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昔の友人は「龍」と呼ぶ様だ。

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合同会社グリッターベスト代表です。 なんの因果か、気の迷いで独立して法人設立して、遂に会社は10期を乗り越えました。他人事のようにびっくり。

Shorts

目黒鹿鳴館。 やっぱり最後に行ってきました。 権之助坂を下り、もはや影も形も無い歩道橋を過ぎて右側がこのライブハウス。 (更に坂を下り、大鳥神社の向かい側が実家でした~祖父はそこで写真館をやってました) 人生で一番来たし、仕事もしたライブハウス。 最初に来たのはなんだろう、もはや思い出せません。 最初は客で沢山のバンドを観ましたし、後々には様々なバンドのスタッフとしてステージ袖に居ました。 とにかく沢山のバンドのスタッフで来ました。 15歳で地雷神のベースだった光くんのローディになり。彼がその後にXに加入して、Xでは高校生なのにレギュラーになり(ローディの先輩方がとにかく強烈でした)。平行してMEPHISTOPHELESでクドーちゃんやロブさんにも出会い。COAT OF ARMSは結成から解散までずっとローディでした。オールナイトメタルパーティーは当初普通に客でしたが、途中からはスタッフに。Xで楽器運んでたら、D'ERLANGERも出演してて。哲兄から「お、うちのも運んでよ」と。そりゃ勿論運びました(笑)。あの頃はメタパは全バンドドラム持ち込みで全転換。転換時間、どれくらい取ってたんだろう?全く記憶に無いが相当長かったんだろうな。昭和ですね、穏やかな時代。 マネージャーになってからはLaputa(DEAD ENDのモーリーさんの衣装を借りてakiが着て喜んでた)、MUCC、DEZERTなどなど。制作ではアルルカンもやりましたな。2002年のMUCCxメリーの2Daysは最高に面白かったなあ。ドラムやアンプを満タンの客席通して階段下に運ぶ「メタパ転換」は我々には普通でしたが、お客様からは「えー??」とどよめきが上がり。ワタクシと会場スタッフはお客様に「何がおかしいんだよ、普通だっつーの」みたいな(笑)。 そうだ、初めて先生と話したのもここだ。1996/10/20 、HAKEN KREUZ無料配布ライブを偶然事務所に遊びに来て、「今、凄い伸びてるバンドだよ。観ていきなよ」と言われて観たんだ。終演後に先生を紹介されて。それは先生も覚えてた。デビュー後にはシークレットライブもやりました。まー、これは本当に大変だった色々。語れない裏話満載(苦笑)。でも今となっては楽しく変換された良き想い出に。 あ、hideさんと最後に話したのもここだ。野音の話をしたからXはメジャーデビュー後だ。 hideさんが事務所に居て。「大学受かりました」と話したら、「おめでとう!お前はその方が良いよ、育ち良いんだから」と。デビュー前のSONYオーディション @ 日本青年館の楽屋で高校辞めるって話したらめちゃくちゃ怒られたんですよね。「明確な目標も無いのに辞めてどうすんだ?俺やYOSHIKIも卒業してるぞ、退学するなんてダメだぞ」と説教されてる脇でTAIJI君は「俺は辞めてるけどな」って笑ってた。 想い出はキリがないが、大切にしまっておきましょう。最後に楽屋からステージに向かって階段を上がり。客席をぐるっとみて、Voの立ち位置で写真を撮ってみた。 本当にこれで最後。 ありがとう目黒鹿鳴館、さようなら目黒鹿鳴館。 終わってみちゃ、楽しい想い出だけ持って帰ろう。

