう」 「あんた、同じミスばかりして」 「ゆとりは使えない」 などと厳しい口調で叱責された。 綾奈さんの出身高校から来るやつは使えないと暴言を吐かれていた。 入社約3ヶ月後から、指導的な立場にあった先輩女性社員2人に呼び出されて 「てめえ」 「ばかじゃないの」 と威圧的な言葉でミスを指摘されるなどのいじめが長期間続いた。 担務が替わり、業務に慣れず時間外労働が月58時間を超えた際、休日に先輩社員から電話で叱られることもあった。2011年末ごろうつ状態になり、2012年6月中旬、自宅マンションから飛び降り自殺した。 休日も 電話で叱られた。 うつ病になっても 出勤し続けた。 しかし、この事件には「もう一つの顔」がある。 会社の取締役Fに対して、綾奈さんへのいじめがあると申告した社員がいた。Fは加害者に「優しい口調で指導するよう促した」だけだった。その後も何も変わらなかった。 社内にいじめが伝わった。 会社の対応は 「優しく指導するよう促す」 だけだった。 会社はいじめを知りながら放置した上、十分な引継をすることなく配置転換を実施し、過重な業務を担当させた。 知っていた。 それでも何も止めなかった。 さらに 慣れない業務に異動させた。 🔴 裁判と判決 一審・名古屋地裁は先輩2人のパワハラの不法行為性は認めたものの、自死との因果関係を否定。会社への賠償は165万円にとどまった。 パワハラは認めた。 死との因果関係は「否定」した。 控訴審・名古屋高裁は2017年11月30日、自殺とパワハラの因果関係を認め、賠償額を約5500万円に大幅増額した。裁判長は 「先輩社員の叱責を認識しながら放置し、注意義務を怠った」 として会社の責任を認定した。 2018年11月13日、最高裁で高裁判決が確定した。 「てめえ」「ばかじゃないの」と言い続けた。 会社は知っていた。 「優しく話すよう促した」だけだった。 うつ病になっても放置された。 21歳で死んだ。 一審は因果関係を否定した。 高裁でようやく 5500万円が認められた。 ペットトリマーになる夢は 叶わなかった。 あなたは、「てめえ」「ばかじゃないの」と言い続けた先輩と、それを知りながら放置した会社に、何を思いますか。

60,973 Aufrufe

Videos

DataAnalyst1309's profile picture

31歳の母親と 3歳の娘が死んだ。 87歳のドライバーは言った 「車が壊れた。私のせいではない」 時速96キロで 赤信号を無視して突っ込んだ。 答えは 禁錮5年だった。 2019年4月19日、東京都豊島区池袋で起きた 「池袋乗用車暴走事故」。 2019年4月19日正午すぎ、当時87歳だった飯塚幸三(元旧通産省工業技術院院長)がブレーキと間違えてアクセルを踏み続け、時速約96キロで赤信号の交差点に進入。横断歩道を自転車で渡っていた松永真菜さん(当時31歳)と長女・莉子ちゃん(当時3歳)をはねて死亡させ、通行人ら男女9人に重軽傷を負わせた。 松永真菜さんはどんな人だったのか。 晴れ着姿の真菜さんと莉子ちゃんの遺影 夫・松永拓也さんはその写真を胸に法廷へ向かった。真菜さん31歳、莉子ちゃん3歳。母と娘が自転車で横断歩道を渡っていた。それだけだった。 何が起きたのか。 飯塚被告はブレーキと間違えてアクセルを踏み続け、時速約96キロまで加速し、赤信号を無視して交差点に進入した。 しかし この事件には「もう一つの顔」がある。 飯塚幸三被告は、運転ミスはなく、車の不具合が原因として無罪を主張した。「踏み間違えた記憶は全くございません」と法廷で述べた。 31歳と3歳が死んだ。 9人が重軽傷を負った。 それでも 「車が壊れた」と言った。 裁判長はこう述べた 「刑事手続きでの防御権が保障されているとしても、遺族の心情を逆なでする行為だ」と。 ネット上では「#上級国民」というハッシュタグが広がった。元高級官僚だから 特別扱いされているのではないか、という怒りだった。 87歳だった。 元高級官僚だった。 「車が壊れた」と言った。 2年以上 「不合理な弁解を続けた」と裁判長が指摘した。 🔴 判決 2021年9月、東京地裁で禁錮5年の実刑判決を受けた。 検察の求刑は禁錮7年だった。 民事では約1億4000万円の賠償を命じた。 飯塚元受刑者は収監されたまま2024年5月、松永拓也さんたち遺族と面会し、2024年10月に93歳で死亡した。 31歳と3歳が死んだ。 9人が重軽傷を負った。 2年以上「車が壊れた」と言い続けた。 答えは 禁錮5年だった。 5年 それがこの国の答えだった。 夫・松永拓也さんはこの事故後、交通犯罪被害者遺族の代表的な声として活動を続けている。高齢ドライバーの免許制度改革、交通犯罪への厳罰化 その訴えは今も続いている。 しかし 道路交通法の抜本的改革は、まだ途上だ。 真菜さんと莉子ちゃんが横断歩道を渡っていた。 信号は青だった。 それだけだった。 「青信号を渡っていれば安全」 その当たり前が守られなかった。 あなたは 31歳と3歳の命を奪い、2年以上「車が壊れた」と言い続けた87歳への判決、禁錮5年をどう思いますか。

Ajay Verma (アジャイ・ヴェルマ)

491,261 Aufrufe • vor 3 Tagen

DataAnalyst1309's profile picture

下校中だった。 学校からの帰り道。 それだけだった。 危険ドラッグを使って運転した男が、 11歳の女の子に突っ込んだ。 9日後、実久ちゃんは逝った。 その男は、懲役12年を終えて 2026年7月30日に出所した。 同じ町に戻るかもしれない。 父・隆志さんはこう言う。 「心が休まらない。 ずっと被害者であり続けるっていうのが これだけつらいものなのかと 思い知らされます」 2014年1月29日、香川県善通寺市で起きた 「善通寺市危険ドラッグ交通死亡事故」。 秋山実久さんは当時11歳の小学5年生。2014年1月29日、善通寺市の県道を下校中、危険ドラッグを使用した男が運転する車にはねられた。頭をフロントガラスに打ちつけられ意識不明の重体となり、9日後の2月7日に病院で息を引き取った。 実久ちゃんはどんな子だったのか。 父・隆志さんはこう語る。「実久が元気だったら21歳なので、他のお子さんとか二十歳ぐらいの人を見て心が悲しくなったりとかすることはよくあります。なかなか、つらいよね……」 七五三の写真が、今も手元にある。 何が起きたのか。 2014年1月29日午後3時10分ごろ、善通寺市内の県道を走行していた軽乗用車が、左カーブを曲がりきれずに対向車線へ逸脱し、道路右側の路肩を歩いていた実久ちゃんに衝突した。運転していた男は事故の直前に危険ドラッグを使っていた。 危険ドラッグを使ったことを、男は知っていた。 運転すれば危険だと、知っていながら乗った。 しかし、この事件には「もう一つの顔」がある。 実久ちゃんの両親は遺族とともに国に危険ドラッグの根絶を要請した。同年11月、危険ドラッグの規制を強化する改正医薬品医療機器法の成立につながった。 娘の死が、法律を変えた。 父・隆志さんは今も学校で講演を続けている。交通安全、危険ドラッグ、被害者と加害者になることの重さを、子どもたちに伝え続けている。 🔴 判決と、2026年7月30日 2015年1月、高松地裁は危険運転致死の罪で懲役12年の実刑判決を言い渡した。検察の求刑は15年だった。 そして2026年7月30日、 懲役12年の刑期を終えた男が出所した。高松地方検察庁から秋山さんに「釈放されたという通知書」が届いた。 男は事故当時、秋山さん一家と同じ善通寺市に住んでいた。 加害者は出所した。 12年間刑務所にいた男が、 同じ町に戻るかもしれない。 母・裕紀子さんはこう言った。 「できれば近くに住んでほしくないというのは本音です」 実久ちゃんは、 今年21歳だったはずだ。 12年間、 父親は講演を続け、法律を変えた。 それでも、「ずっと被害者であり続ける」苦しさの中にいる。 加害者は出所した。 被害者遺族の苦しみは、終わらない。 あなたは、加害者が刑期を終えて出所するとき、被害者遺族を守る仕組みがこの国に足りないと思いますか。

Ajay Verma (アジャイ・ヴェルマ)

