
ADHDマン黒髪ピピピ
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ADHD×ASD×躁鬱1型×借金200万円×Fラン大学除籍処分×低身長×低学歴×低収入の生き様。YouTube生配信、観てね(๑¯Δ¯๑)/
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超かぐや姫!を観た、マジで超酷かった! 令和型のセカイ系はサイコパス! ↓動画内の語り、全文文字起こし はっきり言って『都合の良いZ世代のガキ』 みたいな、令和のキモいところを凝縮した作品だった。 令和型のセカイ系―― 「ちゃちゃっとエモくなんでも解決しちゃおう!」 「私たちは一所懸命で合法だから、ハッピーエンドが当たり前だよ!」的な、超効率主義の超ドライっぷりがすごいんだよ。 要するに『平均的で弱い一般大衆』を踏み台にして、遺伝子の良さ、メイクマネーの能力、親から与えられた文化資本を総動員して、なんでも秒速で攻略しちゃうと。 であるから、描かれていない物語の裏側で、とんでもない数の罪なき人々が、雑に淘汰されているんだよ確実に。 しかも、昔のセカイ系と違って、痛みも葛藤もほとんどなくて「せっかくの人生なんだから、全部奪い取ればいいじゃん」って勢いなんだよ。それもヨゴレ役をやらずに、光属性をファッションにしたまま、何もかもを得ようとしてゆくと。 主人公の態度としては「最低限の法と道徳と倫理は守っているから、わたしら以外のザコな一般人は知りませんよ?」的な、ぎとぎとの冷酷さが伝わってくるんだよ。新時代のサイコパスを決めるなら、こういう奴らだろうね。 その証拠に、主人公の彩葉17歳JKが、視聴者からの投げ銭をあぶく銭、水物呼ばわりして、もう一人のヒロインかぐやも「でも合法でございましょ」って切り返すんだけれど。 冗談抜きの話、こいつらって生き様がキャバ嬢、ラウンジ嬢なんだよ。手練れの売女ってくらい「私は一所懸命」「私は苦しんでいる」「私は生きる為に必死」という大義名分で、もうそれだけで感情労働をしているから、どんな奇跡が起きようとも、どんな大金が舞い込もうとも「必要以上には感謝しませんよ!」って冷え切った流れ。 なので、超かぐや姫を一言で言い表すと『整形手術した人の笑顔』だね。 ハイスピードで展開する、外面だけ美しい歪んだ物語。 でね正直な話、超かぐや姫、SF設定はむっちゃ面白いのに、各キャラクターの深掘りがあまりにも薄くて、あらゆる事が超早送り――ダイジェストで進むもんだから、貧困も毒親も配信業もメタバース(仮想世界)も、全部ぺらっぺらなんだよ。 そのせいで2時間22分もあるのに、唯一、緊張感のある場面って、彩葉が疲れて風邪を引くシーンだけ。でもって大規模な戦闘シーンなんかも「知らない奴らが知らない技を使って知らない世界で、いつまでも戦ってんねぇー」としか思えないんだよ。 例えるなら、僕が昔、風の王国というMMORPGをやっていたときに「そんなクソゲーやめて、マビノギやりなよ」って何度も誘ってくる奴がいて、仕方なく新規ログインしたら「なんだこの世界観、くそきめぇー」って、14歳前後のガキだったから思っちゃってさ。 つまりは、心の準備が整っていないのに、いきなし『異空間に連れて行かれて知り合いゼロ』という、2000年代のネトゲで味わった独特な疎外感――仲間外れ感を思い出したんだよ。そんくらい感情移入させてもらえないのが、超かぐや姫! 個人的に懐かしい話、テイルズウィーバーとか、メイプルストーリーとか、ラグナロクオンラインとか。そこらに一瞬だけログインして「マジでつまんねえ~」って思って荒らして、飽きたらハンゲをやって、今度はフラッシュ倉庫に行って「人生ってクソゲーだな」ってマウスをカチカチしていた頃。そのときの感情がぐわっと蘇ったね。 「古き良きネット社会の黎明期ってのも、快楽ばかりではなかったよなー」って、あの頃に心がタイムスリップできた。 それで言えば、挿入歌――ハッピーシンセサイザとかメルトとかも、僕が病んで疲れて、ひきこもりだったときによく流れていて。永井先生とかウナちゃんマンとか初音ミクとかニコニコ組曲とか、そんなのとも混ぜこぜな日々の中「毎日つまらねぇー、生きていても意味ねぇー」って絶望していた時代が、はちゃめちゃ解像度高く、思い出されたんだよね。 そう考えりゃ、一周回ってすごい作品かもね。 言うなれば、その昔、『キャビン』って洋画があってさ。伝説のモンスター集合みたいなB級ホラー作品で、シャイニングとか ファニーゲームとかジュラシックパークとか、名だたる作品の奴らがオマージュとして、がんがん登場するんだよ。超かぐや姫もそのベクトルで、思い出のお祭り騒ぎなんだと思えば、ぎりっぎり、ありな作品なのかもしれないね。 そんでね強く言えるのは、超かぐや姫を観て20分そこらで「うわぁ、資本主義の悪いところ出てんな」って、最速で虫唾が走ったんですよ。 というのも、本作のヒロイン――酒寄彩葉(さかよりいろは)17歳が、顔も可愛くて、東大も狙えて、音楽のセンスもあって、母親が京大出身の金持ちで、一人暮らしで、推し活もやって、FPSもプロゲーマーレベルで、友達が売れっ子インフルエンサーで、つまるところバケモン。 「こいつこそ地球人じゃない可能性があるな」って、まるでマルチバースってくらい、いろんな天才의人生を歩み過ぎなんだよね。 しかも、週5日のバイト、受験勉強、友達付き合い、ゲーム、全部ガチ勢として、一分一秒を争うスケジュールで生きているのに、気持ちよく感動して泣いたり、ぽわぁ~んっと黄昏れたりで、謎めくほどの余裕があって。挙げ句の果てには、冒頭のナレーション含め『一生懸命な苦学生が尊い!』というモードなんだよ。 そんで重要な話。彩葉の『限界ぎりぎり生活』ってのは、そうせざるを得ないからスタートしたのではなくて、自己選択で貧乏をやっているから、あくまでもガソリンの味は知らないヒロイン、そこにあるのは真の闇じゃないと。 なぜかって、彩葉自身が口にしたように、親子喧嘩で譲らなかった結果として、保証人不要のボロアパートに住み始めただけなんだよ。 さらに、お母さんは嫌味ながらも【今でも彩葉はすぐに泣いて帰ってくると思ってます、甘ちゃんやから】そう言っているように、『いつ帰ってきても良い』という逃げ場を用意していると。もっといえば、彩葉は、父方の祖父母から、仕送りまでもらっていて『だが自尊心を守るために使わない』という自己決定をしているんだよね。 しかも、小汚いアパートといえども、パソコンもタブレットもあるし、トリプルモニタだし、節約で使わないながらもエアコンがあるしで、向かうところ敵なしのガジェットだらけなんですよ。 つまり、やらせの貧乏、やらせの苦学生、やらせの追い込まれだから、貧困なりきり体験ツアーでしかない。これは言ってしまえば、10年前に流行ったビリギャル的な世界観『敗者復活ごっこ』でしかないね。 そもそもがさ、若いときの貧乏暮らしなんて「刺激にあふれた愉快な下積み」と考えりゃ、ただただ楽しいだけじゃん。この僕なんかも19歳の頃、試食品コーナーだけで食事を済ませたり、洗面台にホースをつけてシャワー代わりにしたり、キシリトールの歯磨き粉を歯に塗って空腹をごまかしたりで、すこぶる貧しき時代があったけれど、若さゆえに面白かったからね。 すなわち『まだ未来のある貧乏』って、所詮は娯楽の一種でしかないのよ。 やはりね、生まれ育ちが最強な奴の苦しみって、ストリートファイターのさ、サマーソルトキックを放つ前のしゃがんだガイルを見て「背が低いねー」って言っちゃうくらい、本質的にくだらないなって。 ※今日は22時あたり、YouTube雑談配信をやるぜ(๑¯Δ¯๑)/
