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Ajay Verma (アジャイ・ヴェルマ)

@DataAnalyst130910,149 subscribers

未解決事件| 忘れられた事件を発掘 📇 理不尽な出来事や声にならない話があれば、 DMで共有してください。 確認できる範囲で紹介することがあります。

Shorts

5歳の歩夢くんは 母の腕の中で息を引き取った。 呼吸が小さくなり、やがて止まった。 居候先で1年間虐待され続けた。 死後、遺体は床下に埋められた。 「躾」と呼んでいた。 検察は「正当化できる要素は皆無」と断じた。 支配していた女は その10日後、別のシングルマザーに ケーキを持って訪ねていた。 次の標的を探していた。 2022年1月、埼玉県本庄市。 「本庄5歳児虐待死事件」。 2022年1月、埼玉県本庄市の住宅で柿本歩夢くん(当時5歳)が虐待され死亡し、遺体が床下に埋められた事件が発覚した。母・知香被告と同居人の丹羽洋樹被告、そして丹羽の交際相手・石井陽子被告が逮捕された。 歩夢くんはどんな子だったのか。 保育園関係者は語った。「本当はママが大好きな、素直ないい子でした」 母・知香さんはDV夫の元から歩夢くんを連れて逃げ出した。父親に手を出されたことはなかったが、DVを目の前で見て、父をとても怖がっていた。 逃げ出したはずだった。 それなのに次の場所で、もっと恐ろしいことが始まった。 何が起きたのか。 知香さんと歩夢くんは2021年1月ごろ、丹羽被告と石井被告が同居する住宅に身を寄せた。そこから1年にわたる壮絶な虐待が始まった。 保育園関係者は変化に気づいていた。「保育園でも叱られると、固まってうまく話せず、目が泳ぐようになりました」。美人と評判だった知香さんも、ノーメイクで身なりに気を使わなくなり、周囲との付き合いをやめてしまった。 2022年1月18日、石井被告の指示で、知香被告と丹羽被告が「躾」と称して歩夢くんに暴行した。歩夢くんが瀕死の状態に陥っても、大人たちは救急車を呼ばなかった。 歩夢くんは母の腕の中で息を引き取った。 絶命後、遺体は和室の床下に埋められた。 しかし、この事件には「もう一つの顔」がある。 石井被告は歩夢くんだけが標的ではなかった。 2021年2月28日、知香さんと出会う前から知り合いだったシングルマザーX子さんが、自分の息子Yくん(当時4歳)を石井・丹羽の家に預けたことがあった。お漏らしをしたことを石井に叱責された後、丹羽が「いらねえよ、お前」とYくんの頭を平手打ちした。Yくんは泣き叫びながら室内灯の紐に手を伸ばした。丹羽は再び平手打ちし、風呂場に連行した。 この様子は、丹羽が飼い猫用に設置していたペットカメラに偶然記録されていた。 歩夢くんが死んだ翌日 石井と丹羽は、別のシングルマザーC子さんの元を訪れていた。 ケーキを持って次の標的を探していた。 それから約10日後、2人は歩夢くんの死体遺棄容疑で逮捕された。 🔴 判決 検察側は論告で「躾の限度をはるかに超え、何ら正当化される要素はなく、動機や経緯に酌量の余地は皆無」と断じた。知香被告に懲役12年、丹羽被告に懲役15年を求刑した。 2023年9月8日、さいたま地裁は知香被告に懲役10年、丹羽被告に懲役12年の判決を言い渡した。両被告とも控訴した。 2023年11月24日、首謀者とされた石井陽子被告には懲役13年の判決が下された。 検察は「石井の指示がなくても暴行した」と指摘したが、同時に石井の存在が両被告の責任の大きさを量る重要な要素だったことも認めた。 支配し、命令し、虐待を促した石井被告。 その手は歩夢くんが死んだ直後も、別の家族に伸びていた。 知香被告は法廷で証人として、石井被告に重い刑を望むと証言した。「腕の中で息子の呼吸は小さくなり、やがて止まった」その言葉を法廷で繰り返した。 5歳の歩夢くんは、DV夫から逃げた先で、もっと恐ろしい支配者に出会った。 「躾」と呼ばれた虐待で命を落とした。 遺体は床下に埋められた。 石井被告は、歩夢くんが死んだ直後にも 次のシングルマザーと子どもを狙っていた。 あなたは、「躾」という言葉の下で5歳児が虐待死し、加害者が次の標的を探し続けていたこの事件に、何を思いますか。

5歳の歩夢くんは 母の腕の中で息を引き取った。 呼吸が小さくなり、やがて止まった。 居候先で1年間虐待され続けた。 死後、遺体は床下に埋められた。 「躾」と呼んでいた。 検察は「正当化できる要素は皆無」と断じた。 支配していた女は その10日後、別のシングルマザーに ケーキを持って訪ねていた。 次の標的を探していた。 2022年1月、埼玉県本庄市。 「本庄5歳児虐待死事件」。 2022年1月、埼玉県本庄市の住宅で柿本歩夢くん(当時5歳)が虐待され死亡し、遺体が床下に埋められた事件が発覚した。母・知香被告と同居人の丹羽洋樹被告、そして丹羽の交際相手・石井陽子被告が逮捕された。 歩夢くんはどんな子だったのか。 保育園関係者は語った。「本当はママが大好きな、素直ないい子でした」 母・知香さんはDV夫の元から歩夢くんを連れて逃げ出した。父親に手を出されたことはなかったが、DVを目の前で見て、父をとても怖がっていた。 逃げ出したはずだった。 それなのに次の場所で、もっと恐ろしいことが始まった。 何が起きたのか。 知香さんと歩夢くんは2021年1月ごろ、丹羽被告と石井被告が同居する住宅に身を寄せた。そこから1年にわたる壮絶な虐待が始まった。 保育園関係者は変化に気づいていた。「保育園でも叱られると、固まってうまく話せず、目が泳ぐようになりました」。美人と評判だった知香さんも、ノーメイクで身なりに気を使わなくなり、周囲との付き合いをやめてしまった。 2022年1月18日、石井被告の指示で、知香被告と丹羽被告が「躾」と称して歩夢くんに暴行した。歩夢くんが瀕死の状態に陥っても、大人たちは救急車を呼ばなかった。 歩夢くんは母の腕の中で息を引き取った。 絶命後、遺体は和室の床下に埋められた。 しかし、この事件には「もう一つの顔」がある。 石井被告は歩夢くんだけが標的ではなかった。 2021年2月28日、知香さんと出会う前から知り合いだったシングルマザーX子さんが、自分の息子Yくん(当時4歳)を石井・丹羽の家に預けたことがあった。お漏らしをしたことを石井に叱責された後、丹羽が「いらねえよ、お前」とYくんの頭を平手打ちした。Yくんは泣き叫びながら室内灯の紐に手を伸ばした。丹羽は再び平手打ちし、風呂場に連行した。 この様子は、丹羽が飼い猫用に設置していたペットカメラに偶然記録されていた。 歩夢くんが死んだ翌日 石井と丹羽は、別のシングルマザーC子さんの元を訪れていた。 ケーキを持って次の標的を探していた。 それから約10日後、2人は歩夢くんの死体遺棄容疑で逮捕された。 🔴 判決 検察側は論告で「躾の限度をはるかに超え、何ら正当化される要素はなく、動機や経緯に酌量の余地は皆無」と断じた。知香被告に懲役12年、丹羽被告に懲役15年を求刑した。 2023年9月8日、さいたま地裁は知香被告に懲役10年、丹羽被告に懲役12年の判決を言い渡した。両被告とも控訴した。 2023年11月24日、首謀者とされた石井陽子被告には懲役13年の判決が下された。 検察は「石井の指示がなくても暴行した」と指摘したが、同時に石井の存在が両被告の責任の大きさを量る重要な要素だったことも認めた。 支配し、命令し、虐待を促した石井被告。 その手は歩夢くんが死んだ直後も、別の家族に伸びていた。 知香被告は法廷で証人として、石井被告に重い刑を望むと証言した。「腕の中で息子の呼吸は小さくなり、やがて止まった」その言葉を法廷で繰り返した。 5歳の歩夢くんは、DV夫から逃げた先で、もっと恐ろしい支配者に出会った。 「躾」と呼ばれた虐待で命を落とした。 遺体は床下に埋められた。 石井被告は、歩夢くんが死んだ直後にも 次のシングルマザーと子どもを狙っていた。 あなたは、「躾」という言葉の下で5歳児が虐待死し、加害者が次の標的を探し続けていたこの事件に、何を思いますか。

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親友に、「会いに来て」と誘われた。 その部屋で、 彼女の首は 切断されていた。 2014年7月26日、長崎県佐世保市。 「佐世保高1同級生殺害事件」。 松尾愛和さんは明るく面倒見が良いと評判だった。写真部に所属し、日常の風景を撮り続けていた。歴史が得意で、将来は大学の文学部に進みたいと話していた。1学期は無欠席で、生活態度も真面目だった。 その愛和さんが15歳で死んだ。 犯行時刻とみられる午後8時ごろ、2人は加害者がひとり暮らしをするマンションの一室で過ごしていた。加害者は愛和さんの頭部を金属製の工具で何度も殴り、犬のリードで絞殺した。さらに遺体の首と左手首は切断された。 母親が「7時ごろに帰る」というメールを受け取った。 その後、愛和さんは戻らなかった。 しかし、この事件には「もう一つの顔」がある。 実は、多くの専門家が事件の前から加害者の少女に関わっていた。カウンセラーも、精神科医も、児童相談所も。 サインは、あった。 何度も、あった。 加害者の少女は小学校のときから人間関係でトラブルを度々起こしていた。 冷蔵庫の中には猫の頭蓋骨が見つかった。中学生のころから繰り返し猫の解剖をしていたと供述した。 それでも、誰も止めなかった。 加害者は取り調べで淡々と語った。 「中学生の時から殺人欲求があった」 「人間でも試してみたかった」 「解体してみたかった」 反省の言葉は、一切なかった。 🔴 処分と判決 加害者の少女は高校1年生のとき医療少年院に収容された。2021年、23歳になる前に、収容先の少年院長が26歳になるまでの収容延長を決定した。26歳まで延長するのは前例がないとされた。 刑事裁判:なし(少年法により) 加害者からの謝罪:なし 遺族への賠償:なし そして加害者の父親は、事件後に自ら命を絶った。 愛和さんの遺族は言った。 「一生、赦しはしない」 教育はもちろん大切だ。しかし、もしも誰かがもっと深く加害者の心の病理性に関われていたら、結果は違っていたかもしれない。 カウンセラーがいた。 精神科医がいた。 児童相談所がいた。 全員が、関わっていた。 誰も、止めなかった。 愛和さんは「会いに来て」と誘われた友人を信じて、その部屋に入った。 その選択を、誰が責められるのか。 「解体してみたかった」と語った16歳は少年院に入った。少年法に守られ、刑事責任を問われることはなかった。 愛和さんは15歳のまま、時間が止まった。 あなたは、何度もサインを出していた加害者を止められなかった大人たちと、少年法で守られた加害者に、どう向き合いますか。

親友に、「会いに来て」と誘われた。 その部屋で、 彼女の首は 切断されていた。 2014年7月26日、長崎県佐世保市。 「佐世保高1同級生殺害事件」。 松尾愛和さんは明るく面倒見が良いと評判だった。写真部に所属し、日常の風景を撮り続けていた。歴史が得意で、将来は大学の文学部に進みたいと話していた。1学期は無欠席で、生活態度も真面目だった。 その愛和さんが15歳で死んだ。 犯行時刻とみられる午後8時ごろ、2人は加害者がひとり暮らしをするマンションの一室で過ごしていた。加害者は愛和さんの頭部を金属製の工具で何度も殴り、犬のリードで絞殺した。さらに遺体の首と左手首は切断された。 母親が「7時ごろに帰る」というメールを受け取った。 その後、愛和さんは戻らなかった。 しかし、この事件には「もう一つの顔」がある。 実は、多くの専門家が事件の前から加害者の少女に関わっていた。カウンセラーも、精神科医も、児童相談所も。 サインは、あった。 何度も、あった。 加害者の少女は小学校のときから人間関係でトラブルを度々起こしていた。 冷蔵庫の中には猫の頭蓋骨が見つかった。中学生のころから繰り返し猫の解剖をしていたと供述した。 それでも、誰も止めなかった。 加害者は取り調べで淡々と語った。 「中学生の時から殺人欲求があった」 「人間でも試してみたかった」 「解体してみたかった」 反省の言葉は、一切なかった。 🔴 処分と判決 加害者の少女は高校1年生のとき医療少年院に収容された。2021年、23歳になる前に、収容先の少年院長が26歳になるまでの収容延長を決定した。26歳まで延長するのは前例がないとされた。 刑事裁判:なし(少年法により) 加害者からの謝罪:なし 遺族への賠償:なし そして加害者の父親は、事件後に自ら命を絶った。 愛和さんの遺族は言った。 「一生、赦しはしない」 教育はもちろん大切だ。しかし、もしも誰かがもっと深く加害者の心の病理性に関われていたら、結果は違っていたかもしれない。 カウンセラーがいた。 精神科医がいた。 児童相談所がいた。 全員が、関わっていた。 誰も、止めなかった。 愛和さんは「会いに来て」と誘われた友人を信じて、その部屋に入った。 その選択を、誰が責められるのか。 「解体してみたかった」と語った16歳は少年院に入った。少年法に守られ、刑事責任を問われることはなかった。 愛和さんは15歳のまま、時間が止まった。 あなたは、何度もサインを出していた加害者を止められなかった大人たちと、少年法で守られた加害者に、どう向き合いますか。