209,166 Aufrufe • vor 2 Tagen

DataAnalyst1309's profile picture

17日から行方不明だった87歳の男性が、取材中のカメラの前に突然現れた。 山の中で一夜を過ごしていた。 2026年、山中でキノコ狩りをしていた87歳の男性が行方不明になる出来事があった。 男性は17日から行方が分からなくなり、警察などが捜索を続けていた。 男性はどんな状況だったのか。 山の中を歩いている途中、竹や小さな木に体が絡まり、身動きが取れなくなったという。 「竹に挟まった状態で抜けない。小さな木と絡み合っているから、なかなか体が抜けない」 87歳の男性は、身動きが取れないまま山の中で一夜を過ごした。 食事もない。 助けを呼ぶこともできない。 それでも、生き延びていた。 そして、捜索が続く中、取材中のカメラの前に男性が突然現れた。 救急隊員が声をかける。 「大丈夫ですか?けがとか」 男性は答えた。 「全然なんともないです」 17日から行方不明だった87歳。 山の中で一夜を過ごし、 竹に挟まれ、 身動きが取れなくなっていた。 それでも、けがはなかった。 知人が尋ねた。 「山の中で寝てたの?」 男性は答えた。 「歩きっぱなし」 87歳の男性は、無事に発見された。 行方不明からの生還。 山の中で何が起きていたのか。 あなたなら、87歳で一夜を山の中で過ごしたと聞いて、まず何を思いますか。

Ajay Verma (アジャイ・ヴェルマ)

2,245,531 Aufrufe • vor 22 Tagen

DataAnalyst1309's profile picture

2019年5月、大阪府堺市で、生後7か月の篠原咲舞ちゃんが突然亡くなった。 娘をお風呂に入れていた父・篠原遼さんは、自ら119番通報し、必死に救命を求めた。 しかし、待っていたのは「悲しみ」ではなく、「殺人犯」という疑いだった。 警察は「窒息死」と判断し、篠原さんを逮捕。 「父親が娘を窒息死させた」 その見立てのもと捜査は進められた。 篠原さんは一貫して否認した。 「私は娘を殺していない」 それでも起訴された。 何が問題だったのか。 事件当初、捜査は窒息死という可能性を前提に進められた。 一方で、死亡原因については他の可能性も十分に検討されるべきだった。 裁判が進む中、遺伝子検査が実施され、咲舞ちゃんには致死性不整脈につながる可能性のある遺伝子変異が確認された。 つまり、 突然の心停止によって亡くなった可能性を否定できなくなった。 しかし、この重要な可能性は、事件当初の捜査では十分に反映されていなかった。 人の命を失った事件では、 「一つの仮説だけ」で進む捜査は、取り返しのつかない結果を生むことがある。 しかし、この事件には「もう一つの顔」がある。 篠原さんは逮捕された。 家族は世間から疑いの目を向けられた。 仕事も生活も大きく変わった。 娘を失った父親が、 娘を殺した父親として扱われた。 もし無罪にならなければ、 その人生は戻ることはなかった。 🔴 判決 2022年12月2日、大阪地裁は篠原遼さんに無罪を言い渡した。 裁判所は、咲舞ちゃんが遺伝的要因による突然死だった可能性を否定できず、窒息死であると断定するには合理的な疑いが残ると判断した。 検察は控訴せず、 無罪判決は確定した。 娘は戻らない。 失われた時間も戻らない。 父親は無罪になった。 しかし、 逮捕され、 起訴され、 「娘を殺した父親」と見られ続けた日々は消えない。 一つの思い込みが、 一人の人生を壊しかけた。 もし遺伝子検査が行われなかったら。 もし裁判で別の可能性が十分に検討されなかったら。 この事件は、違う結末になっていたかもしれない。 あなたは、 娘を失った父親が、その直後に殺人犯として扱われ、3年後に無罪となったこの事件を見て、日本の捜査や刑事司法は十分に「思い込み」を防げていると思いますか。 👇あなたの意見を聞かせてください。

Ajay Verma (アジャイ・ヴェルマ)

5,571,580 Aufrufe • vor 1 Monat

DataAnalyst1309's profile picture

警察に9回、 相談した。 それでも、 床下で発見された。 2024年12月、神奈川県川崎市で起きた 「川崎市岡﨑彩咲陽さん事件」。 岡﨑彩咲陽さんは当時20歳のアルバイト。 川崎市で普通に生活していた。 夢があった。 笑顔があった。 未来があった。 彩咲陽さんはどんな人だったのか。 父・鉄也さんは語った。 「明るくて、周りを笑わせる子だった。まさか娘がこんな目に遭うとは思っていなかった」 交際相手と別れたことが、 すべての始まりになった。 何が起きたのか。 2024年春、 元交際相手の白井秀征(当時27歳)によるストーカー行為があったとされる。 別れた後、 白井は自宅に押しかけるようになった。 彩咲陽さんは祖母宅へ避難した。 しかし、 白井は追いかけてきた。 繰り返される暴力。 連れ去り。 監視。 彩咲陽さんは買ったばかりのスマートフォンを壊された。 逃げても、 また現れた。 彩咲陽さんと父・鉄也さんは、 警察に訴え続けた。 相談回数は9回。 2024年6月から12月まで、 約半年間、 繰り返し助けを求めた。 遺族は、 「警察は本格的に動かなかった」 と訴えている。 しかし、 この事件には「もう一つの顔」がある。 神奈川県警は当初、 「ストーカー相談としては認識していなかった」 と説明した。 9回相談しても、 ストーカー相談とは認識されなかった。 被害前日、 彩咲陽さんは担当警察官の携帯電話に直接連絡していたとされる。 それでも、 翌日、 彩咲陽さんは行方不明になった。 2024年12月20日。 2025年4月30日。 川崎市内の民家の床下収納スペースから、 ボストンバッグに入った遺体が発見された。 司法解剖の結果、 彩咲陽さん本人と確認された。 遺体は一部白骨化していた。 4カ月間、 床下にいた。 🔴 逮捕と現在 2025年5月3日、 白井秀征が死体遺棄容疑で逮捕された。 その後、 死体損壊、 ストーカー規制法違反、 殺人の罪で追起訴された。 現在も裁判は続いている。 2025年9月、 神奈川県警は55ページの検証報告書を公表した。 「組織としての対応にミスがあった」 と認めた。 9回相談して殺害された20歳の命が、 「ミスがあった」 という言葉で語られた。 父・鉄也さんは語った。 「警察の報告書はうそだらけだ。いくら言っても動かなかった。娘は警察を信じて相談し続けた。それでも命を奪われた」 9回、 助けを求めた。 9回、 相談した。 床下で発見された。 報告書は55ページだった。 彩咲陽さんは、 警察を信じ続けた。 その信頼が、 彼女を守ることはできなかった。 この国で、 「警察に相談する」という行動は、 本当に命を守れるのか。 あなたは、 9回相談しても守られなかったこの事件で、 何が変わるべきだと思いますか。

Ajay Verma (アジャイ・ヴェルマ)

3,344,979 Aufrufe • vor 1 Monat

DataAnalyst1309's profile picture

「ドンと音がした。見たら倒れていた。 すぐ救急車を呼んだ」 それが、母親の説明だった。 笑乃ちゃんが亡くなって4年後、 母親は逮捕された。 3年半、 勾留された。 自分の子どもにも、 触れられなかった。 検察は懲役8年を求刑した。 2026年3月3日、 福岡地裁は「故意の暴行を認定するには合理的な疑いが残る」として、 無罪を言い渡した。 2018年7月、福岡県川崎町。 「福岡・川崎町11か月女児死亡事件 ― 松本亜里沙冤罪事件」。 2018年7月28日、福岡県田川郡川崎町の自宅で、生後11か月の松本笑乃(えの)ちゃんが意識を失い、3日後に急性硬膜下血腫とびまん性脳腫脹により死亡した。後頭部には骨折があった。当時21歳だった母親の亜里沙さんと笑乃ちゃん、2人きりの時に起きた出来事だった。 笑乃ちゃんと亜里沙さんはどんな関係だったのか。 亜里沙さんは判決後の取材でこう語った。 「家族が待っていたのでほっとした。死ぬまで反省し続ける」 娘の死への後悔と悲しみを抱えたまま、無実を主張し続けた母親の言葉だった。 何が起きたのか。 亜里沙さんは事件当時、こう説明していた。 「ミルクをやろうと思って作っていた時に『ドン』と音がしたので見たら倒れていて、急に呼吸がおかしくなったので救急車を呼んだ」 弁護側が主張したのは、 持病のてんかん発作だった。 亜里沙さんはてんかんの持病があった。 発作が起きて笑乃ちゃんを抱っこしたまま転倒したか、あるいは笑乃ちゃんを落下させた事故の可能性がある。 それが弁護側の主張だった。 直接的な証拠は存在しなかった。 目撃者もいなかった。 しかし、この事件には「もう一つの顔」がある。 笑乃ちゃんが亡くなったのは2018年7月。 亜里沙さんが傷害致死容疑で逮捕されたのは、4年後の2022年2月だった。 逮捕後、亜里沙さんは3年半にわたり勾留された。 家族の証人尋問まで面会も制限され、自分の子どもにも触れることができなかった。 3年半、 子どもに触れられなかった。 長期勾留の実態は、「人質司法」との批判も呼んだ。 本事件はAHT(虐待による乳幼児頭部外傷)が疑われる事件として起訴された。 しかし全国ではAHT事件をめぐって無罪判決が相次ぎ、医学的見解が分かれていることが問題となっていた。 AHTの診断は「シェイクン・ベイビー症候群」とも呼ばれ、かつては確立した医学理論とされていたが、近年は転落や発作など他の原因でも同様の症状が生じうるという知見が広まっている。 医学的知見は現在も議論が続いていた。 それでも検察はAHTを前提として起訴した。 弁護人はこう語った。 「捜査機関が慎重に医学的見解を吟味していれば、逮捕、起訴すべき案件ではなかった」 🔴 無罪判決と確定 2026年3月3日、福岡地裁の鈴嶋晋一裁判長は無罪判決を言い渡した。 判決では「皮膚変色は床ずれの可能性がある」とし、「骨折などのけがは後頭部を一度、それほど強くない力で打っても生じ得る」として検察側の主張を退けた。 「故意の暴行を認定するには合理的な疑いが残る」 それが裁判所の結論だった。 求刑は懲役8年だった。 2026年3月18日、 検察は控訴を断念。 無罪が確定した。 弁護団はコメントを発表した。 「個人や家族の人生が奪われた。この現実は決して看過されてはなりません」 4年後に逮捕された。 3年半、 子どもに触れられなかった。 懲役8年を求刑された。 無罪になった。 でも3年半は戻らない。 娘を亡くした悲しみを抱えたまま、 8年間、 「加害者」として裁かれ続けた。 AHTをめぐる医学的見解が分かれる中、検察は旧来の理論を前提に起訴した。 娘を失った母親は、 事件後8年間、 被告人として生きることになった。 あなたは、医学的見解が分かれる中でAHTを前提に起訴され、3年半勾留され、自分の子どもにも触れられなかった亜里沙さんの8年間に、何を思いますか。