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Z世代α世代のドパガキ 批判への免疫が弱すぎる! 『超かぐや姫!』が暴いた甘え! 驚きの事実として、「この作品はつまらない」と語っただけで、心を痛める軟弱者が増えているんだよ。 ↓動画内の語り、全文文字起こし やはりね、『みんな一等賞』世代というか、先輩に激詰めされる経験も少なくて、「おーよしよし!」って育てられた結果、『温室育ちのモンスター』が生まれてしまったと。 しかも怖い話、「作った人がかわいそうだよ!」とか、「制作者は批判を求めていないよ!」とか、正義中毒のキッズがわらわらと湧いていて。 でも残念ながら、『超かぐや姫!』の山下清悟監督にしたって、「賛否が分かれて良かった」「自分の思想を語る材料にしてくれて嬉しい」、そう明言しているんですよ。 これは当たり前で、一流のクリエイター達って、「がんばるって美しい」「がんばるのは素敵」みたいな生やさしい世界ではなくて、『誰かの心に刺さるor努力もむなしく爆○する』という、○伐とした評価経済で生きているじゃん。 逆に、三流四流のドパガキ人間たちは、周囲の様子を観察してからじゃないと、何一つ本音を開示できない、同調圧力に屈したブタの一匹。 こちら魂の葬式会場、愛想笑いみたいな高評価しかできない。 そして今回思い知ったのは、『ドパガキも老害と変わらない』ってこと。 なぜかって、今のZ世代α世代の傾向として、『争うことを極端に避ける』ってのがあるから、昔の爺さん婆さんに匹敵するくらい、忖度と同調圧力の連続なんですよ。 そのせいで、バズっているアニメを軽くマイナス評価しただけで、「ファンの気持ちを考えて」とか、「嫌なら見るな」とか、まさに『村八分の掟』ばりに怒り出しちゃうと。 ここまで来ると、やべぇ限界集落のジジババと思考がおなじ。 もはや若年性の化石でしょ、長所が控えめ、短所が臆病のオムナイト人間、みんなの意見に合わせて漂うのみ。 年がら年中、媚び売りと受け売り、パチモンのイルミネーションみたいに、キラキラした言葉を吐くだけで終わり。 つまり、『若者が老人よりマシに見える理由』は、大人たちが全力で下駄を履かせてやってるから。 悲しいかな、「誰にも嫌われたくないよ!」「僕も俺も私もアタイも!」って、みんなでビクビクしながら、相互監視のペコペコ状態で生きてゆくのみ。 有象無象の首振り人形ね。 そんでさ、「バッド評価のレビューは酷いよ! 大人は黙ってスルーしな!」って、『心優しき優等生』風の意見ってあるじゃん。 だったら、『人間界のランキング』を全部撤廃するべく、今すぐにホンモノの平等主義者として、社会活動してみろよって話だね。 そこまでの腹が据わっていないなら、ただただ都合の良いドパガキ。 賛否両論を許せないんだったら、己自身で国家を築き上げろよ。 とにかく哀れなことに、その手の連中って大半が、食べログもぐるなびも見て、オリコンチャートの有名J-POPも聴いて、学歴や偏差値で一喜一憂して、三つ星レストランも夢見て、つまり、序列ありきの人生を生きているんですよ。 あくまでも、人が無慈悲にレベル分けされる、『人間ピラミッド構造のブタ』でしかないのに、自分だけはちゃんと道徳的にまっとうな道で生きていると、春夏秋冬、勘違いしているんだよね。 その結果、みんな波風立てないように、AI以下の人間がじゃんじゃんと続出して、 量産型ドパガキの百花繚乱―― そして時折、「娯楽のアニメにムキになり過ぎ」という煽りコメントが来るけれど、大ヒット作品ってある意味、日本社会の一部だと言えるじゃん。 今回の『超かぐや姫』に関しても、映画単体だけで見ると、なんちゃって貧乏のお嬢様が……同情と賞賛をドカっと集めて、厚かましくハッピーエンドを迎えるという、資本主義の悪魔にしか見えないんだよ。 つまり、かわいそうランキングを総なめにして、『物語になる弱さ』『物語になる苦しさ』『物語になる努力』だけが、「助けるに値する生き方なんだよ!」みたいに、歪んだ感性がひしひし伝わってくると。 やはりね、頭を空っぽにして見られる空想の物語ゆえに、じわじわと変な価値観が世間に浸透してしまう。 なので徹底的な批判でもって、やり返すべきだなと。 レゲエなんかの世界でも、反逆の音楽――レベル・ミュージックがあるように、舐め腐った物語を目にしたときは、それを凌駕する熱量でブチギレないと、この世界に屈したままで終わりじゃん。 世の中には、娯楽の顔をした嫌がらせとか、娯楽の顔をした選民思想とか、舐め腐った商業主義の敵が潜んでいるから、いつでも戦う必要があるなって。 そんで前々から強く思うのは、真の敵はバビロンではなくパンピー共なんですよ。 簡単に言えば、ガチで危ない敵とやらは、国家とか政府とかよりも、一般人たちの空気による支配ってこと。 これは過去のおぞましい歴史からも分かるとおり、僕たち人類って影響力にめちゃくちゃ弱くて、「みんなもそうだから」という理由だけで、とんでもない事件をやらかしちゃうと。 事実、『凡庸なる悪』って言葉もあるとおり、この僕自身も含めて、思考停止した一般人がいちばん危ないと。 ちなみに昔読んだ『虐○器官』という小説に、『虐○の文法』という、中二病心をくすぐるワードがあって。 かみ砕いて説明すると、僕たち人間は、『生き残ることが最優先』ってのが本能だから、テレビとかラジオとかゲームとか何気ない会話とかの中に、その野蛮さを引き出すスイッチを用意すると、バキっと理性を破壊できちゃうと。 これは極端なSFの話だけれど、令和の社会ってびっくりするくらい、デマ情報とか陰謀論とか、政治的な分断とか弱者いびりとかで、はちゃめちゃな状態じゃん。 つまり、XでもニュースでもYouTubeでもTikTokでも、些細な情報の積み重ねによって、僕たち人ってのは簡単に壊れて、いくらでも狂えちゃうってこと。 だからこそ人間社会はいつだって、賛否両論が渦巻いていて、なんなら少々殴り合って、いつでも○伐としているくらいが、ちょうどいい落とし所なんだよ。 ■そんなこんなで、ここからはおまけの語り■ つい先日、大都会東京から北海道札幌に戻りました! それで痛感したのは、物件選びはマジで本気を出すべきだね。 というのも最後の一ヶ月間、文京区のマンスリーマンションに住んだんだけれど、ここは日当たりが微妙で、窓も少ないから風通しも悪くて、『コンクリートの鳥の巣』ってくらい、圧迫感、閉塞感がすごくて、ずっと息苦しくて。 