
Ajay Verma (アジャイ・ヴェルマ)
@DataAnalyst1309 • 15,714 subscribers
未解決事件|忘れられた事件を発掘 理不尽な出来事や、声にならない話があれば DMで共有してください。 確認できる範囲で紹介します。 🎬ドキュメンタリーはYouTubeで チャンネル登録もぜひお願いします。 https://t.co/tPV8mxq4Ig
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14歳で妊娠した。 相手の男の子は言った。 「俺らで育てればいいじゃん。産んでよ」 子どもが生まれて約1年後。 LINEに一言届いた。 「逃げます」 それから連絡は途絶えた。 養育費などが支払われることもなかった。 CBCドキュメンタリーが記録した 「横井桃花さんの“その後”」。 横井桃花さんは中学3年生、14歳の夏の終わり頃に妊娠した。 当時、交際していたのは同い年の男の子。 桃花さんによると、相手から強引に言い寄られて関係を持った。 妊娠を告げると、 「俺らで育てればいいじゃん」 「産んでよ」 そう言われた。 桃花さんは産むことを決めた。 そして母になった。 約1年後。 届いたLINEは「逃げます」。 その後、男から連絡が来ることはなくなった。 桃花さんは未婚のまま、ひとりで息子を育てることになった。 ドキュメンタリーが撮影された当時、 桃花さんは22歳。 息子の幸希くんは6歳で、小学校への入学を控えていた。 月々の収入は約13万円。 パート収入約8万円、児童扶養手当約4万円、児童手当約1万円。 貯金はほとんどなかった。 それでも、幸希くんのそばで笑っていた。 しかし、桃花さんを苦しめたのはお金だけではなかった。 中学卒業後、出産の報告のため学校を訪れた。 そのとき、現役の生徒から離れた部屋に入れられ、早く帰るよう促されたという。 「隠さなきゃいけない、隠れなきゃいけない存在なのかな」 若い母親だから。 14歳で出産したから。 周囲からの視線や偏見に傷ついたという。 さらに就職してからも、 「いじめを受けたり、シフトを削られたり」 したという。 若いシングルマザーに立ちはだかった壁は、学校だけではなかった。 仕事。 お金。 周囲の偏見。 そして、ひとりで子どもを育てるという現実。 「逃げます」の一言で消えた。 養育費は支払われなかった。 法律はある。 それでも、なぜ母親ひとりがすべてを背負わなければならないのか。 日本では、養育費の不払いも深刻な問題になっている。 桃花さん自身も、養育費を受け取れないまま、厳しい生活を続けてきた。 (文春オンライン) それでも、桃花さんは幸希くんを隠さなかった。 「幸希が隠れなきゃいけない存在なのか。そうじゃないと思う」 「幸希は幸希として、ちゃんと生きていける」 14歳で母になった少女。 22歳になった彼女は、 6歳になった息子の小学校入学を見つめていた。 14歳で産んだ。 それだけで、 隠れなければならないのか。 母親が若いから。 シングルマザーだから。 周囲の目が厳しいから。 それでも、幸希くんは幸希くんとして生きていく。 そして桃花さんも、逃げなかった。 逃げたのは、 「逃げます」と言い残した父親だった。 あなたはこの話を見て、何を感じますか。
Ajay Verma (アジャイ・ヴェルマ)4,452,722 views • 27 days ago

小学5年生だった。 学校が終わると、友達と遊ぶ前に家に帰った。 待っていたのは、病気の妹の世話だった。 まだ子どもだった。 だから、寂しいと感じる瞬間もあった。 凜音さんは、こう話していた。 「ママがいつもそばにいてくれなくて、おばあちゃんちでおいしいご飯食べてるけど、ママのご飯が食べたいなって思うときもあった」 インタビュアーが聞いた。 「それはママには言えた?」 凜音さんの答えは、 「言えなかった」 だった。 2歳下の妹、楓音さんはミトコンドリア病を抱えていた。 食事をうまく飲み込めず、鼻からチューブを通して栄養を取っていた。 痰の吸引など、24時間のケアも必要だった。 母親は妹の介護でいつも忙しかった。 凜音さんも学校から帰ると、寝るまで妹の世話を手伝った。 妹が大切だった。 お母さんも助けたかった。 でも本当は、ママにもそばにいてほしかった。 ママのご飯も食べたかった。 それでも、言えなかった。 家族を助けたい。 でも、自分も子どもでいたい。 その2つの気持ちを、小学5年生の少女は抱えていた。 誰かが悪いわけではない。 妹も悪くない。母親も悪くない。凜音さんも悪くない。 それでも、子どもが家族を支えていた。 これが、ヤングケアラーの現実だった。 学校では、普通の小学生に見える。 でも家に帰れば、家族を支える存在になる。 家族を助けることは、悪いことではない。 むしろ、優しいことかもしれない。 でも、子どもが「家族だから」と自分の時間だけでなく、寂しさまで我慢しなければならないとしたら。 その子どもを、今度は誰が支えるのか。 あなたは、どう思いますか。
Ajay Verma (アジャイ・ヴェルマ)1,658,559 views • 25 days ago

2019年5月、大阪府堺市で、生後7か月の篠原咲舞ちゃんが突然亡くなった。 娘をお風呂に入れていた父・篠原遼さんは、自ら119番通報し、必死に救命を求めた。 しかし、待っていたのは「悲しみ」ではなく、「殺人犯」という疑いだった。 警察は「窒息死」と判断し、篠原さんを逮捕。 「父親が娘を窒息死させた」 その見立てのもと捜査は進められた。 篠原さんは一貫して否認した。 「私は娘を殺していない」 それでも起訴された。 何が問題だったのか。 事件当初、捜査は窒息死という可能性を前提に進められた。 一方で、死亡原因については他の可能性も十分に検討されるべきだった。 裁判が進む中、遺伝子検査が実施され、咲舞ちゃんには致死性不整脈につながる可能性のある遺伝子変異が確認された。 つまり、 突然の心停止によって亡くなった可能性を否定できなくなった。 しかし、この重要な可能性は、事件当初の捜査では十分に反映されていなかった。 人の命を失った事件では、 「一つの仮説だけ」で進む捜査は、取り返しのつかない結果を生むことがある。 しかし、この事件には「もう一つの顔」がある。 篠原さんは逮捕された。 家族は世間から疑いの目を向けられた。 仕事も生活も大きく変わった。 娘を失った父親が、 娘を殺した父親として扱われた。 もし無罪にならなければ、 その人生は戻ることはなかった。 🔴 判決 2022年12月2日、大阪地裁は篠原遼さんに無罪を言い渡した。 裁判所は、咲舞ちゃんが遺伝的要因による突然死だった可能性を否定できず、窒息死であると断定するには合理的な疑いが残ると判断した。 検察は控訴せず、 無罪判決は確定した。 娘は戻らない。 失われた時間も戻らない。 父親は無罪になった。 しかし、 逮捕され、 起訴され、 「娘を殺した父親」と見られ続けた日々は消えない。 一つの思い込みが、 一人の人生を壊しかけた。 もし遺伝子検査が行われなかったら。 もし裁判で別の可能性が十分に検討されなかったら。 この事件は、違う結末になっていたかもしれない。 あなたは、 娘を失った父親が、その直後に殺人犯として扱われ、3年後に無罪となったこの事件を見て、日本の捜査や刑事司法は十分に「思い込み」を防げていると思いますか。 👇あなたの意見を聞かせてください。
