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2012年7月18日 15:21 北越急行ほくほく線 虫川大杉駅にて。 トンネルから飛び出してきたのは…681系2000番台の編成で統一された特急はくたか15号スノーラビットエクスプレス!(^o^) もう14年も前の夏の思い出は今も色褪せる事なく心の中に残ってます…(*^_^*)

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#徳島県 #14年間の涙 14年間 畑の真ん中に繋がれていた子 月に一度県外から帰って来る方からの 連絡でbearcoaroseさんが幾度か足を 運びこの子の状態を目の当たりにして 必ず自分が保護すると言う強い気持ちで 飼い主と何回も交渉しに通いました 夜になると暗闇の中で土の上で寝る どんな思いで星や月を見ていたのか 雪の降る寒い夜は震えながら朝を待つ 夏の炎天下でも日陰もお水もほぼ無い どれほど冷たいお水が飲みたかったか 土砂降りの雨の日はびしょ濡れになり ながらも耐えるしかない 今年の夏の炎天下の中 心配で見に行くと リードが木に絡まり身動きも取れない状態だったそうです この子の側には人間が食べた後の蟹の 甲羅とみかんの皮 いちじくの皮 食べら れる筈も無くかなり痩せ細り悲しい 小屋も無く満足にフードも貰えない この子の足には コブのようなものが 出来ていても動物病院に一度も連れて 行ってもらった事もない 飼い主にとってこの子は単なる番犬に すぎなかったのです ある日 飼い主の家族が吐き捨てるように 「犬の面倒を見る暇もお金もない!」と言い放ったそうです 何回も保護させてほしいと諦めず 交渉し続けやっと手放す事を承諾した 飼い主… あとどれくらいの時間がこの子に残されているのかわからないけれど一日でも 長く幸せな時を過ごしてほしいと思います bearcoaroseさんに初めて見せた笑顔 名前は「さくら」ちゃん 一日も長く生きて幸せに暮らしてほしい と願って止みません bearcoaroseさんに心から感謝致します Instagram bearcoaroseさん投稿より

Ruby love

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NYの9月11日テロから25年。いつもは個人的なこと書かないけど、今日は私の人生にとって大切な日なので、書きます。#9月11日 実は私はその頃NYに住んだばかりで、あの日をある程度体験したヒトなのです。 World Trade Centerからは少し離れた場所だけど、朝、バイト先に着いてしばらくして、ニュースで、NYだけでなくペンタゴンもやられたと知った。 外に出ると危ないと残る子たちもいたが、私はやはり自宅へ帰ろうと思った。 もうその時点で外に出ると、ダウンタウンのほうにWTCが破壊された原爆のそれのように大きなきのこ雲が見えていた。(添付した写真が私が見たのに近い) 歩道にはダウンタウンのほうから灰を体中にかぶった灰色の人たちが、あの現場から上のほうへ上のほうへと歩いてきていた。ゾンビに見えた。 皆、口をハンカチや手などで覆い、下のほうへ向かっ て歩く人は一人もいなかった。 なんとか地下鉄駅にたどり着いたら「閉鎖している のでバスで行け」というので、バス停へ。来たバスは 満員だけど運よく乗れた。 ところが、バスがミッドタウンのEmpire State Buildingに近づいてくると、バスの中では「今度はここに飛行 機が突っ込む」というデマが湧き、人々が狂ったよ うに他人を押しのけはじめた。 彼らは走っているバスから無理やり降りようとし、 人々が雪崩のように出口のほうに殺到する阿鼻叫喚の 事態に。 私も一瞬「もはやこれまでか」と思ったが、あるひと つのことに救われた。 後部座席のほうの黒人女性たちが、なんとその狂乱の さなかに「神はあなたとともにいる」とゴスペルを歌 いだしたのだ。最初は一人、そしてまた一人・・と次々に歌声が増えた。 その歌はなによりも力強く、凛々しく、私はバスを降りるよりなぜかこの女性たちと一緒にいたい、と思った。 心の表面は不安でいてもたってもたまらないのに、私の魂は、子供の頃にやさしく自分の眠りを包んだタオ ルケットのような彼女たちの歌にくるまれてしずかに 呼吸していた。 守られていた。 そして、人々が次々に降り、彼女たちと私とごく少数の人を載せたバスは、Grand Central Stationに到着。 ここからはもうバスも電車も機能しなくなっていたので、そこから家まで歩き。 40ブロック位、セントラルパークの中も通って自宅の あるアッパーウエストまで歩いたが、 あの、インディアンサマーの、心に突き刺さるほどの雲一つない澄ん だ青空を、私は一生忘れない。人生で最も美しい青空、と思った。 そしてNYでは数日ほど、道を歩く見知らぬ人々と「お 互い生き延びているので、がんばろう」みたいなア イコンタクトが多かった。彼ら彼女らの視線は、 恐怖と愛と連帯に満ちていた。知らない人たちなの に、みんながつながっている感じだった。 World Trade Centerで亡くなった人々の中には日本人も 24名いた。今私が住んでいるビルに住んでいた日本人 の方もお亡くなりになってます。 皆さん、どうか、どうか、一日一日を大切に生きてください。 生きてる間にできる限り愛の言葉や優しい言葉を伝えてください。 もしかしたらその人は突然明日いなくなるかもしれない、 それか、あなた自身がいなくなるかもしれない、ので。 追記:NYで多くの消防士、警察官などの人々が、帰っ てこれない可能性を知りながら崩れ落ちるビルの中に 救命のために入り、命を落としました。 世界は、人間はまだまだ捨てたもんじゃない、です。

Mimi Yamazaki

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