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「医師になる夢」を叶えた。 それでも——37歳の女性研修医は過労で命を落とした。 2016年1月、新潟県新潟市。 「新潟市民病院女性研修医過労自殺事件」。 木元文(あや)さんは、看護助手として働きながら医師を目指して勉強を続けていた。 簡単な道ではなかった。 働きながら受験勉強を続け、2007年、新潟大学医学部に合格した。 努力を積み重ね、ようやく夢だった医師になった。 周囲からも真面目で責任感が強い人として知られていた。 しかし、その夢の先で待っていたのは—— 異常な長時間労働だった。 何が起きたのか。 2013年から研修医として勤務を開始。 2015年4月、後期研修医として新潟市民病院へ移った後、救急患者対応の呼び出し勤務が急増した。 昼夜を問わず呼び出された。 十分な休息はなかった。 慢性的な疲労が続いていた。 遺族によると、死亡前の時間外労働は最も多い月で251時間に達していた。 過労死ラインは月80時間。 251時間は その3倍を超えていた。 2016年1月24日夜。 木元さんは家族に行き先を告げず、一人で自宅を出た。 翌朝、自宅近くの公園で亡くなっているのが見つかった。 37歳だった。 しかし、この事件には「もう一つの顔」がある。 医療現場では長時間労働が常態化していた。 「医師だから仕方ない」 「患者の命を守るため」 そんな空気が、過酷な労働環境を正当化していた。 木元さんは、看護助手から努力して医師になった人間だった。 ようやく掴んだ夢だった。 それでも その現場は彼女を守れなかった。 🔴 労災認定 2018年7月、新潟労働基準監督署は、木元さんの自殺について「過労が原因」として労災認定する方針を決定した。 長時間労働と精神的負荷の関連が認められた。 しかし—— 刑事責任を問われた人物はいなかった。 251時間働かせた。 救急呼び出しを繰り返した。 命を救う医師が、過労で命を失った。 それでも 「医療現場だから仕方ない」 で終わらせていいのか。 看護助手から努力して医師になった女性が 夢を叶えた先で過労死した。 あなたは、月251時間働かされた末に命を落とした37歳の女性医師について、何を思いますか。

「医師になる夢」を叶えた。 それでも——37歳の女性研修医は過労で命を落とした。 2016年1月、新潟県新潟市。 「新潟市民病院女性研修医過労自殺事件」。 木元文(あや)さんは、看護助手として働きながら医師を目指して勉強を続けていた。 簡単な道ではなかった。 働きながら受験勉強を続け、2007年、新潟大学医学部に合格した。 努力を積み重ね、ようやく夢だった医師になった。 周囲からも真面目で責任感が強い人として知られていた。 しかし、その夢の先で待っていたのは—— 異常な長時間労働だった。 何が起きたのか。 2013年から研修医として勤務を開始。 2015年4月、後期研修医として新潟市民病院へ移った後、救急患者対応の呼び出し勤務が急増した。 昼夜を問わず呼び出された。 十分な休息はなかった。 慢性的な疲労が続いていた。 遺族によると、死亡前の時間外労働は最も多い月で251時間に達していた。 過労死ラインは月80時間。 251時間は その3倍を超えていた。 2016年1月24日夜。 木元さんは家族に行き先を告げず、一人で自宅を出た。 翌朝、自宅近くの公園で亡くなっているのが見つかった。 37歳だった。 しかし、この事件には「もう一つの顔」がある。 医療現場では長時間労働が常態化していた。 「医師だから仕方ない」 「患者の命を守るため」 そんな空気が、過酷な労働環境を正当化していた。 木元さんは、看護助手から努力して医師になった人間だった。 ようやく掴んだ夢だった。 それでも その現場は彼女を守れなかった。 🔴 労災認定 2018年7月、新潟労働基準監督署は、木元さんの自殺について「過労が原因」として労災認定する方針を決定した。 長時間労働と精神的負荷の関連が認められた。 しかし—— 刑事責任を問われた人物はいなかった。 251時間働かせた。 救急呼び出しを繰り返した。 命を救う医師が、過労で命を失った。 それでも 「医療現場だから仕方ない」 で終わらせていいのか。 看護助手から努力して医師になった女性が 夢を叶えた先で過労死した。 あなたは、月251時間働かされた末に命を落とした37歳の女性医師について、何を思いますか。

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「ばあちゃん、ばあちゃん」 4歳の女の子が 7キロの道を一人で歩いてきた。 夏美ちゃんは5回、SOSを出した。 5回とも誰も止めなかった。 2009年11月、夏美ちゃんは死んだ。 兵庫県三田市。 「なっちゃん虐待死事件」。 夏美ちゃんはどんな子だったのか。 利発で人なつっこく、幼稚園でも人気者だった。2歳で実母を病気で亡くし、父の再婚を機に継母と暮らすようになった。「まま、ずうっとすき」その言葉を残した5歳だった。 何が起きたのか。 2009年春、夏美ちゃんは7キロの道を一人で歩いて祖母の家に向かった。継母に「どこでも好きなところに行け」と言われたという。祖母はすぐに市に相談した。 同じ年の夏、幼稚園が頬に叩かれた痕があることに気づいた。児相が一時保護した。しかし1ヶ月ほどで自宅に戻した。保育所に通わせて継母の育児負担を軽くし「見守る」方針にした。 その後も2度、傷を確認した。 2度とも家に返した。 11月、夏美ちゃんは死んだ。 しかし、この事件には「もう一つの顔」がある。 SOS① 祖母が「どこでも行け」と言われたと市に相談した。 SOS② 幼稚園が頬の傷に気づき児相が動いた。 SOS③ 一時保護から1ヶ月で家に返した後、傷を確認した。 SOS④ 再度、傷を確認した。 SOS⑤ 夏美ちゃんは7キロ歩いて逃げていた。 5回のSOSが届かなかった。 重大な虐待事件が起きるたびに、自治体は「検証報告書」をつくる。しかし教訓は生かされず、似たような事件が各地で繰り返されている。 🔴 判決 継母・寺本浩子被告は傷害致死罪で逮捕・起訴され有罪となった。 父親については、虐待を止めなかった保護責任が問われたが、詳細な処分は公表されていない。 祖母は夏美ちゃんを守ろうとした唯一の大人だった。市に相談し、児相に訴えた。しかし児相は動かなかった。祖母は何も悪くなかった。 それでも夏美ちゃんは死んだ。 5回のSOSが届かなかった。 検証報告書が書かれた。 教訓が書かれた。 それでもまた同じ子どもが死んだ。 「まま、ずうっとすき」と言った夏美ちゃんは 7キロ歩いて助けを求めた。 あなたは、5回のSOSが届かず死んだ夏美ちゃんの事件と、その後も同じことが繰り返されているこの国の児童相談所の仕組みに、何を思いますか。

「ばあちゃん、ばあちゃん」 4歳の女の子が 7キロの道を一人で歩いてきた。 夏美ちゃんは5回、SOSを出した。 5回とも誰も止めなかった。 2009年11月、夏美ちゃんは死んだ。 兵庫県三田市。 「なっちゃん虐待死事件」。 夏美ちゃんはどんな子だったのか。 利発で人なつっこく、幼稚園でも人気者だった。2歳で実母を病気で亡くし、父の再婚を機に継母と暮らすようになった。「まま、ずうっとすき」その言葉を残した5歳だった。 何が起きたのか。 2009年春、夏美ちゃんは7キロの道を一人で歩いて祖母の家に向かった。継母に「どこでも好きなところに行け」と言われたという。祖母はすぐに市に相談した。 同じ年の夏、幼稚園が頬に叩かれた痕があることに気づいた。児相が一時保護した。しかし1ヶ月ほどで自宅に戻した。保育所に通わせて継母の育児負担を軽くし「見守る」方針にした。 その後も2度、傷を確認した。 2度とも家に返した。 11月、夏美ちゃんは死んだ。 しかし、この事件には「もう一つの顔」がある。 SOS① 祖母が「どこでも行け」と言われたと市に相談した。 SOS② 幼稚園が頬の傷に気づき児相が動いた。 SOS③ 一時保護から1ヶ月で家に返した後、傷を確認した。 SOS④ 再度、傷を確認した。 SOS⑤ 夏美ちゃんは7キロ歩いて逃げていた。 5回のSOSが届かなかった。 重大な虐待事件が起きるたびに、自治体は「検証報告書」をつくる。しかし教訓は生かされず、似たような事件が各地で繰り返されている。 🔴 判決 継母・寺本浩子被告は傷害致死罪で逮捕・起訴され有罪となった。 父親については、虐待を止めなかった保護責任が問われたが、詳細な処分は公表されていない。 祖母は夏美ちゃんを守ろうとした唯一の大人だった。市に相談し、児相に訴えた。しかし児相は動かなかった。祖母は何も悪くなかった。 それでも夏美ちゃんは死んだ。 5回のSOSが届かなかった。 検証報告書が書かれた。 教訓が書かれた。 それでもまた同じ子どもが死んだ。 「まま、ずうっとすき」と言った夏美ちゃんは 7キロ歩いて助けを求めた。 あなたは、5回のSOSが届かず死んだ夏美ちゃんの事件と、その後も同じことが繰り返されているこの国の児童相談所の仕組みに、何を思いますか。

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閉じられた扉の向こうで、 姉弟は約50日間、待ち続けた。 それでも—— 誰も、助けに来なかった。 3歳の桜子ちゃんは、 冷蔵庫の辛子とマヨネーズを舐めた。 カップ麺の容器も、残らず舐めた。 それを、1歳の弟・楓くんにも分け与えた。 2010年、大阪で起きた 「大阪二児置き去り死事件」。 2010年7月30日、大阪市西区のマンションで 3歳の女の子と1歳9ヶ月の男の子の遺体が発見された。 死後50日。 部屋はゴミと排泄物にまみれていた。 エアコンは止まり、水道も出なかった。 姉弟は何をしていたのか—— 食べ物がなくなると、桜子ちゃんはゴミを漁った。 製氷庫に残った氷の結晶まで舐めた。 それでも弟に分け与え続けた。 最後に桜子ちゃんは食中毒を起こし、 弟より10時間以上早く息絶えた。 母親は、その間どこにいたのか。 男性と過ごし、海水浴に行き、ホテルに泊まっていた。 その様子をSNSに投稿していた。 しかし、この事件には「もう一つの顔」がある。 3月から5月にかけて、 近隣住民が児童相談所に複数回通報していた。 「子どもの泣き声がずっと聞こえる」と。 児相職員は部屋を5回訪問した。 しかし、5回とも—— インターホンを押して、帰った。 ドアを開けなかった。 中を確認しなかった。 調査を打ち切った。 2008年に改正された児童虐待防止法では、 職員が強制的に立ち入る権限が与えられていた。 しかし2011年時点でその権限が使われたのは、 全国でたった3件。 扉一枚を開ける権限があった。 法律も、権限も、通報も、あった。 それでも、二人は死んだ。 🔴 判決 2012年、大阪地裁は懲役30年。 裁判長は 「犯行態様はむごいの一言に尽きる」と述べた。 同時にこうも言った—— 「被告1人を責めるのはいささか酷だ」と。 母親自身も幼少期にネグレクトを受け、 中学時代には性被害に遭い、 22歳で養育費もなく、親族の援助もなく、 公的支援の使い方すら誰も教えてくれなかった。 5回、扉の前に立った大人たちは インターホンを押して帰った。 桜子ちゃんと楓くんが 「お腹すいた」と泣いていたかもしれない扉の前で。 この国のシステムは、 子どもの泣き声より、 「不在確認」という書類を優先した。 あなたは、この事件を 「母親一人の罪」だと思いますか。

閉じられた扉の向こうで、 姉弟は約50日間、待ち続けた。 それでも—— 誰も、助けに来なかった。 3歳の桜子ちゃんは、 冷蔵庫の辛子とマヨネーズを舐めた。 カップ麺の容器も、残らず舐めた。 それを、1歳の弟・楓くんにも分け与えた。 2010年、大阪で起きた 「大阪二児置き去り死事件」。 2010年7月30日、大阪市西区のマンションで 3歳の女の子と1歳9ヶ月の男の子の遺体が発見された。 死後50日。 部屋はゴミと排泄物にまみれていた。 エアコンは止まり、水道も出なかった。 姉弟は何をしていたのか—— 食べ物がなくなると、桜子ちゃんはゴミを漁った。 製氷庫に残った氷の結晶まで舐めた。 それでも弟に分け与え続けた。 最後に桜子ちゃんは食中毒を起こし、 弟より10時間以上早く息絶えた。 母親は、その間どこにいたのか。 男性と過ごし、海水浴に行き、ホテルに泊まっていた。 その様子をSNSに投稿していた。 しかし、この事件には「もう一つの顔」がある。 3月から5月にかけて、 近隣住民が児童相談所に複数回通報していた。 「子どもの泣き声がずっと聞こえる」と。 児相職員は部屋を5回訪問した。 しかし、5回とも—— インターホンを押して、帰った。 ドアを開けなかった。 中を確認しなかった。 調査を打ち切った。 2008年に改正された児童虐待防止法では、 職員が強制的に立ち入る権限が与えられていた。 しかし2011年時点でその権限が使われたのは、 全国でたった3件。 扉一枚を開ける権限があった。 法律も、権限も、通報も、あった。 それでも、二人は死んだ。 🔴 判決 2012年、大阪地裁は懲役30年。 裁判長は 「犯行態様はむごいの一言に尽きる」と述べた。 同時にこうも言った—— 「被告1人を責めるのはいささか酷だ」と。 母親自身も幼少期にネグレクトを受け、 中学時代には性被害に遭い、 22歳で養育費もなく、親族の援助もなく、 公的支援の使い方すら誰も教えてくれなかった。 5回、扉の前に立った大人たちは インターホンを押して帰った。 桜子ちゃんと楓くんが 「お腹すいた」と泣いていたかもしれない扉の前で。 この国のシステムは、 子どもの泣き声より、 「不在確認」という書類を優先した。 あなたは、この事件を 「母親一人の罪」だと思いますか。