しかも中途半端に奥行きがあって、声がぼわぁ~んっと反響するもんだから、雑談配信がやりにく過ぎて、過去一のスピード感で毎日疲れちゃうんだよ。 もっと言えば、池袋/大塚みたいな繁華街も近いから、パトカー、救急車の音が昼夜問わずで、多いときなんかだと日に10回くらい響き渡ってさ。 やはりね、少々狭かったり、最寄りから遠かったりしても、日の光がちゃんと差し込んで、窓が大きめで空気循環が良い、そうした住まい選びをした方が、動物的に健康で楽しく生きられるね。 それと、文京区は富裕層のエリアだから、そこらに歩いている人たち、表情筋も豊かだし、背筋もぴんっとしているしで、生まれ育ちの違いってデカいんだなって思ったね。 そんなこんなあって札幌、我が秘密基地に戻ってきたら、暮らしの快適さが極楽レベル。 部屋の空気が澄み渡っていて、自然と腹式呼吸したくなる勢い。 という訳で今後とも、キングオブ老害を目指して、ドパガキにすり寄らず、よく出来た大人ごっこもせず、己の魂をメンテしながら人生を遊び尽くしてゆく! 今日は22時半あたりからYouTube雑談配信をやるぜ(๑¯Δ¯๑)/
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超かぐや姫!超おもしろかった! むりやりに大絶賛してみる! 一億総ドパガキ社会! ↓動画内の語り、全文文字起こし まず制作陣がガチで天才だから、この物語への主な批判ポイントが、そのまますべてSF設計の土台なんだよね。 たとえば、キャラの葛藤がないとか、ご都合主義のAIっぽさとか、リアリティがないとか、散々な言われようだけれど。 それって『超かぐや姫』の核心なんだよね。 なぜかって……本作は、『神に喧嘩を売ってでも人間を作りたい』ってのがメインテーマだから。 超簡単に表現すると、人間らしさが消えちゃった彩葉と、ほんとうは人間じゃないかぐやが、「パンケーキを食べておいしい!」と感じたい話。 これこそが『超かぐや姫』の始まりであり、終わりに至るまですべて。 その為には、超早送りでびゅーんっと駆け抜けて、配信界の頂点にたどり着いて、「資本主義バンザイ!」でドパガキから集金しまくって、神の領域に挑戦しなきゃならない。 まるで全部乗せのパンケーキ、すべて持った超人のエネルギーで。 言うなれば、『令和のセカイ系はサイコパス』、うじうじと理屈を語るよりも、葛藤さえもハイスピードで終わらせて、きみとぼくの為――彩葉とかぐやの為だけに、神の理屈をねじ曲げにゆく。 理由はただひとつ……「またパンケーキを食べたい」から。 (※セカイ系とは? 「きみ」と「ぼく」という、 ちっちゃな関係性が、 国家や社会をすっ飛ばして、世界のあり方に直結する話) すなわち、新時代のセカイ系は、狂気で踏み込む決断主義、なにもかも舐め腐って、日本の古典――竹取物語をぶち破らなきゃならない。 天の羽衣を脱ぐ、綺麗事を捨てて、パンケーキの為だけに成り上がる話。 そこまでやらなきゃ、宇宙一の負けヒロインであるかぐやを、地獄の円環構造から救えない。 逆に言えば、それを実現させるまでは、まるで水と粉のパンケーキ、感情移入できないくらいぱっさぱさ――人間味がない、AIみたい、機械的なんですよ。 その薄っぺらさこそがスタート地点ってこと。 たとえば、主人公の酒寄彩葉17歳JKは、【楽しんでる場合やあらへん……いちばんやないとあかん】って母親に冷たく言われ続けたせいで、完璧主義のマシーンになっちゃったと。 つまり、学生なのに週5日のバイトで一人暮らし、東大を目指す受験勉強、プロゲーマーばりの腕前、こんだけ詰め込みすぎなのは、いわゆる『過剰適応』って奴。 いじめられっ子がなぜか笑うのと一緒で、『苦しさを100%抑圧』している。 まるで広末涼子の爆走185キロ、人間って一度狂うと止まらないんだよ。 さらに彩葉は、Vtuber月見ヤチヨの歌声に惚れ込んで、ガチガチに推し活もやっていると。 ここでも批判の声――「推し活が記号的、ただの舞台装置」みたいな意見があるけれど、これはSF的にも心理面でも必要不可欠なんですよ。 どういう事かって、彩葉は疲れすぎな日々に、お母さんからの罵倒が幻聴として聞こえていて、それを防ぐためにイヤホンをつけて、ヤチヨのRememberを聴き始めたと。 それもあって、○人的スケジュールなのに、なぜか感動できたり黄昏れたりと、一見余裕があるように見えるのは、その瞬間だけが抑圧からの解放――人間性を取り戻せているから。 なので、明らかな依存症として推し活にハマったんですよ。 その証拠に、「推しがいなければ生きられない」という考えで、食欲がない鬱状態のときも、推しさえ見ればちょっとずつ食べられる、そんな描写もされていて。 もはや推しというより神様――だからこそ彩葉は、月見ヤチヨの神棚アクリルスタンドを大事に飾っているんだよね。 しかもSF的にエグいのは、『超かぐや姫』って本質的に『神○し』のお話になっていて。 「パンケーキを食べたい」というエゴの為に、冗談抜きでドパガキも資本主義もハックして、運と才能とお金と人脈でフルスイングする。 つまりは、綺麗事じゃない愛を奪い取る話。 そして、もう一人のヒロインかぐやは、さっきも言ったとおり、本来、人間ではなくて、じゃあ何者かって、月に住んでいたむなしい存在――肉体のない思念体なんですよ。 なので、地球に舞い降りて人間の肉体を得てすぐに、「自由な毎日が楽しいなぁぁ!」って欲望が大爆発する。 その最たる例としては、彩葉が睡眠を削ってまで働いて、がんばって貯めたお金――12万円を使い果たしたことがあって。 ちなみにこのシーン、「彩葉の怒りがあまりにも薄い!」って批判が多いんだけれど、それへの反論は秒速で終わるんだよね。 かぐやの無駄遣いが、呪いの浄化になっているから。 まず彩葉のため込んだ12万円は、超現実主義なお母さんの呪縛なんだよ。 【この世で頼れるんは自分一人や】【今日の百円は明日の千円や】みたいな冷たい言葉を吐かれすぎて、「心が壊れても頑張らなきゃ」という呪いになっている。 そこに叩き込まれたのが、かぐや! ドパガキ! ラーの鏡! つまり、今までずっと無駄なく効率的に生きてきて、完璧主義の廃人になっていた彩葉に、無駄遣いでショック療法――かぐやはこれでもかとご馳走を振る舞った。 そのとき彩葉は味わうこと、人生の喜びを思い出したんだよ。 人間を人間たらしめるクオリア――簡単にいえば、おいしいという感情、「生きている!」という感覚を取り戻せたと。 その結果、このあと少しして風邪を引くんだけれど、それは別な言い方をすれば、やっと風邪を引けたんだよね、甘えと弱さを出しきって、これでもかと人間らしく。 今まで母親の祟りにやられて、完璧超人のマシーンだった彩葉が、かぐやによって人間性を蘇らせたってこと。 そう考えると、もはや妖怪人間ベムよろしく、「早く人間になりたい」ってのが、『超かぐや姫』のキモなんですよ。 そして、この物語のマジで恐ろしいところは、かぐやが元々暮らしていた月の世界なんだよね。 