Ajay Verma (アジャイ・ヴェルマ)5,571,580 views • 2 months ago

19人を殺した男が 拘置所で結婚した。 相手は26歳の女性だった。 その男は5ヶ月前に 衆議院議長に大量殺人を予告していた。 予告した。 措置入院させた。 12日で退院させた。 5ヶ月後、19人を殺した。 そして拘置所で結婚した。 2016年7月26日、神奈川県相模原市で起きた 「相模原障害者施設殺傷事件」。 植松聖(当時26歳)は元施設職員。深夜1時43分、自ら働いていた知的障害者施設「津久井やまゆり園」に侵入し、入所者19人を刺殺、職員を含む26人に重軽傷を負わせた。戦後日本の単独犯による殺人事件として、最多の死者数だった。 被害者はどんな人たちだったのか。 19人全員、名前が公表されなかった。遺族が公表を望まなかった。障害者であることへの偏見と差別を恐れて。死んだ後も、名前を名乗れなかった。 何が起きたのか。 植松は事件の5ヶ月前、2016年2月、衆議院議長公邸を訪れ、大量殺人を予告する手紙を持参していた。「意思疎通のできない障害者は不幸を作ることしかできない。安楽死を認めるべきだ」と書いていた。 予告した、5ヶ月前に。 手紙を、国に届けた。 その後、措置入院となった。しかし、わずか12日で退院した。 12日で、退院させた。 退院後、施設での勤務を続けた。そして5ヶ月後、19人を殺した。 精神科医が判断した。 12日で問題ないとした。 その12日後から5ヶ月間、 植松は犯行を計画し続けた。 しかし、この事件には「もう一つの顔」がある。 事件後、ネット上では「植松の考えは真っ当だ」「理解できる」という声が数え切れないほど溢れた。 障害者の当事者はこう語った。 「植松一人が怖かったのではない。その思想に同調する無数の人間の存在が怖かった」と。 🔴 判決と、その後 2020年3月、横浜地裁の裁判員裁判で死刑判決。裁判長はこう述べた。「計画的かつ強烈な殺意に貫かれた犯行。死刑をもって臨む他ない」と。植松は自ら控訴を取り下げ、死刑が確定した。 そして2024年。 植松聖死刑囚は拘置所内で26歳の女性・翼さんと結婚した。 19人を殺した男が、拘置所で結婚した。 衆議院議長に予告した。 措置入院後12日で退院させた。 5ヶ月間、計画を続けた。 19人が死んだ。 死刑が確定した。 拘置所で、結婚した。 19人全員の名前は、 今も公表されていない。 死んだ後も、 名前を名乗れなかった人たちがいた。 「意思疎通できない人間に生きる価値はない」 その思想に、 どれだけの人間が今も同調しているのか。 あなたは、大量殺人を5ヶ月前に予告した男を12日で退院させたシステムと、「19人を殺した男が拘置所で結婚できる」というこの国の現実を、どう思いますか。
Ajay Verma (アジャイ・ヴェルマ)1,433,528 views • 28 days ago

東大を卒業して 夢の会社に入社した。 月105時間の残業。 上司に言われた言葉 「髪ボサボサ、目が死んでる」 「君の残業は無駄」 入社8ヶ月後 24歳のクリスマスに 屋上から飛び降りた。 2015年12月、東京都港区。 「電通過労自殺事件」。 高橋まつりさんは東京大学文学部を卒業後、2015年4月に広告大手「電通」に入社した。デジタル・アカウント部に配属され、インターネット広告を担当した。 まつりさんはどんな子だったのか。 母・幸美さんは語る。「まつりは小学生のころから、ずっと電通に入りたいと言っていた。夢を叶えた娘でした」。東大を首席クラスで卒業した努力家だった。 何が起きたのか。 入社後すぐに長時間労働が始まった。2015年10月の残業時間は105時間に達した。睡眠は1日2時間を切る日が続いた。 上司からは「髪ボサボサ、目が死んでる、白目が茶色い。だらしない、何とかしろ」「女の子なんだから、もっと清潔感を持って」「君の残業は会社の生産性を落としている、無駄」などの言葉を受けた。 睡眠2時間 それでも「残業は無駄」と言われた。 まつりさんはTwitterに苦しさを綴っていた。「眠れない眠れない眠れない眠れない」「土日も会社行かなければならないことが本当に辛い、誰か助けて」「もう4時だ。つらい」 助けを求めていた。 SNSに書き続けていた。 2015年12月25日、クリスマスの早朝、電通の社員寮から飛び降りて死亡した。当時24歳だった。 しかし、この事件には「もう一つの顔」がある。 電通は何をしていたのか。 電通は過去にも1991年に入社2年目の社員・大嶋一郎さん(当時24歳)が過労自殺しており、最高裁で会社の賠償責任が確定していた。それでも長時間労働の体質は変わらなかった。 24年前にも同じ死があった。 それでも何も変わらなかった。 電通では残業時間を実際より少なく見せるため、社員が自ら残業時間を過少申告するよう促す文化があったとされる。まつりさんの残業時間も、実態より少なく記録されていた可能性が指摘された。 月105時間の残業が 記録では少なく書かれていた。 🔴 判決と処分 2016年9月、三田労働基準監督署は過労による労災を認定した。まつりさんの死亡前1ヶ月の残業時間は105時間と認定された。 2017年10月、電通は労働基準法違反で東京簡裁から罰金50万円の有罪判決を受けた。法人として起訴された。 民事では、電通が遺族に対して約1億5000万円を支払う内容で和解が成立した。 一人の命 罰金50万円。 当時の社長・石井直氏は辞任した。しかし刑事責任を問われたのは法人としての電通のみ。直接の上司への刑事処分はなかった。 上司への刑事処分 ゼロ。 月105時間残業させた。 「残業は無駄」と言った。 24年前にも同じ死があった。 それでも体質は変わらなかった。 24歳のクリスマスに死んだ。 罰金は 50万円だった。 母・幸美さんは語った。「まつりの死を無駄にしないために、日本の労働環境を変えたい。まつりが最後の犠牲者になってほしい」 まつりさんが最後の犠牲者に なれたのか。 あなたは、月105時間残業させ「残業は無駄」と言い続けた会社への罰金が50万円だったことを、どう思いますか。
Ajay Verma (アジャイ・ヴェルマ)10,202,226 views • 4 months ago