Ajay Verma (アジャイ・ヴェルマ)

3,569,572 Aufrufe • vor 1 Monat

DataAnalyst1309's profile picture

一審は無罪とした。 「証拠がない」と言った。 検察は控訴した。 二審は逆転有罪にした。 暴力団員の「証言」だけで、懲役7年が確定した。 前川彰司さんは服役した。 出所してからも、無実を主張し続けた。 逮捕から39年。 2025年7月18日、ようやく無罪が確定した。 1986年3月19日、福井県福井市。 「福井女子中学生殺人事件・前川彰司冤罪事件」。 1986年3月19日夜、福井市の市営住宅で中学3年の女子生徒(当時15歳)が自宅で殺害された。顔や首など50数か所を刺され、電気コードで首を絞められていた。残忍な犯行で地域に衝撃が走った。 福井県警は捜査に難航した。 事件から1年後の1987年3月。 薬物事件で逮捕・勾留中の暴力団組員の「証言」をもとに、前川彰司さん(当時21歳)が殺人容疑で逮捕された。 前川さんはどんな人だったのか。 逮捕以来一貫して「私は殺していない」と無実を主張し続けた。長時間にわたる取調べと自白強要にも屈しなかった。逮捕から39年、闘い続けた。 何が問題だったのか。 前川さんを犯人とする物的証拠は、一切なかった。 唯一の有罪根拠は、複数の「関係者の証言」だった。暴力団組員が「前川が血のついた服を着て戻ってきた」と証言した。別の者が「前川から犯行を告白された」と証言した。 しかし、その暴力団組員は勾留中に、自分の刑事事件を有利にするために証言を取引材料にしていた。証言は何度も変遷した。血のついた服は、最後まで発見されなかった。 さらに、警察は証言者に「利益」を与えていた。勾留中なのに寿司の差し入れを認め、移監の要望を聞いた。重要証人には、私的交際関係がないにもかかわらず結婚祝いの金銭を渡していた。 証人と証人を直接面会させ、供述を「汚染」した。 1990年9月、一審・福井地裁は「証言の信用性がない」として無罪判決を言い渡した。 しかし検察は控訴した。 しかし、この事件には「もう一つの顔」がある。 1995年2月、名古屋高裁金沢支部は「証言が大筋で一致する」として逆転有罪、懲役7年を言い渡した。1997年、最高裁は審理もせず上告を棄却。一審が「信用できない」と断じた証言が、なぜか上級審で「一致する」とされた。 一審は「信用できない」と言った。 高裁は「大筋で一致する」と言った。 前川さんは服役し、満期出所後の2004年に再審請求を申し立てた。 2011年、高裁支部が再審開始を決定。 しかし検察が異議申立て。 2013年、名古屋高裁が再審開始を取り消した。 ようやく開いたドアを、検察が閉めた。 前川さんは2022年、第2次再審請求を申し立てた。今度は裁判所の積極的な訴訟指揮により、検察から新たに287点の証拠が開示された。 隠されていた証拠が、287点、出てきた。 🔴 再審無罪確定 2024年10月23日、名古屋高裁金沢支部が再審開始を決定。検察は異議申立てを断念。2025年3月6日、第1回再審公判。2025年7月18日、再審無罪判決。検察は上告せず、同年8月1日に無罪が最終確定した。 判決は、警察が証人に不当な利益を与えて「供述を汚染した可能性が否定できない」と認定。検察が不利益な事実を隠して訴訟活動を行ったことについて「公益を代表する検察官としてあるまじき不誠実で罪深い不正」と断罪した。 物的証拠は一切なかった。 暴力団員の「証言」だけで懲役7年になった。 警察は証人に利益を与え供述を誘導した。 検察は不利益な証拠を隠し続けた。 一審の無罪は、検察の控訴で覆された。 再審開始を、検察の異議で一度は取り消した。 287点の証拠が、隠されていた。 逮捕から39年後。 ようやく「無罪」の2文字が届いた。 しかし、真犯人は今も特定されていない。 時効は、すでに成立している。 あなたは、物的証拠ゼロで39年間闘い続けた前川さんと、証拠を隠し再審を妨害し続けた検察・警察の行為を、どう思いますか。

Ajay Verma (アジャイ・ヴェルマ)

4,318,144 Aufrufe • vor 1 Monat

DataAnalyst1309's profile picture

東大を卒業して 夢の会社に入社した。 月105時間の残業。 上司に言われた言葉 「髪ボサボサ、目が死んでる」 「君の残業は無駄」 入社8ヶ月後 24歳のクリスマスに 屋上から飛び降りた。 2015年12月、東京都港区。 「電通過労自殺事件」。 高橋まつりさんは東京大学文学部を卒業後、2015年4月に広告大手「電通」に入社した。デジタル・アカウント部に配属され、インターネット広告を担当した。 まつりさんはどんな子だったのか。 母・幸美さんは語る。「まつりは小学生のころから、ずっと電通に入りたいと言っていた。夢を叶えた娘でした」。東大を首席クラスで卒業した努力家だった。 何が起きたのか。 入社後すぐに長時間労働が始まった。2015年10月の残業時間は105時間に達した。睡眠は1日2時間を切る日が続いた。 上司からは「髪ボサボサ、目が死んでる、白目が茶色い。だらしない、何とかしろ」「女の子なんだから、もっと清潔感を持って」「君の残業は会社の生産性を落としている、無駄」などの言葉を受けた。 睡眠2時間 それでも「残業は無駄」と言われた。 まつりさんはTwitterに苦しさを綴っていた。「眠れない眠れない眠れない眠れない」「土日も会社行かなければならないことが本当に辛い、誰か助けて」「もう4時だ。つらい」 助けを求めていた。 SNSに書き続けていた。 2015年12月25日、クリスマスの早朝、電通の社員寮から飛び降りて死亡した。当時24歳だった。 しかし、この事件には「もう一つの顔」がある。 電通は何をしていたのか。 電通は過去にも1991年に入社2年目の社員・大嶋一郎さん(当時24歳)が過労自殺しており、最高裁で会社の賠償責任が確定していた。それでも長時間労働の体質は変わらなかった。 24年前にも同じ死があった。 それでも何も変わらなかった。 電通では残業時間を実際より少なく見せるため、社員が自ら残業時間を過少申告するよう促す文化があったとされる。まつりさんの残業時間も、実態より少なく記録されていた可能性が指摘された。 月105時間の残業が 記録では少なく書かれていた。 🔴 判決と処分 2016年9月、三田労働基準監督署は過労による労災を認定した。まつりさんの死亡前1ヶ月の残業時間は105時間と認定された。 2017年10月、電通は労働基準法違反で東京簡裁から罰金50万円の有罪判決を受けた。法人として起訴された。 民事では、電通が遺族に対して約1億5000万円を支払う内容で和解が成立した。 一人の命 罰金50万円。 当時の社長・石井直氏は辞任した。しかし刑事責任を問われたのは法人としての電通のみ。直接の上司への刑事処分はなかった。 上司への刑事処分 ゼロ。 月105時間残業させた。 「残業は無駄」と言った。 24年前にも同じ死があった。 それでも体質は変わらなかった。 24歳のクリスマスに死んだ。 罰金は 50万円だった。 母・幸美さんは語った。「まつりの死を無駄にしないために、日本の労働環境を変えたい。まつりが最後の犠牲者になってほしい」 まつりさんが最後の犠牲者に なれたのか。 あなたは、月105時間残業させ「残業は無駄」と言い続けた会社への罰金が50万円だったことを、どう思いますか。