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19歳で東京電力に入社した。 父と同じ会社で働くことが、夢だった。 配属された教育係・A氏が 突然、無視を始めた。 現場に一人だけ置いてきぼりにされた。 お菓子を配る時、一人だけ配ってもらえなかった。 ブログに書いた。 「土下座だってする。 以前のような優しい人に戻ってほしい」 2011年6月、山梨県。 「東京電力新人社員いじめ自殺事件」。 芦澤拓磨さん(当時19歳)は高校卒業後、東京電力山梨支店に入社した。父親も東電社員で、同じ会社で働くことが夢だった。2011年6月、入社2年目、未成年のまま自ら命を絶った。 拓磨さんはどんな人だったのか。 母・ひとみさんは語った。 「6月に7回忌を終えましたが、いまだに拓磨が死んだことを受け入れられません。そのうち玄関のドアを開けて帰ってくるんじゃないかと……」 父と同じ会社に入った。 夢を叶えたはずだった19歳だった。 何が起きたのか。 教育係のA氏が突然、無視を始めた。会話をしなくなった。班の人間が現場に出ているのに、拓磨さん一人だけ置いてきぼりにされた。お菓子を配る時も、拓磨さんだけ配ってもらえなかった。 ブログにこう書いた。 「5月11日、誰が俺を嫌っているのかわからない。何が原因かわからない。以前のような優しく、面白い人に戻ってくれるのなら土下座だってする」 遺書には、 「無視されてから本当に辛い日々を送ってきました。無視されたから死ぬなんて馬鹿らしいと思う方もいらっしゃると思います。しかし、私には耐え難い苦痛でした」 と綴られていた。 「馬鹿らしい」とわかっていた。 それでも、耐えられなかった。 しかし、この事件には「もう一つの顔」がある。 父・明さんが東電の内部調査報告書を入手した。そこにはA氏によるいじめが認定されていた。しかし東電は遺族にその調査結果を自発的に開示しなかった。父親が情報を求め続けて、ようやく見せられた。 社内調査で、いじめを認定していた。 それでも、遺族に自発的に伝えなかった。 A氏は処分を受けた。しかし東電は処分の詳細を公表しなかった。 いじめを認定した。 処分した。 詳細は、公表されなかった。 🔴 労災と結末 拓磨さんの死は労災と認定された。しかし刑事責任を問われた者はいなかった。A氏の処分内容は今も公表されていない。 父・明さんは語った。 「拓磨は東電が好きで、私と同じ会社に入ることを夢見ていた。その会社でいじめられて死んだ。なぜ詳細を教えてもらえないのか」 19歳が書いたブログに、すべてが残っていた。 「土下座だってする」と書いた。 「耐え難い苦痛だった」と書いた。 東電は社内でいじめを認定した。 遺族に自発的に伝えなかった。 A氏の処分は公表されなかった。 刑事責任を問われた者は誰もいなかった。 父と同じ会社に入ることが夢だった19歳が その会社の先輩に無視され続けて死んだ。 「無視」という言葉は軽く聞こえる。 しかし19歳には、耐え難い苦痛だった。 あなたは、社内でいじめを認定しながら遺族に伝えず、加害者への処分も公表しなかった東京電力に、何を思いますか。

19歳で東京電力に入社した。 父と同じ会社で働くことが、夢だった。 配属された教育係・A氏が 突然、無視を始めた。 現場に一人だけ置いてきぼりにされた。 お菓子を配る時、一人だけ配ってもらえなかった。 ブログに書いた。 「土下座だってする。 以前のような優しい人に戻ってほしい」 2011年6月、山梨県。 「東京電力新人社員いじめ自殺事件」。 芦澤拓磨さん(当時19歳)は高校卒業後、東京電力山梨支店に入社した。父親も東電社員で、同じ会社で働くことが夢だった。2011年6月、入社2年目、未成年のまま自ら命を絶った。 拓磨さんはどんな人だったのか。 母・ひとみさんは語った。 「6月に7回忌を終えましたが、いまだに拓磨が死んだことを受け入れられません。そのうち玄関のドアを開けて帰ってくるんじゃないかと……」 父と同じ会社に入った。 夢を叶えたはずだった19歳だった。 何が起きたのか。 教育係のA氏が突然、無視を始めた。会話をしなくなった。班の人間が現場に出ているのに、拓磨さん一人だけ置いてきぼりにされた。お菓子を配る時も、拓磨さんだけ配ってもらえなかった。 ブログにこう書いた。 「5月11日、誰が俺を嫌っているのかわからない。何が原因かわからない。以前のような優しく、面白い人に戻ってくれるのなら土下座だってする」 遺書には、 「無視されてから本当に辛い日々を送ってきました。無視されたから死ぬなんて馬鹿らしいと思う方もいらっしゃると思います。しかし、私には耐え難い苦痛でした」 と綴られていた。 「馬鹿らしい」とわかっていた。 それでも、耐えられなかった。 しかし、この事件には「もう一つの顔」がある。 父・明さんが東電の内部調査報告書を入手した。そこにはA氏によるいじめが認定されていた。しかし東電は遺族にその調査結果を自発的に開示しなかった。父親が情報を求め続けて、ようやく見せられた。 社内調査で、いじめを認定していた。 それでも、遺族に自発的に伝えなかった。 A氏は処分を受けた。しかし東電は処分の詳細を公表しなかった。 いじめを認定した。 処分した。 詳細は、公表されなかった。 🔴 労災と結末 拓磨さんの死は労災と認定された。しかし刑事責任を問われた者はいなかった。A氏の処分内容は今も公表されていない。 父・明さんは語った。 「拓磨は東電が好きで、私と同じ会社に入ることを夢見ていた。その会社でいじめられて死んだ。なぜ詳細を教えてもらえないのか」 19歳が書いたブログに、すべてが残っていた。 「土下座だってする」と書いた。 「耐え難い苦痛だった」と書いた。 東電は社内でいじめを認定した。 遺族に自発的に伝えなかった。 A氏の処分は公表されなかった。 刑事責任を問われた者は誰もいなかった。 父と同じ会社に入ることが夢だった19歳が その会社の先輩に無視され続けて死んだ。 「無視」という言葉は軽く聞こえる。 しかし19歳には、耐え難い苦痛だった。 あなたは、社内でいじめを認定しながら遺族に伝えず、加害者への処分も公表しなかった東京電力に、何を思いますか。

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8年の懲役。 それが6歳の命の代償だった。 水につけられ、苦しがって泣いた。 殴られ、蹴られた。 それでも救急車は呼ばれなかった。 小学校に通えず、誰にも見つけられなかった。 そして加害者は8年で社会に戻る。 2012年7月、神奈川県横浜市。 「横浜女児遺棄事件」。 2013年4月21日、横浜市磯子区の雑木林で山口あいりちゃん(当時6歳)の遺体が見つかった。判決などによると、2012年7月22日、あいりちゃんは横浜市南区のアパートの風呂場で暴行を受けて死亡し、その後雑木林に遺棄された。 あいりちゃんはどんな子だったのか。 母の体調を気遣うあいりちゃんの姿が印象に残っているという。洗濯機を回し、乾いた洗濯物を畳み、つわりの和らぐ効果があるという足つぼを竹の棒で押してあげていた。 弁護側が提出したノートには、あいりちゃんが書き残したとみられるメモがあった。妊娠中で交際相手から暴力を振るわれていた母を気遣う言葉が、たどたどしい文字で記されていた。 「だれかままをたすけてくれないかな」 母を心配する優しい6歳だった。 何が起きたのか。 あいりちゃんは千葉県松戸市や秦野市、横浜市などを転々とし、小学校に通っていなかった。 母・山口行恵被告は2011年6月、あいりちゃんを茨城県の実家から引き取った。 「一緒に暮らしたい」 というあいりちゃんの願いに、家族の反対を承知で応えた。 翌2012年5月、出会い系サイトで知り合った八井隆一被告のアパートに、あいりちゃんと次女を連れて転居した。 八井被告からは「月30万円以上の収入がある」と聞いていたが、実際には家賃を払うと1、2万円程度しか残らなかった。 そのころから、あいりちゃんへの暴行が始まった。 あいりちゃんが以前住んでいた祖父母の家に「帰りたい」とせがむようになったため、2012年4月ごろから虐待が繰り返されたという。 帰りたいと言っていた。 それでも帰れなかった。 7月22日夜、あいりちゃんが足を踏んだことに腹を立てた母親が、浴室でシャワーの水をかけ、八井被告に「しつけ」を頼んだ。 八井被告は 「風呂場で浴槽の水に顔をつけたら苦しがって泣いた。母親も水をかけてたたいた」 と供述した。 殴ったり蹴ったりした後、服を着たまま水につける暴行を加え、そのまま放置した。 「しばらくして倒れるような音がした」 という。 あいりちゃんが倒れた後、母親は救急車を呼ぼうと考えた。 しかし、 「自分の暴力もばれてしまう」 「次女と一緒に暮らせなくなる」 と思いとどまった。 救急車を呼ぼうとした。 それでも、呼ばなかった。 しかし、この事件には「もう一つの顔」がある。 あいりちゃんは小学校に通っていなかった。 安否確認は難航していた。 千葉県松戸市、秦野市、横浜市と転居を繰り返す中で、自治体や児童相談所など関係機関の間の情報共有に課題があったことが、事件後に浮き彫りになった。 学校に通っていない子どもの存在を誰も追えなかった。 転居するたびに情報は引き継がれなかった。 🔴 判決 母・山口行恵被告は死体遺棄罪などで起訴された。 被告人質問では、あいりちゃんの死を受け止められず、八井被告が遺体を埋める際に何をしているか分からなかったと述べ、死体遺棄罪を否認した。 八井隆一被告は傷害致死と死体遺棄の罪に問われた。 横浜地裁は懲役8年の判決を言い渡した。 八井被告は控訴期限までに控訴せず、判決が確定した。 判決確定前、八井受刑者は神奈川新聞の取材に応じた。 「あいりちゃんがストレスのはけ口になってしまった。自分の命と取り換えてでも、生きさせてあげたい」 と語った。 手紙にはこうも書かれていた。 「今思うとしつけなのか、ストレスのはけ口なのかよくわからないでいた」 「しつけ」と「ストレスのはけ口」 その境界線すら、自分でわからなかったと言った。 母親が頼んだ「しつけ」が暴行になった。 水につけられ、苦しがって泣いた。 それでも救急車は呼ばれなかった。 小学校に通えず、誰にも見つけられなかった。 あいりちゃんが書いたメモには 「だれかままをたすけてくれないかな」 とあった。 母を助けたいと願った6歳は 誰にも助けてもらえなかった。 長時間にわたる暴行で6歳の命を奪った罪に対する刑罰が懲役8年だけだったこと。 あなたはこの量刑を、十分だと思いますか。 あいりちゃんが書いた 「だれかままをたすけてくれないかな」 というメモは、彼女自身の命の重さを問いかけているように思えます。 6歳が暴行で死亡した罪に対して、懲役8年。 あなたはこの量刑を、十分だと思いますか。

8年の懲役。 それが6歳の命の代償だった。 水につけられ、苦しがって泣いた。 殴られ、蹴られた。 それでも救急車は呼ばれなかった。 小学校に通えず、誰にも見つけられなかった。 そして加害者は8年で社会に戻る。 2012年7月、神奈川県横浜市。 「横浜女児遺棄事件」。 2013年4月21日、横浜市磯子区の雑木林で山口あいりちゃん(当時6歳)の遺体が見つかった。判決などによると、2012年7月22日、あいりちゃんは横浜市南区のアパートの風呂場で暴行を受けて死亡し、その後雑木林に遺棄された。 あいりちゃんはどんな子だったのか。 母の体調を気遣うあいりちゃんの姿が印象に残っているという。洗濯機を回し、乾いた洗濯物を畳み、つわりの和らぐ効果があるという足つぼを竹の棒で押してあげていた。 弁護側が提出したノートには、あいりちゃんが書き残したとみられるメモがあった。妊娠中で交際相手から暴力を振るわれていた母を気遣う言葉が、たどたどしい文字で記されていた。 「だれかままをたすけてくれないかな」 母を心配する優しい6歳だった。 何が起きたのか。 あいりちゃんは千葉県松戸市や秦野市、横浜市などを転々とし、小学校に通っていなかった。 母・山口行恵被告は2011年6月、あいりちゃんを茨城県の実家から引き取った。 「一緒に暮らしたい」 というあいりちゃんの願いに、家族の反対を承知で応えた。 翌2012年5月、出会い系サイトで知り合った八井隆一被告のアパートに、あいりちゃんと次女を連れて転居した。 八井被告からは「月30万円以上の収入がある」と聞いていたが、実際には家賃を払うと1、2万円程度しか残らなかった。 そのころから、あいりちゃんへの暴行が始まった。 あいりちゃんが以前住んでいた祖父母の家に「帰りたい」とせがむようになったため、2012年4月ごろから虐待が繰り返されたという。 帰りたいと言っていた。 それでも帰れなかった。 7月22日夜、あいりちゃんが足を踏んだことに腹を立てた母親が、浴室でシャワーの水をかけ、八井被告に「しつけ」を頼んだ。 八井被告は 「風呂場で浴槽の水に顔をつけたら苦しがって泣いた。母親も水をかけてたたいた」 と供述した。 殴ったり蹴ったりした後、服を着たまま水につける暴行を加え、そのまま放置した。 「しばらくして倒れるような音がした」 という。 あいりちゃんが倒れた後、母親は救急車を呼ぼうと考えた。 しかし、 「自分の暴力もばれてしまう」 「次女と一緒に暮らせなくなる」 と思いとどまった。 救急車を呼ぼうとした。 それでも、呼ばなかった。 しかし、この事件には「もう一つの顔」がある。 あいりちゃんは小学校に通っていなかった。 安否確認は難航していた。 千葉県松戸市、秦野市、横浜市と転居を繰り返す中で、自治体や児童相談所など関係機関の間の情報共有に課題があったことが、事件後に浮き彫りになった。 学校に通っていない子どもの存在を誰も追えなかった。 転居するたびに情報は引き継がれなかった。 🔴 判決 母・山口行恵被告は死体遺棄罪などで起訴された。 被告人質問では、あいりちゃんの死を受け止められず、八井被告が遺体を埋める際に何をしているか分からなかったと述べ、死体遺棄罪を否認した。 八井隆一被告は傷害致死と死体遺棄の罪に問われた。 横浜地裁は懲役8年の判決を言い渡した。 八井被告は控訴期限までに控訴せず、判決が確定した。 判決確定前、八井受刑者は神奈川新聞の取材に応じた。 「あいりちゃんがストレスのはけ口になってしまった。自分の命と取り換えてでも、生きさせてあげたい」 と語った。 手紙にはこうも書かれていた。 「今思うとしつけなのか、ストレスのはけ口なのかよくわからないでいた」 「しつけ」と「ストレスのはけ口」 その境界線すら、自分でわからなかったと言った。 母親が頼んだ「しつけ」が暴行になった。 水につけられ、苦しがって泣いた。 それでも救急車は呼ばれなかった。 小学校に通えず、誰にも見つけられなかった。 あいりちゃんが書いたメモには 「だれかままをたすけてくれないかな」 とあった。 母を助けたいと願った6歳は 誰にも助けてもらえなかった。 長時間にわたる暴行で6歳の命を奪った罪に対する刑罰が懲役8年だけだったこと。 あなたはこの量刑を、十分だと思いますか。 あいりちゃんが書いた 「だれかままをたすけてくれないかな」 というメモは、彼女自身の命の重さを問いかけているように思えます。 6歳が暴行で死亡した罪に対して、懲役8年。 あなたはこの量刑を、十分だと思いますか。