目黒鹿鳴館。 やっぱり最後に行ってきました。 権之助坂を下り、もはや影も形も無い歩道橋を過ぎて右側がこのライブハウス。 (更に坂を下り、大鳥神社の向かい側が実家でした~祖父はそこで写真館をやってました) 人生で一番来たし、仕事もしたライブハウス。 最初に来たのはなんだろう、もはや思い出せません。 最初は客で沢山のバンドを観ましたし、後々には様々なバンドのスタッフとしてステージ袖に居ました。 とにかく沢山のバンドのスタッフで来ました。 15歳で地雷神のベースだった光くんのローディになり。彼がその後にXに加入して、Xでは高校生なのにレギュラーになり(ローディの先輩方がとにかく強烈でした)。平行してMEPHISTOPHELESでクドーちゃんやロブさんにも出会い。COAT OF ARMSは結成から解散までずっとローディでした。オールナイトメタルパーティーは当初普通に客でしたが、途中からはスタッフに。Xで楽器運んでたら、D'ERLANGERも出演してて。哲兄から「お、うちのも運んでよ」と。そりゃ勿論運びました(笑)。あの頃はメタパは全バンドドラム持ち込みで全転換。転換時間、どれくらい取ってたんだろう?全く記憶に無いが相当長かったんだろうな。昭和ですね、穏やかな時代。 マネージャーになってからはLaputa(DEAD ENDのモーリーさんの衣装を借りてakiが着て喜んでた)、MUCC、DEZERTなどなど。制作ではアルルカンもやりましたな。2002年のMUCCxメリーの2Daysは最高に面白かったなあ。ドラムやアンプを満タンの客席通して階段下に運ぶ「メタパ転換」は我々には普通でしたが、お客様からは「えー??」とどよめきが上がり。ワタクシと会場スタッフはお客様に「何がおかしいんだよ、普通だっつーの」みたいな(笑)。 そうだ、初めて先生と話したのもここだ。1996/10/20 、HAKEN KREUZ無料配布ライブを偶然事務所に遊びに来て、「今、凄い伸びてるバンドだよ。観ていきなよ」と言われて観たんだ。終演後に先生を紹介されて。それは先生も覚えてた。デビュー後にはシークレットライブもやりました。まー、これは本当に大変だった色々。語れない裏話満載(苦笑)。でも今となっては楽しく変換された良き想い出に。 あ、hideさんと最後に話したのもここだ。野音の話をしたからXはメジャーデビュー後だ。 hideさんが事務所に居て。「大学受かりました」と話したら、「おめでとう!お前はその方が良いよ、育ち良いんだから」と。デビュー前のSONYオーディション @ 日本青年館の楽屋で高校辞めるって話したらめちゃくちゃ怒られたんですよね。「明確な目標も無いのに辞めてどうすんだ?俺やYOSHIKIも卒業してるぞ、退学するなんてダメだぞ」と説教されてる脇でTAIJI君は「俺は辞めてるけどな」って笑ってた。 想い出はキリがないが、大切にしまっておきましょう。最後に楽屋からステージに向かって階段を上がり。客席をぐるっとみて、Voの立ち位置で写真を撮ってみた。 本当にこれで最後。 ありがとう目黒鹿鳴館、さようなら目黒鹿鳴館。 終わってみちゃ、楽しい想い出だけ持って帰ろう。

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昨日、ミチアキさんにお招き頂き出席させて頂きました。 ケーキのろうそく吹き消す写真に写り混んでしまったので、お祝いに期間限定でその際の動画をアップします(笑)。 PATAさん、誕生日&還暦おめでとうございます!「なんだかお前とも長い付き合いになったなあ」って、そりゃそうですよ、出会いから38年たってますから(爆笑)。これからもカッコいいギターを弾き倒しまくって下さい。くれぐれも飲み過ぎ注意ですからね(笑)! #PATA

昨日、ミチアキさんにお招き頂き出席させて頂きました。 ケーキのろうそく吹き消す写真に写り混んでしまったので、お祝いに期間限定でその際の動画をアップします(笑)。 PATAさん、誕生日&還暦おめでとうございます!「なんだかお前とも長い付き合いになったなあ」って、そりゃそうですよ、出会いから38年たってますから(爆笑)。これからもカッコいいギターを弾き倒しまくって下さい。くれぐれも飲み過ぎ注意ですからね(笑)! #PATA