Ajay Verma (アジャイ・ヴェルマ)

10,145,989 Aufrufe • vor 3 Monaten

DataAnalyst1309's profile picture

交際相手に会うために、 3歳の娘を鍵のかかった部屋に置いて 鹿児島へ旅行した。 9日間、帰ってこなかった。 扉の外には、ソファーで鍵が固定されていた。 稀華ちゃんは、一人だった。 2020年6月、東京都大田区。 「大田区3歳女児放置死事件」。 2020年6月5日、梯沙希被告(当時24歳)は、3歳の長女・稀華(のあ)ちゃんを東京都大田区蒲田の自宅アパートに一人残し、鍵をかけて鹿児島県へ旅行に出た。ドアはソファーで固定されていた。帰宅したのは9日後の6月13日午後3時ごろ。119番通報した時、稀華ちゃんはすでに意識がなかった。高度脱水症と飢餓で亡くなっていた。 稀華ちゃんはどんな子だったのか。 3歳だった。同世代の平均より約3キログラム体重が軽かった。捜査当局は、ネグレクトが常態化していた疑いがあるとみていた。 まだ3歳だった。 助けを呼ぶ言葉を十分に持っていなかった。 何が起きたのか。 梯被告は5月にも3泊4日で稀華ちゃんを放置して鹿児島へ旅行していた。6月の事件は2度目だった。「これまでも放置しておきながら問題がなかったことへの慣れ」と判決で指摘された。 居酒屋で知り合った交際相手の男性が鹿児島にいた。誘われると断れなかった。 5月にも置いていった。 何事もなかった。それで安心した。 6月も置いていった。 9日後に戻ると、稀華ちゃんは死んでいた。 しかし、この事件には「もう一つの顔」がある。 梯被告自身も、幼少期に壮絶な虐待を受けていた。 実母からバットで叩かれた。 ゴミ袋に入れられた。 風呂場に放置された。 扉に鍵をかけて外から閉じ込められた。 弁護側は「幼少期に実母から受けた虐待体験が犯行に影響した」として情状酌量を求めた。 裁判長もこの点に言及した。「人を信頼できない性格が形成され、犯行に複雑に影響した」と。 幼少期に受けた虐待は、犯行に影響を与えた可能性があると裁判所は認定した。 「虐待の連鎖」を考えさせられる事件となった。 しかし裁判長はこうも述べた。「自らの判断による犯行で、量刑上考慮するには限度がある」 逮捕後、梯被告は長らく黙秘した。しかし初公判では起訴内容を認め、法廷での被告人質問では「謝罪と後悔」の態度を見せた。 🔴 判決 2022年2月9日、東京地裁(平出喜一裁判長)は懲役8年(求刑11年)を言い渡した。 裁判長は述べた。「悪質かつ身勝手な犯行で、かけがえのない幼い命が奪われた」「一人衰弱していった被害児のつらさと苦しみは言葉にしがたい」 求刑は11年だった。 判決は8年だった。 母親が受けた虐待が、娘の死に「複雑に影響した」と裁判長は認めた。しかし量刑では3年を減じるにとどまった。 稀華ちゃんは1週間以上、鍵のかかった部屋で一人だった。 胃の中は空だった。 水も食べ物もなかった。 母親が戻ってきた時、もう動かなかった。 梯被告は、自らも幼少期に虐待を受けて育ったと法廷で語った。 しかし、その過去が裁かれることはなく、残されたのは稀華ちゃんという幼い命だけだった。 あなたは、虐待の連鎖を止めるために、社会や行政は何を変えるべきだと思いますか。 また、幼い命を守れなかった責任は、誰が負うべきだと思いますか。 👇あなたの意見を聞かせてください。

Ajay Verma (アジャイ・ヴェルマ)

3,674,658 Aufrufe • vor 1 Monat

「殺されるかもしれない」と 警察に訴えた。 「必ず見回りをする」と 警察は約束した。 来なかった。 日本のシンガーソングライター。 彼は彼女を34回刺した。 理由、プレゼントを断られたから。 2016年5月21日、東京都小金井市で起きた 「小金井ストーカー刺傷事件」。 冨田真由さんは当時20歳の大学生で シンガーソングライターとして活動していた。 ライブハウス前で、ファンを自称する 岩崎友宏(当時27歳)にナイフで刺された。 真由さんはどんな人だったのか。 「つらい、苦しいという言葉が当てはまる日の多い9年でした」と真由さんは事件後の日々をそう振り返る。夢を持って音楽活動をしていた20歳だった。その夢がライブ会場の前で奪われた。 何が起きたのか。 岩崎はTwitterなどのSNS上でストーカー行為を繰り返した後、小金井市内のライブハウス前でナイフで襲いかかった。真由さんは首や胸など少なくとも34回刺され、一時心肺停止状態となった。 34回、刺された。 一時、心肺停止になった。 しかし、この事件には「もう一つの顔」がある。 冨田さんは事件発生前から岩崎からTwitterなどで執拗な脅迫や嫌がらせを受け、「殺されるかもしれない」と感じていることを、警視庁武蔵野署に相談していた。 岩崎はTwitterやブログに「(冨田さんを)殺したい」と書き込んでいた。 「殺したい」と公開で書いていた。 真由さんは「殺されるかもしれない」と訴えていた。 事件2日前にはライブの出演予定を同署員に伝え、署員が「その時間に必ず見回りをする」などと答えたにもかかわらず、会場周辺を警備する義務を怠った。 約束した。 来なかった。 34回、刺された。 真由さんの携帯電話から110番通報があった時、警察は真由さんの位置情報を確認せず、自宅に警察官を派遣してしまった。 現場ではなく、自宅に行った。 🔴 判決と和解 岩崎友宏は殺人未遂罪などで実刑判決が確定した。 冨田真由さんと母親は都に対して総額7600万円を超える損害賠償請求訴訟を提起した。東京都は危険性の予見可能性がなかったとして責任を否認していたが、東京地方裁判所からの和解勧告を受けて協議が進められた。 2025年7月、東京都と和解が成立した。 「殺されるかもしれない」と訴えた。 「必ず見回りをする」と約束された。 34回刺された。 9年後、和解した。 真由さんは記者会見でこう語った。「つらい、苦しいという言葉が当てはまる日の多い9年だった。警察には被害者が相談して良かったと思える対応をしてほしい」と。 事件をきっかけにストーカー規制法が改正され、SNSでの付きまといが規制対象となり、罰則が強化された。 法律は変わった。 しかし、真由さんの9年は戻らない。 後遺症で口に麻痺が残り、 食事も会話も不自由なままだ。 「殺されるかもしれない」と言った。 「必ず見回りをする」と言われた。 警察は来なかった。 34回刺された。 この国で「警察に相談する」ことは 本当に命を守れるのか。 あなたは、「必ず見回りをする」と約束した警察が来なかったこの事件を、どう思いますか。
0:20

Sensitive content

This media may contain sensitive content.