ここってのは味も温度もない巨大な水槽みたいで、喜びも悲しみもなくて、生きることも○ぬこともできない、永遠なる空っぽの場所であると。 でもって月の住人たちは、ゲームのNPCと同じで、無感覚の日々を繰り返すという、究極的にむなしいシステムに閉じ込められていて。 そんな中、かぐやだけが奇跡というかバグの発生によって、「寂しい! 退屈! ○にそう!」って、みるみると自我が芽生えて月から飛び出しちゃったんだよ。 そして流れ星のようにキラキラと、『もと光る竹』という宇宙船に乗って、そのまま地球の電柱にビリビリビリってぶつかってゆく。 すると、一瞬でゲーミング電柱になるんだけれど、これは月のテクノロジー、地球環境に馴染むべく、そこに最適化された肉体――今回は赤ちゃんの体を用意して、かぐやの思念体が入り込んでゆくと。 そんでドパガキよろしく、タブレットでネットサーフィン、高速で情報収集をすることによって、その知識量に合わせてハイスピードで、女子高生くらいの見た目に変化するんだよ。 つまり、かぐやは地球人じゃない。 なので、普通の人間たちとは違って、文字通り、恥も外聞もないから、持ちうる力は『すべて出す』を地でゆく、このあと一瞬にして配信業でのし上がるんだよ。 めちゃくちゃな話、『美少女版へずまりゅう』だから。 そもそも、かぐやが彩葉のお金で勝手に、ライバーになる為のスマートコンタクトを買って、メタバースの世界ツクヨミにログインして、大観衆の前でいきなり叫ぶ売名行為までやって、終始、大暴れするんだよね。 なのでよくある批判――「子育ての苦しみがない」「生配信の世界は甘くないぞ!」ってのは、筋の通ったやり方で回避できる。 何度も言っているとおり、普通の地球人じゃないから。 そうこうして、「パンケーキがおいしい」と思えるくらい、かぐやは人間の幸せを覚えてゆく。 でも残念ながら、『かぐやは月の秩序を乱すバグ』と見なされて、月の世界へと戻されてしまう。 これは日本の古典である『かぐや姫』の結末通りで、強制的なバッドエンドを迎えると。 さらに怖すぎる話、地獄の本番はここからなんだよ。 まず月に戻されたかぐやは、また何もない水槽の中に入れられて、虚無の永久ループに閉じ込められると。 しかも以前と違うのは、主人公の彩葉と出会って、笑ったり歌ったり、パンケーキの甘さを感じたりで、幸せを知ってしまったからこそ、その絶望はより深いんだよね。 5億年ボタンの比じゃないさみしさ、『生と○の狭間』にある闇のような場所で、永遠のひとりぼっち。 でもそんなある日、38万キロの彼方――地球惑星から、懐かしい歌声が聞こえてきて、「もう一回だけ地球に行こう! 彩葉に会いたい!」って、奇跡で飛び起きることができた。 でも運命は残酷で、「また宇宙船に乗って地球に出発だ!」ってときに、タイムトラベル機能をオンにしたもんだから、なんと制御不能でバコーンって隕石と衝突して、8000年前の地球にぶち飛ばされたんだよね。 すると何が起きたか、宇宙船のシステムがエネルギー切れ、月のテクノロジーが使えないせいで、最適な肉体を作り出せない、前と違って赤ちゃんにもなれない、ただの思念体――魂だけで放り出されたと。 それはつまり、声も出せない、誰とも話せない、誰の目にも見えない、永遠に続く孤独がはじまった。 これは昔の名作、『STEINS;GATE』のトラウマ回と似ていて、とある女の子が不完全なタイムマシンに乗ったら、時間跳躍のときにダメージを食らって、自分の名前以外すべてを忘れちゃったんだよ。 それから24年のときが流れて、ふっと思い出してしまう。 とてつもない使命、大切な約束があったのに、のうのうと生きてしまったことを悔いて、【失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した】、そう書き綴って……そのまま自○するんだよね。 そして、かぐやの場合はより怖い――寂しくても退屈でも永久に○ねないから。 なので、「彩葉! 彩葉! 彩葉!」って発狂するんだけれど、それは声にも叫びにもならなくて、いつまでも絶無なんだよね。 泣きながら膝を抱えようにも、そこには涙も膝もない。 そうやってかぐやは、ゆっくりと時間をかけて絶望してゆく。 けれど1%の奇跡として、宇宙船に乗り込んだときに、地球で彩葉からもらった、たまごっちみたいな携帯ゲーム機、そこに『犬DOGE』という柴犬、電子のペットがいて。 そいつをデータとして連れて来たんだよね。 その結果、シャットダウン直前の宇宙船による最後の力で、たまたま近くにいた、かわいいウミウシ――海のウサギとも呼ばれる生物をスキャンして、そこに犬DOGEの軽いデータをぶっ込めた。 これはつまり完成済みのハードウェア、しょぼいけれどロボットの出来上がり。 だから、ウミウシにログインした犬DOGEをハッキングして、思念体のかぐやが入り込んで動かせるってこと。 そうこうしてウミウシのかぐやは、不老不○の日々を進んでゆく、それも8000年。 縄文時代、平安時代、戦国時代、あらゆる時代に漂って、大量の出会いと別れがあって、もちろん戦争による○し合いもあって、破壊と再生が延々と繰り返される中、かぐやは孤独な観測者として、それらを眺め続けたんだよね。 毒も薬も酸いも甘いもカオスも、すべて飲み込みながら。 そうやって膨大な時が流れて、人類は血みどろの歴史の果てに、電話に冷蔵庫にテレビに、そしてインターネットという、高度な文明を誕生させるんだよ。 そんなある日、かぐやはウミウシの身体のままで、パソコンのキーボードを押して、『Hello,world!』って入力した。 つまり、8000年の時を経てとうとう……想いを伝えられるようになった、孤独な旅がやっと終わった。 その瞬間かぐやは壮大な夢を思い描くんだよ。 それってのは、地球での血なまぐさい争いとか、ひとりぼっちとは無縁な、ユートピアの仮想空間を作ること。 要するに、『水も波も立たない巨大な水槽である』月の寂しさを、他の誰にも味わって欲しくないってこと。 だからこそ、ここでの仮想通貨『ふじゅ~』は、水のように、あぶくのように湧き出てくる。 まさにドパガキよろしく、人の心が踊れば踊るほどに、無尽蔵に金が降り注ぐんだよ。 そうしてかぐやは、ウミウシの身体をよじりながら、htmlを書いてアクセス解析もして、とにかく試行錯誤しているときに、はっと衝撃的なことに気づく。 それってのは、自分がゼロから築き上げてゆく仮想世界が、かつて彩葉と遊んだツクヨミだってことに。 そして、彩葉が歌声に惚れたVtuber月見ヤチヨは私なんだってことに。 すなわち、ぐるぐると同じ輪廻を巡って、この8000年の孤独も含めたループが、何百回、何千回、何万回も続いているのかもしれない。 これをむりやり表現するならば、『メタ的ディストピア円環構造』だね。 