帰宅途中に連れ去られ、40日以上にわたって監禁された。 アルバイトを終え、自転車で家へ向かっていた。 それだけだった。 1988年11月25日、東京都足立区で起きた「女子高生コンクリート詰め殺人事件」。 古田順子さんは当時17歳の女子高校生。その夜、複数の少年に連れ去られ、足立区内の民家へ連行された。 そこは人里離れた場所ではなかった。 普通の住宅街。少年の自宅。周囲では、いつも通りの日常生活が続いていた。 その家の中で、40日以上が過ぎた。 1989年1月4日、順子さんは亡くなった。翌日、遺体はドラム缶にコンクリートで詰められ、東京湾岸に遺棄された。 しかし、この事件にはもう一つ考えさせられる点がある。 事件が発覚したのは、約3か月後だった。 順子さんが生きている間に救出されたわけではない。 発覚のきっかけは、別件で逮捕された少年への取り調べだった。その中で、この事件につながる供述が出たことで、隠されていた事件が明らかになっていった。 40日以上。 普通の住宅街で起きていた。 🔴 判決 主犯格とされた被告には、一審で懲役17年が言い渡された。検察は量刑が軽すぎるとして控訴。 1991年、東京高裁は主犯格の刑を懲役20年へ引き上げ、ほかの一部の被告についても一審より重い刑を言い渡した。 4人全員が犯行当時20歳未満で、少年法の枠組みの中で裁かれた。 年月が経ち、加害者たちは社会へ戻った。 順子さんには「その後」がない。 裁判では年齢だけでなく、それぞれの関与の程度や更生の可能性なども検討された。それは司法手続きの中で判断されたことです。 ただ、問いは残る。 なぜ40日以上、事件は止められなかったのか。 なぜ発覚のきっかけは、本人の救出ではなく、別件の捜査だったのか。 そして、加害者が少年だった場合、「更生の可能性」と「事件の重大さ」を社会はどう考えるべきなのか。 あなたは、年齢によって刑事責任の重さが変わることをどう考えますか。
Ajay Verma (アジャイ・ヴェルマ)96,703 views • 3 days ago

一審は無罪とした。 「証拠がない」と言った。 検察は控訴した。 二審は逆転有罪にした。 暴力団員の「証言」だけで、懲役7年が確定した。 前川彰司さんは服役した。 出所してからも、無実を主張し続けた。 逮捕から39年。 2025年7月18日、ようやく無罪が確定した。 1986年3月19日、福井県福井市。 「福井女子中学生殺人事件・前川彰司冤罪事件」。 1986年3月19日夜、福井市の市営住宅で中学3年の女子生徒(当時15歳)が自宅で殺害された。顔や首など50数か所を刺され、電気コードで首を絞められていた。残忍な犯行で地域に衝撃が走った。 福井県警は捜査に難航した。 事件から1年後の1987年3月。 薬物事件で逮捕・勾留中の暴力団組員の「証言」をもとに、前川彰司さん(当時21歳)が殺人容疑で逮捕された。 前川さんはどんな人だったのか。 逮捕以来一貫して「私は殺していない」と無実を主張し続けた。長時間にわたる取調べと自白強要にも屈しなかった。逮捕から39年、闘い続けた。 何が問題だったのか。 前川さんを犯人とする物的証拠は、一切なかった。 唯一の有罪根拠は、複数の「関係者の証言」だった。暴力団組員が「前川が血のついた服を着て戻ってきた」と証言した。別の者が「前川から犯行を告白された」と証言した。 しかし、その暴力団組員は勾留中に、自分の刑事事件を有利にするために証言を取引材料にしていた。証言は何度も変遷した。血のついた服は、最後まで発見されなかった。 さらに、警察は証言者に「利益」を与えていた。勾留中なのに寿司の差し入れを認め、移監の要望を聞いた。重要証人には、私的交際関係がないにもかかわらず結婚祝いの金銭を渡していた。 証人と証人を直接面会させ、供述を「汚染」した。 1990年9月、一審・福井地裁は「証言の信用性がない」として無罪判決を言い渡した。 しかし検察は控訴した。 しかし、この事件には「もう一つの顔」がある。 1995年2月、名古屋高裁金沢支部は「証言が大筋で一致する」として逆転有罪、懲役7年を言い渡した。1997年、最高裁は審理もせず上告を棄却。一審が「信用できない」と断じた証言が、なぜか上級審で「一致する」とされた。 一審は「信用できない」と言った。 高裁は「大筋で一致する」と言った。 前川さんは服役し、満期出所後の2004年に再審請求を申し立てた。 2011年、高裁支部が再審開始を決定。 しかし検察が異議申立て。 2013年、名古屋高裁が再審開始を取り消した。 ようやく開いたドアを、検察が閉めた。 前川さんは2022年、第2次再審請求を申し立てた。今度は裁判所の積極的な訴訟指揮により、検察から新たに287点の証拠が開示された。 隠されていた証拠が、287点、出てきた。 🔴 再審無罪確定 2024年10月23日、名古屋高裁金沢支部が再審開始を決定。検察は異議申立てを断念。2025年3月6日、第1回再審公判。2025年7月18日、再審無罪判決。検察は上告せず、同年8月1日に無罪が最終確定した。 判決は、警察が証人に不当な利益を与えて「供述を汚染した可能性が否定できない」と認定。検察が不利益な事実を隠して訴訟活動を行ったことについて「公益を代表する検察官としてあるまじき不誠実で罪深い不正」と断罪した。 物的証拠は一切なかった。 暴力団員の「証言」だけで懲役7年になった。 警察は証人に利益を与え供述を誘導した。 検察は不利益な証拠を隠し続けた。 一審の無罪は、検察の控訴で覆された。 再審開始を、検察の異議で一度は取り消した。 287点の証拠が、隠されていた。 逮捕から39年後。 ようやく「無罪」の2文字が届いた。 しかし、真犯人は今も特定されていない。 時効は、すでに成立している。 あなたは、物的証拠ゼロで39年間闘い続けた前川さんと、証拠を隠し再審を妨害し続けた検察・警察の行為を、どう思いますか。
Ajay Verma (アジャイ・ヴェルマ)4,336,847 views • 2 months ago

警察に9回、 相談した。 それでも、 床下で発見された。 2024年12月、神奈川県川崎市で起きた 「川崎市岡﨑彩咲陽さん事件」。 岡﨑彩咲陽さんは当時20歳のアルバイト。 川崎市で普通に生活していた。 夢があった。 笑顔があった。 未来があった。 彩咲陽さんはどんな人だったのか。 父・鉄也さんは語った。 「明るくて、周りを笑わせる子だった。まさか娘がこんな目に遭うとは思っていなかった」 交際相手と別れたことが、 すべての始まりになった。 何が起きたのか。 2024年春、 元交際相手の白井秀征(当時27歳)によるストーカー行為があったとされる。 別れた後、 白井は自宅に押しかけるようになった。 彩咲陽さんは祖母宅へ避難した。 しかし、 白井は追いかけてきた。 繰り返される暴力。 連れ去り。 監視。 彩咲陽さんは買ったばかりのスマートフォンを壊された。 逃げても、 また現れた。 彩咲陽さんと父・鉄也さんは、 警察に訴え続けた。 相談回数は9回。 2024年6月から12月まで、 約半年間、 繰り返し助けを求めた。 遺族は、 「警察は本格的に動かなかった」 と訴えている。 しかし、 この事件には「もう一つの顔」がある。 神奈川県警は当初、 「ストーカー相談としては認識していなかった」 と説明した。 9回相談しても、 ストーカー相談とは認識されなかった。 被害前日、 彩咲陽さんは担当警察官の携帯電話に直接連絡していたとされる。 それでも、 翌日、 彩咲陽さんは行方不明になった。 2024年12月20日。 2025年4月30日。 川崎市内の民家の床下収納スペースから、 ボストンバッグに入った遺体が発見された。 司法解剖の結果、 彩咲陽さん本人と確認された。 遺体は一部白骨化していた。 4カ月間、 床下にいた。 🔴 逮捕と現在 2025年5月3日、 白井秀征が死体遺棄容疑で逮捕された。 その後、 死体損壊、 ストーカー規制法違反、 殺人の罪で追起訴された。 現在も裁判は続いている。 2025年9月、 神奈川県警は55ページの検証報告書を公表した。 「組織としての対応にミスがあった」 と認めた。 9回相談して殺害された20歳の命が、 「ミスがあった」 という言葉で語られた。 父・鉄也さんは語った。 「警察の報告書はうそだらけだ。いくら言っても動かなかった。娘は警察を信じて相談し続けた。それでも命を奪われた」 9回、 助けを求めた。 9回、 相談した。 床下で発見された。 報告書は55ページだった。 彩咲陽さんは、 警察を信じ続けた。 その信頼が、 彼女を守ることはできなかった。 この国で、 「警察に相談する」という行動は、 本当に命を守れるのか。 あなたは、 9回相談しても守られなかったこの事件で、 何が変わるべきだと思いますか。