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マンガが好きだった。 アニメが好きだった。 ゲームが好きだった。 夢はペットトリマーだった。 その専門学校へ通うための資金を貯めようと 加野青果に入社した。 入社3ヶ月後から 「てめえ」「ばかじゃないの」が始まった。 2012年6月、愛知県名古屋市。 「加野青果社員パワハラ自殺事件」。 伊佐間綾奈さんは1991年生まれ。地元の私立高校卒業後、2009年4月に野菜・果物の卸売企業「加野青果株式会社」(愛知県名古屋市)に正社員として入社した。経理部に配属された。ペットトリマーになる夢があり、その専門学校へ通うための資金を貯めようと働き始めた。 綾奈さんはどんな子だったのか。 マンガ、アニメ、ゲームが好きな普通の21歳だった。夢を持ち、資金を貯めながら次のステップへ向かおうとしていた。 何が起きたのか。 入社後、職場では日常的に 「てめえ、このやろう」 「あんた、同じミスばかりして」 「ゆとりは使えない」 などと厳しい口調で叱責された。 綾奈さんの出身高校から来るやつは使えないと暴言を吐かれていた。 入社約3ヶ月後から、指導的な立場にあった先輩女性社員2人に呼び出されて 「てめえ」 「ばかじゃないの」 と威圧的な言葉でミスを指摘されるなどのいじめが長期間続いた。 担務が替わり、業務に慣れず時間外労働が月58時間を超えた際、休日に先輩社員から電話で叱られることもあった。2011年末ごろうつ状態になり、2012年6月中旬、自宅マンションから飛び降り自殺した。 休日も 電話で叱られた。 うつ病になっても 出勤し続けた。 しかし、この事件には「もう一つの顔」がある。 会社の取締役Fに対して、綾奈さんへのいじめがあると申告した社員がいた。Fは加害者に「優しい口調で指導するよう促した」だけだった。その後も何も変わらなかった。 社内にいじめが伝わった。 会社の対応は 「優しく指導するよう促す」 だけだった。 会社はいじめを知りながら放置した上、十分な引継をすることなく配置転換を実施し、過重な業務を担当させた。 知っていた。 それでも何も止めなかった。 さらに 慣れない業務に異動させた。 🔴 裁判と判決 一審・名古屋地裁は先輩2人のパワハラの不法行為性は認めたものの、自死との因果関係を否定。会社への賠償は165万円にとどまった。 パワハラは認めた。 死との因果関係は「否定」した。 控訴審・名古屋高裁は2017年11月30日、自殺とパワハラの因果関係を認め、賠償額を約5500万円に大幅増額した。裁判長は 「先輩社員の叱責を認識しながら放置し、注意義務を怠った」 として会社の責任を認定した。 2018年11月13日、最高裁で高裁判決が確定した。 「てめえ」「ばかじゃないの」と言い続けた。 会社は知っていた。 「優しく話すよう促した」だけだった。 うつ病になっても放置された。 21歳で死んだ。 一審は因果関係を否定した。 高裁でようやく 5500万円が認められた。 ペットトリマーになる夢は 叶わなかった。 あなたは、「てめえ」「ばかじゃないの」と言い続けた先輩と、それを知りながら放置した会社に、何を思いますか。

マンガが好きだった。 アニメが好きだった。 ゲームが好きだった。 夢はペットトリマーだった。 その専門学校へ通うための資金を貯めようと 加野青果に入社した。 入社3ヶ月後から 「てめえ」「ばかじゃないの」が始まった。 2012年6月、愛知県名古屋市。 「加野青果社員パワハラ自殺事件」。 伊佐間綾奈さんは1991年生まれ。地元の私立高校卒業後、2009年4月に野菜・果物の卸売企業「加野青果株式会社」(愛知県名古屋市)に正社員として入社した。経理部に配属された。ペットトリマーになる夢があり、その専門学校へ通うための資金を貯めようと働き始めた。 綾奈さんはどんな子だったのか。 マンガ、アニメ、ゲームが好きな普通の21歳だった。夢を持ち、資金を貯めながら次のステップへ向かおうとしていた。 何が起きたのか。 入社後、職場では日常的に 「てめえ、このやろう」 「あんた、同じミスばかりして」 「ゆとりは使えない」 などと厳しい口調で叱責された。 綾奈さんの出身高校から来るやつは使えないと暴言を吐かれていた。 入社約3ヶ月後から、指導的な立場にあった先輩女性社員2人に呼び出されて 「てめえ」 「ばかじゃないの」 と威圧的な言葉でミスを指摘されるなどのいじめが長期間続いた。 担務が替わり、業務に慣れず時間外労働が月58時間を超えた際、休日に先輩社員から電話で叱られることもあった。2011年末ごろうつ状態になり、2012年6月中旬、自宅マンションから飛び降り自殺した。 休日も 電話で叱られた。 うつ病になっても 出勤し続けた。 しかし、この事件には「もう一つの顔」がある。 会社の取締役Fに対して、綾奈さんへのいじめがあると申告した社員がいた。Fは加害者に「優しい口調で指導するよう促した」だけだった。その後も何も変わらなかった。 社内にいじめが伝わった。 会社の対応は 「優しく指導するよう促す」 だけだった。 会社はいじめを知りながら放置した上、十分な引継をすることなく配置転換を実施し、過重な業務を担当させた。 知っていた。 それでも何も止めなかった。 さらに 慣れない業務に異動させた。 🔴 裁判と判決 一審・名古屋地裁は先輩2人のパワハラの不法行為性は認めたものの、自死との因果関係を否定。会社への賠償は165万円にとどまった。 パワハラは認めた。 死との因果関係は「否定」した。 控訴審・名古屋高裁は2017年11月30日、自殺とパワハラの因果関係を認め、賠償額を約5500万円に大幅増額した。裁判長は 「先輩社員の叱責を認識しながら放置し、注意義務を怠った」 として会社の責任を認定した。 2018年11月13日、最高裁で高裁判決が確定した。 「てめえ」「ばかじゃないの」と言い続けた。 会社は知っていた。 「優しく話すよう促した」だけだった。 うつ病になっても放置された。 21歳で死んだ。 一審は因果関係を否定した。 高裁でようやく 5500万円が認められた。 ペットトリマーになる夢は 叶わなかった。 あなたは、「てめえ」「ばかじゃないの」と言い続けた先輩と、それを知りながら放置した会社に、何を思いますか。

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時速150キロ以上、 無免許の18歳が、30時間以上車を走らせていた。 朝8時、 集団登校中の児童の列に突っ込んだ。 最後尾にいたのは、 妊娠7ヶ月の母親だった。 3人が死亡。 お腹の赤ちゃんも亡くなった。 7人が重軽傷を負った。 危険運転致死傷罪は適用されなかった。 そして10年後、 裁判記録は、ゴミと一緒に処分されていた。 2012年4月23日、京都府亀岡市。 「亀岡暴走事故」。 2012年4月23日午前8時ごろ、京都府亀岡市篠町で、集団登校中の安詳小学校の児童らの列に軽自動車が突っ込んだ。最後尾を歩いていた保護者の松村幸姫さん(当時26歳、妊娠7ヶ月)と、小学2年の小谷真緒さん(当時7歳)、小学3年の横山奈緒さん(当時8歳)が死亡し、児童7人が重軽傷を負った。 被害者はどんな人たちだったのか。 幸姫さんは、わが子の登校に付き添っていた母親だった。お腹の赤ちゃんには「愛鈴」という名前がつけられていた。父・中江美則さんは、娘の通夜に1100人が訪れ、お腹の子の名前も会場に置かれたと振り返る。 真緒さんと奈緒さんは、まだ小学2年生と3年生だった。 ランドセルを背負って、いつもと同じ朝を歩いていた。 何が起きたのか。 軽自動車を運転していたのは18歳の無免許の少年だった。事故前日の4月22日午前0時頃から友人ら8人前後と車2台に分乗し、京都市内と亀岡市内を入れ替わりながら約30時間にわたり車で走り回っていた。事故直前は疲労でほぼ意識がない状態で運転していたとみられている。 少年は150km以上のスピードで運転していた。 30時間、寝ていなかった。 無免許だった。 それでも、運転を続けた。 午前7時58分ごろ、軽自動車は集団登校する列に突っ込み、最後尾の保護者から順に10人を次々にはねた。 しかし、この事件には「もう一つの顔」がある。 危険運転致死傷罪が適用されなかった。 少年は2年前にも暴走族として無免許でバイクを運転し、集団暴走の道路交通法違反で逮捕され、保護観察処分を受けていた。検察はこの「常習性」を危険運転致死傷罪の適用根拠として主張したが、裁判では認められず、より軽い自動車運転過失致死傷罪が適用された。 無免許運転を繰り返していた事実があっても、 危険運転致死傷罪は適用されなかった。 事故から2日後、亀岡警察署の担当者が、被害者の同意なく、加害少年の父親に被害者の住所・電話番号を教えていたことも判明した。小学校の教頭も同様に情報を漏らしていた。日弁連は「深刻な二次被害を与える可能性があり、極めて遺憾」と表明した。 被害者の情報は、同意なく加害者側に渡った。 それを漏らした警察官と教頭は、起訴猶予で処分された。 🔴 判決とその後 2013年2月、京都地裁は運転していた少年に懲役5年以上8年以下の不定期刑を言い渡した。検察・遺族側は「軽すぎる」として控訴し、弁護側も「重すぎる」として控訴した。2013年9月、大阪高裁は懲役5年以上9年以下の不定期刑に変更し、双方が上告せず確定した。 同乗していた少年2人と、無免許と知りながら車を貸した少年は、保護処分(少年院送致など)となり、執行猶予がついた。現在も事故現場の近くで生活していると報じられている。 民事訴訟では元少年らに約1500万円の賠償が命じられたが、被害者遺族が求めていた危険運転致死傷罪の適用は、最後まで認められなかった。 父・中江美則さんは、危険運転致死傷罪に無免許運転を加える法改正を求める20万人以上の署名を集めた。その活動は「自動車運転死傷行為処罰法」(2014年施行)の制定につながった。 そして事故から10年後。 中江さんは、神戸連続児童殺傷事件をきっかけに発覚した「重大少年事件記録の廃棄問題」で、娘の事件記録も京都家裁によって既に廃棄されていたことを知った。「裁判所は、娘の叫び、無念、怒りが詰まった記録を、何の断りもなくごみ同然に捨てた」と中江さんは語った。 遺族は、裁判記録は残されるものだと信じていた。 しかし、実際には処分されていた。 無免許で約30時間車を走らせた。 危険運転致死傷罪は適用されなかった。 被害者の個人情報は無断で加害者側に渡った。 漏らした警察官・教頭は不起訴になった。 10年後、事件記録はゴミとして処分された。 3人の命と、1人の胎児の命が奪われた。 それでも、「危険運転」とは認定されなかった。 あなたは、無免許で長時間運転し3人を死亡させても危険運転致死傷罪が適用されず、その裁判記録さえ10年後に処分されたこの国の制度に、何を思いますか。

Ajay Verma (アジャイ・ヴェルマ)

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「ママ大好き」 「おしごとがんばって」 7歳の眞輝くんが そう言って眠りについた。 その夜だった。 寝室の押し入れに ガソリンがまかれた。 火がつけられた。 12歳の侑城くんと7歳の眞輝くん。 2人とも就寝中だった。 放火したのは伯父だった。 動機は両親への憎しみだった。 求刑は死刑だった。 判決は懲役30年だった。 2021年11月、兵庫県稲美町。 「稲美町兄弟放火殺人事件」。 2021年11月19日深夜、兵庫県稲美町岡の木造2階建ての自宅で、押し入れ内の布団にガソリンをまいて火を放ち全焼させ、就寝中だった当時小学6年の松尾侑城くん(12歳)と、小学1年の眞輝くん(7歳)が殺害された。 侑城くんと眞輝くんはどんな子だったのか。 野球が好きな兄弟だった。 両親は「あったはずの未来を」と、息子たちとの思い出を語った。 「ママ大好き」 「おしごとがんばって」 眞輝くんが日頃から両親に伝えていた言葉だった。 野球を続けていたはずだった。 両親に「ママ大好き」と言っていたはずだった。 その未来は一夜で奪われた。 何が起きたのか。 逮捕されたのは、兄弟と同居していた伯父・松尾留与被告(53歳、当時)。 無職だった。 検察側の指摘によると、動機は同居する妹夫婦(兄弟の両親)への憎しみだった。 「子どもを狙った」とされ、「両親に苦痛を与えようと思い」殺意を抱いたとされた。 妹夫婦が被告の行動を監視するため自宅にカメラを設置していたことが、被告の怒りを増幅させていた。 「カメラで監視されたと怒り」 検察側はこれを動機の一つとして指摘した。 放火後、被告はコンビニで食料品を購入し、逃走の準備を速やかに進めていた。 恨みの対象は両親だった。 殺されたのは何の関係もない子どもたちだった。 しかし、この事件には「もう一つの顔」がある。 裁判長は何と言ったのか。 神戸地裁姫路支部の佐藤洋幸裁判長は、判決でこう述べた。 「結果は極めて重大。恨みの対象ではない子どもを殺害したことは、身勝手で悪質。命を軽視している」 それでも死刑ではなかった。 裁判長は「妹夫婦が被告の行動を監視するため、自宅にカメラを設置したことなどから、被告は相当追い込まれた精神状態にあった」とし、「妹夫婦に恨みを抱いたことは無理からぬ面があった」と述べた。 恨みを抱くに至った経緯には 「無理からぬ面があった」とされた。 殺されたのは、その恨みとは無関係の子どもだった。 さらに、被告に軽度の知的障害があり「軽微とはいえ事件に影響を与えたことは否定できない」として、量刑から死刑と無期懲役を外し、「有期刑が相当」と結論づけた。 🔴 判決 2024年、神戸地裁姫路支部は裁判員裁判で懲役30年(求刑死刑)の判決を言い渡した。 検察は控訴し、控訴審で「恨みの対象ではない兄弟の殺害は、無差別殺人に通じる理不尽極まりない犯行」と主張した。 しかし2025年3月14日、大阪高裁の伊藤寿裁判長は一審判決を支持し、検察側の控訴を棄却した。 動機についても「同居していた妹夫婦の被告に対する態度に行き過ぎた面があり、恨みを晴らそうとしたことには無理からぬ面があった」と一審判決を追認した。 量刑が「軽すぎて不当とは言えない」とされ、検察・被告側ともに上告せず、懲役30年が確定した。 7歳と12歳の兄弟が、就寝中に放火され殺害された。 動機は両親への恨みだった。 殺されたのは、その恨みとは無関係の子どもだった。 求刑は死刑だった。 判決は懲役30年だった。 裁判所は、妹夫婦への恨みを抱くに至った経緯には「無理からぬ面があった」と判断した。 殺された子どもたちには何の落ち度もなかった。 父親は控訴審後、語った。 「恨みの矛先が子どもたちへ向かったことが悔しい」 「事件当時から時間は止まったまま」 あなたは、恨みの対象ではない7歳と12歳の兄弟が殺害され、求刑死刑に対して懲役30年となったこの判決を、どう思いますか。