つまり、『感情を持った思念体』のかぐやが、月から地球に来て赤ちゃんとして生まれる→彩葉と幸せな時間を過ごす→月の世界に戻される→歌が聞こえて脱出を決意……でも隕石に衝突→8000年前の地球に吹き飛ばされる→そして今の今に繋がる―― めちゃくちゃ残酷なことに、この円環構造の中で、常にかぐやは自我があって、しかもその時間の大半、メタ的視点――実体のない魂のような存在として、声にならない声を上げながら、ずっとひとりぼっちで過ごしている。 そしてこの、『メタ的ディストピア円環構造』をぶち壊すには、バグを伝染させる必要があった。 それは愛も憎しみも含めた、綺麗事抜きの人間らしさ。 もっと単純な話、心の底から「パンケーキがおいしい!」と思えること。 彩葉のケースで言えば、月のシステムみたいな完璧主義をやめて、泣いて甘えること、自分の意思で進路を決めること、ホンモノの反抗心で母親にぶつかること。 そのうえで最大の敵は、退屈で○にたくなるほど整った、穢れなき月のAI的世界なんだよね。 だからこそ、ドパガキも資本主義も運も才能も醜さも、Rememberという推しの曲もすべて総動員して、綺麗事抜きの人間らしさで殴り返した。 ありとあらゆる手段で、『竹取物語』の運命――かぐや姫は月に帰るという、神様の結末を破壊する為に。 それはつまり、彩葉の推し――神様だった月見ヤチヨ(かぐや)に、『終わりのある人間としての人生』を与える、今度は自分が神様よろしく、生命を誕生させるってこと。 ちなみに当初、メタバース(ツクヨミ)の世界では、かぐやを連れ去りに来る、月人という大勢の敵を、ゲームのシステムに落とし込んで、プロゲーマーの力とチートによって倒そうとしたんだよ。 現実世界じゃ負けるに決まっているから、ゲームの敵キャラにダウングレードさせようとした。 でもそんな甘っちょろい敵ではなくて、まるで勝ち目がなかった。 その結果、映画の途中でスタッフロールが出て、「めでたし めでたし」って、皮肉なエンディングが軽く流れるんだよね。 でも彩葉はその終わりを許さずに、ツクヨミという仮想空間――一億総ドパガキ社会ってくらい、ユーザー数の多い場所で、ハイスピードで配信者として売れて、べらぼうに儲けたお金と、人脈をフル活用して、10年間、ロボット工学をはじめとした科学技術を学んでゆく。 なぜかって、かぐやの思念体を入れる義体――それも寿命のあるホンモノの生命体を作りたいから。 これこそが『超かぐや姫』のすべて。 つまり、愛とは綺麗事ではない、愛≒平和ではない、愛とは能動的なバグなんだという、パンケーキを食べておいしいと感じる話。 ↓『本音のおまけ』 動画冒頭で、「むりやりに大絶賛してみる!」と宣言したとおり、映画版の『超かぐや姫』は、ファミ通の文庫版も読んで、SF設定もメモして、登場人物の背景も学んで想像して――つまり、こちら側でかなり踏み込んで視聴しないと、ちんぷんかんぷんな事ばかりだ。 とはいえ、90年代2000年代を振り返りゃ、映画であれ音楽であれゲームであれ、たった一本、たった一枚、たった一作を繰り返し……狂ったように楽しむものであった。 たとえば、FFや聖剣伝説をやるときにはアルティマニアという、ごっつい攻略本を買ってプレイ前から読みふけっていた。 そう考えりゃ、『超かぐや姫』の円環構造よろしく、ぐるぐるとリピートする事が大前提の作品があっても良いのかもしれない。 しかも『超かぐや姫』 の場合、知識と考察を重ねるごとに、「この複雑な円環構造のSF設計を考えると、これはこれでアリかもな」と思えてきて、じわじわと評価点が高まる。 そして最近のドパガキ、マジで舐めすぎだろ笑 僕が少し前にupった、『超かぐや姫!を観た、マジで超酷かった!』に、下記のような意見がわんさかと届いた。 「あたしたちは美しい物語を楽しんでいるんだから酷評するな!」「たかだか娯楽作品なんだからお気楽に見ろよ!」「わざわざ批判するべきじゃない!」 はっきりと言い返すと、その浅ましいメンタリティこそが、クリエイター側の心を舐めてんだろ笑 物作りに携わるほとんどの人間、綺麗も汚いも含めたドロドロした心で、血みどろになりながらアウトプットしている。 そもそも論、アホみたいなツラかつキラキラした言葉だけで語る、そんな痛みなき世界の中じゃ、ろくな感受性も表現力も育たないだろ笑 もしもの話、『心の美しさ』や『態度の美しさ』が、半ば強制される社会になったら、クリエイター達はドミノ倒し式に全滅してゆくだろうね。 『綺麗事だけじゃ産み落とせないコンテンツ』を好き勝手にむさぼって、しかも綺麗なことだけを期待しているもんだから、そこからちょっと外れたものを受け取った瞬間、「ぎゃぁーーー!」と集団発狂しやがるドパガキ、あまりにも都合が良すぎるだろ笑 なんにせよ本作は、賛否両論――賛のドパガキ、否のドパガキが殴り合うことによって異例のヒットを叩き出している。 それはそれは、メタメタに素敵なるドパガキのディストピア円環構造であります(๑¯Δ¯๑)/ ※今日は22時半あたりまでにYouTube雑談配信をやるぜ!
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ゆゆうたと発達障害について ADHDを免罪符にする事が愛のはじまり ↓動画内の語り、全文文字起こし おふざけの話ではなくて、僕たちが問題行動を連発するのは、前頭葉のバグ――脳みそのせいなんですよ。 つまり、反省とか後悔とか謝罪とかほとんど効果がないので、「今度こそはちゃんと生きる!」という心構えは、むなしい努力でしかない。 むしろ、我々ADHDの民は『正しく生きねば!』という制約があると、「もっと怒らせてやろうか世間の野郎ども!」って、挑発的なエネルギーが沸いてしまう。 すると、「さすがにやめとけよ」って空気の中、どわーっと快楽中枢が暴走して、常識なんざ存在しない古代人のモード――「槍ぶん投げてやっからよ!」って勢いで、一瞬でズボンを脱いだりする。 要するに、「さっさと刺激をくれ!」って欲望が剥き出しになるってこと。 しかも昔々、100年前の医学書、ADHDの項目に、『道徳的統制の欠如』と書かれていたのもあって、僕らは頭の中がスラム街、マジでなんでもあり、しくじると大変危険なんだよね。 実際問題、『刑務所の中にはADHDがシャバの3倍いる』、そのような話(報告)もあって。 だからこそ、「反省できない」とか「言い訳だらけ」とか、雑に批判したり罰したりするのではなく、『脳の特性に合わせた改善計画』が必須であると。 さらなる話、『ちゃんちゃら勘違い君』が多いんだけれど、僕たちADHDの民って、「お猿さんみたいに多動」ってよく言われるけれど、実のところ、やる気の燃料――ドーパミンの動きが悪いゆえ、『石像みたいに無動』ってのが、まず最初の現実なんだよね。 まるで海の底で金縛り状態、ちょっとやそっとでは浮上できない。 その結果、「息苦しくてしょうがねぇ!」ってことで、エラー的に発狂するごとく、盗んだバイクで走り出したり、渡り廊下で先輩殴ったり、走ることから逃げたくなったりで、人生が迷走してぐちゃぐちゃになってゆく。 つまり、ADHDの脳みそってのは、常時、刺激不足ってこと。 言うなれば、あまりにも寂しい深海にずぶ~んって、沈んじゃいそうだから、「まだ死にたくないよ!」