Ajay Verma (アジャイ・ヴェルマ)3,351,770 views • 2 months ago

17日から行方不明だった87歳の男性が、取材中のカメラの前に突然現れた。 山の中で一夜を過ごしていた。 2026年、山中でキノコ狩りをしていた87歳の男性が行方不明になる出来事があった。 男性は17日から行方が分からなくなり、警察などが捜索を続けていた。 男性はどんな状況だったのか。 山の中を歩いている途中、竹や小さな木に体が絡まり、身動きが取れなくなったという。 「竹に挟まった状態で抜けない。小さな木と絡み合っているから、なかなか体が抜けない」 87歳の男性は、身動きが取れないまま山の中で一夜を過ごした。 食事もない。 助けを呼ぶこともできない。 それでも、生き延びていた。 そして、捜索が続く中、取材中のカメラの前に男性が突然現れた。 救急隊員が声をかける。 「大丈夫ですか?けがとか」 男性は答えた。 「全然なんともないです」 17日から行方不明だった87歳。 山の中で一夜を過ごし、 竹に挟まれ、 身動きが取れなくなっていた。 それでも、けがはなかった。 知人が尋ねた。 「山の中で寝てたの?」 男性は答えた。 「歩きっぱなし」 87歳の男性は、無事に発見された。 行方不明からの生還。 山の中で何が起きていたのか。 あなたなら、87歳で一夜を山の中で過ごしたと聞いて、まず何を思いますか。
Ajay Verma (アジャイ・ヴェルマ)2,247,365 views • 1 month ago

「ドンと音がした。見たら倒れていた。 すぐ救急車を呼んだ」 それが、母親の説明だった。 笑乃ちゃんが亡くなって4年後、 母親は逮捕された。 3年半、 勾留された。 自分の子どもにも、 触れられなかった。 検察は懲役8年を求刑した。 2026年3月3日、 福岡地裁は「故意の暴行を認定するには合理的な疑いが残る」として、 無罪を言い渡した。 2018年7月、福岡県川崎町。 「福岡・川崎町11か月女児死亡事件 ― 松本亜里沙冤罪事件」。 2018年7月28日、福岡県田川郡川崎町の自宅で、生後11か月の松本笑乃(えの)ちゃんが意識を失い、3日後に急性硬膜下血腫とびまん性脳腫脹により死亡した。後頭部には骨折があった。当時21歳だった母親の亜里沙さんと笑乃ちゃん、2人きりの時に起きた出来事だった。 笑乃ちゃんと亜里沙さんはどんな関係だったのか。 亜里沙さんは判決後の取材でこう語った。 「家族が待っていたのでほっとした。死ぬまで反省し続ける」 娘の死への後悔と悲しみを抱えたまま、無実を主張し続けた母親の言葉だった。 何が起きたのか。 亜里沙さんは事件当時、こう説明していた。 「ミルクをやろうと思って作っていた時に『ドン』と音がしたので見たら倒れていて、急に呼吸がおかしくなったので救急車を呼んだ」 弁護側が主張したのは、 持病のてんかん発作だった。 亜里沙さんはてんかんの持病があった。 発作が起きて笑乃ちゃんを抱っこしたまま転倒したか、あるいは笑乃ちゃんを落下させた事故の可能性がある。 それが弁護側の主張だった。 直接的な証拠は存在しなかった。 目撃者もいなかった。 しかし、この事件には「もう一つの顔」がある。 笑乃ちゃんが亡くなったのは2018年7月。 亜里沙さんが傷害致死容疑で逮捕されたのは、4年後の2022年2月だった。 逮捕後、亜里沙さんは3年半にわたり勾留された。 家族の証人尋問まで面会も制限され、自分の子どもにも触れることができなかった。 3年半、 子どもに触れられなかった。 長期勾留の実態は、「人質司法」との批判も呼んだ。 本事件はAHT(虐待による乳幼児頭部外傷)が疑われる事件として起訴された。 しかし全国ではAHT事件をめぐって無罪判決が相次ぎ、医学的見解が分かれていることが問題となっていた。 AHTの診断は「シェイクン・ベイビー症候群」とも呼ばれ、かつては確立した医学理論とされていたが、近年は転落や発作など他の原因でも同様の症状が生じうるという知見が広まっている。 医学的知見は現在も議論が続いていた。 それでも検察はAHTを前提として起訴した。 弁護人はこう語った。 「捜査機関が慎重に医学的見解を吟味していれば、逮捕、起訴すべき案件ではなかった」 🔴 無罪判決と確定 2026年3月3日、福岡地裁の鈴嶋晋一裁判長は無罪判決を言い渡した。 判決では「皮膚変色は床ずれの可能性がある」とし、「骨折などのけがは後頭部を一度、それほど強くない力で打っても生じ得る」として検察側の主張を退けた。 「故意の暴行を認定するには合理的な疑いが残る」 それが裁判所の結論だった。 求刑は懲役8年だった。 2026年3月18日、 検察は控訴を断念。 無罪が確定した。 弁護団はコメントを発表した。 「個人や家族の人生が奪われた。この現実は決して看過されてはなりません」 4年後に逮捕された。 3年半、 子どもに触れられなかった。 懲役8年を求刑された。 無罪になった。 でも3年半は戻らない。 娘を亡くした悲しみを抱えたまま、 8年間、 「加害者」として裁かれ続けた。 AHTをめぐる医学的見解が分かれる中、検察は旧来の理論を前提に起訴した。 娘を失った母親は、 事件後8年間、 被告人として生きることになった。 あなたは、医学的見解が分かれる中でAHTを前提に起訴され、3年半勾留され、自分の子どもにも触れられなかった亜里沙さんの8年間に、何を思いますか。
Ajay Verma (アジャイ・ヴェルマ)3,579,085 views • 2 months ago