Ajay Verma (アジャイ・ヴェルマ)

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熊谷警察署で取り調べ中、 被疑者は脱走した。 「タバコを吸いに行く」と言って そのまま戻らなかった。 3日間の逃走の末、 6人が殺された。 10歳の美咲さん。 7歳の春花さん。 その母・美和子さん。 夫は 3人を一度に失った。 裁判員裁判は死刑を選んだ。 高裁は無期懲役に覆した。 警察は逃走の事実を 住民に知らせなかった。 2015年9月、埼玉県熊谷市。 「熊谷6人殺害事件」。 2015年9月13日、熊谷警察署で任意同行され取り調べを受けていたペルー国籍のナカダ・ルデナ・バイロン・ジョナタン(当時30歳)が、喫煙を装って逃走した。3日間にわたる逃走の間に3軒の住宅に侵入し、男女6人を次々に殺害した。 被害者はどんな人たちだったのか。 加藤裕希さんは、妻・美和子さん(41歳)、長女・美咲さん(10歳、小学5年)、次女・春花さん(7歳、小学2年)の3人を一度に失った。事件発生約4ヶ月前に撮影された美咲さんと春花さんの写真が、今も加藤さんの手元に残されている。 加藤さんは語った。 「本心を言えば、もう死にたいという気持ちです。私は全部を失って生きる希望がありません」 家族3人を 一度に奪われた。 何が起きたのか。 9月14日夕方、ナカダは熊谷市内の住宅に押し入り、50代の夫婦を殺害した。15日から16日にかけて、80代の女性を殺害。その後、加藤さんの自宅に侵入し、妻と娘2人を殺害した。後の捜査で、長女・美咲さんに性的加害をしていたことも明らかになった。 ナカダは加藤さん宅で発見された際、2階から飛び降り頭部を強打。意識不明の重体となったが、9月24日に意識を回復し、10月8日に逮捕された。 3人を殺害したあとも その場にとどまっていた。 しかし、この事件には「もう一つの顔」がある。 埼玉県警は何をしていたのか。 ナカダが逃走した翌日、9月14日に最初の夫婦が殺害された。県警は事件発生から約7時間後、ナカダを参考人として全国手配していた。つまり「男の犯行」とほぼ断定し、逃走の事実とさらなる事件発生の危険性を認識していた。 それでも県警は地域住民にこの事実を広報しなかった。 加藤さんが家族を殺された後になって、初めてナカダの逃走を知った。 危険性を認識していた。 それでも知らせなかった。 🔴 判決と二重の闘い 2018年、さいたま地裁の裁判員裁判は死刑判決を言い渡した。検察側は「金を奪う目的で6人を殺害した」「自己防衛的な行動を取っており違法性を認識していた」として完全責任能力を主張した。 しかし2019年、東京高裁は一審を破棄し、統合失調症による心神耗弱を理由に無期懲役とした。検察は上告を断念。弁護側のみが上告したが、2020年9月、最高裁は上告を棄却し、無期懲役が確定した。 6人を殺害したにもかかわらず、 心神耗弱が認定され、 判決は無期懲役となった。 加藤さんは被害者参加制度を利用し、法廷でナカダに直接問いかけた。判決確定後、加藤さんは語った。 「司法はもっと被害者に寄り添ってほしい。控訴審が無期懲役としたのは誤審だと思う」 刑事裁判で終わりではなかった。 加藤さんは「最初の事件の段階で住民に注意喚起していれば家族の被害は防げた」として、埼玉県を相手に国家賠償請求訴訟を起こした。 2022年、さいたま地裁は請求を棄却。2023年、東京高裁も控訴を退けた。 「県警の対応は不合理だとは言えない」 とされた。 刑事裁判で無期懲役になった。 民事訴訟でも県の責任は認められなかった。 加藤さんは2024年、最高裁に上告した。 「これが最後になる」 と語った。 危険人物が逃走していた。 県警はそれを知っていた。 住民には知らされなかった。 3人が殺された。 裁判では死刑が無期懲役に覆った。 県の責任も認められなかった。 加藤さんは家族の遺影を前に、 今も一人で生き続けている。 あなたは、危険性を認識していながら住民に知らせなかった県警の対応と、6人を殺害したにもかかわらず無期懲役となったこの判決に、何を思いますか。

Ajay Verma (アジャイ・ヴェルマ)

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中学時代の後輩から頼みごとがあった。 15歳の聡至さんは 面識すらない7人から 素手、鉄パイプ、角材で殴られた。 バイクで轢かれた。 髪に火をつけられた。 9日後、死んだ。 加害者10人のうち最年少は14歳。 誰もが2年以内に退院した。 1997年8月27日、兵庫県稲美町。 「稲美町集団暴行死事件」。 1997年8月27日、高松聡至さん(当時15歳)が中学時代の友人3人と、面識すらない7人から、素手、鉄パイプ、角材による暴行を受けた。さらにバイクで轢かれ、髪の毛を燃やされるなどの集団リンチに遭い、9日後に亡くなった。現場は自宅から200メートルほどの、木々に囲まれた神社だった。 聡至さんはどんな子だったのか。 高校進学後は寮生活を送っていた。事件当日は夏休みで帰省していた。中学時代の後輩から頼み事があり、それに応じたことがすべての始まりだった。 夏休みに帰省していただけだった。 後輩に頼まれて出かけただけだった。 何が起きたのか。 中学時代の友人3人と一緒にいたところ、面識すらない7人の少年たちに襲われた。素手だけではなかった。鉄パイプで殴られた。角材で殴られた。バイクで轢かれた。髪の毛に火をつけられた。 面識のない7人がなぜ襲ったのか。 詳しい経緯は明らかにされていない。 9日間、聡至さんは生死の境にいた。 そして死んだ。 しかし、この事件には「もう一つの顔」がある。 犯行当時14歳から16歳だった少年10人は、傷害致死の非行事実で家庭裁判所に送致され、少年院に送られた。 しかし、全員が2年以内に退院した。 素手だけでなく、鉄パイプと角材を使った。 バイクで轢いた。 髪に火をつけた。 9日間苦しめて死に至らせた。 その罰は2年以内の少年院送致だった。 🔴 被害者支援の現実 事件があった1997年当時、兵庫県にはまだ、犯罪被害に遭った人やその家族を支援する制度がほとんど整っていなかった。 息子を殺された両親は、何の支援も受けられないまま、この事件と向き合うことになった。 制度がなかった。 支援がなかった。 両親はただ一人で苦しんだ。 15歳の聡至さんは、後輩に頼まれて出かけた先で、面識のない7人に襲われた。 鉄パイプで殴られ、バイクで轢かれ、髪に火をつけられ、9日間苦しんで死んだ。 加害者10人は全員2年以内に社会に戻った。 被害者の家族には支援する制度すらなかった。 あなたは、鉄パイプや角材、バイクを使った集団リンチで15歳が死亡し、加害者10人全員が2年以内に少年院を退院したこの事件に、何を思いますか。

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少女が苦しむ姿を見たかった。 それが加害者の性癖だった。 9歳の侑子ちゃんは お腹から血を流し、うつ伏せで倒れていた。 防御創はなかった。 衣服の乱れもなかった。 指紋も足跡も目撃情報もなかった。 事件は14年間闇の中だった。 そして加害者はその間に 4人の少女を襲っていた。 2004年9月3日、岡山県津山市。 「津山小3女児殺害事件」。 2004年9月3日午後3時35分頃、岡山県津山市総社に住んでいた小学3年の筒塩侑子(つつしお ゆきこ)ちゃん(当時9歳)が、自宅で殺害されているのが発見された。発見したのは学校から帰宅した高校生の姉(当時15歳)だった。 侑子ちゃんはどんな子だったのか。 司法解剖の結果、侑子ちゃんは胸や腹などを幅の狭い凶器で数ヶ所刺されていた。死因は失血死か窒息死だった。衣服に乱れは全くなく、手に防御創もなく、首を絞めた跡や口や鼻を抑えた形跡もなかった。室内に物色した形跡もなかった。 抵抗の痕跡すらなかった。 何もかもがわからなかった。 何が起きたのか。 犯人の指紋や足跡、目撃情報もなく、犯行の動機も全てが不明だった。事件は長年未解決のままだった。 2008年3月19日、侑子ちゃんが通っていた津山市立北小学校で卒業式が行われた。亡くなった侑子ちゃんにも卒業証書が授与された。 同級生が卒業する日、侑子ちゃんは卒業証書を受け取った。 本人はもういなかった。 しかし、この事件には「もう一つの顔」がある。 加害者はその14年間、何をしていたのか。 2000年、兵庫県明石市で女児6人に対し、腹部をげんこつで殴ったり、下腹部を触ったりするなどした暴行・強制わいせつの罪で有罪判決(執行猶予付き)を受けた。 2004年、津山で侑子ちゃんを殺害した。捜査の手は及ばなかった。 2009年、兵庫県姫路市・三木市・太子町で少女5人の腹部を殴るなどし、懲役4年の実刑判決を受けた。 2015年、姫路市で中学3年の女子生徒をナイフで刺し重傷を負わせた。 侑子ちゃんを殺害した後も 少女たちへの暴行を繰り返していた。 6人。5人。そして中学生。 加害者は「少女が苦しむ姿を見ることで性的に興奮する」という性癖を持っていた。 14年間、誰も気づかなかった。 その間に何人もの少女が被害に遭った。 🔴 逮捕と判決 2018年5月、別の殺人未遂事件で服役していた勝田州彦(当時39歳)が被疑者として逮捕された。事件発生から実に14年が経っていた。 2022年1月、岡山地裁は無期懲役の判決を言い渡した。勝田は裁判で無罪を主張し続けていたが、2023年9月、最高裁が上告を棄却し、無期懲役が確定した。 無罪を主張し続けた5年間。 2024年、フリーライター宛の手記で初めて自身が真犯人であることを認めた。 14年間、誰も捕まえられなかった。 その間に加害者は6人、5人、1人の少女を傷つけた。 逮捕後も5年間、無罪を主張した。 判決確定後にようやく罪を認めた。 侑子ちゃんが死んだ年、加害者を止められなかった。 その後に被害を受けた少女たちも救えなかった。 もし2004年に逮捕されていたら、 その後の被害者は生まれなかったのではないか。 あなたは、14年間捕まらなかった加害者がその間に何人もの少女を傷つけ続けたこの事件に、何を思いますか。
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少女が苦しむ姿を見たかった。 それが加害者の性癖だった。 9歳の侑子ちゃんは お腹から血を流し、うつ伏せで倒れていた。 防御創はなかった。 衣服の乱れもなかった。 指紋も足跡も目撃情報もなかった。 事件は14年間闇の中だった。 そして加害者はその間に 4人の少女を襲っていた。 2004年9月3日、岡山県津山市。 「津山小3女児殺害事件」。 2004年9月3日午後3時35分頃、岡山県津山市総社に住んでいた小学3年の筒塩侑子(つつしお ゆきこ)ちゃん(当時9歳)が、自宅で殺害されているのが発見された。発見したのは学校から帰宅した高校生の姉(当時15歳)だった。 侑子ちゃんはどんな子だったのか。 司法解剖の結果、侑子ちゃんは胸や腹などを幅の狭い凶器で数ヶ所刺されていた。死因は失血死か窒息死だった。衣服に乱れは全くなく、手に防御創もなく、首を絞めた跡や口や鼻を抑えた形跡もなかった。室内に物色した形跡もなかった。 抵抗の痕跡すらなかった。 何もかもがわからなかった。 何が起きたのか。 犯人の指紋や足跡、目撃情報もなく、犯行の動機も全てが不明だった。事件は長年未解決のままだった。 2008年3月19日、侑子ちゃんが通っていた津山市立北小学校で卒業式が行われた。亡くなった侑子ちゃんにも卒業証書が授与された。 同級生が卒業する日、侑子ちゃんは卒業証書を受け取った。 本人はもういなかった。 しかし、この事件には「もう一つの顔」がある。 加害者はその14年間、何をしていたのか。 2000年、兵庫県明石市で女児6人に対し、腹部をげんこつで殴ったり、下腹部を触ったりするなどした暴行・強制わいせつの罪で有罪判決(執行猶予付き)を受けた。 2004年、津山で侑子ちゃんを殺害した。捜査の手は及ばなかった。 2009年、兵庫県姫路市・三木市・太子町で少女5人の腹部を殴るなどし、懲役4年の実刑判決を受けた。 2015年、姫路市で中学3年の女子生徒をナイフで刺し重傷を負わせた。 侑子ちゃんを殺害した後も 少女たちへの暴行を繰り返していた。 6人。5人。そして中学生。 加害者は「少女が苦しむ姿を見ることで性的に興奮する」という性癖を持っていた。 14年間、誰も気づかなかった。 その間に何人もの少女が被害に遭った。 🔴 逮捕と判決 2018年5月、別の殺人未遂事件で服役していた勝田州彦(当時39歳)が被疑者として逮捕された。事件発生から実に14年が経っていた。 2022年1月、岡山地裁は無期懲役の判決を言い渡した。勝田は裁判で無罪を主張し続けていたが、2023年9月、最高裁が上告を棄却し、無期懲役が確定した。 無罪を主張し続けた5年間。 2024年、フリーライター宛の手記で初めて自身が真犯人であることを認めた。 14年間、誰も捕まえられなかった。 その間に加害者は6人、5人、1人の少女を傷つけた。 逮捕後も5年間、無罪を主張した。 判決確定後にようやく罪を認めた。 侑子ちゃんが死んだ年、加害者を止められなかった。 その後に被害を受けた少女たちも救えなかった。 もし2004年に逮捕されていたら、 その後の被害者は生まれなかったのではないか。 あなたは、14年間捕まらなかった加害者がその間に何人もの少女を傷つけ続けたこの事件に、何を思いますか。