みたいに、バタバタと荒ぶっちゃうんだよ。 でもって、僕が好きな海外ドラマ、『このサイテーな世界の終わり』で、【その日 静寂に音があると知った 耳をつんざく音】という名セリフがあって。 これと一緒で、ADHDにとって『脳の退屈』は、「このままだと自分がぶっ壊れるかも!」ってくらい死活問題。 そんな訳なので、ADHDの確定診断を『戦略的な免罪符』にして、脳みそへの負荷を極限まで下げた方が、ラブ&ピースになるんだよね。 社会悪のレベルがちょっとは下がるってこと。 つまり、「とにかく自分は異常者である!」という認識をしながら、「僕は何かやらかすかもしれませんよ?」って、きちっと周囲にも伝えておけば、相互監視の状態になるから、ただの気合い根性なんかよりも遙かに、生き方が安定するんだよ。 でもって有名な企業のキーエンスが以前、性善説でも性悪説でもなくて、『性弱説』というのを持ち出して、組織運営をしていると語っていたんだけれど。 要は、元から強い人間をのぞけば、精神論なんかじゃ人は変わらないし、ろくに進化もしないから、ふわっとした人間力には期待せずに、結果を叩き出せるまで仕組みを改良しまくれってこと。 そしてなにより、「ADHDを免罪符にするな!」って激怒する、オコリザルみたいな奴らもいるけれど、人間社会にある99.9%、その生みの親は、『ADHDレベルの高い原始人』なんだよ。 ゆゆうたなんて一秒で凌駕するホンモノの命知らずたちが、人類の祖先がいた故郷である、アフリカ大陸から飛び出して、めくるめく冒険をして、我々が生きる今に繋がっていると。 そんで僕は昔、フロムソフトウェアのゲーム『ダークソウル3』が好きだったんだけれど、これはいわゆる無理ゲー、○にゲーと評されていて、文字通り何百回、何千回とゲームオーバーになりながら、いつかのクリアを目指すんですよ。 つまるところ、この無理ゲーを現実世界でやったのが、ADHD的な遺伝子を備える、いにしえの奴らであると。 普通に考えても、海でサメに食われて詰んで、山で熊に食われて詰んで、崖から滑り落ちて詰んで、未知の感染症で詰んで……。 まるで命のドミノ倒し、それでも捨て身の原始人たちが、命さえもかなぐり捨てる衝動によって、この世界を切り開いて来たんだよ。 しかもその過程においては、ADHDらしく歌い踊って、殴り合って、叫び合って、そうこうして爆発的に起きたのが認知革命――。 簡単にいえば、神様だ法律だ人権だ夢だ希望だといった、考えること会話すること人間であることが、本格的に始まったんだよ。 そう考えりゃ、神様も天国もこの地上世界さえも、「ゆゆうた万歳!」って熱量で、全部ADHDの成果物だと言えるね。 ※本日のYouTube生配信、遅くとも23時までにやるぜ(๑¯Δ¯๑)/
ADHDマン黒髪ピピピ297,034 Aufrufe • vor 1 Monat
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キャバ嬢の一晩の稼ぎ 400万円マウントについて 夜職は女から搾取するネズミ講 ↓動画内の語り、全文文字起こし どんなに綺麗事を口にしたところで、『酒』に『薬』に『枕』に『生け贄』が蔓延していて、尊厳破壊のポイントだらけなので、どう考えても賤業。 そんなところでなんぼ稼げたところで、「だからどうしました?」って話。 なんのクリエイティブもない、ただの愚かな魂の切り売り。 そして、夜のお店とやらは、『底辺女の屍の分だけ上位陣に金が降り注ぐ』んだよ。 どういう事かといえば、マーケティングだブランディングだ、そんな高尚なもんよりも、『ワンチャン可能性のある生身の女』こそが客を引っ張ってくる最強のエサじゃん。 であるから、心を病んで雑に抱かれちゃう子とか、少額の酒でもラブホに行っちゃう子とか、とにかく男のサンドバッグになる子とか、そうした『生け贄層の女子』がいるからこそ、わらわらと男の客が出現する訳ですよ。 もはや枕営業のアウトソーシング、ヨゴレ仕事を下の連中にやらせる、これこそが夜職ピラミッド構造。 ぶち○された女の数だけ、トップ層はべらぼうに儲かる。 悲しいかな、 誰かの不幸で成り立つシンデレラストーリー。 なので、『ノー枕を売りにするキャバ嬢』って、素敵でもなんでもないのよ。 つまり最近の『夜職を華やかに見せるムーブ』って、「職業に貴賎はないよね!」とか、「どんな職業でもがんばるのは素晴らしい!」とかいう、美しさからはじまるもんなんかじゃなくて、「魂を捧げてくれる生け贄女をください!」という、ネズミ講の思考だと言えるね。 そして、荒稼ぎできるキャバ嬢って、サイボーグ版の『超かぐや姫!』なんですよ。 なぜならば、本来は持つ者である『お嬢様』体質の子が、雑魚狩り――しょぼい文化レベルの女に差をつけて、星の巡りの良さでメイクマネーをしているから、『夜の資本主義』も誠に恐しいなって。 でもって、愛沢えみりとか、進撃のノアとか、ひめかとか、ゆいぴすとか、この辺の売れっ子って生まれ育ちが良いんですよ。 つまるところ、『超かぐや姫!』の彩葉よろしく、序盤からステータスがレベチ――そのうえで、がっつりと美容整形にも投資するから、若さも相まって倍速的に、大成功へと駆け上がってゆく。 ちなみに僕は若き頃、ニュークラ嬢のヒモをやっていたんだけれど。 それで教えられたのは、『貧乏はじまりじゃない夜職の子』が強いんだなってこと。 なぜかって、ごく一部の人間を抜きにすれば、お金もなくてメンヘラなんかだと、当たり前の流れで、「目先の金が欲しい」とか、「現実逃避したい」とかで、視野も狭まるし、短絡的になっちゃうと。 すると、浅ましさ……惨めさみたいなもんが、雰囲気としてにじみ出ちゃうんだよね。 逆に育ちのレベルが良い奴らって、偉そうな振る舞いとか、上から目線とかでも、そこに培ってきた文化/教養/所作が入り込むから、「なぜか気品があるよね」とか、「逆に色気があって良いね」とかで、おごり高ぶっても評価ポイントになると。 やっぱり、完全実力主義の世界ほど、生まれ持った運で左右されるなって。 そんで驚く事にさ、賤業ホームランでもぶっ放すように、 「夜職も人気商売だから、大谷翔平と一緒じゃん!」って、ポストしていた奴がいたけれどさ。 笑止千万でしょ。 夜の業界なんてさ、男の孤独とか劣等感につけ込んだり、詐欺師とかハングレとかを呼び込んだり、女の道徳/倫理観をぶち割ったりで、人の弱い部分を狙う……依存搾取ビジネスじゃん。 しかも、昼夜逆転した飲んだくれが続出して、がんがんIQも下がってゆくから、まるでカルト教団みたいに、みんなで感覚をバグらせてゆくと。 かたや大谷翔平は、『よく運動してよく食べてよく自分を律する』、動物として極めて高得点の生き様だから、憧れる人が増えるほどに、一般大衆の健康寿命もプラスされるんだよ。 だから、夜職と大谷翔平、一瞬で……天と地の差を思い知るよね。 しかも残念ながら、男の大半ってもんは、夜に生きる女の努力とか才能とか、「マジでどうでも良い!」ってのが本音じゃん。 もちろんハイになる為に、『お世辞っぽくないお世辞』を極めて、女を褒め称えてやる事はあるにせよ、あくまでも『女』の部分にしか、基本的には興味がないんですよ全人類の男は。 そう考えりゃ、そんな喜び組の奴らと、大谷翔平を比べること自体、ちゃんちゃらおかしいでしょ。