DataAnalyst1309's profile picture

「殺されるかもしれない」と 警察に訴えた。 「必ず見回りをする」と 警察は約束した。 来なかった。 日本のシンガーソングライター。 彼は彼女を34回刺した。 理由、プレゼントを断られたから。 2016年5月21日、東京都小金井市で起きた 「小金井ストーカー刺傷事件」。 冨田真由さんは当時20歳の大学生で シンガーソングライターとして活動していた。 ライブハウス前で、ファンを自称する 岩崎友宏(当時27歳)にナイフで刺された。 真由さんはどんな人だったのか。 「つらい、苦しいという言葉が当てはまる日の多い9年でした」と真由さんは事件後の日々をそう振り返る。夢を持って音楽活動をしていた20歳だった。その夢がライブ会場の前で奪われた。 何が起きたのか。 岩崎はTwitterなどのSNS上でストーカー行為を繰り返した後、小金井市内のライブハウス前でナイフで襲いかかった。真由さんは首や胸など少なくとも34回刺され、一時心肺停止状態となった。 34回、刺された。 一時、心肺停止になった。 しかし、この事件には「もう一つの顔」がある。 冨田さんは事件発生前から岩崎からTwitterなどで執拗な脅迫や嫌がらせを受け、「殺されるかもしれない」と感じていることを、警視庁武蔵野署に相談していた。 岩崎はTwitterやブログに「(冨田さんを)殺したい」と書き込んでいた。 「殺したい」と公開で書いていた。 真由さんは「殺されるかもしれない」と訴えていた。 事件2日前にはライブの出演予定を同署員に伝え、署員が「その時間に必ず見回りをする」などと答えたにもかかわらず、会場周辺を警備する義務を怠った。 約束した。 来なかった。 34回、刺された。 真由さんの携帯電話から110番通報があった時、警察は真由さんの位置情報を確認せず、自宅に警察官を派遣してしまった。 現場ではなく、自宅に行った。 🔴 判決と和解 岩崎友宏は殺人未遂罪などで実刑判決が確定した。 冨田真由さんと母親は都に対して総額7600万円を超える損害賠償請求訴訟を提起した。東京都は危険性の予見可能性がなかったとして責任を否認していたが、東京地方裁判所からの和解勧告を受けて協議が進められた。 2025年7月、東京都と和解が成立した。 「殺されるかもしれない」と訴えた。 「必ず見回りをする」と約束された。 34回刺された。 9年後、和解した。 真由さんは記者会見でこう語った。「つらい、苦しいという言葉が当てはまる日の多い9年だった。警察には被害者が相談して良かったと思える対応をしてほしい」と。 事件をきっかけにストーカー規制法が改正され、SNSでの付きまといが規制対象となり、罰則が強化された。 法律は変わった。 しかし、真由さんの9年は戻らない。 後遺症で口に麻痺が残り、 食事も会話も不自由なままだ。 「殺されるかもしれない」と言った。 「必ず見回りをする」と言われた。 警察は来なかった。 34回刺された。 この国で「警察に相談する」ことは 本当に命を守れるのか。 あなたは、「必ず見回りをする」と約束した警察が来なかったこの事件を、どう思いますか。

Ajay Verma (アジャイ・ヴェルマ)

555,378 Aufrufe • vor 12 Tagen

DataAnalyst1309's profile picture

ランドセルが空き地に落ちていた。 近くの段ボール箱の中に 7歳のあいりちゃんがいた。 下校途中、たった一人で歩いていた。 それだけだった。 検察は死刑を求刑した。 判決は無期懲役だった。 父親は言った。 「あいりは2度殺された」 2005年11月22日、広島市安芸区。 「広島小1女児殺害事件」。 2005年11月22日午後3時すぎ、広島市安芸区矢野西の空き地に置いてあった段ボール箱の中に、小学1年生の女の子が意識不明の状態でいるのを近所の人が見つけた。女の子は近くに住む木下あいりちゃん(当時7歳)と判明し、死亡が確認された。死因は首を絞められたことによる窒息死だった。 あいりちゃんはどんな子だったのか。 同級生の卒業式が開かれた2011年3月18日、学校側は「同級生と一緒に卒業させてあげたい」として卒業証書と同じ文書を作成。校長が「多くの友の中で共に過ごしたことを証します」と伝えて母親に手渡した。母親は「ありがとうございます」と答え、涙ぐんだ。 同級生が卒業する日、 あいりちゃんは卒業証書を受け取れなかった。 何が起きたのか。 事件から8日後の11月30日、遺留品や目撃情報などから近くのアパートに住む当時33歳のペルー人の男(ホセ・マヌエル・トレス・ヤギ)を殺人と死体遺棄の容疑で逮捕した。 広島地検は殺人や強制わいせつ致死などの罪で起訴した。 下校途中、一人で歩いていた。 それだけが理由だった。 しかし、この事件には「もう一つの顔」がある。 加害者には前科があった。 差し戻し控訴審では、ペルーでの幼い女の子2人に対する性犯罪歴が証拠採用された。しかし広島高裁は「罪を犯したことが確実ではなく、日本国内での前歴や前科と同じように取り扱うことは許されない」として、量刑を考慮するための資料には用いないと述べた。 ペルーで幼い女の子2人への性犯罪歴があった。 それでも量刑の考慮から除外された。 裁判は複雑な経緯をたどった。裁判員裁判のモデルケースとされ、公判前整理手続が行われた。被告は法廷で意味不明の言動を繰り返し、公判が度々中断した。 法廷で意味不明の言動を繰り返した。 公判は何度も中断した。 🔴 判決 検察側は死刑を求刑したが、一審広島地裁は無期懲役を言い渡した。検察と弁護側の双方が控訴するなどし、2010年8月に無期懲役が確定した。裁判は4年余りにわたった。 父・建一さんは語った。「悪魔の存在を主張し続けたことは疑問で、納得いかなかった。性犯罪というのは非常に悪質な犯罪であるので刑罰は重いんだという認識が社会に広まればいい」 検察は死刑を求めた。 ペルーでの性犯罪歴は考慮されなかった。 判決は無期懲役だった。 父親は言った。 「あいりは2度殺された」 7歳のあいりちゃんは下校中に殺された。 段ボール箱に入れられた。 ペルーでの前科は考慮されなかった。 4年かけて無期懲役が確定した。 同級生が卒業する日、 母親は学校から卒業証書を受け取った。 「あいりは2度殺された」という父の言葉は 20年経った今も消えない。 あなたは、ペルーでの幼い女の子への性犯罪歴が量刑に考慮されず、死刑求刑に対して無期懲役となったこの判決を、どう思いますか。

Ajay Verma (アジャイ・ヴェルマ)

4,972,236 Aufrufe • vor 2 Monaten

DataAnalyst1309's profile picture

熊谷警察署で取り調べ中、 被疑者は脱走した。 「タバコを吸いに行く」と言って そのまま戻らなかった。 3日間の逃走の末、 6人が殺された。 10歳の美咲さん。 7歳の春花さん。 その母・美和子さん。 夫は 3人を一度に失った。 裁判員裁判は死刑を選んだ。 高裁は無期懲役に覆した。 警察は逃走の事実を 住民に知らせなかった。 2015年9月、埼玉県熊谷市。 「熊谷6人殺害事件」。 2015年9月13日、熊谷警察署で任意同行され取り調べを受けていたペルー国籍のナカダ・ルデナ・バイロン・ジョナタン(当時30歳)が、喫煙を装って逃走した。3日間にわたる逃走の間に3軒の住宅に侵入し、男女6人を次々に殺害した。 被害者はどんな人たちだったのか。 加藤裕希さんは、妻・美和子さん(41歳)、長女・美咲さん(10歳、小学5年)、次女・春花さん(7歳、小学2年)の3人を一度に失った。事件発生約4ヶ月前に撮影された美咲さんと春花さんの写真が、今も加藤さんの手元に残されている。 加藤さんは語った。 「本心を言えば、もう死にたいという気持ちです。私は全部を失って生きる希望がありません」 家族3人を 一度に奪われた。 何が起きたのか。 9月14日夕方、ナカダは熊谷市内の住宅に押し入り、50代の夫婦を殺害した。15日から16日にかけて、80代の女性を殺害。その後、加藤さんの自宅に侵入し、妻と娘2人を殺害した。後の捜査で、長女・美咲さんに性的加害をしていたことも明らかになった。 ナカダは加藤さん宅で発見された際、2階から飛び降り頭部を強打。意識不明の重体となったが、9月24日に意識を回復し、10月8日に逮捕された。 3人を殺害したあとも その場にとどまっていた。 しかし、この事件には「もう一つの顔」がある。 埼玉県警は何をしていたのか。 ナカダが逃走した翌日、9月14日に最初の夫婦が殺害された。県警は事件発生から約7時間後、ナカダを参考人として全国手配していた。つまり「男の犯行」とほぼ断定し、逃走の事実とさらなる事件発生の危険性を認識していた。 それでも県警は地域住民にこの事実を広報しなかった。 加藤さんが家族を殺された後になって、初めてナカダの逃走を知った。 危険性を認識していた。 それでも知らせなかった。 🔴 判決と二重の闘い 2018年、さいたま地裁の裁判員裁判は死刑判決を言い渡した。検察側は「金を奪う目的で6人を殺害した」「自己防衛的な行動を取っており違法性を認識していた」として完全責任能力を主張した。 しかし2019年、東京高裁は一審を破棄し、統合失調症による心神耗弱を理由に無期懲役とした。検察は上告を断念。弁護側のみが上告したが、2020年9月、最高裁は上告を棄却し、無期懲役が確定した。 6人を殺害したにもかかわらず、 心神耗弱が認定され、 判決は無期懲役となった。 加藤さんは被害者参加制度を利用し、法廷でナカダに直接問いかけた。判決確定後、加藤さんは語った。 「司法はもっと被害者に寄り添ってほしい。控訴審が無期懲役としたのは誤審だと思う」 刑事裁判で終わりではなかった。 加藤さんは「最初の事件の段階で住民に注意喚起していれば家族の被害は防げた」として、埼玉県を相手に国家賠償請求訴訟を起こした。 2022年、さいたま地裁は請求を棄却。2023年、東京高裁も控訴を退けた。 「県警の対応は不合理だとは言えない」 とされた。 刑事裁判で無期懲役になった。 民事訴訟でも県の責任は認められなかった。 加藤さんは2024年、最高裁に上告した。 「これが最後になる」 と語った。 危険人物が逃走していた。 県警はそれを知っていた。 住民には知らされなかった。 3人が殺された。 裁判では死刑が無期懲役に覆った。 県の責任も認められなかった。 加藤さんは家族の遺影を前に、 今も一人で生き続けている。 あなたは、危険性を認識していながら住民に知らせなかった県警の対応と、6人を殺害したにもかかわらず無期懲役となったこの判決に、何を思いますか。