交際相手に会うために、 3歳の娘を鍵のかかった部屋に置いて 鹿児島へ旅行した。 9日間、帰ってこなかった。 扉の外には、ソファーで鍵が固定されていた。 稀華ちゃんは、一人だった。 2020年6月、東京都大田区。 「大田区3歳女児放置死事件」。 2020年6月5日、梯沙希被告(当時24歳)は、3歳の長女・稀華(のあ)ちゃんを東京都大田区蒲田の自宅アパートに一人残し、鍵をかけて鹿児島県へ旅行に出た。ドアはソファーで固定されていた。帰宅したのは9日後の6月13日午後3時ごろ。119番通報した時、稀華ちゃんはすでに意識がなかった。高度脱水症と飢餓で亡くなっていた。 稀華ちゃんはどんな子だったのか。 3歳だった。同世代の平均より約3キログラム体重が軽かった。捜査当局は、ネグレクトが常態化していた疑いがあるとみていた。 まだ3歳だった。 助けを呼ぶ言葉を十分に持っていなかった。 何が起きたのか。 梯被告は5月にも3泊4日で稀華ちゃんを放置して鹿児島へ旅行していた。6月の事件は2度目だった。「これまでも放置しておきながら問題がなかったことへの慣れ」と判決で指摘された。 居酒屋で知り合った交際相手の男性が鹿児島にいた。誘われると断れなかった。 5月にも置いていった。 何事もなかった。それで安心した。 6月も置いていった。 9日後に戻ると、稀華ちゃんは死んでいた。 しかし、この事件には「もう一つの顔」がある。 梯被告自身も、幼少期に壮絶な虐待を受けていた。 実母からバットで叩かれた。 ゴミ袋に入れられた。 風呂場に放置された。 扉に鍵をかけて外から閉じ込められた。 弁護側は「幼少期に実母から受けた虐待体験が犯行に影響した」として情状酌量を求めた。 裁判長もこの点に言及した。「人を信頼できない性格が形成され、犯行に複雑に影響した」と。 幼少期に受けた虐待は、犯行に影響を与えた可能性があると裁判所は認定した。 「虐待の連鎖」を考えさせられる事件となった。 しかし裁判長はこうも述べた。「自らの判断による犯行で、量刑上考慮するには限度がある」 逮捕後、梯被告は長らく黙秘した。しかし初公判では起訴内容を認め、法廷での被告人質問では「謝罪と後悔」の態度を見せた。 🔴 判決 2022年2月9日、東京地裁(平出喜一裁判長)は懲役8年(求刑11年)を言い渡した。 裁判長は述べた。「悪質かつ身勝手な犯行で、かけがえのない幼い命が奪われた」「一人衰弱していった被害児のつらさと苦しみは言葉にしがたい」 求刑は11年だった。 判決は8年だった。 母親が受けた虐待が、娘の死に「複雑に影響した」と裁判長は認めた。しかし量刑では3年を減じるにとどまった。 稀華ちゃんは1週間以上、鍵のかかった部屋で一人だった。 胃の中は空だった。 水も食べ物もなかった。 母親が戻ってきた時、もう動かなかった。 梯被告は、自らも幼少期に虐待を受けて育ったと法廷で語った。 しかし、その過去が裁かれることはなく、残されたのは稀華ちゃんという幼い命だけだった。 あなたは、虐待の連鎖を止めるために、社会や行政は何を変えるべきだと思いますか。 また、幼い命を守れなかった責任は、誰が負うべきだと思いますか。 👇あなたの意見を聞かせてください。
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ランドセルが空き地に落ちていた。 近くの段ボール箱の中に 7歳のあいりちゃんがいた。 下校途中、たった一人で歩いていた。 それだけだった。 検察は死刑を求刑した。 判決は無期懲役だった。 父親は言った。 「あいりは2度殺された」 2005年11月22日、広島市安芸区。 「広島小1女児殺害事件」。 2005年11月22日午後3時すぎ、広島市安芸区矢野西の空き地に置いてあった段ボール箱の中に、小学1年生の女の子が意識不明の状態でいるのを近所の人が見つけた。女の子は近くに住む木下あいりちゃん(当時7歳)と判明し、死亡が確認された。死因は首を絞められたことによる窒息死だった。 あいりちゃんはどんな子だったのか。 同級生の卒業式が開かれた2011年3月18日、学校側は「同級生と一緒に卒業させてあげたい」として卒業証書と同じ文書を作成。校長が「多くの友の中で共に過ごしたことを証します」と伝えて母親に手渡した。母親は「ありがとうございます」と答え、涙ぐんだ。 同級生が卒業する日、 あいりちゃんは卒業証書を受け取れなかった。 何が起きたのか。 事件から8日後の11月30日、遺留品や目撃情報などから近くのアパートに住む当時33歳のペルー人の男(ホセ・マヌエル・トレス・ヤギ)を殺人と死体遺棄の容疑で逮捕した。 広島地検は殺人や強制わいせつ致死などの罪で起訴した。 下校途中、一人で歩いていた。 それだけが理由だった。 しかし、この事件には「もう一つの顔」がある。 加害者には前科があった。 差し戻し控訴審では、ペルーでの幼い女の子2人に対する性犯罪歴が証拠採用された。しかし広島高裁は「罪を犯したことが確実ではなく、日本国内での前歴や前科と同じように取り扱うことは許されない」として、量刑を考慮するための資料には用いないと述べた。 ペルーで幼い女の子2人への性犯罪歴があった。 それでも量刑の考慮から除外された。 裁判は複雑な経緯をたどった。裁判員裁判のモデルケースとされ、公判前整理手続が行われた。被告は法廷で意味不明の言動を繰り返し、公判が度々中断した。 法廷で意味不明の言動を繰り返した。 公判は何度も中断した。 🔴 判決 検察側は死刑を求刑したが、一審広島地裁は無期懲役を言い渡した。検察と弁護側の双方が控訴するなどし、2010年8月に無期懲役が確定した。裁判は4年余りにわたった。 父・建一さんは語った。「悪魔の存在を主張し続けたことは疑問で、納得いかなかった。性犯罪というのは非常に悪質な犯罪であるので刑罰は重いんだという認識が社会に広まればいい」 検察は死刑を求めた。 ペルーでの性犯罪歴は考慮されなかった。 判決は無期懲役だった。 父親は言った。 「あいりは2度殺された」 7歳のあいりちゃんは下校中に殺された。 段ボール箱に入れられた。 ペルーでの前科は考慮されなかった。 4年かけて無期懲役が確定した。 同級生が卒業する日、 母親は学校から卒業証書を受け取った。 「あいりは2度殺された」という父の言葉は 20年経った今も消えない。 あなたは、ペルーでの幼い女の子への性犯罪歴が量刑に考慮されず、死刑求刑に対して無期懲役となったこの判決を、どう思いますか。
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熊谷警察署で取り調べ中、 被疑者は脱走した。 「タバコを吸いに行く」と言って そのまま戻らなかった。 3日間の逃走の末、 6人が殺された。 10歳の美咲さん。 7歳の春花さん。 その母・美和子さん。 夫は 3人を一度に失った。 裁判員裁判は死刑を選んだ。 高裁は無期懲役に覆した。 警察は逃走の事実を 住民に知らせなかった。 2015年9月、埼玉県熊谷市。 「熊谷6人殺害事件」。 2015年9月13日、熊谷警察署で任意同行され取り調べを受けていたペルー国籍のナカダ・ルデナ・バイロン・ジョナタン(当時30歳)が、喫煙を装って逃走した。3日間にわたる逃走の間に3軒の住宅に侵入し、男女6人を次々に殺害した。 被害者はどんな人たちだったのか。 加藤裕希さんは、妻・美和子さん(41歳)、長女・美咲さん(10歳、小学5年)、次女・春花さん(7歳、小学2年)の3人を一度に失った。事件発生約4ヶ月前に撮影された美咲さんと春花さんの写真が、今も加藤さんの手元に残されている。 加藤さんは語った。 「本心を言えば、もう死にたいという気持ちです。私は全部を失って生きる希望がありません」 家族3人を 一度に奪われた。 何が起きたのか。 9月14日夕方、ナカダは熊谷市内の住宅に押し入り、50代の夫婦を殺害した。15日から16日にかけて、80代の女性を殺害。