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PIERROT 「LAST CIRSUS」、終了。 昨年10月の「ANDROGYNOS–THE FINAL WAR-」から鑑みるとトータル8ヶ月なのかな。 終わってしまえば、一瞬の出来事だったかも。 なんか簡潔にポストするかと思ったけど、結果超長くなった。 なので、飛ばすなり、読むにしても適当に読み流すなりしてくださいませ、超個人的なことなんで。 2024年10月。 先生から「ANDROGYNOS–THE FINAL WAR-」開催寸前に電話が来ました。 あれやこれや話してから、代々木の仕込み日に会場に行き。 各セクションのスタッフとはそこで初めてワンマンの話をして、そこからがスタートだったかもしれません。 結果、今回は「舞台演出周り」の担当をすることになりました。 元マネージャーなわけだし、2014年&2017年もいろんな形では関わっていて。 そりゃ楽曲や「ここでこれ」とか「ここはこうじゃないと」は 殆ど把握はしてますが、そこ(演出)に特化する役回りは初めて。 まぁ、正直プレッシャーも緊張感も満載ですよ、そんなの。 12月末くらいに「END OF THE WORLD LINE」のセットリストが出て、久しぶりにライブの内容について先生と話をしました。 しかし、言われたことは「過去のノスタルジーの浸る気は無いよ。だからそこを喚起させる演出やセットがあったとしても、 それは全部最新テクノロジーや新しいアイデアでやって欲しい」だけ。 それが彼からの唯一のリクエストでした(あ、「HILL」での雪は有明前のリハーサル中に言われた)。 まー、悩みましたよ、本当に(苦笑)。 「そうだ、海外に行って、ぼーっとして考えよう」と2025/1/18 vistlipのZeppShinjyuku公演終わりに羽田空港に向かい。 生意気にもJALの深夜便(超ラッキーでビジネスクラスにアップグレード)でロンドンへ飛び、10日間滞在。 まぁ、現実逃避みたいなもんです。(帰国後の翌日から有明アリーナ公演のリハーサル開始でした) ロンドン滞在中、ライブは数本とミュージカル数本は見たり、 大学時代の友人がロンドン在住なので一緒に飯食いに行ったりしたものの、観光らしい観光はほぼゼロ。 食事や飲み物を買いに行く以外はホテルから出ない日もありました。 PIERROTの2日間分のセットリストをプレイリストにして、聴きながらあてもなく散歩したり。 カフェやパブ、博物館や美術館で本やマンガをKindleで読みながら、結構な確率でPIERROTの音源聴いてました。 その間、なんとなくイマジネーション膨らませてたのかもしれません。 渡航前にはセットリストは決まっていたので全体スタッフミーティングはしてあり。 「この曲は映像、特効はこれでここ。この曲は照明押しやレーザー」などは決めてあり。 実際にLEDへの演出映像などは作成に入っていましたが、細かいやり取りはオンラインでやってました。 渡航中にも各セクションスタッフとオンラインミーティングもしたと思います。 内容の詳細は覚えてませんが帰国翌日からリハーサルだし、ちまちま思いついたことは詰めていたはず。 「気分転換に東京でやれることをロンドンでやろう」と言う超贅沢な旅でした。 (そう考えるとコロナ禍も意味があったかな、「オンラインミーティング」が定着して、 海外からも時差さえ鑑みれば普通にミーティングできるって超便利だし) 「PIERROTの為に海外に行ってきた」って言うと聞こえは超良いですが、実際に渡航の理由の半分以上は本当にそれなんですよね。 それくらいのプレッシャーだったのかもしれないですな。 その後、有明に向けてリハーサル開始して、更に細かく内容は詰めて行き、実際にメンバーに提案したり確認したりするんですが、 基本的に全員「大丈夫だよ、任せてるし」との返答でして。リハーサルだから、メンバーは演奏に集中したい訳でそら当然。 「いやいや、もうちょっと話しようぜ」と思うのですが、そこからは「じゃあやるわ」としか言えないわけです(苦笑)。 なんやかんやで追って気になるところは個別に細かく連絡が来るんですが、全体で演出内容についてのミーティングとかは全く無いのです。 そら更に高まるプレッシャー、みたいな。そこでワタクシが相談するのは周囲のスタッフ達。 そういう時にこのチームは凄いんですよ、各セクションそれぞれがちゃんと「PIERROTのコンサートとは」とのヴィジョンを持っていて。 古くからの長らくのスタッフも当然居ますし、メンバーそれぞれのソロから集まったり、今回が初登場のスタッフも居るんですが、 相談一つ一つに「ならばこうしよう」「いや、そこはこっちの方が良いでしょ」などレスポンスも早く、修正も速攻。 超プロフェッショナルだなぁ、と助けられてばっかりでした。