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「娘の無念を晴らすまで終わらない」 7歳の和未子さんは 下校中に連れ去られた。 わいせつ目的だった。 首を絞められ、山林に遺棄された。 無期懲役が確定した。 賠償命令も3回出た。 それでも1円も払われていない。 2001年10月、長崎県諫早市。 「諫早女児誘拐殺害事件」。 2001年10月12日、長崎県諫早市で下校途中の小学1年・川原和未子さん(当時7歳)が行方不明になった。2日後、自宅から約6キロ離れた山林の斜面で、うつぶせの遺体で発見された。死因は絞殺だった。 和未子さんの父・冨由紀さんは25年間、娘の写真を手に闘い続けている。 何が起きたのか。 10月26日、和未子さんの親戚の男・吉岡達夫(当時23歳)が長崎県警諫早署に出頭した。「連日事件が報道され逃げられないと思った」と供述した。 専門学校を出てプログラマーになり、挨拶もきちんとする「普通の性格」だったという。 普通に見えた親戚だった。 わいせつ目的で7歳を誘拐し、殺害した。 しかし、この事件には「もう一つの顔」がある。 判決は出た。賠償命令も出た。 それでもお金は届かなかった。 2002年9月、長崎地裁は求刑通り無期懲役の判決を言い渡した。検察は「周到な準備をした計画的な犯行」「人間の尊厳に対する配慮はみじんもない」と指摘した。 2005年12月、長崎地裁大村支部は約7000万円の賠償を命じた。 2016年1月、福岡地裁が同額の賠償を命じた。 それでも1円も支払われなかった。 民法では、判決確定から10年で賠償請求権が時効になる。 時効が来るたび、遺族は再び提訴しなければならない。 2026年、3度目の提訴。 2026年3月13日、福岡地裁は3度目の同額の賠償命令を下した。 3回、勝訴した。 3回とも払われなかった。 🔴 25年間の闘い 父・冨由紀さん(71)は法廷で声を詰まらせながら語った。 「娘の無念を晴らし、加害者から心からの誠意ある謝罪があるまで、何年過ぎようが決して終わらない。娘のため、私に与えられた闘いだ」 事件は冨由紀さんの人生を変えた。PTSDを発症し、経営していた工務店は廃業に追い込まれた。家族はバラバラになった。 「娘を奪われ、家族をバラバラにされ、人生を狂わされた」と語った。 冨由紀さんは公的支援の改善も訴えている。 「国が賠償金を立て替えるなど、もっと被害者に寄り添ってもらいたい。こういう深刻な犯罪の場合は時効をなくしてほしい」 無期懲役は確定した。 賠償も3回命じられた。 それでも時効という壁が、遺族を苦しめ続けている。 7歳の和未子さんは下校中に殺された。 父親は25年間、賠償金を待ち続けている。 1円も支払われていない。 加害者は刑務所の中で何も払わずに過ごしている。 あなたは、無期懲役が確定し3度の賠償命令が出ても1円も支払われず、時効のたびに遺族が再提訴を迫られているこの国の制度に、何を思いますか。

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ランドセルが空き地に落ちていた。 近くの段ボール箱の中に 7歳のあいりちゃんがいた。 下校途中、たった一人で歩いていた。 それだけだった。 検察は死刑を求刑した。 判決は無期懲役だった。 父親は言った。 「あいりは2度殺された」 2005年11月22日、広島市安芸区。 「広島小1女児殺害事件」。 2005年11月22日午後3時すぎ、広島市安芸区矢野西の空き地に置いてあった段ボール箱の中に、小学1年生の女の子が意識不明の状態でいるのを近所の人が見つけた。女の子は近くに住む木下あいりちゃん(当時7歳)と判明し、死亡が確認された。死因は首を絞められたことによる窒息死だった。 あいりちゃんはどんな子だったのか。 同級生の卒業式が開かれた2011年3月18日、学校側は「同級生と一緒に卒業させてあげたい」として卒業証書と同じ文書を作成。校長が「多くの友の中で共に過ごしたことを証します」と伝えて母親に手渡した。母親は「ありがとうございます」と答え、涙ぐんだ。 同級生が卒業する日、 あいりちゃんは卒業証書を受け取れなかった。 何が起きたのか。 事件から8日後の11月30日、遺留品や目撃情報などから近くのアパートに住む当時33歳のペルー人の男(ホセ・マヌエル・トレス・ヤギ)を殺人と死体遺棄の容疑で逮捕した。 広島地検は殺人や強制わいせつ致死などの罪で起訴した。 下校途中、一人で歩いていた。 それだけが理由だった。 しかし、この事件には「もう一つの顔」がある。 加害者には前科があった。 差し戻し控訴審では、ペルーでの幼い女の子2人に対する性犯罪歴が証拠採用された。しかし広島高裁は「罪を犯したことが確実ではなく、日本国内での前歴や前科と同じように取り扱うことは許されない」として、量刑を考慮するための資料には用いないと述べた。 ペルーで幼い女の子2人への性犯罪歴があった。 それでも量刑の考慮から除外された。 裁判は複雑な経緯をたどった。裁判員裁判のモデルケースとされ、公判前整理手続が行われた。被告は法廷で意味不明の言動を繰り返し、公判が度々中断した。 法廷で意味不明の言動を繰り返した。 公判は何度も中断した。 🔴 判決 検察側は死刑を求刑したが、一審広島地裁は無期懲役を言い渡した。検察と弁護側の双方が控訴するなどし、2010年8月に無期懲役が確定した。裁判は4年余りにわたった。 父・建一さんは語った。「悪魔の存在を主張し続けたことは疑問で、納得いかなかった。性犯罪というのは非常に悪質な犯罪であるので刑罰は重いんだという認識が社会に広まればいい」 検察は死刑を求めた。 ペルーでの性犯罪歴は考慮されなかった。 判決は無期懲役だった。 父親は言った。 「あいりは2度殺された」 7歳のあいりちゃんは下校中に殺された。 段ボール箱に入れられた。 ペルーでの前科は考慮されなかった。 4年かけて無期懲役が確定した。 同級生が卒業する日、 母親は学校から卒業証書を受け取った。 「あいりは2度殺された」という父の言葉は 20年経った今も消えない。 あなたは、ペルーでの幼い女の子への性犯罪歴が量刑に考慮されず、死刑求刑に対して無期懲役となったこの判決を、どう思いますか。

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東大を卒業して 夢の会社に入社した。 月105時間の残業。 上司に言われた言葉 「髪ボサボサ、目が死んでる」 「君の残業は無駄」 入社8ヶ月後 24歳のクリスマスに 屋上から飛び降りた。 2015年12月、東京都港区。 「電通過労自殺事件」。 高橋まつりさんは東京大学文学部を卒業後、2015年4月に広告大手「電通」に入社した。デジタル・アカウント部に配属され、インターネット広告を担当した。 まつりさんはどんな子だったのか。 母・幸美さんは語る。「まつりは小学生のころから、ずっと電通に入りたいと言っていた。夢を叶えた娘でした」。東大を首席クラスで卒業した努力家だった。 何が起きたのか。 入社後すぐに長時間労働が始まった。2015年10月の残業時間は105時間に達した。睡眠は1日2時間を切る日が続いた。 上司からは「髪ボサボサ、目が死んでる、白目が茶色い。だらしない、何とかしろ」「女の子なんだから、もっと清潔感を持って」「君の残業は会社の生産性を落としている、無駄」などの言葉を受けた。 睡眠2時間 それでも「残業は無駄」と言われた。 まつりさんはTwitterに苦しさを綴っていた。「眠れない眠れない眠れない眠れない」「土日も会社行かなければならないことが本当に辛い、誰か助けて」「もう4時だ。つらい」 助けを求めていた。 SNSに書き続けていた。 2015年12月25日、クリスマスの早朝、電通の社員寮から飛び降りて死亡した。当時24歳だった。 しかし、この事件には「もう一つの顔」がある。 電通は何をしていたのか。 電通は過去にも1991年に入社2年目の社員・大嶋一郎さん(当時24歳)が過労自殺しており、最高裁で会社の賠償責任が確定していた。それでも長時間労働の体質は変わらなかった。 24年前にも同じ死があった。 それでも何も変わらなかった。 電通では残業時間を実際より少なく見せるため、社員が自ら残業時間を過少申告するよう促す文化があったとされる。まつりさんの残業時間も、実態より少なく記録されていた可能性が指摘された。 月105時間の残業が 記録では少なく書かれていた。 🔴 判決と処分 2016年9月、三田労働基準監督署は過労による労災を認定した。まつりさんの死亡前1ヶ月の残業時間は105時間と認定された。 2017年10月、電通は労働基準法違反で東京簡裁から罰金50万円の有罪判決を受けた。法人として起訴された。 民事では、電通が遺族に対して約1億5000万円を支払う内容で和解が成立した。 一人の命 罰金50万円。 当時の社長・石井直氏は辞任した。しかし刑事責任を問われたのは法人としての電通のみ。直接の上司への刑事処分はなかった。 上司への刑事処分 ゼロ。 月105時間残業させた。 「残業は無駄」と言った。 24年前にも同じ死があった。 それでも体質は変わらなかった。 24歳のクリスマスに死んだ。 罰金は 50万円だった。 母・幸美さんは語った。「まつりの死を無駄にしないために、日本の労働環境を変えたい。まつりが最後の犠牲者になってほしい」 まつりさんが最後の犠牲者に なれたのか。 あなたは、月105時間残業させ「残業は無駄」と言い続けた会社への罰金が50万円だったことを、どう思いますか。

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不正を断った。 上司に指示された補助金の不正書類を作ることを、拒んだ。 公益通報した。 市は15人を処分した。 しかし復職後、 処分を受けた職員と同じフロアに配置された。 保護措置は、何もなかった。 2020年6月、自宅で死亡しているのが見つかった。 28歳だった。 2020年6月、和歌山市。 「和歌山市公益通報者自殺事件」。 岩橋良浩さんは2015年4月に和歌山市職員として採用され、2018年5月に青少年課に異動した。担当となった児童館で交付金の不正手続きを命じられたことを苦に休職し、同年8月に公益通報を行った。市は約1900万円の不正支出があったとして2020年2月に職員15人を懲戒処分とした。同年4月の人事異動で、処分された職員と同じフロアで勤務することになり、同年6月に自宅で死亡しているのが見つかった。当時28歳だった。 良浩さんはどんな人だったのか。 母・啓子さんは語った。 「息子は不正があった市役所を変えたかったのだと思う。市が問題と向き合うよう、息子の遺志を継ぎたい」 市役所を良くしたかった。 そのために不正を告発した28歳だった。 何が起きたのか。 2018年5月、児童館で上司から不正な補助金申請の書類作成を指示された。これに従わず、心身に不調をきたして休職。同年8月に市の外部窓口に公益通報を行った。 不正を断った。 心身が壊れた。 それでも公益通報した。 市は動いた。15人を処分した。 しかし良浩さんへの保護措置は、何もなかった。 しかし、この事件には「もう一つの顔」がある。 2018年10月に別の部署で復職したが、2020年4月の人事異動で、不正に関わったとして懲戒処分を受けた職員と同室での勤務とされた。 自分が告発した相手と、同じ部屋にされた。 公益通報者保護法があった。 しかし市は保護措置を一切とらなかった。 告発した。 守られなかった。 告発した相手と同じ部屋にされた。 死んだ。 市長のコメントは 「訴状が届いていないため、コメントは差し控える」 だった。 息子が死んだ。 市長の答えは「コメントは差し控える」だった。 🔴 現在の状況(裁判進行中) 2025年6月12日、両親が市に計約8800万円の損害賠償を求めて和歌山地裁に提訴した。裁判は現在進行中。判決は出ていない。 弁護士は指摘した。 「公益通報後に不利益がないように全力で守るというメッセージを伝える必要があったが、行われていなかった」 公益通報者保護法があった。 保護措置はゼロだった。 告発した相手と同じ部屋にした。 28歳が死んだ。 「市役所を変えたかった」と母親は語った。 その息子の遺志を市は今も法廷で争っている。 あなたは、不正を告発して守られなかった28歳の死に対し「コメントは差し控える」と言った市に、何を思いますか。