Ajay Verma (アジャイ・ヴェルマ)

3,935,228 Aufrufe • vor 2 Monaten

DataAnalyst1309's profile picture

言葉が出なかった。 人前では、 体さえ動かなくなった。 それでも彼女には、 夢中になれるものがあった。 それが「お菓子作り」だった。 滋賀県に住む「みいちゃん」の物語。 みいちゃんには、強い不安や緊張によって人前で話したり、体を動かしたりすることが難しくなる「場面緘黙症」の症状がある。 家では普通に話せる。 しかし学校など人前に出ると、 話せなくなるだけではなく、 体も動かせなくなってしまう。 小学校に入る前、 両親はみいちゃんの症状を知った。 家では普通に話す娘を知っていた両親にとって、 それは簡単には信じられないことだった。 小学4年生の頃、 みいちゃんは不登校になった。 そんな時、 自然と体を動かすことができたのが 「お菓子作り」だった。 夢中になってケーキを作り続け、 家族も驚くほどの速さで上達していった。 娘の才能を見つけた両親は、 借金をしてでも支えることを決意した。 そして自宅近くに、 「みいちゃんのお菓子工房」をオープン。 店長は、みいちゃん。 母親と2人で月に2回営業する小さなお店だった。 SNSで話題になると、 全国から客が訪れるようになった。 予約は、 2か月待ちになるほどだった。 話すことが難しかった少女が、 お菓子を通して人とつながっていった。 母親が願ったのは、 ケーキ作りを通じた娘の自立だった。 しかし、2021年12月頃から、 みいちゃんにある変化が起きていた。 そして2026年現在、 みいちゃんは18歳になった。 場面緘黙症が、 突然なくなったわけではない。 それでも彼女は、 パティシエになるという夢を追い続けている。 言葉では伝えられないことを、 お菓子で伝える。 話すことができなくても、 夢まで諦める必要はない。 みいちゃんが選んだのは、 自分の世界に閉じこもることではなく、 自分にできる方法で世界とつながることだった。 あなたは、 言葉ではなく「お菓子」で夢を追い続ける彼女の姿をどう思いますか。

Ajay Verma (アジャイ・ヴェルマ)

757,473 Aufrufe • vor 19 Tagen

DataAnalyst1309's profile picture

11回、 SOSを出していた。 靴箱には「死ね」「キモイ」という メモが入れられていた。 加害者は、誰も特定されなかった。 刑事処分は、なかった。 学校は、 組織として動かなかった。 2021年2月12日、山形県酒田市で起きた 「酒田市立第一中学校いじめ転落死事件」。 石澤準奈さん(せっちゃん)は当時13歳の中学1年生。2021年2月12日の朝、いつも通り登校した。父親はその朝の短い会話を、最後の言葉として今も覚えている。その日の午後、学校の4階から転落し、命を絶った。 せっちゃんはどんな子だったのか。 父親はこう語った。「いじめがあったと認められた。でも、いじめで死んだとは認めなかった。それがどういう意味か、私には理解できない」と。笑顔で登校した13歳が、同じ日に帰らなかった。 何が起きたのか。 靴箱に「死ね」「キモイ」というメモが入れられていた。クラスでの排除と嫌がらせが繰り返されていた。2023年の調査では5件のいじめが認定された。しかし加害者は特定できなかった。 誰がやったか、わからなかった。 5件のいじめは、認定された。 加害者は、誰も特定されなかった。 しかし、この事件には「もう一つの顔」がある。 2025年の再調査委員会が明らかにしたことがある。せっちゃんは学校や周囲の人間に11回のSOSを出していた。 11回、「助けて」と言っていた。 11回、組織として動かなかった。 委員会はこう指摘した。「適切な組織的対応があれば、自死に至らなかった可能性がある」と。 「可能性がある」。 13歳の命が、 「可能性がある」という言葉で語られた。 さらに、 再調査委員会の最終結論は、「いじめは認定する。しかしいじめと自死の因果関係は認められない」だった。 いじめはあった。 でも、いじめで死んだとは言わない。 父親はこう語った。「いじめがあったと認めながら、いじめで死んだとは認めない。それがどういう理屈なのか、私には理解できない」と。 🔴 判決と現在 刑事処分、なし。 加害者は、特定されなかった。 民事訴訟は、継続中。 「いじめは認定する」。 「因果関係は不明」。 旭川の爽彩さんも、3年後にやっと認定された。 野田の心愛さんも、アンケートを父親に渡された。 せっちゃんも、11回のSOSが「組織として」受け止められなかった。 同じことが、また繰り返された。 靴箱に「死ね」と書かれていた。 11回SOSを出していた。 加害者は誰も特定されなかった。 刑事処分はなかった。 「因果関係が認められない」という結論に、 遺族は今も向き合い続けている。 せっちゃんは13歳だった。 朝、父親と言葉を交わして登校した。 その日の夕方、帰らなかった。 いじめを認めながら、 いじめで死んだと認めない国の結論を、 あなたはどう思いますか。

Ajay Verma (アジャイ・ヴェルマ)

192,169 Aufrufe • vor 7 Tagen

DataAnalyst1309's profile picture

小学4年生の女の子が、 自分でアンケートにこう書いた 「お父さんにぼう力を受けています。先生、どうにかできませんか」 その紙が父親の手に渡った。 2019年、日本で起きた 「野田市小4女児虐待死事件」。 栗原心愛さんは当時10歳の小学4年生。 2019年1月24日、千葉県野田市の自宅浴室で倒れているのが発見され、死亡が確認された。 全身には数十カ所のあざ。 胸の骨が折れ、髪も抜け、胃の中には食べ物がなかった。 父親は何をしていたのか 冷水のシャワーを浴びせ続けた。 髪を引っ張った。 首付近を鷲づかみにした。 13時間、休まずに立たせ続けた。 死亡する2日前は眠らせなかった。 しかし、心愛さんはすでに助けを求めていた。 2017年11月、学校のいじめアンケートで心愛さんはこう書いた。 「お父さんにぼう力を受けています。夜中に起こされたり、けられたり、たたかれたりしています。先生、どうにかできませんか」 しかも匿名で書けるアンケートに、自分の名前をフルネームで書いた。 担任はその言葉に「衝撃を受けた」と法廷で語った。 児童相談所は翌日、一時保護した。 しかし、父親は学校に連日押しかけ「人の子を誘拐するのか」「訴訟を起こす」と脅し続けた。 そしてアンケートの「実物を見せろ」と要求した。 野田市教育委員会は父親の恫喝に屈した。 2018年1月、心愛さんが命がけで書いたアンケートのコピーを、父親に手渡した。 娘が「助けて」と書いた紙を虐待した父親に渡した。 一時保護も12月27日に解除された。 その後、心愛さんは転校させられた。 次のアンケートに、SOSを書くことはなかった。 父親は一時保護解除後、心愛さんに「たたかれたというのはうそ」という虚偽の文書を書かせた。 心愛さんは書いた、もう一つの言葉を。 4年生のときに学校で書いた「未来の自分への手紙」はこう締めくくられていた。 「五年生になってもそのままのあなたでいてください。未来のあなたを見たいです。あきらめないで下さい」と。 その手紙は本人に届かなかった。 判決は父親に懲役16年。 裁判長は「異常なまでに陰惨でむごたらしい。悪質性は並外れて際立っている」と述べた。 しかし、心愛さんはアンケートに名前まで書いて助けを求めた。 担任は「衝撃を受けた」と言った。 児相は一時保護した。 それなのに、父親の怒鳴り声一つでアンケートは父親に渡された。 一時保護は解除された。 転校させられた。 そして死んだ。 この国のシステムは、子どもの「助けてください」より大人の怒鳴り声を優先した。

Ajay Verma (アジャイ・ヴェルマ)