ADHDマン黒髪ピピピ281,805 Aufrufe • vor 1 Monat

なこなこカップルが離婚! 女を選ぶなら一般人がいちばん! 女に翼が生えると終わりの始まり! ↓動画内の語り、全文文字起こし 現実的な話として、『女が有名になって稼ぐ』ってのは、飛べないペンギンが火の鳥になるのと一緒。 だからこそスピーディーに、女の名字を変えさせたり、子供を産ませたり、家庭に閉じ込めたりで、半ばカルト教団、あるいは奴隷構造の船よろしく、「私はこの閉鎖空間で生きるしかない!」と思わせるのが大事なんですよ。 というのも昔々、狩猟採集民って、『男は狩人、女は家事育児』とされていたけれど、現在のかなり有力な説だと、能力のある古代系の女子は、槍も火もぶん回して、マンモス狩りに参加していたらしくて。 つまり、なごみとこーくんの場合もそうだけれど、『そこらの男を凌駕する影響力』を女が得てしまうと、いにしえのパワーが覚醒しちゃうんだよ。 「わたしも遙か昔、狩人だった!」という思い出し、愛のむきだし――「より強いアルファオスをくれ! もっと芸術的な遺伝子をくれ!」ってこと。 そして逆の言い方をすれば、『腐るほどにいる普通の女』ってのは、通常の労働市場だと、ほぼ大成功はしないじゃん。 なので、『手頃な男に永久就職する』という思考で突っ走ったほうが、自己保存――生き残り確率が高まるから、一目惚れも尊敬の念もハードルが低いんだよ。 その結果、時折エラーを起こすように、しょぼい男に恋をしたり、アホほど尽くしたり、モラハラ野郎に踊らされたりすると。 すなわち、ごくごく平均的な子たち――女の有象無象は基本的に、妥協と抑圧を繰り返して、雑に飛びついた恋でIQを下げて、めちゃくちゃバカでいてくれるゆえに、僕も含めた冴えない男にチャンスが生まれるんだよ。 でもそんな女たちも、ひょんなことからバズったり儲けたりすると、ベルリンの壁をぶち壊すように心が解放されて、うなり狂う犬のように、「もっと上等なモン、ウマい肉!」と叫びはじめる。 それに待ったをかける為には、できちゃった婚で子供を作ったり、結婚という社会制度で縛ったりと、女の翼をもぎ取って、飛べないペンギンにして愛する。 ※本日のYouTube雑談配信は、23時あたりから(๑¯Δ¯๑)/
ADHDマン黒髪ピピピ139,651 Aufrufe • vor 1 Monat

ADHDの地獄あるある! 力を温存した暮らしだと、 逆に生命力が弱ってヤバい! ↓動画内の語り、全文文字起こし まず僕たち発達障害者は、『ヘタクソな休み方』で人生がぶっ壊れる。 なぜかって、ADHDにおいて究極の栄養源『刺激』が減っちゃうから。 すると脳の働きが悪くなって、ただでさえ不足しているドーパミンがより壊滅的、毎分毎秒がつまらない、生きている実感がない、世界が灰色に見える。 もはや捨てられた人形みたいな心、『エネルギー枯渇』状態! しかも中途半端な休みによって、肉体だけは元気だから、脳みそが動物的モードになって、鬱や不安がギラギラに襲ってくるし、 暴飲暴食の速度が速くなるし、悪口の威力も高まるしで、『バケモン育成機関』みたいな時間がはじまる。 そして僕自身、365日24時間、配信業で食い扶持を稼いでいるから、「力を出し惜しみして連日放送しまくるか!」「スパチャ待機時間を延ばしまくろう!」ってことで、『手抜きの10時間配信』を連打した時期があるんだけれど、生命力の低下がすごかったんだよ。 要するに脳が休眠状態――、若年性の認知症よろしく、「ココはどこ? ワタシはだれ?」って終始ぼーっとしちゃう。 皮肉なことに、ガス欠対策でダラダラやってみたら、もっと無気力に、もっと無感情になって、すごく不快で不幸だったんだよ。 でもって恐ろしい話、「マイペースにやろう」とか「ゆったりやろう」とかって、健常者には優しいポリシーだけれど、我々ADHDには逆効果になりかねない。 なぜならば、『思考の切り替え』がしにくい特性持ちゆえ、せっかく勢いが生まれそうなときにも、「穏やかにやれ! 穏やかにやれ!」って自己暗示が続くもんだから、生命力の急ブレーキ、常時へなちょこ野郎になるんだよ。 言うなれば、雨を想像するアンパンマン、始まりから終わりまで瀕◯状態。 さらなる恐怖として、『運よく堕落して稼げた』瞬間があると、そこが基準になって奈落の底。 とくにADHDって、『今すぐ報われた感』とか『割に合う報酬』とかに敏感だから、ある時期に、「最小限のエネルギーで儲かった!」って成功体験を手に入れちゃうと、むしろ大失敗のはじまり。 つまり、「めちゃくちゃ今日元気!」ってときにも、「必要以上の力を注ぎこむのは、生命力の無駄遣いかもなー」って、傲慢なクズ人間に成り下がっちゃう。 その結果、行動も最小限、感情も最小限、思考も最小限、感謝も最小限という、おぼっちゃまの暴君みたいな、『損得勘定の怪物』が爆誕する! しかもADHDの民って、へたくそな手抜きの生き方――省エネで生活をしちゃうと、 脳の覚醒レベルが下がり過ぎて、『追い込まれた動物』状態になってゆく。 そうすると、世界中が気持ち悪く思えたり、全員が敵に見えてくる。 だから僕自身、だらだらと過ごして、自堕落のレベルが高いときほど、とてつもない○意が沸き上がるんだよ。 なぜかって、脳と体をサボらせて生きているから、必然的に『自己統制力』が弱まって、「いったん落ち着こう!」が難しくなるってこと。 そう考えると、ADHDの衝動/多動って、一見ただの異常行動だけれど、実は『真の暴走』を抑え込むための儀式なんだよね。 たとえば、ある日突然、奇声を上げたり、物を叩き壊したり、外で喧嘩したりするのは、刺激のぐるぐる連鎖で、ドーパミンを自家発電して、大脳をシャキッとさせるプロセス。 そのおかげでぎりっぎり、理性を保てるってこと。 要は自転車式の発電と一緒で、刺激のペダルを回し続けなきゃ、人間性がシャットダウンする。 そして最近、生配信の視聴者数――『同接0』の時期に「みんなは喋り続けていたかな?」っていう話題がXでバズっていて。 それで強く思ったのは、ADHDって初心者の頃、『同接0』の時代こそ最も生命力が高いんだよね。 なぜかって、非日常を感じられる中で、ひたすら自由にもがいて、「必ず這い上がってやる!」って思える段階は、ドーパミンが分泌しやすいから。 なので僕も10年以上前、コメント0でやるゲーム実況とか、50万円のリボ払いで産み落としたVtuberだった頃って、『収益なしで孤独』の日々だったけれど、ずっと狂気的に元気だった。 それはやっぱり、力を温存せずにぶっ放すことで、刺激が刺激を呼んでくれる繰り返し、脳に熱量が供給されていたゆえ! そんで一昔前、どこかの放送作家が、「忙しい芸人ほど新ネタをがんがん作って、暇な奴ほどのろまで全部ダメ!」