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7歳の女の子が キャンプ場で友達のいる場所へ歩いた。 そのまま戻らなかった。 延べ1700人が捜索した。 警察も、自衛隊も、ボランティアも。 見つかったのは 事件から2年7ヶ月後だった。 発見したのは警察ではなく ボランティアだった。 死因は今も「不明」のままだ。 2019年9月21日、山梨県道志村。 「道志村キャンプ場女児失踪事件」。 2019年9月21日、当時7歳(小学1年生)の小倉美咲さんは、山梨県南都留郡道志村の椿荘オートキャンプ場で姿を消した。母親、姉、育児サークルの仲間たちと参加したキャンプ中、午後3時のおやつ後、他の子供たちが近くの沢へ遊びに行った際、美咲さんも一人で追いかけたが、それ以降消息が途絶えた。 美咲さんはどんな子だったのか。 母・美香さんは失踪後も諦めなかった。家族でホームページを開設し、情報提供を呼びかけ続けた。「娘を必ず見つけたい」という言葉を、何年も言い続けた。 友達のいる場所へ向かった普通の7歳だった。 何が起きたのか。 午後3時45分ごろ、美咲さんの姿が見えなくなった。母親が午後4時ごろから捜索を開始。午後5時に警察に通報し、本格的な捜索活動が始まった。 翌日から自衛隊、消防、地元ボランティアも加わり、延べ1700人以上による大規模捜索が行われた。しかし有力な情報は得られなかった。 最初の大規模捜索は16日間で打ち切りになった。その後のボランティアによる捜索は、警察が要請したり介入したりするものではなく、あくまで自発的な形だった。 1700人が捜索した。 16日で打ち切られた。 しかし、この事件には「もう一つの顔」がある。 誰が見つけたのか。 事件から2年7ヶ月後の2022年4月、キャンプ場から約600メートルの山中で子どもの頭部とみられる人骨が発見された。発見したのは警察ではなくボランティアだった。発見場所は捜索対象区域内だったにもかかわらず、なぜ遺体は見つからなかったのか疑問が残った。 600メートルの距離だった。 捜索対象区域内だった。 警察ではなくボランティアが見つけた。 🔴 現在の状況 2022年5月14日、発見された肩甲骨のDNA鑑定結果が「美咲さんと一致した」と発表された。山梨県警は「生命維持に欠かせない部位の骨で、美咲さんは死亡していると判断した」と発表。しかし死因については「判断できない」とした。その後も複数の骨と遺留品が発見され、肩甲骨以外にも6つの骨についてDNA型が一致している。 DNAは一致した。 死亡は認定された。 死因は今も「判断できない」。 1700人で捜索した。 16日で打ち切った。 ボランティアが600メートル先で見つけた。 死因は「不明」のまま。 誰が何をしたのか。 5年以上経った今も誰も答えていない。 7歳の女の子がキャンプ場で消えた。 2年7ヶ月後、600メートル先の山中に骨があった。 あなたは、延べ1700人が16日間捜索しながら見つけられず、ボランティアが600メートル先で発見し、それでも死因が「不明」のままのこの事件に、何を思いますか。 どんな小さな情報でも、この事件を動かす可能性がある。 たった一つのRTが、知っている誰かに届く可能性がある。 美咲さんが忘れられないように、RTをお願いします。 いつかお母さんに答えが届くように。 📞 山梨県警大月署:0554-22-0110

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インスタグラムの動画に 偶然、写り込んだ。 それだけだった。 翌朝 教室で「死ねばいい」と言われた。 帰宅してわずか1時間後 17歳の女の子は もういなかった。 2018年、熊本県で起きた 「深草知華さんいじめ自殺事件」。 2018年5月17日、熊本県北部の町で、祖母が首をつっている高校3年の孫の姿を見つけた。女子高生の名前は、深草知華さん(17歳)。142センチの小柄で、先輩後輩問わず好かれる、愛嬌のある子だった。 何が起きたのか 5月16日の放課後、2年生の男子が友人らを撮影してインスタグラムに動画を投稿した。 その動画に、偶然通りかかった知華さんが写り込んでいた。 ただ 偶然、写り込んだだけだった。 翌朝、その動画がクラス中に広まった。 1時間目から教室のざわつきは始まった。2時間目になると、クラスの騒ぎはエスカレートした。悪意が全体に広まったかのように 「何回言ってもわからん」 「視界から消えればいいのに、まじ無理」 「言われたくないなら死ねばいい」 「私なら学校来れん」 といった言葉が飛び交った。 授業中に クラス全体が彼女を標的にした。 知華さんは涙を浮かべて 「きついです。早退したい」と担任に訴えた。 学校を早退した後、「死ねばいいって言われた」などと記載した遺書を残して自殺した。 帰宅からわずか1時間後だった。 しかし、この事件には「もう一つの顔」がある。 知華さんが「きついです。早退したい」と訴えた際の担任の対応を、再調査の第三者委員会は問題視した。それまでに早退がほとんどなかったことを念頭に「普段と異なった態度を掘り下げ、保護者に伝達することはできた」と指摘した。 担任は 掘り下げなかった。 保護者にも 伝えなかった。 英語の授業中、暴言が飛び交ったことについても、担当教員は「記録に残す必要があった」と指摘された。 授業中に「死ねばいい」と言われていた。 教員は 記録すら残さなかった。 父親は語る。 「言葉のいじめは軽く見られますが、うちの娘がそうだったように言葉は時として、人を自死に追い込むほどの暴力性を帯びた凶器となりえるのです」 🔴 判決と和解 両親は同級生4人に計1100万円の損害賠償を求めた。和解成立の内容は、加害者1人につき謝罪と10万円の支払いだった。 2人目の和解でも、加害者は「死ねばいい」と発言するなどのいじめを認め「自分の言動が知華を苦しめたことを反省している」と謝罪した。 10万円。 「死ねばいい」と言った。 クラス全体で追い詰めた。 一人の命を奪った。 その答えが 10万円だった。 知華さんが死んだ日から5年後。 最後の加害者と和解が成立した。 いじめの中心だった女性は、命日に手紙も送った。 父・智彦さんは言った。 「言われた方は暴力を振るわれるより傷つく」 言葉は 凶器だった。 授業中に飛び交っていた。 教員は記録しなかった。 担任は掘り下げなかった。 帰宅1時間後 17歳の女の子が死んだ。 この国は、言葉の暴力を まだ「軽いいじめ」と思っていないか。

Ajay Verma (アジャイ・ヴェルマ)

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小学4年生の女の子が、 自分でアンケートにこう書いた 「お父さんにぼう力を受けています。先生、どうにかできませんか」 その紙が父親の手に渡った。 2019年、日本で起きた 「野田市小4女児虐待死事件」。 栗原心愛さんは当時10歳の小学4年生。 2019年1月24日、千葉県野田市の自宅浴室で倒れているのが発見され、死亡が確認された。 全身には数十カ所のあざ。 胸の骨が折れ、髪も抜け、胃の中には食べ物がなかった。 父親は何をしていたのか 冷水のシャワーを浴びせ続けた。 髪を引っ張った。 首付近を鷲づかみにした。 13時間、休まずに立たせ続けた。 死亡する2日前は眠らせなかった。 しかし、心愛さんはすでに助けを求めていた。 2017年11月、学校のいじめアンケートで心愛さんはこう書いた。 「お父さんにぼう力を受けています。夜中に起こされたり、けられたり、たたかれたりしています。先生、どうにかできませんか」 しかも匿名で書けるアンケートに、自分の名前をフルネームで書いた。 担任はその言葉に「衝撃を受けた」と法廷で語った。 児童相談所は翌日、一時保護した。 しかし、父親は学校に連日押しかけ「人の子を誘拐するのか」「訴訟を起こす」と脅し続けた。 そしてアンケートの「実物を見せろ」と要求した。 野田市教育委員会は父親の恫喝に屈した。 2018年1月、心愛さんが命がけで書いたアンケートのコピーを、父親に手渡した。 娘が「助けて」と書いた紙を虐待した父親に渡した。 一時保護も12月27日に解除された。 その後、心愛さんは転校させられた。 次のアンケートに、SOSを書くことはなかった。 父親は一時保護解除後、心愛さんに「たたかれたというのはうそ」という虚偽の文書を書かせた。 心愛さんは書いた、もう一つの言葉を。 4年生のときに学校で書いた「未来の自分への手紙」はこう締めくくられていた。 「五年生になってもそのままのあなたでいてください。未来のあなたを見たいです。あきらめないで下さい」と。 その手紙は本人に届かなかった。 判決は父親に懲役16年。 裁判長は「異常なまでに陰惨でむごたらしい。悪質性は並外れて際立っている」と述べた。 しかし、心愛さんはアンケートに名前まで書いて助けを求めた。 担任は「衝撃を受けた」と言った。 児相は一時保護した。 それなのに、父親の怒鳴り声一つでアンケートは父親に渡された。 一時保護は解除された。 転校させられた。 そして死んだ。 この国のシステムは、子どもの「助けてください」より大人の怒鳴り声を優先した。

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夢を持ってトヨタに入社した。 世界一の会社で働くことが誇りだった。 しかし変則勤務が続いた。 月144時間の残業が続いた。 深夜1時に帰宅し、翌朝6時25分に出勤した。 2002年2月9日、30歳の内野健一さんは堤工場で倒れ、死んだ。 愛知県豊田市。 「トヨタ自動車堤工場社員過労死事件」。 内野健一さんは1989年4月、高校卒業後すぐにトヨタ自動車に入社した。豊田市内の堤工場でカムリ・ウィンダムの車体品質検査を担当していた。子どもの頃から車が好きで、世界トップのトヨタ本社で正社員として働くことに非常な誇りを持っていた。 健一さんはどんな人だったのか。 いつもニコニコした優しい人で、疲れているのに家事もよく手伝い、子どもの面倒もよく見ていた。妻の博子さんとの間には当時3歳と1歳の子どもがいた。 何が起きたのか。 トヨタの「連続二交代制(連二)」の勤務体制。一直は午前6時25分から午後3時15分、二直は午後4時10分から深夜1時まで。これが1週間交代で続いた。 深夜1時に帰宅する。 翌朝6時25分に出勤する。 睡眠は5時間しかとれなかった。 亡くなる最後の1ヶ月間の残業時間は144時間に達した。2002年2月9日早朝、博子さんは突然の知らせを受けた。 「あまりにも突然の知らせでした。病気もしなかった夫がなぜ……。過労による致死性不整脈で死んでしまったのです」 しかし、この事件には「もう一つの顔」がある。 会社は何をしていたのか。 全国紙で大きく報道されることはなかった。世界的企業の過労死事件にもかかわらず、多くの人に知られなかった。 世界一の自動車会社の社員が死んだ。 全国紙は大きく報道しなかった。 豊田労働基準監督署は労災申請を却下した。妻の博子さんが審査請求したが、これも却下。2005年7月22日、国を相手取って裁判を起こした。 労基署が「業務外」と言った。 妻が一人で闘い始めた。 🔴 判決 2007年11月30日、名古屋地裁は月144時間の残業を認定。「創意くふう提案活動」などの「自主活動」も業務と認定し、過労死を認める判決を言い渡した。 博子さんは語った。 「夫が亡くなる最後の1ヶ月間は残業時間が144時間にもなる過酷な状況でした。夫は家族のために一生懸命働いたんだ、その頑張りを認めてもらうために私は闘うことにしたのです」 月144時間の残業を認定した。 「自主活動」も業務と認めた。 過労死が確定した。 しかし認定まで5年以上かかった。 その間ずっと妻が一人で闘った。 3歳と1歳の子どもを抱えながら。 月144時間残業させた。 深夜1時に帰らせ、朝6時25分に来させた。 「自主活動」という名の強制業務があった。 労基署は「業務外」と言った。 全国紙は大きく報道しなかった。 世界一の利益を誇るトヨタが、30歳の命の対価を認めるまで5年かかった。 あなたは、月144時間残業させ「業務外」と言い張った会社と、それを大きく報道しなかったマスコミに、何を思いますか。

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遺書に書いた言葉は 「限界です」 100日 休みがなかった。 死ぬ前の1ヶ月の残業は236時間。 それでも病院の自己申告記録には 「7時間」と書かれていた。 2022年5月、兵庫県神戸市。 「甲南医療センター専攻医過労自殺事件」。 高島晨伍さん(当時26歳)は神戸大学を卒業後、甲南医療センターで研修医として勤務。2022年4月から消化器内科の専攻医となり、研修を受けながら診療を行っていた。同年5月17日、退勤後に自宅で亡くなった。 晨伍さんはどんな人だったのか。 消化器内科の医師だった父親の背中を見ながら、中学生の頃から医師を目指していた。 母親が忘れられない言葉がある。 「優しい上級医になりたい」 照れながらそう語っていた。 何が起きたのか。 100日連続で勤務し、死亡前1ヶ月の在院時間から算出した時間外労働は約240時間に及んだ。消化器内科に同期もいない環境で、孤独の中で多くの対応を懸命にこなしていた。 生前、晨伍さんは訴えていた。 「2月から休み無しや」 しかし、この事件には「もう一つの顔」がある。 病院側の自己申告の時間外労働はわずか7時間だった。実態の236時間との間には大きな乖離があった。 236時間が 7時間と記録されていた。 死んだ後、院長は母親に電話をかけてきた。 具英成院長の言葉は 「高島君は別格に優秀だったので、みんな嘱望して彼を鍛えていた」 だった。 息子が死んだ。 院長の言葉は 「鍛えていた」だった。 甲南医療センターの職員や元専攻医を名乗る人物がSNSで、病院側が長時間労働を隠蔽しようとした事実や、過去に専攻医が勤務体制に異を唱えて潰された事例を書き込んだ。 SNSでは、勤務実態や労働環境についての告発も投稿された。 🔴 現在の状況 西宮労働基準監督署は労災を認定した。遺族は甲南会と具院長を刑事告訴した。 遺族は2023年、甲南会と具院長を相手取り計約2億3000万円の損害賠償を求めて大阪地裁に提訴した。病院側は業務との因果関係を否定している。裁判は現在進行中。 労災は認定された。 病院は 「過重労働を課した認識はない」 と言っている。 236時間の残業が 7時間と記録されていた。 「鍛えていた」と院長は言った。 遺書には 「限界です」 と書かれていた。 患者を救う医師を「鍛える」という名目で 限界まで追い込んでも 「認識はない」と言えるのか。 あなたは、100日休みなく236時間残業した26歳の医師の死に対し「過重労働を課した認識はない」と言う病院に、何を思いますか。