6,658,233 Aufrufe • vor 4 Monaten

DataAnalyst1309's profile picture

インスタグラムの動画に 偶然、写り込んだ。 それだけだった。 翌朝 教室で「死ねばいい」と言われた。 帰宅してわずか1時間後 17歳の女の子は もういなかった。 2018年、熊本県で起きた 「深草知華さんいじめ自殺事件」。 2018年5月17日、熊本県北部の町で、祖母が首をつっている高校3年の孫の姿を見つけた。女子高生の名前は、深草知華さん(17歳)。142センチの小柄で、先輩後輩問わず好かれる、愛嬌のある子だった。 何が起きたのか 5月16日の放課後、2年生の男子が友人らを撮影してインスタグラムに動画を投稿した。 その動画に、偶然通りかかった知華さんが写り込んでいた。 ただ 偶然、写り込んだだけだった。 翌朝、その動画がクラス中に広まった。 1時間目から教室のざわつきは始まった。2時間目になると、クラスの騒ぎはエスカレートした。悪意が全体に広まったかのように 「何回言ってもわからん」 「視界から消えればいいのに、まじ無理」 「言われたくないなら死ねばいい」 「私なら学校来れん」 といった言葉が飛び交った。 授業中に クラス全体が彼女を標的にした。 知華さんは涙を浮かべて 「きついです。早退したい」と担任に訴えた。 学校を早退した後、「死ねばいいって言われた」などと記載した遺書を残して自殺した。 帰宅からわずか1時間後だった。 しかし、この事件には「もう一つの顔」がある。 知華さんが「きついです。早退したい」と訴えた際の担任の対応を、再調査の第三者委員会は問題視した。それまでに早退がほとんどなかったことを念頭に「普段と異なった態度を掘り下げ、保護者に伝達することはできた」と指摘した。 担任は 掘り下げなかった。 保護者にも 伝えなかった。 英語の授業中、暴言が飛び交ったことについても、担当教員は「記録に残す必要があった」と指摘された。 授業中に「死ねばいい」と言われていた。 教員は 記録すら残さなかった。 父親は語る。 「言葉のいじめは軽く見られますが、うちの娘がそうだったように言葉は時として、人を自死に追い込むほどの暴力性を帯びた凶器となりえるのです」 🔴 判決と和解 両親は同級生4人に計1100万円の損害賠償を求めた。和解成立の内容は、加害者1人につき謝罪と10万円の支払いだった。 2人目の和解でも、加害者は「死ねばいい」と発言するなどのいじめを認め「自分の言動が知華を苦しめたことを反省している」と謝罪した。 10万円。 「死ねばいい」と言った。 クラス全体で追い詰めた。 一人の命を奪った。 その答えが 10万円だった。 知華さんが死んだ日から5年後。 最後の加害者と和解が成立した。 いじめの中心だった女性は、命日に手紙も送った。 父・智彦さんは言った。 「言われた方は暴力を振るわれるより傷つく」 言葉は 凶器だった。 授業中に飛び交っていた。 教員は記録しなかった。 担任は掘り下げなかった。 帰宅1時間後 17歳の女の子が死んだ。 この国は、言葉の暴力を まだ「軽いいじめ」と思っていないか。

Ajay Verma (アジャイ・ヴェルマ)

5,660,436 Aufrufe • vor 4 Monaten

少女が苦しむ姿を見たかった。 それが加害者の性癖だった。 9歳の侑子ちゃんは お腹から血を流し、うつ伏せで倒れていた。 防御創はなかった。 衣服の乱れもなかった。 指紋も足跡も目撃情報もなかった。 事件は14年間闇の中だった。 そして加害者はその間に 4人の少女を襲っていた。 2004年9月3日、岡山県津山市。 「津山小3女児殺害事件」。 2004年9月3日午後3時35分頃、岡山県津山市総社に住んでいた小学3年の筒塩侑子(つつしお ゆきこ)ちゃん(当時9歳)が、自宅で殺害されているのが発見された。発見したのは学校から帰宅した高校生の姉(当時15歳)だった。 侑子ちゃんはどんな子だったのか。 司法解剖の結果、侑子ちゃんは胸や腹などを幅の狭い凶器で数ヶ所刺されていた。死因は失血死か窒息死だった。衣服に乱れは全くなく、手に防御創もなく、首を絞めた跡や口や鼻を抑えた形跡もなかった。室内に物色した形跡もなかった。 抵抗の痕跡すらなかった。 何もかもがわからなかった。 何が起きたのか。 犯人の指紋や足跡、目撃情報もなく、犯行の動機も全てが不明だった。事件は長年未解決のままだった。 2008年3月19日、侑子ちゃんが通っていた津山市立北小学校で卒業式が行われた。亡くなった侑子ちゃんにも卒業証書が授与された。 同級生が卒業する日、侑子ちゃんは卒業証書を受け取った。 本人はもういなかった。 しかし、この事件には「もう一つの顔」がある。 加害者はその14年間、何をしていたのか。 2000年、兵庫県明石市で女児6人に対し、腹部をげんこつで殴ったり、下腹部を触ったりするなどした暴行・強制わいせつの罪で有罪判決(執行猶予付き)を受けた。 2004年、津山で侑子ちゃんを殺害した。捜査の手は及ばなかった。 2009年、兵庫県姫路市・三木市・太子町で少女5人の腹部を殴るなどし、懲役4年の実刑判決を受けた。 2015年、姫路市で中学3年の女子生徒をナイフで刺し重傷を負わせた。 侑子ちゃんを殺害した後も 少女たちへの暴行を繰り返していた。 6人。5人。そして中学生。 加害者は「少女が苦しむ姿を見ることで性的に興奮する」という性癖を持っていた。 14年間、誰も気づかなかった。 その間に何人もの少女が被害に遭った。 🔴 逮捕と判決 2018年5月、別の殺人未遂事件で服役していた勝田州彦(当時39歳)が被疑者として逮捕された。事件発生から実に14年が経っていた。 2022年1月、岡山地裁は無期懲役の判決を言い渡した。勝田は裁判で無罪を主張し続けていたが、2023年9月、最高裁が上告を棄却し、無期懲役が確定した。 無罪を主張し続けた5年間。 2024年、フリーライター宛の手記で初めて自身が真犯人であることを認めた。 14年間、誰も捕まえられなかった。 その間に加害者は6人、5人、1人の少女を傷つけた。 逮捕後も5年間、無罪を主張した。 判決確定後にようやく罪を認めた。 侑子ちゃんが死んだ年、加害者を止められなかった。 その後に被害を受けた少女たちも救えなかった。 もし2004年に逮捕されていたら、 その後の被害者は生まれなかったのではないか。 あなたは、14年間捕まらなかった加害者がその間に何人もの少女を傷つけ続けたこの事件に、何を思いますか。
1:44

Sensitive content

This media may contain sensitive content.

DataAnalyst1309's profile picture

少女が苦しむ姿を見たかった。 それが加害者の性癖だった。 9歳の侑子ちゃんは お腹から血を流し、うつ伏せで倒れていた。 防御創はなかった。 衣服の乱れもなかった。 指紋も足跡も目撃情報もなかった。 事件は14年間闇の中だった。 そして加害者はその間に 4人の少女を襲っていた。 2004年9月3日、岡山県津山市。 「津山小3女児殺害事件」。 2004年9月3日午後3時35分頃、岡山県津山市総社に住んでいた小学3年の筒塩侑子(つつしお ゆきこ)ちゃん(当時9歳)が、自宅で殺害されているのが発見された。発見したのは学校から帰宅した高校生の姉(当時15歳)だった。 侑子ちゃんはどんな子だったのか。 司法解剖の結果、侑子ちゃんは胸や腹などを幅の狭い凶器で数ヶ所刺されていた。死因は失血死か窒息死だった。衣服に乱れは全くなく、手に防御創もなく、首を絞めた跡や口や鼻を抑えた形跡もなかった。室内に物色した形跡もなかった。 抵抗の痕跡すらなかった。 何もかもがわからなかった。 何が起きたのか。 犯人の指紋や足跡、目撃情報もなく、犯行の動機も全てが不明だった。事件は長年未解決のままだった。 2008年3月19日、侑子ちゃんが通っていた津山市立北小学校で卒業式が行われた。亡くなった侑子ちゃんにも卒業証書が授与された。 同級生が卒業する日、侑子ちゃんは卒業証書を受け取った。 本人はもういなかった。 しかし、この事件には「もう一つの顔」がある。 加害者はその14年間、何をしていたのか。 2000年、兵庫県明石市で女児6人に対し、腹部をげんこつで殴ったり、下腹部を触ったりするなどした暴行・強制わいせつの罪で有罪判決(執行猶予付き)を受けた。 2004年、津山で侑子ちゃんを殺害した。捜査の手は及ばなかった。 2009年、兵庫県姫路市・三木市・太子町で少女5人の腹部を殴るなどし、懲役4年の実刑判決を受けた。 2015年、姫路市で中学3年の女子生徒をナイフで刺し重傷を負わせた。 侑子ちゃんを殺害した後も 少女たちへの暴行を繰り返していた。 6人。5人。そして中学生。 加害者は「少女が苦しむ姿を見ることで性的に興奮する」という性癖を持っていた。 14年間、誰も気づかなかった。 その間に何人もの少女が被害に遭った。 🔴 逮捕と判決 2018年5月、別の殺人未遂事件で服役していた勝田州彦(当時39歳)が被疑者として逮捕された。事件発生から実に14年が経っていた。 2022年1月、岡山地裁は無期懲役の判決を言い渡した。勝田は裁判で無罪を主張し続けていたが、2023年9月、最高裁が上告を棄却し、無期懲役が確定した。 無罪を主張し続けた5年間。 2024年、フリーライター宛の手記で初めて自身が真犯人であることを認めた。 14年間、誰も捕まえられなかった。 その間に加害者は6人、5人、1人の少女を傷つけた。 逮捕後も5年間、無罪を主張した。 判決確定後にようやく罪を認めた。 侑子ちゃんが死んだ年、加害者を止められなかった。 その後に被害を受けた少女たちも救えなかった。 もし2004年に逮捕されていたら、 その後の被害者は生まれなかったのではないか。 あなたは、14年間捕まらなかった加害者がその間に何人もの少女を傷つけ続けたこの事件に、何を思いますか。