という論を語っていて、今になってめっちゃ納得できる。 普通に考えて、お笑い界も潜在的にADHDがゴロゴロといるから、『常に求められる立場』とか『がっつりとウケを狙える流れ』とか『売れる道が薄くても見えている』とか、多忙なほど刺激にあふれていた方が、脳の回転率がベイブレードと化して凄まじい! つまり、『全感情を叩き込んで、今この瞬間に刺激を生む』ってことが、ADHDにとって準備運動であり、エネルギー維持活動なんだよね。 そして苦しい話、人間生命は動物と違って、言語力/妄想力を獲得してしまったから、野性味100%では生きられないじゃん。 ということは、「エネルギーを節約して静かに生きよう」って決めたところで、その分だけ暇というか心に隙が生まれちゃって、不安や恐怖がでっかくなるんだよ。 そうすると、ネガティブな反復思考――どろどろとした脳内多動が起きて、ひとりでバカみたいに自虐しまくったり、「全部終わりな気がしてきた!」って将来不安をふくらませたりで、時の流れが血みどろになってゆく。 すなわち、省エネな暮らしを雑に実行すると、ADHDの危険なパワーが体内で大爆発して、いつでも自爆する無能人間が誕生! だからこそ我々は、犬とか猿とかチンパンジーとかを見習って、『今この瞬間の動物性』をレベル上げして、ドタバタ騒ぎで生きた方が良いんだよ。 冗談抜きの話、鏡に映るADHDの自分を見たとき、「ゆっくりと休みながら進もうね」なんて声をかけるよりも、「ちょっと戸塚ヨットスクールでも行ってきたら?」って、魂を一発ぶん殴って活を入れる方が、気持ちよく脳が再起動して、心の炎が燃えはじめる。 畢竟、刺激なき休みは拷問、力の暴走はADHDの宿命! ※日々、遅くとも22時半までにYouTube雑談配信をやるぜ(๑¯Δ¯๑)/
ADHDマン黒髪ピピピ96,141 Aufrufe • vor 21 Tagen

悲報!性善説の完全終了! ヘルプマークの乱用が炎上! 病みかわいい、ぴえん系界隈! ↓動画内の語り、全文文字起こし しかしながら、『1年間の自○者数が約2万人』の社会、簡単には悪用だと切り捨てられないよね。 それも自分から星になる日本の若者たちって、主要先進国の中でもトップクラスの数であると。 しかも程度の差はあるにしても、ファッションメンヘラって大抵、ガチモンのメンヘラなんですよ。 とくに新宿歌舞伎町なんかだと、着飾ったまま飛び降りたり、虚言症の果てに吊ったりで、ぱっと見は若くて元気そうなのに、ある日突然、星々の仲間入りするじゃん。 そうなってくると、『真の弱者は誰なのか?』問題に陥っちゃう訳ですよ。 さらに恐ろしい話、うつ病とか希○念慮とかって固定されたもんじゃなくて、人格とか人生とかに染みこんできて、どこまでが甘えかどこまでが病みか、何がホントで何がウソかみたいなのが、ぐちゃぐちゃで曖昧になっちゃうと。 その結果、アイデンティティが揺らいじゃって、 「鬱とか甘えっしょ!」って元気なフリで強がったり、 「弱者属性ってコスパよくね!?」ってわざと顰蹙を買いに行ったりで、 おかしな言動が増えてゆくんだよね。 すると、ガチとファッションの狭間に漂う、浮遊ゴミ人間になっちゃうと。 つまり、『世間を舐め腐った演技/演出』をしなきゃ生きられない、ふらっふらな弱小個体の奴らがいるってこと。 こうした『美談にならない病み』こそが、現代人に襲いかかる○に至る病! そして地獄の現実として、『ヘルプマークの乱用』がどうたらの前に、この資本主義社会って、『搾取の乱用』『淘汰の乱用』が大前提になっていて、一般庶民が大切にされていないじゃん。 しかも、えげつない格差がSNSで丸見えの時代―― それは言ってしまえば、「自分だけが置き去りにされる!」という動物的恐怖が湧きやすいってことだから、「俺は今ここにいる! 存在証明させてくれ!」って暴走するのは、どう考えても当たり前の流れ。 すなわち、ヘルプマークが機能しなくなるというか、『性善説が崩壊する理由』って、頭のおかしい奴らのせいじゃなくて、冷酷な競争を強いてくる社会構造のせいなんだよ。 現実問題、ほとんどの人間が『交換可能な部品』として雑に扱われて、心をすり減らして生活していると。 そうなりゃ、良心とか道徳の源である脳にもダメージが入って、おかしなことをやる奴が一定数出てくるのは必然でしょ。 そもそも一昔前って、ヘルプマークの乱用どころか、バタフライナイフとか有刺鉄線バットとか、メリケンサックとか改造ガスガンとか、とんでもない装備で街に出向く奴がゴロゴロといてさ。 その時代と比べりゃ、今回の件なんてかわいいもんだよね。 それから、『孤独は万病の元』でもあるんだから、ヘルプマークを『精神的ハチ公前』にして、似たり寄ったりの連中とつるんだり、「君もこちら側なんだね!」って安心したりするのって、しくじると負の連鎖で危険だけれど、社会的動物としては普通の行動じゃん。 というのも令和の現代って、家族親戚とかもすっかすか―― 共同体が崩壊していて、都会だと隣人であっても、一言も話さないのが基本だし、職場の飲み会も減っているし、友達も恋人もいない人が増えているしで、かなり狂ったおひとりさま社会になっていると。 だからこそ、孤独で心をこじらせて○ぬくらいだったら、東横キッズでもグリ下界隈でもヘルプマークでも、共通の目印を作って集合できた方が、まだ生き残り確率が高まるんだよ。 しかも、「この人たち気持ち悪いよねー」って小馬鹿にされるほどに、まるで集団的なジャパニーズ・ロミオとジュリエットってくらい、「自分たちは壊れた世界で駆け落ちしている!」という気持ちになって、結束力と生命力がぐんぐんと高まるよなって。 ちなみに、以前読んだ『孤独の科学 人はなぜ寂しくなるのか』って書籍に、幼い頃に拒絶されまくった人間は、本能的にモノマネをしまくるって書いていて。 つまり、幼少期からどこにも溶け込めなくて、ずっとさみしく生きていると、せめて誰かに付き従って同調して、「自分は群れの仲間だよね!」って、なんども自己洗脳しようとすると。 であるから、地雷系とかぴえん系とかって、同一系統の服を着ていたり、誰かがヘルプマークを使うと、「わたしもあたしも!」って真似するんだよね。 もっと言えば、さっき紹介した本に、宗教ってのは何を信じるとかじゃなくて、誰かと集まること自体が、健康を底上げして、○亡率を下げると書いていて。 大事なのは祈りなんかじゃなくて、みんなと一緒にいられることであると。 そこまで踏み込んでみると、無宗教で孤独だらけの日本社会において、ヘルプマークの装備って、カジュアルな信仰心だなって。 綺麗事じゃ救われない心ってあるからね。 とりわけ日本人って、あがり症で人見知りな国民性があるから、ガチガチなコミュニティに所属するよりも、弱さを表明するアイテムを気軽に装備して、ノープレッシャーでみんなと精神的に繋がることが、きっと向いている民族なんだよ。 ※遅くとも22時半までにYouTube雑談配信をやるぜ(๑¯Δ¯๑)/
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