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13歳の男の子が 担任の先生に、相談した。 翌日、その秘密はクラス全員に知れ渡った。 守ってくれるはずの人が、いじめを始めた。 2006年、福岡県筑前町で起きた 「福岡中2いじめ自殺事件」。 2006年10月11日午後8時過ぎ、福岡県筑前町立三輪中学校2年の森啓祐さん(13歳)が、自宅倉庫で首を吊って自殺しているのを、隣家に住む祖父が発見した。 ズボンのポケットには、複数のメモがあった。 「いじめられて、もういきていけない」 「いじめが原因です。いたって本気です。さようなら」 何がいじめのきっかけだったのか。 啓祐さんの母親が、自宅でのインターネットの件を担任教師に相談した。 担任は、その相談内容を給食の時間に他の生徒に聞こえるように話した。 それをきっかけに、 啓祐さんは侮辱的なあだ名でクラス中から呼ばれるようになった。 しかし、それだけではなかった。 担任は自らも、いじめに加担した。 担任は啓祐さんに「偽善者」と言い放ち、 次の担任への申し送りでは「嘘をつく子だ」と伝えた。 担任は国語の成績によっていちごの品種を使って生徒を呼び分け、 啓祐さんには「偽善者にもなれない偽善者」などと異常な発言を繰り返した。 加害者の同級生たちは後に 「1年の時の担任が言っていたから、自分たちもいいと思った」と語った。 先生が、いじめを教えた。 そして、 葬儀中に加害者たちは笑いながら棺桶の中を携帯電話で撮ろうとした。 「せいせいした」「別にあいつがおらんでも、何も変わらんもんね」と発言していた。 死んでもなお、笑われた。 しかし、この事件には「もう一つの顔」がある。 学校側は最初、遺族に「因果関係があった」と説明し、元担任も「一生かけて償います」と謝罪した。 しかし、翌日、態度が一変した。 「遺族への説明時には冷静さを欠いてしまい『因果関係がある』と説明してしまったが、もう一度考え直す」と釈明した。 昨日謝ったことを、 翌日、撤回した。 🔴 判決 2007年2月、同級生3人が暴力行為等処罰法違反の疑いで書類送検。 しかし福岡家裁は同年6月、同級生3人全員を不処分とする決定を下した。 担任と前校長に対しては「説示」の措置のみ。 筑前町教育委員会にはいじめ再発防止の「要請」が出された。 「説示」 それは、口頭での注意のことだ。 いじめを誘発し、 秘密を暴露し、 子どもに「偽善者」と言い続け、 一人の命を奪った担任への答えが、口頭注意だった。 同級生3人は不処分。 担任は口頭注意。 学校は謝罪を翌日撤回。 この国のシステムは、 子どもを守るはずの教師が 子どもを壊しても、何の責任も取らせなかった。 加害者たちは葬式で笑っていた。 担任は「一生償います」と言って、翌日には学校に戻っていた。 啓祐さんの母親だけが 2007年、息子の実名を公表し 「いじめをなくしてほしい」と訴え続けた。 いじめを教えたのは、教師だった。 誰も、罰せられなかった。 あなたは、「口頭注意」で十分だと思いますか。

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「今までありがとう」 父親のスマホに届いた 最後のLINEだった。 そのひと言を最後に 碧は学校から帰ってこなかった。 2017年12月26日、冬休み。 東京都板橋区の城北中学校に通う 加藤碧さん(当時13歳)は 補習と部活のために登校した。 そして 教員3人から「指導」を受けた わずか15分後に命を絶った。 碧さんはどんな子だったのか 小学校の卒業式でこう宣言していた。 「毛利衛さんのような、宇宙飛行士になります!」 宇宙が好きで、 水泳部に入り、 熱心に練習に取り組んでいた。 明るくて、責任感が強かった。 だから、クラスのためにと思って ある行動をとった。 それが、死の引き金になった。 何をしたのか 終業式の日、水泳部の顧問が 年賀状用に自分の住所を部員に教えた。 碧さんは顧問が教科担任でもあったため、 クラスのためになればと思い、 その住所をクラスのグループLINEに共有した。 悪意は、なかった。 しかし顧問は激怒した。 「俺の住所を 電話ボックスに貼ったのと同じだ」 怒鳴りながら、指導した。 第三者委員会は後にこれを 「一方的で威圧的な指導」と認定した。 翌日 当日の指導が始まった。 ゲームセンターでの金銭紛失に関する 苦情が学校に届いた。 教員Xが碧さんを呼び出した。 碧さんは関与を否定し続けた。 数分後、教員Yが加わった。 「碧が関与している」ことを前提に、 尋問が始まった。 さらに教員Zが場当たり的に加わり 3人による「指導」が始まった。 第三者委員会の報告書は こう記している。 「教育的指導というよりは、 まさに犯罪を行った犯人を捜すかのような手法」 「心理的圧迫と不安感、 恐怖心を煽った」 2日間、犯人扱いされた。 否定し続けた。 誰も信じてくれなかった。 指導を受けた15分後 碧さんは逝った。 学校は何をしたのか 父・健三さんが学校に真相を問い質した。 しかし学校は 指導との因果関係を否定し続けた。 認めなかった。 謝らなかった。 報告書も公開しなかった。 再三の交渉の末、2019年に ようやく第三者委員会が設置された。 2022年1月 最終報告書が父・健三さんに手渡された。 「一連の指導には一定の問題があり、 自死との間に事実的因果関係がある」 しかし 学校は報告書の一般公表を拒否した。 息子が死んでから49ヶ月。 4年以上かかって、 やっとそう認めた。 そして、誰にも知らせなかった。 🔴 判決と処分 教員3人への刑事罰なし。 学校からの公式謝罪なし。 報告書の公開なし。 誰も、裁かれなかった。 2023年5月 健三さんは文科省で実名会見を開いた。 碧さんの同級生たちが 高校を卒業したタイミングで 息子の名誉のために、公表を決意した。 健三さんはこう語った。 「指導死という言葉なので、 子どもが悪いことをしたんでしょって 一言で片付けられる。 死ななければいけないほどの、 追い詰められなければいけないほどの 何かをしたのか」 そして、静かにこう続けた。 「食事も5食必ず作って、 うちは絶対にずっと5人家族なんで。 お店に入って 『4名様ですか』と言われると」 碧さんの夢は 宇宙飛行士だった。 住所をLINEでシェアした13歳が その夢を持ち続けることを 3人の教員が、奪った。 文科省は2023年度の調査から ようやく「指導死」という項目を新設した。 それまで 子どもの自殺の約6割が 「原因不明」とされていた。 指導死はその 「原因不明」の中に ずっと隠されていた。 加害者に罰はなく、 報告書は非公開のまま、 「解決」とされた。 碧さんの夢は「宇宙飛行士」だった。 グループLINEに住所をシェアした たったそれだけで、 15分後に逝った。 あなたは、 教員3人が誰一人裁かれなかったことを どう思いますか。

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死ぬ前の10日間、 5歳の翔士郎ちゃんには 水しか与えられなかった。 体重は10キロ。 平均の半分だった。 「ママ友」と名乗る女が 一人の母親に近づいた。 「夫が浮気している」 「周りはみんなあなたの悪口を言っている」 「私だけがあなたの味方だ」 すべて嘘だった。 2020年、福岡県篠栗町。 「篠栗5歳児餓死事件」。 2020年4月18日、福岡県篠栗町在住の5歳の男児・碇翔士郎ちゃんが餓死した。死亡当時の体重は約10キロ。5歳児の平均体重18.9キロの半分ほどしかなかった。死亡前10日間は水しか与えられていなかった。 翔士郎ちゃんはどんな子だったのか。 元気に育っていたはずの5歳の男の子だった。 「ママ友」が現れてから、食事が消えていった。 何が起きたのか。 赤堀恵美子被告は幼稚園で母親の碇利恵被告と知り合い、「夫は浮気している」「他のママ友があなたの悪口を言っている」などと嘘をつき、家族や周囲から孤立させた。 赤堀被告は「元夫との裁判で勝つためには質素な暮らしをしないといけない」「子供が太っていたら療育費が取れない」などと言い聞かせ、生活のすべてを支配した。碇被告の預金通帳を取り上げ、生活保護費・児童手当も搾取した。合計1000万円以上を詐取した。 食事は数日おきに赤堀被告が運んでくるわずかなパンを親子4人で分け合うか、醤油をたらしただけの薄いお粥だった。 家族から切り離された。 お金を奪われた。 食事を奪われた。 しかし、この事件には「もう一つの顔」がある。 翔士郎ちゃんの様子が急変したとき、 母親が最初に連絡したのは119番ではなく、赤堀被告だった。 救急車より先に、支配者に電話した。 それほどまでに、碇利恵は支配されていた。 検察側は「碇被告をだまして家族や公的機関との関係を遮断して頼らざるを得ない状況をつくり、金銭欲や支配欲を満たし続けた」と指摘した。 公的機関から切り離した。 助けを求める先をすべて奪った。 孤立した母親が気づいた時には もう遅かった。 🔴 判決 2022年6月、母親・碇利恵被告に懲役5年の実刑判決。2022年9月、赤堀恵美子被告に懲役15年の実刑判決。2023年3月、福岡高裁も一審を支持し確定した。 母親の弁護側は「マインドコントロールされ、助けることができなかった」と主張した。しかし裁判長は「指示に背くことが困難だったとしても、親族に助けを求めるなどの行動を取れた」として懲役5年を維持した。 マインドコントロールされた母親、懲役5年。 支配した「ママ友」、懲役15年。 5歳の翔士郎ちゃんは 10キロの体で死んだ。 10日間、水しか与えられずに。 「ママ友」と名乗る女が一人の家族を 完全に孤立させ、支配し、壊した。 それを止めることはできなかった。 あなたは、マインドコントロールされた母親に懲役5年は妥当だと思いますか。

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「ばあちゃん、ばあちゃん」 4歳の女の子が 7キロの道を一人で歩いてきた。 夏美ちゃんは5回、SOSを出した。 5回とも誰も止めなかった。 2009年11月、夏美ちゃんは死んだ。 兵庫県三田市。 「なっちゃん虐待死事件」。 夏美ちゃんはどんな子だったのか。 利発で人なつっこく、幼稚園でも人気者だった。2歳で実母を病気で亡くし、父の再婚を機に継母と暮らすようになった。「まま、ずうっとすき」その言葉を残した5歳だった。 何が起きたのか。 2009年春、夏美ちゃんは7キロの道を一人で歩いて祖母の家に向かった。継母に「どこでも好きなところに行け」と言われたという。祖母はすぐに市に相談した。 同じ年の夏、幼稚園が頬に叩かれた痕があることに気づいた。児相が一時保護した。しかし1ヶ月ほどで自宅に戻した。保育所に通わせて継母の育児負担を軽くし「見守る」方針にした。 その後も2度、傷を確認した。 2度とも家に返した。 11月、夏美ちゃんは死んだ。 しかし、この事件には「もう一つの顔」がある。 SOS① 祖母が「どこでも行け」と言われたと市に相談した。 SOS② 幼稚園が頬の傷に気づき児相が動いた。 SOS③ 一時保護から1ヶ月で家に返した後、傷を確認した。 SOS④ 再度、傷を確認した。 SOS⑤ 夏美ちゃんは7キロ歩いて逃げていた。 5回のSOSが届かなかった。 重大な虐待事件が起きるたびに、自治体は「検証報告書」をつくる。しかし教訓は生かされず、似たような事件が各地で繰り返されている。 🔴 判決 継母・寺本浩子被告は傷害致死罪で逮捕・起訴され有罪となった。 父親については、虐待を止めなかった保護責任が問われたが、詳細な処分は公表されていない。 祖母は夏美ちゃんを守ろうとした唯一の大人だった。市に相談し、児相に訴えた。しかし児相は動かなかった。祖母は何も悪くなかった。 それでも夏美ちゃんは死んだ。 5回のSOSが届かなかった。 検証報告書が書かれた。 教訓が書かれた。 それでもまた同じ子どもが死んだ。 「まま、ずうっとすき」と言った夏美ちゃんは 7キロ歩いて助けを求めた。 あなたは、5回のSOSが届かず死んだ夏美ちゃんの事件と、その後も同じことが繰り返されているこの国の児童相談所の仕組みに、何を思いますか。

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剣道が強くなりたくて 自ら名門校に進んだ17歳がいた。 入学直後 粘着テープで畳に貼り付けられ 性的な行為を強要された。 その動画はSNSで拡散された。 2021年3月、福岡県宗像市。 「東海大付属福岡高校剣道部いじめ自殺事件」。 侑大さん(当時17歳)は剣道の特待生として、自ら選んだ名門校に入学した。小さい頃から虫や生き物を捕まえてはすぐに逃がしに行く、心優しい子だった。 入学直後、上級生から粘着テープで体を畳に固定され、強制的にわいせつな行為をされた。その動画はSNSで拡散された。学校はこれを「いじめ」と呼んだ。正確には性犯罪だった。 母親が息子の性被害を知ったのは侑大さんが死んだ後だった。 しかし、この事件には「もう一つの顔」がある。 いじめ発覚後、顧問は「名前があがった部員については僕が指導します」と約束した。実際にどんな指導をしたのか今だに報告はない。 先輩たちが卒業した後、侑大さんは再入寮を希望したが認められなかった。片道1時間半をかけて毎日通い、朝練・夕練に参加し続けた。そして顧問からも不適切な指導を受けた。 加害者は卒業して消えた。 侑大さんだけが走り続けた。 🔴 判決と処分 第三者委員会はわいせつ行為を含む10件のいじめを認定。加害者5人のうち刑事罰を受けたのは1人だけ、2年間の保護観察処分。残る4人は処分なし。2025年12月、福岡地裁は上級生1人に165万円の賠償を命じた。 そして第三者委員会はこう結論付けた。 「自殺の直接的な原因は特定できない」 遺書がある。 性被害の認定がある。 10件のいじめがある。 それでも「特定できない」と言った。 剣道が好きで、生き物を逃がしてあげた心優しい17歳は 夢を持って、自分で選んだ学校で死んだ。 「いじめ」と「性犯罪」は違う。 この国は、その区別をまだできていないのではないか。 あなたは、10件の性的いじめを受けて死んだ17歳に対し 「直接的原因は特定できない」という結論を どう思いますか。

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