Ajay Verma (アジャイ・ヴェルマ)

2,677,837 Aufrufe • vor 2 Monaten

DataAnalyst1309's profile picture

「娘の無念を晴らすまで終わらない」 7歳の和未子さんは 下校中に連れ去られた。 わいせつ目的だった。 首を絞められ、山林に遺棄された。 無期懲役が確定した。 賠償命令も3回出た。 それでも1円も払われていない。 2001年10月、長崎県諫早市。 「諫早女児誘拐殺害事件」。 2001年10月12日、長崎県諫早市で下校途中の小学1年・川原和未子さん(当時7歳)が行方不明になった。2日後、自宅から約6キロ離れた山林の斜面で、うつぶせの遺体で発見された。死因は絞殺だった。 和未子さんの父・冨由紀さんは25年間、娘の写真を手に闘い続けている。 何が起きたのか。 10月26日、和未子さんの親戚の男・吉岡達夫(当時23歳)が長崎県警諫早署に出頭した。「連日事件が報道され逃げられないと思った」と供述した。 専門学校を出てプログラマーになり、挨拶もきちんとする「普通の性格」だったという。 普通に見えた親戚だった。 わいせつ目的で7歳を誘拐し、殺害した。 しかし、この事件には「もう一つの顔」がある。 判決は出た。賠償命令も出た。 それでもお金は届かなかった。 2002年9月、長崎地裁は求刑通り無期懲役の判決を言い渡した。検察は「周到な準備をした計画的な犯行」「人間の尊厳に対する配慮はみじんもない」と指摘した。 2005年12月、長崎地裁大村支部は約7000万円の賠償を命じた。 2016年1月、福岡地裁が同額の賠償を命じた。 それでも1円も支払われなかった。 民法では、判決確定から10年で賠償請求権が時効になる。 時効が来るたび、遺族は再び提訴しなければならない。 2026年、3度目の提訴。 2026年3月13日、福岡地裁は3度目の同額の賠償命令を下した。 3回、勝訴した。 3回とも払われなかった。 🔴 25年間の闘い 父・冨由紀さん(71)は法廷で声を詰まらせながら語った。 「娘の無念を晴らし、加害者から心からの誠意ある謝罪があるまで、何年過ぎようが決して終わらない。娘のため、私に与えられた闘いだ」 事件は冨由紀さんの人生を変えた。PTSDを発症し、経営していた工務店は廃業に追い込まれた。家族はバラバラになった。 「娘を奪われ、家族をバラバラにされ、人生を狂わされた」と語った。 冨由紀さんは公的支援の改善も訴えている。 「国が賠償金を立て替えるなど、もっと被害者に寄り添ってもらいたい。こういう深刻な犯罪の場合は時効をなくしてほしい」 無期懲役は確定した。 賠償も3回命じられた。 それでも時効という壁が、遺族を苦しめ続けている。 7歳の和未子さんは下校中に殺された。 父親は25年間、賠償金を待ち続けている。 1円も支払われていない。 加害者は刑務所の中で何も払わずに過ごしている。 あなたは、無期懲役が確定し3度の賠償命令が出ても1円も支払われず、時効のたびに遺族が再提訴を迫られているこの国の制度に、何を思いますか。

Ajay Verma (アジャイ・ヴェルマ)

2,345,869 Aufrufe • vor 2 Monaten

DataAnalyst1309's profile picture

「ママ大好き」 「おしごとがんばって」 7歳の眞輝くんが そう言って眠りについた。 その夜だった。 寝室の押し入れに ガソリンがまかれた。 火がつけられた。 12歳の侑城くんと7歳の眞輝くん。 2人とも就寝中だった。 放火したのは伯父だった。 動機は両親への憎しみだった。 求刑は死刑だった。 判決は懲役30年だった。 2021年11月、兵庫県稲美町。 「稲美町兄弟放火殺人事件」。 2021年11月19日深夜、兵庫県稲美町岡の木造2階建ての自宅で、押し入れ内の布団にガソリンをまいて火を放ち全焼させ、就寝中だった当時小学6年の松尾侑城くん(12歳)と、小学1年の眞輝くん(7歳)が殺害された。 侑城くんと眞輝くんはどんな子だったのか。 野球が好きな兄弟だった。 両親は「あったはずの未来を」と、息子たちとの思い出を語った。 「ママ大好き」 「おしごとがんばって」 眞輝くんが日頃から両親に伝えていた言葉だった。 野球を続けていたはずだった。 両親に「ママ大好き」と言っていたはずだった。 その未来は一夜で奪われた。 何が起きたのか。 逮捕されたのは、兄弟と同居していた伯父・松尾留与被告(53歳、当時)。 無職だった。 検察側の指摘によると、動機は同居する妹夫婦(兄弟の両親)への憎しみだった。 「子どもを狙った」とされ、「両親に苦痛を与えようと思い」殺意を抱いたとされた。 妹夫婦が被告の行動を監視するため自宅にカメラを設置していたことが、被告の怒りを増幅させていた。 「カメラで監視されたと怒り」 検察側はこれを動機の一つとして指摘した。 放火後、被告はコンビニで食料品を購入し、逃走の準備を速やかに進めていた。 恨みの対象は両親だった。 殺されたのは何の関係もない子どもたちだった。 しかし、この事件には「もう一つの顔」がある。 裁判長は何と言ったのか。 神戸地裁姫路支部の佐藤洋幸裁判長は、判決でこう述べた。 「結果は極めて重大。恨みの対象ではない子どもを殺害したことは、身勝手で悪質。命を軽視している」 それでも死刑ではなかった。 裁判長は「妹夫婦が被告の行動を監視するため、自宅にカメラを設置したことなどから、被告は相当追い込まれた精神状態にあった」とし、「妹夫婦に恨みを抱いたことは無理からぬ面があった」と述べた。 恨みを抱くに至った経緯には 「無理からぬ面があった」とされた。 殺されたのは、その恨みとは無関係の子どもだった。 さらに、被告に軽度の知的障害があり「軽微とはいえ事件に影響を与えたことは否定できない」として、量刑から死刑と無期懲役を外し、「有期刑が相当」と結論づけた。 🔴 判決 2024年、神戸地裁姫路支部は裁判員裁判で懲役30年(求刑死刑)の判決を言い渡した。 検察は控訴し、控訴審で「恨みの対象ではない兄弟の殺害は、無差別殺人に通じる理不尽極まりない犯行」と主張した。 しかし2025年3月14日、大阪高裁の伊藤寿裁判長は一審判決を支持し、検察側の控訴を棄却した。 動機についても「同居していた妹夫婦の被告に対する態度に行き過ぎた面があり、恨みを晴らそうとしたことには無理からぬ面があった」と一審判決を追認した。 量刑が「軽すぎて不当とは言えない」とされ、検察・被告側ともに上告せず、懲役30年が確定した。 7歳と12歳の兄弟が、就寝中に放火され殺害された。 動機は両親への恨みだった。 殺されたのは、その恨みとは無関係の子どもだった。 求刑は死刑だった。 判決は懲役30年だった。 裁判所は、妹夫婦への恨みを抱くに至った経緯には「無理からぬ面があった」と判断した。 殺された子どもたちには何の落ち度もなかった。 父親は控訴審後、語った。 「恨みの矛先が子どもたちへ向かったことが悔しい」 「事件当時から時間は止まったまま」 あなたは、恨みの対象ではない7歳と12歳の兄弟が殺害され、求刑死刑に対して懲役30年となったこの判決を、どう思いますか。

Ajay Verma (アジャイ・ヴェルマ)

2,039,965 Aufrufe • vor 2 Monaten