その後、加藤さんの自宅に侵入し、妻と娘2人を殺害した。後の捜査で、長女・美咲さんに性的加害をしていたことも明らかになった。 ナカダは加藤さん宅で発見された際、2階から飛び降り頭部を強打。意識不明の重体となったが、9月24日に意識を回復し、10月8日に逮捕された。 3人を殺害したあとも その場にとどまっていた。 しかし、この事件には「もう一つの顔」がある。 埼玉県警は何をしていたのか。 ナカダが逃走した翌日、9月14日に最初の夫婦が殺害された。県警は事件発生から約7時間後、ナカダを参考人として全国手配していた。つまり「男の犯行」とほぼ断定し、逃走の事実とさらなる事件発生の危険性を認識していた。 それでも県警は地域住民にこの事実を広報しなかった。 加藤さんが家族を殺された後になって、初めてナカダの逃走を知った。 危険性を認識していた。 それでも知らせなかった。 🔴 判決と二重の闘い 2018年、さいたま地裁の裁判員裁判は死刑判決を言い渡した。検察側は「金を奪う目的で6人を殺害した」「自己防衛的な行動を取っており違法性を認識していた」として完全責任能力を主張した。 しかし2019年、東京高裁は一審を破棄し、統合失調症による心神耗弱を理由に無期懲役とした。検察は上告を断念。弁護側のみが上告したが、2020年9月、最高裁は上告を棄却し、無期懲役が確定した。 6人を殺害したにもかかわらず、 心神耗弱が認定され、 判決は無期懲役となった。 加藤さんは被害者参加制度を利用し、法廷でナカダに直接問いかけた。判決確定後、加藤さんは語った。 「司法はもっと被害者に寄り添ってほしい。控訴審が無期懲役としたのは誤審だと思う」 刑事裁判で終わりではなかった。 加藤さんは「最初の事件の段階で住民に注意喚起していれば家族の被害は防げた」として、埼玉県を相手に国家賠償請求訴訟を起こした。 2022年、さいたま地裁は請求を棄却。2023年、東京高裁も控訴を退けた。 「県警の対応は不合理だとは言えない」 とされた。 刑事裁判で無期懲役になった。 民事訴訟でも県の責任は認められなかった。 加藤さんは2024年、最高裁に上告した。 「これが最後になる」 と語った。 危険人物が逃走していた。 県警はそれを知っていた。 住民には知らされなかった。 3人が殺された。 裁判では死刑が無期懲役に覆った。 県の責任も認められなかった。 加藤さんは家族の遺影を前に、 今も一人で生き続けている。 あなたは、危険性を認識していながら住民に知らせなかった県警の対応と、6人を殺害したにもかかわらず無期懲役となったこの判決に、何を思いますか。
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小学4年生の女の子が、 自分でアンケートにこう書いた 「お父さんにぼう力を受けています。先生、どうにかできませんか」 その紙が父親の手に渡った。 2019年、日本で起きた 「野田市小4女児虐待死事件」。 栗原心愛さんは当時10歳の小学4年生。 2019年1月24日、千葉県野田市の自宅浴室で倒れているのが発見され、死亡が確認された。 全身には数十カ所のあざ。 胸の骨が折れ、髪も抜け、胃の中には食べ物がなかった。 父親は何をしていたのか 冷水のシャワーを浴びせ続けた。 髪を引っ張った。 首付近を鷲づかみにした。 13時間、休まずに立たせ続けた。 死亡する2日前は眠らせなかった。 しかし、心愛さんはすでに助けを求めていた。 2017年11月、学校のいじめアンケートで心愛さんはこう書いた。 「お父さんにぼう力を受けています。夜中に起こされたり、けられたり、たたかれたりしています。先生、どうにかできませんか」 しかも匿名で書けるアンケートに、自分の名前をフルネームで書いた。 担任はその言葉に「衝撃を受けた」と法廷で語った。 児童相談所は翌日、一時保護した。 しかし、父親は学校に連日押しかけ「人の子を誘拐するのか」「訴訟を起こす」と脅し続けた。 そしてアンケートの「実物を見せろ」と要求した。 野田市教育委員会は父親の恫喝に屈した。 2018年1月、心愛さんが命がけで書いたアンケートのコピーを、父親に手渡した。 娘が「助けて」と書いた紙を虐待した父親に渡した。 一時保護も12月27日に解除された。 その後、心愛さんは転校させられた。 次のアンケートに、SOSを書くことはなかった。 父親は一時保護解除後、心愛さんに「たたかれたというのはうそ」という虚偽の文書を書かせた。 心愛さんは書いた、もう一つの言葉を。 4年生のときに学校で書いた「未来の自分への手紙」はこう締めくくられていた。 「五年生になってもそのままのあなたでいてください。未来のあなたを見たいです。あきらめないで下さい」と。 その手紙は本人に届かなかった。 判決は父親に懲役16年。 裁判長は「異常なまでに陰惨でむごたらしい。悪質性は並外れて際立っている」と述べた。 しかし、心愛さんはアンケートに名前まで書いて助けを求めた。 担任は「衝撃を受けた」と言った。 児相は一時保護した。 それなのに、父親の怒鳴り声一つでアンケートは父親に渡された。 一時保護は解除された。 転校させられた。 そして死んだ。 この国のシステムは、子どもの「助けてください」より大人の怒鳴り声を優先した。
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インスタグラムの動画に 偶然、写り込んだ。 それだけだった。 翌朝 教室で「死ねばいい」と言われた。 帰宅してわずか1時間後 17歳の女の子は もういなかった。 2018年、熊本県で起きた 「深草知華さんいじめ自殺事件」。 2018年5月17日、熊本県北部の町で、祖母が首をつっている高校3年の孫の姿を見つけた。女子高生の名前は、深草知華さん(17歳)。142センチの小柄で、先輩後輩問わず好かれる、愛嬌のある子だった。 何が起きたのか 5月16日の放課後、2年生の男子が友人らを撮影してインスタグラムに動画を投稿した。 その動画に、偶然通りかかった知華さんが写り込んでいた。 ただ 偶然、写り込んだだけだった。 翌朝、その動画がクラス中に広まった。 1時間目から教室のざわつきは始まった。2時間目になると、クラスの騒ぎはエスカレートした。悪意が全体に広まったかのように 「何回言ってもわからん」 「視界から消えればいいのに、まじ無理」 「言われたくないなら死ねばいい」 「私なら学校来れん」 といった言葉が飛び交った。 授業中に クラス全体が彼女を標的にした。 知華さんは涙を浮かべて 「きついです。早退したい」と担任に訴えた。 学校を早退した後、「死ねばいいって言われた」などと記載した遺書を残して自殺した。 帰宅からわずか1時間後だった。 しかし、この事件には「もう一つの顔」がある。 知華さんが「きついです。早退したい」と訴えた際の担任の対応を、再調査の第三者委員会は問題視した。それまでに早退がほとんどなかったことを念頭に「普段と異なった態度を掘り下げ、保護者に伝達することはできた」と指摘した。 担任は 掘り下げなかった。 保護者にも 伝えなかった。 英語の授業中、暴言が飛び交ったことについても、担当教員は「記録に残す必要があった」と指摘された。 