PIERROT 「LAST CIRSUS」、終了。 昨年10月の「ANDROGYNOS–THE FINAL WAR-」から鑑みるとトータル8ヶ月なのかな。 終わってしまえば、一瞬の出来事だったかも。 なんか簡潔にポストするかと思ったけど、結果超長くなった。 なので、飛ばすなり、読むにしても適当に読み流すなりしてくださいませ、超個人的なことなんで。 2024年10月。 先生から「ANDROGYNOS–THE FINAL WAR-」開催寸前に電話が来ました。 あれやこれや話してから、代々木の仕込み日に会場に行き。 各セクションのスタッフとはそこで初めてワンマンの話をして、そこからがスタートだったかもしれません。 結果、今回は「舞台演出周り」の担当をすることになりました。 元マネージャーなわけだし、2014年&2017年もいろんな形では関わっていて。 そりゃ楽曲や「ここでこれ」とか「ここはこうじゃないと」は 殆ど把握はしてますが、そこ(演出)に特化する役回りは初めて。 まぁ、正直プレッシャーも緊張感も満載ですよ、そんなの。 12月末くらいに「END OF THE WORLD LINE」のセットリストが出て、久しぶりにライブの内容について先生と話をしました。 しかし、言われたことは「過去のノスタルジーの浸る気は無いよ。だからそこを喚起させる演出やセットがあったとしても、 それは全部最新テクノロジーや新しいアイデアでやって欲しい」だけ。 それが彼からの唯一のリクエストでした(あ、「HILL」での雪は有明前のリハーサル中に言われた)。 まー、悩みましたよ、本当に(苦笑)。 「そうだ、海外に行って、ぼーっとして考えよう」と2025/1/18 vistlipのZeppShinjyuku公演終わりに羽田空港に向かい。 生意気にもJALの深夜便(超ラッキーでビジネスクラスにアップグレード)でロンドンへ飛び、10日間滞在。 まぁ、現実逃避みたいなもんです。(帰国後の翌日から有明アリーナ公演のリハーサル開始でした) ロンドン滞在中、ライブは数本とミュージカル数本は見たり、 大学時代の友人がロンドン在住なので一緒に飯食いに行ったりしたものの、観光らしい観光はほぼゼロ。 食事や飲み物を買いに行く以外はホテルから出ない日もありました。 PIERROTの2日間分のセットリストをプレイリストにして、聴きながらあてもなく散歩したり。 カフェやパブ、博物館や美術館で本やマンガをKindleで読みながら、結構な確率でPIERROTの音源聴いてました。 その間、なんとなくイマジネーション膨らませてたのかもしれません。 渡航前にはセットリストは決まっていたので全体スタッフミーティングはしてあり。 「この曲は映像、特効はこれでここ。この曲は照明押しやレーザー」などは決めてあり。 実際にLEDへの演出映像などは作成に入っていましたが、細かいやり取りはオンラインでやってました。 渡航中にも各セクションスタッフとオンラインミーティングもしたと思います。 内容の詳細は覚えてませんが帰国翌日からリハーサルだし、ちまちま思いついたことは詰めていたはず。 「気分転換に東京でやれることをロンドンでやろう」と言う超贅沢な旅でした。 (そう考えるとコロナ禍も意味があったかな、「オンラインミーティング」が定着して、 海外からも時差さえ鑑みれば普通にミーティングできるって超便利だし) 「PIERROTの為に海外に行ってきた」って言うと聞こえは超良いですが、実際に渡航の理由の半分以上は本当にそれなんですよね。 それくらいのプレッシャーだったのかもしれないですな。 その後、有明に向けてリハーサル開始して、更に細かく内容は詰めて行き、実際にメンバーに提案したり確認したりするんですが、 基本的に全員「大丈夫だよ、任せてるし」との返答でして。リハーサルだから、メンバーは演奏に集中したい訳でそら当然。 「いやいや、もうちょっと話しようぜ」と思うのですが、そこからは「じゃあやるわ」としか言えないわけです(苦笑)。 なんやかんやで追って気になるところは個別に細かく連絡が来るんですが、全体で演出内容についてのミーティングとかは全く無いのです。 そら更に高まるプレッシャー、みたいな。そこでワタクシが相談するのは周囲のスタッフ達。 そういう時にこのチームは凄いんですよ、各セクションそれぞれがちゃんと「PIERROTのコンサートとは」とのヴィジョンを持っていて。 古くからの長らくのスタッフも当然居ますし、メンバーそれぞれのソロから集まったり、今回が初登場のスタッフも居るんですが、 相談一つ一つに「ならばこうしよう」「いや、そこはこっちの方が良いでしょ」などレスポンスも早く、修正も速攻。 超プロフェッショナルだなぁ、と助けられてばっかりでした。