授業中に「死ねばいい」と言われていた。 教員は 記録すら残さなかった。 父親は語る。 「言葉のいじめは軽く見られますが、うちの娘がそうだったように言葉は時として、人を自死に追い込むほどの暴力性を帯びた凶器となりえるのです」 🔴 判決と和解 両親は同級生4人に計1100万円の損害賠償を求めた。和解成立の内容は、加害者1人につき謝罪と10万円の支払いだった。 2人目の和解でも、加害者は「死ねばいい」と発言するなどのいじめを認め「自分の言動が知華を苦しめたことを反省している」と謝罪した。 10万円。 「死ねばいい」と言った。 クラス全体で追い詰めた。 一人の命を奪った。 その答えが 10万円だった。 知華さんが死んだ日から5年後。 最後の加害者と和解が成立した。 いじめの中心だった女性は、命日に手紙も送った。 父・智彦さんは言った。 「言われた方は暴力を振るわれるより傷つく」 言葉は 凶器だった。 授業中に飛び交っていた。 教員は記録しなかった。 担任は掘り下げなかった。 帰宅1時間後 17歳の女の子が死んだ。 この国は、言葉の暴力を まだ「軽いいじめ」と思っていないか。
Ajay Verma (アジャイ・ヴェルマ)5,662,843 views • 5 months ago

息子が、自分を傷つけていた。 母親は体で止めた。 それでも、止まらないことがあった。 やむを得ず、テープで手を固定したこともあった。 SNSで叩かれた。 「虐待だ」と。 でも、批判する人がいても、代わりに支えてくれる人がいたわけではなかった。 だから、母親自身が福祉サービスを始めた。 全国に12万人いるとされる「強度行動障害」。 自傷行為や激しい行動が頻繁に起きる状態で、知的障害や自閉症などを背景に持つことが多い。 名古屋に暮らすこの母親も、その現実と毎日向き合っていた。 何が起きていたのか。 我が子は自分を傷つけることがあった。 母親は体で止めた。傷つき、泣きながらも、我が子のそばにいた。 既存の福祉サービスにも相談した。 しかし、「対応が難しい」として受け入れてもらえないことがあった。 我が子を受け入れてくれる場所が、簡単には見つからなかった。 必要な支援につながることも、簡単ではなかった。 家族だけで支え続けるには、限界があった。 しかし、この問題には「もう一つの顔」がある。 全国に12万人いるとされる。 それでも、必要な支援につながれない家族がいる。 「強度行動障害」という言葉を、どれだけの日本人が知っているのだろう。 多くの人が知らない場所で、子どもたちと家族が毎日向き合っている現実がある。 母親は考えた。 「ないなら、自分で作るしかない」 専門知識を学び、支援者を集め、場所を確保した。 そして、一人の母親が福祉サービスを立ち上げた。 自分の子どものためだけではなかった。 同じように居場所を探している家族のためにも。 スタッフは語った。 「子どもたちの笑顔を見るうちに、ここに来てよかったと思うようになった」 母親は、さらに動いた。 福祉の輪を広げ、同じ問題を抱える家族が孤立しないよう声を上げ続けた。 そして、ついに行政も動き始めた。 母親が動いた。 社会が動いた。 行政も少しずつ動き始めた。 誰が悪いわけでもない。 子どもも悪くない。 母親も悪くない。 ただ、家族だけでは抱えきれない現実がある。 テープで手を固定した母親を、SNSでは「虐待だ」と批判する声があった。 でも、その母親が本当に求めていたのは、我が子を傷つけることではない。 我が子が、安心して過ごせる場所だった。 「ないなら自分で作る」 一人の母親が立ち上がった。 そして、その声が社会を動かした。 子どもを守るために、家族を支える仕組みを社会が作るべきではないのか。 あなたは、強度行動障害のある子どもたちと、その家族が抱えるこの現実を知っていましたか?
Ajay Verma (アジャイ・ヴェルマ)539,621 views • 22 days ago
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少女が苦しむ姿を見たかった。 それが加害者の性癖だった。 9歳の侑子ちゃんは お腹から血を流し、うつ伏せで倒れていた。 防御創はなかった。 衣服の乱れもなかった。 指紋も足跡も目撃情報もなかった。 事件は14年間闇の中だった。 そして加害者はその間に 4人の少女を襲っていた。 2004年9月3日、岡山県津山市。 「津山小3女児殺害事件」。 2004年9月3日午後3時35分頃、岡山県津山市総社に住んでいた小学3年の筒塩侑子(つつしお ゆきこ)ちゃん(当時9歳)が、自宅で殺害されているのが発見された。発見したのは学校から帰宅した高校生の姉(当時15歳)だった。 侑子ちゃんはどんな子だったのか。 司法解剖の結果、侑子ちゃんは胸や腹などを幅の狭い凶器で数ヶ所刺されていた。死因は失血死か窒息死だった。衣服に乱れは全くなく、手に防御創もなく、首を絞めた跡や口や鼻を抑えた形跡もなかった。室内に物色した形跡もなかった。 抵抗の痕跡すらなかった。 何もかもがわからなかった。 何が起きたのか。 犯人の指紋や足跡、目撃情報もなく、犯行の動機も全てが不明だった。事件は長年未解決のままだった。 2008年3月19日、侑子ちゃんが通っていた津山市立北小学校で卒業式が行われた。亡くなった侑子ちゃんにも卒業証書が授与された。 同級生が卒業する日、侑子ちゃんは卒業証書を受け取った。 本人はもういなかった。 しかし、この事件には「もう一つの顔」がある。 加害者はその14年間、何をしていたのか。 2000年、兵庫県明石市で女児6人に対し、腹部をげんこつで殴ったり、下腹部を触ったりするなどした暴行・強制わいせつの罪で有罪判決(執行猶予付き)を受けた。 2004年、津山で侑子ちゃんを殺害した。捜査の手は及ばなかった。 2009年、兵庫県姫路市・三木市・太子町で少女5人の腹部を殴るなどし、懲役4年の実刑判決を受けた。 2015年、姫路市で中学3年の女子生徒をナイフで刺し重傷を負わせた。 侑子ちゃんを殺害した後も 少女たちへの暴行を繰り返していた。 6人。5人。そして中学生。 加害者は「少女が苦しむ姿を見ることで性的に興奮する」という性癖を持っていた。 14年間、誰も気づかなかった。 その間に何人もの少女が被害に遭った。 🔴 逮捕と判決 2018年5月、別の殺人未遂事件で服役していた勝田州彦(当時39歳)が被疑者として逮捕された。事件発生から実に14年が経っていた。 2022年1月、岡山地裁は無期懲役の判決を言い渡した。勝田は裁判で無罪を主張し続けていたが、2023年9月、最高裁が上告を棄却し、無期懲役が確定した。 無罪を主張し続けた5年間。 2024年、フリーライター宛の手記で初めて自身が真犯人であることを認めた。 14年間、誰も捕まえられなかった。 その間に加害者は6人、5人、1人の少女を傷つけた。 逮捕後も5年間、無罪を主張した。 判決確定後にようやく罪を認めた。 侑子ちゃんが死んだ年、加害者を止められなかった。 その後に被害を受けた少女たちも救えなかった。 もし2004年に逮捕されていたら、 その後の被害者は生まれなかったのではないか。 あなたは、14年間捕まらなかった加害者がその間に何人もの少女を傷つけ続けたこの事件に、何を思いますか。