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目黒鹿鳴館。 やっぱり最後に行ってきました。 権之助坂を下り、もはや影も形も無い歩道橋を過ぎて右側がこのライブハウス。 (更に坂を下り、大鳥神社の向かい側が実家でした~祖父はそこで写真館をやってました) 人生で一番来たし、仕事もしたライブハウス。 最初に来たのはなんだろう、もはや思い出せません。 最初は客で沢山のバンドを観ましたし、後々には様々なバンドのスタッフとしてステージ袖に居ました。 とにかく沢山のバンドのスタッフで来ました。 15歳で地雷神のベースだった光くんのローディになり。彼がその後にXに加入して、Xでは高校生なのにレギュラーになり(ローディの先輩方がとにかく強烈でした)。平行してMEPHISTOPHELESでクドーちゃんやロブさんにも出会い。COAT OF ARMSは結成から解散までずっとローディでした。オールナイトメタルパーティーは当初普通に客でしたが、途中からはスタッフに。Xで楽器運んでたら、D'ERLANGERも出演してて。哲兄から「お、うちのも運んでよ」と。そりゃ勿論運びました(笑)。あの頃はメタパは全バンドドラム持ち込みで全転換。転換時間、どれくらい取ってたんだろう?全く記憶に無いが相当長かったんだろうな。昭和ですね、穏やかな時代。 マネージャーになってからはLaputa(DEAD ENDのモーリーさんの衣装を借りてakiが着て喜んでた)、MUCC、DEZERTなどなど。制作ではアルルカンもやりましたな。2002年のMUCCxメリーの2Daysは最高に面白かったなあ。ドラムやアンプを満タンの客席通して階段下に運ぶ「メタパ転換」は我々には普通でしたが、お客様からは「えー??」とどよめきが上がり。ワタクシと会場スタッフはお客様に「何がおかしいんだよ、普通だっつーの」みたいな(笑)。 そうだ、初めて先生と話したのもここだ。1996/10/20 、HAKEN KREUZ無料配布ライブを偶然事務所に遊びに来て、「今、凄い伸びてるバンドだよ。観ていきなよ」と言われて観たんだ。終演後に先生を紹介されて。それは先生も覚えてた。デビュー後にはシークレットライブもやりました。まー、これは本当に大変だった色々。語れない裏話満載(苦笑)。でも今となっては楽しく変換された良き想い出に。 あ、hideさんと最後に話したのもここだ。野音の話をしたからXはメジャーデビュー後だ。 hideさんが事務所に居て。「大学受かりました」と話したら、「おめでとう!お前はその方が良いよ、育ち良いんだから」と。デビュー前のSONYオーディション @ 日本青年館の楽屋で高校辞めるって話したらめちゃくちゃ怒られたんですよね。「明確な目標も無いのに辞めてどうすんだ?俺やYOSHIKIも卒業してるぞ、退学するなんてダメだぞ」と説教されてる脇でTAIJI君は「俺は辞めてるけどな」って笑ってた。 想い出はキリがないが、大切にしまっておきましょう。最後に楽屋からステージに向かって階段を上がり。客席をぐるっとみて、Voの立ち位置で写真を撮ってみた。 本当にこれで最後。 ありがとう目黒鹿鳴館、さようなら目黒鹿鳴館。 終わってみちゃ、楽しい想い出だけ持って帰ろう。

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