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「娘の無念を晴らすまで終わらない」 7歳の和未子さんは 下校中に連れ去られた。 わいせつ目的だった。 首を絞められ、山林に遺棄された。 無期懲役が確定した。 賠償命令も3回出た。 それでも1円も払われていない。 2001年10月、長崎県諫早市。 「諫早女児誘拐殺害事件」。 2001年10月12日、長崎県諫早市で下校途中の小学1年・川原和未子さん(当時7歳)が行方不明になった。2日後、自宅から約6キロ離れた山林の斜面で、うつぶせの遺体で発見された。死因は絞殺だった。 和未子さんの父・冨由紀さんは25年間、娘の写真を手に闘い続けている。 何が起きたのか。 10月26日、和未子さんの親戚の男・吉岡達夫(当時23歳)が長崎県警諫早署に出頭した。「連日事件が報道され逃げられないと思った」と供述した。 専門学校を出てプログラマーになり、挨拶もきちんとする「普通の性格」だったという。 普通に見えた親戚だった。 わいせつ目的で7歳を誘拐し、殺害した。 しかし、この事件には「もう一つの顔」がある。 判決は出た。賠償命令も出た。 それでもお金は届かなかった。 2002年9月、長崎地裁は求刑通り無期懲役の判決を言い渡した。検察は「周到な準備をした計画的な犯行」「人間の尊厳に対する配慮はみじんもない」と指摘した。 2005年12月、長崎地裁大村支部は約7000万円の賠償を命じた。 2016年1月、福岡地裁が同額の賠償を命じた。 それでも1円も支払われなかった。 民法では、判決確定から10年で賠償請求権が時効になる。 時効が来るたび、遺族は再び提訴しなければならない。 2026年、3度目の提訴。 2026年3月13日、福岡地裁は3度目の同額の賠償命令を下した。 3回、勝訴した。 3回とも払われなかった。 🔴 25年間の闘い 父・冨由紀さん(71)は法廷で声を詰まらせながら語った。 「娘の無念を晴らし、加害者から心からの誠意ある謝罪があるまで、何年過ぎようが決して終わらない。娘のため、私に与えられた闘いだ」 事件は冨由紀さんの人生を変えた。PTSDを発症し、経営していた工務店は廃業に追い込まれた。家族はバラバラになった。 「娘を奪われ、家族をバラバラにされ、人生を狂わされた」と語った。 冨由紀さんは公的支援の改善も訴えている。 「国が賠償金を立て替えるなど、もっと被害者に寄り添ってもらいたい。こういう深刻な犯罪の場合は時効をなくしてほしい」 無期懲役は確定した。 賠償も3回命じられた。 それでも時効という壁が、遺族を苦しめ続けている。 7歳の和未子さんは下校中に殺された。 父親は25年間、賠償金を待ち続けている。 1円も支払われていない。 加害者は刑務所の中で何も払わずに過ごしている。 あなたは、無期懲役が確定し3度の賠償命令が出ても1円も支払われず、時効のたびに遺族が再提訴を迫られているこの国の制度に、何を思いますか。
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「ママ大好き」 「おしごとがんばって」 7歳の眞輝くんが そう言って眠りについた。 その夜だった。 寝室の押し入れに ガソリンがまかれた。 火がつけられた。 12歳の侑城くんと7歳の眞輝くん。 2人とも就寝中だった。 放火したのは伯父だった。 動機は両親への憎しみだった。 求刑は死刑だった。 判決は懲役30年だった。 2021年11月、兵庫県稲美町。 「稲美町兄弟放火殺人事件」。 2021年11月19日深夜、兵庫県稲美町岡の木造2階建ての自宅で、押し入れ内の布団にガソリンをまいて火を放ち全焼させ、就寝中だった当時小学6年の松尾侑城くん(12歳)と、小学1年の眞輝くん(7歳)が殺害された。 侑城くんと眞輝くんはどんな子だったのか。 野球が好きな兄弟だった。 両親は「あったはずの未来を」と、息子たちとの思い出を語った。 「ママ大好き」 「おしごとがんばって」 眞輝くんが日頃から両親に伝えていた言葉だった。 野球を続けていたはずだった。 両親に「ママ大好き」と言っていたはずだった。 その未来は一夜で奪われた。 何が起きたのか。 逮捕されたのは、兄弟と同居していた伯父・松尾留与被告(53歳、当時)。 無職だった。 検察側の指摘によると、動機は同居する妹夫婦(兄弟の両親)への憎しみだった。 「子どもを狙った」とされ、「両親に苦痛を与えようと思い」殺意を抱いたとされた。 妹夫婦が被告の行動を監視するため自宅にカメラを設置していたことが、被告の怒りを増幅させていた。 「カメラで監視されたと怒り」 検察側はこれを動機の一つとして指摘した。 放火後、被告はコンビニで食料品を購入し、逃走の準備を速やかに進めていた。 恨みの対象は両親だった。 殺されたのは何の関係もない子どもたちだった。 しかし、この事件には「もう一つの顔」がある。 裁判長は何と言ったのか。 神戸地裁姫路支部の佐藤洋幸裁判長は、判決でこう述べた。 「結果は極めて重大。恨みの対象ではない子どもを殺害したことは、身勝手で悪質。命を軽視している」 それでも死刑ではなかった。 裁判長は「妹夫婦が被告の行動を監視するため、自宅にカメラを設置したことなどから、被告は相当追い込まれた精神状態にあった」とし、「妹夫婦に恨みを抱いたことは無理からぬ面があった」と述べた。 恨みを抱くに至った経緯には 「無理からぬ面があった」とされた。 殺されたのは、その恨みとは無関係の子どもだった。 さらに、被告に軽度の知的障害があり「軽微とはいえ事件に影響を与えたことは否定できない」として、量刑から死刑と無期懲役を外し、「有期刑が相当」と結論づけた。 🔴 判決 2024年、神戸地裁姫路支部は裁判員裁判で懲役30年(求刑死刑)の判決を言い渡した。 検察は控訴し、控訴審で「恨みの対象ではない兄弟の殺害は、無差別殺人に通じる理不尽極まりない犯行」と主張した。 しかし2025年3月14日、大阪高裁の伊藤寿裁判長は一審判決を支持し、検察側の控訴を棄却した。 動機についても「同居していた妹夫婦の被告に対する態度に行き過ぎた面があり、恨みを晴らそうとしたことには無理からぬ面があった」と一審判決を追認した。 量刑が「軽すぎて不当とは言えない」とされ、検察・被告側ともに上告せず、懲役30年が確定した。 7歳と12歳の兄弟が、就寝中に放火され殺害された。 動機は両親への恨みだった。 殺されたのは、その恨みとは無関係の子どもだった。 求刑は死刑だった。 判決は懲役30年だった。 裁判所は、妹夫婦への恨みを抱くに至った経緯には「無理からぬ面があった」と判断した。 殺された子どもたちには何の落ち度もなかった。 父親は控訴審後、語った。 「恨みの矛先が子どもたちへ向かったことが悔しい」 「事件当時から時間は止まったまま」 あなたは、恨みの対象ではない7歳と12歳の兄弟が殺害され、求刑死刑に対して懲役30年となったこの判決を、どう思いますか。
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